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或る女 - 有島武郎(アクセス), 13.2 或る女

13.2 或る 女

目 は まざまざ と 開いて いた けれども 葉子 は まだ 夢心地 だった 。 事務 長 の いる の に 気づいた 瞬間 から また 聞こえ 出した 波 濤 の 音 は 、 前 の ように 音楽 的な 所 は 少しも なく 、 ただ 物 狂 おしい 騒音 と なって 船 に 迫って いた 。 しかし 葉子 は 今 の 境界 が ほんとうに 現実 の 境界 な の か 、 さっき 不思議な 音楽 的 の 錯覚 に ひたって いた 境界 が 夢 幻 の 中 の 境界 な の か 、 自分 ながら 少しも 見さかい が つか ない くらい ぼんやり して いた 。 そして あの 荒 唐 な 奇怪な 心 の adventure を かえって まざまざ と した 現実 の 出来事 で も ある か の よう に 思い なして 、 目の前 に 見る 酒 に 赤らんだ 事務 長 の 顔 は 妙に 蠱惑 的な 気味 の 悪い 幻 像 と なって 、 葉子 を 脅かそう と した 。 ・・

「 少し 飲み 過ぎた ところ に ため といた 仕事 を 詰めて やった んで 眠れ ん 。 で 散歩 の つもり で 甲板 の 見回り に 出る と 岡 さん 」・・

と いい ながら もう 一 度 後ろ に 振り返って 、・・

「 この 岡 さん が この 寒い に 手 欄 から からだ を 乗り出して ぽか ん と 海 を 見とる んです 。 取り押えて ケビン に 連れて 行こう と 思う とる と 、 今度 は あなた に 出っく わす 。 物好き も あった もん です ねえ 。 海 を ながめて 何 が おもしろい か な 。 お 寒 か ありません か 、 ショール な ん ぞ も 落ちて しまった 」・・ どこ の 国 なまり と も わから ぬ 一種 の 調子 が 塩 さびた 声 で あやつら れる の が 、 事務 長 の 人となり に よく そぐって 聞こえる 。 葉子 は そんな 事 を 思い ながら 事務 長 の 言葉 を 聞き 終わる と 、 始めて はっきり 目 が さめた ように 思った 。 そして 簡単に 、・・

「 い ゝ え 」・・

と 答え ながら 上目づかい に 、 夢 の 中 から でも 人 を 見る ように うっとり と 事務 長 の しぶと そうな 顔 を 見 やった 。 そして そのまま 黙って いた 。 ・・

事務 長 は 例の insolent な 目つき で 葉子 を 一目 に 見 くるめ ながら 、・・

「 若い 方 は 世話 が 焼ける …… さあ 行きましょう 」・・ と 強い 語調 で いって 、 から から と 傍若無人に 笑い ながら 葉子 を せき立てた 。 海 の 波 の 荒涼たる お めき の 中 に 聞く この 笑い声 は diabolic な もの だった 。 「 若い 方 」…… 老 成 ぶった 事 を いう と 葉子 は 思った けれども 、 しかし 事務 長 に は そんな 事 を いう 権利 でも あるか の ように 葉子 は 皮肉な 竹 篦 返し も せ ず に 、 おとなしく ショール を 拾い上げて 事務 長 の いう まま に その あと に 続こう と して 驚いた 。 ところ が 長い 間 そこ に たたずんで いた もの と 見えて 、 磁石 で 吸い 付けられた ように 、 両足 は 固く 重く なって 一 寸 も 動き そうに は なかった 。 寒気 の ため に 感覚 の 痲痺 しか かった 膝 の 関節 は しいて 曲げよう と する と 、 筋 を 絶つ ほど の 痛 み を 覚えた 。 不用意に 歩き 出そう と した 葉子 は 、 思わず のめり 出さ した 上体 を からく 後ろ に ささえて 、 情けな げ に 立ちすくみ ながら 、・・

「 ま 、 ちょっと 」・・

と 呼びかけた 。 事務 長 の 後ろ に 続こう と した 岡 と 呼ば れた 青年 は これ を 聞く と いち早く 足 を 止めて 葉子 の ほう を 振り向いた 。 ・・

