24.2 或る 女
しばらく そんな 表面 的な うわさ 話 など に 時 を 過ごして いた が 、 いつまでも そう は して いられ ない 事 を 葉子 は 知っていた 。 この 年齢 の 違った 二 人 の 妹 に 、 どっち に も 堪 念 の 行く ように 今 の 自分 の 立場 を 話して 聞か せて 、 悪い 結果 を その 幼い 心 に 残さ ない ように しむける の は さすが に 容易な 事 で は なかった 。 葉子 は 先刻 から しきりに それ を 案じて いた のだ 。 ・・
「 これ でも 召し上がれ 」・・
食事 が 済んで から 葉子 は 米国 から 持って 来た キャンディー を 二 人 の 前 に 置いて 、 自分 は 煙草 を 吸った 。 貞 世 は 目 を 丸く して 姉 の する 事 を 見 やって いた 。 ・・
「 ねえ さま そんな もの 吸って いい の ? 」・・
と 会釈 なく 尋ねた 。 愛子 も 不思議 そうな 顔 を して いた 。 ・・
「 え ゝ こんな 悪い 癖 が ついて しまった の 。 けれども ねえさん に は あなた 方 の 考えて もみられ ない ような 心配な 事 や 困る 事 が ある もの だ から 、 つい 憂さ晴らし に こんな 事 も 覚えて しまった の 。 今夜 は あなた 方 に わかる ように ねえさん が 話して 上げて みる から 、 よく 聞いて ちょうだい よ 」・・
倉地 の 胸 に 抱か れ ながら 、 酔いしれた ように その 頑丈な 、 日 に 焼けた 、 男性 的な 顔 を 見 やる 葉子 の 、 乙女 と いう より も もっと 子供 らしい 様子 は 、 二 人 の 妹 を 前 に 置いて きちんと 居ずまい を 正した 葉子 の どこ に も 見いださ れ なかった 。 その 姿 は 三十 前後 の 、 充分 分別 の ある 、 しっかり した 一 人 の 女性 を 思わ せた 。 貞 世 も そういう 時 の 姉 に 対する 手心 を 心得て いて 、 葉子 から 離れて まじめに すわり 直した 。 こんな 時 うっかり その 威厳 を 冒す ような 事 でも する と 、 貞 世に でも だれ に でも 葉子 は 少し の 容赦 も し なかった 。 しかし 見た 所 は いかにも 慇懃 に 口 を 開いた 。 ・・
「 わたし が 木村 さん の 所 に お 嫁 に 行く ように なった の は よく 知ってます ね 。 米国 に 出かける ように なった の も その ため だった のだ けれども ね 、 もともと 木村 さん は 私 の ように 一 度 先 に お 嫁入り した 人 を もらう ような 方 で は なかった んだ し する から 、 ほんとう は わたし どうしても 心 は 進ま なかった んです よ 。 でも 約束 だ から ちゃんと 守って 行く に は 行った の 。 けれども ね 先方 に 着いて みる と わたし の から だ の 具合 が どうも よく なくって 上陸 は とても でき なかった からし かたなしに また 同じ 船 で 帰る ように なった の 。 木村 さん は どこまでも わたし を お 嫁 に して くださる つもりだ から 、 わたし も その 気 で は いる のだ けれども 、 病気 で は しかたがない でしょう 。 それ に 恥ずかしい 事 を 打ち明ける ようだ けれども 、 木村 さん に も わたし に も 有り余る ような お 金 が ない もの だ から 、 行き も 帰り も その 船 の 事務 長 と いう 大切な 役目 の 方 に お 世話に なら なければ なら なかった の よ 。 その方 が 御 親切に も わたし を ここ まで 連れて 帰って くださった ばかりで 、 もう 一 度 あなた 方 に も あう 事 が できた んだ から 、 わたし は その 倉地 と いう 方 ―― 倉 は お 倉 の 倉 で 、 地 は 地球 の 地 と 書く の 。 三吉 と いう お 名前 は 貞 ちゃん に も わかる でしょう ―― その 倉地 さん に は ほんとうに お 礼 の 申し よう も ない くらい な んです よ 。 愛 さん なんか は その方 の 事 で 叔母さん な ん ぞ から いろいろな 事 を 聞か されて 、 ねえさん を 疑って いやし ない か と 思う けれども 、 それ に は また それ で めんどうな わけ の ある 事 な のだ から 、 夢にも 人 の いう 事 な ん ぞ を そのまま 受け取って もらっちゃ 困ります よ 。 