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「五 」 野 分 夏目 漱石
ミルク ホール に 這 入る 。
上下 を 擦り 硝子 ( ガラス ) に して 中 一 枚 を 透き 通し に した 腰 障子 に 近く 据えた 一 脚 の 椅子 に 腰 を おろす 。
焼 麺 麭 ( やき パン ) を 噛って 、 牛乳 を 飲む 。
懐中 に は 二十 円 五十 銭 ある 。
ただ今 地理 学 教授 法 の 原稿 を 四十一 頁 渡して 金 に 換えて 来た ばかりである 。
一 頁 五十 銭 の 割合 に なる 。
一 頁 五十 銭 を 超 ゆ べ から ず 、 一 ヵ 月 五十 頁 を 超 ゆ べ から ず と 申し渡されて ある 。
これ で 今月 は どう か 、 こう か 食える 。
ほか から くれる 十 円 近く の 金 は 故 里 の 母 に 送ら なければ なら ない 。
故 里 は もう 落 鮎 の 時節 である 。
ことに よる と 崩れ かかった 藁屋 根 に 初霜 が 降った かも 知れ ない 。
鶏 が 菊 の 根 方 を 暴 ら して いる 事 だろう 。
母 は 丈夫 かしら 。
向 う の 机 を 占領 して いる 学生 が 二 人 、 西 洋菓子 を 食い ながら 、 団子 坂 の 菊 人形 の 収入 に ついて 大 に 論じて いる 。
左 に 蜜柑 を むき ながら 、 その 汁 を 牛乳 の 中 へ たらして いる 書生 が ある 。
一 房 絞って は 、 文芸 倶楽部 の 芸者 の 写真 を 一 枚 は ぐ り 、 一 房 絞って は 一 枚 はぐ る 。
芸者 の 絵 が 尽きた 時 、 彼 は コップ の 中 を 匙 で 攪 き 廻して 妙な 顔 を して いる 。
酸 で 牛乳 が 固まった ので 驚 ろ いて いる のだろう 。
高柳 君 は そこ に 重ねて ある 新聞 の 下 から 雑誌 を 引きずり出して 、 あれこれ と 見る 。
目的 の 江 湖 雑誌 は 朝日 新聞 の 下 に 折れて いた 。
折れて は いる が まだ 新 らしい 。
四五 日 前 に 出た ばかり のである 。
折れた 所 は 六 号 活字 で 何だか 色 鉛筆 の 赤い 圏 点 が 一面に ついて いる 。
僕 の 恋愛 観 と 云 う 表題 の 下 に 中野 春 台 と ある 。
春 台 は 無論 輝一 の 号 である 。
高柳 君 は 食い 欠いた 焼 麺 麭 ( やき パン ) を 皿 の 上 へ 置いた なり 「 僕 の 恋愛 観 」 を 見て いた が やがて 、 に やり と 笑った 。
恋愛 観 の 結末 に 同じく 色 鉛筆 で 色 情 狂 ※[# 感嘆 符 三 つ 、320-13] と 書いて ある 。
高柳 君 は 頁 を はぐった 。
六 号 活字 は だいぶ 長い 。
もっとも いろいろの 人 の 名前 が 出て いる 。
一 番 始め に は 現代 青年 の 煩 悶 に 対する 諸 家 の 解決 と ある 。
高柳 君 は 急に 読んで 見る 気 に なった 。
―― 第 一 は 静 心 の 工夫 を 積め と 云 う 注意 だ 。
積め と は どう 積む の か ちっとも わから ない 。
第 二 は 運動 を して 冷水 摩擦 を やれ と 云 う 。
簡単な もの である 。
第 三 は 読書 も せ ず 、 世間 も 知ら ぬ 青年 が 煩 悶 する 法 が ない と 論じて いる 。
無い と 云って も 有れば 仕方 が ない 。
第 四 は 休暇 ごと に 必ず 旅行 せよ と 勧告 して いる 。
しかし 旅費 の 出 処 は 明記 して ない 。
―― 高柳 君 は あと を 読む の が 厭 に なった 。
颯 と 引っくりかえして 、 第 一 頁 を あける 。
「 解脱 と 拘泥 …… 憂世 子 」 と 云 うの が ある 。
標題 が 面白い ので ちょっと 目 を 通す 。
「 身体 の 局部 が どこ ぞ 悪い と 気 に かかる 。
何 を して いて も 、 それ が コダワって 来る 。
ところが 非常に 健康な 人 は 行 住 坐 臥 ともに わが 身体 の 存在 を 忘れて いる 。
一 点 の 局部 だ にわ が 注意 を 集 注 す べき 患 所 が ない から 、 かく 安 々 と 胖 か な のである 。
瘠せて 蒼 い 顔 を して いる 人 に 、 君 は 胃 が 悪い だろう と 尋ねて 見た 事 が ある 。
すると その 男 が 答えて 、 胃 は 少しも 故障 が ない 、 その 証拠 に は 僕 は この 年 に なる が 、 いまだに 胃 が どこ に ある か 知ら ない と 云 うた 。
その 時 は 笑って 済んだ が 、 後 で 考えて 見る と 大 に 悟った 言葉 である 。
この 人 は 全く 胃 が 健康だ から 胃 に 拘泥 する 必要 が ない 、 必要 が ない から 胃 が どこ に あって も 構わ ない の と 見える 。
自在 飲 、 自在 食 、 いっこう 平気である 。
この 男 は 胃 に おいて 悟 を 開いた もの である 。
……」 高柳 君 は これ は 少し 妙だ よ と 口 の なか で 云った 。
胃 の 悟り は 妙だ と 云った 。
「 胃 に ついて 道 い 得 べき 事 は 、 惣身 に ついて も 道 い 得 べき 事 である 。
惣身 に ついて 道 い 得 べき 事 は 、 精神 に ついて も 道 い 得 べき 事 である 。
ただ 精神 生活 に おいて は 得失 の 両面 に おいて 等しく 拘泥 を 免 かれ ぬ ところ が 、 身体 より 煩い に なる 。
「 一 能 の 士 は 一 能 に 拘泥 し 、 一 芸 の 人 は 一 芸 に 拘泥 して 己 れ を 苦しめて いる 。
芸能 は 気 の 持ち よう で は すぐ 忘れる 事 も 出来る 。
わが 欠点 に 至って は 容易に 解脱 は 出来 ぬ 。
「 百 円 や 二百 円 も する 帯 を しめて 女 が 音楽 会 へ 行く と この 帯 が 妙に 気 に なって 音楽 が 耳 に 入ら ぬ 事 が ある 。
これ は 帯 に 拘泥 する から である 。
しかし これ は 自慢 の 例 じゃ 。
得意の 方 は 前 云 う 通り 祟 り を 避け 易い 。
しかし 不 面目 の 側 は なかなか 強情に 祟 る 。
昔 し さる 所 で 一 人 の 客 に 紹介 さ れた 時 、 御 互 に 椅子 の 上 で 礼 を して 双方 共 頭 を 下げた 。
下げ ながら 、 向 う の 足 を 見る と その 男 の 靴 足袋 の 片 々 が 破れて 親指 の 爪 が 出て いる 。
こちら が 頭 を 下げる と 同時に 彼 は 満足な 足 を あげて 、 破れ 足袋 の 上 に 加えた 。
この 人 は 足袋 の 穴 に 拘泥 して いた のである 。
……」 おれ も 拘泥 して いる 。
おれ の から だ は 穴 だらけ だ と 高柳 君 は 思い ながら 先 へ 進む 。
「 拘泥 は 苦痛 である 。
避け なければ なら ぬ 。
苦痛 そのもの は 避け がたい 世 であろう 。
しかし 拘泥 の 苦痛 は 一 日 で 済む 苦痛 を 五 日 、 七 日 に 延長 する 苦痛 である 。
いら ざる 苦痛 である 。
避け なければ なら ぬ 。
「 自己 が 拘泥 する の は 他人 が 自己 に 注意 を 集 注 する と 思う から で 、 つまり は 他人 が 拘泥 する から である 。
