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或る女 - 有島武郎(アクセス), 27.1 或る女

27.1 或る 女

「 何 を わたし は 考えて いた んだろう 。 どうかして 心 が 狂って しまった んだ 。 こんな 事 は ついぞ ない 事 だ のに 」・・

葉子 は その 夜 倉地 と 部屋 を 別に して 床 に ついた 。 倉地 は 階上 に 、 葉子 は 階下 に 。 絵 島 丸 以来 二 人 が 離れて 寝た の は その 夜 が 始めて だった 。 倉地 が 真心 を こめた 様子 で かれこれ いう の を 、 葉子 は すげなく はねつけて 、 せっかく とって あった 二 階 の 寝床 を 、 女 中 に 下 に 運ば して しまった 。 横 に なり は した が いつまでも 寝つか れ ないで 二 時 近く まで 言葉 どおり に 輾転 反 側 し つつ 、 繰り返し 繰り返し 倉地 の 夫婦 関係 を 種々に 妄想 したり 、 自分 に まく し かかって 来る 将来 の 運命 を ひたすら に 黒く 塗って みたり して いた 。 それ でも 果ては 頭 も から だ も 疲れ果てて 夢 ばかり な 眠り に 陥って しまった 。 ・・

うつらうつら と した 眠り から 、 突然 たとえ よう の ない さびし さ に ひしひし と 襲われて 、―― それ は その 時 見た 夢 が そんな 暗示 に なった の か 、 それとも 感覚 的な 不満 が 目 を さました の か わから なかった ―― 葉子 は 暗闇 の 中 に 目 を 開いた 。 あらし の ため に 電線 に 故障 が できた と 見えて 、 眠る 時 に は つけ 放し に して おいた 灯 が どこ も ここ も 消えて いる らしかった 。 あらし は しかし いつのまにか 凪ぎ て しまって 、 あらし の あと の 晩秋 の 夜 は ことさら 静かだった 。 山内 いちめん の 杉森 から は 深山 の ような 鬼気 が しんしんと 吐き出さ れる ように 思えた 。 こおろぎ が 隣 の 部屋 の すみ で か すれ が すれ に 声 を 立てて いた 。 わずか なし かも 浅い 睡眠 に は 過ぎ なかった けれども 葉子 の 頭 は 暁 前 の 冷え を 感じて 冴え 冴え と 澄んで いた 。 葉子 は まず 自分 が たった 一 人 で 寝て いた 事 を 思った 。 倉地 と 関係 が なかった ころ は いつでも 一 人 で 寝て いた のだ が 、 よくも そんな 事 が 長年 に わたって できた もの だった と 自分 ながら 不思議に 思わ れる くらい 、 それ は 今 の 葉子 を 物 足ら なく 心 さびしく さ せて いた 。 こうして 静かな 心 に なって 考える と 倉地 の 葉子 に 対する 愛情 が 誠実である の を 疑う べき 余地 は さらに なかった 。 日本 に 帰って から 幾 日 に も なら ない けれども 、 今 まで は とにかく 倉地 の 熱意 に 少しも 変わり が 起こった 所 は 見え なかった 。 いかに 恋 に 目 が ふさがって も 、 葉子 は それ を 見きわめる くらい の 冷静な 眼力 は 持って いた 。 そんな 事 は 充分に 知り 抜いて いる くせ に 、 おぞましく も 昨夜 の ような ばかな ま ね を して しまった 自分 が 自分 ながら 不思議な くらい だった 。 どんなに 情 に 激し た 時 でもたいてい は 自分 を 見失う ような 事 は し ない で 通して 来た 葉子 に は それ が ひどく 恥ずかしかった 。 船 の 中 に いる 時 に ヒステリー に なった ので は ない か と 疑った 事 が 二三 度 ある ―― それ が ほんとうだった ので は ない か しら ん と も 思わ れた 。 そして 夜 着 に かけた 洗い 立て の キャリコ の 裏 の 冷え冷え する の を ふくよかな 頤 に 感じ ながら 心 の 中 で 独 語 ち た 。 ・・

