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或る女 - 有島武郎(アクセス), 37.1 或る女

37.1 或る 女

天心 に 近く ぽつり と 一 つ 白く わき出た 雲 の 色 に も 形 に も それ と 知ら れる ような たけなわな 春 が 、 ところどころ の 別荘 の 建て 物 の ほか に は 見渡す かぎり 古く 寂び れた 鎌倉 の 谷 々 に まで あふれて いた 。 重い 砂 土 の 白 ばん だ 道 の 上 に は 落ち 椿 が 一重 桜 の 花 と まじって 無残に 落ち 散って いた 。 桜 の こずえ に は 紅 味 を 持った 若葉 が きらきら と 日 に 輝いて 、 浅い 影 を 地 に 落とした 。 名 も ない 雑木 まで が 美しかった 。 蛙 の 声 が 眠く 田 圃 の ほう から 聞こえて 来た 。 休暇 で ない せい か 、 思いのほか に 人 の 雑 鬧 も なく 、 時おり 、 同じ 花 かんざし を 、 女 は 髪 に 男 は 襟 に さして 先達 らしい の が 紫 の 小旗 を 持った 、 遠い 所 から 春 を 逐って 経 めぐって 来た らしい 田舎 の 人 たち の 群れ が 、 酒 の 気 も 借 ら ず に しめやかに 話し合い ながら 通る の に 行きあう くらい の もの だった 。 ・・

倉地 も 汽車 の 中 から 自然に 気分 が 晴れた と 見えて 、 いかにも 屈託 なくなって 見えた 。 二 人 は 停車場 の 付近 に ある 或る 小ぎれいな 旅館 を 兼ねた 料理 屋 で 中 食 を したためた 。 日 朝 様 と も どん ぶ く 様 と も いう 寺 の 屋根 が 庭先 に 見えて 、 そこ から 眼病 の 祈祷 だ と いう 団 扇 太鼓 の 音 が どん ぶ くど ん ぶ く と 単調に 聞こえる ような 所 だった 。 東 の ほう は その 名 さながら の 屏風 山 が 若葉 で 花 より も 美しく 装われて 霞 んで いた 。 短く 美しく 刈り 込ま れた 芝生 の 芝 は まだ 萌 えて い なかった が 、 所 まばら に 立ち 連なった 小松 は 緑 を ふきかけて 、 八重 桜 は のぼせた ように 花 で うなだれて いた 。 もう 袷 一 枚 に なって 、 そこ に 食べ物 を 運んで 来る 女 中 は 襟 前 を くつろげ ながら 夏 が 来た ようだ と いって 笑ったり した 。 ・・

「 ここ は いい わ 。 きょう は ここ で 宿りましょう 」・・

葉子 は 計画 から 計画 で 頭 を いっぱいに して いた 。 そして そこ に 用 ら ない もの を 預けて 、 江の島 の ほう まで 車 を 走ら した 。 ・・

帰り に は 極楽 寺坂 の 下 で 二 人 と も 車 を 捨てて 海岸 に 出た 。 もう 日 は 稲村 が 崎 の ほう に 傾いて 砂浜 は やや 暮れ 初めて いた 。 小坪 の 鼻 の 崕 の 上 に 若葉 に 包まれて たった 一 軒 建てられた 西洋 人 の 白 ペンキ 塗り の 別荘 が 、 夕日 を 受けて 緑色 に 染めた コケット の 、 髪 の 中 の ダイヤモンド の ように 輝いて いた 。 その 崕下 の 民家 から は 炊 煙 が 夕靄 と 一緒に なって 海 の ほう に たなびいて いた 。 波打ちぎわ の 砂 は いい ほど に 湿って 葉子 の 吾妻 下駄 の 歯 を 吸った 。 二 人 は 別荘 から 散歩 に 出て 来た らしい 幾 組 か の 上品な 男女 の 群れ と 出あった が 、 葉子 は 自分 の 容貌 なり 服装 なり が 、 その どの 群れ のど の 人 に も 立ち まさって いる の を 意識 して 、 軽い 誇り と 落ち付き を 感じて いた 。 倉地 も そういう 女 を 自分 の 伴侶 と する の を あながち 無頓着に は 思わぬ らしかった 。 ・・

「 だれ か ひょんな 人 に あう だろう と 思って いました が うまく だれ に も あわ なかって ね 。 向こう の 小坪 の 人家 の 見える 所 まで 行きましょう ね 。 そうして 光明 寺 の 桜 を 見て 帰りましょう 。 そう する と ちょうど お腹 が いい 空き 具合 に なる わ 」・・

倉地 は なんとも 答え なかった が 、 無論 承知 で いる らしかった 。 葉子 は ふと 海 の ほう を 見て 倉地 に また 口 を きった 。 ・・

「 あれ は 海 ね 」・・

「 仰せ の とおり 」・・

倉地 は 葉子 が 時々 途 轍 も なく わかりきった 事 を 少女 みたいな 無邪気 さ で いう 、 また それ が 始まった と いう ように 渋 そうな 笑い を 片 頬 に 浮かべて 見せた 。 ・・

「 わたし もう 一 度 あの まっただなか に 乗り出して みたい 」・・

「 して どう する のだ い 」・・

倉地 も さすが 長かった 海 の 上 の 生活 を 遠く 思いやる ような 顔 を し ながら いった 。 ・・

「 ただ 乗り出して みたい の 。 ど ーっと 見さかい も なく 吹き まく 風 の 中 を 、 大波 に 思い 存分 揺られ ながら 、 ひっくりかえり そうに なって は 立て 直って 切り抜けて 行く あの 船 の 上 の 事 を 思う と 、 胸 が どきどき する ほど もう 一 度 乗って み たく なります わ 。 こんな 所 いや ねえ 、 住んで みる と 」・・

そう いって 葉子 は パラソル を 開いた まま 柄 の 先 で 白い 砂 を ざ く ざ く と 刺し 通した 。 ・・

「 あの 寒い 晩 の 事 、 わたし が 甲板 の 上 で 考え込んで いた 時 、 あなた が 灯 を ぶら下げて 岡 さん を 連れて 、 やってい らしった あの 時 の 事 など を わたし は わけ も なく 思い出します わ 。 あの 時 わたし は 海 で なければ 聞け ない ような 音楽 を 聞いて いました わ 。 陸 の 上 に は あんな 音楽 は 聞こう と いったって ありゃ し ない 。 お ー い 、 お ー い 、 おい 、 おい 、 おい 、 お ー い …… あれ は 何 ? 」・・

