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或る女 - 有島武郎(アクセス), 3. 或る女

3. 或る 女

その 木部 の 目 は 執念 くも つき まつわった 。 しかし 葉子 は そっち を 見向こう と も し なかった 。 そして 二 等 の 切符 でも かまわ ない から なぜ 一 等 に 乗ら なかった のだろう 。 こういう 事 が きっと ある と 思った から こそ 、 乗り込む 時 も そう いおう と した のだ のに 、 気 が きか な いっちゃ ない と 思う と 、 近ごろ に なく 起き ぬ け から さえ ざ え して いた 気分 が 、 沈み かけた 秋 の 日 の ように 陰ったり めいったり し 出して 、 冷たい 血 が ポンプ に でも かけられた ように 脳 の すきま と いう すきま を かたく 閉ざした 。 たまらなく なって 向かい の 窓 から 景色 でも 見よう と する と 、 そこ に は シェード が おろして あって 、 例の 四十三四 の 男 が 厚い 口 び る を ゆるく あけた まま で 、 ばかな 顔 を し ながら まじまじ と 葉子 を 見 やって いた 。 葉子 は むっと して その 男 の 額 から 鼻 に かけた あたり を 、 遠慮 も なく 発 矢 と 目 で むちうった 。 商人 は 、 ほんとうに むちうた れた 人 が 泣き出す 前 に する ように 、 笑う ような 、 はにかんだ ような 、 不思議な 顔 の ゆがめ かた を して 、 さすが に 顔 を そむけて しまった 。 その 意気地 の ない 様子 が また 葉子 の 心 を いらいら さ せた 。 右 に 目 を 移せば 三四 人 先 に 木部 が いた 。 その 鋭い 小さな 目 は 依然と して 葉子 を 見守って いた 。 葉子 は 震え を 覚える ばかりに 激昂 した 神経 を 両手 に 集めて 、 その 両手 を 握り合わ せて 膝 の 上 の ハンケチ の 包み を 押え ながら 、 下駄 の 先 を じっと 見入って しまった 。 今 は 車 内 の 人 が 申し合わせて 侮辱 でも して いる ように 葉子 に は 思えた 。 古藤 が 隣 座 に いる の さえ 、 一種 の 苦痛 だった 。 その 瞑想 的な 無邪気な 態度 が 、 葉子 の 内部 的 経験 や 苦悶 と 少しも 縁 が 続いて いないで 、 二 人 の 間 に は 金 輸際 理解 が 成り立ち 得 ない と 思う と 、 彼女 は 特別に 毛色 の 変わった 自分 の 境界 に 、 そっと うかがい 寄ろう と する 探偵 を この 青年 に 見いだす ように 思って 、 その 五 分 刈り に した 地蔵 頭 まで が 顧みる に も 足りない 木 の くず か なん ぞ の ように 見えた 。 ・・

やせた 木部 の 小さな 輝いた 目 は 、 依然と して 葉子 を 見つめて いた 。 ・・

なぜ 木部 はか ほど まで 自分 を 侮辱 する のだろう 。 彼 は 今 でも 自分 を 女 と あなどって いる 。 ちっぽけな 才 力 を 今 でも 頼んで いる 。 女 より も 浅ましい 熱情 を 鼻 に かけて 、 今 でも 自分 の 運命 に 差し出がましく 立ち入ろう と して いる 。 あの 自信 の ない 臆病な 男 に 自分 は さっき 媚 び を 見せよう と した のだ 。 そして 彼 は 自分 が これほど まで 誇り を 捨てて 与えよう と した 特別の 好意 を 眦 を 反して 退けた のだ 。 ・・

やせた 木部 の 小さな 目 は 依然と して 葉子 を 見つめて いた 。 ・・

この 時 突然 けたたましい 笑い声 が 、 何 か 熱心に 話し合って いた 二 人 の 中年 の 紳士 の 口 から 起こった 。 その 笑い声 と 葉子 と なんの 関係 も ない 事 は 葉子 に も わかりきって いた 。 しかし 彼女 は それ を 聞く と 、 もう 欲 に も 我慢 が しき れ なく なった 。 そして 右 の 手 を 深々と 帯 の 間 に さし込んだ まま 立ち上がり ざま 、・・