「 何 を わたし は 考えて いた んだろう 。 どうかして 心 が 狂って しまった んだ 。 こんな 事 は ついぞ ない 事 だ のに 」・・

そう いい ながら 葉子 は 肩 だけ 起き 直って 、 枕 もと の 水 を 手さぐり で したたか 飲みほした 。 氷 の ように 冷えきった 水 が 喉 もと を 静かに 流れ 下って 胃 の 腑 に 広がる まで はっきり と 感じられた 。 酒 も 飲ま ない のだ けれども 、 酔 後 の 水 と 同様に 、 胃 の 腑 に 味覚 が できて 舌 の 知ら ない 味 を 味わい 得た と 思う ほど 快く 感じた 。 それほど 胸 の 中 は 熱 を 持って いた に 違いない 。 けれども 足 の ほう は 反対に 恐ろしく 冷え を 感じた 。 少し その 位置 を 動かす と 白 さ を そのまま な 寒い 感じ が シーツ から 逼って 来る のだった 。 葉子 は また きびしく 倉地 の 胸 を 思った 。 それ は 寒 さ と 愛着 と から 葉子 を 追い立てて 二 階 に 走ら せよう と する ほど だった 。 しかし 葉子 は すでに それ を じっと こらえる だけ の 冷静 さ を 回復 して いた 。 倉地 の 妻 に 対する 処置 は 昨夜 の ようであって は 手ぎわ よく は 成し遂げられ ぬ 。 もっと 冷たい 知恵 に 力 を 借り なければ なら ぬ ―― こう 思い 定め ながら 暁 の 白む の を 知ら ず に また 眠り に 誘われて 行った 。 ・・

翌日 葉子 は それ でも 倉地 より 先 に 目 を さまして 手早く 着がえ を した 。 自分 で 板戸 を 繰り あけて 見る と 、 縁先 に は 、 枯れた 花壇 の 草 や 灌木 が 風 の ため に 吹き 乱さ れた 小 庭 が あって 、 その先 は 、 杉 、 松 、 その他 の 喬木 の 茂み を 隔てて 苔 香 園 の 手広い 庭 が 見 やられて いた 。 きのう まで いた 双 鶴 館 の 周囲 と は 全く 違った 、 同じ 東京 の 内 と は 思わ れ ない ような 静かな 鄙びた 自然の 姿 が 葉子 の 目の前 に は 見渡さ れた 。 まだ 晴れ きら ない 狭 霧 を こめた 空気 を 通して 、 杉 の 葉 越し に さしこむ 朝 の 日 の 光 が 、 雨 に しっとり と 潤った 庭 の 黒土 の 上 に 、 まっすぐな 杉 の 幹 を 棒 縞 の ような 影 に して 落として いた 。 色 さまざまな 桜 の 落ち葉 が 、 日向 で は 黄 に 紅 に 、 日影 で は 樺 に 紫 に 庭 を いろどって いた 。 いろどって いる と いえば 菊 の 花 も あちこち に しつけられて いた 。 しかし 一帯 の 趣味 は 葉子 の 喜ぶ ような もの で は なかった 。 塵 一 つ さえ ない ほど 、 貧しく 見える 瀟洒 な 趣味 か 、 どこ に でも 金銀 が そのまま 捨てて ある ような 驕奢 な 趣味 で なければ 満足 が でき なかった 。 残った の を 捨てる の が 惜しい と か もったいない と か いう ような 心持ち で 、 余計な 石 や 植木 など を 入れ 込んだ らしい 庭 の 造り かた を 見たり する と 、 すぐさま むしり 取って 目 に かから ない 所 に 投げ捨て たく 思う のだった 。 その 小 庭 を 見る と 葉子 の 心 の 中 に は それ を 自分 の 思う ように 造り 変える 計画 が うずうず する ほど わき上がって 来た 。 ・・

