86. 薄 どろどろ - 尾上 梅 幸
薄 どろどろ - 尾上 梅 幸
▲ 幽霊 の 家柄 で いて 、 幽霊 種 が ない と いう の は ち と 妙な もの です が 、 実際 私 の 経験 と いう 方 から いって は 、 幽霊 談 皆無 と いって も 可 い のです 、 尤 も これ は 幽霊 で ない 、 夢 の 事 です が 、 私 を 育てて くれた 乳母 が 名古屋 に 居 まして 、 私 が 子供 の 内 に 銀杏 が 好 で 仕様がない もの だ から 、 東京 へ 来て も 、 わざわざ 心 に かけて 贈って くれる 。 ああ 乳母 の 厚意 だ と 思って 、 いつも おいしく 喰 べ て いる と 、 ある 年 の 事 、 乳母 が 病気 で 、 今度 は 助から ない かも 知れ ない と 言って 来た 。 すると これ が 夢 に 来て 、 私 に 銀杏 を 持って 来て 、 くれた と 思う と 目 を 覚ました が 、 やがて 銀杏 が 小包 で 届いて 来た 、 遅れ 走 に また 乳母 の 死んだ と いう 知らせ が 、 そこ へ 来た ので 、 夢 の 事 を 思って 、 慄然と した 事 が ありました 。 ・・
▲ それ から 、 故人 の 芙雀 が 、 亡父 菊 五郎 の ところ へ 尋ねて 来た 事 、 これ は 都 新聞 の 人 に 話しました から 、 彼方 へ 出た の を 、 また お 話し する の も おかしい から 止します 。 ・・
▲ 死んだ 亡父 は 、 御 承知 の 通 、 随分 幽霊 もの を しました が 、 ある 時 大磯 の 海岸 を 、 夜 歩いて 行く と 、 あの ザアザア と いう 波 の 音 が 何となく 凄い ので 、 今 まで に 浜辺 の 幽霊 と いう もの を やった 事 が ない から いつか 遣って みたい もの だ と 言って いました 。 その 事 を 、 その後 不 図 御 贔負 を 蒙る 三井 養之助 さん に お 話 する と 、 や 、 それ は いけない 、 幽霊 の 陰 に 対して は 、 相手 は 陽 の もの で なくて は いけない 、 夜 の 海 は 陰 の もの だ から 、 そこ へ 幽霊 を 出して は 却 て 凄み が ない と 仰 いました 。 亡父 は なるほど と 思って 、 浜辺 の 幽霊 は お くら に なって しまいました 。 ・・
▲ 話 は 一 向 纏まら ない が 堪忍 して 下さい 。 御 承知 の 通 、 私 共 は 団 蔵 さん を 頭 に 、 高麗 蔵 さん や 市村 ( 羽 左 衛 門 ) と 東京 座 で 『 四谷 怪談 』 を いたします 。 これ まで 祖父 の 梅 壽 さん が した 時 から 、 亡父 の 時 と も 、 この 四 谷 を する と は 、 屹度 怪しい 事 が ある と いう ので 、 いつでも いつでも その 芝居 に 関係 の ある 者 は 、 皆 おっかなびっくり で おります ので 、 中 に は 随分 『 正 躰 見たり 枯 尾花 』 と いう ような の も あります 。 しかし 実際 を いう と 私 も 憶病な ので 、 丁度 前月 の 三十 日 の 晩 です 、 十 時 頃 『 四谷 』 の お 岩 様 の 役 の 書 抜 を 読み ながら 、 弟子 や 家内 など と 一 所 に 座敷 に 居ます と 、 時々 に 頭上 の 電気 が ポウ と 消える 。 おかしい な と 思って 、 誰 か 立って ホヤ の 工 合 を 見よう と する と 、 手 を 付け ない 内 に 、 また ポウ と つく 。 それでいて 、 茶の間 や 他の 間 の 電気 は そんな 事 は ない ので 、 はじめ 怪しい と 思った の も 、 二 度 目 、 三 度 目 に は 怖 気 が ついて 、 オイ もう 止そう 、 何だか 薄 気味 が 悪い から と 止した くらい でした 。 ・・
▲『 四谷 』 の 芝居 と いえば 、 十三 年 前 に 亡父 が 歌舞伎 座 でした 時 の 、 伊 右 衛 門 は 八百 蔵 さん でした が 、 お 岩 様 の 罰 だ と 言って 、 足 に 腫物 が 出来た 事 が ありました 。 今度 私 に 突 合って 、 伊 右 衛 門 を する の は 、 高麗 蔵 さん です が 、 自分 は 何とも ない が 、 妻君 の 目 の 下 に 腫物 が 出来て 、 これ が 少し 膨れて いる ところ へ 、 藍 が かった 色 の 膏薬 を 張って いる ので 、 折から 何だか 、 気味 を 好く 思って いない ところ へ 、 ある 晩 高麗 蔵 さん が 、 二 階 へ 行こう と 、 梯子 段 へ かかる 、 妻君 は また 威 かす 気 でも 何でもなく 、 上 から 下りて 来る 、 その 顔 に 薄く 燈 が 映して 、 例の 腫物 が 見えた ので 、 さすが の 高麗 蔵 さん も 、 一 寸 慄然と した と いう 事 です 。 ・・
▲ また 東京 座 も 、 初日 に なる と 、 そのような 意味 の 怪談 (? ) も ありましょう けれども 、 まあまあ 今 申し上げる お 話 は この くらい な もの です 。