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Natsume Soseki - I am a cat 夏目漱石 - 我輩は猫である。, 1. – Text to read

Natsume Soseki - I am a cat 夏目漱石 - 我輩は猫である。, 1.

Avançado 2 Japonês lesson to practice reading

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1.

吾輩 は 猫 である ・ 目次 へ 第 一 話 下段 中段

吾輩 は 猫 である 。 名前 は まだ 無い 。 どこ で 生れた か とんと 見当 が つかぬ 。 何でも 薄暗い じめじめ した 所 で ニャーニャー 泣いていた 事 だけ は 記憶している 。 吾輩 は ここ で 始めて 人間 と いう もの を 見た 。 しかも あと で 聞く と それ は 書生 と いう 人間 中 で 一番 獰悪 な 種族 であった そうだ 。 この 書生 と いう の は 時々 我々 を 捕えて 煮て 食う と いう 話 である 。 しかし その 当時 は 何という 考 も なかった から 別段 恐し いとも 思わ なかった 。 ただ 彼 の 掌 に 載せられて スー と 持ち上げられた 時 何だか フワフワ した 感じ が あった ばかりである 。 掌 の 上 で 少し 落ちついて 書生 の 顔 を 見た のが いわゆる 人間 と いう もの の 見始 であろう 。 この 時 妙な もの だ と 思った 感じ が 今 でも 残っている 。 第 一 毛 を もって 装飾 さ れ べき はずの 顔 が つるつるして まるで 薬缶 だ 。 その後 猫 に も だいぶ 逢った が こんな 片輪 に は 一 度 も 出会わした 事 が ない 。 のみ ならず 顔 の 真中 が あまりに 突起 して いる 。 そうして その 穴 の 中 から 時々 ぷうぷう と 煙 を 吹く 。 どうも 咽 せ ぽく て 実に 弱った 。 これ が 人間 の 飲む 煙草 と いう もの である 事 は ようやく この 頃 知った 。 この 書生 の 掌 の 裏 で しばらく は よい 心持 に 坐って おった が 、しばらく する と 非常な 速力 で 運転 し 始めた 。 書生 が 動く の か 自分 だけ が 動く の か 分らない が 無 暗 に 眼 が 廻る 。 胸 が 悪く なる 。 到底 助からない と 思って いる と 、 ど さ り と 音 が して 眼 から 火 が 出た 。 それ まで は 記憶 している が あと は 何の 事 やら いくら 考え出そう と しても 分らない 。 ふと 気 が 付いて 見る と 書生 は い ない 。 たくさん おった 兄弟 が 一 疋 も 見え ぬ 。 肝心 の 母親 さえ 姿 を 隠して しまった 。 その 上 今まで の 所 と は 違って 無暗に 明るい 。 眼 を 明いて い られ ぬ くらい だ 。 はて な 何でも 容子 が おかしい と 、のそのそ 這い出して 見る と 非常に 痛い 。 吾輩 は 藁 ( わら ) の 上 から 急に 笹 原 の 中 へ 棄 てられた のである 。 ようやく の 思い で 笹原 を 這い出す と 向う に 大きな 池 が ある 。 吾輩 は 池 の 前 に 坐って どう したら よかろう と 考えて 見た 。 別に これという 分別 ( ふん べつ ) も 出ない 。 しばらく して 泣いたら 書生 が また 迎 に 来て くれる か と 考え 付いた 。 ニャー 、ニャー と 試みに やって 見た が 誰 も 来ない 。 そのうち 池 の 上 を さらさら と 風 が 渡って 日 が 暮れ かかる 。 腹 が 非常に 減って 来た 。 泣き たくて も 声 が 出 ない 。 仕方 が ない 、 何でも よい から 食物 ( くいもの ) の ある 所 まで あるこう と 決心 を して そろりそろり と 池 を 左 ( ひだ ) り に 廻り 始めた 。 どうも 非常に 苦しい 。 そこ を 我慢 して 無理やり に 這 ( は )って 行く と ようやく の 事 で 何となく人間 臭い 所 へ 出た 。 ここ へ 這 入 ( はい )ったら 、 どうにか なる と 思って 竹 垣 の 崩 ( くず )れた 穴 から 、 とある 邸 内 に もぐり 込んだ 。 縁 は 不思議な もの で 、 もし この 竹 垣 が 破れて い なかった なら 、 吾輩 は ついに 路傍 ( ろぼう ) に 餓死 ( がし ) した かも 知れ ん のである 。 一樹 の 蔭 と は よく 云 ( い )った もの だ 。 この 垣根 の 穴 は 今日 ( こんにち ) に 至る まで 吾輩 が 隣家 ( と なり ) の 三 毛 を 訪問 する 時 の 通路 に なって いる 。 さて 邸 ( や しき ) へ は 忍び込んだ もの の これ から 先どう して 善 ( い ) いか 分 らない 。 その うち に 暗く なる 、 腹 は 減る 、 寒 さ は 寒し 、 雨 が 降って 来る と いう 始末 で もう 一刻 の 猶予 ( ゆう よ ) が 出来 なく なった 。 仕方 が ない から とにかく 明るくて 暖か そうな 方 へ 方 へ と あるいて 行く 。 今 から 考える と その 時 は すでに 家 の 内 に 這入って おった のだ 。 ここ で 吾輩 は 彼 ( か ) の 書生 以外 の人間 を 再び 見る べき 機会 に 遭遇 ( そうぐう ) した のである 。 第 一 に 逢った の が おさん (台所 で 働く 下女 の 通称 。 おさん どん )である 。 これ は 前 の 書生 より 一層 乱暴な 方 で 吾輩 を 見る や 否 や いきなり 頸筋 ( くびすじ ) を つかんで 表 へ 抛 ( ほう ) り 出した 。 いや これ は 駄目 だ と 思った から 眼 を ねぶって 運 を 天 に 任せて いた 。 しかし ひもじい の と 寒い のに は どうしても 我慢 が 出来ん 。 吾輩 は 再び おさん の 隙 ( すき ) を 見て 台所 へ 這 ( は ) い 上 ( あ が )った 。 