「 汽車 に 酔った んでしょう か しら ん 、 頭痛 が する の 」・・

と 捨てる ように 古藤 に いい残して 、 いきなり 繰り 戸 を あけて デッキ に 出た 。 ・・

だいぶ 高く なった 日 の 光 が ぱっと 大森 田 圃 に 照り 渡って 、 海 が 笑い ながら 光る の が 、 並み 木 の 向こう に 広 すぎる くらい 一 どき に 目 に は いる ので 、 軽い 瞑 眩 を さえ 覚える ほど だった 。 鉄 の 手 欄 に すがって 振り向く と 、 古藤 が 続いて 出て 来た の を 知った 。 その 顔 に は 心配 そうな 驚き の 色 が 明 ら さま に 現われて いた 。 ・・

「 ひどく 痛む んです か 」・・

「 ええ かなり ひどく 」・・

と 答えた が めんどうだ と 思って 、・・

「 いい から は いって いて ください 。 おおげさに 見える と いやです から …… 大丈夫 あぶ なか ありません と も ……」・・

と いい 足した 。 古藤 は しいて とめよう と は し なかった 。 そして 、・・

「 それ じゃ は いって いる が ほんとうに あぶ のう ご ざん すよ …… 用 が あったら 呼んで ください よ 」・・

と だけ いって 素直に は いって 行った 。 ・・

「 Simpleton !」・・

葉子 は 心 の 中 で こう つぶやく と 、 焼き捨てた ように 古藤 の 事 な ん ぞ は 忘れて しまって 、 手 欄 に 臂 を ついた まま 放心 して 、 晩 夏 の 景色 を つつむ 引き締まった 空気 に 顔 を なぶら した 。 木部 の 事 も 思わ ない 。 緑 や 藍 や 黄色 の ほか 、 これ と いって 輪郭 の はっきり した 自然の 姿 も 目 に 映ら ない 。 ただ 涼しい 風 が そよそよ と 鬢 の 毛 を そよが して 通る の を 快い と 思って いた 。 汽車 は 目まぐるしい ほど の 快速 力 で 走って いた 。 葉子 の 心 は ただ 渾沌 と 暗く 固まった 物 の まわり を 飽きる 事 も なく 幾 度 も 幾 度 も 左 から 右 に 、 右 から 左 に 回って いた 。 こうして 葉子 に とって は 長い 時間 が 過ぎ去った と 思わ れる ころ 、 突然 頭 の 中 を 引っかき まわす ような 激しい 音 を 立てて 、 汽車 は 六郷 川 の 鉄橋 を 渡り 始めた 。 葉子 は 思わず ぎょっと して 夢 から さめた ように 前 を 見る と 、 釣り橋 の 鉄材 が 蛛手 に なって 上 を 下 へ と 飛び はねる ので 、 葉子 は 思わず デッキ の パンネル に 身 を 退いて 、 両 袖 で 顔 を 抑えて 物 を 念じる ように した 。 ・・

そう やって 気 を 静めよう と 目 を つぶって いる うち に 、 まつ毛 を 通し 袖 を 通して 木部 の 顔 と ことに その 輝く 小さな 両眼 と が まざまざ と 想像 に 浮かび上がって 来た 。 葉子 の 神経 は 磁石 に 吸い寄せられた 砂鉄 の ように 、 堅く この 一 つ の 幻 像 の 上 に 集 注 して 、 車 内 に あった 時 と 同様な 緊張 した 恐ろしい 状態 に 返った 。 停車場 に 近づいた 汽車 は だんだん と 歩 度 を ゆるめて いた 。 田 圃 の ここ かしこ に 、 俗悪な 色 で 塗り 立てた 大きな 広告 看板 が 連ねて 建てて あった 。 葉子 は 袖 を 顔 から 放して 、 気持ち の 悪い 幻 像 を 払いのける ように 、 一つ一つ その 看板 を 見 迎え 見送って いた 。 所々 に 火 が 燃える ように その 看板 は 目 に 映って 木部 の 姿 は また おぼろに なって 行った 。 その 看板 の 一 つ に 、 長い 黒 髪 を 下げた 姫 が 経 巻 を 持って いる の が あった 。 その 胸 に 書か れた 「 中将 湯 」 と いう 文字 を 、 何げなし に 一 字 ずつ 読み 下す と 、 彼女 は 突然 私生児 の 定子 の 事 を 思い出した 。 そして その 父 なる 木部 の 姿 は 、 かかる 乱雑な 連想 の 中心 と なって 、 また まざまざ と 焼きつく ように 現われ 出た 。 ・・