……」 高柳 君 は 音楽 会 の 事 を 思いだした 。
「 したがって 拘泥 を 解脱 する に は 二 つ の 方法 が ある 。
他人 が いくら 拘泥 して も 自分 は 拘泥 せ ぬ の が 一 つ の 解脱 法 である 。
人 が 目 を 峙 て て も 、 耳 を 聳 や かして も 、 冷 評して も 罵 詈 して も 自分 だけ は 拘泥 せ ず に さっさと 事 を 運んで 行く 。
大久保 彦左 衛 門 は 盥 で 登 城 した 事 が ある 。
……」 高柳 君 は 彦左 衛 門 が 羨ま しく なった 。
「 立派な 衣装 を 馬 士 に 着せる と 馬 士 は すぐ 拘泥 して しまう 。
華族 や 大名 は この 点 に おいて 解脱 の 方 を 得て いる 。
華族 や 大名 に 馬 士 の 腹掛 を かけ さす と 、 すぐ 拘泥 して しまう 。
釈迦 や 孔子 は この 点 に おいて 解脱 を 心得て いる 。
物質 界 に 重 を 置か ぬ もの は 物質 界 に 拘泥 する 必要 が ない から である 。
……」 高柳 君 は 冷め かかった 牛乳 を ぐっと 飲んで 、 う う と 云った 。
「 第 二 の 解脱 法 は 常 人 の 解脱 法 である 。
常 人 の 解脱 法 は 拘泥 を 免 かる る ので は ない 、 拘泥 せ ねば なら ぬ ような 苦しい 地位 に 身 を 置く の を 避ける のである 。
人 の 視聴 を 惹 く の 結果 、 われ より 苦痛 が 反射 せ ぬ ように と 始め から 用心 する のである 。
したがって 始め より 流 俗に 媚 び て 一 世 に 附和 する 心底 が なければ 成功 せ ぬ 。
江戸 風 な 町人 は この 解脱 法 を 心得て いる 。
芸 妓通 客 は この 解脱 法 を 心得て いる 。
西洋 の いわゆる 紳士 ( ゼントルマン ) は もっとも よく この 解脱 法 を 心得た もの である 。
……」 芸者 と 紳士 ( ゼントルマン ) が いっしょに なって る の は 、 面白い と 、 青年 は また 焼 麺 麭 ( やき パン ) の 一片 を 、 横合 から 半円 形 に 食い 欠いた 。
親指 に ついた 牛 酪 ( バタ ) を そのまま 袴 の 膝 へ なすりつけた 。
「 芸 妓 、 紳士 、 通 人 から 耶蘇 ( ヤソ ) 孔子 釈迦 を 見れば 全然 たる 狂 人 である 。
耶蘇 、 孔子 、 釈迦 から 芸 妓 、 紳士 、 通 人 を 見れば 依然と して 拘泥 して いる 。
拘泥 の うち に 拘泥 を 脱し 得たり と 得意なる もの は 彼ら である 。
両者 の 解脱 は 根本 義 に おいて 一致 すべ から ざる もの である 。
……」 高柳 君 は 今 まで 解脱 の 二 字 に おいて かつて 考えた 事 は なかった 。
ただ 文 界 に 立って 、 ある 物 に なりたい 、 なりたい が なれ ない 、 なれ ん ので は ない 、 金 が ない 、 時 が ない 、 世間 が 寄ってたかって 己 れ を 苦しめる 、 残念だ 無念だ と ばかり 思って いた 。
あと を 読む 気 に なる 。
「 解脱 は 便法 に 過ぎ ぬ 。
下 れる 世に 立って 、 わが 真 を 貫徹 し 、 わが 善 を 標榜 し 、 わが 美 を 提唱 する の 際 、 甚泥 帯 水 の 弊 を まぬがれ 、 勇猛 精進 の 志 を 固く して 、 現代 下 根 の 衆生 より 受 くる 迫害 の 苦痛 を 委 却 する ため の 便法 である 。
この 便法 を 証 得し 得 ざる 時 、 英霊 の 俊 児 、 また ついに 鬼 窟 裏 に 堕 在 して 彼 の いわゆる 芸 妓紳 士 通 人 と 得失 を 較 する の 愚 を 演じて 憚 から ず 。
国家 の ため 悲しむ べき 事 である 。
「 解脱 は 便法 である 。
この 方便 門 を 通じて 出頭 し 来る 行為 、 動作 、 言説 の 是非 は 解脱 の 関する ところ で は ない 。
したがって 吾人 は 解脱 を 修得 する 前 に 正 鵠 に あた れる 趣味 を 養成 せ ねば なら ぬ 。
下 劣 なる 趣味 を 拘泥 なく 一 代 に 塗 抹 する は 学 人 の 恥 辱 である 。
彼ら が 貴重なる 十 年 二十 年 を 挙げて 故 紙 堆裏 に 兀々 たる は 、 衣食 の ため で は ない 、 名 聞 の ため で は ない 、 ないし 爵禄 財宝 の ため で は ない 。
微 か なる 墨 痕 の うち に 、 光明 の 一 炬 を 点じ 得て 、 点じ 得 たる 道 火 を 解脱 の 方便 門 より 担い 出して 暗黒 世界 を 遍 照 せ ん が ため である 。
「 この ゆえ に 真に 自家 証 得 底 の 見解 ある もの の ため に 、 拘泥 の 煩 を 払って 、 でき 得る 限り 彼ら を して 第 一種 の 解脱 に 近づか しむ る を 道徳 と 云 う 。
道徳 と は 有道 の 士 を して 道 を 行わ しめ ん が ため に 、 吾人 が これ に 対して 与 うる 自由 の 異名 である 。
この 大 道徳 を 解せ ざる もの を 俗 人 と 云 う 。
「 天下 の 多数 は 俗 人 である 。
わが 位 に 着する が ため に この 大 道徳 を 解し 得 ぬ 。
わが 富 に 着する が ため に この 大 道徳 を 解し 得 ぬ 。
下 れる もの は 、 わが 酒 と わが 女 に 着する が ため に この 大 道徳 を 解し 得 ぬ 。
「 光明 は 趣味 の 先駆 である 。
趣味 は 社会 の 油 である 。
油 なき 社会 は 成立 せ ぬ 。
汚れ たる 油 に 廻 転 する 社会 は 堕落 する 。
か の 紳士 、 通 人 、 芸 妓 の 徒 は 、 汚れ たる 油 の 上 を 滑って 墓 に 入る もの である 。
華族 と 云 い 貴 顕 と 云 い 豪商 と 云 う もの は 門 閥 の 油 、 権勢 の 油 、 黄 白 の 油 を もって 一 世 を 逆 しま に 廻 転せん と 欲する もの である 。
「 真 正 の 油 は 彼ら の 知る ところ で は ない 。
彼ら は 生れて より 以来 この 油 に ついて 何ら の 工夫 も 費やして おら ん 。
何ら の 工夫 を 費やさ ぬ もの が 、 この 大 道徳 を 解せ ぬ の は 許す 。
光明 の 学徒 を 圧迫 せんと する に 至って は 、 俗 人 の 域 を 超越 して 罪人 の 群 に 入る 。
「 三味線 を 習う に も 五六 年 は かかる 。
巧 拙 を 聴き 分 くる さえ 一 カ月 の 修業 で は 出来 ぬ 。
趣味 の 修養 が 三 味 の 稽古 より 易い と 思う の は 間違って いる 。
茶の湯 を 学ぶ 彼ら は いら ざる 儀式 に 貴重な 時間 を 費やして 、 一 々 に 師匠 の 云 う 通り に なる 。
趣味 は 茶の湯 より 六 ず か しい もの じゃ 。
茶 坊主 に 頭 を 下げる 謙 徳 が ある ならば 、 趣味 の 本家 たる 学 者 の 考 は なおさら 傾聴 せ ねば なら ぬ 。
「 趣味 は 人間 に 大切な もの である 。
楽器 を 壊 つ もの は 社会 から 音楽 を 奪う 点 に おいて 罪人 である 。
書物 を 焼く もの は 社会 から 学問 を 奪う 点 に おいて 罪人 である 。
趣味 を 崩す もの は 社会 そのもの を 覆え す 点 に おいて 刑法 の 罪人 より も はなはだしき 罪人 である 。
