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或る女 - 有島武郎(アクセス), 18.2 或る女

18.2 或る 女

木村 は その くらい な 事 で 葉子 から 手 を 引く ような はきはき した 気象 の 男 で は ない 。 これ まで も ずいぶん いろいろな うわさ が 耳 に は いった はずな のに 「 僕 は あの 女 の 欠陥 も 弱点 も みんな 承知 して いる 。 私生児 の ある の も もとより 知っている 。 ただ 僕 は クリスチャン である 以上 、 なんと でも して 葉子 を 救い上げる 。 救わ れた 葉子 を 想像 して みた まえ 。 僕 は その 時 いちばん 理想 的な better half を 持ち うる と 信じて いる 」 と いった 事 を 聞いて いる 。 東北 人 の ねんじ り むっつり した その 気象 が 、 葉子 に は 第 一 我慢 の しき れ ない 嫌悪 の 種 だった のだ 。 ・・

葉子 は 黙って みんな の いう 事 を 聞いて いる うち に 、 興 録 の 軍 略 が いちばん 実際 的だ と 考えた 。 そして なれなれしい 調子 で 興 録 を 見 やり ながら 、・・

「 興 録 さん 、 そう おっしゃれば わたし 仮病 じゃ ない んです の 。 この 間 じゅう から 診て いただこう かしら と 幾 度 か 思った んです けれども 、 あんまり 大げさ らしい んで 我慢 して いた んです が 、 どういう もん でしょう …… 少し は 船 に 乗る 前 から でした けれども …… お腹 の ここ が 妙に 時々 痛む んです の よ 」・・

と いう と 、 寝 台 に 曲がり こんだ 男 は それ を 聞き ながら に やり に やり 笑い 始めた 。 葉子 は ちょっと その 男 を にらむ ように して 一緒に 笑った 。 ・・

「 まあ 機 の 悪い 時 に こんな 事 を いう もん です から 、 痛い 腹 まで 探ら れます わ ね …… じゃ 興 録 さん 後 ほど 診て いただけて ? 」・・

事務 長 の 相談 と いう の は こんな たわ い も ない 事 で 済んで しまった 。 ・・

二 人きり に なって から 、・・

「 では わたし これ から ほんとうの 病人 に なります から ね 」・・

葉子 は ちょっと 倉地 の 顔 を つついて 、 その 口 び る に 触れた 。 そして シヤトル の 市街 から 起こる 煤煙 が 遠く に ぼんやり 望ま れる ように なった ので 、 葉子 は 自分 の 部屋 に 帰った 。 そして 洋風 の 白い 寝 衣 に 着か えて 、 髪 を 長い 編 み下げ に して 寝床 に はいった 。 戯談 の ように して 興 録 に 病気 の 話 を した もの の 、 葉子 は 実際 かなり 長い 以前 から 子宮 を 害して いる らしかった 。 腰 を 冷やしたり 、 感情 が 激昂 したり した あと で は 、 きっと 収縮 する ような 痛 み を 下腹部 に 感じて いた 。 船 に 乗った 当座 は 、 しばらく の 間 は 忘れる ように この 不快な 痛み から 遠ざかる 事 が できて 、 幾 年 ぶり か で 申し 所 の ない 健康 の よろこび を 味わった のだった が 、 近ごろ は また だんだん 痛み が 激しく なる ように なって 来て いた 。 半身 が 痲痺 したり 、 頭 が 急に ぼ ーっと 遠く なる 事 も 珍しく なかった 。 葉子 は 寝床 に は いって から 、 軽い 疼 み の ある 所 を そっと 平手 で さすり ながら 、 船 が シヤトル の 波止場 に 着く 時 の ありさま を 想像 して みた 。 して おか なければ なら ない 事 が 数 かぎり なく ある らしかった けれども 、 何 を して おく と いう 事 も なかった 。 ただ なんでも いい せっせと 手当たり次第 したく を して おか なければ 、 それ だけ の 心尽くし を 見せて 置か なければ 、 目論見 どおり 首尾 が 運ば ない ように 思った ので 、 一ぺん 横 に なった もの を また むくむく と 起き上がった 。 ・・