その 現われ 出た 木部 の 顔 を 、 いわば 心 の 中 の 目 で 見つめて いる うち に 、 だんだん と その 鼻 の 下 から 髭 が 消えうせて 行って 、 輝く ひとみ の 色 は 優しい 肉 感 的な 温かみ を 持ち出して 来た 。 汽車 は 徐々に 進行 を ゆるめて いた 。 やや 荒れ 始めた 三十 男 の 皮膚 の 光沢 は 、 神経 的な 青年 の 蒼白 い 膚 の 色 と なって 、 黒く 光った 軟らかい 頭 の 毛 が きわ立って 白い 額 を なでて いる 。 それ さえ が はっきり 見え 始めた 。 列車 は すでに 川崎 停車場 の プラットフォーム に は いって 来た 。 葉子 の 頭 の 中 で は 、 汽車 が 止まり きる 前 に 仕事 を し 遂 さ ねば なら ぬ と いう ふうに 、 今 見た ばかりの 木部 の 姿 が どんどん 若 や い で 行った 。 そして 列車 が 動か なく なった 時 、 葉子 は その 人 の かたわら に でも いる ように 恍惚 と した 顔つき で 、 思わず 知ら ず 左手 を 上げて ―― 小指 を やさしく 折り曲げて ―― 軟らかい 鬢 の 後れ 毛 を かき上げて いた 。 これ は 葉子 が 人 の 注意 を ひこう と する 時 に は いつでも する 姿 態 である 。 ・・

この 時 、 繰り 戸 が けたたましく あいた と 思う と 、 中 から 二三 人 の 乗客 が どやどや と 現われ 出て 来た 。 ・・

しかも その 最後 から 、 涼しい 色合い の インバネス を 羽織った 木部 が 続く の を 感づいて 、 葉子 の 心臓 は 思わず はっと 処女 の 血 を 盛った ように ときめいた 。 木部 が 葉子 の 前 まで 来て すれすれに その そば を 通り抜けよう と した 時 、 二 人 の 目 は もう 一 度 しみじみ と 出あった 。 木部 の 目 は 好意 を 込めた 微笑 に ひたされて 、 葉子 の 出よう に よって は 、 すぐに も 物 を いい出し そうに 口 び る さえ 震えて いた 。 葉子 も 今 まで 続けて いた 回想 の 惰力 に 引か されて 、 思わず ほほえみ かけた のであった が 、 その 瞬間 燕 返し に 、 見 も 知り も せ ぬ 路傍 の 人 に 与える ような 、 冷 刻 な 驕慢 な 光 を その ひとみ から 射 出した ので 、 木部 の 微笑 は 哀れに も 枝 を 離れた 枯れ葉 の ように 、 二 人 の 間 を むなしく ひらめいて 消えて しまった 。 葉子 は 木部 の あわて かた を 見る と 、 車 内 で 彼 から 受けた 侮辱 に かなり 小気味よく 酬 い 得た と いう 誇り を 感じて 、 胸 の 中 が やや すがすがしく なった 。 木部 は やせた その 右 肩 を 癖 の ように 怒ら し ながら 、 急ぎ足 に 濶歩 して 改札口 の 所 に 近づいた が 、 切符 を 懐中 から 出す ため に 立ち止まった 時 、 深い 悲しみ の 色 を 眉 の 間 に みなぎら し ながら 、 振り返って じっと 葉子 の 横顔 に 目 を 注いだ 。 葉子 は それ を 知り ながら もとより 侮 蔑 の 一 瞥 を も 与え なかった 。 ・・

木部 が 改札口 を 出て 姿 が 隠れよう と した 時 、 今度 は 葉子 の 目 が じっと その 後ろ姿 を 逐 い かけた 。 木部 が 見え なく なった 後 も 、 葉子 の 視線 は そこ を 離れよう と は し なかった 。 そして その 目 に は さびしく 涙 が たまって いた 。 ・・