ねえさん を 信じて おくれ 、 ね 、 よ ご ざん す か 。 わたし は お 嫁 な ん ぞ に 行か ない でも いい 、 あなた 方 と こうして いる ほど うれしい 事 は ない と 思います よ 。 木村 さん の ほう に お 金 でも できて 、 わたし の 病気 が なおり さえ すれば 結婚 する ように なる かも しれ ない けれども 、 それ は いつ の 事 と も わから ない し 、 それ まで は わたし は こうした まま で 、 あなた 方 と 一緒に どこ か に お家 を 持って 楽しく 暮らしましょう ね 。 いい だろう 貞 ちゃん 。 もう 寄宿 なん ぞ に い なくって も ようご ざん す よ 」・・
「 おね え さま わたし 寄宿 で は 夜 に なる と ほんとう は 泣いて ばかり いた の よ 。 愛 ねえさん は よく お 寝 に なって も わたし は 小さい から 悲しかった んです もの 」・・
そう 貞 世 は 白状 する ように いった 。 さっき まで は いかにも 楽し そうに いって いた その 可憐な 同じ 口 び る から 、 こんな 哀れな 告白 を 聞く と 葉子 は 一 入 しんみり した 心持ち に なった 。 ・・
「 わたし だって も よ 。 貞 ちゃん は 宵 の 口 だけ くすくす 泣いて も あと は よく 寝て いた わ 。 ねえ 様 、 私 は 今 まで 貞 ちゃん に も いわ ないで いました けれども …… みんな が 聞こえよ がし に ねえ 様 の 事 を かれこれ いいます のに 、 たまに 悪い と 思って 貞 ちゃん と 叔母さん の 所 に 行ったり な ん ぞ する と 、 それ は ほんとうに ひどい …… ひどい 事 を おっしゃる ので 、 どっち に 行って も くやしゅう ございました わ 。 古藤 さん だって このごろ は お 手紙 さえ くださら ない し …… 田島 先生 だけ は わたし たち 二 人 を かわいそう がって くださいました けれども ……」・・
葉子 の 思い は 胸 の 中 で 煮え 返る ようだった 。 ・・
「 もう いい 堪忍 して ください よ 。 ねえさん が やはり 至らなかった んだ から 。 お とうさん が いらっしゃれば お互いに こんな いやな 目 に は あわ ない んだろう けれども ( こういう 場合 葉子 は おくび に も 母 の 名 は 出さ なかった ) 親 の ない わたし たち は 肩身 が 狭い わ ね 。 まあ あなた 方 は そんなに 泣いちゃ だめ 。 愛 さん な んです ね あなた から 先 に 立って 。 ねえさん が 帰った 以上 は ねえさん に なんでも 任して 安心 して 勉強 して ください よ 。 そして 世間 の 人 を 見返して お やり 」・・
葉子 は 自分 の 心持ち を 憤 ろし くい い張って いる のに 気 が ついた 。 いつのまにか 自分 まで が 激しく 興奮 して いた 。 ・・
火鉢 の 火 は いつか 灰 に なって 、 夜寒 が ひそやかに 三 人 の 姉妹 に はい よって いた 。 もう 少し 睡気 を 催して 来た 貞 世 は 、 泣いた あと の 渋い 目 を 手の甲 で こすり ながら 、 不思議 そうに 興奮 した 青白い 姉 の 顔 を 見 やって いた 。 愛子 は 瓦 斯 の 灯 に 顔 を そむけ ながら しくしく と 泣き 始めた 。 ・・
葉子 は もう それ を 止めよう と は し なかった 。 自分 で すら 声 を 出して 泣いて みたい ような 衝動 を つき返し つき返し 水落 の 所 に 感じ ながら 、 火鉢 の 中 を 見入った まま 細かく 震えて いた 。 ・・
生まれかわら なければ 回復 しよう の ない ような 自分 の 越し 方 行く末 が 絶望 的に はっきり と 葉子 の 心 を 寒く 引き締めて いた 。 ・・
それ でも 三 人 が 十六 畳 に 床 を 敷いて 寝て だいぶ たって から 、 横浜 から 帰って 来た 倉地 が 廊下 を 隔てた 隣 の 部屋 に 行く の を 聞き 知る と 、 葉子 は すぐ 起き かえって しばらく 妹 たち の 寝息 気 を うかがって いた が 、 二 人 が いかにも 無心に 赤々 と した 頬 を して よく 寝入って いる の を 見 窮める と 、 そっと どてら を 引っかけ ながら その 部屋 を 脱け出した 。