「 なんだ それ は 」・・

倉地 は 怪 訝 な 顔 を して 葉子 を 振り返った 。 ・・

「 あの 声 」・・

「 どの 」・・

「 海 の 声 …… 人 を 呼ぶ ような …… お互い で 呼び 合う ような 」・・

「 なんにも 聞こえ やせん じゃ ない か 」・・

「 その 時 聞いた の よ …… こんな 浅い 所 で は 何 が 聞こえます もの か 」・・

「 おれ は 長年 海 の 上 で 暮らした が 、 そんな 声 は 一 度 だって 聞いた 事 は ない わ 」・・

「 そう お 。 不思議 ね 。 音楽 の 耳 の ない 人 に は 聞こえ ない の かしら 。 …… 確かに 聞こえました よ 、 あの 晩 に …… それ は 気味 の 悪い ような 物 すごい ような …… いわば ね 、 一緒に なる べき はずな のに 一緒に なれ なかった …… その 人 たち が 幾 億万 と 海 の 底 に 集まって いて 、 銘々 死に かけた ような 低い 音 で 、 お ー い 、 お ー い と 呼び 立てる 、 それ が 一緒に なって あんな ぼんやり した 大きな 声 に なる か と 思う ような そんな 気味 の 悪い 声 な の …… どこ か で 今 でも その 声 が 聞こえる よう よ 」・・

「 木村 が やって いる のだろう 」・・

そう いって 倉地 は 高々 と 笑った 。 葉子 は 妙に 笑え なかった 。 そして もう 一 度 海 の ほう を ながめ やった 。 目 も 届か ない ような 遠く の ほう に 、 大島 が 山 の 腰 から 下 は 夕靄 に ぼかされて なく なって 、 上 の ほう だけ が へ の 字 を 描いて ぼんやり と 空 に 浮かんで いた 。 ・・

二 人 は いつか 滑川 の 川口 の 所 まで 来 着いて いた 。 稲 瀬川 を 渡る 時 、 倉地 は 、 横浜 埠頭 で 葉子 に まつわる 若者 に した ように 、 葉子 の 上体 を 右手 に 軽々 と かかえて 、 苦 も なく 細い 流れ を 跳 り 越して しまった が 、 滑川 の ほう は そう は 行か なかった 。 二 人 は 川 幅 の 狭 そうな 所 を 尋ねて だんだん 上流 の ほう に 流れ に 沿う て のぼって 行った が 、 川 幅 は 広く なって 行く ばかりだった 。 ・・

「 めんどうくさい 、 帰りましょう か 」・・

大きな 事 を いい ながら 、 光明 寺 まで に は 半分 道 も 来 ない うち に 、 下駄 全体 が めいり こむ ような 砂 道 で 疲れ果てて しまった 葉子 は こう いい出した 。 ・・

「 あす こ に 橋 が 見える 。 とにかく あす こま で 行って みよう や 」・・

倉地 は そう いって 海岸 線 に 沿う て むっくり 盛れ 上がった 砂丘 の ほう に 続く 砂 道 を のぼり 始めた 。 葉子 は 倉地 に 手 を 引かれて 息 気 を せいせい いわ せ ながら 、 筋肉 が 強 直 する ように 疲れた 足 を 運んだ 。 自分 の 健康 の 衰退 が 今さら に はっきり 思わ せられる ような それ は 疲れ かた だった 。 今にも 破裂 する ように 心臓 が 鼓動 した 。 ・・

「 ちょっと 待って 弁慶 蟹 を 踏みつけ そうで 歩け や しません わ 」・・

そう 葉子 は 申しわけ らしく いって 幾 度 か 足 を とめた 。 実際 そのへん に は 紅 い 甲良 を 背負った 小さな 蟹 が いかめしい 鋏 を 上げて 、 ざ わざ わ と 音 を 立てる ほど おびただしく 横行 して いた 。 それ が いかにも 晩春 の 夕暮れ らしかった 。 ・・

砂丘 を のぼり きる と 材木 座 の ほう に 続く 道路 に 出た 。 葉子 は どうも 不思議な 心持ち で 、 浜 から 見えて いた 乱 橋 の ほう に 行く 気 に なれ なかった 。 しかし 倉地 が どんどん そっち に 向いて 歩き 出す ので 、 少し すねた ように その 手 に 取りすがり ながら もつれ 合って 人気 の ない その 橋 の 上 まで 来て しまった 。 ・・

橋 の 手前 の 小さな 掛け 茶屋 に は 主人 の 婆さん が 葭 で 囲った 薄暗い 小 部屋 の 中 で 、 こそこそ と 店 を たたむ したく でも して いる だけ だった 。 ・・

橋 の 上 から 見る と 、 滑川 の 水 は 軽く 薄 濁って 、 まだ 芽 を 吹か ない 両岸 の 枯れ 葦 の 根 を 静かに 洗い ながら 音 も 立て ず に 流れて いた 。 それ が 向こう に 行く と 吸い込ま れた ように 砂 の 盛れ 上がった 後ろ に 隠れて 、 また その先 に 光って 現われて 、 穏やかな リズム を 立てて 寄せ 返す 海 べ の 波 の 中 に 溶けこむ ように 注いで いた 。 ・・

ふと 葉子 は 目 の 下 の 枯れ 葦 の 中 に 動く もの が ある のに 気 が 付いて 見る と 、 大きな 麦 桿 の 海水 帽 を かぶって 、 杭 に 腰かけて 、 釣り竿 を 握った 男 が 、 帽子 の 庇 の 下 から 目 を 光らして 葉子 を じっと 見つめて いる のだった 。 葉子 は 何の 気 なし に その 男 の 顔 を ながめた 。 ・・

木部 孤 だった 。 ・・

帽子 の 下 に 隠れて いる せい か 、 その 顔 は ちょっと 見 忘れる くらい 年 が いって いた 。 そして 服装 から も 、 様子 から も 、 落 魄 と いう ような 一種 の 気分 が 漂って いた 。 木部 の 顔 は 仮面 の ように 冷 然 と して いた が 、 釣り竿 の 先 は 不注意に も 水 に 浸って 、 釣り糸 が 女 の 髪 の 毛 を 流した ように 水 に 浮いて 軽く 震えて いた 。 ・・

さすが の 葉子 も 胸 を ど きん と さ せて 思わず 身 を 退 ら せた 。 「 お ー い 、 おい 、 おい 、 おい 、 お ー い 」…… それ が その 瞬間 に 耳 の 底 を すーっと 通って すーっと 行く え も 知ら ず 過ぎ去った 。 怯 ず 怯 ず と 倉地 を うかがう と 、 倉地 は 何事 も 知ら ぬ げ に 、 暖かに 暮れて 行く 青空 を 振り 仰いで 目いっぱい に ながめて いた 。 ・・