「 始めて お 知り合い に なった ばかりです のに 、 すぐ お 心安 だて を して ほんとうに なんで ございます が 、 ちょっと お 肩 を 貸して いただけません でしょう か 。 なん です か 足 の 先 が 凍った ように なって しまって ……」・・

と 葉子 は 美しく 顔 を しかめて 見せた 。 岡 は それ ら の 言葉 が 拳 と なって 続け さま に 胸 を 打つ と でも いった ように 、 しばらく の 間 どぎまぎ 躊躇 して いた が 、 やがて 思い切った ふうで 、 黙った まま 引き返して 来た 。 身のたけ も 肩 幅 も 葉子 と そう 違わ ない ほど な 華車 な から だ を わなわな と 震わせて いる の が 、 肩 に 手 を かけ ない うち から よく 知れた 。 事務 長 は 振り向き も し ないで 、 靴 の かかと を こつこつと 鳴らし ながら 早 二三 間 の かなた に 遠ざかって いた 。 ・・

鋭敏な 馬 の 皮膚 の ように だ ち だ ち と 震える 青年 の 肩 に お ぶい かかり ながら 、 葉子 は 黒い 大きな 事務 長 の 後ろ姿 を 仇 か たきで も ある か の よう に 鋭く 見つめて そろそろ と 歩いた 。 西 洋酒 の 芳 醇 な 甘い 酒 の 香 が 、 まだ 酔い から さめ きら ない 事務 長 の 身 の まわり を 毒々しい 靄 と なって 取り巻いて いた 。 放 縦 と いう 事務 長 の 心 の 臓 は 、 今 不 用心 に 開かれて いる 。 あの 無頓着 そうな 肩 の ゆすり の 陰に すさまじい desire の 火 が 激しく 燃えて いる はずである 。 葉子 は 禁断 の 木 の 実 を 始めて くい かいだ 原人 の ような 渇 欲 を われ に も なく あおり たてて 、 事務 長 の 心 の 裏 を ひっくり返して 縫い目 を 見 窮めよう と ばかり して いた 。 おまけに 青年 の 肩 に 置いた 葉子 の 手 は 、 華車 と は いい ながら 、 男性 的な 強い 弾力 を 持つ 筋肉 の 震え を まざまざ と 感ずる ので 、 これら の 二 人 の 男 が 与える 奇怪な 刺激 は ほしいままに からまり あって 、 恐ろしい 心 を 葉子 に 起こさ せた 。 木村 …… 何 を うるさい 、 よけいな 事 は いわ ず と 黙って 見て いる が いい 。 心 の 中 を ひらめき 過ぎる 断片 的な 影 を 葉子 は 枯れ葉 の ように 払いのけ ながら 、 目の前 に 見る 蠱惑 に おぼれて 行こう と のみ した 。 口 から 喉 は あえぎたい ほど に ひからびて 、 岡 の 肩 に 乗せた 手 は 、 生理 的な 作用 から 冷たく 堅く なって いた 。 そして 熱 を こめて うるんだ 目 を 見張って 、 事務 長 の 後ろ姿 ばかり を 見つめ ながら 、 五 体 は ふらふら と たわ い も なく 岡 の ほう に よりそった 。 吐き出す 気 息 は 燃え 立って 岡 の 横顔 を なでた 。 事務 長 は 油断 なく 角 燈 で 左右 を 照らし ながら 甲板 の 整頓 に 気 を 配って 歩いて いる 。 ・・

葉子 は いたわる ように 岡 の 耳 に 口 を よせて 、・・

「 あなた は どちら まで 」・・

と 聞いて みた 。 その 声 は いつも の ように 澄んで は い なかった 。 そして 気 を 許した 女 から ばかり 聞か れる ような 甘 た るい 親し さ が こもって いた 。 岡 の 肩 は 感激 の ため に 一 入 震えた 。 頓に は 返事 も し 得 ないで いた ようだった が 、 やがて 臆病 そうに 、・・