まず きのう 着た 派手な 衣類 が そのまま 散らかって いる の を 畳んで トランク の 中 に し まいこんだ 。 臥 る 時 まで 着て いた 着物 は 、 わざと はなやかな 長 襦袢 や 裏地 が 見える ように 衣 紋 竹 に 通して 壁 に かけた 。 事務 長 の 置き忘れて 行った パイプ や 帳簿 の ような もの は 丁寧に 抽 き 出し に 隠した 。 古藤 が 木村 と 自分 と に あてて 書いた 二 通 の 手紙 を 取り出して 、 古藤 が して おいた ように 、 枕 の 下 に 差しこんだ 。 鏡 の 前 に は 二 人 の 妹 と 木村 と の 写真 を 飾った 。 それ から 大事な 事 を 忘れて いた のに 気 が ついて 、 廊下 越し に 興 録 を 呼び出して 薬 びん や 病床 日記 を 調える ように 頼んだ 。 興 録 の 持って 来た 薬 びん から 薬 を 半分 が た 痰 壺 に 捨てた 。 日本 から 木村 に 持って行く ように 託さ れた 品々 を トランク から 取り分けた 。 その 中 から は 故郷 を 思い出さ せる ような いろいろな 物 が 出て 来た 。 香 いま で が 日本 と いう もの を ほのかに 心 に 触れ させた 。 ・・

葉子 は 忙しく 働か して いた 手 を 休めて 、 部屋 の まん 中 に 立って あたり を 見回して 見た 。 しぼんだ 花束 が 取りのけられて なく なって いる ばかりで 、 あと は 横浜 を 出た 時 の とおり の 部屋 の 姿 に なって いた 。 旧 い 記憶 が 香 の ように しみこんだ それ ら の 物 を 見る と 、 葉子 の 心 は われ に も なく ふと ぐらつき かけた が 、 涙 も さそわ ず に 淡く 消えて 行った 。 ・・

フォクスル で 起重機 の 音 が かすかに 響いて 来る だけ で 、 葉子 の 部屋 は 妙に 静かだった 。 葉子 の 心 は 風 の ない 池 か 沼 の 面 の ように ただ どんより と よどんで いた 。 からだ は なんの わけ も なく だるく 物 懶 かった 。 ・・

食堂 の 時計 が 引きしまった 音 で 三 時 を 打った 。 それ を 相 図 の ように 汽笛 が すさまじく 鳴り響いた 。 港 に は いった 相 図 を して いる のだ な と 思った 。 と 思う と 今 まで 鈍く 脈打つ ように 見えて いた 胸 が 急に 激しく 騒ぎ 動き出した 。 それ が 葉子 の 思い も 設け ぬ 方向 に 動き出した 。 もう この 長い 船旅 も 終わった のだ 。 十四五 の 時 から 新聞 記者 に なる 修業 の ため に 来たい 来たい と 思って いた 米国 に 着いた のだ 。 来たい と は 思い ながら ほんとうに 来よう と は 夢にも 思わ なかった 米国 に 着いた のだ 。 それ だけ の 事 で 葉子 の 心 は もう しみじみ と した もの に なって いた 。 木村 は 狂う ような 心 を しいて 押し しずめ ながら 、 船 の 着く の を 埠頭 に 立って 涙ぐみ つつ 待って いる だろう 。 そう 思い ながら 葉子 の 目 は 木村 や 二 人 の 妹 の 写真 の ほう に さまよって 行った 。 それ と ならべて 写真 を 飾って おく 事 も でき ない 定子 の 事 まで が 、 哀れ 深く 思いやら れた 。 生活 の 保障 を して くれる 父親 も なく 、 膝 に 抱き上げて 愛 撫 して やる 母親 に も はぐれた あの 子 は 今 あの 池 の 端 の さびしい 小 家 で 何 を して いる のだろう 。 笑って いる か と 想像 して みる の も 悲しかった 。 泣いて いる か と 想像 して みる の も あわれだった 。 そして 胸 の 中 が 急に わくわく と ふさがって 来て 、 せきとめる 暇 も なく 涙 が はらはら と 流れ出た 。 葉子 は 大急ぎで 寝 台 の そば に 駆けよって 、 枕 も と におい といた ハンケチ を 拾い上げて 目 が しら に 押しあてた 。 素直な 感傷 的な 涙 が ただ わけ も なく あと から あと から 流れた 。 この 不意 の 感情 の 裏切り に は しかし 引き入れられる ような 誘惑 が あった 。 だんだん 底 深く 沈んで 哀しく なって 行く その 思い 、 なんの 思い と も 定め かねた 深い 、 わびしい 、 悲しい 思い 。 恨み や 怒り を きれいに ぬぐい去って 、 あきらめ きった ように すべて の もの を ただ しみじみ と なつかしく 見せる その 思い 。 いとしい 定子 、 いとしい 妹 、 いとしい 父母 、…… なぜ こんな なつかしい 世に 自分 の 心 だけ が こう 哀しく 一 人 ぼっちな のだろう 。 なぜ 世の中 は 自分 の ような もの を あわれむ しかた を 知ら ない のだろう 。 そんな 感じ の 零細な 断片 が つぎつぎ に 涙 に ぬれて 胸 を 引きしめ ながら 通り過ぎた 。 葉子 は 知らず知らず それ ら の 感じ に しっかり すがり付こう と した けれども 無益だった 。 感じ と 感じ と の 間 に は 、 星 の ない 夜 の ような 、 波 の ない 海 の ような 、 暗い 深い 際 涯 の ない 悲哀 が 、 愛憎 の すべて を ただ 一色 に 染め なして 、 どんより と 広がって いた 。 生 を 呪う より も 死 が 願わ れる ような 思い が 、 逼 る でも なく 離れる でも なく 、 葉子 の 心 に まつわり付いた 。 葉子 は 果ては 枕 に 顔 を 伏せて 、 ほんとうに 自分 の ため に さめざめ と 泣き 続けた 。 ・・