音楽 は なく と も 吾人 は 生きて いる 、 学問 が なくて も 吾人 は いきて いる 。
趣味 が なくて も 生きて おら れる かも 知れ ぬ 。
しかし 趣味 は 生活 の 全体 に 渉 る 社会 の 根本 要素 である 。
これ なく して 生き ん と する は 野 に 入って 虎 と 共に 生き ん と する と 一般 である 。
「 ここ に 一 人 が ある 。
この 一 人 が 単に 自己 の 思う ように なら ぬ と 云 う 源 因 の もと に 、 多勢 が 朝 に 晩 に 、 この 一 人 を 突つき 廻 わして 、 幾 年 の 後 この 一 人 の 人格 を 堕落 せ しめて 、 下 劣 なる 趣味 に 誘い 去り たる 時 、 彼ら は 殺人 より 重い 罪 を 犯した のである 。
人 を 殺せば 殺さ れる 。
殺さ れた もの は 社会 から 消えて 行く 。
後 患 は 遺 さ ない 。
趣味 の 堕落 した もの は 依然と して 現存 する 。
現存 する 以上 は 堕落 した 趣味 を 伝染 せ ねば やま ぬ 。
彼 は ペスト である 。
ペスト を 製造 した もの は もちろん 罪人 である 。
「 趣味 の 世界 に ペスト を 製造 して 罰せられ ん の は 人殺し を して 罰せられ ん の と 同様である 。
位 地 の 高い もの は もっとも この 罪 を 犯し やすい 。
彼ら は 彼ら の 社会 的 地位 から して 、 他 に 働きかける 便宜 の 多い 場所 に 立って いる 。
他 に 働きかける 便宜 を 有して 、 働きかける 道 を 弁え ぬ もの は 危険である 。
「 彼ら は 趣味 に おいて 専門 の 学徒 に 及ば ぬ 。
しかも 学徒 以上 他 に 働きかける の 能力 を 有して いる 。
能力 は 権利 で は ない 。
彼ら の ある もの は この 区別 さえ 心得て おら ん 。
彼ら の 趣味 を 教育 す べく この世 に 出現 せる 文学 者 を 捕えて すら これ を 逆 しま に 吾意 の ごとく せんと する 。
彼ら は 単に 大 道徳 を 忘れ たる のみ なら ず 、 大 不道徳 を 犯して 恬然 と して 社会 に 横行 し つつ ある のである 。
「 彼ら の 意 の ごとく なる 学徒 が あれば 、 自己 の 天職 を 自覚 せ ざる 学徒 である 。
彼ら を 教育 する 事 の 出来 ぬ 学徒 が あれば 腰 の 抜け たる 学徒 である 。
学徒 は 光明 を 体せ ん 事 を 要す 。
光明 より 流れ出 ずる 趣味 を 現 実せん 事 を 要す 。
しか して これ を 現 実せん が ため に 、 拘泥 せ ざら ん 事 を 要す 。
拘泥 せ ざら ん が ため に 解脱 を 要す 」 高柳 君 は 雑誌 を 開いた まま 、 茫然と して 眼 を 挙げた 。
正面 の 柱 に かかって いる 、 八 角 時計 が ぼ うんと 一 時 を 打つ 。
柱 の 下 の 椅子 に ぽつ 然 と 腰 を 掛けて いた 小 女 郎 が 時計 の 音 と 共に 立ち上がった 。
丸 テーブル の 上 に は 安い 京 焼 の 花 活 に 、 浅ましく 水仙 を 突きさして 、 葉 の 先 が 黄ばんで いる の を 、 いつまでも そのまま に 水 を やら ぬ 気 と 見える 。
小 女 郎 は 水仙 の 花 に ちょっと 手 を 触れて 、 花 活 の そば に ある 新聞 を とり上げた 。
読む か と 思ったら 四 つ に 畳んで 傍 に 置いた 。
この 女 は 用 も ない の に 立ち上がった のである 。
退屈 の あまり 、 ぼ うん を 聞いて 器械 的に 立ち上がった のである 。
羨ま し い 女 だ と 高柳 君 は すぐ 思う 。
菊 人形 の 収入 に ついて の 議論 は 片づいた と 見えて 、 二 人 の 学生 は 煙草 を ふかして 往来 を 見て いる 。
「 おや 、 富田 が 通る 」 と 一 人 が 云 う 。
「 どこ に 」 と 一 人 が 聞く 。
富田 君 は 三 寸 ばかり 開いて いた 硝子 戸 ( ガラス ど ) の 間 を ちら と 通り抜けた のである 。
「 あれ は 、 よく 食う 奴 じゃ な 」「 食う 、 食う 」 と 答えた ところ に よる と よほど 食う と 見える 。
「 人間 は 食う 割に 肥 ら ん もの だ な 。
あいつ は あんなに 食う 癖 に いっこう 肥え ん 」「 書物 は 沢山 読む が 、 ちっとも 、 えろ うなら ん の が おる と 同じ 事 じゃ 」「 そう よ 。
御 互 に 勉強 は なるべく せ ん 方 が いい の 」「 ハハハハ 。
そんな つもり で 云った んじゃ ない 」「 僕 は そう 云 う つもり に した の さ 」「 富田 は 肥 らん が なかなか 敏捷だ 。
やはり 沢山 食う だけ の 事 は ある 」「 敏捷な 事 が ある もの か 」「 いや 、 この 間 四 丁目 を 通ったら 、 後ろ から 出し抜けに 呼ぶ もの が ある から 、 振り 反る と 富田 だ 。
頭 を 半分 刈った まま で 、 大きな 敷布 の ような もの を 肩 から 纏う て いる 」「 元来 どうした の か 」「 床屋 から 飛び出して 来た のだ 」「 どうして 」「 髪 を 刈って おったら 、 僕 の 影 が 鏡 に 写った もの だ から 、 すぐ 馳 け 出した んだ そうだ 」「 ハハハハ そ いつ は 驚 ろ いた 」「 おれ も 驚 ろ いた 。
そうして 尚志 会 の 寄 附金 を 無理に 取って 、 また 床屋 へ 引き返した ぜ 」「 ハハハハ なるほど 敏捷な もの だ 。
それ じゃ 御 互 に なるべく 食う 事 に しよう 。
敏捷に せ ん と 、 卒業 して から 困る から な 」「 そう よ 。
文学 士 の ように 二十 円 くらい で 下宿 に 屏息 して いて は 人間 と 生れた 甲斐 は ない から な 」 高柳 君 は 勘定 を して 立ち上った 。
ありがとう と 云 う 下 女 の 声 に 、 文芸 倶楽部 の 上 に つっ伏して いた 書生 が 、 赤い 眼 を とろ つか せて 、 睨め る ように 高柳 君 を 見た 。
牛 の 乳 の なか の 酸 に 中毒 でも した のだろう 。
「五 」 野 分 夏目 漱石
いつ|の|ぶん|なつめ|そうせき
Nobe Natsume Soseki
ミルク ホール に 這 入る 。
みるく|ほーる||は|はいる
上下 を 擦り 硝子 ( ガラス ) に して 中 一 枚 を 透き 通し に した 腰 障子 に 近く 据えた 一 脚 の 椅子 に 腰 を おろす 。
じょうげ||かすり|がらす|がらす|||なか|ひと|まい||すき|とおし|||こし|しょうじ||ちかく|すえた|ひと|あし||いす||こし||
焼 麺 麭 ( やき パン ) を 噛って 、 牛乳 を 飲む 。
や|めん|ほう||ぱん||か って|ぎゅうにゅう||のむ
懐中 に は 二十 円 五十 銭 ある 。
かいちゅう|||にじゅう|えん|ごじゅう|せん|
ただ今 地理 学 教授 法 の 原稿 を 四十一 頁 渡して 金 に 換えて 来た ばかりである 。
ただいま|ちり|まな|きょうじゅ|ほう||げんこう||しじゅういち|ぺーじ|わたして|きむ||かえて|きた|
一 頁 五十 銭 の 割合 に なる 。
ひと|ぺーじ|ごじゅう|せん||わりあい||