「 帰りましょう 」・・

葉子 の 声 は 震えて いた 。 倉地 は なんの 気 なし に 葉子 を 顧みた が 、・・

「 寒く で も なった か 、 口 び る が 白い ぞ 」・・

と いい ながら 欄干 を 離れた 。 二 人 が その 男 に 後ろ を 見せて 五六 歩 歩み 出す と 、・・

「 ちょっと お 待ち ください 」・・

と いう 声 が 橋 の 下 から 聞こえた 。 倉地 は 始めて そこ に 人 の いた の に 気 が 付いて 、 眉 を ひそめ ながら 振り返った 。 ざ わざ わ と 葦 を 分け ながら 小道 を 登って 来る 足音 が して 、 ひょっこり 目の前 に 木部 の 姿 が 現われ 出た 。 葉子 は その 時 は しかし すべて に 対する 身構え を 充分に して しまって いた 。 ・・

木部 は 少し ばか丁寧な くらい に 倉地 に 対して 帽子 を 取る と 、 すぐ 葉子 に 向いて 、・・

「 不思議な 所 で お目にかかりました ね 、 しばらく 」・・

と いった 。 一 年 前 の 木部 から 想像 して どんな 激情 的な 口調 で 呼びかけられる かも しれ ない と あやぶんで いた 葉子 は 、 案外 冷淡な 木部 の 態度 に 安心 も し 、 不安 も 感じた 。 木部 は どうかする と 居直る ような 事 を し かね ない 男 だ と 葉子 は 兼ねて 思って いた から だ 。 しかし 木部 と いう 事 を 先方 から いい出す まで は 包め る だけ 倉地 に は 事実 を 包んで みよう と 思って 、 ただ にこやかに 、・・

「 こんな 所 で お目にかかろう と は …… わたし も ほんとうに 驚いて しまいました 。 でも まあ ほんとうに お 珍しい …… ただいま こちら の ほう に お 住まい で ございます の ? 」・・

「 住まう と いう ほど も ない …… くすぶり こんで います よ ハヽヽヽ 」・・

と 木部 は うつろに 笑って 、 鍔 の 広い 帽子 を 書生っぽ らしく 阿弥陀 に かぶった 。 と 思う と また 急いで 取って 、・・

「 あんな 所 から いきなり 飛び出して 来て こう なれなれしく 早月 さん に お 話 を しかけて 変に お 思い でしょう が 、 僕 は 下ら ん やく ざ 者 で 、 それ でも 元 は 早月 家 に は いろいろ 御 厄介に なった 男 です 。 申し上げる ほど の 名 も ありません から 、 まあ 御覧 の とおり の やつ です 。 …… どちら に おいで です 」・・

と 倉地 に 向いて いった 。 その 小さな 目 に は 勝 れた 才気 と 、 敗 けぎらい らしい 気象 と が ほとばしって は いた けれども 、 じじ むさ い 顎 ひげ と 、 伸びる まま に 伸ばした 髪 の 毛 と で 、 葉子 で なければ その 特長 は 見え ない らしかった 。 倉地 は どこ の 馬 の 骨 か と 思う ような 調子 で 、 自分 の 名 を 名乗る 事 は もとより せ ず に 、 軽く 帽子 を 取って 見せた だけ だった 。 そして 、・・

「 光明 寺 の ほう へ でも 行って みよう か と 思った のだ が 、 川 が 渡れ んで …… この 橋 を 行って も 行か れます だろう 」・・

三 人 は 橋 の ほう を 振り返った 。 まっすぐな 土 堤 道 が 白く 山 の きわ まで 続いて いた 。 ・・

「 行けます が ね 、 それ は 浜 伝い の ほう が 趣 が あります よ 。 防 風 草 でも 摘み ながら いらっしゃい 。 川 も 渡れます 、 御 案内 しましょう 」・・

と いった 。 葉子 は 一 時 も 早く 木部 から のがれ たく も あった が 、 同時に しんみり と 一 別 以来 の 事 など を 語り合って みたい 気 も した 。 いつか 汽車 の 中 であって これ が 最後 の 対面 だろう と 思った 、 あの 時 から する と 木部 は ずっと さばけた 男らしく なって いた 。 その 服装 が いかにも 生活 の 不規則な の と 窮迫 して いる の を 思わ せる と 、 葉子 は 親身な 同情 に そそら れる の を 拒む 事 が でき なかった 。 ・・

倉地 は 四五 歩 先立って 、 その あと から 葉子 と 木部 と は 間 を 隔てて 並び ながら 、 また 弁慶 蟹 のう ざ う ざ いる 砂 道 を 浜 の ほう に 降りて 行った 。 ・・

「 あなた の 事 はたいてい うわさ や 新聞 で 知っていました よ …… 人間 て もの は おかしな もん です ね 。 …… わたし は あれ から 落 伍者 です 。 何 を して みて も 成り立った 事 は ありません 。 妻 も 子供 も 里 に 返して しまって 今 は 一 人 で ここ に 放浪 して います 。 毎日 釣り を やって ね …… ああ やって 水 の 流れ を 見て いる と 、 それ でも 晩 飯 の 酒 の 肴 ぐらい な もの は 釣れて 来ます よ ハヽヽヽヽ 」・・

木部 は また うつろに 笑った が 、 その 笑い の 響き が 傷口 に でも 答えた ように 急に 黙って しまった 。 砂 に 食い込む 二 人 の 下駄 の 音 だけ が 聞こえた 。 ・・

「 しかし これ で いて 全く の 孤独で も ありません よ 。 つい この 間 から 知り合い に なった 男 だ が 、 砂山 の 砂 の 中 に 酒 を 埋めて おいて 、 ぶら り と やって 来て それ を 飲んで 酔う の を 楽しみに して いる の と 知り合い に なり まして ね …… そい つ の 人生 観 が ばかに おもしろい んです 。 徹底 した 運命 論者 です よ 。 酒 を のんで 運命 論 を 吐く んです 。 まるで 仙人 です よ 」


37.1 或る 女 ある|おんな 37.1 Una mujer

天心 に 近く ぽつり と 一 つ 白く わき出た 雲 の 色 に も 形 に も それ と 知ら れる ような たけなわな 春 が 、 ところどころ の 別荘 の 建て 物 の ほか に は 見渡す かぎり 古く 寂び れた 鎌倉 の 谷 々 に まで あふれて いた 。 てんしん||ちかく|||ひと||しろく|わきでた|くも||いろ|||かた|||||しら||||はる||||べっそう||たて|ぶつ|||||みわたす||ふるく|さび||かまくら||たに||||| 重い 砂 土 の 白 ばん だ 道 の 上 に は 落ち 椿 が 一重 桜 の 花 と まじって 無残に 落ち 散って いた 。 おもい|すな|つち||しろ|||どう||うえ|||おち|つばき||ひとえ|さくら||か|||むざんに|おち|ちって| 桜 の こずえ に は 紅 味 を 持った 若葉 が きらきら と 日 に 輝いて 、 浅い 影 を 地 に 落とした 。 さくら|||||くれない|あじ||もった|わかば||||ひ||かがやいて|あさい|かげ||ち||おとした 名 も ない 雑木 まで が 美しかった 。 な|||ぞうき|||うつくしかった 蛙 の 声 が 眠く 田 圃 の ほう から 聞こえて 来た 。 かえる||こえ||ねむく|た|ほ||||きこえて|きた 休暇 で ない せい か 、 思いのほか に 人 の 雑 鬧 も なく 、 時おり 、 同じ 花 かんざし を 、 女 は 髪 に 男 は 襟 に さして 先達 らしい の が 紫 の 小旗 を 持った 、 遠い 所 から 春 を 逐って 経 めぐって 来た らしい 田舎 の 人 たち の 群れ が 、 酒 の 気 も 借 ら ず に しめやかに 話し合い ながら 通る の に 行きあう くらい の もの だった 。 きゅうか|||||おもいのほか||じん||ざつ|どう|||ときおり|おなじ|か|||おんな||かみ||おとこ||えり|||せんだつ||||むらさき||こばた||もった|とおい|しょ||はる||ちく って|へ||きた||いなか||じん|||むれ||さけ||き||かり|||||はなしあい||とおる|||いきあう|||| Perhaps because it wasn't a holiday, there weren't as many people as I had expected, and from time to time, women wore the same flowers in their hair and men wore them on their collars. A crowd of people from the countryside, who seemed to have come all the way through the area, would pass by while conversing quietly and without alcohol. ・・

