7. 女 仙 - 芥川 龍 之介
昔 、 支那 の 或 ある 田舎 に 書生 が 一人 住んで いました 。 何しろ 支那 の こと です から 、 桃 の 花 の 咲いた 窓 の 下 に 本 ばかり 読んで いた のでしょう 。 すると 、 この 書生 の 家 の 隣 に 年 の 若い 女 が 一人 、―― それ も 美しい 女 が 一人 、 誰 も 使わ ず に 住んで いました 。 書生 は この 若い 女 を 不思議に 思って いた の は もちろん です 。 実際 また 彼女 の 身の上 を はじめ 、 彼女 が 何 を して 暮らして いる か は 誰一人 知る もの も なかった の です から 。
或風 のない 春 の 日 の 暮 、 書生 は ふと 外 へ 出て 見る と 、 何 か この 若い 女 の 罵って いる 声 が 聞えました 。 それ は また どこ か の 庭 鳥 が のんびり と 鬨 を 作って いる 中 に 、 如何にも 物 も の しく 聞える の です 。 書生 は どうした の か と 思い ながら 、 彼女 の 家 の 前 へ 行って 見ました 。 すると 眉 を 吊り上げ た 彼女 は 、 年 を とった 木 樵 り の 爺さん を 引き 据え 、 ぽかぽか 白髪 頭 を 擲って いる の です 。 しかも 木 樵 り の 爺さん は 顔 中 に 涙 を 流した まま 、 平あやまり に あやまって いる では ありません か !
「 これ は 一体 どうした の です ? 何も こういう 年より を 、 擲 らない でも 善い じゃ ありません か ! ――」
書生 は 彼女 の 手 を 抑え 、 熱心に たしなめ に かかりました 。
「 第 一 年 上 の もの を 擲 る と いう こと は 、 修身 の 道 に も はずれて いる 訣 です 。」
「 年上 の もの を ? この 木 樵 り は わたし より も 年下 です 。」
「 冗談 を 言って は いけません 。」
「 いえ 、 冗談 では ありません 。 わたし は この 木 樵 り の 母親 です から 。」
書生 は 呆 気 に とられた なり 、 思わず 彼女 の 顔 を 見つめました 。 やっと 木 樵 り を 突き 離した 彼女 は 美しい 、―― と いう より も 凜々 しい 顔 に 血 の 色 を 通わせ 、 目 じ ろ ぎ も せず に こう 言う の です 。
「 わたし は この 倅 の ため に 、 どの 位 苦労 を した か わかりません 。 けれども 倅 は わたし の 言葉 を 聞か ず に 、 我 儘 ばかり して いました から 、 とうとう 年 を とって しまった の です 。」
「 では 、…… この 木 樵 り は もう 七十 位 でしょう 。 その また 木 樵 り の 母親 だ と いう あなた は 、 一体 いく つ に なって いる の です ? 」
「 わたし です か ? わたし は 三千六百 歳 です 。」
書生 は こういう 言葉 と 一しょに 、 この 美しい 隣 の 女 が 仙人 だった こと に 気づきました 。 しかし もう その 時 に は 、 何 か 神々しい 彼女 の 姿 は 忽ち どこ か へ 消えて しまいました 。 うらうら と 春 の 日 の 照り 渡った 中 に 木 樵 り の 爺さん を 残した まま 。 ……