それ から 葉子 は 家 の 中 を すみ から すみ まで 見て 回った 。 きのう 玄関 口 に 葉子 を 出迎えた 女 中 が 、 戸 を 繰る 音 を 聞きつけて 、 いち早く 葉子 の 所 に 飛んで 来た の を 案内 に 立てた 。 十八九 の 小ぎれいな 娘 で 、 きびきび した 気象 らしい のに 、 いかにも 蓮っ葉 で ない 、 主人 を 持てば 主人 思い に 違いない の を 葉子 は 一目 で 見ぬいて 、 これ は いい 人 だ と 思った 。 それ は やはり 双 鶴 館 の 女将 が 周旋 して よこした 、 宿 に 出入り の 豆腐 屋 の 娘 だった 。 つや ( 彼女 の 名 は つや と いった ) は 階子 段 下 の 玄関 に 続く 六 畳 の 茶の間 から 始めて 、 その 隣 の 床の間 付き の 十二 畳 、 それ から 十二 畳 と 廊下 を 隔てて 玄関 と ならぶ 茶 席 風 の 六 畳 を 案内 し 、 廊下 を 通った 突き当たり に ある 思いのほか 手広い 台所 、 風呂 場 を 経て 張り出し に なって いる 六 畳 と 四 畳 半 ( そこ が この 家 を 建てた 主人 の 居間 と なって いた らしく 、 すべて の 造作 に 特別な 数 寄 が 凝らして あった ) に 行って 、 その 雨戸 を 繰り 明けて 庭 を 見せた 。 そこ の 前栽 は 割合 に 荒れ ず に いて 、 なが め が 美しかった が 、 葉子 は 垣根 越し に 苔 香 園 の 母屋 の 下 の 便所 らしい きたない 建て 物 の 屋根 を 見つけて 困った もの が ある と 思った 。 そのほか に は 台所 の そば に つや の 四 畳 半 の 部屋 が 西 向き に ついて いた 。 女 中 部屋 を 除いた 五 つ の 部屋 は いずれ も なげ し 付き に なって 、 三 つ まで は 床の間 さえ ある のに 、 どうして 集めた もの か とにかく 掛け物 なり 置き 物 なり が ちゃんと 飾られて いた 。 家 の 造り や 庭 の 様子 など に は かなり の 注文 も 相当 の 眼 識 も 持って は いた が 、 絵画 や 書 の 事 に なる と 葉子 は おぞましく も 鑑識 の 力 が なかった 。 生まれつき 機敏に 働く 才気 の お陰 で 、 見たり 聞いたり した 所 から 、 美術 を 愛好 する 人々 と 膝 を ならべて も 、 とにかく あまり ぼろ らしい ぼろ は 出さ なかった が 、 若い 美術 家 など が ほめる 作品 を 見て も どこ が 優れて どこ に 美し さ が ある の か 葉子 に は 少しも 見当 の つか ない 事 が あった 。 絵 と いわ ず 字 と いわ ず 、 文学 的 の 作物 など に 対して も 葉子 の 頭 は あわれな ほど 通俗 的である の を 葉子 は 自分 で 知っていた 。 しかし 葉子 は 自分 の 負けじ魂 から 自分 の 見方 が 凡俗 だ と は 思い たく なかった 。 芸術 家 など いう 連中 に は 、 骨董 など を いじ くって 古味 と いう ような もの を あり がた がる 風流 人 と 共通 した ような 気取り が ある 。 その 似 而非 気取り を 葉子 は 幸いに も 持ち 合わして いない のだ と 決めて いた 。 葉子 は この 家 に 持ち込まれて いる 幅 物 を 見て 回って も 、 ほんとうの 値打ち が どれほど の もの だ か さらに 見当 が つか なかった 。 ただ あるべき 所 に そういう 物 の ある こと を 満足に 思った 。 ・・

つや の 部屋 の きちんと 手ぎわ よく 片づいて いる の や 、 二三 日 空 家 に なって いた の に も 係わら ず 、 台所 が きれいに ふき 掃除 が されて いて 、 布巾 など が 清々 しく からからに かわかして かけて あったり する の は 一 々 葉子 の 目 を 快く 刺激 した 。 思った より 住まい 勝手 の いい 家 と 、 はきはき した 清潔 ず きな 女 中 と を 得た 事 が まず 葉子 の 寝起き の 心持ち を すがすがしく さ せた 。


27.1 或る 女 ある|おんな 27.1 Una mujer

「 何 を わたし は 考えて いた んだろう 。 なん||||かんがえて|| どうかして 心 が 狂って しまった んだ 。 |こころ||くるって|| こんな 事 は ついぞ ない 事 だ のに 」・・ |こと||||こと||