倉地 も 汽車 の 中 から 自然に 気分 が 晴れた と 見えて 、 いかにも 屈託 なくなって 見えた 。 くらち||きしゃ||なか||しぜんに|きぶん||はれた||みえて||くったく||みえた 二 人 は 停車場 の 付近 に ある 或る 小ぎれいな 旅館 を 兼ねた 料理 屋 で 中 食 を したためた 。 ふた|じん||ていしゃば||ふきん|||ある|こぎれいな|りょかん||かねた|りょうり|や||なか|しょく|| 日 朝 様 と も どん ぶ く 様 と も いう 寺 の 屋根 が 庭先 に 見えて 、 そこ から 眼病 の 祈祷 だ と いう 団 扇 太鼓 の 音 が どん ぶ くど ん ぶ く と 単調に 聞こえる ような 所 だった 。 ひ|あさ|さま||||||さま||||てら||やね||にわさき||みえて|||がんびょう||きとう||||だん|おうぎ|たいこ||おと|||||||||たんちょうに|きこえる||しょ| 東 の ほう は その 名 さながら の 屏風 山 が 若葉 で 花 より も 美しく 装われて 霞 んで いた 。 ひがし|||||な|||びょうぶ|やま||わかば||か|||うつくしく|よそおわ れて|かすみ|| 短く 美しく 刈り 込ま れた 芝生 の 芝 は まだ 萌 えて い なかった が 、 所 まばら に 立ち 連なった 小松 は 緑 を ふきかけて 、 八重 桜 は のぼせた ように 花 で うなだれて いた 。 みじかく|うつくしく|かり|こま||しばふ||しば|||ほう|||||しょ|||たち|つらなった|こまつ||みどり|||やえ|さくら||||か||| The grass had not yet sprouted from the beautifully trimmed lawns, but the sparsely populated pine trees were blanketed with greenery, and the double-flowered cherry trees drooped with flowers as if they were in a rush. もう 袷 一 枚 に なって 、 そこ に 食べ物 を 運んで 来る 女 中 は 襟 前 を くつろげ ながら 夏 が 来た ようだ と いって 笑ったり した 。 |あわせ|ひと|まい|||||たべもの||はこんで|くる|おんな|なか||えり|ぜん||||なつ||きた||||わらったり| The maid who was already dressed in lining and brought the food there, relaxed around her neck, and laughed, saying that it felt like summer had come. ・・

「 ここ は いい わ 。 きょう は ここ で 宿りましょう 」・・ ||||やどり ましょう

葉子 は 計画 から 計画 で 頭 を いっぱいに して いた 。 ようこ||けいかく||けいかく||あたま|||| そして そこ に 用 ら ない もの を 預けて 、 江の島 の ほう まで 車 を 走ら した 。 |||よう|||||あずけて|えのしま||||くるま||はしら| ・・

帰り に は 極楽 寺坂 の 下 で 二 人 と も 車 を 捨てて 海岸 に 出た 。 かえり|||ごくらく|てらさか||した||ふた|じん|||くるま||すてて|かいがん||でた もう 日 は 稲村 が 崎 の ほう に 傾いて 砂浜 は やや 暮れ 初めて いた 。 |ひ||いなむら||さき||||かたむいて|すなはま|||くれ|はじめて| 小坪 の 鼻 の 崕 の 上 に 若葉 に 包まれて たった 一 軒 建てられた 西洋 人 の 白 ペンキ 塗り の 別荘 が 、 夕日 を 受けて 緑色 に 染めた コケット の 、 髪 の 中 の ダイヤモンド の ように 輝いて いた 。 こつぼ||はな||がい||うえ||わかば||つつま れて||ひと|のき|たて られた|せいよう|じん||しろ|ぺんき|ぬり||べっそう||ゆうひ||うけて|みどりいろ||そめた|||かみ||なか||だいやもんど|||かがやいて| その 崕下 の 民家 から は 炊 煙 が 夕靄 と 一緒に なって 海 の ほう に たなびいて いた 。 |がいした||みんか|||た|けむり||ゆうもや||いっしょに||うみ||||| 波打ちぎわ の 砂 は いい ほど に 湿って 葉子 の 吾妻 下駄 の 歯 を 吸った 。 なみうちぎわ||すな|||||しめって|ようこ||あがつま|げた||は||すった 二 人 は 別荘 から 散歩 に 出て 来た らしい 幾 組 か の 上品な 男女 の 群れ と 出あった が 、 葉子 は 自分 の 容貌 なり 服装 なり が 、 その どの 群れ のど の 人 に も 立ち まさって いる の を 意識 して 、 軽い 誇り と 落ち付き を 感じて いた 。 ふた|じん||べっそう||さんぽ||でて|きた||いく|くみ|||じょうひんな|だんじょ||むれ||であった||ようこ||じぶん||ようぼう||ふくそう|||||むれ|||じん|||たち|||||いしき||かるい|ほこり||おちつき||かんじて| The two of them seemed to have gone out for a walk from their villa and met several groups of elegant men and women, but Yoko's looks and clothes stood out from any of the groups. Aware of this, I felt a light sense of pride and calmness. 倉地 も そういう 女 を 自分 の 伴侶 と する の を あながち 無頓着に は 思わぬ らしかった 。 くらち|||おんな||じぶん||はんりょ||||||むとんちゃくに||おもわぬ| ・・

「 だれ か ひょんな 人 に あう だろう と 思って いました が うまく だれ に も あわ なかって ね 。 |||じん|||||おもって|い ました|||||||なか って| 向こう の 小坪 の 人家 の 見える 所 まで 行きましょう ね 。 むこう||こつぼ||じんか||みえる|しょ||いき ましょう| そうして 光明 寺 の 桜 を 見て 帰りましょう 。 |こうみょう|てら||さくら||みて|かえり ましょう そう する と ちょうど お腹 が いい 空き 具合 に なる わ 」・・ ||||おなか|||あき|ぐあい|||

