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或る女 - 有島武郎(アクセス), 17.2 或る女

17.2 或る 女

事務 長 が コップ を 器用に 口 び る に あてて 、 仰向き かげん に 飲みほす 間 、 葉子 は 杯 を 手 に もった まま 、 ぐび り ぐび り と 動く 男 の 喉 を 見つめて いた が 、 いきなり 自分 の 杯 を 飲ま ない まま 盆 の 上 に かえして 、・・

「 よくも あなた は そんなに 平気で いらっしゃる の ね 」・・

と 力 を こめる つもりで いった その 声 は いくじ なく も 泣か ん ばかりに 震えて いた 。 そして 堰 を 切った ように 涙 が 流れ出よう と する の を 糸切り歯 で か みきる ばかりに しいて くいとめた 。 ・・

事務 長 は 驚いた らしかった 。 目 を 大きく して 何 か いおう と する うち に 、 葉子 の 舌 は 自分 でも 思い 設け なかった 情熱 を 帯びて 震え ながら 動いて いた 。 ・・

「 知っています 。 知っています と も ……。 あなた は ほんとに …… ひどい 方 です の ね 。 わたし なんにも 知ら ない と 思って らっしゃる の ね 。 え ゝ 、 わたし は 存じません 、 存じません 、 ほんとに ……」・・ 何 を いう つもりな の か 自分 でも わから なかった 。 ただ 激しい 嫉妬 が 頭 を ぐらぐら さ せる ばかりに 嵩 じ て 来る の を 知っていた 。 男 が ある 機会 に は 手 傷 も 負わ ないで 自分 から 離れて 行く …… そういう いまいましい 予想 で 取り乱されて いた 。 葉子 は 生来 こんな みじめな まっ暗 な 思い に 捕えられた 事 が なかった 。 それ は 生命 が 見 す 見 す 自分 から 離れて 行く の を 見守る ほど みじめ で まっ暗 だった 。 この 人 を 自分 から 離れ さす くらい なら 殺して みせる 、 そう 葉子 は とっさに 思いつめて みたり した 。 ・・

葉子 は もう 我慢 に も そこ に 立って いられ なく なった 。 事務 長 に 倒れかかりたい 衝動 を しいて じっと こらえ ながら 、 きれいに 整えられた 寝 台 に ようやく 腰 を おろした 。 美 妙な 曲線 を 長く 描いて のどかに 開いた 眉 根 は 痛ましく 眉間 に 集まって 、 急に やせた か と 思う ほど 細った 鼻筋 は 恐ろしく 感傷 的な 痛々し さ を その 顔 に 与えた 。 いつ に なく 若々しく 装った 服装 まで が 、 皮肉な 反 語 の ように 小 股 の 切れ あがった や せ 形 な その 肉 を 痛ましく 虐げた 。 長い 袖 の 下 で 両手 の 指 を 折れよ と ばかり 組み合わせて 、 何もかも 裂いて 捨てたい ヒステリック な 衝動 を 懸命に 抑え ながら 、 葉子 は 唾 も 飲みこめ ない ほど 狂 おしく なって しまって いた 。 ・・

事務 長 は 偶然に 不思議 を 見つけた 子供 の ような 好 奇 な あきれた 顔つき を して 、 葉子 の 姿 を 見 やって いた が 、 片方 の スリッパ を 脱ぎ 落とした その 白 足袋 の 足 もと から 、 やや 乱れた 束 髪 まで を しげしげ と 見上げ ながら 、・・

「 どうした ん です 」・・

と いぶかる ごとく 聞いた 。 葉子 は ひったくる ように さ そく に 返事 を しよう と した けれども 、 どうしても それ が でき なかった 。 倉地 は その 様子 を 見る と 今度 は まじめに なった 。 そして 口 の 端 まで 持って行った 葉巻 を そのまま トレイ の 上 に 置いて 立ち上がり ながら 、・・

「 どうした ん です 」・・

と もう 一 度 聞き なおした 。 それ と 同時に 、 葉子 も 思いきり 冷酷に 、・・

「 どう もしや しません 」・・ と いう 事 が できた 。 二 人 の 言葉 が もつれ 返った ように 、 二 人 の 不思議な 感情 も もつれ 合った 。 もう こんな 所 に は いない 、 葉子 は この上 の 圧迫 に は 堪えられ なく なって 、 はなやかな 裾 を 蹴 乱し ながら まっし ぐ ら に 戸口 の ほう に 走り 出よう と した 。 事務 長 は その 瞬間 に 葉子 のな よ や かな 肩 を さえぎり とめた 。 葉子 は さえぎられて 是非 なく 事務 テーブル の そば に 立ちすくんだ が 、 誇り も 恥 も 弱 さ も 忘れて しまって いた 。 どうにでも なれ 、 殺す か 死ぬ か する のだ 、 そんな 事 を 思う ばかりだった 。 こらえ に こらえて いた 涙 を 流れる に 任せ ながら 、 事務 長 の 大きな 手 を 肩 に 感じた まま で 、 しゃくり上げて 恨めし そうに 立って いた が 、 手近に 飾って ある 事務 長 の 家族 の 写真 を 見る と 、 かっと 気 が のぼせて 前後 の わきまえ も なく 、 それ を 引った くる と ともに 両手 に あらん限り の 力 を こめて 、 人殺し でも する ような 気負い で ずたずたに 引き裂いた 。 そして も み く たに なった 写真 の 屑 を 男 の 胸 も 透 れ と 投げつける と 、 写真 の あたった その 所 に かみつき も しか ねま じき 狂乱 の 姿 と なって 、 捨て身 に 武者 ぶり ついた 。 事務 長 は 思わず 身 を 退いて 両手 を 伸ばして 走り よる 葉子 を せき止めよう と した が 、 葉子 は われ に も なく 我 武者 に すり 入って 、 男 の 胸 に 顔 を 伏せた 。 そして 両手 で 肩 の 服地 を 爪 も 立てよ と つかみ ながら 、 しばらく 歯 を くいしばって 震えて いる うち に 、 それ が だんだん すすり泣き に 変わって 行って 、 しまい に に は さめざめ と 声 を 立てて 泣き はじめた 。 そして しばらく は 葉子 の 絶望 的な 泣き声 ばかり が 部屋 の 中 の 静か さ を かき乱して 響いて いた 。 ・・