こうして 小 半時 も たった 時 、 船 は 桟橋 に つなが れた と 見えて 、 二 度 目 の 汽笛 が 鳴り はためいた 。 葉子 は 物 懶 げ に 頭 を もたげて 見た 。 ハンケチ は 涙 の ため に しぼる ほど ぬれて 丸まって いた 。 水夫 ら が 繋ぎ 綱 を 受けたり やったり する 音 と 、 鋲釘 を 打ちつけた 靴 で 甲板 を 歩き回る 音 と が 入り乱れて 、 頭 の 上 は さながら 火事 場 の ような 騒ぎ だった 。 泣いて 泣いて 泣き 尽くした 子供 の ような ぼんやり した 取りとめ の ない 心持ち で 、 葉子 は 何 を 思う と も なく それ を 聞いて いた 。 ・・

と 突然 戸外 で 事務 長 の 、・・

「 ここ が お 部屋 です 」・・

と いう 声 が した 。 それ が まるで 雷 か 何 か の よう に 恐ろしく 聞こえた 。 葉子 は 思わず ぎょっと なった 。 準備 を して おく つもりで いながら なんの 準備 も できて いない 事 も 思った 。 今 の 心持ち は 平気で 木村 に 会える 心持ち で は なかった 。 おろおろ し ながら 立ち は 上がった が 、 立ち上がって も どう する 事 も でき ない のだ と 思う と 、 追いつめられた 罪人 の ように 、 頭 の 毛 を 両手 で 押えて 、 髪 の 毛 を むしり ながら 、 寝 台 の 上 に が ば と 伏さって しまった 。 ・・

戸 が あいた 。 ・・

「 戸 が あいた 」、 葉子 は 自分 自身 に 救い を 求める ように 、 こう 心 の 中 で うめいた 。 そして 息 気 も とまる ほど 身内 が しゃち こばって しまって いた 。 ・・

「 早月 さん 、 木村 さん が 見えました よ 」・・

事務 長 の 声 だ 。 あ ゝ 事務 長 の 声 だ 。 事務 長 の 声 だ 。 葉子 は 身 を 震わせて 壁 の ほう に 顔 を 向けた 。 …… 事務 長 の 声 だ ……。 ・・

「 葉子 さん 」・・

木村 の 声 だ 。 今度 は 感情 に 震えた 木村 の 声 が 聞こえて 来た 。 葉子 は 気 が 狂い そうだった 。 とにかく 二 人 の 顔 を 見る 事 は どうしても でき ない 。 葉子 は 二 人 に 背 ろ を 向け ますます 壁 の ほう に もがき より ながら 、 涙 の 暇 から 狂 人 の ように 叫んだ 。 たちまち 高く たちまち 低い その 震え 声 は 笑って いる ように さえ 聞こえた 。 ・・

