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『二百十日』 夏目漱石, 「三」 二百十日 夏目漱石

「三 」 二百十 日 夏目 漱石

「 姉さん 、 この 人 は 肥って る だろう 」 「 だいぶ ん 肥えて い な はります 」 「 肥えて るって 、 おれ は 、 これ で 豆腐 屋 だ もの 」 「 ホホホ 」 「 豆腐 屋 じゃ おかしい かい 」 「 豆腐 屋 の 癖 に 西郷 隆盛 の ような 顔 を して いる から おかしい んだ よ 。 時に こう 、 精進 料理 じゃ 、 あした 、 御 山 へ 登れ そう も ない な 」 「 また 御馳走 を 食い た がる 」 「 食い た がるって 、 これ じゃ 営 養 不良に なる ばかりだ 」 「 なに これほど 御馳走 が あれば たくさんだ 。 ―― 湯 葉 に 、 椎茸 に 、 芋 に 、 豆腐 、 いろいろ ある じゃ ない か 」 「 いろいろ ある 事 は ある が ね 。

ある 事 は 君 の 商売 道具 まで ある んだ が ―― 困った な 。

昨日 は 饂飩 ばかり 食わせられる 。 きょう は 湯 葉 に 椎茸 ばかり か 。

ああ ああ 」 「 君 この 芋 を 食って 見た まえ 。

掘り たて で すこぶる 美味だ 」 「 すこぶる 剛 健 な 味 が しや し ない か ―― おい 姉さん 、 肴 は 何も ない の かい 」 「 あいにく 何も ござ り まっせ ん 」 「 ござ り まっせん は 弱った な 。 じゃ 玉子 が ある だろう 」 「 玉子 なら ござ り まっす 」 「 その 玉子 を 半熟 に して 来て くれ 」 「 何 に 致します 」 「 半熟 に する んだ 」 「 煮て 参じます か 」 「 まあ 煮る んだ が 、 半分 煮る んだ 。 半熟 を 知ら ない か 」 「 いいえ 」 「 知ら ない ?

」 「 知り まっせ ん 」 「 どうも 辟易 だ な 」 「 何で ござ り まっす 」 「 何でも いい から 、 玉子 を 持って 御 出 。 それ から 、 おい 、 ちょっと 待った 。

君 ビール を 飲む か 」 「 飲んで も いい 」 と 圭 さん は 泰 然 たる 返事 を した 。

「 飲んで も いい か 、 それ じゃ 飲ま なくって も いい んだ 。 ―― よす か ね 」 「 よさ なくって も 好 い 。 ともかくも 少し 飲もう 」 「 ともかくも か 、 ハハハ 。

君 ほど 、 ともかくも の 好きな 男 は ない ね 。

それ で 、 あした に なる と 、 ともかくも 饂飩 を 食おう と 云 うんだろう 。

―― 姉さん 、 ビール も ついでに 持ってくる んだ 。

玉子 と ビール だ 。

分ったろう ね 」 「 ビール は ござ り まっせ ん 」 「 ビール が ない ? ―― 君 ビール は ない と さ 。

何だか 日本 の 領地 で ない ような 気 が する 。

情 ない 所 だ 」 「 なければ 、 飲ま なくって も 、 いい さ 」 と 圭 さん は また 泰 然 たる 挨拶 を する 。 「 ビール は ござ りません ばって ん 、 恵比寿 なら ござ ります 」 「 ハハハハ いよいよ 妙に なって 来た 。 おい 君 ビール で ない 恵比寿 が あるって 云 うんだ が 、 その 恵比寿 でも 飲んで 見る か ね 」 「 うん 、 飲んで も いい 。 ―― その 恵比寿 は やっぱり 罎 に 這 入って る んだろう ね 、 姉さん 」 と 圭 さん は この 時 ようやく 下 女 に 話しかけた 。

「 ねえ 」 と 下 女 は 肥後 訛り の 返事 を する 。

「 じゃ 、 ともかくも その 栓 を 抜いて ね 。

罎 ごと 、 ここ へ 持って おいで 」 「 ねえ 」 下 女 は 心得 貌 に 起って 行く 。

幅 の 狭い 唐 縮緬 を ちょき り 結び に 御 臀 の 上 へ 乗せて 、 絣 の 筒 袖 を つ ん つる てん に 着て いる 。

髪 だけ は 一種 異様 の 束 髪 に 、 だいぶ 碌 さん と 圭 さん の 胆 を 寒 から しめた ようだ 。

「 あの 下 女 は 異彩 を 放って る ね 」 と 碌 さん が 云 う と 、 圭 さん は 平気な 顔 を して 、 「 そう さ 」 と 何の 苦 も なく 答えた が 、 「 単純で いい 女 だ 」 と あと へ 、 持って 来て 、 木 に 竹 を 接いだ ように つけた 。

「 剛 健 な 趣味 が ありゃ し ない か 」 「 うん 。

実際 田舎 者 の 精神 に 、 文明 の 教育 を 施す と 、 立派な 人物 が 出来る んだ が な 。

惜しい 事 だ 」 「 そんなに 惜しけりゃ 、 あれ を 東京 へ 連れて 行って 、 仕込んで 見る が いい 」 「 うん 、 それ も 好 かろう 。

しかし それ より 前 に 文明 の 皮 を 剥か なくっちゃ 、 いけない 」 「 皮 が 厚い から なかなか 骨 が 折れる だろう 」 と 碌 さん は 水 瓜 の ような 事 を 云 う 。