一 頁 五十 銭 を 超 ゆ べ から ず 、 一 ヵ 月 五十 頁 を 超 ゆ べ から ず と 申し渡されて ある 。
ひと|ぺーじ|ごじゅう|せん||ちょう|||||ひと||つき|ごじゅう|ぺーじ||ちょう||||||もうしわたさ れて|
これ で 今月 は どう か 、 こう か 食える 。
||こんげつ||||||くえる
ほか から くれる 十 円 近く の 金 は 故 里 の 母 に 送ら なければ なら ない 。
|||じゅう|えん|ちかく||きむ||こ|さと||はは||おくら|||
故 里 は もう 落 鮎 の 時節 である 。
こ|さと|||おと|あゆ||じせつ|
ことに よる と 崩れ かかった 藁屋 根 に 初霜 が 降った かも 知れ ない 。
|||くずれ||わらや|ね||はつしも||ふった||しれ|
鶏 が 菊 の 根 方 を 暴 ら して いる 事 だろう 。
にわとり||きく||ね|かた||あば||||こと|
母 は 丈夫 かしら 。
はは||じょうぶ|
向 う の 机 を 占領 して いる 学生 が 二 人 、 西 洋菓子 を 食い ながら 、 団子 坂 の 菊 人形 の 収入 に ついて 大 に 論じて いる 。
むかい|||つくえ||せんりょう|||がくせい||ふた|じん|にし|ようがし||くい||だんご|さか||きく|にんぎょう||しゅうにゅう|||だい||ろんじて|
左 に 蜜柑 を むき ながら 、 その 汁 を 牛乳 の 中 へ たらして いる 書生 が ある 。
ひだり||みかん|||||しる||ぎゅうにゅう||なか||||しょせい||
一 房 絞って は 、 文芸 倶楽部 の 芸者 の 写真 を 一 枚 は ぐ り 、 一 房 絞って は 一 枚 はぐ る 。
ひと|ふさ|しぼって||ぶんげい|くらぶ||げいしゃ||しゃしん||ひと|まい||||ひと|ふさ|しぼって||ひと|まい||
芸者 の 絵 が 尽きた 時 、 彼 は コップ の 中 を 匙 で 攪 き 廻して 妙な 顔 を して いる 。
げいしゃ||え||つきた|じ|かれ||こっぷ||なか||さじ||かく||まわして|みょうな|かお|||
酸 で 牛乳 が 固まった ので 驚 ろ いて いる のだろう 。
さん||ぎゅうにゅう||かたまった||おどろ||||
高柳 君 は そこ に 重ねて ある 新聞 の 下 から 雑誌 を 引きずり出して 、 あれこれ と 見る 。
たかやなぎ|きみ||||かさねて||しんぶん||した||ざっし||ひきずりだして|||みる
目的 の 江 湖 雑誌 は 朝日 新聞 の 下 に 折れて いた 。
もくてき||こう|こ|ざっし||あさひ|しんぶん||した||おれて|
折れて は いる が まだ 新 らしい 。
おれて|||||しん|
四五 日 前 に 出た ばかり のである 。
しご|ひ|ぜん||でた||
折れた 所 は 六 号 活字 で 何だか 色 鉛筆 の 赤い 圏 点 が 一面に ついて いる 。
おれた|しょ||むっ|ごう|かつじ||なんだか|いろ|えんぴつ||あかい|けん|てん||いちめんに||
僕 の 恋愛 観 と 云 う 表題 の 下 に 中野 春 台 と ある 。
ぼく||れんあい|かん||うん||ひょうだい||した||なかの|はる|だい||
春 台 は 無論 輝一 の 号 である 。
はる|だい||むろん|きいち||ごう|
高柳 君 は 食い 欠いた 焼 麺 麭 ( やき パン ) を 皿 の 上 へ 置いた なり 「 僕 の 恋愛 観 」 を 見て いた が やがて 、 に やり と 笑った 。
たかやなぎ|きみ||くい|かいた|や|めん|ほう||ぱん||さら||うえ||おいた||ぼく||れんあい|かん||みて|||||||わらった
恋愛 観 の 結末 に 同じく 色 鉛筆 で 色 情 狂 ※[# 感嘆 符 三 つ 、320-13] と 書いて ある 。
れんあい|かん||けつまつ||おなじく|いろ|えんぴつ||いろ|じょう|くる|かんたん|ふ|みっ|||かいて|
高柳 君 は 頁 を はぐった 。
たかやなぎ|きみ||ぺーじ||はぐ った
六 号 活字 は だいぶ 長い 。
むっ|ごう|かつじ|||ながい
もっとも いろいろの 人 の 名前 が 出て いる 。
||じん||なまえ||でて|
一 番 始め に は 現代 青年 の 煩 悶 に 対する 諸 家 の 解決 と ある 。
ひと|ばん|はじめ|||げんだい|せいねん||わずら|もん||たいする|しょ|いえ||かいけつ||
高柳 君 は 急に 読んで 見る 気 に なった 。
たかやなぎ|きみ||きゅうに|よんで|みる|き||
―― 第 一 は 静 心 の 工夫 を 積め と 云 う 注意 だ 。
だい|ひと||せい|こころ||くふう||つめ||うん||ちゅうい|
積め と は どう 積む の か ちっとも わから ない 。
つめ||||つむ|||||
第 二 は 運動 を して 冷水 摩擦 を やれ と 云 う 。
だい|ふた||うんどう|||れいすい|まさつ||||うん|
簡単な もの である 。
かんたんな||
第 三 は 読書 も せ ず 、 世間 も 知ら ぬ 青年 が 煩 悶 する 法 が ない と 論じて いる 。
だい|みっ||どくしょ||||せけん||しら||せいねん||わずら|もん||ほう||||ろんじて|
無い と 云って も 有れば 仕方 が ない 。
ない||うん って||あれば|しかた||
第 四 は 休暇 ごと に 必ず 旅行 せよ と 勧告 して いる 。
だい|よっ||きゅうか|||かならず|りょこう|||かんこく||
しかし 旅費 の 出 処 は 明記 して ない 。
|りょひ||だ|しょ||めいき||
―― 高柳 君 は あと を 読む の が 厭 に なった 。
たかやなぎ|きみ||||よむ|||いと||
颯 と 引っくりかえして 、 第 一 頁 を あける 。
さつ||ひっくりかえして|だい|ひと|ぺーじ||
「 解脱 と 拘泥 …… 憂世 子 」 と 云 うの が ある 。
げだつ||こうでい|ゆうよ|こ||うん|||
標題 が 面白い ので ちょっと 目 を 通す 。
ひょうだい||おもしろい|||め||とおす
「 身体 の 局部 が どこ ぞ 悪い と 気 に かかる 。
からだ||きょくぶ||||わるい||き||
何 を して いて も 、 それ が コダワって 来る 。
なん|||||||コダワ って|くる
ところが 非常に 健康な 人 は 行 住 坐 臥 ともに わが 身体 の 存在 を 忘れて いる 。
|ひじょうに|けんこうな|じん||ぎょう|じゅう|すわ|が|||からだ||そんざい||わすれて|
一 点 の 局部 だ にわ が 注意 を 集 注 す べき 患 所 が ない から 、 かく 安 々 と 胖 か な のである 。
ひと|てん||きょくぶ||||ちゅうい||しゅう|そそ|||わずら|しょ|||||やす|||ゆたか|||
瘠せて 蒼 い 顔 を して いる 人 に 、 君 は 胃 が 悪い だろう と 尋ねて 見た 事 が ある 。
やせて|あお||かお||||じん||きみ||い||わるい|||たずねて|みた|こと||
すると その 男 が 答えて 、 胃 は 少しも 故障 が ない 、 その 証拠 に は 僕 は この 年 に なる が 、 いまだに 胃 が どこ に ある か 知ら ない と 云 うた 。
||おとこ||こたえて|い||すこしも|こしょう||||しょうこ|||ぼく|||とし|||||い||||||しら|||うん|
その 時 は 笑って 済んだ が 、 後 で 考えて 見る と 大 に 悟った 言葉 である 。