突然 葉子 は 倉地 の 手 を 自分 の 背中 に 感じて 、 電気 に でも 触れた ように 驚いて 飛びのいた 。 倉地 に 泣き ながら すがりついた 葉子 が 倉地 から どんな もの を 受け取ら ねば なら ぬ か は 知れ きって いた のに 、 優しい 言葉 でも かけて もらえる か の ごとく 振る舞った 自分 の 矛盾 に あきれて 、 恐ろし さ に 両手 で 顔 を おおい ながら 部屋 の すみ に 退って 行った 。 倉地 は すぐ 近寄って 来た 。 葉子 は 猫 に 見込ま れた カナリヤ の ように 身 もだえ し ながら 部屋 の 中 を 逃げ に かかった が 、 事務 長 は 手 も なく 追いすがって 、 葉子 の 二の腕 を 捕えて 力まかせに 引き寄せた 。 葉子 も 本気に あらん限り の 力 を 出して さからった 。 しかし その 時 の 倉地 は もう ふだん の 倉地 で は なく なって いた 。 けさ 写真 を 見て いた 時 、 後ろ から 葉子 を 抱きしめた その 倉地 が 目ざめて いた 。 怒った 野獣 に 見る 狂暴な 、 防ぎ よう の ない 力 が あらし の ように 男 の 五 体 を さいなむ らしく 、 倉地 は その 力 の 下 に うめき もがき ながら 、 葉子 に まっし ぐ ら に つかみ かかった 。 ・・

「 また おれ を ばかに し や がる な 」・・

と いう 言葉 が くいしばった 歯 の 間 から 雷 の ように 葉子 の 耳 を 打った 。 ・・

あ ゝ この 言葉 ―― この むき出しな 有 頂点 な 興奮 した 言葉 こそ 葉子 が 男 の 口 から 確かに 聞こう と 待ち 設けた 言葉 だった のだ 。 葉子 は 乱暴な 抱擁 の 中 に それ を 聞く と ともに 、 心 の すみ に 軽い 余裕 の できた の を 感じて 自分 と いう もの が どこ か の すみ に 頭 を もたげ かけた の を 覚えた 。 倉地 の 取った 態度 に 対して 作為 の ある 応対 が でき そうに さえ なった 。 葉子 は 前 どおり すすり泣き を 続けて は いた が 、 その 涙 の 中 に は もう 偽り の しずく すら まじって いた 。 ・・

「 いやです 放して 」・・

こういった 言葉 も 葉子 に は どこ か 戯曲 的な 不自然な 言葉 だった 。 しかし 倉地 は 反対に 葉子 の 一 語 一 語 に 酔いしれて 見えた 。 ・・

「 だれ が 離す か 」・・

事務 長 の 言葉 は みじめに も かすれ おののいて いた 。 葉子 は どんどん 失った 所 を 取り返して 行く ように 思った 。 そのくせ その 態度 は 反対に ますます たよりな げ な やる 瀬 ない もの に なって いた 。 倉地 の 広い 胸 と 太い 腕 と の 間 に 羽 がい に 抱きしめられ ながら 、 小鳥 の ように ぶるぶる と 震えて 、・・ 「 ほんとうに 離して ください まし 」・・ 「 いやだ よ 」・・

葉子 は 倉地 の 接吻 を 右 に 左 に よけ ながら 、 さらに 激しく すすり泣いた 。 倉地 は 致命 傷 を 受けた 獣 の ように うめいた 。 その 腕 に は 悪魔 の ような 血 の 流れる の が 葉子 に も 感ぜられた 。 葉子 は 程 を 見計らって いた 。 そして 男 の 張りつめた 情 欲 の 糸 が 絶ち 切れ ん ばかりに 緊張 した 時 、 葉子 は ふと 泣きやんで きっと 倉地 の 顔 を 振り 仰いだ 。 その 目 から は 倉地 が 思い も かけ なかった 鋭い 強い 光 が 放たれて いた 。 ・・

「 ほんとうに 放して いただきます 」・・ と きっぱり いって 、 葉子 は 機敏に ちょっと ゆるんだ 倉地 の 手 を すりぬけた 。 そして いち早く 部屋 を 横 筋 かい に 戸口 まで 逃げのびて 、 ハンドル に 手 を かけ ながら 、・・

「 あなた は けさ この 戸 に 鍵 を お かけ に なって 、…… それ は 手 籠 め です …… わたし ……」・・

と いって 少し 情 に 激し て うつむいて また 何 か いい 続けよう と する らしかった が 、 突然 戸 を あけて 出て 行って しまった 。 ・・

取り残さ れた 倉地 は あきれて しばらく 立って いる ようだった が 、 やがて 英語 で 乱暴な 呪 詛 を 口走り ながら 、 いきなり 部屋 を 出て 葉子 の あと を 追って 来た 。 そして まもなく 葉子 の 部屋 の 所 に 来て ノック した 。 葉子 は 鍵 を かけた まま 黙って 答え ないで いた 。 事務 長 は なお 二三 度 ノック を 続けて いた が 、 いきなり 何 か 大声 で 物 を いい ながら 船 医 の 興 録 の 部屋 に は いる の が 聞こえた 。 ・・

葉子 は 興 録 が 事務 長 の さしがね で なんとか いい に 来る だろう と ひそかに 心待ち に して いた 。 ところが なんとも いって 来 ない ばかり か 、 船 医 室 から は 時々 あたり を はばから ない 高 笑い さえ 聞こえて 、 事務 長 は 容易に その 部屋 を 出て 行き そうな 気配 も なかった 。 葉子 は 興奮 に 燃え 立つ いらいら した 心 で そこ に いる 事務 長 の 姿 を いろいろ 想像 して いた 。 ほか の 事 は 一 つ も 頭 の 中 に は は いって 来 なかった 。 そして つくづく 自分 の 心 の 変わり かた の 激し さ に 驚か ず に は いられ なかった 。 「 定子 ! 定子 ! 」 葉子 は 隣 に いる 人 を 呼び出す ような 気 で 小さな 声 を 出して みた 。 その 最愛 の 名 を 声 に まで 出して みて も 、 その 響き の 中 に は 忘れて いた 夢 を 思い出した ほど の 反応 も なかった 。 どう すれば 人 の 心 と いう もの は こんなに まで 変わり果てる もの だろう 。 葉子 は 定子 を あわれむ より も 、 自分 の 心 を あわれむ ため に 涙ぐんで しまった 。 そして なんの 気 なし に 小 卓 の 前 に 腰 を かけて 、 大切な もの の 中 に しまって おいた 、 その ころ 日本 で は 珍しい ファウンテン ・ ペン を 取り出して 、 筆 の 動く まま に そこ に あった 紙 きれ に 字 を 書いて みた 。 ・・

「 女 の 弱き 心 に つけ入り た もう は あまりに 酷 き お 心 と ただ 恨めしく 存じ 参ら せ 候 妾 の 運命 は この 船 に 結ばれ たる 奇 し きえ に しや 候 いけん 心 がら と は 申せ 今 は 過去 の すべて 未来 の すべて を 打ち捨てて ただ 目の前 の 恥ずかしき 思い に 漂う ばかりなる 根 なし 草 の 身 と なり果て 参ら せ 候 を 事もなげに 見 やり た もう が 恨めしく 恨めしく 死 」・・