「 あなた は 」・・

と だけ 聞き返して 、 熱心に 葉子 の 返事 を 待つ らしかった 。 ・・

「 シカゴ まで 参る つもりです の 」・・

「 僕 も …… わたし も そう です 」・・

岡 は 待ち 設けた ように 声 を 震わし ながら きっぱり と 答えた 。 ・・

「 シカゴ の 大学 に でも いらっしゃいます の 」・・ 岡 は 非常に あわてた ようだった 。 なんと 返事 を した もの か 恐ろしく ためらう ふうだった が 、 やがて あいまいに 口 の 中 で 、・・

「 え ゝ 」・・

と だけ つぶやいて 黙って しまった 。 その お ぼ こ さ …… 葉子 は 闇 の 中 で 目 を かがやかして ほほえんだ 。 そして 岡 を あわれんだ 。 ・・

しかし 青年 を あわれむ と 同時に 葉子 の 目 は 稲妻 の ように 事務 長 の 後ろ姿 を 斜めに かすめた 。 青年 を あわれむ 自分 は 事務 長 に あわれまれて いる ので は ない か 。 始終 一 歩 ずつ 上手 を 行く ような 事務 長 が 一種 の 憎しみ を もって ながめ やられた 。 かつて 味わった 事 の ない この 憎しみ の 心 を 葉子 は どう する 事 も でき なかった 。 ・・

二 人 に 別れて 自分 の 船室 に 帰った 葉子 は ほとんど delirium の 状態 に あった 。 眼 睛 は 大きく 開いた まま で 、 盲目 同様に 部屋 の 中 の 物 を 見る 事 を し なかった 。 冷えきった 手先 は おどおど と 両 の 袂 を つかんだり 離したり して いた 。 葉子 は 夢中で ショール と ボア と を かなぐり捨て 、 もどかし げ に 帯 だけ ほどく と 、 髪 も 解か ず に 寝 台 の 上 に 倒れかかって 、 横 に なった まま 羽根 枕 を 両手 で ひしと 抱いて 顔 を 伏せた 。 なぜ と 知ら ぬ 涙 が その 時 堰 を 切った ように 流れ出した 。 そして 涙 は あと から あと から みなぎる ように シーツ を 湿し ながら 、 充血 した 口 び る は 恐ろしい 笑い を たたえて わなわな と 震えて いた 。 ・・

一 時間 ほど そうして いる うち に 泣き 疲れ に 疲れて 、 葉子 は かける もの も かけ ず に そのまま 深い 眠り に 陥って 行った 。 けばけばしい 電 燈 の 光 は その 翌日 の 朝 まで この なまめかしく も ふしだらな 葉子 の 丸 寝姿 を 画 いた ように 照らして いた 。


13.2 或る 女 ある|おんな 13.2 Una mujer

目 は まざまざ と 開いて いた けれども 葉子 は まだ 夢心地 だった 。 め||||あいて|||ようこ|||ゆめごこち| 事務 長 の いる の に 気づいた 瞬間 から また 聞こえ 出した 波 濤 の 音 は 、 前 の ように 音楽 的な 所 は 少しも なく 、 ただ 物 狂 おしい 騒音 と なって 船 に 迫って いた 。 じむ|ちょう|||||きづいた|しゅんかん|||きこえ|だした|なみ|とう||おと||ぜん|||おんがく|てきな|しょ||すこしも|||ぶつ|くる||そうおん|||せん||せまって| しかし 葉子 は 今 の 境界 が ほんとうに 現実 の 境界 な の か 、 さっき 不思議な 音楽 的 の 錯覚 に ひたって いた 境界 が 夢 幻 の 中 の 境界 な の か 、 自分 ながら 少しも 見さかい が つか ない くらい ぼんやり して いた 。 |ようこ||いま||きょうかい|||げんじつ||きょうかい|||||ふしぎな|おんがく|てき||さっかく||||きょうかい||ゆめ|まぼろし||なか||きょうかい||||じぶん||すこしも|みさかい||||||| そして あの 荒 唐 な 奇怪な 心 の adventure を かえって まざまざ と した 現実 の 出来事 で も ある か の よう に 思い なして 、 目の前 に 見る 酒 に 赤らんだ 事務 長 の 顔 は 妙に 蠱惑 的な 気味 の 悪い 幻 像 と なって 、 葉子 を 脅かそう と した 。 ||あら|とう||きかいな|こころ||||||||げんじつ||できごと||||||||おもい||めのまえ||みる|さけ||あからんだ|じむ|ちょう||かお||みょうに|こわく|てきな|きみ||わるい|まぼろし|ぞう|||ようこ||おびやかそう|| ・・