|じ||わらって|すんだ||あと||かんがえて|みる||だい||さとった|ことば|
この 人 は 全く 胃 が 健康だ から 胃 に 拘泥 する 必要 が ない 、 必要 が ない から 胃 が どこ に あって も 構わ ない の と 見える 。
|じん||まったく|い||けんこうだ||い||こうでい||ひつよう|||ひつよう||||い||||||かまわ||||みえる
自在 飲 、 自在 食 、 いっこう 平気である 。
じざい|いん|じざい|しょく||へいきである
この 男 は 胃 に おいて 悟 を 開いた もの である 。
|おとこ||い|||さとし||あいた||
……」 高柳 君 は これ は 少し 妙だ よ と 口 の なか で 云った 。
たかやなぎ|きみ||||すこし|みょうだ|||くち||||うん った
胃 の 悟り は 妙だ と 云った 。
い||さとり||みょうだ||うん った
「 胃 に ついて 道 い 得 べき 事 は 、 惣身 に ついて も 道 い 得 べき 事 である 。
い|||どう||とく||こと||そうみ||||どう||とく||こと|
惣身 に ついて 道 い 得 べき 事 は 、 精神 に ついて も 道 い 得 べき 事 である 。
そうみ|||どう||とく||こと||せいしん||||どう||とく||こと|
ただ 精神 生活 に おいて は 得失 の 両面 に おいて 等しく 拘泥 を 免 かれ ぬ ところ が 、 身体 より 煩い に なる 。
|せいしん|せいかつ||||とくしつ||りょうめん|||ひとしく|こうでい||めん|||||からだ||わずらい||
「 一 能 の 士 は 一 能 に 拘泥 し 、 一 芸 の 人 は 一 芸 に 拘泥 して 己 れ を 苦しめて いる 。
ひと|のう||し||ひと|のう||こうでい||ひと|げい||じん||ひと|げい||こうでい||おのれ|||くるしめて|
芸能 は 気 の 持ち よう で は すぐ 忘れる 事 も 出来る 。
げいのう||き||もち|||||わすれる|こと||できる
わが 欠点 に 至って は 容易に 解脱 は 出来 ぬ 。
|けってん||いたって||よういに|げだつ||でき|
「 百 円 や 二百 円 も する 帯 を しめて 女 が 音楽 会 へ 行く と この 帯 が 妙に 気 に なって 音楽 が 耳 に 入ら ぬ 事 が ある 。
ひゃく|えん||にひゃく|えん|||おび|||おんな||おんがく|かい||いく|||おび||みょうに|き|||おんがく||みみ||はいら||こと||
これ は 帯 に 拘泥 する から である 。
||おび||こうでい|||
しかし これ は 自慢 の 例 じゃ 。
|||じまん||れい|
得意の 方 は 前 云 う 通り 祟 り を 避け 易い 。
とくいの|かた||ぜん|うん||とおり|たたり|||さけ|やすい
しかし 不 面目 の 側 は なかなか 強情に 祟 る 。
|ふ|めんぼく||がわ|||ごうじょうに|たたり|
昔 し さる 所 で 一 人 の 客 に 紹介 さ れた 時 、 御 互 に 椅子 の 上 で 礼 を して 双方 共 頭 を 下げた 。
むかし|||しょ||ひと|じん||きゃく||しょうかい|||じ|ご|ご||いす||うえ||れい|||そうほう|とも|あたま||さげた
下げ ながら 、 向 う の 足 を 見る と その 男 の 靴 足袋 の 片 々 が 破れて 親指 の 爪 が 出て いる 。
さげ||むかい|||あし||みる|||おとこ||くつ|たび||かた|||やぶれて|おやゆび||つめ||でて|
こちら が 頭 を 下げる と 同時に 彼 は 満足な 足 を あげて 、 破れ 足袋 の 上 に 加えた 。
||あたま||さげる||どうじに|かれ||まんぞくな|あし|||やぶれ|たび||うえ||くわえた
この 人 は 足袋 の 穴 に 拘泥 して いた のである 。
|じん||たび||あな||こうでい|||
……」 おれ も 拘泥 して いる 。
||こうでい||
おれ の から だ は 穴 だらけ だ と 高柳 君 は 思い ながら 先 へ 進む 。
|||||あな||||たかやなぎ|きみ||おもい||さき||すすむ
「 拘泥 は 苦痛 である 。
こうでい||くつう|
避け なければ なら ぬ 。
さけ|||
苦痛 そのもの は 避け がたい 世 であろう 。
くつう|その もの||さけ||よ|
しかし 拘泥 の 苦痛 は 一 日 で 済む 苦痛 を 五 日 、 七 日 に 延長 する 苦痛 である 。
|こうでい||くつう||ひと|ひ||すむ|くつう||いつ|ひ|なな|ひ||えんちょう||くつう|
いら ざる 苦痛 である 。
||くつう|
避け なければ なら ぬ 。
さけ|||
「 自己 が 拘泥 する の は 他人 が 自己 に 注意 を 集 注 する と 思う から で 、 つまり は 他人 が 拘泥 する から である 。
じこ||こうでい||||たにん||じこ||ちゅうい||しゅう|そそ|||おもう|||||たにん||こうでい|||
……」 高柳 君 は 音楽 会 の 事 を 思いだした 。
たかやなぎ|きみ||おんがく|かい||こと||おもいだした
「 したがって 拘泥 を 解脱 する に は 二 つ の 方法 が ある 。
|こうでい||げだつ||||ふた|||ほうほう||
他人 が いくら 拘泥 して も 自分 は 拘泥 せ ぬ の が 一 つ の 解脱 法 である 。
たにん|||こうでい|||じぶん||こうでい|||||ひと|||げだつ|ほう|
人 が 目 を 峙 て て も 、 耳 を 聳 や かして も 、 冷 評して も 罵 詈 して も 自分 だけ は 拘泥 せ ず に さっさと 事 を 運んで 行く 。
じん||め||じ||||みみ||しょう||||ひや|ひょうして||ののし|り|||じぶん|||こうでい|||||こと||はこんで|いく
大久保 彦左 衛 門 は 盥 で 登 城 した 事 が ある 。
おおくぼ|ひこひだり|まもる|もん||たらい||のぼる|しろ||こと||
……」 高柳 君 は 彦左 衛 門 が 羨ま しく なった 。
たかやなぎ|きみ||ひこひだり|まもる|もん||うらやま||
「 立派な 衣装 を 馬 士 に 着せる と 馬 士 は すぐ 拘泥 して しまう 。
りっぱな|いしょう||うま|し||きせる||うま|し|||こうでい||
華族 や 大名 は この 点 に おいて 解脱 の 方 を 得て いる 。
かぞく||だいみょう|||てん|||げだつ||かた||えて|
華族 や 大名 に 馬 士 の 腹掛 を かけ さす と 、 すぐ 拘泥 して しまう 。
かぞく||だいみょう||うま|し||はらがけ||||||こうでい||
釈迦 や 孔子 は この 点 に おいて 解脱 を 心得て いる 。
しゃか||こうし|||てん|||げだつ||こころえて|
物質 界 に 重 を 置か ぬ もの は 物質 界 に 拘泥 する 必要 が ない から である 。
ぶっしつ|かい||おも||おか||||ぶっしつ|かい||こうでい||ひつよう||||
……」 高柳 君 は 冷め かかった 牛乳 を ぐっと 飲んで 、 う う と 云った 。
たかやなぎ|きみ||さめ||ぎゅうにゅう|||のんで||||うん った
「 第 二 の 解脱 法 は 常 人 の 解脱 法 である 。
だい|ふた||げだつ|ほう||とわ|じん||げだつ|ほう|
常 人 の 解脱 法 は 拘泥 を 免 かる る ので は ない 、 拘泥 せ ねば なら ぬ ような 苦しい 地位 に 身 を 置く の を 避ける のである 。
