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或る女 - 有島武郎(アクセス), 26.1 或る女

26.1 或る 女

「 水戸 と か で お 座敷 に 出て いた 人 だ そうです が 、 倉地 さん に 落 籍 されて から もう 七八 年 に も なりましょう か 、 それ は 穏当な いい 奥さん で 、 とても 商売 を して いた 人 の よう では ありません 。 もっとも 水戸 の 士族 の お 娘 御 で 出る が 早い か 倉地 さん の 所 に いらっしゃる ように なった んだ そう です から その はず で も あります が 、 ちっとも すれて いらっしゃら ないで いて 、 気 も お つき に は なる し 、 しとやかで も あり 、……」・・

ある 晩 双 鶴 館 の 女将 が 話 に 来て 四方 山 の うわさ の ついで に 倉地 の 妻 の 様子 を 語った その 言葉 は 、 はっきり と 葉子 の 心 に 焼きついて いた 。 葉子 は それ が 優れた 人 である と 聞か さ れれば 聞か さ れる ほど 妬ま し さ を 増す のだった 。 自分 の 目の前 に は 大きな 障害 物 が まっ暗に 立ちふさがって いる の を 感じた 。 嫌悪 の 情 に かきむしられて 前後 の 事 も 考え ず に 別れて しまった ので は あった けれども 、 仮にも 恋 らしい もの を 感じた 木部 に 対して 葉子 が いだく 不思議な 情緒 、―― ふだん は 何事 も なかった ように 忘れ 果てて は いる もの の 、 思い も 寄ら ない きっかけ に ふと 胸 を 引き締めて 巻き起こって 来る 不思議な 情緒 、―― 一種 の 絶望 的な ノスタルジア ―― それ を 葉子 は 倉地 に も 倉地 の 妻 に も 寄せて 考えて みる 事 の できる 不幸 を 持って いた 。 また 自分 の 生んだ 子供 に 対する 執着 。 それ を 男 も 女 も 同じ 程度 に きびしく 感ずる もの か どう か は 知ら ない 。 しかしながら 葉子 自身 の 実感 から いう と 、 なんといっても たとえ よう も なく その 愛着 は 深かった 。 葉子 は 定子 を 見る と 知ら ぬ 間 に 木部 に 対して 恋 に 等しい ような 強い 感情 を 動かして いる のに 気 が つく 事 が しばしば だった 。 木部 と の 愛着 の 結果 定子 が 生まれる ように なった ので は なく 、 定子 と いう もの が この世 に 生まれ 出る ため に 、 木部 と 葉子 と は 愛着 の きずな に つなが れた のだ と さえ 考えられ も した 。 葉子 は また 自分 の 父 が どれほど 葉子 を 溺愛 して くれた か を も 思って みた 。 葉子 の 経験 から いう と 、 両親 共 い なく なって しまった 今 、 慕わ し さ なつかし さ を 余計 感じ させる もの は 、 格別 これ と いって 情愛 の 徴 を 見せ は し なかった が 、 始終 軟らかい 目 色 で 自分 たち を 見守って くれて いた 父 の ほう だった 。 それ から 思う と 男 と いう もの も 自分 の 生ま せた 子供 に 対して は 女 に 譲ら ぬ 執着 を 持ち うる もの に 相違 ない 。 こんな 過去 の 甘い 回想 まで が 今 は 葉子 の 心 を むちうつ 笞 と なった 。 しかも 倉地 の 妻 と 子 と は この 東京 に ちゃんと 住んで いる 。 倉地 は 毎日 の ように その 人 たち に あって いる の に 相違 ない のだ 。 ・・

思う 男 を どこ から どこ まで 自分 の もの に して 、 自分 の もの に した と いう 証拠 を 握る まで は 、 心 が 責めて 責めて 責め ぬか れる ような 恋愛 の 残虐な 力 に 葉子 は 昼 と なく 夜 と なく 打ちのめさ れた 。 船 の 中 で の 何事 も 打ち 任せ きった ような 心やすい 気分 は 他人事 の ように 、 遠い 昔 の 事 の ように 悲しく 思いやら れる ばかりだった 。 どうして これほど まで に 自分 と いう もの の 落ちつき 所 を 見失って しまった のだろう 。 そう 思う 下 から 、 こうして は 一刻 も いられ ない 。 早く 早く する 事 だけ を して しまわ なければ 、 取り返し が つか なく なる 。 どこ から どう 手 を つければ いい のだ 。 敵 を 斃 さ なければ 、 敵 は 自分 を 斃 す のだ 。 なんの 躊躇 。 なんの 思案 。 倉地 が 去った 人 たち に 未練 を 残す ようならば 自分 の 恋 は 石 や 瓦 と 同様だ 。 自分 の 心 で 何もかも 過去 は いっさい 焼き 尽くして 見せる 。 木部 も ない 、 定子 も ない 。 まして 木村 も ない 。 みんな 捨てる 、 みんな 忘れる 。 その代わり 倉地 に も 過去 と いう 過去 を すっかり 忘れ させ ず に おく もの か 。 それほど の 蠱惑 の 力 と 情熱 の 炎 と が 自分 に あるか ない か 見て いる が いい 。 そうした いちず の 熱意 が 身 を こがす ように 燃え 立った 。 葉子 は 新聞 記者 の 来襲 を 恐れて 宿 に とじこもった まま 、 火鉢 の 前 に すわって 、 倉地 の 不在 の 時 は こんな 妄想 に 身 も 心 も かきむしられて いた 。 だんだん 募って 来る ような 腰 の 痛み 、 肩 の 凝り 。 そんな もの さえ 葉子 の 心 を ますます いらだた せた 。 ・・