倉地 は なんとも 答え なかった が 、 無論 承知 で いる らしかった 。 くらち|||こたえ|||むろん|しょうち||| 葉子 は ふと 海 の ほう を 見て 倉地 に また 口 を きった 。 ようこ|||うみ||||みて|くらち|||くち|| ・・

「 あれ は 海 ね 」・・ ||うみ|

「 仰せ の とおり 」・・ おおせ||

倉地 は 葉子 が 時々 途 轍 も なく わかりきった 事 を 少女 みたいな 無邪気 さ で いう 、 また それ が 始まった と いう ように 渋 そうな 笑い を 片 頬 に 浮かべて 見せた 。 くらち||ようこ||ときどき|と|わだち||||こと||しょうじょ||むじゃき|||||||はじまった||||しぶ|そう な|わらい||かた|ほお||うかべて|みせた ・・

「 わたし もう 一 度 あの まっただなか に 乗り出して みたい 」・・ ||ひと|たび||||のりだして|

「 して どう する のだ い 」・・

倉地 も さすが 長かった 海 の 上 の 生活 を 遠く 思いやる ような 顔 を し ながら いった 。 くらち|||ながかった|うみ||うえ||せいかつ||とおく|おもいやる||かお|||| ・・

「 ただ 乗り出して みたい の 。 |のりだして|| ど ーっと 見さかい も なく 吹き まく 風 の 中 を 、 大波 に 思い 存分 揺られ ながら 、 ひっくりかえり そうに なって は 立て 直って 切り抜けて 行く あの 船 の 上 の 事 を 思う と 、 胸 が どきどき する ほど もう 一 度 乗って み たく なります わ 。 |- っと|みさかい|||ふき||かぜ||なか||おおなみ||おもい|ぞんぶん|ゆられ|||そう に|||たて|なおって|きりぬけて|いく||せん||うえ||こと||おもう||むね||||||ひと|たび|のって|||なり ます| こんな 所 いや ねえ 、 住んで みる と 」・・ |しょ|||すんで||

そう いって 葉子 は パラソル を 開いた まま 柄 の 先 で 白い 砂 を ざ く ざ く と 刺し 通した 。 ||ようこ||ぱらそる||あいた||え||さき||しろい|すな|||||||さし|とおした Saying this, Yoko left the parasol open and pierced the white sand with the tip of the handle. ・・

「 あの 寒い 晩 の 事 、 わたし が 甲板 の 上 で 考え込んで いた 時 、 あなた が 灯 を ぶら下げて 岡 さん を 連れて 、 やってい らしった あの 時 の 事 など を わたし は わけ も なく 思い出します わ 。 |さむい|ばん||こと|||かんぱん||うえ||かんがえこんで||じ|||とう||ぶらさげて|おか|||つれて||らし った||じ||こと||||||||おもいだし ます| あの 時 わたし は 海 で なければ 聞け ない ような 音楽 を 聞いて いました わ 。 |じ|||うみ|||きけ|||おんがく||きいて|い ました| 陸 の 上 に は あんな 音楽 は 聞こう と いったって ありゃ し ない 。 りく||うえ||||おんがく||きこう||いった って||| お ー い 、 お ー い 、 おい 、 おい 、 おい 、 お ー い …… あれ は 何 ? |-|||-||||||-||||なん 」・・

「 なんだ それ は 」・・

倉地 は 怪 訝 な 顔 を して 葉子 を 振り返った 。 くらち||かい|いぶか||かお|||ようこ||ふりかえった ・・

「 あの 声 」・・ |こえ

「 どの 」・・

「 海 の 声 …… 人 を 呼ぶ ような …… お互い で 呼び 合う ような 」・・ うみ||こえ|じん||よぶ||おたがい||よび|あう|

「 なんにも 聞こえ やせん じゃ ない か 」・・ |きこえ||||

「 その 時 聞いた の よ …… こんな 浅い 所 で は 何 が 聞こえます もの か 」・・ |じ|きいた||||あさい|しょ|||なん||きこえ ます||

「 おれ は 長年 海 の 上 で 暮らした が 、 そんな 声 は 一 度 だって 聞いた 事 は ない わ 」・・ ||ながねん|うみ||うえ||くらした|||こえ||ひと|たび||きいた|こと|||

「 そう お 。 不思議 ね 。 ふしぎ| 音楽 の 耳 の ない 人 に は 聞こえ ない の かしら 。 おんがく||みみ|||じん|||きこえ||| …… 確かに 聞こえました よ 、 あの 晩 に …… それ は 気味 の 悪い ような 物 すごい ような …… いわば ね 、 一緒に なる べき はずな のに 一緒に なれ なかった …… その 人 たち が 幾 億万 と 海 の 底 に 集まって いて 、 銘々 死に かけた ような 低い 音 で 、 お ー い 、 お ー い と 呼び 立てる 、 それ が 一緒に なって あんな ぼんやり した 大きな 声 に なる か と 思う ような そんな 気味 の 悪い 声 な の …… どこ か で 今 でも その 声 が 聞こえる よう よ 」・・ たしかに|きこえ ました|||ばん||||きみ||わるい||ぶつ|||||いっしょに|||||いっしょに||||じん|||いく|おくまん||うみ||そこ||あつまって||めいめい|しに|||ひくい|おと|||-|||-|||よび|たてる|||いっしょに|||||おおきな|こえ|||||おもう|||きみ||わるい|こえ||||||いま|||こえ||きこえる|| ……I sure heard it, that night...it was kind of creepy and terrible...so to speak, we were supposed to be together but we couldn't be together...how many of those people were there? A hundred million people are gathered at the bottom of the sea, and each of them calls out with a low, dying voice, and you wonder if it all comes together in such a vague and loud voice. It's such an eerie voice... I think I can still hear that voice somewhere."