とわ|じん||げだつ|ほう||こうでい||めん||||||こうでい||||||くるしい|ちい||み||おく|||さける|
人 の 視聴 を 惹 く の 結果 、 われ より 苦痛 が 反射 せ ぬ ように と 始め から 用心 する のである 。
じん||しちょう||じゃく|||けっか|||くつう||はんしゃ|||||はじめ||ようじん||
したがって 始め より 流 俗に 媚 び て 一 世 に 附和 する 心底 が なければ 成功 せ ぬ 。
|はじめ||りゅう|ぞくに|び|||ひと|よ||ふわ||しんそこ|||せいこう||
江戸 風 な 町人 は この 解脱 法 を 心得て いる 。
えど|かぜ||ちょうにん|||げだつ|ほう||こころえて|
芸 妓通 客 は この 解脱 法 を 心得て いる 。
げい|きとおり|きゃく|||げだつ|ほう||こころえて|
西洋 の いわゆる 紳士 ( ゼントルマン ) は もっとも よく この 解脱 法 を 心得た もの である 。
せいよう|||しんし||||||げだつ|ほう||こころえた||
……」 芸者 と 紳士 ( ゼントルマン ) が いっしょに なって る の は 、 面白い と 、 青年 は また 焼 麺 麭 ( やき パン ) の 一片 を 、 横合 から 半円 形 に 食い 欠いた 。
げいしゃ||しんし||||||||おもしろい||せいねん|||や|めん|ほう||ぱん||いっぺん||よこあい||はんえん|かた||くい|かいた
親指 に ついた 牛 酪 ( バタ ) を そのまま 袴 の 膝 へ なすりつけた 。
おやゆび|||うし|らく||||はかま||ひざ||
「 芸 妓 、 紳士 、 通 人 から 耶蘇 ( ヤソ ) 孔子 釈迦 を 見れば 全然 たる 狂 人 である 。
げい|き|しんし|つう|じん||やそ||こうし|しゃか||みれば|ぜんぜん||くる|じん|
耶蘇 、 孔子 、 釈迦 から 芸 妓 、 紳士 、 通 人 を 見れば 依然と して 拘泥 して いる 。
やそ|こうし|しゃか||げい|き|しんし|つう|じん||みれば|いぜん と||こうでい||
拘泥 の うち に 拘泥 を 脱し 得たり と 得意なる もの は 彼ら である 。
こうでい||||こうでい||だっし|えたり||とくいなる|||かれら|
両者 の 解脱 は 根本 義 に おいて 一致 すべ から ざる もの である 。
りょうしゃ||げだつ||こんぽん|ただし|||いっち|||||
……」 高柳 君 は 今 まで 解脱 の 二 字 に おいて かつて 考えた 事 は なかった 。
たかやなぎ|きみ||いま||げだつ||ふた|あざ||||かんがえた|こと||
ただ 文 界 に 立って 、 ある 物 に なりたい 、 なりたい が なれ ない 、 なれ ん ので は ない 、 金 が ない 、 時 が ない 、 世間 が 寄ってたかって 己 れ を 苦しめる 、 残念だ 無念だ と ばかり 思って いた 。
|ぶん|かい||たって||ぶつ||なり たい|なり たい|||||||||きむ|||じ|||せけん||よってたかって|おのれ|||くるしめる|ざんねんだ|むねんだ|||おもって|
あと を 読む 気 に なる 。
||よむ|き||
「 解脱 は 便法 に 過ぎ ぬ 。
げだつ||べんぽう||すぎ|
下 れる 世に 立って 、 わが 真 を 貫徹 し 、 わが 善 を 標榜 し 、 わが 美 を 提唱 する の 際 、 甚泥 帯 水 の 弊 を まぬがれ 、 勇猛 精進 の 志 を 固く して 、 現代 下 根 の 衆生 より 受 くる 迫害 の 苦痛 を 委 却 する ため の 便法 である 。
した||よに|たって||まこと||かんてつ|||ぜん||ひょうぼう|||び||ていしょう|||さい|じんどろ|おび|すい||へい|||ゆうもう|しょうじん||こころざし||かたく||げんだい|した|ね||しゅじょう||じゅ||はくがい||くつう||い|きゃく||||べんぽう|
この 便法 を 証 得し 得 ざる 時 、 英霊 の 俊 児 、 また ついに 鬼 窟 裏 に 堕 在 して 彼 の いわゆる 芸 妓紳 士 通 人 と 得失 を 較 する の 愚 を 演じて 憚 から ず 。
|べんぽう||あかし|とくし|とく||じ|えいれい||しゆん|じ|||おに|いわや|うら||だ|ざい||かれ|||げい|きしん|し|つう|じん||とくしつ||かく|||ぐ||えんじて|はばか||
国家 の ため 悲しむ べき 事 である 。
こっか|||かなしむ||こと|
「 解脱 は 便法 である 。
げだつ||べんぽう|
この 方便 門 を 通じて 出頭 し 来る 行為 、 動作 、 言説 の 是非 は 解脱 の 関する ところ で は ない 。
|ほうべん|もん||つうじて|しゅっとう||くる|こうい|どうさ|げんせつ||ぜひ||げだつ||かんする||||
したがって 吾人 は 解脱 を 修得 する 前 に 正 鵠 に あた れる 趣味 を 養成 せ ねば なら ぬ 。
|ごじん||げだつ||しゅうとく||ぜん||せい|くぐい||||しゅみ||ようせい||||
下 劣 なる 趣味 を 拘泥 なく 一 代 に 塗 抹 する は 学 人 の 恥 辱 である 。
した|おと||しゅみ||こうでい||ひと|だい||ぬ|まつ|||まな|じん||はじ|じょく|
彼ら が 貴重なる 十 年 二十 年 を 挙げて 故 紙 堆裏 に 兀々 たる は 、 衣食 の ため で は ない 、 名 聞 の ため で は ない 、 ないし 爵禄 財宝 の ため で は ない 。
かれら||きちょうなる|じゅう|とし|にじゅう|とし||あげて|こ|かみ|ついうら||こつ々|||いしょく||||||な|き|||||||しゃくろく|ざいほう|||||
微 か なる 墨 痕 の うち に 、 光明 の 一 炬 を 点じ 得て 、 点じ 得 たる 道 火 を 解脱 の 方便 門 より 担い 出して 暗黒 世界 を 遍 照 せ ん が ため である 。
び|||すみ|あと||||こうみょう||ひと|きょ||てんじ|えて|てんじ|とく||どう|ひ||げだつ||ほうべん|もん||にない|だして|あんこく|せかい||へん|あきら|||||
「 この ゆえ に 真に 自家 証 得 底 の 見解 ある もの の ため に 、 拘泥 の 煩 を 払って 、 でき 得る 限り 彼ら を して 第 一種 の 解脱 に 近づか しむ る を 道徳 と 云 う 。
|||しんに|じか|あかし|とく|そこ||けんかい||||||こうでい||わずら||はらって||える|かぎり|かれら|||だい|いっしゅ||げだつ||ちかづか||||どうとく||うん|
道徳 と は 有道 の 士 を して 道 を 行わ しめ ん が ため に 、 吾人 が これ に 対して 与 うる 自由 の 異名 である 。
どうとく|||ありみち||し|||どう||おこなわ||||||ごじん||||たいして|あずか||じゆう||いみょう|
この 大 道徳 を 解せ ざる もの を 俗 人 と 云 う 。
|だい|どうとく||かいせ||||ぞく|じん||うん|
「 天下 の 多数 は 俗 人 である 。
てんか||たすう||ぞく|じん|
わが 位 に 着する が ため に この 大 道徳 を 解し 得 ぬ 。
|くらい||ちゃくする|||||だい|どうとく||かいし|とく|
わが 富 に 着する が ため に この 大 道徳 を 解し 得 ぬ 。
|とみ||ちゃくする|||||だい|どうとく||かいし|とく|
下 れる もの は 、 わが 酒 と わが 女 に 着する が ため に この 大 道徳 を 解し 得 ぬ 。