「 折れて も 何でも 剥く の さ 。

奇麗な 顔 を して 、 下 卑 た 事 ばかり やって る 。

それ も 金 が ない 奴 だ と 、 自分 だけ で 済む のだ が 、 身分 が いい と 困る 。

下 卑 た 根性 を 社会 全体 に 蔓延 さ せる から ね 。

大変な 害毒 だ 。

しかも 身分 が よかったり 、 金 が あったり する もの に 、 よく こう 云 う 性根 の 悪い 奴 が ある もの だ 」 「 しかも 、 そんな の に 限って 皮 が いよいよ 厚い んだろう 」 「 体裁 だけ は すこぶる 美 事 な もの さ 。

しかし 内心 は あの 下 女 より よっぽど すれて いる んだ から 、 いやに なって しまう 」 「 そう か ね 。

じゃ 、 僕 も これ から 、 ちと 剛 健 党 の 御 仲間 入り を やろう か な 」 「 無論 の 事 さ 。

だから まず 第 一 着 に あした 六 時 に 起きて ……」 「 御 昼 に 饂飩 を 食って か 」 「 阿蘇 の 噴火 口 を 観て ……」 「 癇癪 を 起して 飛び込ま ない ように 要 心 を して か 」 「 もっとも 崇高なる 天地 間 の 活力 現象 に 対して 、 雄大 の 気象 を 養って 、 齷齪 たる 塵 事 を 超越 する んだ 」 「 あんまり 超越 し 過ぎる と あと で 世の中 が 、 いやに なって 、 かえって 困る ぜ 。

だから そこ の ところ は 好 加減 に 超越 して 置く 事 に し ようじゃ ない か 。

僕 の 足 じゃ とうてい そう えらく 超越 出来 そう も ない よ 」 「 弱い 男 だ 」 筒 袖 の 下 女 が 、 盆 の 上 へ 、 麦酒 ( ビール ) を 一 本 、 洋 盃 ( コップ ) を 二 つ 、 玉子 を 四 個 、 並べ つくして 持ってくる 。

「 そら 恵比寿 が 来た 。

この 恵比寿 が ビール で ない んだ から 面白い 。

さあ 一 杯 飲む かい 」 と 碌 さん が 相手 に 洋 盃 を 渡す 。

「 うん 、 ついでに その 玉子 を 二 つ 貰おう か 」 と 圭 さん が 云 う 。

「 だって 玉子 は 僕 が 誂 ら えた んだ ぜ 」 「 しかし 四 つ と も 食う 気 かい 」 「 あした の 饂飩 が 気 に なる から 、 この うち 二 個 は 携帯 して 行こう と 思う んだ 」 「 うん 、 そん なら 、 よ そう 」 と 圭 さん は すぐ 断念 する 。

「 よす と なる と 気の毒だ から 、 まあ 上げよう 。

本来 なら 剛 健 党 が 玉子 な ん ぞ を 食う の は 、 ちと 贅沢 の 沙汰 だ が 、 可哀想で も ある から 、―― さあ 食う が いい 。

―― 姉さん 、 この 恵比寿 は どこ で できる んだ ね 」 「 おおかた 熊本 で ござ り まっしょ 」 「 ふん 、 熊本 製 の 恵比寿 か 、 なかなか 旨 いや 。 君 どう だ 、 熊本 製 の 恵比寿 は 」 「 うん 。

やっぱり 東京 製 と 同じ ようだ 。

―― おい 、 姉さん 、 恵比寿 は いい が 、 この 玉子 は 生 だ ぜ 」 と 玉子 を 割った 圭 さん は ちょっと 眉 を ひそめた 。

「 ねえ 」 「 生 だ と 云 う のに 」 「 ねえ 」 「 何だか 要領 を 得 ない な 。

君 、 半熟 を 命じた んじゃ ない か 。

君 の も 生か 」 と 圭 さん は 下 女 を 捨てて 、 碌 さん に 向って くる 。 「 半熟 を 命じて 不 熟 を 得たり か 。

僕 の を 一 つ 割って 見よう 。

―― おや これ は 駄目だ ……」 「 うで 玉子 か 」 と 圭 さん は 首 を 延 して 相手 の 膳 の 上 を 見る 。

「 全 熟 だ 。

こっち の は どう だ 。

―― うん 、 これ も 全 熟 だ 。

―― 姉さん 、 これ は 、 うで 玉子 じゃ ない か 」 と 今度 は 碌 さん が 下 女 に むかう 。

「 ねえ 」 「 そう な の か 」 「 ねえ 」 「 なんだか 言葉 の 通じ ない 国 へ 来た ようだ な 。

―― 向 う の 御 客 さん の が 生玉 子 で 、 おれ の は 、 うで 玉子 な の かい 」 「 ねえ 」 「 なぜ 、 そんな 事 を した のだ い 」 「 半分 煮て 参じました 」 「 な ある ほど 。 こりゃ 、 よく 出来 てら あ 。

ハハハハ 、 君 、 半熟 の いわれ が 分った か 」 と 碌 さん 横手 を 打つ 。 「 ハハハハ 単純な もの だ 」 「 まるで 落し 噺 し 見た ようだ 」 「 間違いました か 。 そちら の も 煮て 参じます か 」 「 なに これ で いい よ 。 ―― 姉さん 、 ここ から 、 阿蘇 まで 何 里 ある かい 」 と 圭 さん が 玉子 に 関係 の ない 方面 へ 出て 来た 。

「 ここ が 阿蘇 で ござ り まっす 」 「 ここ が 阿蘇 なら 、 あした 六 時 に 起きる が もの は ない 。 もう 二三 日 逗留 して 、 すぐ 熊本 へ 引き返そう じゃ ない か 」 と 碌 さん が すぐ 云 う 。

「 どうぞ 、 いつまでも 御 逗留 なさい まっせ 」 「 せっかく 、 姉さん も 、 ああ 云って 勧める もの だ から 、 どう だろう 、 いっそ 、 そう したら 」 と 碌 さん が 圭 さん の 方 を 向く 。 圭 さん は 相手 に し ない 。