「 木村 が やって いる のだろう 」・・ きむら||||

そう いって 倉地 は 高々 と 笑った 。 ||くらち||たかだか||わらった 葉子 は 妙に 笑え なかった 。 ようこ||みょうに|わらえ| そして もう 一 度 海 の ほう を ながめ やった 。 ||ひと|たび|うみ||||| 目 も 届か ない ような 遠く の ほう に 、 大島 が 山 の 腰 から 下 は 夕靄 に ぼかされて なく なって 、 上 の ほう だけ が へ の 字 を 描いて ぼんやり と 空 に 浮かんで いた 。 め||とどか|||とおく||||おおしま||やま||こし||した||ゆうもや||ぼかさ れて|||うえ|||||||あざ||えがいて|||から||うかんで| In the distance, out of sight, Oshima was obscured by the evening mist from the waist down of the mountain, leaving only the upper part to float vaguely in the sky. ・・

二 人 は いつか 滑川 の 川口 の 所 まで 来 着いて いた 。 ふた|じん|||なめかわ||かわぐち||しょ||らい|ついて| 稲 瀬川 を 渡る 時 、 倉地 は 、 横浜 埠頭 で 葉子 に まつわる 若者 に した ように 、 葉子 の 上体 を 右手 に 軽々 と かかえて 、 苦 も なく 細い 流れ を 跳 り 越して しまった が 、 滑川 の ほう は そう は 行か なかった 。 いね|せかわ||わたる|じ|くらち||よこはま|ふとう||ようこ|||わかもの||||ようこ||じょうたい||みぎて||かるがる|||く|||ほそい|ながれ||と||こして|||なめかわ||||||いか| 二 人 は 川 幅 の 狭 そうな 所 を 尋ねて だんだん 上流 の ほう に 流れ に 沿う て のぼって 行った が 、 川 幅 は 広く なって 行く ばかりだった 。 ふた|じん||かわ|はば||せま|そう な|しょ||たずねて||じょうりゅう||||ながれ||そう|||おこなった||かわ|はば||ひろく||いく| ・・

「 めんどうくさい 、 帰りましょう か 」・・ |かえり ましょう|

大きな 事 を いい ながら 、 光明 寺 まで に は 半分 道 も 来 ない うち に 、 下駄 全体 が めいり こむ ような 砂 道 で 疲れ果てて しまった 葉子 は こう いい出した 。 おおきな|こと||||こうみょう|てら||||はんぶん|どう||らい||||げた|ぜんたい|||||すな|どう||つかれはてて||ようこ|||いいだした ・・

「 あす こ に 橋 が 見える 。 |||きょう||みえる とにかく あす こま で 行って みよう や 」・・ ||||おこなって||

倉地 は そう いって 海岸 線 に 沿う て むっくり 盛れ 上がった 砂丘 の ほう に 続く 砂 道 を のぼり 始めた 。 くらち||||かいがん|せん||そう|||もれ|あがった|さきゅう||||つづく|すな|どう|||はじめた Kurachi said as he began to climb the sandy road leading to the dunes that had risen along the coastline. 葉子 は 倉地 に 手 を 引かれて 息 気 を せいせい いわ せ ながら 、 筋肉 が 強 直 する ように 疲れた 足 を 運んだ 。 ようこ||くらち||て||ひか れて|いき|き||||||きんにく||つよ|なお|||つかれた|あし||はこんだ 自分 の 健康 の 衰退 が 今さら に はっきり 思わ せられる ような それ は 疲れ かた だった 。 じぶん||けんこう||すいたい||いまさら|||おもわ|せら れる||||つかれ|| 今にも 破裂 する ように 心臓 が 鼓動 した 。 いまにも|はれつ|||しんぞう||こどう| ・・

「 ちょっと 待って 弁慶 蟹 を 踏みつけ そうで 歩け や しません わ 」・・ |まって|べんけい|かに||ふみつけ|そう で|あるけ||し ませ ん| "Wait a minute, I can't walk because I feel like I'm stepping on a Benkei crab."

そう 葉子 は 申しわけ らしく いって 幾 度 か 足 を とめた 。 |ようこ||もうしわけ|||いく|たび||あし|| 実際 そのへん に は 紅 い 甲良 を 背負った 小さな 蟹 が いかめしい 鋏 を 上げて 、 ざ わざ わ と 音 を 立てる ほど おびただしく 横行 して いた 。 じっさい||||くれない||こうら||せおった|ちいさな|かに|||やっとこ||あげて|||||おと||たてる|||おうこう|| In fact, there were small crabs with red shells on their backs, raising their grim claws and roaming so profusely that they made a noise. それ が いかにも 晩春 の 夕暮れ らしかった 。 |||ばんしゅん||ゆうぐれ| ・・

砂丘 を のぼり きる と 材木 座 の ほう に 続く 道路 に 出た 。 さきゅう|||||ざいもく|ざ||||つづく|どうろ||でた 葉子 は どうも 不思議な 心持ち で 、 浜 から 見えて いた 乱 橋 の ほう に 行く 気 に なれ なかった 。 ようこ|||ふしぎな|こころもち||はま||みえて||らん|きょう||||いく|き||| しかし 倉地 が どんどん そっち に 向いて 歩き 出す ので 、 少し すねた ように その 手 に 取りすがり ながら もつれ 合って 人気 の ない その 橋 の 上 まで 来て しまった 。 |くらち|||||むいて|あるき|だす||すこし||||て||とりすがり|||あって|にんき||||きょう||うえ||きて| ・・

橋 の 手前 の 小さな 掛け 茶屋 に は 主人 の 婆さん が 葭 で 囲った 薄暗い 小 部屋 の 中 で 、 こそこそ と 店 を たたむ したく でも して いる だけ だった 。 きょう||てまえ||ちいさな|かけ|ちゃや|||あるじ||ばあさん||よし||かこった|うすぐらい|しょう|へや||なか||||てん|||||||| In front of the bridge, in a small teahouse, the owner's old woman was quietly trying to close the shop in a dimly lit small room surrounded by reeds. ・・

橋 の 上 から 見る と 、 滑川 の 水 は 軽く 薄 濁って 、 まだ 芽 を 吹か ない 両岸 の 枯れ 葦 の 根 を 静かに 洗い ながら 音 も 立て ず に 流れて いた 。 きょう||うえ||みる||なめかわ||すい||かるく|うす|にごって||め||ふか||りょうがん||かれ|あし||ね||しずかに|あらい||おと||たて|||ながれて| それ が 向こう に 行く と 吸い込ま れた ように 砂 の 盛れ 上がった 後ろ に 隠れて 、 また その先 に 光って 現われて 、 穏やかな リズム を 立てて 寄せ 返す 海 べ の 波 の 中 に 溶けこむ ように 注いで いた 。 ||むこう||いく||すいこま|||すな||もれ|あがった|うしろ||かくれて||そのさき||ひかって|あらわれて|おだやかな|りずむ||たてて|よせ|かえす|うみ|||なみ||なか||とけこむ||そそいで| ・・

ふと 葉子 は 目 の 下 の 枯れ 葦 の 中 に 動く もの が ある のに 気 が 付いて 見る と 、 大きな 麦 桿 の 海水 帽 を かぶって 、 杭 に 腰かけて 、 釣り竿 を 握った 男 が 、 帽子 の 庇 の 下 から 目 を 光らして 葉子 を じっと 見つめて いる のだった 。 |ようこ||め||した||かれ|あし||なか||うごく|||||き||ついて|みる||おおきな|むぎ|かん||かいすい|ぼう|||くい||こしかけて|つりざお||にぎった|おとこ||ぼうし||ひさし||した||め||ひからして|ようこ|||みつめて|| 葉子 は 何の 気 なし に その 男 の 顔 を ながめた 。 ようこ||なんの|き||||おとこ||かお|| ・・