「 少し 飲み 過ぎた ところ に ため といた 仕事 を 詰めて やった んで 眠れ ん 。 すこし|のみ|すぎた|||||しごと||つめて|||ねむれ| で 散歩 の つもり で 甲板 の 見回り に 出る と 岡 さん 」・・ |さんぽ||||かんぱん||みまわり||でる||おか|

と いい ながら もう 一 度 後ろ に 振り返って 、・・ ||||ひと|たび|うしろ||ふりかえって

「 この 岡 さん が この 寒い に 手 欄 から からだ を 乗り出して ぽか ん と 海 を 見とる んです 。 |おか||||さむい||て|らん||||のりだして||||うみ||みとる| 取り押えて ケビン に 連れて 行こう と 思う とる と 、 今度 は あなた に 出っく わす 。 とりおさえて|||つれて|いこう||おもう|||こんど||||で っく| 物好き も あった もん です ねえ 。 ものずき||||| 海 を ながめて 何 が おもしろい か な 。 うみ|||なん|||| お 寒 か ありません か 、 ショール な ん ぞ も 落ちて しまった 」・・   どこ の 国 なまり と も わから ぬ 一種 の 調子 が 塩 さびた 声 で あやつら れる の が 、 事務 長 の 人となり に よく そぐって 聞こえる 。 |さむ||あり ませ ん||しょーる|||||おちて||||くに||||||いっしゅ||ちょうし||しお||こえ||||||じむ|ちょう||ひととなり|||そぐ って|きこえる 葉子 は そんな 事 を 思い ながら 事務 長 の 言葉 を 聞き 終わる と 、 始めて はっきり 目 が さめた ように 思った 。 ようこ|||こと||おもい||じむ|ちょう||ことば||きき|おわる||はじめて||め||||おもった そして 簡単に 、・・ |かんたんに

「 い ゝ え 」・・

と 答え ながら 上目づかい に 、 夢 の 中 から でも 人 を 見る ように うっとり と 事務 長 の しぶと そうな 顔 を 見 やった 。 |こたえ||うわめづかい||ゆめ||なか|||じん||みる||||じむ|ちょう|||そう な|かお||み| そして そのまま 黙って いた 。 ||だまって| ・・

事務 長 は 例の insolent な 目つき で 葉子 を 一目 に 見 くるめ ながら 、・・ じむ|ちょう||れいの|||めつき||ようこ||いちもく||み||

「 若い 方 は 世話 が 焼ける …… さあ 行きましょう 」・・  と 強い 語調 で いって 、 から から と 傍若無人に 笑い ながら 葉子 を せき立てた 。 わかい|かた||せわ||やける||いき ましょう||つよい|ごちょう||||||ぼうじゃくぶじんに|わらい||ようこ||せきたてた 海 の 波 の 荒涼たる お めき の 中 に 聞く この 笑い声 は diabolic な もの だった 。 うみ||なみ||こうりょうたる||||なか||きく||わらいごえ||||| 「 若い 方 」…… 老 成 ぶった 事 を いう と 葉子 は 思った けれども 、 しかし 事務 長 に は そんな 事 を いう 権利 でも あるか の ように 葉子 は 皮肉な 竹 篦 返し も せ ず に 、 おとなしく ショール を 拾い上げて 事務 長 の いう まま に その あと に 続こう と して 驚いた 。 わかい|かた|ろう|しげ||こと||||ようこ||おもった|||じむ|ちょう||||こと|||けんり|||||ようこ||ひにくな|たけ|へら|かえし||||||しょーる||ひろいあげて|じむ|ちょう||||||||つづこう|||おどろいた ところ が 長い 間 そこ に たたずんで いた もの と 見えて 、 磁石 で 吸い 付けられた ように 、 両足 は 固く 重く なって 一 寸 も 動き そうに は なかった 。 ||ながい|あいだ|||||||みえて|じしゃく||すい|つけ られた||りょうあし||かたく|おもく||ひと|すん||うごき|そう に|| 寒気 の ため に 感覚 の 痲痺 しか かった 膝 の 関節 は しいて 曲げよう と する と 、 筋 を 絶つ ほど の 痛 み を 覚えた 。 かんき||||かんかく||まひ|||ひざ||かんせつ|||まげよう||||すじ||たつ|||つう|||おぼえた 不用意に 歩き 出そう と した 葉子 は 、 思わず のめり 出さ した 上体 を からく 後ろ に ささえて 、 情けな げ に 立ちすくみ ながら 、・・ ふよういに|あるき|だそう|||ようこ||おもわず||ださ||じょうたい|||うしろ|||なさけな|||たちすくみ|