「 ここ も 阿蘇 だって 、 阿蘇 郡 なんだろう 」 と やはり 下 女 を 追 窮して いる 。

「 ねえ 」 「 じゃ 阿蘇 の 御 宮 まで は どの くらい ある かい 」 「 御 宮 まで は 三 里 で ござ り まっす 」 「 山 の 上 まで は 」 「 御 宮 から 二 里 で ござ りますたい 」 「 山 の 上 は えらい だろう ね 」 と 碌 さん が 突然 飛び出して くる 。 「 ねえ 」 「 御前 登った 事 が ある かい 」 「 いいえ 」 「 じゃ 知ら ない んだ ね 」 「 いいえ 、 知り まっせ ん 」 「 知ら なけりゃ 、 しようがない 。 せっかく 話 を 聞こう と 思った のに 」 「 御 山 へ 御 登り なさいます か 」 「 うん 、 早く 登り たくって 、 仕方 が ない んだ 」 と 圭 さん が 云 う と 、 「 僕 は 登り たく なくって 、 仕方 が ない んだ 」 と 碌 さん が 打ち 壊 わした 。 「 ホホホ それ じゃ 、 あなた だけ 、 ここ へ 御 逗留 なさい まっせ 」 「 うん 、 ここ で 寝転んで 、 あの ごうご う 云 う 音 を 聞いて いる 方 が 楽な ようだ 。 ごうご う と 云 や あ 、 さっき より 、 だいぶ 烈 しく なった ようだ ぜ 、 君 」 「 そう さ 、 だいぶ 、 強く なった 。

夜 の せい だろう 」 「 御 山 が 少し 荒れて おりますたい 」 「 荒れる と 烈 しく 鳴る の か ね 」 「 ねえ 。 そうして よ な が たくさんに 降って 参りますたい 」 「 よ なた 何 だい 」 「 灰 で ござ り まっす 」 下 女 は 障子 を あけて 、 椽側 へ 人 指し ゆび を 擦りつけ ながら 、 「 御覧 なさり まっせ 」 と 黒い 指先 を 出す 。 「 なるほど 、 始終 降って る んだ 。

きのう は 、 こんな じゃ なかった ね 」 と 圭 さん が 感心 する 。

「 ねえ 。

少し 御 山 が 荒れて おりますたい 」 「 おい 君 、 いくら 荒れて も 登る 気 か ね 。 荒れ模様 なら 少々 延ばそう じゃ ない か 」 「 荒れれば なお 愉快だ 。

滅多に 荒れた ところ な ん ぞ が 見られる もの じゃ ない 。 荒れる 時 と 、 荒れ ない 時 は 火 の 出 具合 が 大変 違う んだ そうだ 。

ねえ 、 姉さん 」 「 ねえ 、 今夜 は 大変 赤く 見えます 。 ちょ と 出て 御覧 なさい まっせ 」 どれ と 、 圭 さん は すぐ 椽側 へ 飛び出す 。 「 いや あ 、 こいつ は 熾 だ 。

おい 君 早く 出て 見た まえ 。

大変だ よ 」 「 大変だ ?

大変じゃ 出て 見る か な 。

どれ 。

―― いや あ 、 こいつ は ―― なるほど えらい もの だ ね ―― あれ じゃ とうてい 駄目だ 」 「 何 が 」 「 何 がって 、―― 登る 途中 で 焼き殺さ れ ち まう だろう 」 「 馬鹿 を 云って いら あ 。 夜 だ から 、 ああ 見える んだ 。

実際 昼間 から 、 あの くらい やって る んだ よ 。

ねえ 、 姉さん 」 「 ねえ 」 「 ねえ かも 知れ ない が 危険だ ぜ 。

ここ に こうして いて も 何だか 顔 が 熱い ようだ 」 と 碌 さん は 、 自分 の 頬 ぺた を 撫で 廻す 。

「 大袈裟な 事 ばかり 云 う 男 だ 」 「 だって 君 の 顔 だって 、 赤く 見える ぜ 。

そら そこ の 垣 の 外 に 広い 稲田 が ある だろう 。

あの 青い 葉 が 一面に 、 こう 照らされて いる じゃ ない か 」 「 嘘 ばかり 、 あれ は 星 の ひかり で 見える のだ 」 「 星 の ひかり と 火 の ひかり と は 趣 が 違う さ 」 「 どうも 、 君 も よほど 無 学 だ ね 。 君 、 あの 火 は 五六 里 先 き に ある のだ ぜ 」 「 何 里 先 き だって 、 向 う の 方 の 空 が 一面に 真 赤 に なって る じゃ ない か 」 と 碌 さん は 向 を ゆびさして 大きな 輪 を 指 の 先 で 描いて 見せる 。

「 よる だ もの 」 「 夜 だって ……」 「 君 は 無 学 だ よ 。

荒木 又 右 衛 門 は 知ら なくって も 好 いが 、 この くらい な 事 が 分 ら なくっちゃ 恥 だ ぜ 」 と 圭 さん は 、 横 から 相手 の 顔 を 見た 。 「 人格 に かかわる か ね 。

人格 に かかわる の は 我慢 する が 、 命 に かかわっちゃ 降参 だ 」 「 まだ あんな 事 を 云って いる 。 ―― じゃ 姉さん に 聞いて 見る が いい 。

ねえ 姉さん 。

あの くらい 火 が 出たって 、 御 山 へ は 登れる んだろう 」 「 ねえ い 」 「 大丈夫 かい 」 と 碌 さん は 下 女 の 顔 を 覗き込む 。 「 ねえ い 。