ことに 倉地 の 帰り の おそい 晩 など は 、 葉子 は 座 に も 居 たたま れ なかった 。 倉地 の 居間 に なって いる 十 畳 の 間 に 行って 、 そこ に 倉地 の 面影 を 少し でも 忍ぼう と した 。 船 の 中 で の 倉地 と の 楽しい 思い出 は 少しも 浮かんで 来 ず に 、 どんな 構え と も 想像 は でき ない が 、 とにかく 倉地 の 住居 の ある 部屋 に 、 三 人 の 娘 たち に 取り巻かれて 、 美しい 妻 に か しずかれて 杯 を 干して いる 倉地 ばかり が 想像 に 浮かんだ 。 そこ に 脱ぎ捨てて ある 倉地 の ふだん着 は ますます 葉子 の 想像 を ほしいままに さ せた 。 いつでも 葉子 の 情熱 を 引っつか ん で ゆすぶり 立てる ような 倉地 特有 の 膚 の 香 い 、 芳 醇 な 酒 や 、 煙草 から におい 出る ような その 香 い を 葉子 は 衣類 を かき寄せて 、 それ に 顔 を 埋め ながら 、 痲痺 して 行く ような 気持ち で かぎ に かいだ 。 その 香 いのいちばん 奥 に 、 中年 の 男 に 特有な ふけ の ような 不快な 香 い 、 他人 の のであった なら 葉子 は ひと たまり も なく 鼻 を おおう ような 不快な 香 い を かぎつける と 、 葉子 は 肉体 的に も 一種 の 陶酔 を 感じて 来る のだった 。 その 倉地 が 妻 や 娘 たち に 取り巻かれて 楽しく 一夕 を 過ごして いる 。 そう 思う と あり 合わせる もの を 取って 打ち こわす か 、 つかんで 引き裂きたい ような 衝動 が わけ も なく 嵩 じ て 来る のだった 。 ・・

それ でも 倉地 が 帰って 来る と 、 それ は 夜 おそく なって から であって も 葉子 は ただ 子供 の ように 幸福だった 。 それ まで の 不安 や 焦 躁 は どこ に か 行って しまって 、 悪夢 から 幸福な 世界 に 目ざめた ように 幸福だった 。 葉子 は すぐ 走って 行って 倉地 の 胸 に たわいなく 抱か れた 。 倉地 も 葉子 を 自分 の 胸 に 引き締めた 。 葉子 は 広い 厚い 胸 に 抱か れ ながら 、 単調な 宿屋 の 生活 の 一 日 中 に 起こった 些細 な 事 まで を 、 その 表情 の ゆたかな 、 鈴 の ような 涼しい 声 で 、 自分 を 楽しま せて いる もの の ごとく 語った 。 倉地 は 倉地 で その 声 に 酔いしれて 見えた 。 二 人 の 幸福 は どこ に 絶頂 が ある の か わから なかった 。 二 人 だけ で 世界 は 完全だった 。 葉子 の する 事 は 一つ一つ 倉地 の 心 が する ように 見えた 。 倉地 の こう ありたい と 思う 事 は 葉子 が あらかじめ そう あら せて いた 。 倉地 の したい と 思う 事 は 、 葉子 が ちゃんと し 遂げて いた 。 茶わん の 置き場 所 まで 、 着物 の しまい 所 まで 、 倉地 は 自分 の 手 でした とおり を 葉子 が して いる の を 見いだして いる ようだった 。 ・・

「 しかし 倉地 は 妻 や 娘 たち を どう する のだろう 」・・

こんな 事 を そんな 幸福 の 最中 に も 葉子 は 考え ない 事 も なかった 。 しかし 倉地 の 顔 を 見る と 、 そんな 事 は 思う も 恥ずかしい ような 些細 な 事 に 思わ れた 。 葉子 は 倉地 の 中 に すっかり とけ込んだ 自分 を 見いだす のみ だった 。 定子 まで も 犠牲 に して 倉地 を その 妻子 から 切り 放そう など いう たくらみ は あまりに ばからしい 取り越し苦労 である の を 思わ せられた 。 ・・

「 そうだ 生まれて から この かた わたし が 求めて いた もの は とうとう 来よう と して いる 。 しかし こんな 事 が こう 手近に あろう と は ほんとうに 思い も よら なかった 。 わたし みたいな ばか は ない 。 この 幸福 の 頂上 が 今 だ と だれ か 教えて くれる 人 が あったら 、 わたし は その 瞬間 に 喜んで 死ぬ 。 こんな 幸福 を 見て から 下り坂 に まで 生きて いる の は いやだ 。 それにしても こんな 幸福で さえ が いつか は 下り坂 に なる 時 が ある のだろう か 」・・

そんな 事 を 葉子 は 幸福に 浸り きった 夢心地 の 中 に 考えた 。 ・・

葉子 が 東京 に 着いて から 一 週間 目 に 、 宿 の 女将 の 周旋 で 、 芝 の 紅葉 館 と 道一 つ 隔てた 苔 香 園 と いう 薔薇 専門 の 植木 屋 の 裏 に あたる 二 階建て の 家 を 借りる 事 に なった 。 それ は 元 紅葉 館 の 女 中 だった 人 が ある 豪商 の 妾 に なった に ついて 、 その 豪商 と いう 人 が 建てて あてがった 一 構え だった 。 双 鶴 館 の 女将 は その 女 と 懇意の 間 だった が 、 女 に 子供 が 幾 人 か できて 少し 手ぜま 過ぎる ので 他 所 に 移転 しよう か と いって いた の を 聞き 知っていた ので 、 女将 の ほう で 適当な 家 を さがし出して その 女 を 移ら せ 、 その あと を 葉子 が 借りる 事 に 取り計らって くれた のだった 。 倉地 が 先 に 行って 中 の 様子 を 見て 来て 、 杉林 の ため に 少し 日当たり は よく ない が 、 当分 の 隠れ家 と して は 屈強だ と いった ので 、 すぐさま そこ に 移る 事 に 決めた のだった 。 だれ に も 知れ ない ように 引っ越さ ねば なら ぬ と いう ので 、 荷物 を 小 わけ して 持ち出す の に も 、 女将 は 自分 の 女 中 たち に まで 、 それ が 倉地 の 本 宅 に 運ば れる もの だ と いって 知らせた 。 運搬 人 は すべて 芝 の ほう から 頼んで 来た 。 そして 荷物 が あら かた 片づいた 所 で 、 ある 夜 おそく 、 しかも び し ょび しょ と 吹き 降り の する 寒い 雨 風 の おり を 選んで 葉子 は 幌 車 に 乗った 。 葉子 と して は それ ほど の 警戒 を する に は 当たら ない と 思った けれども 、 女将 が どうしても きか なかった 。 安全な 所 に 送り込む まで は いったん お 引き受け した 手 まえ 、 気 が すまない と いい張った 。 ・・