「 ま 、 ちょっと 」・・

と 呼びかけた 。 |よびかけた 事務 長 の 後ろ に 続こう と した 岡 と 呼ば れた 青年 は これ を 聞く と いち早く 足 を 止めて 葉子 の ほう を 振り向いた 。 じむ|ちょう||うしろ||つづこう|||おか||よば||せいねん||||きく||いちはやく|あし||とどめて|ようこ||||ふりむいた ・・

「 始めて お 知り合い に なった ばかりです のに 、 すぐ お 心安 だて を して ほんとうに なんで ございます が 、 ちょっと お 肩 を 貸して いただけません でしょう か 。 はじめて||しりあい|||||||こころやす||||||||||かた||かして|いただけ ませ ん|| なん です か 足 の 先 が 凍った ように なって しまって ……」・・ |||あし||さき||こおった|||

と 葉子 は 美しく 顔 を しかめて 見せた 。 |ようこ||うつくしく|かお|||みせた 岡 は それ ら の 言葉 が 拳 と なって 続け さま に 胸 を 打つ と でも いった ように 、 しばらく の 間 どぎまぎ 躊躇 して いた が 、 やがて 思い切った ふうで 、 黙った まま 引き返して 来た 。 おか|||||ことば||けん|||つづけ|||むね||うつ|||||||あいだ||ちゅうちょ|||||おもいきった||だまった||ひきかえして|きた 身のたけ も 肩 幅 も 葉子 と そう 違わ ない ほど な 華車 な から だ を わなわな と 震わせて いる の が 、 肩 に 手 を かけ ない うち から よく 知れた 。 みのたけ||かた|はば||ようこ|||ちがわ||||はなくるま|||||||ふるわせて||||かた||て|||||||しれた 事務 長 は 振り向き も し ないで 、 靴 の かかと を こつこつと 鳴らし ながら 早 二三 間 の かなた に 遠ざかって いた 。 じむ|ちょう||ふりむき||||くつ|||||ならし||はや|ふみ|あいだ||||とおざかって| ・・