女 で も 登りますたい 」 「 女 でも 登っちゃ 、 男 は 是非 登る 訳 か な 。 飛んだ 事 に なった もん だ 」 「 ともかくも 、 あした は 六 時 に 起きて ……」 「 もう 分った よ 」 言い 棄 て て 、 部屋 の なか に 、 ごろり と 寝転んだ 、 碌 さん の 去った あと に 、 圭 さん は 、 黙 然 と 、 眉 を 軒 げ て 、 奈落 から 半 空 に 向って 、 真 直 に 立つ 火 の 柱 を 見詰めて いた 。


「三 」 二百十 日 夏目 漱石 みっ|にひゃくじゅう|ひ|なつめ|そうせき Three" Two Hundred and Eleven Days, Natsume Soseki

「 姉さん 、 この 人 は 肥って る だろう 」 「 だいぶ ん 肥えて い な はります 」 「 肥えて るって 、 おれ は 、 これ で 豆腐 屋 だ もの 」 「 ホホホ 」 「 豆腐 屋 じゃ おかしい かい 」 「 豆腐 屋 の 癖 に 西郷 隆盛 の ような 顔 を して いる から おかしい んだ よ 。 ねえさん||じん||こえ って|||||こえて|||はり ます|こえて|る って|||||とうふ|や||||とうふ|や||||とうふ|や||くせ||さいごう|りゅうせい|||かお||||||| "Sister, this person will be fat." "It's quite fat." "It's fat, I'm a tofu shop." "Hohoho" "It's funny at a tofu shop." " It's strange because he has a face like Saigo Takamori in the habit of a tofu shop. 時に こう 、 精進 料理 じゃ 、 あした 、 御 山 へ 登れ そう も ない な 」 「 また 御馳走 を 食い た がる 」 「 食い た がるって 、 これ じゃ 営 養 不良に なる ばかりだ 」 「 なに これほど 御馳走 が あれば たくさんだ 。 ときに||しょうじん|りょうり|||ご|やま||のぼれ||||||ごちそう||くい|||くい||がる って|||いとな|やしな|ふりょうに|||||ごちそう||| ―― 湯 葉 に 、 椎茸 に 、 芋 に 、 豆腐 、 いろいろ ある じゃ ない か 」 「 いろいろ ある 事 は ある が ね 。 ゆ|は||しいたけ||いも||とうふ||||||||こと||||

ある 事 は 君 の 商売 道具 まで ある んだ が ―― 困った な 。 |こと||きみ||しょうばい|どうぐ|||||こまった|

昨日 は 饂飩 ばかり 食わせられる 。 きのう||うどん||くわせ られる きょう は 湯 葉 に 椎茸 ばかり か 。 ||ゆ|は||しいたけ||

ああ ああ 」 「 君 この 芋 を 食って 見た まえ 。 ||きみ||いも||くって|みた|

掘り たて で すこぶる 美味だ 」 「 すこぶる 剛 健 な 味 が しや し ない か ―― おい 姉さん 、 肴 は 何も ない の かい 」 「 あいにく 何も ござ り まっせ ん 」 「 ござ り まっせん は 弱った な 。 ほり||||びみだ||かたし|けん||あじ|||||||ねえさん|さかな||なにも|||||なにも|||まっ せ||||まっ せ ん||よわった| じゃ 玉子 が ある だろう 」 「 玉子 なら ござ り まっす 」 「 その 玉子 を 半熟 に して 来て くれ 」 「 何 に 致します 」 「 半熟 に する んだ 」 「 煮て 参じます か 」 「 まあ 煮る んだ が 、 半分 煮る んだ 。 |たまご||||たまご||||まっ す||たまご||はんじゅく|||きて||なん||いたし ます|はんじゅく||||にて|さんじ ます|||にる|||はんぶん|にる| 半熟 を 知ら ない か 」 「 いいえ 」 「 知ら ない ? はんじゅく||しら||||しら|

」 「 知り まっせ ん 」 「 どうも 辟易 だ な 」 「 何で ござ り まっす 」 「 何でも いい から 、 玉子 を 持って 御 出 。 しり|まっ せ|||へきえき|||なんで|||まっ す|なんでも|||たまご||もって|ご|だ それ から 、 おい 、 ちょっと 待った 。 ||||まった

君 ビール を 飲む か 」 「 飲んで も いい 」 と 圭 さん は 泰 然 たる 返事 を した 。 きみ|びーる||のむ||のんで||||けい|||ひろし|ぜん||へんじ||

「 飲んで も いい か 、 それ じゃ 飲ま なくって も いい んだ 。 のんで||||||のま|なく って||| ―― よす か ね 」 「 よさ なくって も 好 い 。 |||よ さ|なく って||よしみ| ともかくも 少し 飲もう 」 「 ともかくも か 、 ハハハ 。 |すこし|のもう|||

君 ほど 、 ともかくも の 好きな 男 は ない ね 。 きみ||||すきな|おとこ|||

それ で 、 あした に なる と 、 ともかくも 饂飩 を 食おう と 云 うんだろう 。 |||||||うどん||くおう||うん|

―― 姉さん 、 ビール も ついでに 持ってくる んだ 。 ねえさん|びーる|||もってくる|

玉子 と ビール だ 。 たまご||びーる|

分ったろう ね 」 「 ビール は ござ り まっせ ん 」 「 ビール が ない ? ぶん ったろう||びーる||||まっ せ||びーる|| ―― 君 ビール は ない と さ 。 きみ|びーる||||