葉子 が あつらえて おいた 仕立て おろし の 衣類 を 着 かえて いる と そこ に 女将 も 来 合わせて 脱ぎ 返し の 世話 を 見た 。 襟 の 合わせ 目 を ピン で 留め ながら 葉子 が 着がえ を 終えて 座 に つく の を 見て 、 女将 は うれし そうに もみ 手 を し ながら 、・・

「 これ で あす こ に 大丈夫 着いて くださり さえ すれば わたし は 重荷 が 一 つ 降りる と 申す もの です 。 しかし これ から が あなた は 御 大抵 じゃ こ ざいません ね 。 あちら の 奥様 の 事 など 思います と 、 どちら に どう お 仕向け を して いい やら わたし に は わから なく なります 。 あなた の お 心持ち も わたし は 身 に しみて お 察し 申します が 、 どこ から 見て も 批点 の 打ち どころ の ない 奥様 の お 身の上 も わたし に は 御 不憫で 涙 が こぼれて しまう んで ございます よ 。 で ね 、 これ から の 事 に ついちゃ わたし は こう 決めました 。 なんでも できます 事 なら と 申し上げたい んで ございます けれども 、 わたし に は 心底 を お 打ち明け 申しました 所 、 どちら 様 に も 義理 が 立ちません から 、 薄情で も きょう かぎり この お 話 に は 手 を ひか せて いただきます 。 …… どう か 悪く お 取り に なりません ように ね …… どうも わたし は こんな で いながら 甲斐 性 が ございませ ん で ……」・・

そう いい ながら 女将 は 口 を きった 時 の うれし げ な 様子 に も 似 ず 、 襦袢 の 袖 を 引き出す ひ まもなく 目 に 涙 を いっぱい ためて しまって いた 。 葉子 に は それ が 恨めしく も 憎く も なかった 。 ただ 何となく 親身な 切な さ が 自分 の 胸 に も こみ上げて 来た 。 ・・

「 悪く 取る どころ です か 。 世の中 の 人 が 一 人 でも あなた の ような 心持ち で 見て くれたら 、 わたし は その 前 に 泣き ながら 頭 を 下げて ありがとう ございます と いう 事 でしょう よ 。 これ まで の あなた の お 心尽くし で わたし は もう 充分 。 また いつか 御 恩返し の できる 事 も ありましょう 。 …… それでは これ で 御免 ください まし 。 お 妹 御 に も どう か 着物 の お 礼 を くれぐれも よろしく 」・・

少し 泣き声 に なって そう いい ながら 、 葉子 は 女将 と その 妹 分 に あたる と いう 人 に 礼 心 に 置いて 行こう と する 米国 製 の 二 つ の 手 携 げ を し まいこんだ 違い棚 を ちょっと 見 やって そのまま 座 を 立った 。 ・・

雨 風 の ため に 夜 は にぎやかな 往来 も さすが に 人通り が 絶え絶えだった 。 車 に 乗ろう と して 空 を 見上げる と 、 雲 は そう 濃く は かかって いない と 見えて 、 新月 の 光 が おぼろに 空 を 明るく して いる 中 を あらし 模様 の 雲 が 恐ろしい 勢い で 走って いた 。 部屋 の 中 の 暖か さ に 引きかえて 、 湿気 を 充分に 含んだ 風 は 裾 前 を あおって ぞくぞく と 膚 に 逼った 。 ば たば た と 風 に なぶら れる 前 幌 を 車 夫 が かけよう と して いる すき から 、 女将 が みずみずしい 丸 髷 を 雨 に も 風 に も 思う まま 打た せ ながら 、 女 中 の さし かざそう と する 雨傘 の 陰 に 隠れよう と も せ ず 、 何 か 車 夫 に いい聞かせて いる の が 大事 らしく 見 やられた 。 車 夫 が 梶 棒 を あげよう と する 時 女将 が 祝儀 袋 を その 手 に 渡す の が 見えた 。 ・・

「 さようなら 」・・

「 お 大事に 」・・

はばかる ように 車 の 内外 から 声 が かわさ れた 。 幌 に のしかかって 来る 風 に 抵抗 し ながら 車 は 闇 の 中 を 動き出した 。


26.1 或る 女 ある|おんな 26.1 Una mujer

「 水戸 と か で お 座敷 に 出て いた 人 だ そうです が 、 倉地 さん に 落 籍 されて から もう 七八 年 に も なりましょう か 、 それ は 穏当な いい 奥さん で 、 とても 商売 を して いた 人 の よう では ありません 。 みと|||||ざしき||でて||じん||そう です||くらち|||おと|せき|さ れて|||しちはち|とし|||なり ましょう||||おんとうな||おくさん|||しょうばい||||じん||||あり ませ ん もっとも 水戸 の 士族 の お 娘 御 で 出る が 早い か 倉地 さん の 所 に いらっしゃる ように なった んだ そう です から その はず で も あります が 、 ちっとも すれて いらっしゃら ないで いて 、 気 も お つき に は なる し 、 しとやかで も あり 、……」・・ |みと||しぞく|||むすめ|ご||でる||はやい||くらち|||しょ|||||||||||||あり ます|||||||き|||||||||| Of course, she is the daughter of a samurai family in Mito, but it seems that she came to stay with Mr. Kurachi soon after, so it should be that way, but she doesn't know me in the slightest, so I can't help but notice her. It's elegant and graceful..."