と なんの くふう も なく 、 よく 意味 も わから ないで 一 瀉 千里 に 書き 流して 来た が 、「 死 」 と いう 字 に 来る と 、 葉子 は ペン も 折れよ と いらいら しく その 上 を 塗り 消した 。 思い の まま を 事務 長 に いって やる の は 、 思い 存分 自分 を もてあそべ と いって やる の と 同じ 事 だった 。 葉子 は 怒り に 任せて 余白 を 乱暴に いたずら 書き で よごして いた 。 ・・

と 、 突然 船 医 の 部屋 から 高々 と 倉地 の 笑い声 が 聞こえて 来た 。 葉子 は われ に も なく 頭 を 上げて 、 しばらく 聞き 耳 を 立てて から 、 そっと 戸口 に 歩み寄った が 、 あと は それなり また 静かに なった 。 ・・

葉子 は 恥ずかし げ に 座 に 戻った 。 そして 紙 の 上 に 思い出す まま に 勝手な 字 を 書いたり 、 形 の 知れ ない 形 を 書いて みたり し ながら 、 ずきん ずきん と 痛む 頭 を ぎゅっと 肘 を ついた 片手 で 押えて なんという 事 も なく 考え つづけた 。 ・・

念 が 届けば 木村 に も 定子 に も なんの 用 が あろう 。 倉地 の 心 さえ つかめば あと は 自分 の 意地 一 つ だ 。 そうだ 。 念 が 届か なければ …… 念 が 届か なければ …… 届か なければ あらゆる もの に 用 が なくなる のだ 。 そう したら 美しく 死のう ねえ 。 …… どうして …… 私 は どうして …… けれども …… 葉子 は いつのまにか 純粋に 感傷 的に なって いた 。 自分 に も こんな お ぼ こな 思い が 潜んで いた か と 思う と 、 抱いて なで さ すって やりたい ほど 自分 が かわ ゆく も あった 。 そして 木部 と 別れて 以来 絶えて 味わわ なかった この 甘い 情緒 に 自分 から ほだされ おぼれて 、 心中 でも する 人 の ような 、 恋 に 身 を まかせる 心安 さ に ひたり ながら 小机 に 突っ伏して しまった 。 ・・

やがて 酔いつぶれた 人 の ように 頭 を もたげた 時 は 、 とうに 日 が かげって 部屋 の 中 に は はなやかに 電 燈 が と もって いた 。 ・・

いきなり 船 医 の 部屋 の 戸 が 乱暴に 開か れる 音 が した 。 葉子 は はっと 思った 。 その 時 葉子 の 部屋 の 戸 に ど たり と 突きあたった 人 の 気配 が して 、「 早月 さん 」 と 濁って 塩 が れた 事務 長 の 声 が した 。 葉子 は 身 の すくむ ような 衝動 を 受けて 、 思わず 立ち上がって たじろぎ ながら 部屋 の すみ に 逃げ かくれた 。 そして からだ じゅう を 耳 の ように して いた 。 ・・

「 早月 さん お 願い だ 。 ちょっと あけて ください 」・・

葉子 は 手早く 小机 の 上 の 紙 を 屑 かご に なげすてて 、 ファウンテン ・ ペン を 物陰 に ほうりこんだ 。 そして せかせか と あたり を 見回した が 、 あわて ながら 眼 窓 の カーテン を しめきった 。 そして また 立ちすくんだ 、 自分 の 心 の 恐ろし さ に まどい ながら 。 ・・

外部 で は 握り拳 で 続け さま に 戸 を たたいて いる 。 葉子 は そわそわ と 裾 前 を かき 合わせて 、 肩 越し に 鏡 を 見 やり ながら 涙 を ふいて 眉 を な で つけた 。 ・・

「 早月 さん 」・・

葉子 は やや しばし とつ お いつ 躊躇 して いた が 、 とうとう 決心 して 、 何 か あわて くさって 、 鍵 を がちがち やり ながら 戸 を あけた 。 ・・

事務 長 は ひどく 酔って は いって 来た 。 どんなに 飲んで も 顔色 も かえ ない ほど の 強 酒 な 倉地 が 、 こんなに 酔う の は 珍しい 事 だった 。 締めきった 戸 に 仁王立ち に よりかかって 、 冷 然 と した 様子 で 離れて 立つ 葉子 を まじまじ と 見すえ ながら 、・・

「 葉子 さん 、 葉子 さん が 悪ければ 早月 さん だ 。 早月 さん …… 僕 の する 事 は する だけ の 覚悟 が あって する んです よ 。 僕 は ね 、 横浜 以来 あなた に 惚れて いた んだ 。 それ が わから ない あなた じゃ ない でしょう 。 暴力 ? 暴力 が なんだ 。 暴力 は 愚かな こった 。 殺し たく なれば 殺して も 進 ん ぜ る よ 」・・

葉子 は その 最後 の 言葉 を 聞く と 瞑 眩 を 感ずる ほど 有頂天に なった 。 ・・

「 あなた に 木村 さん と いう の が 付いて る くらい は 、 横浜 の 支店 長 から 聞か さ れ とる んだ が 、 どんな 人 だ か 僕 は もちろん 知りません さ 。 知ら ん が 僕 の ほう が あなた に 深 惚れ し とる 事 だけ は 、 この 胸 三 寸 で ちゃんと 知っと る んだ 。 それ 、 それ が わから ん ? 僕 は 恥 も 何も さらけ出して いっとる んです よ 。 これ でも わから んです か 」・・

葉子 は 目 を かがやかし ながら 、 その 言葉 を むさぼった 。 かみしめた 。 そして のみ込んだ 。 ・・

こうして 葉子 に 取って 運命 的な 一 日 は 過ぎた 。


17.2 或る 女 ある|おんな 17.2 Una mujer

事務 長 が コップ を 器用に 口 び る に あてて 、 仰向き かげん に 飲みほす 間 、 葉子 は 杯 を 手 に もった まま 、 ぐび り ぐび り と 動く 男 の 喉 を 見つめて いた が 、 いきなり 自分 の 杯 を 飲ま ない まま 盆 の 上 に かえして 、・・ じむ|ちょう||こっぷ||きように|くち|||||あおむき|||のみほす|あいだ|ようこ||さかずき||て|||||||||うごく|おとこ||のど||みつめて||||じぶん||さかずき||のま|||ぼん||うえ|| While the secretary cleverly held the cup to his mouth and sat on his back to drink it all down, Yoko, still holding the cup in her hand, stared at the man's choking throat. I put it back on the tray without drinking it...