何だか 日本 の 領地 で ない ような 気 が する 。 なんだか|にっぽん||りょうち||||き||

情 ない 所 だ 」 「 なければ 、 飲ま なくって も 、 いい さ 」 と 圭 さん は また 泰 然 たる 挨拶 を する 。 じょう||しょ|||のま|なく って|||||けい||||ひろし|ぜん||あいさつ|| 「 ビール は ござ りません ばって ん 、 恵比寿 なら ござ ります 」 「 ハハハハ いよいよ 妙に なって 来た 。 びーる|||り ませ ん|ば って||えびす|||り ます|||みょうに||きた おい 君 ビール で ない 恵比寿 が あるって 云 うんだ が 、 その 恵比寿 でも 飲んで 見る か ね 」 「 うん 、 飲んで も いい 。 |きみ|びーる|||えびす||ある って|うん||||えびす||のんで|みる||||のんで|| ―― その 恵比寿 は やっぱり 罎 に 這 入って る んだろう ね 、 姉さん 」 と 圭 さん は この 時 ようやく 下 女 に 話しかけた 。 |えびす|||びん||は|はいって||||ねえさん||けい||||じ||した|おんな||はなしかけた

「 ねえ 」 と 下 女 は 肥後 訛り の 返事 を する 。 ||した|おんな||ひご|なまり||へんじ||

「 じゃ 、 ともかくも その 栓 を 抜いて ね 。 |||せん||ぬいて|

罎 ごと 、 ここ へ 持って おいで 」 「 ねえ 」 下 女 は 心得 貌 に 起って 行く 。 びん||||もって|||した|おんな||こころえ|ぼう||おこって|いく

幅 の 狭い 唐 縮緬 を ちょき り 結び に 御 臀 の 上 へ 乗せて 、 絣 の 筒 袖 を つ ん つる てん に 着て いる 。 はば||せまい|とう|ちりめん||||むすび||ご|でん||うえ||のせて|かすり||つつ|そで|||||||きて|

髪 だけ は 一種 異様 の 束 髪 に 、 だいぶ 碌 さん と 圭 さん の 胆 を 寒 から しめた ようだ 。 かみ|||いっしゅ|いよう||たば|かみ|||ろく|||けい|||たん||さむ|||

「 あの 下 女 は 異彩 を 放って る ね 」 と 碌 さん が 云 う と 、 圭 さん は 平気な 顔 を して 、 「 そう さ 」 と 何の 苦 も なく 答えた が 、 「 単純で いい 女 だ 」 と あと へ 、 持って 来て 、 木 に 竹 を 接いだ ように つけた 。 |した|おんな||いさい||はなって||||ろく|||うん|||けい|||へいきな|かお||||||なんの|く|||こたえた||たんじゅんで||おんな|||||もって|きて|き||たけ||ついだ||

「 剛 健 な 趣味 が ありゃ し ない か 」 「 うん 。 かたし|けん||しゅみ||||||

実際 田舎 者 の 精神 に 、 文明 の 教育 を 施す と 、 立派な 人物 が 出来る んだ が な 。 じっさい|いなか|もの||せいしん||ぶんめい||きょういく||ほどこす||りっぱな|じんぶつ||できる|||

惜しい 事 だ 」 「 そんなに 惜しけりゃ 、 あれ を 東京 へ 連れて 行って 、 仕込んで 見る が いい 」 「 うん 、 それ も 好 かろう 。 おしい|こと|||おしけりゃ|||とうきょう||つれて|おこなって|しこんで|みる||||||よしみ|

しかし それ より 前 に 文明 の 皮 を 剥か なくっちゃ 、 いけない 」 「 皮 が 厚い から なかなか 骨 が 折れる だろう 」 と 碌 さん は 水 瓜 の ような 事 を 云 う 。 |||ぜん||ぶんめい||かわ||むか|||かわ||あつい|||こつ||おれる|||ろく|||すい|うり|||こと||うん|

「 折れて も 何でも 剥く の さ 。 おれて||なんでも|むく||

奇麗な 顔 を して 、 下 卑 た 事 ばかり やって る 。 きれいな|かお|||した|ひ||こと|||

それ も 金 が ない 奴 だ と 、 自分 だけ で 済む のだ が 、 身分 が いい と 困る 。 ||きむ|||やつ|||じぶん|||すむ|||みぶん||||こまる

下 卑 た 根性 を 社会 全体 に 蔓延 さ せる から ね 。 した|ひ||こんじょう||しゃかい|ぜんたい||まんえん||||

大変な 害毒 だ 。 たいへんな|がいどく|

しかも 身分 が よかったり 、 金 が あったり する もの に 、 よく こう 云 う 性根 の 悪い 奴 が ある もの だ 」 「 しかも 、 そんな の に 限って 皮 が いよいよ 厚い んだろう 」 「 体裁 だけ は すこぶる 美 事 な もの さ 。 |みぶん|||きむ||||||||うん||しょうね||わるい|やつ|||||||||かぎって|かわ|||あつい||ていさい||||び|こと|||

しかし 内心 は あの 下 女 より よっぽど すれて いる んだ から 、 いやに なって しまう 」 「 そう か ね 。 |ないしん|||した|おんな||||||||||||

じゃ 、 僕 も これ から 、 ちと 剛 健 党 の 御 仲間 入り を やろう か な 」 「 無論 の 事 さ 。 |ぼく|||||かたし|けん|とう||ご|なかま|はいり|||||むろん||こと|

だから まず 第 一 着 に あした 六 時 に 起きて ……」 「 御 昼 に 饂飩 を 食って か 」 「 阿蘇 の 噴火 口 を 観て ……」 「 癇癪 を 起して 飛び込ま ない ように 要 心 を して か 」 「 もっとも 崇高なる 天地 間 の 活力 現象 に 対して 、 雄大 の 気象 を 養って 、 齷齪 たる 塵 事 を 超越 する んだ 」 「 あんまり 超越 し 過ぎる と あと で 世の中 が 、 いやに なって 、 かえって 困る ぜ 。 ||だい|ひと|ちゃく|||むっ|じ||おきて|ご|ひる||うどん||くって||あそ||ふんか|くち||みて|かんしゃく||おこして|とびこま|||かなめ|こころ|||||すうこうなる|てんち|あいだ||かつりょく|げんしょう||たいして|ゆうだい||きしょう||やしなって|あくさく||ちり|こと||ちょうえつ||||ちょうえつ||すぎる||||よのなか|||||こまる|