した|||||さけ|||おんな||ちゃくする|||||だい|どうとく||かいし|とく|
「 光明 は 趣味 の 先駆 である 。
こうみょう||しゅみ||せんく|
趣味 は 社会 の 油 である 。
しゅみ||しゃかい||あぶら|
油 なき 社会 は 成立 せ ぬ 。
あぶら||しゃかい||せいりつ||
汚れ たる 油 に 廻 転 する 社会 は 堕落 する 。
けがれ||あぶら||まわ|てん||しゃかい||だらく|
か の 紳士 、 通 人 、 芸 妓 の 徒 は 、 汚れ たる 油 の 上 を 滑って 墓 に 入る もの である 。
||しんし|つう|じん|げい|き||と||けがれ||あぶら||うえ||すべって|はか||はいる||
華族 と 云 い 貴 顕 と 云 い 豪商 と 云 う もの は 門 閥 の 油 、 権勢 の 油 、 黄 白 の 油 を もって 一 世 を 逆 しま に 廻 転せん と 欲する もの である 。
かぞく||うん||とうと|あきら||うん||ごうしょう||うん||||もん|ばつ||あぶら|けんせい||あぶら|き|しろ||あぶら|||ひと|よ||ぎゃく|||まわ|てんせん||ほっする||
「 真 正 の 油 は 彼ら の 知る ところ で は ない 。
まこと|せい||あぶら||かれら||しる||||
彼ら は 生れて より 以来 この 油 に ついて 何ら の 工夫 も 費やして おら ん 。
かれら||うまれて||いらい||あぶら|||なんら||くふう||ついやして||
何ら の 工夫 を 費やさ ぬ もの が 、 この 大 道徳 を 解せ ぬ の は 許す 。
なんら||くふう||ついやさ|||||だい|どうとく||かいせ||||ゆるす
光明 の 学徒 を 圧迫 せんと する に 至って は 、 俗 人 の 域 を 超越 して 罪人 の 群 に 入る 。
こうみょう||がくと||あっぱく||||いたって||ぞく|じん||いき||ちょうえつ||ざいにん||ぐん||はいる
「 三味線 を 習う に も 五六 年 は かかる 。
しゃみせん||ならう|||ごろく|とし||
巧 拙 を 聴き 分 くる さえ 一 カ月 の 修業 で は 出来 ぬ 。
こう|せつ||きき|ぶん|||ひと|かげつ||しゅぎょう|||でき|
趣味 の 修養 が 三 味 の 稽古 より 易い と 思う の は 間違って いる 。
しゅみ||しゅうよう||みっ|あじ||けいこ||やすい||おもう|||まちがって|
茶の湯 を 学ぶ 彼ら は いら ざる 儀式 に 貴重な 時間 を 費やして 、 一 々 に 師匠 の 云 う 通り に なる 。
ちゃのゆ||まなぶ|かれら||||ぎしき||きちょうな|じかん||ついやして|ひと|||ししょう||うん||とおり||
趣味 は 茶の湯 より 六 ず か しい もの じゃ 。
しゅみ||ちゃのゆ||むっ|||||
茶 坊主 に 頭 を 下げる 謙 徳 が ある ならば 、 趣味 の 本家 たる 学 者 の 考 は なおさら 傾聴 せ ねば なら ぬ 。
ちゃ|ぼうず||あたま||さげる|けん|とく||||しゅみ||ほんけ||まな|もの||こう|||けいちょう||||
「 趣味 は 人間 に 大切な もの である 。
しゅみ||にんげん||たいせつな||
楽器 を 壊 つ もの は 社会 から 音楽 を 奪う 点 に おいて 罪人 である 。
がっき||こわ||||しゃかい||おんがく||うばう|てん|||ざいにん|
書物 を 焼く もの は 社会 から 学問 を 奪う 点 に おいて 罪人 である 。
しょもつ||やく|||しゃかい||がくもん||うばう|てん|||ざいにん|
趣味 を 崩す もの は 社会 そのもの を 覆え す 点 に おいて 刑法 の 罪人 より も はなはだしき 罪人 である 。
しゅみ||くずす|||しゃかい|その もの||おおえ||てん|||けいほう||ざいにん||||ざいにん|
音楽 は なく と も 吾人 は 生きて いる 、 学問 が なくて も 吾人 は いきて いる 。
おんがく|||||ごじん||いきて||がくもん||||ごじん|||
趣味 が なくて も 生きて おら れる かも 知れ ぬ 。
しゅみ||||いきて||||しれ|
しかし 趣味 は 生活 の 全体 に 渉 る 社会 の 根本 要素 である 。
|しゅみ||せいかつ||ぜんたい||わたる||しゃかい||こんぽん|ようそ|
これ なく して 生き ん と する は 野 に 入って 虎 と 共に 生き ん と する と 一般 である 。
|||いき|||||の||はいって|とら||ともに|いき|||||いっぱん|
「 ここ に 一 人 が ある 。
||ひと|じん||
この 一 人 が 単に 自己 の 思う ように なら ぬ と 云 う 源 因 の もと に 、 多勢 が 朝 に 晩 に 、 この 一 人 を 突つき 廻 わして 、 幾 年 の 後 この 一 人 の 人格 を 堕落 せ しめて 、 下 劣 なる 趣味 に 誘い 去り たる 時 、 彼ら は 殺人 より 重い 罪 を 犯した のである 。
|ひと|じん||たんに|じこ||おもう|||||うん||げん|いん||||たぜい||あさ||ばん|||ひと|じん||つつき|まわ||いく|とし||あと||ひと|じん||じんかく||だらく|||した|おと||しゅみ||さそい|さり||じ|かれら||さつじん||おもい|ざい||おかした|
人 を 殺せば 殺さ れる 。
じん||ころせば|ころさ|
殺さ れた もの は 社会 から 消えて 行く 。
ころさ||||しゃかい||きえて|いく
後 患 は 遺 さ ない 。
あと|わずら||い||
趣味 の 堕落 した もの は 依然と して 現存 する 。
しゅみ||だらく||||いぜん と||げんそん|
現存 する 以上 は 堕落 した 趣味 を 伝染 せ ねば やま ぬ 。
げんそん||いじょう||だらく||しゅみ||でんせん||||
彼 は ペスト である 。
かれ||ぺすと|
ペスト を 製造 した もの は もちろん 罪人 である 。
ぺすと||せいぞう|||||ざいにん|
「 趣味 の 世界 に ペスト を 製造 して 罰せられ ん の は 人殺し を して 罰せられ ん の と 同様である 。
しゅみ||せかい||ぺすと||せいぞう||ばっせ られ||||ひとごろし|||ばっせ られ||||どうようである
位 地 の 高い もの は もっとも この 罪 を 犯し やすい 。
くらい|ち||たかい|||||ざい||おかし|
彼ら は 彼ら の 社会 的 地位 から して 、 他 に 働きかける 便宜 の 多い 場所 に 立って いる 。
かれら||かれら||しゃかい|てき|ちい|||た||はたらきかける|べんぎ||おおい|ばしょ||たって|
他 に 働きかける 便宜 を 有して 、 働きかける 道 を 弁え ぬ もの は 危険である 。
た||はたらきかける|べんぎ||ゆうして|はたらきかける|どう||わきまえ||||きけんである
「 彼ら は 趣味 に おいて 専門 の 学徒 に 及ば ぬ 。
かれら||しゅみ|||せんもん||がくと||およば|
しかも 学徒 以上 他 に 働きかける の 能力 を 有して いる 。
|がくと|いじょう|た||はたらきかける||のうりょく||ゆうして|
能力 は 権利 で は ない 。
のうりょく||けんり|||
彼ら の ある もの は この 区別 さえ 心得て おら ん 。
かれら||||||くべつ||こころえて||
彼ら の 趣味 を 教育 す べく この世 に 出現 せる 文学 者 を 捕えて すら これ を 逆 しま に 吾意 の ごとく せんと する 。