「 出て …… お 二 人 と も どう か 出て …… この 部屋 を …… 後生 です から 今 この 部屋 を …… 出て ください まし ……」・・

木村 は ひどく 不安 げ に 葉子 に よりそって その 肩 に 手 を かけた 。 木村 の 手 を 感ずる と 恐怖 と 嫌悪 と の ため に 身 を ちぢめて 壁 に しがみついた 。 ・・

「 痛い …… いけません …… お腹 が …… 早く 出て …… 早く ……」・・

事務 長 は 木村 を 呼び寄せて 何 か しばらく ひそひそ 話し合って いる ようだった が 、 二 人 ながら 足音 を 盗んで そっと 部屋 を 出て 行った 。 葉子 は なおも 息 気 も 絶え絶えに 、・・

「 どうぞ 出て …… あっち に 行って ……」・・

と いい ながら 、 いつまでも 泣き 続けた 。


18.2 或る 女 ある|おんな 18.2 Una mujer

木村 は その くらい な 事 で 葉子 から 手 を 引く ような はきはき した 気象 の 男 で は ない 。 きむら|||||こと||ようこ||て||ひく||||きしょう||おとこ||| これ まで も ずいぶん いろいろな うわさ が 耳 に は いった はずな のに 「 僕 は あの 女 の 欠陥 も 弱点 も みんな 承知 して いる 。 |||||||みみ||||||ぼく|||おんな||けっかん||じゃくてん|||しょうち|| 私生児 の ある の も もとより 知っている 。 しせいじ||||||しっている ただ 僕 は クリスチャン である 以上 、 なんと でも して 葉子 を 救い上げる 。 |ぼく||くりすちゃん||いじょう||||ようこ||すくいあげる 救わ れた 葉子 を 想像 して みた まえ 。 すくわ||ようこ||そうぞう||| 僕 は その 時 いちばん 理想 的な better half を 持ち うる と 信じて いる 」 と いった 事 を 聞いて いる 。 ぼく|||じ||りそう|てきな||||もち|||しんじて||||こと||きいて| 東北 人 の ねんじ り むっつり した その 気象 が 、 葉子 に は 第 一 我慢 の しき れ ない 嫌悪 の 種 だった のだ 。 とうほく|じん|||||||きしょう||ようこ|||だい|ひと|がまん|||||けんお||しゅ|| ・・

葉子 は 黙って みんな の いう 事 を 聞いて いる うち に 、 興 録 の 軍 略 が いちばん 実際 的だ と 考えた 。 ようこ||だまって||||こと||きいて||||きょう|ろく||ぐん|りゃく|||じっさい|てきだ||かんがえた そして なれなれしい 調子 で 興 録 を 見 やり ながら 、・・ ||ちょうし||きょう|ろく||み||

「 興 録 さん 、 そう おっしゃれば わたし 仮病 じゃ ない んです の 。 きょう|ろく|||||けびょう|||| この 間 じゅう から 診て いただこう かしら と 幾 度 か 思った んです けれども 、 あんまり 大げさ らしい んで 我慢 して いた んです が 、 どういう もん でしょう …… 少し は 船 に 乗る 前 から でした けれども …… お腹 の ここ が 妙に 時々 痛む んです の よ 」・・ |あいだ|||みて||||いく|たび||おもった||||おおげさ|||がまん||||||||すこし||せん||のる|ぜん||||おなか||||みょうに|ときどき|いたむ|||

と いう と 、 寝 台 に 曲がり こんだ 男 は それ を 聞き ながら に やり に やり 笑い 始めた 。 |||ね|だい||まがり||おとこ||||きき||||||わらい|はじめた 葉子 は ちょっと その 男 を にらむ ように して 一緒に 笑った 。 ようこ||||おとこ|||||いっしょに|わらった ・・

「 まあ 機 の 悪い 時 に こんな 事 を いう もん です から 、 痛い 腹 まで 探ら れます わ ね …… じゃ 興 録 さん 後 ほど 診て いただけて ? |き||わるい|じ|||こと||||||いたい|はら||さぐら|れ ます||||きょう|ろく||あと||みて| 」・・

事務 長 の 相談 と いう の は こんな たわ い も ない 事 で 済んで しまった 。 じむ|ちょう||そうだん||||||||||こと||すんで| ・・