「 よくも あなた は そんなに 平気で いらっしゃる の ね 」・・ ||||へいきで|||

と 力 を こめる つもりで いった その 声 は いくじ なく も 泣か ん ばかりに 震えて いた 。 |ちから||||||こえ|||||なか|||ふるえて| I intended to put all my strength into it, but my voice was trembling as though I was about to cry. そして 堰 を 切った ように 涙 が 流れ出よう と する の を 糸切り歯 で か みきる ばかりに しいて くいとめた 。 |せき||きった||なみだ||ながれでよう|||||いときりば|||||| Then, as if a dam had broken, the tears were about to flow out, but I stopped them by biting them off with my thread cutting teeth. ・・

事務 長 は 驚いた らしかった 。 じむ|ちょう||おどろいた| 目 を 大きく して 何 か いおう と する うち に 、 葉子 の 舌 は 自分 でも 思い 設け なかった 情熱 を 帯びて 震え ながら 動いて いた 。 め||おおきく||なん|||||||ようこ||した||じぶん||おもい|もうけ||じょうねつ||おびて|ふるえ||うごいて| ・・

「 知っています 。 しってい ます 知っています と も ……。 しってい ます|| あなた は ほんとに …… ひどい 方 です の ね 。 ||||かた||| わたし なんにも 知ら ない と 思って らっしゃる の ね 。 ||しら|||おもって||| え ゝ 、 わたし は 存じません 、 存じません 、 ほんとに ……」・・   何 を いう つもりな の か 自分 でも わから なかった 。 ||||ぞんじ ませ ん|ぞんじ ませ ん||なん||||||じぶん||| ただ 激しい 嫉妬 が 頭 を ぐらぐら さ せる ばかりに 嵩 じ て 来る の を 知っていた 。 |はげしい|しっと||あたま||||||かさみ|||くる|||しっていた I just knew that intense jealousy would build up to the point of making my head spin. 男 が ある 機会 に は 手 傷 も 負わ ないで 自分 から 離れて 行く …… そういう いまいましい 予想 で 取り乱されて いた 。 おとこ|||きかい|||て|きず||おわ||じぶん||はなれて|いく|||よそう||とりみださ れて| 葉子 は 生来 こんな みじめな まっ暗 な 思い に 捕えられた 事 が なかった 。 ようこ||せいらい|||まっ くら||おもい||とらえ られた|こと|| Ever since Yoko was born, she had never been gripped by such a miserable darkness. それ は 生命 が 見 す 見 す 自分 から 離れて 行く の を 見守る ほど みじめ で まっ暗 だった 。 ||せいめい||み||み||じぶん||はなれて|いく|||みまもる||||まっ くら| It was so miserable and dark that I watched life turn away from me. この 人 を 自分 から 離れ さす くらい なら 殺して みせる 、 そう 葉子 は とっさに 思いつめて みたり した 。 |じん||じぶん||はなれ||||ころして|||ようこ|||おもいつめて|| Yoko thought to herself, "I'd rather kill him than force him away from me." ・・

葉子 は もう 我慢 に も そこ に 立って いられ なく なった 。 ようこ|||がまん|||||たって|いら れ|| 事務 長 に 倒れかかりたい 衝動 を しいて じっと こらえ ながら 、 きれいに 整えられた 寝 台 に ようやく 腰 を おろした 。 じむ|ちょう||たおれかかり たい|しょうどう|||||||ととのえ られた|ね|だい|||こし|| 美 妙な 曲線 を 長く 描いて のどかに 開いた 眉 根 は 痛ましく 眉間 に 集まって 、 急に やせた か と 思う ほど 細った 鼻筋 は 恐ろしく 感傷 的な 痛々し さ を その 顔 に 与えた 。 び|みょうな|きょくせん||ながく|えがいて||あいた|まゆ|ね||いたましく|みけん||あつまって|きゅうに||||おもう||ほそった|はなすじ||おそろしく|かんしょう|てきな|いたいたし||||かお||あたえた His long, gracefully curved eyebrows were pitifully gathered between his eyebrows, and his nose, which had become so narrow that it seemed as if he had suddenly lost weight, gave his face a terrifyingly sentimental pain. いつ に なく 若々しく 装った 服装 まで が 、 皮肉な 反 語 の ように 小 股 の 切れ あがった や せ 形 な その 肉 を 痛ましく 虐げた 。 |||わかわかしく|よそおった|ふくそう|||ひにくな|はん|ご|||しょう|また||きれ||||かた|||にく||いたましく|しいたげた Even her uncharacteristically youthful clothes, like a sarcastic antonym, pitifully oppressed her skinny flesh with short legs. 長い 袖 の 下 で 両手 の 指 を 折れよ と ばかり 組み合わせて 、 何もかも 裂いて 捨てたい ヒステリック な 衝動 を 懸命に 抑え ながら 、 葉子 は 唾 も 飲みこめ ない ほど 狂 おしく なって しまって いた 。 ながい|そで||した||りょうて||ゆび||おれよ|||くみあわせて|なにもかも|さいて|すて たい|||しょうどう||けんめいに|おさえ||ようこ||つば||のみこめ|||くる|||| Beneath her long sleeves, her fingers were interlaced as if to break them, and as she struggled to suppress the hysterical urge to tear everything and throw it away, Yoko went mad to the point of being unable to swallow her saliva. ・・

事務 長 は 偶然に 不思議 を 見つけた 子供 の ような 好 奇 な あきれた 顔つき を して 、 葉子 の 姿 を 見 やって いた が 、 片方 の スリッパ を 脱ぎ 落とした その 白 足袋 の 足 もと から 、 やや 乱れた 束 髪 まで を しげしげ と 見上げ ながら 、・・ じむ|ちょう||ぐうぜんに|ふしぎ||みつけた|こども|||よしみ|き|||かおつき|||ようこ||すがた||み||||かたほう||すりっぱ||ぬぎ|おとした||しろ|たび||あし||||みだれた|たば|かみ|||||みあげ| The secretary-general looked at Yoko with a curious expression on his face, like a child who had discovered something strange by chance. Looking up at her disheveled hair,...