ある 晩 双 鶴 館 の 女将 が 話 に 来て 四方 山 の うわさ の ついで に 倉地 の 妻 の 様子 を 語った その 言葉 は 、 はっきり と 葉子 の 心 に 焼きついて いた 。 |ばん|そう|つる|かん||おかみ||はなし||きて|しほう|やま||||||くらち||つま||ようす||かたった||ことば||||ようこ||こころ||やきついて| One night, the proprietress of the Sokakukan came to talk to her, and after hearing about the rumors about Shihoyama, she told him how Kurachi's wife was doing. 葉子 は それ が 優れた 人 である と 聞か さ れれば 聞か さ れる ほど 妬ま し さ を 増す のだった 。 ようこ||||すぐれた|じん|||きか|||きか||||ねたま||||ます| The more Yoko was told that he was a good person, the more her jealousy grew. 自分 の 目の前 に は 大きな 障害 物 が まっ暗に 立ちふさがって いる の を 感じた 。 じぶん||めのまえ|||おおきな|しょうがい|ぶつ||まっ あんに|たちふさがって||||かんじた 嫌悪 の 情 に かきむしられて 前後 の 事 も 考え ず に 別れて しまった ので は あった けれども 、 仮にも 恋 らしい もの を 感じた 木部 に 対して 葉子 が いだく 不思議な 情緒 、―― ふだん は 何事 も なかった ように 忘れ 果てて は いる もの の 、 思い も 寄ら ない きっかけ に ふと 胸 を 引き締めて 巻き起こって 来る 不思議な 情緒 、―― 一種 の 絶望 的な ノスタルジア ―― それ を 葉子 は 倉地 に も 倉地 の 妻 に も 寄せて 考えて みる 事 の できる 不幸 を 持って いた 。 けんお||じょう||かきむしら れて|ぜんご||こと||かんがえ|||わかれて||||||かりにも|こい||||かんじた|きべ||たいして|ようこ|||ふしぎな|じょうちょ|||なにごと||||わすれ|はてて|||||おもい||よら|||||むね||ひきしめて|まきおこって|くる|ふしぎな|じょうちょ|いっしゅ||ぜつぼう|てきな||||ようこ||くらち|||くらち||つま|||よせて|かんがえて||こと|||ふこう||もって| Although they broke up without thinking about the things that happened before and after, stricken by a feeling of disgust, Yoko felt a strange emotion toward Kibe, who felt something like love. Although she had forgotten about it as if it had never happened, an unexpected trigger suddenly tightened her chest and stirred up a strange emotion—a kind of hopeless nostalgia—that Yoko felt for both Kurachi and Kurachi. I had a misfortune that I could bring to my wife's side and think about it. また 自分 の 生んだ 子供 に 対する 執着 。 |じぶん||うんだ|こども||たいする|しゅうちゃく それ を 男 も 女 も 同じ 程度 に きびしく 感ずる もの か どう か は 知ら ない 。 ||おとこ||おんな||おなじ|ていど|||かんずる||||||しら| しかしながら 葉子 自身 の 実感 から いう と 、 なんといっても たとえ よう も なく その 愛着 は 深かった 。 |ようこ|じしん||じっかん||||||||||あいちゃく||ふかかった 葉子 は 定子 を 見る と 知ら ぬ 間 に 木部 に 対して 恋 に 等しい ような 強い 感情 を 動かして いる のに 気 が つく 事 が しばしば だった 。 ようこ||さだこ||みる||しら||あいだ||きべ||たいして|こい||ひとしい||つよい|かんじょう||うごかして|||き|||こと||| 木部 と の 愛着 の 結果 定子 が 生まれる ように なった ので は なく 、 定子 と いう もの が この世 に 生まれ 出る ため に 、 木部 と 葉子 と は 愛着 の きずな に つなが れた のだ と さえ 考えられ も した 。 きべ|||あいちゃく||けっか|さだこ||うまれる||||||さだこ|||||このよ||うまれ|でる|||きべ||ようこ|||あいちゃく||||つな が|||||かんがえ られ|| It may even be thought that Taishi was not born as a result of his attachment to Kibe, but rather that Kibe and Yoko were connected by a bond of attachment in order for a Taishi to be born into this world. did . 葉子 は また 自分 の 父 が どれほど 葉子 を 溺愛 して くれた か を も 思って みた 。 ようこ|||じぶん||ちち|||ようこ||できあい||||||おもって| 葉子 の 経験 から いう と 、 両親 共 い なく なって しまった 今 、 慕わ し さ なつかし さ を 余計 感じ させる もの は 、 格別 これ と いって 情愛 の 徴 を 見せ は し なかった が 、 始終 軟らかい 目 色 で 自分 たち を 見守って くれて いた 父 の ほう だった 。 ようこ||けいけん||||りょうしん|とも|||||いま|したわ||||||よけい|かんじ|さ せる|||かくべつ||||じょうあい||ちょう||みせ|||||しじゅう|やわらかい|め|いろ||じぶん|||みまもって|||ちち||| それ から 思う と 男 と いう もの も 自分 の 生ま せた 子供 に 対して は 女 に 譲ら ぬ 執着 を 持ち うる もの に 相違 ない 。 ||おもう||おとこ|||||じぶん||うま||こども||たいして||おんな||ゆずら||しゅうちゃく||もち||||そうい| こんな 過去 の 甘い 回想 まで が 今 は 葉子 の 心 を むちうつ 笞 と なった 。 |かこ||あまい|かいそう|||いま||ようこ||こころ|||ち|| Even this sweet recollection of the past became a whip in Yoko's heart. しかも 倉地 の 妻 と 子 と は この 東京 に ちゃんと 住んで いる 。 |くらち||つま||こ||||とうきょう|||すんで| 倉地 は 毎日 の ように その 人 たち に あって いる の に 相違 ない のだ 。 くらち||まいにち||||じん|||||||そうい|| ・・