二 人きり に なって から 、・・ ふた|ひときり|||

「 では わたし これ から ほんとうの 病人 に なります から ね 」・・ |||||びょうにん||なり ます||

葉子 は ちょっと 倉地 の 顔 を つついて 、 その 口 び る に 触れた 。 ようこ|||くらち||かお||||くち||||ふれた そして シヤトル の 市街 から 起こる 煤煙 が 遠く に ぼんやり 望ま れる ように なった ので 、 葉子 は 自分 の 部屋 に 帰った 。 |||しがい||おこる|ばいえん||とおく|||のぞま|||||ようこ||じぶん||へや||かえった そして 洋風 の 白い 寝 衣 に 着か えて 、 髪 を 長い 編 み下げ に して 寝床 に はいった 。 |ようふう||しろい|ね|ころも||つか||かみ||ながい|へん|みさげ|||ねどこ|| 戯談 の ように して 興 録 に 病気 の 話 を した もの の 、 葉子 は 実際 かなり 長い 以前 から 子宮 を 害して いる らしかった 。 ぎだん||||きょう|ろく||びょうき||はなし|||||ようこ||じっさい||ながい|いぜん||しきゅう||がいして|| 腰 を 冷やしたり 、 感情 が 激昂 したり した あと で は 、 きっと 収縮 する ような 痛 み を 下腹部 に 感じて いた 。 こし||ひやしたり|かんじょう||げきこう|||||||しゅうしゅく|||つう|||かふくぶ||かんじて| 船 に 乗った 当座 は 、 しばらく の 間 は 忘れる ように この 不快な 痛み から 遠ざかる 事 が できて 、 幾 年 ぶり か で 申し 所 の ない 健康 の よろこび を 味わった のだった が 、 近ごろ は また だんだん 痛み が 激しく なる ように なって 来て いた 。 せん||のった|とうざ||||あいだ||わすれる|||ふかいな|いたみ||とおざかる|こと|||いく|とし||||もうし|しょ|||けんこう||||あじわった|||ちかごろ||||いたみ||はげしく||||きて| 半身 が 痲痺 したり 、 頭 が 急に ぼ ーっと 遠く なる 事 も 珍しく なかった 。 はんしん||まひ||あたま||きゅうに||- っと|とおく||こと||めずらしく| 葉子 は 寝床 に は いって から 、 軽い 疼 み の ある 所 を そっと 平手 で さすり ながら 、 船 が シヤトル の 波止場 に 着く 時 の ありさま を 想像 して みた 。 ようこ||ねどこ|||||かるい|うず||||しょ|||ひらて||||せん||||はとば||つく|じ||||そうぞう|| して おか なければ なら ない 事 が 数 かぎり なく ある らしかった けれども 、 何 を して おく と いう 事 も なかった 。 |||||こと||すう||||||なん||||||こと|| ただ なんでも いい せっせと 手当たり次第 したく を して おか なければ 、 それ だけ の 心尽くし を 見せて 置か なければ 、 目論見 どおり 首尾 が 運ば ない ように 思った ので 、 一ぺん 横 に なった もの を また むくむく と 起き上がった 。 ||||てあたりしだい|||||||||こころづくし||みせて|おか||もくろみ||しゅび||はこば|||おもった||いっぺん|よこ||||||||おきあがった ・・