すると 間もなく また 投げ出さ れた 。 吾輩 は 投げ出さ れて は 這い上り 、這い上って は 投げ出さ れ 、何でも 同じ 事 を 四五 遍 繰り返した の を 記憶している 。 その 時 に おさん と 云う 者 は つくづく いやに なった 。 この 間 おさん の 三 馬 ( さんま = 魚 の サンマ の こと ) を 偸 ( ぬす ) ん で この 返 報 を して やって から 、 やっと 胸 の 痞 ( つかえ ) が 下りた 。 吾輩 が 最後に つまみ出さ れよう と した とき に 、 この 家 ( うち ) の 主人 が 騒々しい 何 だ と いい ながら 出て 来た 。 下 女 は 吾輩 を ぶら下げて 主人 の 方 へ 向けて この 宿 ( やど ) なし の 小 猫 が いくら 出して も 出して も 御 台所 ( お だいどころ ) へ 上 ( あ が )って 来て 困ります と いう 。 主人 は 鼻 の 下 の 黒い 毛 を 撚 ( ひね ) り ながら 吾輩 の 顔 を しばらく 眺 ( な が ) め て おった が 、 やがて そんな ら 内 へ 置いて やれ と いった まま 奥 へ 這 入 ( はい )って しまった 。 主人 は あまり 口 を 聞かぬ 人 と 見えた 。 下 女 は 口 惜 ( く や ) し そうに 吾輩 を 台所 へ 抛 ( ほう ) り 出した 。 かくして 吾輩 は ついに この 家 ( うち ) を 自分 の 住 家 ( すみか ) と 極 ( き ) め る 事 に した のである 。 吾輩 の 主人 は 滅多 ( めった ) に 吾輩 と 顔 を 合せる 事 が ない 。 職業 は 教師 だ そうだ 。 学校 から 帰る と 終日 書斎 に 這入った ぎり ほとんど 出て 来る 事 が ない 。 家 の もの は 大変な 勉強 家 だ と 思っている 。 当人 も 勉強 家 である か の ごとく 見せて いる 。 しかし 実際 は うち の もの が いう ような 勤勉家 で は ない 。 吾輩 は 時々 忍び足 に 彼 の 書斎 を 覗 ( の ぞ ) いて 見る が 、 彼 は よく 昼寝 ( ひるね ) を して いる 事 が ある 。 時々 読み かけて ある 本 の 上 に 涎 ( よだれ ) を たらして いる 。 彼 は 胃 弱 で 皮膚 の 色 が 淡 黄色 ( たんこう しょく ) を 帯びて 弾力 のない 不 活 溌 ( ふ かっぱつ ) な 徴候 を あらわして いる 。 その 癖 に 大飯 を 食う 。 大飯 を 食った 後 ( あと ) で タカジヤスターゼ ( 高 峰 譲 吉 が 麹 ( こうじ ) かび から 創 製 した 消化 酵素 剤 の 商標 名 ) を 飲む 。 飲んだ 後 で 書物 を ひろげる 。 二三 ページ 読む と 眠く なる 。 涎 を 本 の 上 へ 垂らす 。 これ が 彼 の 毎夜 繰り返す 日課 である 。 吾輩 は 猫 ながら 時々 考える 事 が ある 。 教師 と いう もの は 実に 楽 ( らく ) な もの だ 。 人間 と 生れたら 教師 と なる に 限る 。 こんなに 寝て いて 勤まる もの なら 猫 に でも 出来ぬ 事 は ない と 。 それ でも 主人 に 云 わ せる と 教師 ほど つらい もの は ない そうで 彼 は 友達 が 来る 度 ( たび ) に 何とか かんと か 不平 を 鳴らして いる 。 吾輩 が この 家 へ 住み 込んだ 当時 は 、 主人 以外 の もの に は はなはだ 不人望 であった 。 どこ へ 行って も 跳 ( は ) ね 付けられて 相手 に して くれ 手 が なかった 。 いかに 珍重 さ れ なかった か は 、 今日 ( こんにち ) に 至る まで 名前 さえ つけて くれない ので も 分 る 。 吾輩 は 仕方 が ない から 、 出来 得る 限り 吾輩 を 入れて くれた 主人 の 傍 ( そば ) に いる 事 を つとめた 。 朝 主人 が 新聞 を 読む とき は 必ず 彼 の 膝 ( ひざ ) の 上 に 乗る 。 彼 が 昼寝 を する とき は 必ず その 背中 ( せなか ) に 乗る 。 これ は あながち 主人 が 好き と いう 訳 で は ない が 別に 構い 手 が なかった から やむを得ん のである 。 その後 いろいろ 経験 の 上 、 朝 は 飯櫃 ( めしびつ ) の 上 、 夜 は 炬燵 ( こたつ ) の 上 、 天気 の よい 昼 は 椽側 ( えんがわ ) へ 寝る 事 と した 。 しかし 一 番 心 持 の 好 い の は 夜 ( よ ) に 入 ( い )って ここ の うち の 小 供 の 寝床 へ もぐり 込んで いっしょに ねる 事 である 。 この 小 供 と いう の は 五 つ と 三 つ で 夜 に なる と 二人 が 一 つ 床 へ 入 ( はい )って 一 間 ( ひと ま ) へ 寝る 。 吾輩 は いつでも 彼 等 の 中間 に 己 ( おの ) れ を 容 ( い ) る べき 余地 を 見 出 ( みいだ ) して どうにか 、 こう に か 割り 込む のである が 、 運 悪く 小 供 の 一人 が 眼 を 醒 ( さ )ます が 最後 大変な 事 に なる 。 小 供 は ―― ことに 小さい 方 が 質 ( たち ) が わるい ―― 猫 が 来た 猫 が 来た と いって 夜中 でも 何でも 大きな 声 で 泣き 出す のである 。 すると 例の 神経 胃 弱 性 の 主人 は 必 ( かな ら ) ず 眼 を さまして 次の 部屋 から 飛び出して くる 。 現に せんだって など は 物 指 ( ものさし ) で 尻 ぺた を ひどく 叩 ( たた ) かれた 。 吾輩 は人間 と 同居 して 彼 等 を 観察 すれば する ほど 、 彼 等 は 我 儘 ( わがまま ) な もの だ と 断言 せ ざる を 得ない よう に なった 。 ことに 吾輩 が 時々 同 衾 ( どう きん ) する 小 供 の ごとき に 至って は 言語 同 断 ( ごんごどうだん ) である 。 