「 どうした ん です 」・・

と いぶかる ごとく 聞いた 。 |||きいた 葉子 は ひったくる ように さ そく に 返事 を しよう と した けれども 、 どうしても それ が でき なかった 。 ようこ|||||||へんじ|||||||||| Yoko tried to reply as quickly as possible, but she just couldn't do it. 倉地 は その 様子 を 見る と 今度 は まじめに なった 。 くらち|||ようす||みる||こんど||| そして 口 の 端 まで 持って行った 葉巻 を そのまま トレイ の 上 に 置いて 立ち上がり ながら 、・・ |くち||はし||もっていった|はまき|||||うえ||おいて|たちあがり|

「 どうした ん です 」・・

と もう 一 度 聞き なおした 。 ||ひと|たび|きき|なお した それ と 同時に 、 葉子 も 思いきり 冷酷に 、・・ ||どうじに|ようこ||おもいきり|れいこくに

「 どう もしや しません 」・・   と いう 事 が できた 。 ||し ませ ん|||こと|| I was able to say, "I don't know what to do." 二 人 の 言葉 が もつれ 返った ように 、 二 人 の 不思議な 感情 も もつれ 合った 。 ふた|じん||ことば|||かえった||ふた|じん||ふしぎな|かんじょう|||あった もう こんな 所 に は いない 、 葉子 は この上 の 圧迫 に は 堪えられ なく なって 、 はなやかな 裾 を 蹴 乱し ながら まっし ぐ ら に 戸口 の ほう に 走り 出よう と した 。 ||しょ||||ようこ||このうえ||あっぱく|||こらえ られ||||すそ||け|みだし||まっ し||||とぐち||||はしり|でよう|| No longer in such a place, Yoko could no longer endure the pressure, and tried to run straight toward the door, kicking her gorgeous hem. 事務 長 は その 瞬間 に 葉子 のな よ や かな 肩 を さえぎり とめた 。 じむ|ちょう|||しゅんかん||ようこ|||||かた||| 葉子 は さえぎられて 是非 なく 事務 テーブル の そば に 立ちすくんだ が 、 誇り も 恥 も 弱 さ も 忘れて しまって いた 。 ようこ||さえぎら れて|ぜひ||じむ|てーぶる||||たちすくんだ||ほこり||はじ||じゃく|||わすれて|| どうにでも なれ 、 殺す か 死ぬ か する のだ 、 そんな 事 を 思う ばかりだった 。 ||ころす||しぬ|||||こと||おもう| こらえ に こらえて いた 涙 を 流れる に 任せ ながら 、 事務 長 の 大きな 手 を 肩 に 感じた まま で 、 しゃくり上げて 恨めし そうに 立って いた が 、 手近に 飾って ある 事務 長 の 家族 の 写真 を 見る と 、 かっと 気 が のぼせて 前後 の わきまえ も なく 、 それ を 引った くる と ともに 両手 に あらん限り の 力 を こめて 、 人殺し でも する ような 気負い で ずたずたに 引き裂いた 。 ||||なみだ||ながれる||まかせ||じむ|ちょう||おおきな|て||かた||かんじた|||しゃくりあげて|うらめし|そう に|たって|||てぢかに|かざって||じむ|ちょう||かぞく||しゃしん||みる||か っと|き|||ぜんご|||||||ひ った||||りょうて||あらんかぎり||ちから|||ひとごろし||||きおい|||ひきさいた Letting the tears that I had been holding back flow, I felt the secretary's big hand on my shoulder and stood sobbing and resenting. In a fit of rage, I didn't know what to do next, so I grabbed it with both hands and with all my might, I tore it to shreds with the ambition of a murderer. そして も み く たに なった 写真 の 屑 を 男 の 胸 も 透 れ と 投げつける と 、 写真 の あたった その 所 に かみつき も しか ねま じき 狂乱 の 姿 と なって 、 捨て身 に 武者 ぶり ついた 。 ||||||しゃしん||くず||おとこ||むね||とおる|||なげつける||しゃしん||||しょ|||||||きょうらん||すがた|||すてみ||むしゃ|| Then, when he threw the crumbs of the photo into the man's chest, he became so frenzied that he could even bite the spot where the photograph hit, and desperately attacked the warrior. 事務 長 は 思わず 身 を 退いて 両手 を 伸ばして 走り よる 葉子 を せき止めよう と した が 、 葉子 は われ に も なく 我 武者 に すり 入って 、 男 の 胸 に 顔 を 伏せた 。 じむ|ちょう||おもわず|み||しりぞいて|りょうて||のばして|はしり||ようこ||せきとめよう||||ようこ||||||われ|むしゃ|||はいって|おとこ||むね||かお||ふせた The secretary instinctively backed away and stretched out both hands to try to stop Yoko from running, but Yoko slipped into the warrior and fell face down on the man's chest. そして 両手 で 肩 の 服地 を 爪 も 立てよ と つかみ ながら 、 しばらく 歯 を くいしばって 震えて いる うち に 、 それ が だんだん すすり泣き に 変わって 行って 、 しまい に に は さめざめ と 声 を 立てて 泣き はじめた 。 |りょうて||かた||ふくじ||つめ||たてよ|||||は|||ふるえて|||||||すすりなき||かわって|おこなって|||||||こえ||たてて|なき| そして しばらく は 葉子 の 絶望 的な 泣き声 ばかり が 部屋 の 中 の 静か さ を かき乱して 響いて いた 。 |||ようこ||ぜつぼう|てきな|なきごえ|||へや||なか||しずか|||かきみだして|ひびいて| ・・

突然 葉子 は 倉地 の 手 を 自分 の 背中 に 感じて 、 電気 に でも 触れた ように 驚いて 飛びのいた 。 とつぜん|ようこ||くらち||て||じぶん||せなか||かんじて|でんき|||ふれた||おどろいて|とびのいた 倉地 に 泣き ながら すがりついた 葉子 が 倉地 から どんな もの を 受け取ら ねば なら ぬ か は 知れ きって いた のに 、 優しい 言葉 でも かけて もらえる か の ごとく 振る舞った 自分 の 矛盾 に あきれて 、 恐ろし さ に 両手 で 顔 を おおい ながら 部屋 の すみ に 退って 行った 。 くらち||なき|||ようこ||くらち|||||うけとら||||||しれ||||やさしい|ことば|||||||ふるまった|じぶん||むじゅん|||おそろし|||りょうて||かお||||へや||||しりぞ って|おこなった Yoko, who clung to Kurachi in tears, was astounded by her own contradiction and acted as if she would receive kind words from Kurachi, even though she knew exactly what she had to receive from Kurachi. I withdrew to a corner of the room while covering the 倉地 は すぐ 近寄って 来た 。 くらち|||ちかよって|きた 葉子 は 猫 に 見込ま れた カナリヤ の ように 身 もだえ し ながら 部屋 の 中 を 逃げ に かかった が 、 事務 長 は 手 も なく 追いすがって 、 葉子 の 二の腕 を 捕えて 力まかせに 引き寄せた 。 ようこ||ねこ||みこま|||||み||||へや||なか||にげ||||じむ|ちょう||て|||おいすがって|ようこ||にのうで||とらえて|ちからまかせに|ひきよせた Writhing like a canary caught by a cat, Yoko fled through the room, but the office manager chased after her helplessly, grabbed her by the two arms, and pulled her with all his might. 葉子 も 本気に あらん限り の 力 を 出して さからった 。 ようこ||ほんきに|あらんかぎり||ちから||だして| しかし その 時 の 倉地 は もう ふだん の 倉地 で は なく なって いた 。 ||じ||くらち|||||くらち||||| けさ 写真 を 見て いた 時 、 後ろ から 葉子 を 抱きしめた その 倉地 が 目ざめて いた 。 |しゃしん||みて||じ|うしろ||ようこ||だきしめた||くらち||めざめて| 怒った 野獣 に 見る 狂暴な 、 防ぎ よう の ない 力 が あらし の ように 男 の 五 体 を さいなむ らしく 、 倉地 は その 力 の 下 に うめき もがき ながら 、 葉子 に まっし ぐ ら に つかみ かかった 。 いかった|やじゅう||みる|きょうぼうな|ふせぎ||||ちから|||||おとこ||いつ|からだ||||くらち|||ちから||した|||||ようこ||まっ し||||| The ferocious, unstoppable power of an enraged beast shook the man's body like a hurricane, and Kurachi groaned and writhed under that power as he grabbed Yoko squarely. ・・

