78. 京都 の ご り の 茶 漬け - 北 大路 魯山人
京都 の ご り の 茶 漬け - 北 大路 魯山 人
京都 の ご り は 加茂川 に 多く いた が 、 今 は よほど 上流 に さかのぼら ない と いない ようである 。 桂川 で は 今 でも たくさん 獲 れる 。 ご り は 浅瀬 の 美しい 、 水 の 流れる 河原 に 棲息 する 身長 一 寸 ばかり の 小 ざ かな である 。 ・・
ご り と いって も 分 ら ない 人 は 、 はぜ の ような 形 の さかな と 思えば いい 。 腹 に 鰭 で できた ような 吸盤 が ついて いて 、 早瀬 に 流さ れ ぬ よう 河 底 の 石 に 吸いついて いる 。 ・・
ご り に は 大小 さまざま の 種類 が ある が 、 ここ に 登場 する ご り は 小さ なごり で 、 一 寸 以上 に 大きく なら ぬ ようである 。 それ が 証拠 に 、 小さな くせ に 卵 を 持って いる 。 身 は 短 小 なれ ど 非常に 美味 い さかな である 。 ・・
京都 の 川 肴 料理 で は 、 赤 だ し ( 味噌汁 ) 椀 に 、 七尾 入れる こと を 通例 と して いる 。 こんな 小さな もの を 七尾 入れて 、 立派な 京 名物 が 出来る のだ から 、 その 美味 さ が 想像 できる だろう 。 従って 値段 も 高い 。 たくさん 獲 れ ない から である 。 とても 、 佃煮 なんか に して 食べる ほど 獲 れ ない のだ 。 にもかかわらず 、 佃煮 に して 食べよう と いう のである から 、 ご り 茶 漬け は 天下一 品 の ぜいたく と いわ れる のである 。 ・・
今では 、 生きた の が 一 升 二千 円 見当 も する だろう 。 これ を 佃煮 に する と 、 かさ が 減る から 、 ぜいたくに おいて 随一 の 佃煮 である 。 ・・
ご り の 佃煮 と は 要するに 、 高い ご り を 生 醤油 で 煮る のである 。 それ を 十 尾 ばかり 熱 飯 の 上 に 載せて 、 茶 を かけて 食べる のである 。 ・・
昔 から ご り の 茶 潰 け は 有名な もの だ が 、 おそらく 京都 でも 食べた こと の ある 人 は 少ない であろう 。 京都 以外 の 人 で は 、 名前 も 存在 も 知ら ぬ 人 が 多い かも 知れ ない 。 ・・
食 通 間 で は 、 ご り の 茶 漬け を 茶 漬け の 王者 と 称して 珍重 して いる 。 しかし 、 食べて みよう と 思えば 、 大して ぜいたくな もの で は ない 。 なぜなら 、 高い と いった ところ で 、 一 椀 十 尾 ばかり で すむ こと である から 、 金 に すれば なんでもない 。 ただ 五 尾 か 七 尾 で 、 名物 吸いもの に して いる の を 目前 に 見て いる ので 、 思い切って 佃煮 に する 勇気 が しぶる だけ の こと である 。 もったいない が 先 に 立って 、 やっぱり 味噌汁 に して 、 平凡に 食べて しまう ように なる 。 ・・
この ご り は 、 どこ の 川 に でも いる ようだ が 、 京都 の は 小さくて 、 粒 が 揃って いる 。 ・・
篤志 の 方 は 、 京都 に 行か れた 節 に でも 、 料理 屋 に 命じて 、 醤油 で 煮つめ させ 、 一 つ 試みられて は いかが 。 これ さえ 食べれば 、 一躍 茶 漬け の 天下 取り に なれる わけである 。 ・・
ついでに 茶 漬け と は 別な 話 である が 、 京都 に は 「 鷺 知ら ず 」 と いう 美味 い 小 ざ かな が ある 。