自分 の 勝手な 時 は人 を 逆 さ に したり 、 頭 へ 袋 を かぶせたり 、 抛 ( ほう ) り 出したり 、 へっつい の 中 へ 押し 込んだり する 。 しかも 吾輩 の 方 で 少し でも 手出し を しよう もの なら 家内 ( か ない ) 総がかり で 追い 廻して 迫害 を 加える 。 この 間 も ちょっと 畳 で 爪 を 磨 ( と ) いだ ら 細 君 が 非常に 怒 ( おこ )って それ から 容易に 座敷 へ 入 ( い ) れない 。 台所 の 板の間 で 他 ( ひと ) が 顫 ( ふる ) えて いて も 一 向 ( いっこう ) 平気な もの である 。 吾輩 の 尊敬 する 筋 向 ( すじ むこう ) の 白 君 など は 逢 ( あ ) う 度 毎 ( たび ごと ) に人間 ほど 不人情な もの は ない と 言って おら る る 。 白 君 は 先日 玉 の ような 子 猫 を 四 疋産 ( う ) まれた のである 。 ところが そこ の 家 ( うち ) の 書生 が 三 日 目 に そい つ を 裏 の 池 へ 持って 行って 四 疋 ながら 棄 て て 来た そうだ 。 白 君 は 涙 を 流して その 一部始終 を 話した 上 、 どうしても 我 等 猫 族 ( ねこ ぞく ) が 親子 の 愛 を 完 ( まった ) く して 美しい 家族 的 生活 を する に は人間 と 戦って これ を 剿滅 ( そう めつ ) せ ねば なら ぬ と いわれた 。 一 々 もっとも の 議論 と 思う 。 また 隣り の 三 毛 ( み け ) 君 など は人間 が 所有 権 と いう 事 を 解して いない と いって 大 ( おおい ) に 憤慨 して いる 。 元来 我々 同族 間 で は 目刺 ( めざし ) の 頭 でも 鰡 ( ぼ ら ) の 臍 ( へそ ) でも 一 番 先 に 見付けた もの が これ を 食う 権利 が ある もの と なって いる 。 もし 相手 が この 規約 を 守ら なければ 腕力 に 訴えて 善 ( よ ) い くらい の もの だ 。 しかる に 彼 等人間 は 毫 ( ごう ) も この 観念 が ない と 見えて 我 等 が 見付けた 御馳走 は 必ず 彼 等 の ため に 掠奪 ( りゃくだつ ) せら る る のである 。 彼 等 は その 強力 を 頼んで 正当に 吾人 が 食い 得 べき もの を 奪 ( うば )って すまして いる 。 白 君 は 軍人 の 家 に おり 三毛 君 は 代言 の 主人 を 持って いる 。 吾輩 は 教師 の 家 に 住んでいる だけ 、こんな 事 に 関する と 両君 より も むしろ 楽天 である 。 ただ その 日 その 日 が どうにか こうにか 送られれば よい 。 いくら 人間 だって 、そう いつまでも 栄える 事 も ある まい 。 まあ 気 を 永く 猫 の 時節 を 待つ が よかろう 。 我 儘 ( わがまま ) で 思い出した から ちょっと 吾輩 の 家 の 主人 が この 我 儘 で 失敗 した 話 を しよう 。 元来 この 主人 は 何と いって人 に 勝 ( すぐ )れて 出来る 事 もない が 、 何 に でも よく 手 を 出し た がる 。 俳句 を やって ほととぎす へ 投書 を したり 、 新 体 詩 を 明星 へ 出したり 、 間違い だらけ の 英文 を かいたり 、 時に よる と 弓 に 凝 ( こ )ったり 、 謡 ( うたい ) を 習ったり 、 また ある とき は ヴァイオリン など を ブーブー 鳴らしたり する が 、 気の毒な 事 に は 、 どれ も これ も 物 に なって おら ん 。 その 癖 やり 出す と 胃 弱 の 癖 に いやに 熱心だ 。 後 架 ( こう か ) の 中 で 謡 を うたって 、 近所 で 後 架 先生 ( こう か せ ん せい ) と 渾名 ( あだな ) を つけられて いる に も 関せ ず 一 向 ( いっこう ) 平気な もの で 、 やはり これ は 平 (たいら ) の 宗 盛 ( むね もり ) にて 候 ( そうろう ) を 繰返して いる 。 みんな が そら 宗盛 だ と 吹き出す くらい である 。 この 主人 が どういう 考 に なった もの か 吾輩 の 住み 込んで から 一 月 ばかり 後 ( のち ) の ある 月 の 月給 日 に 、 大きな 包み を 提 ( さ ) げ て あわただしく 帰って 来た 。 何 を 買って 来た の か と 思う と 水彩 絵具 と 毛筆 と ワットマン という 紙 で 今日 から 謡 や 俳句 を やめて 絵 を かく 決心 と 見えた 。 果して 翌日 から 当分 の 間 と いう もの は 毎日 毎日 書斎 で 昼寝 も しないで 絵 ばかり かいている 。 しかし その かき 上げた もの を 見る と 何 を かいた もの やら 誰 に も 鑑定 が つかない 。 当人 も あまり 甘 ( うま ) くない と 思った もの か 、 ある 日 その 友人 で 美学 と か を やって いる人 が 来た 時 に 下 ( しも ) の ような 話 を して いる の を 聞いた 。 「 どうも 甘 ( うま ) く かけない もの だ ね 。 人 の を 見る と 何でもない ようだ が 自 ( み ず か ) ら 筆 を とって 見る と 今更 ( いまさら ) の よう に むずかしく 感ずる 」 これ は 主人 の 述懐 ( じゅっかい ) である 。 なるほど 詐 ( いつわ ) り のない 処 だ 。 彼 の 友 は 金 縁 の 眼鏡 越 ( めがね ご し ) に 主人 の 顔 を 見 ながら 、 「 そう 初め から 上手に は かけない さ 、 第 一室 内 の 想像 ばかり で 画 ( え ) が かける 訳 の もの で は ない 。 昔 ( む か ) し 以太 利 ( イタリー ) の 大家 アンドレア ・ デル ・ サルト ( ルネサンス 期 の イタリア の 画家 ) が 言った 事 が ある 。 画 を かく なら 何でも 自然 その 物 を 写せ 。 天 に 星 辰 ( せいしん ) あり 。 地 に 露 華 ( ろか ) あり 。 飛ぶ に 禽 ( とり ) あり 。 