葉子 は その 夜 倉地 と 部屋 を 別に して 床 に ついた 。 ようこ|||よ|くらち||へや||べつに||とこ|| 倉地 は 階上 に 、 葉子 は 階下 に 。 くらち||かいじょう||ようこ||かいか| 絵 島 丸 以来 二 人 が 離れて 寝た の は その 夜 が 始めて だった 。 え|しま|まる|いらい|ふた|じん||はなれて|ねた||||よ||はじめて| 倉地 が 真心 を こめた 様子 で かれこれ いう の を 、 葉子 は すげなく はねつけて 、 せっかく とって あった 二 階 の 寝床 を 、 女 中 に 下 に 運ば して しまった 。 くらち||まごころ|||ようす||||||ようこ|||||||ふた|かい||ねどこ||おんな|なか||した||はこば|| 横 に なり は した が いつまでも 寝つか れ ないで 二 時 近く まで 言葉 どおり に 輾転 反 側 し つつ 、 繰り返し 繰り返し 倉地 の 夫婦 関係 を 種々に 妄想 したり 、 自分 に まく し かかって 来る 将来 の 運命 を ひたすら に 黒く 塗って みたり して いた 。 よこ|||||||ねつか|||ふた|じ|ちかく||ことば|||てんてん|はん|がわ|||くりかえし|くりかえし|くらち||ふうふ|かんけい||しゅじゅに|もうそう||じぶん|||||くる|しょうらい||うんめい||||くろく|ぬって||| それ でも 果ては 頭 も から だ も 疲れ果てて 夢 ばかり な 眠り に 陥って しまった 。 ||はては|あたま|||||つかれはてて|ゆめ|||ねむり||おちいって| ・・

うつらうつら と した 眠り から 、 突然 たとえ よう の ない さびし さ に ひしひし と 襲われて 、―― それ は その 時 見た 夢 が そんな 暗示 に なった の か 、 それとも 感覚 的な 不満 が 目 を さました の か わから なかった ―― 葉子 は 暗闇 の 中 に 目 を 開いた 。 |||ねむり||とつぜん||||||||||おそわ れて||||じ|みた|ゆめ|||あんじ||||||かんかく|てきな|ふまん||め|||||||ようこ||くらやみ||なか||め||あいた あらし の ため に 電線 に 故障 が できた と 見えて 、 眠る 時 に は つけ 放し に して おいた 灯 が どこ も ここ も 消えて いる らしかった 。 ||||でんせん||こしょう||||みえて|ねむる|じ||||はなし||||とう||||||きえて|| あらし は しかし いつのまにか 凪ぎ て しまって 、 あらし の あと の 晩秋 の 夜 は ことさら 静かだった 。 ||||なぎ|||||||ばんしゅう||よ|||しずかだった 山内 いちめん の 杉森 から は 深山 の ような 鬼気 が しんしんと 吐き出さ れる ように 思えた 。 さんない|||すぎもり|||しんざん|||きき|||はきださ|||おもえた こおろぎ が 隣 の 部屋 の すみ で か すれ が すれ に 声 を 立てて いた 。 ||となり||へや|||||||||こえ||たてて| わずか なし かも 浅い 睡眠 に は 過ぎ なかった けれども 葉子 の 頭 は 暁 前 の 冷え を 感じて 冴え 冴え と 澄んで いた 。 |||あさい|すいみん|||すぎ|||ようこ||あたま||あかつき|ぜん||ひえ||かんじて|さえ|さえ||すんで| 葉子 は まず 自分 が たった 一 人 で 寝て いた 事 を 思った 。 ようこ|||じぶん|||ひと|じん||ねて||こと||おもった 倉地 と 関係 が なかった ころ は いつでも 一 人 で 寝て いた のだ が 、 よくも そんな 事 が 長年 に わたって できた もの だった と 自分 ながら 不思議に 思わ れる くらい 、 それ は 今 の 葉子 を 物 足ら なく 心 さびしく さ せて いた 。 くらち||かんけい||||||ひと|じん||ねて||||||こと||ながねん|||||||じぶん||ふしぎに|おもわ|||||いま||ようこ||ぶつ|たら||こころ|||| When I wasn't in a relationship with Kurachi, I always slept by myself, but it made me wonder how I could have done that for so many years. It made me feel lonely. こうして 静かな 心 に なって 考える と 倉地 の 葉子 に 対する 愛情 が 誠実である の を 疑う べき 余地 は さらに なかった 。 |しずかな|こころ|||かんがえる||くらち||ようこ||たいする|あいじょう||せいじつである|||うたがう||よち||| 日本 に 帰って から 幾 日 に も なら ない けれども 、 今 まで は とにかく 倉地 の 熱意 に 少しも 変わり が 起こった 所 は 見え なかった 。 にっぽん||かえって||いく|ひ||||||いま||||くらち||ねつい||すこしも|かわり||おこった|しょ||みえ| いかに 恋 に 目 が ふさがって も 、 葉子 は それ を 見きわめる くらい の 冷静な 眼力 は 持って いた 。 |こい||め||||ようこ||||みきわめる|||れいせいな|がんりき||もって| そんな 事 は 充分に 知り 抜いて いる くせ に 、 おぞましく も 昨夜 の ような ばかな ま ね を して しまった 自分 が 自分 ながら 不思議な くらい だった 。 |こと||じゅうぶんに|しり|ぬいて||||||さくや|||||||||じぶん||じぶん||ふしぎな|| どんなに 情 に 激し た 時 でもたいてい は 自分 を 見失う ような 事 は し ない で 通して 来た 葉子 に は それ が ひどく 恥ずかしかった 。 |じょう||はげし||じ|でも たいてい||じぶん||みうしなう||こと|||||とおして|きた|ようこ||||||はずかしかった This was extremely embarrassing for Yoko, who had managed to get through most of the times without losing sight of herself, no matter how intense her feelings were. 船 の 中 に いる 時 に ヒステリー に なった ので は ない か と 疑った 事 が 二三 度 ある ―― それ が ほんとうだった ので は ない か しら ん と も 思わ れた 。 せん||なか|||じ||||||||||うたがった|こと||ふみ|たび|||||||||||||おもわ| そして 夜 着 に かけた 洗い 立て の キャリコ の 裏 の 冷え冷え する の を ふくよかな 頤 に 感じ ながら 心 の 中 で 独 語 ち た 。 |よ|ちゃく|||あらい|たて||||うら||ひえびえ|||||い||かんじ||こころ||なか||どく|ご|| ・・