「 また 会う 事 が ある だろう か 」・・

葉子 は そ ぞ ろ に 不思議な 悲哀 を 覚え ながら 心 の 中 で そう いって いた のだった 。


3. 或る 女 ある|おんな 3. eine Frau 3. a woman 3. una mujer 3. une femme

その 木部 の 目 は 執念 くも つき まつわった 。 |きべ||め||しゅうねん||| しかし 葉子 は そっち を 見向こう と も し なかった 。 |ようこ||||みむこう|||| そして 二 等 の 切符 でも かまわ ない から なぜ 一 等 に 乗ら なかった のだろう 。 |ふた|とう||きっぷ||||||ひと|とう||のら|| こういう 事 が きっと ある と 思った から こそ 、 乗り込む 時 も そう いおう と した のだ のに 、 気 が きか な いっちゃ ない と 思う と 、 近ごろ に なく 起き ぬ け から さえ ざ え して いた 気分 が 、 沈み かけた 秋 の 日 の ように 陰ったり めいったり し 出して 、 冷たい 血 が ポンプ に でも かけられた ように 脳 の すきま と いう すきま を かたく 閉ざした 。 |こと|||||おもった|||のりこむ|じ||||||||き|||||||おもう||ちかごろ|||おき|||||||||きぶん||しずみ||あき||ひ|||かげったり|||だして|つめたい|ち||ぽんぷ|||かけ られた||のう||||||||とざした たまらなく なって 向かい の 窓 から 景色 でも 見よう と する と 、 そこ に は シェード が おろして あって 、 例の 四十三四 の 男 が 厚い 口 び る を ゆるく あけた まま で 、 ばかな 顔 を し ながら まじまじ と 葉子 を 見 やって いた 。 ||むかい||まど||けしき||みよう|||||||||||れいの|しじゅうさんし||おとこ||あつい|くち|||||||||かお||||||ようこ||み|| 葉子 は むっと して その 男 の 額 から 鼻 に かけた あたり を 、 遠慮 も なく 発 矢 と 目 で むちうった 。 ようこ|||||おとこ||がく||はな|||||えんりょ|||はつ|や||め|| 商人 は 、 ほんとうに むちうた れた 人 が 泣き出す 前 に する ように 、 笑う ような 、 はにかんだ ような 、 不思議な 顔 の ゆがめ かた を して 、 さすが に 顔 を そむけて しまった 。 しょうにん|||||じん||なきだす|ぜん||||わらう||||ふしぎな|かお||||||||かお||| その 意気地 の ない 様子 が また 葉子 の 心 を いらいら さ せた 。 |いくじ|||ようす|||ようこ||こころ|||| 右 に 目 を 移せば 三四 人 先 に 木部 が いた 。 みぎ||め||うつせば|さんし|じん|さき||きべ|| その 鋭い 小さな 目 は 依然と して 葉子 を 見守って いた 。 |するどい|ちいさな|め||いぜん と||ようこ||みまもって| 葉子 は 震え を 覚える ばかりに 激昂 した 神経 を 両手 に 集めて 、 その 両手 を 握り合わ せて 膝 の 上 の ハンケチ の 包み を 押え ながら 、 下駄 の 先 を じっと 見入って しまった 。 ようこ||ふるえ||おぼえる||げきこう||しんけい||りょうて||あつめて||りょうて||にぎりあわ||ひざ||うえ||||つつみ||おさえ||げた||さき|||みいって| 今 は 車 内 の 人 が 申し合わせて 侮辱 でも して いる ように 葉子 に は 思えた 。 いま||くるま|うち||じん||もうしあわせて|ぶじょく|||||ようこ|||おもえた 古藤 が 隣 座 に いる の さえ 、 一種 の 苦痛 だった 。 ことう||となり|ざ|||||いっしゅ||くつう| その 瞑想 的な 無邪気な 態度 が 、 葉子 の 内部 的 経験 や 苦悶 と 少しも 縁 が 続いて いないで 、 二 人 の 間 に は 金 輸際 理解 が 成り立ち 得 ない と 思う と 、 彼女 は 特別に 毛色 の 変わった 自分 の 境界 に 、 そっと うかがい 寄ろう と する 探偵 を この 青年 に 見いだす ように 思って 、 その 五 分 刈り に した 地蔵 頭 まで が 顧みる に も 足りない 木 の くず か なん ぞ の ように 見えた 。 |めいそう|てきな|むじゃきな|たいど||ようこ||ないぶ|てき|けいけん||くもん||すこしも|えん||つづいて|い ないで|ふた|じん||あいだ|||きむ|ゆきわ|りかい||なりたち|とく|||おもう||かのじょ||とくべつに|けいろ||かわった|じぶん||きょうかい||||よろう|||たんてい|||せいねん||みいだす||おもって||いつ|ぶん|かり|||じぞう|あたま|||かえりみる|||たりない|き||||||||みえた ・・