走る に 獣 ( けもの ) あり 。 池 に 金魚 あり 。 枯木 ( こ ぼく ) に 寒 鴉 ( かん あ ) あり 。 自然 は これ 一 幅 の 大 活 画 ( だいか つ が ) なり と 。 どう だ 君 も 画 らしい 画 を かこう と 思う なら ち と 写生 を したら 」「へえ アンドレア ・デル ・サルト が そんな 事 を いった 事 が ある かい 。 ちっとも 知ら なかった 。 なるほど こりゃ もっともだ 。 実に その 通り だ 」 と 主人 は 無 暗 ( むやみ ) に 感心 して いる 。 金 縁 の 裏 に は 嘲 ( あざ ) ける ような 笑 ( わらい ) が 見えた 。 その 翌日 吾輩 は 例 の ごとく 椽側 ( えんがわ ) に 出て 心 持 善く 昼寝 ( ひるね ) を して いたら 、 主人 が 例 に なく 書斎 から 出て 来て 吾輩 の 後 ( うし ) ろ で 何 か しきりに やって いる 。 ふと 眼 が 覚 ( さ ) め て 何 を して いる か と 一 分 ( いちぶ ) ばかり 細目 に 眼 を あけて 見る と 、 彼 は 余念 も なく アンドレア ・ デル ・ サルト を 極 ( き ) め 込んで いる 。 吾輩 は この 有様 を 見て 覚え ず 失笑 する の を 禁じ 得 なかった 。 彼 は 彼 の 友 に 揶揄 ( やゆ ) せら れ たる 結果 と して まず 手 初め に 吾輩 を 写生 し つつ ある のである 。 吾輩 は すでに 十分 ( じゅうぶん ) 寝た 。 欠 伸 ( あくび ) が し たくて たまらない 。 しかし せっかく 主人 が 熱心に 筆 を 執 ( と )って いる の を 動いて は 気の毒だ と 思って 、 じっと 辛 棒 ( しんぼう ) して おった 。 彼 は 今 吾輩 の 輪 廓 を かき 上げて 顔 の あたり を 色彩 ( いろど )って いる 。 吾輩 は 自白 する 。 吾輩 は 猫 と して 決して 上 乗 の 出来 で は ない 。 背 と いい 毛並 と いい 顔 の 造作 と いい あえて 他の 猫 に 勝 ( まさ ) る と は 決して 思って おら ん 。 しかし いくら 不 器量 の 吾輩 でも 、 今 吾輩 の 主人 に 描 ( え が ) き 出さ れ つつ ある ような 妙な 姿 と は 、 どうしても 思わ れない 。 第 一色 が 違う 。 吾輩 は 波 斯産 ( ペルシャ さん ) の 猫 の ごとく 黄 を 含める 淡 灰色 に 漆 ( うるし ) の ごとき 斑 入 ( ふい ) り の 皮膚 を 有して いる 。 これ だけ は 誰 が 見て も 疑う べからざる 事実 と 思う 。 しかる に 今 主人 の 彩色 を 見る と 、黄 でも なければ 黒 でもない 、灰色 でも なければ 褐色 (とびいろ )で もない 、されば とて これら を 交ぜた 色 でもない 。 ただ 一種 の 色 である という より ほかに 評し方 の ない 色 である 。 その 上 不思議な 事 は 眼 が ない 。 もっとも これ は 寝て いる ところ を 写生 した のだ から 無理 もない が 眼 らしい 所 さえ 見えない から 盲 猫 ( めくら ) だ か 寝て いる 猫 だ か 判然 しない のである 。 吾輩 は 心中 ひそかに いくら アンドレア ・デル ・サルト でも これ で は しようがない と 思った 。 しかし その 熱心に は 感服 せ ざる を 得ない 。 なるべく なら 動か ずに おって やり たい と 思った が 、さっき から 小便 が 催う している 。 身内 ( みうち ) の 筋肉 は むずむず する 。 最 早 ( もはや ) 一 分 も 猶予 ( ゆう よ ) が 出来 ぬ 仕儀 ( しぎ ) と なった から 、 やむ を え ず 失敬 して 両足 を 前 へ 存分の して 、 首 を 低く 押し出して あー あ と 大 ( だい ) なる 欠 伸 を した 。 さて こう なって 見る と 、もう おとなしく して いて も 仕方がない 。 どうせ 主人 の 予定 は 打 ( ぶ ) ち 壊 ( こ ) わした のだ から 、 ついでに 裏 へ 行って 用 を 足 ( た ) そう と 思って のそのそ 這い 出した 。 すると 主人 は 失望 と 怒り を 掻 ( か ) き 交ぜた ような 声 を して 、 座敷 の 中 から 「 この 馬鹿 野郎 」 と 怒鳴 ( ど な )った 。 この 主人 は人 を 罵 ( の の し ) る とき は 必ず 馬鹿 野郎 と いう の が 癖 である 。 ほか に 悪 口 の 言い よう を 知らない のだ から 仕方 が ない が 、 今 まで 辛 棒 した人 の 気 も 知ら ないで 、 無 暗 ( むやみ ) に 馬 鹿野 郎呼 ( よば ) わり は 失敬だ と 思う 。 それ も 平生 吾輩 が 彼 の 背中 ( せなか ) へ 乗る 時 に 少し は 好 い 顔 でも する なら この 漫罵 ( まん ば ) も 甘んじて 受ける が 、 こっち の 便利に なる 事 は 何一つ 快く して くれた 事 もない のに 、 小便 に 立った の を 馬鹿 野郎 と は 酷 ( ひど ) い 。 元来 人間 と いう もの は 自己 の 力量 に 慢じて みんな 増長している 。 少し人間 より 強い もの が 出て 来て 窘 ( いじ ) め て やら なくて は この先 どこ まで 増長 する か 分 らない 。 我 儘 ( わがまま ) も この くらい なら 我慢 する が 吾輩 は人間 の 不徳に ついて これ より も 数 倍 悲しむ べき 報道 を 耳 に した 事 が ある 。 吾輩 の 家 の 裏 に 十 坪 ばかりの 茶 園 ( ちゃ えん ) が ある 。 広く は ない が 瀟洒 ( さっぱり ) と した 心持ち 好く 日 の 当 ( あた ) る 所 だ 。 うち の 小 供 が あまり 騒いで 楽々 昼寝 の 出来ない 時 や 、 あまり 退屈で 腹 加減 の よくない 折 など は 、 吾輩 は いつでも ここ へ 出て 浩 然 ( こうぜん ) の 気 を 養う の が 例 である 。 