「 何 を わたし は 考えて いた んだろう 。 なん||||かんがえて|| どうかして 心 が 狂って しまった んだ 。 |こころ||くるって|| こんな 事 は ついぞ ない 事 だ のに 」・・ |こと||||こと||

そう いい ながら 葉子 は 肩 だけ 起き 直って 、 枕 もと の 水 を 手さぐり で したたか 飲みほした 。 |||ようこ||かた||おき|なおって|まくら|||すい||てさぐり|||のみほした 氷 の ように 冷えきった 水 が 喉 もと を 静かに 流れ 下って 胃 の 腑 に 広がる まで はっきり と 感じられた 。 こおり|||ひえきった|すい||のど|||しずかに|ながれ|くだって|い||ふ||ひろがる||||かんじ られた 酒 も 飲ま ない のだ けれども 、 酔 後 の 水 と 同様に 、 胃 の 腑 に 味覚 が できて 舌 の 知ら ない 味 を 味わい 得た と 思う ほど 快く 感じた 。 さけ||のま||||よ|あと||すい||どうように|い||ふ||みかく|||した||しら||あじ||あじわい|えた||おもう||こころよく|かんじた それほど 胸 の 中 は 熱 を 持って いた に 違いない 。 |むね||なか||ねつ||もって|||ちがいない けれども 足 の ほう は 反対に 恐ろしく 冷え を 感じた 。 |あし||||はんたいに|おそろしく|ひえ||かんじた 少し その 位置 を 動かす と 白 さ を そのまま な 寒い 感じ が シーツ から 逼って 来る のだった 。 すこし||いち||うごかす||しろ|||||さむい|かんじ||しーつ||ひつ って|くる| 葉子 は また きびしく 倉地 の 胸 を 思った 。 ようこ||||くらち||むね||おもった それ は 寒 さ と 愛着 と から 葉子 を 追い立てて 二 階 に 走ら せよう と する ほど だった 。 ||さむ|||あいちゃく|||ようこ||おいたてて|ふた|かい||はしら||||| しかし 葉子 は すでに それ を じっと こらえる だけ の 冷静 さ を 回復 して いた 。 |ようこ|||||||||れいせい|||かいふく|| 倉地 の 妻 に 対する 処置 は 昨夜 の ようであって は 手ぎわ よく は 成し遂げられ ぬ 。 くらち||つま||たいする|しょち||さくや||||てぎわ|||なしとげ られ| もっと 冷たい 知恵 に 力 を 借り なければ なら ぬ ―― こう 思い 定め ながら 暁 の 白む の を 知ら ず に また 眠り に 誘われて 行った 。 |つめたい|ちえ||ちから||かり|||||おもい|さだめ||あかつき||しらむ|||しら||||ねむり||さそわ れて|おこなった ・・