やせた 木部 の 小さな 輝いた 目 は 、 依然と して 葉子 を 見つめて いた 。 |きべ||ちいさな|かがやいた|め||いぜん と||ようこ||みつめて| ・・

なぜ 木部 はか ほど まで 自分 を 侮辱 する のだろう 。 |きべ||||じぶん||ぶじょく|| 彼 は 今 でも 自分 を 女 と あなどって いる 。 かれ||いま||じぶん||おんな||| ちっぽけな 才 力 を 今 でも 頼んで いる 。 |さい|ちから||いま||たのんで| 女 より も 浅ましい 熱情 を 鼻 に かけて 、 今 でも 自分 の 運命 に 差し出がましく 立ち入ろう と して いる 。 おんな|||あさましい|ねつじょう||はな|||いま||じぶん||うんめい||さしでがましく|たちいろう||| あの 自信 の ない 臆病な 男 に 自分 は さっき 媚 び を 見せよう と した のだ 。 |じしん|||おくびょうな|おとこ||じぶん|||び|||みせよう||| そして 彼 は 自分 が これほど まで 誇り を 捨てて 与えよう と した 特別の 好意 を 眦 を 反して 退けた のだ 。 |かれ||じぶん||||ほこり||すてて|あたえよう|||とくべつの|こうい||まなじり||はんして|しりぞけた| ・・

やせた 木部 の 小さな 目 は 依然と して 葉子 を 見つめて いた 。 |きべ||ちいさな|め||いぜん と||ようこ||みつめて| ・・

この 時 突然 けたたましい 笑い声 が 、 何 か 熱心に 話し合って いた 二 人 の 中年 の 紳士 の 口 から 起こった 。 |じ|とつぜん||わらいごえ||なん||ねっしんに|はなしあって||ふた|じん||ちゅうねん||しんし||くち||おこった その 笑い声 と 葉子 と なんの 関係 も ない 事 は 葉子 に も わかりきって いた 。 |わらいごえ||ようこ|||かんけい|||こと||ようこ|||| しかし 彼女 は それ を 聞く と 、 もう 欲 に も 我慢 が しき れ なく なった 。 |かのじょ||||きく|||よく|||がまん||||| そして 右 の 手 を 深々と 帯 の 間 に さし込んだ まま 立ち上がり ざま 、・・ |みぎ||て||しんしんと|おび||あいだ||さしこんだ||たちあがり|

「 汽車 に 酔った んでしょう か しら ん 、 頭痛 が する の 」・・ きしゃ||よった|||||ずつう|||

と 捨てる ように 古藤 に いい残して 、 いきなり 繰り 戸 を あけて デッキ に 出た 。 |すてる||ことう||いいのこして||くり|と|||でっき||でた ・・

だいぶ 高く なった 日 の 光 が ぱっと 大森 田 圃 に 照り 渡って 、 海 が 笑い ながら 光る の が 、 並み 木 の 向こう に 広 すぎる くらい 一 どき に 目 に は いる ので 、 軽い 瞑 眩 を さえ 覚える ほど だった 。 |たかく||ひ||ひかり|||おおもり|た|ほ||てり|わたって|うみ||わらい||ひかる|||なみ|き||むこう||ひろ|||ひと|||め|||||かるい|つぶ|くら|||おぼえる|| 鉄 の 手 欄 に すがって 振り向く と 、 古藤 が 続いて 出て 来た の を 知った 。 くろがね||て|らん|||ふりむく||ことう||つづいて|でて|きた|||しった その 顔 に は 心配 そうな 驚き の 色 が 明 ら さま に 現われて いた 。 |かお|||しんぱい|そう な|おどろき||いろ||あき||||あらわれて| ・・

「 ひどく 痛む んです か 」・・ |いたむ||

「 ええ かなり ひどく 」・・

と 答えた が めんどうだ と 思って 、・・ |こたえた||||おもって

「 いい から は いって いて ください 。 おおげさに 見える と いやです から …… 大丈夫 あぶ なか ありません と も ……」・・ |みえる||||だいじょうぶ|||あり ませ ん||

と いい 足した 。 ||たした 古藤 は しいて とめよう と は し なかった 。 ことう||||||| そして 、・・

「 それ じゃ は いって いる が ほんとうに あぶ のう ご ざん すよ …… 用 が あったら 呼んで ください よ 」・・ ||||||||||||よう|||よんで||