ある 小 春 の 穏 かな 日 の 二 時 頃 であった が 、 吾輩 は 昼 飯 後 ( ちゅうは ん ご ) 快 よく 一睡 した 後 ( のち )、 運動 かたがた この 茶 園 へ と 歩 ( ほ ) を 運ば した 。 茶 の 木 の 根 を 一本 一本 嗅ぎ ながら 、西側 の 杉垣 の そば まで くる と 、枯菊 を 押し倒して その 上 に 大きな 猫 が 前後不覚 に 寝ている 。 彼 は 吾輩 の 近づく の も 一 向 ( いっこう ) 心 付か ざる ごとく 、 また 心 付く も 無頓着なる ごとく 、 大きな 鼾 ( いびき ) を して 長々 と 体 を 横 ( よこ た ) えて 眠って いる 。 他 ( ひと ) の 庭 内 に 忍び 入り たる もの が かく まで 平気に 睡 ( ねむ )られる もの か と 、 吾輩 は 窃 ( ひそ ) か に その 大胆なる 度胸 に 驚か ざる を 得 なかった 。 彼 は 純粋 の 黒 猫 である 。 わずかに 午 ( ご ) を 過ぎ たる 太陽 は 、 透明なる 光線 を 彼 の 皮膚 の 上 に 抛 ( な ) げ かけて 、 きらきら する 柔 毛 ( に こげ ) の 間 より 眼 に 見え ぬ 炎 でも 燃 ( も ) え 出 ( い ) ずる よう に 思われた 。 彼 は 猫 中 の 大王 と も 云う べき ほど の 偉大なる 体格 を 有している 。 吾輩 の 倍 は たしかに ある 。 吾輩 は 嘆 賞 の 念 と 、 好 奇 の 心 に 前後 を 忘れて 彼 の 前 に 佇 立 ( ちょ りつ ) して 余念 も なく 眺 ( な が ) め て いる と 、 静かなる 小 春 の 風 が 、 杉 垣 の 上 から 出 たる 梧桐 ( ご とう ) の 枝 を 軽 ( か ろ ) く 誘って ばらばら と 二三 枚 の 葉 が 枯菊 の 茂み に 落ちた 。 大王 は かっと その 真 丸 ( まんまる ) の 眼 を 開いた 。 今 でも 記憶 して いる 。 その 眼 は人間 の 珍重 する 琥珀 ( こ は く ) と いう もの より も 遥 ( はる ) か に 美しく 輝いて いた 。 彼 は 身動き も し ない 。 双 眸 ( そう ぼう ) の 奥 から 射る ごとき 光 を 吾輩 の 矮小 ( わいしょう ) なる 額 ( ひたい ) の 上 に あつめて 、 御 め え は 一体 何 だ と 云った 。 大王 に して は 少々 言葉 が 卑 ( いや ) しい と 思った が 何しろ その 声 の 底 に 犬 を も 挫 ( ひ ) し ぐ べき 力 が 籠 ( こも )って いる ので 吾輩 は 少なからず 恐れ を 抱 ( い だ ) いた 。 しかし 挨拶 ( あいさつ ) を しない と 険呑 ( けん の ん ) だ と 思った から 「 吾輩 は 猫 である 。 名前 は まだない 」 と なるべく 平気 を 装 ( よそお )って 冷 然 と 答えた 。 しかし この 時 吾輩 の 心臓 は たしかに 平時 より も 烈しく 鼓動 して おった 。 彼 は 大 ( おおい ) に 軽蔑 ( けいべつ ) せる 調子 で 「 何 、 猫 だ ? 猫 が 聞いて あきれ ら あ 。 全 ( ぜん ) て え どこ に 住んで る ん だ 」 随分 傍若無人 ( ぼうじゃくぶじん ) である 。 「 吾輩 は ここ の 教師 の 家 ( うち ) に いる のだ 」 「 どうせ そんな 事 だろう と 思った 。 いやに 瘠 ( や ) せ てる じゃ ねえ か 」 と 大王 だけ に 気 焔 ( きえん ) を 吹きかける 。 言葉 付 から 察する と どうも 良 家 の 猫 と も 思わ れない 。 しかし その 膏切 ( あぶらぎ )って 肥満 して いる ところ を 見る と 御馳走 を 食ってる らしい 、 豊かに 暮して いる らしい 。 吾輩 は 「そう 云う 君 は 一体 誰 だい 」と 聞かざる を 得 なかった 。 「 己 ( お ) れ あ 車 屋 の 黒 ( くろ ) よ 」 昂 然 ( こうぜん ) たる も のだ 。 車 屋 の 黒 は この 近辺 で 知らぬ 者 なき 乱暴 猫 である 。 しかし 車 屋 だけ に 強い ばかりで ちっとも 教育 が ない から あまり 誰 も 交際 し ない 。 同盟 敬遠 主義 の 的 (まと )に なっている 奴 だ 。 吾輩 は 彼 の 名 を 聞いて 少々 尻 こそばゆき 感じ を 起す と 同時に 、 一方 で は 少々 軽侮 ( けいぶ ) の 念 も 生じた のである 。 吾輩 は まず 彼 が どの くらい 無 学 である か を 試 ( ため ) して みよう と 思って 左 ( さ ) の 問答 を して 見た 。 「 一体 車 屋 と 教師 と は どっち が えらい だろう 」 「 車 屋 の 方 が 強い に 極 ( きま )って いら あ な 。 御 め え の うち の 主人 を 見 ねえ 、 まるで 骨 と 皮 ばかり だ ぜ 」 「 君 も 車 屋 の 猫 だけ に 大分 ( だいぶ ) 強そうだ 。 車 屋 に いる と 御馳走 ( ごちそう ) が 食える と 見える ね 」 「 何 ( なあ ) に おれ な ん ざ 、 どこ の 国 へ 行ったって 食い物 に 不自由 は し ねえ つもりだ 。 御 め え なんか も 茶 畠 ( ちゃばたけ ) ばかり ぐるぐる 廻って い ねえ で 、 ちっと 己 ( おれ ) の 後 ( あと ) へ くっ付いて 来て 見 ねえ 。 一 と 月 と たた ねえ うち に 見違える ように 太れる ぜ 」「追って そう 願う 事 に しよう 。 しかし 家 ( うち ) は 教師 の 方 が 車 屋 より 大きい の に 住んで いる よう に 思わ れる 」 「 箆棒 ( べらぼう ) め 、 うち なんか いくら 大きく たって 腹 の 足 ( た ) しに なる もん か 」