だから そこ の ところ は 好 加減 に 超越 して 置く 事 に し ようじゃ ない か 。 |||||よしみ|かげん||ちょうえつ||おく|こと|||||

僕 の 足 じゃ とうてい そう えらく 超越 出来 そう も ない よ 」 「 弱い 男 だ 」 筒 袖 の 下 女 が 、 盆 の 上 へ 、 麦酒 ( ビール ) を 一 本 、 洋 盃 ( コップ ) を 二 つ 、 玉子 を 四 個 、 並べ つくして 持ってくる 。 ぼく||あし|||||ちょうえつ|でき|||||よわい|おとこ||つつ|そで||した|おんな||ぼん||うえ||ばくしゅ|びーる||ひと|ほん|よう|さかずき|こっぷ||ふた||たまご||よっ|こ|ならべ||もってくる

「 そら 恵比寿 が 来た 。 |えびす||きた

この 恵比寿 が ビール で ない んだ から 面白い 。 |えびす||びーる|||||おもしろい

さあ 一 杯 飲む かい 」 と 碌 さん が 相手 に 洋 盃 を 渡す 。 |ひと|さかずき|のむ|||ろく|||あいて||よう|さかずき||わたす

「 うん 、 ついでに その 玉子 を 二 つ 貰おう か 」 と 圭 さん が 云 う 。 |||たまご||ふた||もらおう|||けい|||うん|

「 だって 玉子 は 僕 が 誂 ら えた んだ ぜ 」 「 しかし 四 つ と も 食う 気 かい 」 「 あした の 饂飩 が 気 に なる から 、 この うち 二 個 は 携帯 して 行こう と 思う んだ 」 「 うん 、 そん なら 、 よ そう 」 と 圭 さん は すぐ 断念 する 。 |たまご||ぼく||ちょう||||||よっ||||くう|き||||うどん||き||||||ふた|こ||けいたい||いこう||おもう||||||||けい||||だんねん|

「 よす と なる と 気の毒だ から 、 まあ 上げよう 。 ||||きのどくだ|||あげよう

本来 なら 剛 健 党 が 玉子 な ん ぞ を 食う の は 、 ちと 贅沢 の 沙汰 だ が 、 可哀想で も ある から 、―― さあ 食う が いい 。 ほんらい||かたし|けん|とう||たまご|||||くう||||ぜいたく||さた|||かわいそうで|||||くう||

―― 姉さん 、 この 恵比寿 は どこ で できる んだ ね 」 「 おおかた 熊本 で ござ り まっしょ 」 「 ふん 、 熊本 製 の 恵比寿 か 、 なかなか 旨 いや 。 ねえさん||えびす||||||||くまもと||||まっ しょ||くまもと|せい||えびす|||むね| 君 どう だ 、 熊本 製 の 恵比寿 は 」 「 うん 。 きみ|||くまもと|せい||えびす||

やっぱり 東京 製 と 同じ ようだ 。 |とうきょう|せい||おなじ|

―― おい 、 姉さん 、 恵比寿 は いい が 、 この 玉子 は 生 だ ぜ 」 と 玉子 を 割った 圭 さん は ちょっと 眉 を ひそめた 。 |ねえさん|えびす|||||たまご||せい||||たまご||わった|けい||||まゆ||

「 ねえ 」 「 生 だ と 云 う のに 」 「 ねえ 」 「 何だか 要領 を 得 ない な 。 |せい|||うん||||なんだか|ようりょう||とく||

君 、 半熟 を 命じた んじゃ ない か 。 きみ|はんじゅく||めいじた|||

君 の も 生か 」 と 圭 さん は 下 女 を 捨てて 、 碌 さん に 向って くる 。 きみ|||いか||けい|||した|おんな||すてて|ろく|||むかい って| 「 半熟 を 命じて 不 熟 を 得たり か 。 はんじゅく||めいじて|ふ|じゅく||えたり|

僕 の を 一 つ 割って 見よう 。 ぼく|||ひと||わって|みよう

―― おや これ は 駄目だ ……」 「 うで 玉子 か 」 と 圭 さん は 首 を 延 して 相手 の 膳 の 上 を 見る 。 |||だめだ||たまご|||けい|||くび||のぶ||あいて||ぜん||うえ||みる

「 全 熟 だ 。 ぜん|じゅく|

こっち の は どう だ 。

―― うん 、 これ も 全 熟 だ 。 |||ぜん|じゅく|

―― 姉さん 、 これ は 、 うで 玉子 じゃ ない か 」 と 今度 は 碌 さん が 下 女 に むかう 。 ねえさん||||たまご|||||こんど||ろく|||した|おんな||

「 ねえ 」 「 そう な の か 」 「 ねえ 」 「 なんだか 言葉 の 通じ ない 国 へ 来た ようだ な 。 |||||||ことば||つうじ||くに||きた||

―― 向 う の 御 客 さん の が 生玉 子 で 、 おれ の は 、 うで 玉子 な の かい 」 「 ねえ 」 「 なぜ 、 そんな 事 を した のだ い 」 「 半分 煮て 参じました 」 「 な ある ほど 。 むかい|||ご|きゃく||||いくたま|こ||||||たまご|||||||こと|||||はんぶん|にて|さんじ ました||| こりゃ 、 よく 出来 てら あ 。 ||でき||