と だけ いって 素直に は いって 行った 。 |||すなおに|||おこなった ・・

「 Simpleton !」・・ simpleton

葉子 は 心 の 中 で こう つぶやく と 、 焼き捨てた ように 古藤 の 事 な ん ぞ は 忘れて しまって 、 手 欄 に 臂 を ついた まま 放心 して 、 晩 夏 の 景色 を つつむ 引き締まった 空気 に 顔 を なぶら した 。 ようこ||こころ||なか|||||やきすてた||ことう||こと|||||わすれて||て|らん||ひじ||||ほうしん||ばん|なつ||けしき|||ひきしまった|くうき||かお||| 木部 の 事 も 思わ ない 。 きべ||こと||おもわ| 緑 や 藍 や 黄色 の ほか 、 これ と いって 輪郭 の はっきり した 自然の 姿 も 目 に 映ら ない 。 みどり||あい||きいろ||||||りんかく||||しぜんの|すがた||め||うつら| ただ 涼しい 風 が そよそよ と 鬢 の 毛 を そよが して 通る の を 快い と 思って いた 。 |すずしい|かぜ||||びん||け||||とおる|||こころよい||おもって| 汽車 は 目まぐるしい ほど の 快速 力 で 走って いた 。 きしゃ||めまぐるしい|||かいそく|ちから||はしって| 葉子 の 心 は ただ 渾沌 と 暗く 固まった 物 の まわり を 飽きる 事 も なく 幾 度 も 幾 度 も 左 から 右 に 、 右 から 左 に 回って いた 。 ようこ||こころ|||こんとん||くらく|かたまった|ぶつ||||あきる|こと|||いく|たび||いく|たび||ひだり||みぎ||みぎ||ひだり||まわって| こうして 葉子 に とって は 長い 時間 が 過ぎ去った と 思わ れる ころ 、 突然 頭 の 中 を 引っかき まわす ような 激しい 音 を 立てて 、 汽車 は 六郷 川 の 鉄橋 を 渡り 始めた 。 |ようこ||||ながい|じかん||すぎさった||おもわ|||とつぜん|あたま||なか||ひっかき|||はげしい|おと||たてて|きしゃ||ろくごう|かわ||てっきょう||わたり|はじめた 葉子 は 思わず ぎょっと して 夢 から さめた ように 前 を 見る と 、 釣り橋 の 鉄材 が 蛛手 に なって 上 を 下 へ と 飛び はねる ので 、 葉子 は 思わず デッキ の パンネル に 身 を 退いて 、 両 袖 で 顔 を 抑えて 物 を 念じる ように した 。 ようこ||おもわず|||ゆめ||||ぜん||みる||つりばし||てつざい||しゅて|||うえ||した|||とび|||ようこ||おもわず|でっき||||み||しりぞいて|りょう|そで||かお||おさえて|ぶつ||ねんじる|| Yoko was startled involuntarily and looked ahead as if she had woken up from a dream, and the iron material of the fishing bridge threw itself up and down, causing Yoko to involuntarily retreat to the pannel on the deck and clap her sleeves. I held my face down and tried to meditate. ・・