翌日 葉子 は それ でも 倉地 より 先 に 目 を さまして 手早く 着がえ を した 。 よくじつ|ようこ||||くらち||さき||め|||てばやく|きがえ|| 自分 で 板戸 を 繰り あけて 見る と 、 縁先 に は 、 枯れた 花壇 の 草 や 灌木 が 風 の ため に 吹き 乱さ れた 小 庭 が あって 、 その先 は 、 杉 、 松 、 その他 の 喬木 の 茂み を 隔てて 苔 香 園 の 手広い 庭 が 見 やられて いた 。 じぶん||いたど||くり||みる||えんさき|||かれた|かだん||くさ||かんぼく||かぜ||||ふき|みださ||しょう|にわ|||そのさき||すぎ|まつ|そのほか||たかぎ||しげみ||へだてて|こけ|かおり|えん||てびろい|にわ||み|| I opened the wooden door myself and saw, on the edge, a small garden with withered flowerbed grasses and shrubs swayed by the wind; In the distance, the spacious Moss Garden was overlooked. きのう まで いた 双 鶴 館 の 周囲 と は 全く 違った 、 同じ 東京 の 内 と は 思わ れ ない ような 静かな 鄙びた 自然の 姿 が 葉子 の 目の前 に は 見渡さ れた 。 |||そう|つる|かん||しゅうい|||まったく|ちがった|おなじ|とうきょう||うち|||おもわ||||しずかな|ひなびた|しぜんの|すがた||ようこ||めのまえ|||みわたさ| The surroundings of Sokakukan, where she had been until the day before, were completely different, and she could not believe that she was in the same Tokyo. まだ 晴れ きら ない 狭 霧 を こめた 空気 を 通して 、 杉 の 葉 越し に さしこむ 朝 の 日 の 光 が 、 雨 に しっとり と 潤った 庭 の 黒土 の 上 に 、 まっすぐな 杉 の 幹 を 棒 縞 の ような 影 に して 落として いた 。 |はれ|||せま|きり|||くうき||とおして|すぎ||は|こし|||あさ||ひ||ひかり||あめ||||うるおった|にわ||くろつち||うえ|||すぎ||みき||ぼう|しま|||かげ|||おとして| The light of the morning sun shining through the leaves of the cedar trees through the air filled with a narrow fog that hasn't cleared yet, makes the straight trunks of the cedar trees look like striped stripes on the black soil of the garden moistened by the rain. It cast a dark shadow. 色 さまざまな 桜 の 落ち葉 が 、 日向 で は 黄 に 紅 に 、 日影 で は 樺 に 紫 に 庭 を いろどって いた 。 いろ||さくら||おちば||ひゅうが|||き||くれない||ひかげ|||かば||むらさき||にわ||| Fallen cherry leaves of various colors colored the garden, yellow and red in the sun, and birch and purple in the shade. いろどって いる と いえば 菊 の 花 も あちこち に しつけられて いた 。 ||||きく||か||||しつけ られて| Speaking of colors, chrysanthemums were also planted here and there. しかし 一帯 の 趣味 は 葉子 の 喜ぶ ような もの で は なかった 。 |いったい||しゅみ||ようこ||よろこぶ||||| However, the hobbies around the area did not please Yoko. 塵 一 つ さえ ない ほど 、 貧しく 見える 瀟洒 な 趣味 か 、 どこ に でも 金銀 が そのまま 捨てて ある ような 驕奢 な 趣味 で なければ 満足 が でき なかった 。 ちり|ひと|||||まずしく|みえる|しょうしゃ||しゅみ|||||きんぎん|||すてて|||きょうしゃ||しゅみ|||まんぞく||| I couldn't be satisfied with anything but an elegant hobby that made me look as poor as a speck of dust, or an extravagant hobby where gold and silver were just thrown away everywhere. 残った の を 捨てる の が 惜しい と か もったいない と か いう ような 心持ち で 、 余計な 石 や 植木 など を 入れ 込んだ らしい 庭 の 造り かた を 見たり する と 、 すぐさま むしり 取って 目 に かから ない 所 に 投げ捨て たく 思う のだった 。 のこった|||すてる|||おしい||||||||こころもち||よけいな|いし||うえき|||いれ|こんだ||にわ||つくり|||みたり|||||とって|め||||しょ||なげすて||おもう| その 小 庭 を 見る と 葉子 の 心 の 中 に は それ を 自分 の 思う ように 造り 変える 計画 が うずうず する ほど わき上がって 来た 。 |しょう|にわ||みる||ようこ||こころ||なか|||||じぶん||おもう||つくり|かえる|けいかく|||||わきあがって|きた ・・