思う 男 を どこ から どこ まで 自分 の もの に して 、 自分 の もの に した と いう 証拠 を 握る まで は 、 心 が 責めて 責めて 責め ぬか れる ような 恋愛 の 残虐な 力 に 葉子 は 昼 と なく 夜 と なく 打ちのめさ れた 。 おもう|おとこ||||||じぶん|||||じぶん|||||||しょうこ||にぎる|||こころ||せめて|せめて|せめ||||れんあい||ざんぎゃくな|ちから||ようこ||ひる|||よ|||うちのめさ| 船 の 中 で の 何事 も 打ち 任せ きった ような 心やすい 気分 は 他人事 の ように 、 遠い 昔 の 事 の ように 悲しく 思いやら れる ばかりだった 。 せん||なか|||なにごと||うち|まかせ|||こころやすい|きぶん||ひとごと|||とおい|むかし||こと|||かなしく|おもいやら|| どうして これほど まで に 自分 と いう もの の 落ちつき 所 を 見失って しまった のだろう 。 ||||じぶん|||||おちつき|しょ||みうしなって|| そう 思う 下 から 、 こうして は 一刻 も いられ ない 。 |おもう|した||||いっこく||いら れ| 早く 早く する 事 だけ を して しまわ なければ 、 取り返し が つか なく なる 。 はやく|はやく||こと||||||とりかえし|||| どこ から どう 手 を つければ いい のだ 。 |||て|||| 敵 を 斃 さ なければ 、 敵 は 自分 を 斃 す のだ 。 てき||へい|||てき||じぶん||へい|| なんの 躊躇 。 |ちゅうちょ なんの 思案 。 |しあん 倉地 が 去った 人 たち に 未練 を 残す ようならば 自分 の 恋 は 石 や 瓦 と 同様だ 。 くらち||さった|じん|||みれん||のこす||じぶん||こい||いし||かわら||どうようだ If Kurachi leaves behind a grudge against those who have left him, then his love is like a stone or roof tile. 自分 の 心 で 何もかも 過去 は いっさい 焼き 尽くして 見せる 。 じぶん||こころ||なにもかも|かこ|||やき|つくして|みせる I burn everything from the past with my heart and show it to you. 木部 も ない 、 定子 も ない 。 きべ|||さだこ|| まして 木村 も ない 。 |きむら|| Not even Kimura. みんな 捨てる 、 みんな 忘れる 。 |すてる||わすれる その代わり 倉地 に も 過去 と いう 過去 を すっかり 忘れ させ ず に おく もの か 。 そのかわり|くらち|||かこ|||かこ|||わすれ|さ せ||||| それほど の 蠱惑 の 力 と 情熱 の 炎 と が 自分 に あるか ない か 見て いる が いい 。 ||こわく||ちから||じょうねつ||えん|||じぶん|||||みて||| そうした いちず の 熱意 が 身 を こがす ように 燃え 立った 。 |||ねつい||み||||もえ|たった The enthusiasm of such a single one burned up as if it was burning. 葉子 は 新聞 記者 の 来襲 を 恐れて 宿 に とじこもった まま 、 火鉢 の 前 に すわって 、 倉地 の 不在 の 時 は こんな 妄想 に 身 も 心 も かきむしられて いた 。 ようこ||しんぶん|きしゃ||らいしゅう||おそれて|やど||||ひばち||ぜん|||くらち||ふざい||じ|||もうそう||み||こころ||かきむしら れて| だんだん 募って 来る ような 腰 の 痛み 、 肩 の 凝り 。 |つのって|くる||こし||いたみ|かた||こり そんな もの さえ 葉子 の 心 を ますます いらだた せた 。 |||ようこ||こころ|||| ・・