そう やって 気 を 静めよう と 目 を つぶって いる うち に 、 まつ毛 を 通し 袖 を 通して 木部 の 顔 と ことに その 輝く 小さな 両眼 と が まざまざ と 想像 に 浮かび上がって 来た 。 ||き||しずめよう||め||||||まつげ||とおし|そで||とおして|きべ||かお||||かがやく|ちいさな|りょうがん|||||そうぞう||うかびあがって|きた 葉子 の 神経 は 磁石 に 吸い寄せられた 砂鉄 の ように 、 堅く この 一 つ の 幻 像 の 上 に 集 注 して 、 車 内 に あった 時 と 同様な 緊張 した 恐ろしい 状態 に 返った 。 ようこ||しんけい||じしゃく||すいよせ られた|さてつ|||かたく||ひと|||まぼろし|ぞう||うえ||しゅう|そそ||くるま|うち|||じ||どうような|きんちょう||おそろしい|じょうたい||かえった Yoko's nerves, like iron sand drawn by a magnet, were concentrated tightly on this one vision, and she returned to the same tense and frightening state she had felt inside the car. 停車場 に 近づいた 汽車 は だんだん と 歩 度 を ゆるめて いた 。 ていしゃば||ちかづいた|きしゃ||||ふ|たび||| 田 圃 の ここ かしこ に 、 俗悪な 色 で 塗り 立てた 大きな 広告 看板 が 連ねて 建てて あった 。 た|ほ|||||ぞくあくな|いろ||ぬり|たてた|おおきな|こうこく|かんばん||つらねて|たてて| 葉子 は 袖 を 顔 から 放して 、 気持ち の 悪い 幻 像 を 払いのける ように 、 一つ一つ その 看板 を 見 迎え 見送って いた 。 ようこ||そで||かお||はなして|きもち||わるい|まぼろし|ぞう||はらいのける||ひとつひとつ||かんばん||み|むかえ|みおくって| 所々 に 火 が 燃える ように その 看板 は 目 に 映って 木部 の 姿 は また おぼろに なって 行った 。 ところどころ||ひ||もえる|||かんばん||め||うつって|きべ||すがた|||||おこなった その 看板 の 一 つ に 、 長い 黒 髪 を 下げた 姫 が 経 巻 を 持って いる の が あった 。 |かんばん||ひと|||ながい|くろ|かみ||さげた|ひめ||へ|かん||もって|||| その 胸 に 書か れた 「 中将 湯 」 と いう 文字 を 、 何げなし に 一 字 ずつ 読み 下す と 、 彼女 は 突然 私生児 の 定子 の 事 を 思い出した 。 |むね||かか||ちゅうじょう|ゆ|||もじ||なにげなし||ひと|あざ||よみ|くだす||かのじょ||とつぜん|しせいじ||さだこ||こと||おもいだした そして その 父 なる 木部 の 姿 は 、 かかる 乱雑な 連想 の 中心 と なって 、 また まざまざ と 焼きつく ように 現われ 出た 。 ||ちち||きべ||すがた|||らんざつな|れんそう||ちゅうしん||||||やきつく||あらわれ|でた ・・

その 現われ 出た 木部 の 顔 を 、 いわば 心 の 中 の 目 で 見つめて いる うち に 、 だんだん と その 鼻 の 下 から 髭 が 消えうせて 行って 、 輝く ひとみ の 色 は 優しい 肉 感 的な 温かみ を 持ち出して 来た 。 |あらわれ|でた|きべ||かお|||こころ||なか||め||みつめて|||||||はな||した||ひげ||きえうせて|おこなって|かがやく|||いろ||やさしい|にく|かん|てきな|あたたかみ||もちだして|きた 汽車 は 徐々に 進行 を ゆるめて いた 。 きしゃ||じょじょに|しんこう||| やや 荒れ 始めた 三十 男 の 皮膚 の 光沢 は 、 神経 的な 青年 の 蒼白 い 膚 の 色 と なって 、 黒く 光った 軟らかい 頭 の 毛 が きわ立って 白い 額 を なでて いる 。 |あれ|はじめた|さんじゅう|おとこ||ひふ||こうたく||しんけい|てきな|せいねん||そうはく||はだ||いろ|||くろく|ひかった|やわらかい|あたま||け||きわだって|しろい|がく||| それ さえ が はっきり 見え 始めた 。 ||||みえ|はじめた 列車 は すでに 川崎 停車場 の プラットフォーム に は いって 来た 。 れっしゃ|||かわさき|ていしゃば||||||きた 葉子 の 頭 の 中 で は 、 汽車 が 止まり きる 前 に 仕事 を し 遂 さ ねば なら ぬ と いう ふうに 、 今 見た ばかりの 木部 の 姿 が どんどん 若 や い で 行った 。 ようこ||あたま||なか|||きしゃ||とまり||ぜん||しごと|||すい||||||||いま|みた||きべ||すがた|||わか||||おこなった そして 列車 が 動か なく なった 時 、 葉子 は その 人 の かたわら に でも いる ように 恍惚 と した 顔つき で 、 思わず 知ら ず 左手 を 上げて ―― 小指 を やさしく 折り曲げて ―― 軟らかい 鬢 の 後れ 毛 を かき上げて いた 。 |れっしゃ||うごか|||じ|ようこ|||じん|||||||こうこつ|||かおつき||おもわず|しら||ひだりて||あげて|こゆび|||おりまげて|やわらかい|びん||おくれ|け||かきあげて| これ は 葉子 が 人 の 注意 を ひこう と する 時 に は いつでも する 姿 態 である 。 ||ようこ||じん||ちゅうい|||||じ|||||すがた|なり| ・・