ハハハハ 、 君 、 半熟 の いわれ が 分った か 」 と 碌 さん 横手 を 打つ 。 |きみ|はんじゅく||いわ れ||ぶん った|||ろく||よこて||うつ 「 ハハハハ 単純な もの だ 」 「 まるで 落し 噺 し 見た ようだ 」 「 間違いました か 。 |たんじゅんな||||おとし|はなし||みた||まちがい ました| そちら の も 煮て 参じます か 」 「 なに これ で いい よ 。 |||にて|さんじ ます|||||| ―― 姉さん 、 ここ から 、 阿蘇 まで 何 里 ある かい 」 と 圭 さん が 玉子 に 関係 の ない 方面 へ 出て 来た 。 ねえさん|||あそ||なん|さと||||けい|||たまご||かんけい|||ほうめん||でて|きた

「 ここ が 阿蘇 で ござ り まっす 」 「 ここ が 阿蘇 なら 、 あした 六 時 に 起きる が もの は ない 。 ||あそ||||まっ す|||あそ|||むっ|じ||おきる|||| もう 二三 日 逗留 して 、 すぐ 熊本 へ 引き返そう じゃ ない か 」 と 碌 さん が すぐ 云 う 。 |ふみ|ひ|とうりゅう|||くまもと||ひきかえそう|||||ろく||||うん|

「 どうぞ 、 いつまでも 御 逗留 なさい まっせ 」 「 せっかく 、 姉さん も 、 ああ 云って 勧める もの だ から 、 どう だろう 、 いっそ 、 そう したら 」 と 碌 さん が 圭 さん の 方 を 向く 。 ||ご|とうりゅう||まっ せ||ねえさん|||うん って|すすめる||||||||||ろく|||けい|||かた||むく 圭 さん は 相手 に し ない 。 けい|||あいて|||

「 ここ も 阿蘇 だって 、 阿蘇 郡 なんだろう 」 と やはり 下 女 を 追 窮して いる 。 ||あそ||あそ|ぐん||||した|おんな||つい|きゅうして|

「 ねえ 」 「 じゃ 阿蘇 の 御 宮 まで は どの くらい ある かい 」 「 御 宮 まで は 三 里 で ござ り まっす 」 「 山 の 上 まで は 」 「 御 宮 から 二 里 で ござ りますたい 」 「 山 の 上 は えらい だろう ね 」 と 碌 さん が 突然 飛び出して くる 。 ||あそ||ご|みや|||||||ご|みや|||みっ|さと||||まっ す|やま||うえ|||ご|みや||ふた|さと|||り ます たい|やま||うえ||||||ろく|||とつぜん|とびだして| 「 ねえ 」 「 御前 登った 事 が ある かい 」 「 いいえ 」 「 じゃ 知ら ない んだ ね 」 「 いいえ 、 知り まっせ ん 」 「 知ら なけりゃ 、 しようがない 。 |おまえ|のぼった|こと||||||しら|||||しり|まっ せ||しら|| せっかく 話 を 聞こう と 思った のに 」 「 御 山 へ 御 登り なさいます か 」 「 うん 、 早く 登り たくって 、 仕方 が ない んだ 」 と 圭 さん が 云 う と 、 「 僕 は 登り たく なくって 、 仕方 が ない んだ 」 と 碌 さん が 打ち 壊 わした 。 |はなし||きこう||おもった||ご|やま||ご|のぼり|なさい ます|||はやく|のぼり|たく って|しかた|||||けい|||うん|||ぼく||のぼり||なく って|しかた|||||ろく|||うち|こわ| 「 ホホホ それ じゃ 、 あなた だけ 、 ここ へ 御 逗留 なさい まっせ 」 「 うん 、 ここ で 寝転んで 、 あの ごうご う 云 う 音 を 聞いて いる 方 が 楽な ようだ 。 |||||||ご|とうりゅう||まっ せ||||ねころんで||||うん||おと||きいて||かた||らくな| ごうご う と 云 や あ 、 さっき より 、 だいぶ 烈 しく なった ようだ ぜ 、 君 」 「 そう さ 、 だいぶ 、 強く なった 。 |||うん||||||れつ|||||きみ||||つよく|

夜 の せい だろう 」 「 御 山 が 少し 荒れて おりますたい 」 「 荒れる と 烈 しく 鳴る の か ね 」 「 ねえ 。 よ||||ご|やま||すこし|あれて|おり ます たい|あれる||れつ||なる|||| そうして よ な が たくさんに 降って 参りますたい 」 「 よ なた 何 だい 」 「 灰 で ござ り まっす 」 下 女 は 障子 を あけて 、 椽側 へ 人 指し ゆび を 擦りつけ ながら 、 「 御覧 なさり まっせ 」 と 黒い 指先 を 出す 。 |||||ふって|まいり ます たい|||なん||はい||||まっ す|した|おんな||しょうじ|||たるきがわ||じん|さし|||なすりつけ||ごらん||まっ せ||くろい|ゆびさき||だす 「 なるほど 、 始終 降って る んだ 。 |しじゅう|ふって||

きのう は 、 こんな じゃ なかった ね 」 と 圭 さん が 感心 する 。 |||||||けい|||かんしん|

「 ねえ 。

少し 御 山 が 荒れて おりますたい 」 「 おい 君 、 いくら 荒れて も 登る 気 か ね 。 すこし|ご|やま||あれて|おり ます たい||きみ||あれて||のぼる|き|| 荒れ模様 なら 少々 延ばそう じゃ ない か 」 「 荒れれば なお 愉快だ 。 あれもよう||しょうしょう|のばそう||||あれれば||ゆかいだ