彼 は 大 ( おおい ) に 肝 癪 ( かんしゃく ) に 障 ( さ わ )った 様子 で 、 寒 竹 ( かんち く ) を そいだ ような 耳 を しきりと ぴく 付か せ てあら ら か に 立ち去った 。 吾輩 が 車 屋 の 黒 と 知己 ( ちき ) に なった の は これ から である 。 その後 ( ご ) 吾輩 は 度々 ( たびたび ) 黒 と 邂逅 ( かいこう ) する 。 邂逅 する 毎 ( ごと ) に 彼 は 車 屋 相当 の 気 焔 ( きえん ) を 吐く 。 先に 吾輩 が 耳 に した と いう 不徳 事件 も 実は 黒 から 聞いた のである 。 或る 日 例 の ごとく 吾輩 と 黒 は 暖かい 茶 畠 ( ちゃばたけ ) の 中 で 寝 転 ( ねころ ) び ながら いろいろ 雑談 を して いる と 、 彼 は いつも の 自慢 話 ( じまん ば な ) し を さも 新し そうに 繰り返した あと で 、 吾輩 に 向って 下 ( しも ) の ごとく 質問 した 。 「 御 め え は 今 まで に 鼠 を 何 匹 とった 事 が ある 」 智 識 は 黒 より も 余程 発達 して いる つもりだ が 腕力 と 勇気 と に 至って は 到底 ( とうてい ) 黒 の 比較 に は ならない と 覚悟 は して いた もの の 、 この 問 に 接した る 時 は 、 さすが に 極 ( きま ) り が 善 ( よ ) く は なかった 。 けれども 事実 は 事実 で 詐 ( いつわ ) る 訳 に は 行か ない から 、 吾輩 は 「 実は とろう とろう と 思って まだ 捕 ( と ) らない 」 と 答えた 。 黒 は 彼 の 鼻 の 先 から ぴんと 突 張 ( つっぱ )って いる 長い 髭 ( ひげ ) を びりびり と 震 ( ふる ) わ せて 非常に 笑った 。 元来 黒 は 自慢 を する 丈 ( だけ ) に どこ か 足りない ところ が あって 、 彼 の 気 焔 ( きえん ) を 感心 した よう に 咽 喉 ( のど ) を ころころ 鳴らして 謹 聴 して いれば はなはだ 御 ( ぎょ ) し やすい 猫 である 。 吾輩 は 彼 と 近 付 に なって から 直 ( すぐ ) に この 呼吸 を 飲み 込んだ から この 場合 に も なまじ い 己 ( おの ) れ を 弁護 して ますます 形勢 を わるく する の も 愚 ( ぐ ) である 、 いっその事 彼 に 自分 の 手柄 話 を しゃべら して 御 茶 を 濁す に 若 ( し ) く は ない と 思案 を 定 ( さ だ ) め た 。 そこ で おとなしく 「 君 など は 年 が 年 である から 大分 ( だいぶ ん ) とったろう 」 と そそのかして 見た 。 果 然 彼 は 墻壁 ( しょうへき ) の 欠 所 ( けっし ょ ) に 吶喊 ( とっかん = とき の 声 を あげる こと ) して 来た 。 「たん と でも ねえ が 三四十 は とったろう 」と は 得意気なる 彼 の 答 であった 。 彼 は なお 語 を つづけて 「鼠 の 百 や 二百 は 一人 で いつでも 引き受ける がい たち って え 奴 は 手 に 合わねえ 。 一 度 いたち に 向って 酷 ( ひど ) い 目 に 逢 ( あ )った 」 「 へえ なるほど 」 と 相槌 ( あいづち ) を 打つ 。 黒 は 大きな 眼 を ぱち つかせて 云う 。 「去年 の 大掃除 の 時 だ 。 うち の 亭主 が 石灰 ( いし ばい ) の 袋 を 持って 椽 ( えん ) の 下 へ 這 ( は ) い 込んだら 御 め え 大きな いたち の 野郎 が 面 喰 ( めんくら )って 飛び出した と 思い ねえ 」 「 ふん 」 と 感心 して 見せる 。 「いた ちって けども 何 鼠 の 少し 大きい ぐれ え の もの だ 。 こ ん 畜生 ( ちき しょう )って 気 で 追っかけて とうとう 泥 溝 ( どぶ ) の 中 へ 追い 込んだ と 思い ねえ 」 「 うまく やった ね 」 と 喝采 ( かっさい ) して やる 。 「 ところが 御 め え いざって え 段 に なる と 奴 め 最後 ( さいご )っ屁 ( ぺ ) を こきゃ がった 。 臭 ( くせ ) え の 臭く ねえ のって それ からって えもの は いたち を 見る と 胸 が 悪く なら あ 」 彼 は ここ に 至って あたかも 去年 の 臭気 を 今 ( いま ) なお 感ずる ごとく 前足 を 揚げて 鼻 の 頭 を 二三 遍 な で 廻 わした 。 吾輩 も 少々 気の毒な 感じ が する 。 ちっと 景気 を 付けて やろう と 思って 「 しかし 鼠 なら 君 に 睨 ( にら ) まれて は 百 年 目 だろう 。 君 は あまり 鼠 を 捕 ( と ) る の が 名人 で 鼠 ばかり 食う もの だ から そんなに 肥って 色つや が 善い のだろう 」 黒 の 御機嫌 を とる ため の この 質問 は 不思議に も 反対 の 結果 を 呈 出 ( ていしゅつ ) した 。 彼 は 喟然 ( きぜん ) と して 大 息 (たい そく ) して い う 。 「 考 ( かん ) げ える と つまら ねえ 。 いくら 稼いで 鼠 を とった って ――一 て え 人間 ほど ふ て え 奴 は 世の中 に い ねえ ぜ 。 人 の とった 鼠 を みんな 取り上げ やがって 交番 へ 持って 行きゃ あがる 。 交番 じゃ 誰 が 捕 ( と )った か 分 ら ねえ から その たんび に 五 銭 ずつ くれる じゃ ねえ か 。 うち の 亭主 なんか 己 ( おれ ) の 御蔭 で もう 壱 円 五十 銭 くらい 儲 ( もう ) け てい や がる 癖 に 、 碌 ( ろく ) な もの を 食わ せた 事 も あり ゃし ねえ 。 おい人間 て も の あ 体 ( てい ) の 善 ( い ) い 泥棒 だ ぜ 」 さすが 無 学 の 黒 も この くらい の 理 窟 ( りくつ ) は わかる と 見えて すこぶる 怒 ( おこ )った 容子 ( ようす ) で 背中 の 毛 を 逆 立 ( さか だ ) て て いる 。 吾輩 は 少々 気味 が 悪く なった から 善い 加減 に その 場 を 胡魔 化 ( ごま か ) して 家 ( うち ) へ 帰った 。 この 時 から 吾輩 は 決して 鼠 を とる まい と 決心 した 。 