ことに 倉地 の 帰り の おそい 晩 など は 、 葉子 は 座 に も 居 たたま れ なかった 。 |くらち||かえり|||ばん|||ようこ||ざ|||い||| 倉地 の 居間 に なって いる 十 畳 の 間 に 行って 、 そこ に 倉地 の 面影 を 少し でも 忍ぼう と した 。 くらち||いま||||じゅう|たたみ||あいだ||おこなって|||くらち||おもかげ||すこし||しのぼう|| I went to Kurachi's living room, the 10-tatami-mat room, and tried to hide even a little of Kurachi's remnants there. 船 の 中 で の 倉地 と の 楽しい 思い出 は 少しも 浮かんで 来 ず に 、 どんな 構え と も 想像 は でき ない が 、 とにかく 倉地 の 住居 の ある 部屋 に 、 三 人 の 娘 たち に 取り巻かれて 、 美しい 妻 に か しずかれて 杯 を 干して いる 倉地 ばかり が 想像 に 浮かんだ 。 せん||なか|||くらち|||たのしい|おもいで||すこしも|うかんで|らい||||かまえ|||そうぞう||||||くらち||じゅうきょ|||へや||みっ|じん||むすめ|||とりまか れて|うつくしい|つま|||しずか れて|さかずき||ほして||くらち|||そうぞう||うかんだ そこ に 脱ぎ捨てて ある 倉地 の ふだん着 は ますます 葉子 の 想像 を ほしいままに さ せた 。 ||ぬぎすてて||くらち||ふだんぎ|||ようこ||そうぞう|||| いつでも 葉子 の 情熱 を 引っつか ん で ゆすぶり 立てる ような 倉地 特有 の 膚 の 香 い 、 芳 醇 な 酒 や 、 煙草 から におい 出る ような その 香 い を 葉子 は 衣類 を かき寄せて 、 それ に 顔 を 埋め ながら 、 痲痺 して 行く ような 気持ち で かぎ に かいだ 。 |ようこ||じょうねつ||ひっつか||||たてる||くらち|とくゆう||はだ||かおり||かおり|あつし||さけ||たばこ|||でる|||かおり|||ようこ||いるい||かきよせて|||かお||うずめ||まひ||いく||きもち|||| その 香 いのいちばん 奥 に 、 中年 の 男 に 特有な ふけ の ような 不快な 香 い 、 他人 の のであった なら 葉子 は ひと たまり も なく 鼻 を おおう ような 不快な 香 い を かぎつける と 、 葉子 は 肉体 的に も 一種 の 陶酔 を 感じて 来る のだった 。 |かおり||おく||ちゅうねん||おとこ||とくゆうな||||ふかいな|かおり||たにん||||ようこ||||||はな||||ふかいな|かおり|||||ようこ||にくたい|てきに||いっしゅ||とうすい||かんじて|くる| その 倉地 が 妻 や 娘 たち に 取り巻かれて 楽しく 一夕 を 過ごして いる 。 |くらち||つま||むすめ|||とりまか れて|たのしく|いっせき||すごして| そう 思う と あり 合わせる もの を 取って 打ち こわす か 、 つかんで 引き裂きたい ような 衝動 が わけ も なく 嵩 じ て 来る のだった 。 |おもう|||あわせる|||とって|うち||||ひきさき たい||しょうどう|||||かさみ|||くる| ・・

それ でも 倉地 が 帰って 来る と 、 それ は 夜 おそく なって から であって も 葉子 は ただ 子供 の ように 幸福だった 。 ||くらち||かえって|くる||||よ||||||ようこ|||こども|||こうふくだった それ まで の 不安 や 焦 躁 は どこ に か 行って しまって 、 悪夢 から 幸福な 世界 に 目ざめた ように 幸福だった 。 |||ふあん||あせ|そう|||||おこなって||あくむ||こうふくな|せかい||めざめた||こうふくだった 葉子 は すぐ 走って 行って 倉地 の 胸 に たわいなく 抱か れた 。 ようこ|||はしって|おこなって|くらち||むね|||いだか| 倉地 も 葉子 を 自分 の 胸 に 引き締めた 。 くらち||ようこ||じぶん||むね||ひきしめた 葉子 は 広い 厚い 胸 に 抱か れ ながら 、 単調な 宿屋 の 生活 の 一 日 中 に 起こった 些細 な 事 まで を 、 その 表情 の ゆたかな 、 鈴 の ような 涼しい 声 で 、 自分 を 楽しま せて いる もの の ごとく 語った 。 ようこ||ひろい|あつい|むね||いだか|||たんちょうな|やどや||せいかつ||ひと|ひ|なか||おこった|ささい||こと||||ひょうじょう|||すず|||すずしい|こえ||じぶん||たのしま||||||かたった 倉地 は 倉地 で その 声 に 酔いしれて 見えた 。 くらち||くらち|||こえ||よいしれて|みえた 二 人 の 幸福 は どこ に 絶頂 が ある の か わから なかった 。 ふた|じん||こうふく||||ぜっちょう|||||| 二 人 だけ で 世界 は 完全だった 。 ふた|じん|||せかい||かんぜんだった 葉子 の する 事 は 一つ一つ 倉地 の 心 が する ように 見えた 。 ようこ|||こと||ひとつひとつ|くらち||こころ||||みえた 倉地 の こう ありたい と 思う 事 は 葉子 が あらかじめ そう あら せて いた 。 くらち|||あり たい||おもう|こと||ようこ|||||| 倉地 の したい と 思う 事 は 、 葉子 が ちゃんと し 遂げて いた 。 くらち||し たい||おもう|こと||ようこ||||とげて| 茶わん の 置き場 所 まで 、 着物 の しまい 所 まで 、 倉地 は 自分 の 手 でした とおり を 葉子 が して いる の を 見いだして いる ようだった 。 ちゃわん||おきば|しょ||きもの|||しょ||くらち||じぶん||て||||ようこ||||||みいだして|| ・・

「 しかし 倉地 は 妻 や 娘 たち を どう する のだろう 」・・ |くらち||つま||むすめ|||||

こんな 事 を そんな 幸福 の 最中 に も 葉子 は 考え ない 事 も なかった 。 |こと|||こうふく||さい なか|||ようこ||かんがえ||こと|| しかし 倉地 の 顔 を 見る と 、 そんな 事 は 思う も 恥ずかしい ような 些細 な 事 に 思わ れた 。 |くらち||かお||みる|||こと||おもう||はずかしい||ささい||こと||おもわ| 葉子 は 倉地 の 中 に すっかり とけ込んだ 自分 を 見いだす のみ だった 。 ようこ||くらち||なか|||とけこんだ|じぶん||みいだす|| 定子 まで も 犠牲 に して 倉地 を その 妻子 から 切り 放そう など いう たくらみ は あまりに ばからしい 取り越し苦労 である の を 思わ せられた 。 さだこ|||ぎせい|||くらち|||さいし||きり|はなそう|||||||とりこしぐろう||||おもわ|せら れた It made me think that the plan to cut Kurachi off from his wife and children at the expense of even Teishi was a ridiculous and unreasonable effort. ・・