木部 孤 だった 。 きべ|こ| ・・

帽子 の 下 に 隠れて いる せい か 、 その 顔 は ちょっと 見 忘れる くらい 年 が いって いた 。 ぼうし||した||かくれて|||||かお|||み|わすれる||とし||| そして 服装 から も 、 様子 から も 、 落 魄 と いう ような 一種 の 気分 が 漂って いた 。 |ふくそう|||ようす|||おと|はく||||いっしゅ||きぶん||ただよって| 木部 の 顔 は 仮面 の ように 冷 然 と して いた が 、 釣り竿 の 先 は 不注意に も 水 に 浸って 、 釣り糸 が 女 の 髪 の 毛 を 流した ように 水 に 浮いて 軽く 震えて いた 。 きべ||かお||かめん|||ひや|ぜん|||||つりざお||さき||ふちゅういに||すい||ひたって|つりいと||おんな||かみ||け||ながした||すい||ういて|かるく|ふるえて| ・・

さすが の 葉子 も 胸 を ど きん と さ せて 思わず 身 を 退 ら せた 。 ||ようこ||むね|||||||おもわず|み||しりぞ|| 「 お ー い 、 おい 、 おい 、 おい 、 お ー い 」…… それ が その 瞬間 に 耳 の 底 を すーっと 通って すーっと 行く え も 知ら ず 過ぎ去った 。 |-||||||-|||||しゅんかん||みみ||そこ|||かよって||いく|||しら||すぎさった 怯 ず 怯 ず と 倉地 を うかがう と 、 倉地 は 何事 も 知ら ぬ げ に 、 暖かに 暮れて 行く 青空 を 振り 仰いで 目いっぱい に ながめて いた 。 きょう||きょう|||くらち||||くらち||なにごと||しら||||あたたかに|くれて|いく|あおぞら||ふり|あおいで|めいっぱい||| Undaunted, I looked at Kurachi, who, as if ignorant of what had happened, looked up at the warm, darkening blue sky with his eyes wide open. ・・

「 帰りましょう 」・・ かえり ましょう

葉子 の 声 は 震えて いた 。 ようこ||こえ||ふるえて| 倉地 は なんの 気 なし に 葉子 を 顧みた が 、・・ くらち|||き|||ようこ||かえりみた|

「 寒く で も なった か 、 口 び る が 白い ぞ 」・・ さむく|||||くち||||しろい|

と いい ながら 欄干 を 離れた 。 |||らんかん||はなれた 二 人 が その 男 に 後ろ を 見せて 五六 歩 歩み 出す と 、・・ ふた|じん|||おとこ||うしろ||みせて|ごろく|ふ|あゆみ|だす|

「 ちょっと お 待ち ください 」・・ ||まち|

と いう 声 が 橋 の 下 から 聞こえた 。 ||こえ||きょう||した||きこえた 倉地 は 始めて そこ に 人 の いた の に 気 が 付いて 、 眉 を ひそめ ながら 振り返った 。 くらち||はじめて|||じん|||||き||ついて|まゆ||||ふりかえった ざ わざ わ と 葦 を 分け ながら 小道 を 登って 来る 足音 が して 、 ひょっこり 目の前 に 木部 の 姿 が 現われ 出た 。 ||||あし||わけ||こみち||のぼって|くる|あしおと||||めのまえ||きべ||すがた||あらわれ|でた 葉子 は その 時 は しかし すべて に 対する 身構え を 充分に して しまって いた 。 ようこ|||じ|||||たいする|みがまえ||じゅうぶんに||| ・・

木部 は 少し ばか丁寧な くらい に 倉地 に 対して 帽子 を 取る と 、 すぐ 葉子 に 向いて 、・・ きべ||すこし|ばかていねいな|||くらち||たいして|ぼうし||とる|||ようこ||むいて

「 不思議な 所 で お目にかかりました ね 、 しばらく 」・・ ふしぎな|しょ||おめにかかり ました||

と いった 。 一 年 前 の 木部 から 想像 して どんな 激情 的な 口調 で 呼びかけられる かも しれ ない と あやぶんで いた 葉子 は 、 案外 冷淡な 木部 の 態度 に 安心 も し 、 不安 も 感じた 。 ひと|とし|ぜん||きべ||そうぞう|||げきじょう|てきな|くちょう||よびかけ られる|||||||ようこ||あんがい|れいたんな|きべ||たいど||あんしん|||ふあん||かんじた Yoko, who had been wondering what kind of passionate tone she might be calling out to Kibe from a year ago, was both relieved and anxious at Kibe's unexpectedly cold demeanor. 木部 は どうかする と 居直る ような 事 を し かね ない 男 だ と 葉子 は 兼ねて 思って いた から だ 。 きべ||どうか する||いなおる||こと|||||おとこ|||ようこ||かねて|おもって||| This is because Yoko thought that Kibe was a man who could get back on his feet if something happened. しかし 木部 と いう 事 を 先方 から いい出す まで は 包め る だけ 倉地 に は 事実 を 包んで みよう と 思って 、 ただ にこやかに 、・・ |きべ|||こと||せんぽう||いいだす|||つつめ|||くらち|||じじつ||つつんで|||おもって|| But until the other party mentions that it is Kibe, Kurachi decided to wrap up the facts, and just smiled...

「 こんな 所 で お目にかかろう と は …… わたし も ほんとうに 驚いて しまいました 。 |しょ||おめにかかろう||||||おどろいて|しまい ました "I was really surprised to see you in a place like this... でも まあ ほんとうに お 珍しい …… ただいま こちら の ほう に お 住まい で ございます の ? ||||めずらしい|||||||すまい||| 」・・

「 住まう と いう ほど も ない …… くすぶり こんで います よ ハヽヽヽ 」・・ すまう||||||||い ます||

と 木部 は うつろに 笑って 、 鍔 の 広い 帽子 を 書生っぽ らしく 阿弥陀 に かぶった 。 |きべ|||わらって|つば||ひろい|ぼうし||しょせい っぽ||あみだ|| Kibe smiled hollowly and put on a broad-brimmed hat like a student. と 思う と また 急いで 取って 、・・ |おもう|||いそいで|とって

「 あんな 所 から いきなり 飛び出して 来て こう なれなれしく 早月 さん に お 話 を しかけて 変に お 思い でしょう が 、 僕 は 下ら ん やく ざ 者 で 、 それ でも 元 は 早月 家 に は いろいろ 御 厄介に なった 男 です 。 |しょ|||とびだして|きて|||さつき||||はなし|||へんに||おもい|||ぼく||くだら||||もの||||もと||さつき|いえ||||ご|やっかいに||おとこ| "You may think it's strange to jump out of such a place and talk to Mr. Hayatsuki in such a friendly way, but I'm a scumbag, and even so, the Hayatsuki family was in trouble in various ways. This is the man who became 申し上げる ほど の 名 も ありません から 、 まあ 御覧 の とおり の やつ です 。 もうしあげる|||な||あり ませ ん|||ごらん||||| I don't have a name worth mentioning, so it's just as you can see. …… どちら に おいで です 」・・