かれら||しゅみ||きょういく|||このよ||しゅつげん||ぶんがく|もの||とらえて||||ぎゃく|||われい||||
彼ら は 単に 大 道徳 を 忘れ たる のみ なら ず 、 大 不道徳 を 犯して 恬然 と して 社会 に 横行 し つつ ある のである 。
かれら||たんに|だい|どうとく||わすれ|||||だい|ふどうとく||おかして|てんぜん|||しゃかい||おうこう||||
「 彼ら の 意 の ごとく なる 学徒 が あれば 、 自己 の 天職 を 自覚 せ ざる 学徒 である 。
かれら||い||||がくと|||じこ||てんしょく||じかく|||がくと|
彼ら を 教育 する 事 の 出来 ぬ 学徒 が あれば 腰 の 抜け たる 学徒 である 。
かれら||きょういく||こと||でき||がくと|||こし||ぬけ||がくと|
学徒 は 光明 を 体せ ん 事 を 要す 。
がくと||こうみょう||たいせ||こと||ようす
光明 より 流れ出 ずる 趣味 を 現 実せん 事 を 要す 。
こうみょう||ながれで||しゅみ||げん|じっせん|こと||ようす
しか して これ を 現 実せん が ため に 、 拘泥 せ ざら ん 事 を 要す 。
||||げん|じっせん||||こうでい||||こと||ようす
拘泥 せ ざら ん が ため に 解脱 を 要す 」 高柳 君 は 雑誌 を 開いた まま 、 茫然と して 眼 を 挙げた 。
こうでい|||||||げだつ||ようす|たかやなぎ|きみ||ざっし||あいた||ぼうぜんと||がん||あげた
正面 の 柱 に かかって いる 、 八 角 時計 が ぼ うんと 一 時 を 打つ 。
しょうめん||ちゅう||||やっ|かど|とけい||||ひと|じ||うつ
柱 の 下 の 椅子 に ぽつ 然 と 腰 を 掛けて いた 小 女 郎 が 時計 の 音 と 共に 立ち上がった 。
ちゅう||した||いす|||ぜん||こし||かけて||しょう|おんな|ろう||とけい||おと||ともに|たちあがった
丸 テーブル の 上 に は 安い 京 焼 の 花 活 に 、 浅ましく 水仙 を 突きさして 、 葉 の 先 が 黄ばんで いる の を 、 いつまでも そのまま に 水 を やら ぬ 気 と 見える 。
まる|てーぶる||うえ|||やすい|けい|や||か|かつ||あさましく|すいせん||つきさして|は||さき||きばんで|||||||すい||||き||みえる
小 女 郎 は 水仙 の 花 に ちょっと 手 を 触れて 、 花 活 の そば に ある 新聞 を とり上げた 。
しょう|おんな|ろう||すいせん||か|||て||ふれて|か|かつ|||||しんぶん||とりあげた
読む か と 思ったら 四 つ に 畳んで 傍 に 置いた 。
よむ|||おもったら|よっ|||たたんで|そば||おいた
この 女 は 用 も ない の に 立ち上がった のである 。
|おんな||よう|||||たちあがった|
退屈 の あまり 、 ぼ うん を 聞いて 器械 的に 立ち上がった のである 。
たいくつ||||||きいて|きかい|てきに|たちあがった|
羨ま し い 女 だ と 高柳 君 は すぐ 思う 。
うらやま|||おんな|||たかやなぎ|きみ|||おもう
菊 人形 の 収入 に ついて の 議論 は 片づいた と 見えて 、 二 人 の 学生 は 煙草 を ふかして 往来 を 見て いる 。
きく|にんぎょう||しゅうにゅう||||ぎろん||かたづいた||みえて|ふた|じん||がくせい||たばこ|||おうらい||みて|
「 おや 、 富田 が 通る 」 と 一 人 が 云 う 。
|とみた||とおる||ひと|じん||うん|
「 どこ に 」 と 一 人 が 聞く 。
|||ひと|じん||きく
富田 君 は 三 寸 ばかり 開いて いた 硝子 戸 ( ガラス ど ) の 間 を ちら と 通り抜けた のである 。
とみた|きみ||みっ|すん||あいて||がらす|と|がらす|||あいだ||||とおりぬけた|
「 あれ は 、 よく 食う 奴 じゃ な 」「 食う 、 食う 」 と 答えた ところ に よる と よほど 食う と 見える 。
|||くう|やつ|||くう|くう||こたえた||||||くう||みえる
「 人間 は 食う 割に 肥 ら ん もの だ な 。
にんげん||くう|わりに|こえ|||||
あいつ は あんなに 食う 癖 に いっこう 肥え ん 」「 書物 は 沢山 読む が 、 ちっとも 、 えろ うなら ん の が おる と 同じ 事 じゃ 」「 そう よ 。
|||くう|くせ|||こえ||しょもつ||たくさん|よむ||||||||||おなじ|こと|||
御 互 に 勉強 は なるべく せ ん 方 が いい の 」「 ハハハハ 。
ご|ご||べんきょう|||||かた||||
そんな つもり で 云った んじゃ ない 」「 僕 は そう 云 う つもり に した の さ 」「 富田 は 肥 らん が なかなか 敏捷だ 。
|||うん った|||ぼく|||うん|||||||とみた||こえ||||びんしょうだ
やはり 沢山 食う だけ の 事 は ある 」「 敏捷な 事 が ある もの か 」「 いや 、 この 間 四 丁目 を 通ったら 、 後ろ から 出し抜けに 呼ぶ もの が ある から 、 振り 反る と 富田 だ 。
|たくさん|くう|||こと|||びんしょうな|こと|||||||あいだ|よっ|ちょうめ||かよったら|うしろ||だしぬけに|よぶ|||||ふり|そる||とみた|
頭 を 半分 刈った まま で 、 大きな 敷布 の ような もの を 肩 から 纏う て いる 」「 元来 どうした の か 」「 床屋 から 飛び出して 来た のだ 」「 どうして 」「 髪 を 刈って おったら 、 僕 の 影 が 鏡 に 写った もの だ から 、 すぐ 馳 け 出した んだ そうだ 」「 ハハハハ そ いつ は 驚 ろ いた 」「 おれ も 驚 ろ いた 。
あたま||はんぶん|かった|||おおきな|しきふ|||||かた||まとう|||がんらい||||とこや||とびだして|きた|||かみ||かって||ぼく||かげ||きよう||うつった|||||ち||だした||そう だ|||||おどろ|||||おどろ||
そうして 尚志 会 の 寄 附金 を 無理に 取って 、 また 床屋 へ 引き返した ぜ 」「 ハハハハ なるほど 敏捷な もの だ 。
|たかし|かい||よ|ふきん||むりに|とって||とこや||ひきかえした||||びんしょうな||
それ じゃ 御 互 に なるべく 食う 事 に しよう 。
||ご|ご|||くう|こと||
敏捷に せ ん と 、 卒業 して から 困る から な 」「 そう よ 。
びんしょうに||||そつぎょう|||こまる||||
文学 士 の ように 二十 円 くらい で 下宿 に 屏息 して いて は 人間 と 生れた 甲斐 は ない から な 」 高柳 君 は 勘定 を して 立ち上った 。
ぶんがく|し|||にじゅう|えん|||げしゅく||びょういき||||にんげん||うまれた|かい|||||たかやなぎ|きみ||かんじょう|||たちのぼった
ありがとう と 云 う 下 女 の 声 に 、 文芸 倶楽部 の 上 に つっ伏して いた 書生 が 、 赤い 眼 を とろ つか せて 、 睨め る ように 高柳 君 を 見た 。
||うん||した|おんな||こえ||ぶんげい|くらぶ||うえ||つ っ ふくして||しょせい||あかい|がん|||||にらめ|||たかやなぎ|きみ||みた
牛 の 乳 の なか の 酸 に 中毒 でも した のだろう 。
うし||ちち||||さん||ちゅうどく|||