「 そうだ 生まれて から この かた わたし が 求めて いた もの は とうとう 来よう と して いる 。 そう だ|うまれて||||||もとめて|||||こよう||| "That's right, what I've been looking for since I was born is finally coming. しかし こんな 事 が こう 手近に あろう と は ほんとうに 思い も よら なかった 。 ||こと|||てぢかに|||||おもい||| わたし みたいな ばか は ない 。 この 幸福 の 頂上 が 今 だ と だれ か 教えて くれる 人 が あったら 、 わたし は その 瞬間 に 喜んで 死ぬ 。 |こうふく||ちょうじょう||いま|||||おしえて||じん||||||しゅんかん||よろこんで|しぬ こんな 幸福 を 見て から 下り坂 に まで 生きて いる の は いやだ 。 |こうふく||みて||くだりざか|||いきて|||| それにしても こんな 幸福で さえ が いつか は 下り坂 に なる 時 が ある のだろう か 」・・ ||こうふくで|||||くだりざか|||じ||||

そんな 事 を 葉子 は 幸福に 浸り きった 夢心地 の 中 に 考えた 。 |こと||ようこ||こうふくに|ひたり||ゆめごこち||なか||かんがえた ・・

葉子 が 東京 に 着いて から 一 週間 目 に 、 宿 の 女将 の 周旋 で 、 芝 の 紅葉 館 と 道一 つ 隔てた 苔 香 園 と いう 薔薇 専門 の 植木 屋 の 裏 に あたる 二 階建て の 家 を 借りる 事 に なった 。 ようこ||とうきょう||ついて||ひと|しゅうかん|め||やど||おかみ||しゅうせん||しば||こうよう|かん||みちかず||へだてた|こけ|かおり|えん|||ばら|せんもん||うえき|や||うら|||ふた|かいだて||いえ||かりる|こと|| それ は 元 紅葉 館 の 女 中 だった 人 が ある 豪商 の 妾 に なった に ついて 、 その 豪商 と いう 人 が 建てて あてがった 一 構え だった 。 ||もと|こうよう|かん||おんな|なか||じん|||ごうしょう||めかけ||||||ごうしょう|||じん||たてて||ひと|かまえ| 双 鶴 館 の 女将 は その 女 と 懇意の 間 だった が 、 女 に 子供 が 幾 人 か できて 少し 手ぜま 過ぎる ので 他 所 に 移転 しよう か と いって いた の を 聞き 知っていた ので 、 女将 の ほう で 適当な 家 を さがし出して その 女 を 移ら せ 、 その あと を 葉子 が 借りる 事 に 取り計らって くれた のだった 。 そう|つる|かん||おかみ|||おんな||こんいの|あいだ|||おんな||こども||いく|じん|||すこし|てぜま|すぎる||た|しょ||いてん||||||||きき|しっていた||おかみ||||てきとうな|いえ||さがしだして||おんな||うつら|||||ようこ||かりる|こと||とりはからって|| 倉地 が 先 に 行って 中 の 様子 を 見て 来て 、 杉林 の ため に 少し 日当たり は よく ない が 、 当分 の 隠れ家 と して は 屈強だ と いった ので 、 すぐさま そこ に 移る 事 に 決めた のだった 。 くらち||さき||おこなって|なか||ようす||みて|きて|すぎばやし||||すこし|ひあたり|||||とうぶん||かくれが||||くっきょうだ|||||||うつる|こと||きめた| だれ に も 知れ ない ように 引っ越さ ねば なら ぬ と いう ので 、 荷物 を 小 わけ して 持ち出す の に も 、 女将 は 自分 の 女 中 たち に まで 、 それ が 倉地 の 本 宅 に 運ば れる もの だ と いって 知らせた 。 |||しれ|||ひっこさ|||||||にもつ||しょう|||もちだす||||おかみ||じぶん||おんな|なか||||||くらち||ほん|たく||はこば||||||しらせた 運搬 人 は すべて 芝 の ほう から 頼んで 来た 。 うんぱん|じん|||しば||||たのんで|きた そして 荷物 が あら かた 片づいた 所 で 、 ある 夜 おそく 、 しかも び し ょび しょ と 吹き 降り の する 寒い 雨 風 の おり を 選んで 葉子 は 幌 車 に 乗った 。 |にもつ||||かたづいた|しょ|||よ||||||||ふき|ふり|||さむい|あめ|かぜ||||えらんで|ようこ||ほろ|くるま||のった 葉子 と して は それ ほど の 警戒 を する に は 当たら ない と 思った けれども 、 女将 が どうしても きか なかった 。 ようこ|||||||けいかい|||||あたら|||おもった||おかみ|||| 安全な 所 に 送り込む まで は いったん お 引き受け した 手 まえ 、 気 が すまない と いい張った 。 あんぜんな|しょ||おくりこむ|||||ひきうけ||て||き||||いいはった ・・

葉子 が あつらえて おいた 仕立て おろし の 衣類 を 着 かえて いる と そこ に 女将 も 来 合わせて 脱ぎ 返し の 世話 を 見た 。 ようこ||||したて|||いるい||ちゃく||||||おかみ||らい|あわせて|ぬぎ|かえし||せわ||みた 襟 の 合わせ 目 を ピン で 留め ながら 葉子 が 着がえ を 終えて 座 に つく の を 見て 、 女将 は うれし そうに もみ 手 を し ながら 、・・ えり||あわせ|め||ぴん||とどめ||ようこ||きがえ||おえて|ざ|||||みて|おかみ|||そう に||て|||