「 また おれ を ばかに し や がる な 」・・ "Don't make fun of me again"

と いう 言葉 が くいしばった 歯 の 間 から 雷 の ように 葉子 の 耳 を 打った 。 ||ことば|||は||あいだ||かみなり|||ようこ||みみ||うった ・・

あ ゝ この 言葉 ―― この むき出しな 有 頂点 な 興奮 した 言葉 こそ 葉子 が 男 の 口 から 確かに 聞こう と 待ち 設けた 言葉 だった のだ 。 |||ことば||むきだしな|ゆう|ちょうてん||こうふん||ことば||ようこ||おとこ||くち||たしかに|きこう||まち|もうけた|ことば|| 葉子 は 乱暴な 抱擁 の 中 に それ を 聞く と ともに 、 心 の すみ に 軽い 余裕 の できた の を 感じて 自分 と いう もの が どこ か の すみ に 頭 を もたげ かけた の を 覚えた 。 ようこ||らんぼうな|ほうよう||なか||||きく|||こころ||||かるい|よゆう|||||かんじて|じぶん||||||||||あたま||||||おぼえた 倉地 の 取った 態度 に 対して 作為 の ある 応対 が でき そうに さえ なった 。 くらち||とった|たいど||たいして|さくい|||おうたい|||そう に|| 葉子 は 前 どおり すすり泣き を 続けて は いた が 、 その 涙 の 中 に は もう 偽り の しずく すら まじって いた 。 ようこ||ぜん||すすりなき||つづけて|||||なみだ||なか||||いつわり||||| Yoko continued to sob as before, but her tears were already mixed with deceitful drops. ・・

「 いやです 放して 」・・ |はなして

こういった 言葉 も 葉子 に は どこ か 戯曲 的な 不自然な 言葉 だった 。 |ことば||ようこ|||||ぎきょく|てきな|ふしぜんな|ことば| しかし 倉地 は 反対に 葉子 の 一 語 一 語 に 酔いしれて 見えた 。 |くらち||はんたいに|ようこ||ひと|ご|ひと|ご||よいしれて|みえた ・・

「 だれ が 離す か 」・・ ||はなす|

事務 長 の 言葉 は みじめに も かすれ おののいて いた 。 じむ|ちょう||ことば|||||| 葉子 は どんどん 失った 所 を 取り返して 行く ように 思った 。 ようこ|||うしなった|しょ||とりかえして|いく||おもった そのくせ その 態度 は 反対に ますます たよりな げ な やる 瀬 ない もの に なって いた 。 ||たいど||はんたいに||||||せ||||| 倉地 の 広い 胸 と 太い 腕 と の 間 に 羽 がい に 抱きしめられ ながら 、 小鳥 の ように ぶるぶる と 震えて 、・・  「 ほんとうに 離して ください まし 」・・ くらち||ひろい|むね||ふとい|うで|||あいだ||はね|||だきしめ られ||ことり|||||ふるえて||はなして|| 「 いやだ よ 」・・

葉子 は 倉地 の 接吻 を 右 に 左 に よけ ながら 、 さらに 激しく すすり泣いた 。 ようこ||くらち||せっぷん||みぎ||ひだり|||||はげしく|すすりないた 倉地 は 致命 傷 を 受けた 獣 の ように うめいた 。 くらち||ちめい|きず||うけた|けだもの||| その 腕 に は 悪魔 の ような 血 の 流れる の が 葉子 に も 感ぜられた 。 |うで|||あくま|||ち||ながれる|||ようこ|||かんぜ られた 葉子 は 程 を 見計らって いた 。 ようこ||ほど||みはからって| そして 男 の 張りつめた 情 欲 の 糸 が 絶ち 切れ ん ばかりに 緊張 した 時 、 葉子 は ふと 泣きやんで きっと 倉地 の 顔 を 振り 仰いだ 。 |おとこ||はりつめた|じょう|よく||いと||たち|きれ|||きんちょう||じ|ようこ|||なきやんで||くらち||かお||ふり|あおいだ その 目 から は 倉地 が 思い も かけ なかった 鋭い 強い 光 が 放たれて いた 。 |め|||くらち||おもい||||するどい|つよい|ひかり||はなた れて| ・・

「 ほんとうに 放して いただきます 」・・   と きっぱり いって 、 葉子 は 機敏に ちょっと ゆるんだ 倉地 の 手 を すりぬけた 。 |はなして|いただき ます||||ようこ||きびんに|||くらち||て|| そして いち早く 部屋 を 横 筋 かい に 戸口 まで 逃げのびて 、 ハンドル に 手 を かけ ながら 、・・ |いちはやく|へや||よこ|すじ|||とぐち||にげのびて|はんどる||て|||

「 あなた は けさ この 戸 に 鍵 を お かけ に なって 、…… それ は 手 籠 め です …… わたし ……」・・ ||||と||かぎ||||||||て|かご||| "You locked the door this morning...it's a gauntlet...I..."...

と いって 少し 情 に 激し て うつむいて また 何 か いい 続けよう と する らしかった が 、 突然 戸 を あけて 出て 行って しまった 。 ||すこし|じょう||はげし||||なん|||つづけよう|||||とつぜん|と|||でて|おこなって| ・・

取り残さ れた 倉地 は あきれて しばらく 立って いる ようだった が 、 やがて 英語 で 乱暴な 呪 詛 を 口走り ながら 、 いきなり 部屋 を 出て 葉子 の あと を 追って 来た 。 とりのこさ||くらち||||たって|||||えいご||らんぼうな|まじない|のろ||くちばしり|||へや||でて|ようこ||||おって|きた そして まもなく 葉子 の 部屋 の 所 に 来て ノック した 。 ||ようこ||へや||しょ||きて|| 葉子 は 鍵 を かけた まま 黙って 答え ないで いた 。 ようこ||かぎ||||だまって|こたえ|| 事務 長 は なお 二三 度 ノック を 続けて いた が 、 いきなり 何 か 大声 で 物 を いい ながら 船 医 の 興 録 の 部屋 に は いる の が 聞こえた 。 じむ|ちょう|||ふみ|たび|||つづけて||||なん||おおごえ||ぶつ||||せん|い||きょう|ろく||へや||||||きこえた ・・