滅多に 荒れた ところ な ん ぞ が 見られる もの じゃ ない 。 めったに|あれた||||||み られる||| 荒れる 時 と 、 荒れ ない 時 は 火 の 出 具合 が 大変 違う んだ そうだ 。 あれる|じ||あれ||じ||ひ||だ|ぐあい||たいへん|ちがう||そう だ

ねえ 、 姉さん 」 「 ねえ 、 今夜 は 大変 赤く 見えます 。 |ねえさん||こんや||たいへん|あかく|みえ ます ちょ と 出て 御覧 なさい まっせ 」 どれ と 、 圭 さん は すぐ 椽側 へ 飛び出す 。 ||でて|ごらん||まっ せ|||けい||||たるきがわ||とびだす 「 いや あ 、 こいつ は 熾 だ 。 ||||し|

おい 君 早く 出て 見た まえ 。 |きみ|はやく|でて|みた|

大変だ よ 」 「 大変だ ? たいへんだ||たいへんだ

大変じゃ 出て 見る か な 。 たいへんじゃ|でて|みる||

どれ 。

―― いや あ 、 こいつ は ―― なるほど えらい もの だ ね ―― あれ じゃ とうてい 駄目だ 」 「 何 が 」 「 何 がって 、―― 登る 途中 で 焼き殺さ れ ち まう だろう 」 「 馬鹿 を 云って いら あ 。 ||||||||||||だめだ|なん||なん||のぼる|とちゅう||やきころさ|||||ばか||うん って|| 夜 だ から 、 ああ 見える んだ 。 よ||||みえる|

実際 昼間 から 、 あの くらい やって る んだ よ 。 じっさい|ひるま|||||||

ねえ 、 姉さん 」 「 ねえ 」 「 ねえ かも 知れ ない が 危険だ ぜ 。 |ねえさん||||しれ|||きけんだ|

ここ に こうして いて も 何だか 顔 が 熱い ようだ 」 と 碌 さん は 、 自分 の 頬 ぺた を 撫で 廻す 。 |||||なんだか|かお||あつい|||ろく|||じぶん||ほお|||なで|まわす

「 大袈裟な 事 ばかり 云 う 男 だ 」 「 だって 君 の 顔 だって 、 赤く 見える ぜ 。 おおげさな|こと||うん||おとこ|||きみ||かお||あかく|みえる|

そら そこ の 垣 の 外 に 広い 稲田 が ある だろう 。 |||かき||がい||ひろい|いなだ|||

あの 青い 葉 が 一面に 、 こう 照らされて いる じゃ ない か 」 「 嘘 ばかり 、 あれ は 星 の ひかり で 見える のだ 」 「 星 の ひかり と 火 の ひかり と は 趣 が 違う さ 」 「 どうも 、 君 も よほど 無 学 だ ね 。 |あおい|は||いちめんに||てらさ れて|||||うそ||||ほし||||みえる||ほし||||ひ|||||おもむき||ちがう|||きみ|||む|まな|| 君 、 あの 火 は 五六 里 先 き に ある のだ ぜ 」 「 何 里 先 き だって 、 向 う の 方 の 空 が 一面に 真 赤 に なって る じゃ ない か 」 と 碌 さん は 向 を ゆびさして 大きな 輪 を 指 の 先 で 描いて 見せる 。 きみ||ひ||ごろく|さと|さき||||||なん|さと|さき|||むかい|||かた||から||いちめんに|まこと|あか||||||||ろく|||むかい|||おおきな|りん||ゆび||さき||えがいて|みせる

「 よる だ もの 」 「 夜 だって ……」 「 君 は 無 学 だ よ 。 |||よ||きみ||む|まな||

荒木 又 右 衛 門 は 知ら なくって も 好 いが 、 この くらい な 事 が 分 ら なくっちゃ 恥 だ ぜ 」 と 圭 さん は 、 横 から 相手 の 顔 を 見た 。 あらき|また|みぎ|まもる|もん||しら|なく って||よしみ|||||こと||ぶん|||はじ||||けい|||よこ||あいて||かお||みた 「 人格 に かかわる か ね 。 じんかく||||

人格 に かかわる の は 我慢 する が 、 命 に かかわっちゃ 降参 だ 」 「 まだ あんな 事 を 云って いる 。 じんかく|||||がまん|||いのち|||こうさん||||こと||うん って| ―― じゃ 姉さん に 聞いて 見る が いい 。 |ねえさん||きいて|みる||

ねえ 姉さん 。 |ねえさん

あの くらい 火 が 出たって 、 御 山 へ は 登れる んだろう 」 「 ねえ い 」 「 大丈夫 かい 」 と 碌 さん は 下 女 の 顔 を 覗き込む 。 ||ひ||でた って|ご|やま|||のぼれる||||だいじょうぶ|||ろく|||した|おんな||かお||のぞきこむ 「 ねえ い 。

女 で も 登りますたい 」 「 女 でも 登っちゃ 、 男 は 是非 登る 訳 か な 。 おんな|||のぼり ます たい|おんな||のぼっちゃ|おとこ||ぜひ|のぼる|やく|| 飛んだ 事 に なった もん だ 」 「 ともかくも 、 あした は 六 時 に 起きて ……」 「 もう 分った よ 」 言い 棄 て て 、 部屋 の なか に 、 ごろり と 寝転んだ 、 碌 さん の 去った あと に 、 圭 さん は 、 黙 然 と 、 眉 を 軒 げ て 、 奈落 から 半 空 に 向って 、 真 直 に 立つ 火 の 柱 を 見詰めて いた 。 とんだ|こと||||||||むっ|じ||おきて||ぶん った||いい|き|||へや||||||ねころんだ|ろく|||さった|||けい|||もく|ぜん||まゆ||のき|||ならく||はん|から||むかい って|まこと|なお||たつ|ひ||ちゅう||みつめて|