鋭敏な 馬 の 皮膚 の ように だ ち だ ち と 震える 青年 の 肩 に お ぶい かかり ながら 、 葉子 は 黒い 大きな 事務 長 の 後ろ姿 を 仇 か たきで も ある か の よう に 鋭く 見つめて そろそろ と 歩いた 。 えいびんな|うま||ひふ||||||||ふるえる|せいねん||かた||||||ようこ||くろい|おおきな|じむ|ちょう||うしろすがた||あだ|||||||||するどく|みつめて|||あるいた 西 洋酒 の 芳 醇 な 甘い 酒 の 香 が 、 まだ 酔い から さめ きら ない 事務 長 の 身 の まわり を 毒々しい 靄 と なって 取り巻いて いた 。 にし|ようしゅ||かおり|あつし||あまい|さけ||かおり|||よい|||||じむ|ちょう||み||||どくどくしい|もや|||とりまいて| 放 縦 と いう 事務 長 の 心 の 臓 は 、 今 不 用心 に 開かれて いる 。 はな|たて|||じむ|ちょう||こころ||ぞう||いま|ふ|ようじん||あか れて| あの 無頓着 そうな 肩 の ゆすり の 陰に すさまじい desire の 火 が 激しく 燃えて いる はずである 。 |むとんちゃく|そう な|かた||||いんに||||ひ||はげしく|もえて|| 葉子 は 禁断 の 木 の 実 を 始めて くい かいだ 原人 の ような 渇 欲 を われ に も なく あおり たてて 、 事務 長 の 心 の 裏 を ひっくり返して 縫い目 を 見 窮めよう と ばかり して いた 。 ようこ||きんだん||き||み||はじめて|||げんじん|||かわ|よく||||||||じむ|ちょう||こころ||うら||ひっくりかえして|ぬいめ||み|きわめよう|||| おまけに 青年 の 肩 に 置いた 葉子 の 手 は 、 華車 と は いい ながら 、 男性 的な 強い 弾力 を 持つ 筋肉 の 震え を まざまざ と 感ずる ので 、 これら の 二 人 の 男 が 与える 奇怪な 刺激 は ほしいままに からまり あって 、 恐ろしい 心 を 葉子 に 起こさ せた 。 |せいねん||かた||おいた|ようこ||て||はなくるま|||||だんせい|てきな|つよい|だんりょく||もつ|きんにく||ふるえ||||かんずる||これ ら||ふた|じん||おとこ||あたえる|きかいな|しげき|||||おそろしい|こころ||ようこ||おこさ| 木村 …… 何 を うるさい 、 よけいな 事 は いわ ず と 黙って 見て いる が いい 。 きむら|なん||||こと|||||だまって|みて||| 心 の 中 を ひらめき 過ぎる 断片 的な 影 を 葉子 は 枯れ葉 の ように 払いのけ ながら 、 目の前 に 見る 蠱惑 に おぼれて 行こう と のみ した 。 こころ||なか|||すぎる|だんぺん|てきな|かげ||ようこ||かれは|||はらいのけ||めのまえ||みる|こわく|||いこう||| 口 から 喉 は あえぎたい ほど に ひからびて 、 岡 の 肩 に 乗せた 手 は 、 生理 的な 作用 から 冷たく 堅く なって いた 。 くち||のど||あえぎ たい||||おか||かた||のせた|て||せいり|てきな|さよう||つめたく|かたく|| そして 熱 を こめて うるんだ 目 を 見張って 、 事務 長 の 後ろ姿 ばかり を 見つめ ながら 、 五 体 は ふらふら と たわ い も なく 岡 の ほう に よりそった 。 |ねつ||||め||みはって|じむ|ちょう||うしろすがた|||みつめ||いつ|からだ||||||||おか|||| 吐き出す 気 息 は 燃え 立って 岡 の 横顔 を なでた 。 はきだす|き|いき||もえ|たって|おか||よこがお|| 事務 長 は 油断 なく 角 燈 で 左右 を 照らし ながら 甲板 の 整頓 に 気 を 配って 歩いて いる 。 じむ|ちょう||ゆだん||かど|とも||さゆう||てらし||かんぱん||せいとん||き||くばって|あるいて| ・・

葉子 は いたわる ように 岡 の 耳 に 口 を よせて 、・・ ようこ||||おか||みみ||くち||

「 あなた は どちら まで 」・・

と 聞いて みた 。 |きいて| その 声 は いつも の ように 澄んで は い なかった 。 |こえ|||||すんで||| そして 気 を 許した 女 から ばかり 聞か れる ような 甘 た るい 親し さ が こもって いた 。 |き||ゆるした|おんな|||きか|||あま|||したし|||| 岡 の 肩 は 感激 の ため に 一 入 震えた 。 おか||かた||かんげき||||ひと|はい|ふるえた 頓に は 返事 も し 得 ないで いた ようだった が 、 やがて 臆病 そうに 、・・ とみに||へんじ|||とく||||||おくびょう|そう に