しかし 黒 の 子分 に なって 鼠 以外 の 御馳走 を 猟 ( あさ )って あるく 事 も し なかった 。 御馳走 を 食う より も 寝て いた 方が 気楽で いい 。 教師 の 家 ( うち ) に いる と 猫 も 教師 の ような 性質 に なる と 見える 。 要 心し ない と 今に 胃 弱 に なる かも 知れ ない 。 教師 と いえば 吾輩 の 主人 も 近頃 に 至って は 到底 ( とうてい ) 水彩 画 に おいて 望 ( のぞみ ) のない 事 を 悟った もの と 見えて 十二 月 一 日 の 日記 に こんな 事 を か きつけた 。 ○○ と 云 う人 に 今日 の 会 で 始めて 出逢 ( であ )った 。 あの人 は 大分 ( だいぶ ) 放 蕩 ( ほうとう ) を した人 だ と 云 う が なる ほど 通人 ( つうじ ん ) らしい 風采 ( ふうさい ) を して いる 。 こう 云 う 質 ( たち ) の人 は 女 に 好か れる もの だ から ○○ が 放 蕩 を した と 云 う より も 放 蕩 を する べく 余儀なく せられた と 云 う の が 適当であろう 。 あの人 の 妻君 は 芸者 だ そうだ 、 羨 ( うら や ) ま しい 事 である 。 元来 放蕩家 を 悪く いう 人 の 大部分 は 放蕩 を する 資格 の ない もの が 多い 。 また 放蕩家 を もって 自任 する 連中 の うち に も 、放蕩 する 資格 の ない もの が 多い 。 これ ら は 余儀なく さ れ ない のに 無理に 進んで やる のである 。 あたかも 吾輩 の 水彩画 に 於ける がごとき もの で 到底 卒業する 気づかい は ない 。 しかる に も 関せ ず 、 自分 だけ は 通人 だ と 思って 済 ( す ま ) して いる 。 料理 屋 の 酒 を 飲んだり 待 合 へ 這 入 ( はい ) る から 通人 と なり 得る と いう 論 が 立つ なら 、 吾輩 も 一 廉 ( ひとかど ) の 水彩 画家 に なり 得る 理 窟 ( りくつ ) だ 。 吾輩 の 水彩 画 の ごとき は かか ない 方 が ましである と 同じ よう に 、 愚 昧 ( ぐ まい ) なる 通人 より も 山 出し の 大 野暮 ( おお や ぼ ) の 方 が 遥 ( はる ) か に 上等だ 。

通人 論 ( つうじ ん ろん ) は ちょっと 首肯 ( しゅこう ) しか ねる 。 また 芸者 の 妻君 を 羨しい など と いう ところ は 教師 として は 口 に すべからざる 愚劣 の 考 である が 、自己 の 水彩画 における 批評眼 だけ は たしかな もの だ 。 主人 は かく の ごとく 自 知 ( じち ) の 明 ( めい ) ある に も 関せ ず その 自 惚 心 ( うぬぼれ し ん ) は なかなか 抜けない 。 中 二 日 ( なか ふ つ か ) 置いて 十二 月 四 日 の 日記 に こんな 事 を 書いて いる 。 昨夜 ( ゆうべ ) は 僕 が 水彩 画 を かいて 到底 物 に なら ん と 思って 、 そこら に 抛 ( ほう )って 置いた の を 誰 か が 立派な 額 に して 欄間 ( らんま ) に 懸 ( か ) け て くれた 夢 を 見た 。 さて 額 に なった ところ を 見る と 我ながら 急に 上手に なった 。 非常に 嬉しい 。 これ なら 立派な もの だ と 独 ( ひと ) り で 眺め 暮らして いる と 、 夜 が 明けて 眼 が 覚 ( さ ) め て やはり 元 の 通り 下手である 事 が 朝日 と 共に 明瞭に なって しまった 。

主人 は 夢 の 裡 ( うち ) まで 水彩 画 の 未練 を 背負 ( しょ )って あるいて いる と 見える 。 これ で は 水彩 画家 は 無論 夫 子 ( ふうし ) の 所 謂 ( いわゆる ) 通人 に も なれない 質 ( たち ) だ 。 主人 が 水彩 画 を 夢 に 見た 翌日 例 の 金 縁 眼鏡 ( めがね ) の 美学者 が 久し振りで 主人 を 訪問 した 。 彼 は 座 に つく と 劈頭 ( へ きとう ) 第 一 に 「 画 ( え ) は どう か ね 」 と 口 を 切った 。 主人 は 平気な 顔 を して 「 君 の 忠告 に 従って 写生 を 力 ( つ と ) め て いる が 、 なるほど 写生 を する と 今 まで 気 の つか なかった 物 の 形 や 、 色 の 精 細 な 変化 など が よく 分 る ようだ 。 西洋 で は 昔 ( む か ) し から 写生 を 主張 した 結果 今日 ( こんにち ) の よう に 発達 した もの と 思わ れる 。 さすが アンドレア ・デル ・サルト だ 」と 日記 の 事 は おくび に も 出さないで 、また アンドレア ・デル ・サルト に 感心 する 。 美学者 は 笑い ながら 「 実は 君 、 あれ は 出 鱈 目 ( でたらめ ) だ よ 」 と 頭 を 掻 ( か ) く 。 「 何 が 」 と 主人 は まだ いつわられた 事 に 気 が つか ない 。 「何 が って 君 の しきりに 感服 している アンドレア ・デル ・サルト さ 。 あれ は 僕 の ちょっと 捏造 ( ねつぞう ) した 話 だ 。 君 が そんなに 真面目 ( まじめ ) に 信じよう と は 思わ なかった ハハハハ 」 と 大喜 悦 の 体 ( てい ) である 。 吾輩 は 椽 側 で この 対話 を 聞いて 彼 の 今日 の 日記 に は いかなる 事 が 記 ( しる ) さる る であろう か と 予 ( あら かじ ) め 想像 せ ざる を 得 なかった 。 この 美学者 は こんな 好 ( いい ) 加減 な 事 を 吹き 散らして人 を 担 ( かつ ) ぐ の を 唯一 の 楽 ( たのしみ ) に して いる 男 である 。 彼 は アンドレア ・ デル ・ サルト 事件 が 主人 の 情 線 ( じょうせん ) に いかなる 響 を 伝えた か を 毫 ( ごう ) も 顧慮 せ ざる もの の ごとく 得意に なって 下 ( しも ) の ような 事 を 饒舌 ( し ゃべ )った 。 