と 倉地 に 向いて いった 。 |くらち||むいて| その 小さな 目 に は 勝 れた 才気 と 、 敗 けぎらい らしい 気象 と が ほとばしって は いた けれども 、 じじ むさ い 顎 ひげ と 、 伸びる まま に 伸ばした 髪 の 毛 と で 、 葉子 で なければ その 特長 は 見え ない らしかった 。 |ちいさな|め|||か||さいき||はい|||きしょう||||||||||あご|||のびる|||のばした|かみ||け|||ようこ||||とくちょう||みえ|| Those small eyes gushed out a winning flair and a seemingly disappointing meteorology, but with a bushy beard and long hair, those traits would be visible if it wasn't for Yoko. It didn't seem like it. 倉地 は どこ の 馬 の 骨 か と 思う ような 調子 で 、 自分 の 名 を 名乗る 事 は もとより せ ず に 、 軽く 帽子 を 取って 見せた だけ だった 。 くらち||||うま||こつ|||おもう||ちょうし||じぶん||な||なのる|こと||||||かるく|ぼうし||とって|みせた|| Kurachi didn't even mention his name, he simply took off his hat, as if wondering what kind of horse's bone it was. そして 、・・

「 光明 寺 の ほう へ でも 行って みよう か と 思った のだ が 、 川 が 渡れ んで …… この 橋 を 行って も 行か れます だろう 」・・ こうみょう|てら|||||おこなって||||おもった|||かわ||わたれ|||きょう||おこなって||いか|れ ます|

三 人 は 橋 の ほう を 振り返った 。 みっ|じん||きょう||||ふりかえった まっすぐな 土 堤 道 が 白く 山 の きわ まで 続いて いた 。 |つち|つつみ|どう||しろく|やま||||つづいて| ・・

「 行けます が ね 、 それ は 浜 伝い の ほう が 趣 が あります よ 。 いけ ます|||||はま|つたい||||おもむき||あり ます| 防 風 草 でも 摘み ながら いらっしゃい 。 ふせ|かぜ|くさ||つまみ|| 川 も 渡れます 、 御 案内 しましょう 」・・ かわ||わたれ ます|ご|あんない|し ましょう

と いった 。 葉子 は 一 時 も 早く 木部 から のがれ たく も あった が 、 同時に しんみり と 一 別 以来 の 事 など を 語り合って みたい 気 も した 。 ようこ||ひと|じ||はやく|きべ|||||||どうじに|||ひと|べつ|いらい||こと|||かたりあって||き|| いつか 汽車 の 中 であって これ が 最後 の 対面 だろう と 思った 、 あの 時 から する と 木部 は ずっと さばけた 男らしく なって いた 。 |きしゃ||なか||||さいご||たいめん|||おもった||じ||||きべ||||おとこらしく|| Someday on the train, I thought that this would be the last time we met, and since that time, Kibe had become much more of a manly man. その 服装 が いかにも 生活 の 不規則な の と 窮迫 して いる の を 思わ せる と 、 葉子 は 親身な 同情 に そそら れる の を 拒む 事 が でき なかった 。 |ふくそう|||せいかつ||ふきそくな|||きゅうはく|||||おもわ|||ようこ||しんみな|どうじょう||||||こばむ|こと||| His attire made him think of the irregularity and desperation of his life, and Yoko couldn't help but be intrigued by his empathetic sympathy. ・・

倉地 は 四五 歩 先立って 、 その あと から 葉子 と 木部 と は 間 を 隔てて 並び ながら 、 また 弁慶 蟹 のう ざ う ざ いる 砂 道 を 浜 の ほう に 降りて 行った 。 くらち||しご|ふ|さきだって||||ようこ||きべ|||あいだ||へだてて|ならび|||べんけい|かに||||||すな|どう||はま||||おりて|おこなった ・・

「 あなた の 事 はたいてい うわさ や 新聞 で 知っていました よ …… 人間 て もの は おかしな もん です ね 。 ||こと|はたいて い|||しんぶん||しってい ました||にんげん||||||| "I mostly knew about you from rumors and newspapers... Humans are strange. …… わたし は あれ から 落 伍者 です 。 ||||おと|ごもの| … I am a dropout since then. 何 を して みて も 成り立った 事 は ありません 。 なん|||||なりたった|こと||あり ませ ん 妻 も 子供 も 里 に 返して しまって 今 は 一 人 で ここ に 放浪 して います 。 つま||こども||さと||かえして||いま||ひと|じん||||ほうろう||い ます I returned my wife and children to the village, and now I'm wandering here alone. 毎日 釣り を やって ね …… ああ やって 水 の 流れ を 見て いる と 、 それ でも 晩 飯 の 酒 の 肴 ぐらい な もの は 釣れて 来ます よ ハヽヽヽヽ 」・・ まいにち|つり||||||すい||ながれ||みて|||||ばん|めし||さけ||さかな|||||つれて|き ます||

木部 は また うつろに 笑った が 、 その 笑い の 響き が 傷口 に でも 答えた ように 急に 黙って しまった 。 きべ||||わらった|||わらい||ひびき||きずぐち|||こたえた||きゅうに|だまって| Kibe smiled hollowly again, but as if the sound of that laughter had answered the wound, he suddenly fell silent. 砂 に 食い込む 二 人 の 下駄 の 音 だけ が 聞こえた 。 すな||くいこむ|ふた|じん||げた||おと|||きこえた ・・

「 しかし これ で いて 全く の 孤独で も ありません よ 。 ||||まったく||こどくで||あり ませ ん| つい この 間 から 知り合い に なった 男 だ が 、 砂山 の 砂 の 中 に 酒 を 埋めて おいて 、 ぶら り と やって 来て それ を 飲んで 酔う の を 楽しみに して いる の と 知り合い に なり まして ね …… そい つ の 人生 観 が ばかに おもしろい んです 。 ||あいだ||しりあい|||おとこ|||すなやま||すな||なか||さけ||うずめて||||||きて|||のんで|よう|||たのしみに|||||しりあい||||||||じんせい|かん|||| I just got acquainted with a man who had buried sake in the sand of a sand dune, and then came over to drink it and look forward to getting drunk. You know... that guy's outlook on life is ridiculously interesting. 徹底 した 運命 論者 です よ 。 てってい||うんめい|ろんしゃ|| You're a thorough fatalist. 酒 を のんで 運命 論 を 吐く んです 。 さけ|||うんめい|ろん||はく| まるで 仙人 です よ 」 |せんにん|| You're like a hermit."