葉子 は 興 録 が 事務 長 の さしがね で なんとか いい に 来る だろう と ひそかに 心待ち に して いた 。 ようこ||きょう|ろく||じむ|ちょう|||||||くる||||こころまち||| Yoko was secretly looking forward to Koroku's arrival at the office manager's request. ところが なんとも いって 来 ない ばかり か 、 船 医 室 から は 時々 あたり を はばから ない 高 笑い さえ 聞こえて 、 事務 長 は 容易に その 部屋 を 出て 行き そうな 気配 も なかった 。 |||らい||||せん|い|しつ|||ときどき|||はば から||たか|わらい||きこえて|じむ|ちょう||よういに||へや||でて|いき|そう な|けはい|| 葉子 は 興奮 に 燃え 立つ いらいら した 心 で そこ に いる 事務 長 の 姿 を いろいろ 想像 して いた 。 ようこ||こうふん||もえ|たつ|||こころ|||||じむ|ちょう||すがた|||そうぞう|| ほか の 事 は 一 つ も 頭 の 中 に は は いって 来 なかった 。 ||こと||ひと|||あたま||なか|||||らい| そして つくづく 自分 の 心 の 変わり かた の 激し さ に 驚か ず に は いられ なかった 。 ||じぶん||こころ||かわり|||はげし|||おどろか||||いら れ| 「 定子 ! さだこ 定子 ! さだこ 」 葉子 は 隣 に いる 人 を 呼び出す ような 気 で 小さな 声 を 出して みた 。 ようこ||となり|||じん||よびだす||き||ちいさな|こえ||だして| その 最愛 の 名 を 声 に まで 出して みて も 、 その 響き の 中 に は 忘れて いた 夢 を 思い出した ほど の 反応 も なかった 。 |さいあい||な||こえ|||だして||||ひびき||なか|||わすれて||ゆめ||おもいだした|||はんのう|| どう すれば 人 の 心 と いう もの は こんなに まで 変わり果てる もの だろう 。 ||じん||こころ|||||||かわりはてる|| 葉子 は 定子 を あわれむ より も 、 自分 の 心 を あわれむ ため に 涙ぐんで しまった 。 ようこ||さだこ|||||じぶん||こころ|||||なみだぐんで| そして なんの 気 なし に 小 卓 の 前 に 腰 を かけて 、 大切な もの の 中 に しまって おいた 、 その ころ 日本 で は 珍しい ファウンテン ・ ペン を 取り出して 、 筆 の 動く まま に そこ に あった 紙 きれ に 字 を 書いて みた 。 ||き|||しょう|すぐる||ぜん||こし|||たいせつな|||なか||||||にっぽん|||めずらしい||ぺん||とりだして|ふで||うごく||||||かみ|||あざ||かいて| ・・

「 女 の 弱き 心 に つけ入り た もう は あまりに 酷 き お 心 と ただ 恨めしく 存じ 参ら せ 候 妾 の 運命 は この 船 に 結ばれ たる 奇 し きえ に しや 候 いけん 心 がら と は 申せ 今 は 過去 の すべて 未来 の すべて を 打ち捨てて ただ 目の前 の 恥ずかしき 思い に 漂う ばかりなる 根 なし 草 の 身 と なり果て 参ら せ 候 を 事もなげに 見 やり た もう が 恨めしく 恨めしく 死 」・・ おんな||よわき|こころ||つけいり|||||こく|||こころ|||うらめしく|ぞんじ|まいら||こう|めかけ||うんめい|||せん||むすばれ||き|||||こう||こころ||||もうせ|いま||かこ|||みらい||||うちすてて||めのまえ||はずかしき|おもい||ただよう||ね||くさ||み||なりはて|まいら||こう||こともなげに|み|||||うらめしく|うらめしく|し "Taking advantage of a woman's weak heart is just too cruel, and I feel resentful. My destiny is tied to this ship. Throwing away everything in the future and becoming a rootless plant that just drifts in the shame before my eyes.

と なんの くふう も なく 、 よく 意味 も わから ないで 一 瀉 千里 に 書き 流して 来た が 、「 死 」 と いう 字 に 来る と 、 葉子 は ペン も 折れよ と いらいら しく その 上 を 塗り 消した 。 ||||||いみ||||ひと|しゃ|ちさと||かき|ながして|きた||し|||あざ||くる||ようこ||ぺん||おれよ|||||うえ||ぬり|けした 思い の まま を 事務 長 に いって やる の は 、 思い 存分 自分 を もてあそべ と いって やる の と 同じ 事 だった 。 おもい||||じむ|ちょう||||||おもい|ぞんぶん|じぶん||||||||おなじ|こと| 葉子 は 怒り に 任せて 余白 を 乱暴に いたずら 書き で よごして いた 。 ようこ||いかり||まかせて|よはく||らんぼうに||かき||| In her anger, Yoko scribbled wildly in the margins. ・・

と 、 突然 船 医 の 部屋 から 高々 と 倉地 の 笑い声 が 聞こえて 来た 。 |とつぜん|せん|い||へや||たかだか||くらち||わらいごえ||きこえて|きた 葉子 は われ に も なく 頭 を 上げて 、 しばらく 聞き 耳 を 立てて から 、 そっと 戸口 に 歩み寄った が 、 あと は それなり また 静かに なった 。 ようこ||||||あたま||あげて||きき|みみ||たてて|||とぐち||あゆみよった||||||しずかに| ・・

葉子 は 恥ずかし げ に 座 に 戻った 。 ようこ||はずかし|||ざ||もどった そして 紙 の 上 に 思い出す まま に 勝手な 字 を 書いたり 、 形 の 知れ ない 形 を 書いて みたり し ながら 、 ずきん ずきん と 痛む 頭 を ぎゅっと 肘 を ついた 片手 で 押えて なんという 事 も なく 考え つづけた 。 |かみ||うえ||おもいだす|||かってな|あざ||かいたり|かた||しれ||かた||かいて|||||||いたむ|あたま|||ひじ|||かたて||おさえて||こと|||かんがえ| ・・