「 いや 時々 冗談 ( じょうだん ) を 言う と人 が 真 ( ま ) に 受ける ので 大 ( おおい ) に 滑稽 的 ( こっけい てき ) 美 感 を 挑 撥 ( ちょうはつ ) する の は 面白い 。 せんだって ある 学生 に ニコラス・ニックルベー が ギボン に 忠告 して 彼 の 一世 の 大著述 なる 仏国 革命 史 を 仏語 で 書く のを やめに して 英文 で 出版 させた と 言ったら 、その 学生 が また 馬鹿に 記憶 の 善い 男 で 、日本 文学会 の 演説会 で 真面目に 僕 の 話した 通り を 繰り返した のは 滑稽であった 。 ところが その 時 の 傍聴者 は 約 百 名 ばかりであった が 、皆 熱心に それ を 傾聴して おった 。 それ から まだ 面白い 話 が ある 。 せんだって 或る 文学者 の いる 席 で ハリソン の 歴史 小説 セオファーノ の 話 ( は な ) し が 出た から 僕 は あれ は 歴史 小説 の 中 ( うち ) で 白眉 ( はくび ) である 。 ことに 女 主人公 が 死ぬ ところ は 鬼気 ( きき ) 人 を 襲う ようだ と 評したら 、 僕 の 向 う に 坐って いる 知ら ん と 云った 事 のない 先生 が 、 そう そう あす こ は 実に 名文 だ と いった 。 それ で 僕 は この 男 も やはり 僕 同様 この 小説 を 読んで おらない と いう 事 を 知った 」神経 胃 弱性 の 主人 は 眼 を 丸く して 問い かけた 。 「 そんな 出 鱈 目 ( でたらめ ) を いって もし 相手 が 読んで いたら どう する つもりだ 」 あたかも人 を 欺 ( あざむ ) く の は 差 支 ( さしつかえ ) ない 、 ただ 化 ( ばけ ) の 皮 ( かわ ) が あらわれた 時 は 困る じゃない か と 感じた もの の ごとく である 。 美学者 は 少しも 動じない 。 「 な に その 時 ( とき ) ゃ 別 の 本 と 間違えた と か 何とか 云 う ばかり さ 」 と 云って けら けら 笑って いる 。 この 美学者 は 金縁 の 眼鏡 は 掛けている が その 性質 が 車屋 の 黒 に 似た ところ が ある 。 主人 は 黙って 日の出 を 輪 に 吹いて 吾輩 に は そんな 勇気 は ない と 云わん ばかりの 顔 を して いる 。 美学者 は それ だ から 画 ( え ) を かいて も 駄目だ と いう 目付 で 「 しかし 冗談 ( じょうだん ) は 冗談 だ が 画 と いう もの は 実際 むずかしい もの だ よ 、 レオナルド ・ ダ ・ ヴィンチ は 門下 生 に 寺院 の 壁 の しみ を 写せ と 教えた 事 が ある そうだ 。 なるほど 雪 隠 ( せつ い ん ) など に 這 入 ( はい )って 雨 の 漏る 壁 を 余念 なく 眺めて いる と 、 なかなか うまい 模様 画 が 自然に 出来て いる ぜ 。 君 注意 して 写生 して 見 給え きっと 面白い もの が 出来る から 」 「 また 欺 ( だま ) す のだろう 」 「 いえ これ だけ は たしかだ よ 。 実際 奇 警 な 語 じゃない か 、ダ・ヴィンチ でも いい そうな 事 だ あね 」「なるほど 奇 警 に は 相違 ない な 」と 主人 は 半分 降参 を した 。 しかし 彼 は まだ 雪隠 で 写生 は せぬ ようだ 。 車 屋 の 黒 は その後 ( ご ) 跛 ( びっこ ) に なった 。 彼 の 光沢 ある 毛 は 漸 々 ( だんだん ) 色 が 褪 ( さ ) め て 抜けて 来る 。 吾輩 が 琥珀 ( こ は く ) より も 美しい と 評した 彼 の 眼 に は 眼 脂 ( めやに ) が 一 杯 たまって いる 。 ことに 著 る しく 吾輩 の 注意 を 惹 ( ひ ) いた の は 彼 の 元気 の 消沈 と その 体格 の 悪く なった 事 である 。 吾輩 が 例の 茶 園 ( ちゃ えん ) で 彼 に 逢った 最後 の 日 、 どう だ と 云って 尋ねたら 「 いたち の 最後 屁 ( さいごっぺ ) と 肴 屋 ( さかな や ) の 天秤 棒 ( てん びんぼう ) に は 懲 々 ( こりごり ) だ 」 と いった 。 赤松 の 間 に 二三 段 の 紅 ( こう ) を 綴った 紅葉 ( こうよう ) は 昔 ( む か ) し の 夢 の ごとく 散って つく ばい に 近く 代る代る 花弁 ( はなびら ) を こぼした 紅白 ( こうはく ) の 山茶花 ( さざんか ) も 残り なく 落ち 尽した 。 三 間 半 の 南 向 の 椽側 に 冬 の 日 脚 が 早く 傾いて 木 枯 ( こがらし ) の 吹か ない 日 は ほとんど 稀 ( まれ ) に なって から 吾輩 の 昼寝 の 時間 も 狭 ( せば ) められた ような 気 が する 。 主人 は 毎日 学校 へ 行く 。 帰る と 書斎 へ 立て 籠 ( こも ) る 。 人 が 来る と 、 教師 が 厭 ( いや ) だ 厭 だ と いう 。 水彩 画 も 滅多に かか ない 。 タカジヤスターゼ も 功 能 が ない と いって やめて しまった 。 小供 は 感心に 休ま ないで 幼稚園 へ かよう 。 帰る と 唱歌 を 歌って 、 毬 ( まり ) を ついて 、 時々 吾輩 を 尻尾 ( しっぽ ) で ぶら下げる 。 吾輩 は 御馳走 ( ごちそう ) も 食わない から 別段 肥 ( ふと ) り も しない が 、 まずまず 健康で 跛 ( びっこ ) に も なら ず に その 日 その 日 を 暮して いる 。 鼠 は 決して 取ら ない 。 おさん は 未 ( いま ) だに 嫌 ( きら ) い である 。 名前 は まだ つけて くれない が 、 欲 を いって も 際限 が ない から 生涯 ( しょうがい ) この 教師 の 家 ( うち ) で 無名 の 猫 で 終る つもりだ 。 第 二 話 へ

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