それ から 葉子 は 家 の 中 を すみ から すみ まで 見て 回った 。 ||ようこ||いえ||なか||||||みて|まわった きのう 玄関 口 に 葉子 を 出迎えた 女 中 が 、 戸 を 繰る 音 を 聞きつけて 、 いち早く 葉子 の 所 に 飛んで 来た の を 案内 に 立てた 。 |げんかん|くち||ようこ||でむかえた|おんな|なか||と||くる|おと||ききつけて|いちはやく|ようこ||しょ||とんで|きた|||あんない||たてた 十八九 の 小ぎれいな 娘 で 、 きびきび した 気象 らしい のに 、 いかにも 蓮っ葉 で ない 、 主人 を 持てば 主人 思い に 違いない の を 葉子 は 一目 で 見ぬいて 、 これ は いい 人 だ と 思った 。 じゅうはちきゅう||こぎれいな|むすめ||||きしょう||||はす っ は|||あるじ||もてば|あるじ|おもい||ちがいない|||ようこ||いちもく||みぬいて||||じん|||おもった She was an eighteen-nine-year-old girl, and she seemed to have a lively climate, but she didn't look like a lotus leaf at all. . それ は やはり 双 鶴 館 の 女将 が 周旋 して よこした 、 宿 に 出入り の 豆腐 屋 の 娘 だった 。 |||そう|つる|かん||おかみ||しゅうせん|||やど||でいり||とうふ|や||むすめ| つや ( 彼女 の 名 は つや と いった ) は 階子 段 下 の 玄関 に 続く 六 畳 の 茶の間 から 始めて 、 その 隣 の 床の間 付き の 十二 畳 、 それ から 十二 畳 と 廊下 を 隔てて 玄関 と ならぶ 茶 席 風 の 六 畳 を 案内 し 、 廊下 を 通った 突き当たり に ある 思いのほか 手広い 台所 、 風呂 場 を 経て 張り出し に なって いる 六 畳 と 四 畳 半 ( そこ が この 家 を 建てた 主人 の 居間 と なって いた らしく 、 すべて の 造作 に 特別な 数 寄 が 凝らして あった ) に 行って 、 その 雨戸 を 繰り 明けて 庭 を 見せた 。 |かのじょ||な||||||はしご|だん|した||げんかん||つづく|むっ|たたみ||ちゃのま||はじめて||となり||とこのま|つき||じゅうに|たたみ|||じゅうに|たたみ||ろうか||へだてて|げんかん|||ちゃ|せき|かぜ||むっ|たたみ||あんない||ろうか||かよった|つきあたり|||おもいのほか|てびろい|だいどころ|ふろ|じょう||へて|はりだし||||むっ|たたみ||よっ|たたみ|はん||||いえ||たてた|あるじ||いま|||||||ぞうさく||とくべつな|すう|よ||こらして|||おこなって||あまど||くり|あけて|にわ||みせた そこ の 前栽 は 割合 に 荒れ ず に いて 、 なが め が 美しかった が 、 葉子 は 垣根 越し に 苔 香 園 の 母屋 の 下 の 便所 らしい きたない 建て 物 の 屋根 を 見つけて 困った もの が ある と 思った 。 ||せんざい||わりあい||あれ||||な が|||うつくしかった||ようこ||かきね|こし||こけ|かおり|えん||おもや||した||べんじょ|||たて|ぶつ||やね||みつけて|こまった|||||おもった そのほか に は 台所 の そば に つや の 四 畳 半 の 部屋 が 西 向き に ついて いた 。 |||だいどころ||||||よっ|たたみ|はん||へや||にし|むき||| 女 中 部屋 を 除いた 五 つ の 部屋 は いずれ も なげ し 付き に なって 、 三 つ まで は 床の間 さえ ある のに 、 どうして 集めた もの か とにかく 掛け物 なり 置き 物 なり が ちゃんと 飾られて いた 。 おんな|なか|へや||のぞいた|いつ|||へや||||||つき|||みっ||||とこのま|||||あつめた||||かけもの||おき|ぶつ||||かざら れて| 家 の 造り や 庭 の 様子 など に は かなり の 注文 も 相当 の 眼 識 も 持って は いた が 、 絵画 や 書 の 事 に なる と 葉子 は おぞましく も 鑑識 の 力 が なかった 。 いえ||つくり||にわ||ようす||||||ちゅうもん||そうとう||がん|しき||もって||||かいが||しょ||こと||||ようこ||||かんしき||ちから|| Although she had a considerable degree of discretion and discernment about the construction of houses and the appearance of gardens, Yoko had an appalling lack of discernment when it came to paintings and calligraphy. 