念 が 届けば 木村 に も 定子 に も なんの 用 が あろう 。 ねん||とどけば|きむら|||さだこ||||よう|| 倉地 の 心 さえ つかめば あと は 自分 の 意地 一 つ だ 。 くらち||こころ|||||じぶん||いじ|ひと|| そうだ 。 そう だ 念 が 届か なければ …… 念 が 届か なければ …… 届か なければ あらゆる もの に 用 が なくなる のだ 。 ねん||とどか||ねん||とどか||とどか|||||よう||| If your thoughts don't reach you...if your thoughts don't reach you...if you don't reach them, everything will be useless. そう したら 美しく 死のう ねえ 。 ||うつくしく|しのう| …… どうして …… 私 は どうして …… けれども …… 葉子 は いつのまにか 純粋に 感傷 的に なって いた 。 |わたくし||||ようこ|||じゅんすいに|かんしょう|てきに|| 自分 に も こんな お ぼ こな 思い が 潜んで いた か と 思う と 、 抱いて なで さ すって やりたい ほど 自分 が かわ ゆく も あった 。 じぶん|||||||おもい||ひそんで||||おもう||いだいて|な で|||やり たい||じぶん||||| そして 木部 と 別れて 以来 絶えて 味わわ なかった この 甘い 情緒 に 自分 から ほだされ おぼれて 、 心中 でも する 人 の ような 、 恋 に 身 を まかせる 心安 さ に ひたり ながら 小机 に 突っ伏して しまった 。 |きべ||わかれて|いらい|たえて|あじわわ|||あまい|じょうちょ||じぶん||||しんじゅう|||じん|||こい||み|||こころやす|||||こづくえ||つ っ ふくして| I was so touched by this sweet feeling that I hadn't tasted since I parted with Kibe. ・・

やがて 酔いつぶれた 人 の ように 頭 を もたげた 時 は 、 とうに 日 が かげって 部屋 の 中 に は はなやかに 電 燈 が と もって いた 。 |よいつぶれた|じん|||あたま|||じ|||ひ|||へや||なか||||いなずま|とも|||| ・・

いきなり 船 医 の 部屋 の 戸 が 乱暴に 開か れる 音 が した 。 |せん|い||へや||と||らんぼうに|あか||おと|| 葉子 は はっと 思った 。 ようこ|||おもった その 時 葉子 の 部屋 の 戸 に ど たり と 突きあたった 人 の 気配 が して 、「 早月 さん 」 と 濁って 塩 が れた 事務 長 の 声 が した 。 |じ|ようこ||へや||と|||||つきあたった|じん||けはい|||さつき|||にごって|しお|||じむ|ちょう||こえ|| 葉子 は 身 の すくむ ような 衝動 を 受けて 、 思わず 立ち上がって たじろぎ ながら 部屋 の すみ に 逃げ かくれた 。 ようこ||み||||しょうどう||うけて|おもわず|たちあがって|||へや||||にげ| そして からだ じゅう を 耳 の ように して いた 。 ||||みみ|||| ・・

「 早月 さん お 願い だ 。 さつき|||ねがい| ちょっと あけて ください 」・・

葉子 は 手早く 小机 の 上 の 紙 を 屑 かご に なげすてて 、 ファウンテン ・ ペン を 物陰 に ほうりこんだ 。 ようこ||てばやく|こづくえ||うえ||かみ||くず|||||ぺん||ものかげ|| そして せかせか と あたり を 見回した が 、 あわて ながら 眼 窓 の カーテン を しめきった 。 |||||みまわした||||がん|まど||かーてん|| そして また 立ちすくんだ 、 自分 の 心 の 恐ろし さ に まどい ながら 。 ||たちすくんだ|じぶん||こころ||おそろし|||| ・・

外部 で は 握り拳 で 続け さま に 戸 を たたいて いる 。 がいぶ|||にぎりこぶし||つづけ|||と||| 葉子 は そわそわ と 裾 前 を かき 合わせて 、 肩 越し に 鏡 を 見 やり ながら 涙 を ふいて 眉 を な で つけた 。 ようこ||||すそ|ぜん|||あわせて|かた|こし||きよう||み|||なみだ|||まゆ|||| Yoko frantically rubbed her hem and looked over her shoulder in the mirror, wiping away her tears and slicking her eyebrows. ・・

「 早月 さん 」・・ さつき|

葉子 は やや しばし とつ お いつ 躊躇 して いた が 、 とうとう 決心 して 、 何 か あわて くさって 、 鍵 を がちがち やり ながら 戸 を あけた 。 ようこ|||||||ちゅうちょ|||||けっしん||なん||||かぎ|||||と|| ・・

事務 長 は ひどく 酔って は いって 来た 。 じむ|ちょう|||よって|||きた どんなに 飲んで も 顔色 も かえ ない ほど の 強 酒 な 倉地 が 、 こんなに 酔う の は 珍しい 事 だった 。 |のんで||かおいろ||||||つよ|さけ||くらち|||よう|||めずらしい|こと| 締めきった 戸 に 仁王立ち に よりかかって 、 冷 然 と した 様子 で 離れて 立つ 葉子 を まじまじ と 見すえ ながら 、・・ しめきった|と||におうだち|||ひや|ぜん|||ようす||はなれて|たつ|ようこ||||みすえ|

「 葉子 さん 、 葉子 さん が 悪ければ 早月 さん だ 。 ようこ||ようこ|||わるければ|さつき|| 早月 さん …… 僕 の する 事 は する だけ の 覚悟 が あって する んです よ 。 さつき||ぼく|||こと|||||かくご||||| 僕 は ね 、 横浜 以来 あなた に 惚れて いた んだ 。 ぼく|||よこはま|いらい|||ほれて|| それ が わから ない あなた じゃ ない でしょう 。 暴力 ? ぼうりょく 暴力 が なんだ 。 ぼうりょく|| 暴力 は 愚かな こった 。 ぼうりょく||おろかな| 殺し たく なれば 殺して も 進 ん ぜ る よ 」・・ ころし|||ころして||すすむ||||

葉子 は その 最後 の 言葉 を 聞く と 瞑 眩 を 感ずる ほど 有頂天に なった 。 ようこ|||さいご||ことば||きく||つぶ|くら||かんずる||うちょうてんに| ・・

「 あなた に 木村 さん と いう の が 付いて る くらい は 、 横浜 の 支店 長 から 聞か さ れ とる んだ が 、 どんな 人 だ か 僕 は もちろん 知りません さ 。 ||きむら||||||ついて||||よこはま||してん|ちょう||きか|||||||じん|||ぼく|||しり ませ ん| 知ら ん が 僕 の ほう が あなた に 深 惚れ し とる 事 だけ は 、 この 胸 三 寸 で ちゃんと 知っと る んだ 。 しら|||ぼく||||||ふか|ほれ|||こと||||むね|みっ|すん|||ち っと|| I don't know, but I know that I'm deeply in love with you, just by looking at my chest. それ 、 それ が わから ん ? 僕 は 恥 も 何も さらけ出して いっとる んです よ 。 ぼく||はじ||なにも|さらけだして|いっ とる|| これ でも わから んです か 」・・

葉子 は 目 を かがやかし ながら 、 その 言葉 を むさぼった 。 ようこ||め|||||ことば|| かみしめた 。 そして のみ込んだ 。 |のみこんだ ・・

こうして 葉子 に 取って 運命 的な 一 日 は 過ぎた 。 |ようこ||とって|うんめい|てきな|ひと|ひ||すぎた