この 時 、 繰り 戸 が けたたましく あいた と 思う と 、 中 から 二三 人 の 乗客 が どやどや と 現われ 出て 来た 。 |じ|くり|と|||||おもう||なか||ふみ|じん||じょうきゃく||||あらわれ|でて|きた ・・

しかも その 最後 から 、 涼しい 色合い の インバネス を 羽織った 木部 が 続く の を 感づいて 、 葉子 の 心臓 は 思わず はっと 処女 の 血 を 盛った ように ときめいた 。 ||さいご||すずしい|いろあい||||はおった|きべ||つづく|||かんづいて|ようこ||しんぞう||おもわず||しょじょ||ち||もった|| 木部 が 葉子 の 前 まで 来て すれすれに その そば を 通り抜けよう と した 時 、 二 人 の 目 は もう 一 度 しみじみ と 出あった 。 きべ||ようこ||ぜん||きて|||||とおりぬけよう|||じ|ふた|じん||め|||ひと|たび|||であった 木部 の 目 は 好意 を 込めた 微笑 に ひたされて 、 葉子 の 出よう に よって は 、 すぐに も 物 を いい出し そうに 口 び る さえ 震えて いた 。 きべ||め||こうい||こめた|びしょう||ひたさ れて|ようこ||でよう||||||ぶつ||いいだし|そう に|くち||||ふるえて| 葉子 も 今 まで 続けて いた 回想 の 惰力 に 引か されて 、 思わず ほほえみ かけた のであった が 、 その 瞬間 燕 返し に 、 見 も 知り も せ ぬ 路傍 の 人 に 与える ような 、 冷 刻 な 驕慢 な 光 を その ひとみ から 射 出した ので 、 木部 の 微笑 は 哀れに も 枝 を 離れた 枯れ葉 の ように 、 二 人 の 間 を むなしく ひらめいて 消えて しまった 。 ようこ||いま||つづけて||かいそう||だりょく||ひか|さ れて|おもわず||||||しゅんかん|つばめ|かえし||み||しり||||ろぼう||じん||あたえる||ひや|きざ||きょうまん||ひかり|||||い|だした||きべ||びしょう||あわれに||えだ||はなれた|かれは|||ふた|じん||あいだ||||きえて| 葉子 は 木部 の あわて かた を 見る と 、 車 内 で 彼 から 受けた 侮辱 に かなり 小気味よく 酬 い 得た と いう 誇り を 感じて 、 胸 の 中 が やや すがすがしく なった 。 ようこ||きべ|||||みる||くるま|うち||かれ||うけた|ぶじょく|||こきみよく|しゅう||えた|||ほこり||かんじて|むね||なか|||| 木部 は やせた その 右 肩 を 癖 の ように 怒ら し ながら 、 急ぎ足 に 濶歩 して 改札口 の 所 に 近づいた が 、 切符 を 懐中 から 出す ため に 立ち止まった 時 、 深い 悲しみ の 色 を 眉 の 間 に みなぎら し ながら 、 振り返って じっと 葉子 の 横顔 に 目 を 注いだ 。 きべ||||みぎ|かた||くせ|||いから|||いそぎあし||かっぽ||かいさつぐち||しょ||ちかづいた||きっぷ||かいちゅう||だす|||たちどまった|じ|ふかい|かなしみ||いろ||まゆ||あいだ|||||ふりかえって||ようこ||よこがお||め||そそいだ 葉子 は それ を 知り ながら もとより 侮 蔑 の 一 瞥 を も 与え なかった 。 ようこ||||しり|||あなど|さげす||ひと|べつ|||あたえ| ・・

木部 が 改札口 を 出て 姿 が 隠れよう と した 時 、 今度 は 葉子 の 目 が じっと その 後ろ姿 を 逐 い かけた 。 きべ||かいさつぐち||でて|すがた||かくれよう|||じ|こんど||ようこ||め||||うしろすがた||ちく|| 木部 が 見え なく なった 後 も 、 葉子 の 視線 は そこ を 離れよう と は し なかった 。 きべ||みえ|||あと||ようこ||しせん||||はなれよう|||| そして その 目 に は さびしく 涙 が たまって いた 。 ||め||||なみだ||| ・・

「 また 会う 事 が ある だろう か 」・・ |あう|こと||||

葉子 は そ ぞ ろ に 不思議な 悲哀 を 覚え ながら 心 の 中 で そう いって いた のだった 。 ようこ||||||ふしぎな|ひあい||おぼえ||こころ||なか|||||