「 これ で あす こ に 大丈夫 着いて くださり さえ すれば わたし は 重荷 が 一 つ 降りる と 申す もの です 。 |||||だいじょうぶ|ついて||||||おもに||ひと||おりる||もうす|| しかし これ から が あなた は 御 大抵 じゃ こ ざいません ね 。 ||||||ご|たいてい|||ざい ませ ん| あちら の 奥様 の 事 など 思います と 、 どちら に どう お 仕向け を して いい やら わたし に は わから なく なります 。 ||おくさま||こと||おもい ます||||||しむけ||||||||||なり ます あなた の お 心持ち も わたし は 身 に しみて お 察し 申します が 、 どこ から 見て も 批点 の 打ち どころ の ない 奥様 の お 身の上 も わたし に は 御 不憫で 涙 が こぼれて しまう んで ございます よ 。 |||こころもち||||み||||さっし|もうし ます||||みて||ひてん||うち||||おくさま|||みのうえ|||||ご|ふびんで|なみだ|||||| で ね 、 これ から の 事 に ついちゃ わたし は こう 決めました 。 |||||こと||||||きめ ました なんでも できます 事 なら と 申し上げたい んで ございます けれども 、 わたし に は 心底 を お 打ち明け 申しました 所 、 どちら 様 に も 義理 が 立ちません から 、 薄情で も きょう かぎり この お 話 に は 手 を ひか せて いただきます 。 |でき ます|こと|||もうしあげ たい|||||||しんそこ|||うちあけ|もうし ました|しょ||さま|||ぎり||たち ませ ん||はくじょうで||||||はなし|||て||||いただき ます …… どう か 悪く お 取り に なりません ように ね …… どうも わたし は こんな で いながら 甲斐 性 が ございませ ん で ……」・・ ||わるく||とり||なり ませ ん|||||||||かい|せい||||

そう いい ながら 女将 は 口 を きった 時 の うれし げ な 様子 に も 似 ず 、 襦袢 の 袖 を 引き出す ひ まもなく 目 に 涙 を いっぱい ためて しまって いた 。 |||おかみ||くち|||じ|||||ようす|||に||じゅばん||そで||ひきだす|||め||なみだ||||| 葉子 に は それ が 恨めしく も 憎く も なかった 。 ようこ|||||うらめしく||にくく|| ただ 何となく 親身な 切な さ が 自分 の 胸 に も こみ上げて 来た 。 |なんとなく|しんみな|せつな|||じぶん||むね|||こみあげて|きた ・・

「 悪く 取る どころ です か 。 わるく|とる||| 世の中 の 人 が 一 人 でも あなた の ような 心持ち で 見て くれたら 、 わたし は その 前 に 泣き ながら 頭 を 下げて ありがとう ございます と いう 事 でしょう よ 。 よのなか||じん||ひと|じん|||||こころもち||みて|||||ぜん||なき||あたま||さげて|||||こと|| これ まで の あなた の お 心尽くし で わたし は もう 充分 。 ||||||こころづくし|||||じゅうぶん また いつか 御 恩返し の できる 事 も ありましょう 。 ||ご|おんがえし|||こと||あり ましょう …… それでは これ で 御免 ください まし 。 |||ごめん|| お 妹 御 に も どう か 着物 の お 礼 を くれぐれも よろしく 」・・ |いもうと|ご|||||きもの|||れい|||

少し 泣き声 に なって そう いい ながら 、 葉子 は 女将 と その 妹 分 に あたる と いう 人 に 礼 心 に 置いて 行こう と する 米国 製 の 二 つ の 手 携 げ を し まいこんだ 違い棚 を ちょっと 見 やって そのまま 座 を 立った 。 すこし|なきごえ||||||ようこ||おかみ|||いもうと|ぶん|||||じん||れい|こころ||おいて|いこう|||べいこく|せい||ふた|||て|けい|||||ちがいだな|||み|||ざ||たった ・・

雨 風 の ため に 夜 は にぎやかな 往来 も さすが に 人通り が 絶え絶えだった 。 あめ|かぜ||||よ|||おうらい||||ひとどおり||たえだえだった 車 に 乗ろう と して 空 を 見上げる と 、 雲 は そう 濃く は かかって いない と 見えて 、 新月 の 光 が おぼろに 空 を 明るく して いる 中 を あらし 模様 の 雲 が 恐ろしい 勢い で 走って いた 。 くるま||のろう|||から||みあげる||くも|||こく|||||みえて|しんげつ||ひかり|||から||あかるく|||なか|||もよう||くも||おそろしい|いきおい||はしって| 部屋 の 中 の 暖か さ に 引きかえて 、 湿気 を 充分に 含んだ 風 は 裾 前 を あおって ぞくぞく と 膚 に 逼った 。 へや||なか||あたたか|||ひきかえて|しっけ||じゅうぶんに|ふくんだ|かぜ||すそ|ぜん|||||はだ||ひつ った ば たば た と 風 に なぶら れる 前 幌 を 車 夫 が かけよう と して いる すき から 、 女将 が みずみずしい 丸 髷 を 雨 に も 風 に も 思う まま 打た せ ながら 、 女 中 の さし かざそう と する 雨傘 の 陰 に 隠れよう と も せ ず 、 何 か 車 夫 に いい聞かせて いる の が 大事 らしく 見 やられた 。 ||||かぜ||||ぜん|ほろ||くるま|おっと||||||||おかみ|||まる|まげ||あめ|||かぜ|||おもう||うた|||おんな|なか||||||あまがさ||かげ||かくれよう|||||なん||くるま|おっと||いいきかせて||||だいじ||み| 車 夫 が 梶 棒 を あげよう と する 時 女将 が 祝儀 袋 を その 手 に 渡す の が 見えた 。 くるま|おっと||かじ|ぼう|||||じ|おかみ||しゅうぎ|ふくろ|||て||わたす|||みえた ・・

「 さようなら 」・・

「 お 大事に 」・・ |だいじに

はばかる ように 車 の 内外 から 声 が かわさ れた 。 ||くるま||ないがい||こえ||| 幌 に のしかかって 来る 風 に 抵抗 し ながら 車 は 闇 の 中 を 動き出した 。 ほろ|||くる|かぜ||ていこう|||くるま||やみ||なか||うごきだした