生まれつき 機敏に 働く 才気 の お陰 で 、 見たり 聞いたり した 所 から 、 美術 を 愛好 する 人々 と 膝 を ならべて も 、 とにかく あまり ぼろ らしい ぼろ は 出さ なかった が 、 若い 美術 家 など が ほめる 作品 を 見て も どこ が 優れて どこ に 美し さ が ある の か 葉子 に は 少しも 見当 の つか ない 事 が あった 。 うまれつき|きびんに|はたらく|さいき||おかげ||みたり|きいたり||しょ||びじゅつ||あいこう||ひとびと||ひざ||||||||||ださ|||わかい|びじゅつ|いえ||||さくひん||みて||||すぐれて|||うつくし||||||ようこ|||すこしも|けんとう||||こと|| 絵 と いわ ず 字 と いわ ず 、 文学 的 の 作物 など に 対して も 葉子 の 頭 は あわれな ほど 通俗 的である の を 葉子 は 自分 で 知っていた 。 え||||あざ||||ぶんがく|てき||さくもつ|||たいして||ようこ||あたま||||つうぞく|てきである|||ようこ||じぶん||しっていた しかし 葉子 は 自分 の 負けじ魂 から 自分 の 見方 が 凡俗 だ と は 思い たく なかった 。 |ようこ||じぶん||まけじだましい||じぶん||みかた||ぼんぞく||||おもい|| However, Yoko didn't want to think that her point of view was mediocre because of her own defeatist spirit. 芸術 家 など いう 連中 に は 、 骨董 など を いじ くって 古味 と いう ような もの を あり がた がる 風流 人 と 共通 した ような 気取り が ある 。 げいじゅつ|いえ|||れんちゅう|||こっとう|||||こみ|||||||||ふうりゅう|じん||きょうつう|||きどり|| Those who call themselves artists have a common demeanor with the sophisticated people who appreciate the old taste of tinkering with antiques. その 似 而非 気取り を 葉子 は 幸いに も 持ち 合わして いない のだ と 決めて いた 。 |に|じひ|きどり||ようこ||さいわいに||もち|あわして||||きめて| Fortunately, Yoko had decided that she didn't have that kind of snobbery. 葉子 は この 家 に 持ち込まれて いる 幅 物 を 見て 回って も 、 ほんとうの 値打ち が どれほど の もの だ か さらに 見当 が つか なかった 。 ようこ|||いえ||もちこま れて||はば|ぶつ||みて|まわって|||ねうち||||||||けんとう||| ただ あるべき 所 に そういう 物 の ある こと を 満足に 思った 。 ||しょ|||ぶつ|||||まんぞくに|おもった ・・

つや の 部屋 の きちんと 手ぎわ よく 片づいて いる の や 、 二三 日 空 家 に なって いた の に も 係わら ず 、 台所 が きれいに ふき 掃除 が されて いて 、 布巾 など が 清々 しく からからに かわかして かけて あったり する の は 一 々 葉子 の 目 を 快く 刺激 した 。 ||へや|||てぎわ||かたづいて||||ふみ|ひ|から|いえ|||||||かかわら||だいどころ||||そうじ||さ れて||ふきん|||せいせい|||||||||ひと||ようこ||め||こころよく|しげき| 思った より 住まい 勝手 の いい 家 と 、 はきはき した 清潔 ず きな 女 中 と を 得た 事 が まず 葉子 の 寝起き の 心持ち を すがすがしく さ せた 。 おもった||すまい|かって|||いえ||||せいけつ|||おんな|なか|||えた|こと|||ようこ||ねおき||こころもち|||| The fact that she found a house that was more comfortable than she had expected, and a neat and clean maid, made Yoko feel refreshed after waking up.