「 あなた は 」・・

と だけ 聞き返して 、 熱心に 葉子 の 返事 を 待つ らしかった 。 ||ききかえして|ねっしんに|ようこ||へんじ||まつ| ・・

「 シカゴ まで 参る つもりです の 」・・ しかご||まいる||

「 僕 も …… わたし も そう です 」・・ ぼく|||||

岡 は 待ち 設けた ように 声 を 震わし ながら きっぱり と 答えた 。 おか||まち|もうけた||こえ||ふるわし||||こたえた ・・

「 シカゴ の 大学 に でも いらっしゃいます の 」・・   岡 は 非常に あわてた ようだった 。 しかご||だいがく|||いらっしゃい ます||おか||ひじょうに|| なんと 返事 を した もの か 恐ろしく ためらう ふうだった が 、 やがて あいまいに 口 の 中 で 、・・ |へんじ|||||おそろしく||||||くち||なか|

「 え ゝ 」・・

と だけ つぶやいて 黙って しまった 。 |||だまって| その お ぼ こ さ …… 葉子 は 闇 の 中 で 目 を かがやかして ほほえんだ 。 |||||ようこ||やみ||なか||め||| そして 岡 を あわれんだ 。 |おか|| ・・

しかし 青年 を あわれむ と 同時に 葉子 の 目 は 稲妻 の ように 事務 長 の 後ろ姿 を 斜めに かすめた 。 |せいねん||||どうじに|ようこ||め||いなずま|||じむ|ちょう||うしろすがた||ななめに| 青年 を あわれむ 自分 は 事務 長 に あわれまれて いる ので は ない か 。 せいねん|||じぶん||じむ|ちょう||あわれま れて||||| 始終 一 歩 ずつ 上手 を 行く ような 事務 長 が 一種 の 憎しみ を もって ながめ やられた 。 しじゅう|ひと|ふ||じょうず||いく||じむ|ちょう||いっしゅ||にくしみ|||| かつて 味わった 事 の ない この 憎しみ の 心 を 葉子 は どう する 事 も でき なかった 。 |あじわった|こと||||にくしみ||こころ||ようこ||||こと||| ・・

二 人 に 別れて 自分 の 船室 に 帰った 葉子 は ほとんど delirium の 状態 に あった 。 ふた|じん||わかれて|じぶん||せんしつ||かえった|ようこ|||||じょうたい|| 眼 睛 は 大きく 開いた まま で 、 盲目 同様に 部屋 の 中 の 物 を 見る 事 を し なかった 。 がん|せい||おおきく|あいた|||もうもく|どうように|へや||なか||ぶつ||みる|こと||| 冷えきった 手先 は おどおど と 両 の 袂 を つかんだり 離したり して いた 。 ひえきった|てさき||||りょう||たもと|||はなしたり|| 葉子 は 夢中で ショール と ボア と を かなぐり捨て 、 もどかし げ に 帯 だけ ほどく と 、 髪 も 解か ず に 寝 台 の 上 に 倒れかかって 、 横 に なった まま 羽根 枕 を 両手 で ひしと 抱いて 顔 を 伏せた 。 ようこ||むちゅうで|しょーる|||||かなぐりすて||||おび||||かみ||とか|||ね|だい||うえ||たおれかかって|よこ||||はね|まくら||りょうて|||いだいて|かお||ふせた なぜ と 知ら ぬ 涙 が その 時 堰 を 切った ように 流れ出した 。 ||しら||なみだ|||じ|せき||きった||ながれだした そして 涙 は あと から あと から みなぎる ように シーツ を 湿し ながら 、 充血 した 口 び る は 恐ろしい 笑い を たたえて わなわな と 震えて いた 。 |なみだ||||||||しーつ||しめし||じゅうけつ||くち||||おそろしい|わらい|||||ふるえて| ・・

一 時間 ほど そうして いる うち に 泣き 疲れ に 疲れて 、 葉子 は かける もの も かけ ず に そのまま 深い 眠り に 陥って 行った 。 ひと|じかん||||||なき|つかれ||つかれて|ようこ|||||||||ふかい|ねむり||おちいって|おこなった けばけばしい 電 燈 の 光 は その 翌日 の 朝 まで この なまめかしく も ふしだらな 葉子 の 丸 寝姿 を 画 いた ように 照らして いた 。 |いなずま|とも||ひかり|||よくじつ||あさ||||||ようこ||まる|ねすがた||が|||てらして|