まず きのう 着た 派手な 衣類 が そのまま 散らかって いる の を 畳んで トランク の 中 に し まいこんだ 。 ||きた|はでな|いるい|||ちらかって||||たたんで|とらんく||なか||| 臥 る 時 まで 着て いた 着物 は 、 わざと はなやかな 長 襦袢 や 裏地 が 見える ように 衣 紋 竹 に 通して 壁 に かけた 。 が||じ||きて||きもの||||ちょう|じゅばん||うらじ||みえる||ころも|もん|たけ||とおして|かべ|| 事務 長 の 置き忘れて 行った パイプ や 帳簿 の ような もの は 丁寧に 抽 き 出し に 隠した 。 じむ|ちょう||おきわすれて|おこなった|ぱいぷ||ちょうぼ|||||ていねいに|ちゅう||だし||かくした 古藤 が 木村 と 自分 と に あてて 書いた 二 通 の 手紙 を 取り出して 、 古藤 が して おいた ように 、 枕 の 下 に 差しこんだ 。 ことう||きむら||じぶん||||かいた|ふた|つう||てがみ||とりだして|ことう|||||まくら||した||さしこんだ 鏡 の 前 に は 二 人 の 妹 と 木村 と の 写真 を 飾った 。 きよう||ぜん|||ふた|じん||いもうと||きむら|||しゃしん||かざった それ から 大事な 事 を 忘れて いた のに 気 が ついて 、 廊下 越し に 興 録 を 呼び出して 薬 びん や 病床 日記 を 調える ように 頼んだ 。 ||だいじな|こと||わすれて|||き|||ろうか|こし||きょう|ろく||よびだして|くすり|||びょうしょう|にっき||ととのえる||たのんだ 興 録 の 持って 来た 薬 びん から 薬 を 半分 が た 痰 壺 に 捨てた 。 きょう|ろく||もって|きた|くすり|||くすり||はんぶん|||たん|つぼ||すてた 日本 から 木村 に 持って行く ように 託さ れた 品々 を トランク から 取り分けた 。 にっぽん||きむら||もっていく||たくさ||しなじな||とらんく||とりわけた その 中 から は 故郷 を 思い出さ せる ような いろいろな 物 が 出て 来た 。 |なか|||こきょう||おもいださ||||ぶつ||でて|きた 香 いま で が 日本 と いう もの を ほのかに 心 に 触れ させた 。 かおり||||にっぽん||||||こころ||ふれ|さ せた ・・

葉子 は 忙しく 働か して いた 手 を 休めて 、 部屋 の まん 中 に 立って あたり を 見回して 見た 。 ようこ||いそがしく|はたらか|||て||やすめて|へや|||なか||たって|||みまわして|みた しぼんだ 花束 が 取りのけられて なく なって いる ばかりで 、 あと は 横浜 を 出た 時 の とおり の 部屋 の 姿 に なって いた 。 |はなたば||とりのけ られて|||||||よこはま||でた|じ||||へや||すがた||| 旧 い 記憶 が 香 の ように しみこんだ それ ら の 物 を 見る と 、 葉子 の 心 は われ に も なく ふと ぐらつき かけた が 、 涙 も さそわ ず に 淡く 消えて 行った 。 きゅう||きおく||かおり|||||||ぶつ||みる||ようこ||こころ||||||||||なみだ|||||あわく|きえて|おこなった ・・

フォクスル で 起重機 の 音 が かすかに 響いて 来る だけ で 、 葉子 の 部屋 は 妙に 静かだった 。 ||きじゅうき||おと|||ひびいて|くる|||ようこ||へや||みょうに|しずかだった 葉子 の 心 は 風 の ない 池 か 沼 の 面 の ように ただ どんより と よどんで いた 。 ようこ||こころ||かぜ|||いけ||ぬま||おもて||||||| からだ は なんの わけ も なく だるく 物 懶 かった 。 |||||||ぶつ|らん| ・・

食堂 の 時計 が 引きしまった 音 で 三 時 を 打った 。 しょくどう||とけい||ひきしまった|おと||みっ|じ||うった それ を 相 図 の ように 汽笛 が すさまじく 鳴り響いた 。 ||そう|ず|||きてき|||なりひびいた 港 に は いった 相 図 を して いる のだ な と 思った 。 こう||||そう|ず|||||||おもった と 思う と 今 まで 鈍く 脈打つ ように 見えて いた 胸 が 急に 激しく 騒ぎ 動き出した 。 |おもう||いま||にぶく|みゃくうつ||みえて||むね||きゅうに|はげしく|さわぎ|うごきだした それ が 葉子 の 思い も 設け ぬ 方向 に 動き出した 。 ||ようこ||おもい||もうけ||ほうこう||うごきだした もう この 長い 船旅 も 終わった のだ 。 ||ながい|ふなたび||おわった| 十四五 の 時 から 新聞 記者 に なる 修業 の ため に 来たい 来たい と 思って いた 米国 に 着いた のだ 。 じゅうよんご||じ||しんぶん|きしゃ|||しゅぎょう||||こ たい|こ たい||おもって||べいこく||ついた| 来たい と は 思い ながら ほんとうに 来よう と は 夢にも 思わ なかった 米国 に 着いた のだ 。 こ たい|||おもい|||こよう|||ゆめにも|おもわ||べいこく||ついた| それ だけ の 事 で 葉子 の 心 は もう しみじみ と した もの に なって いた 。 |||こと||ようこ||こころ||||||||| 木村 は 狂う ような 心 を しいて 押し しずめ ながら 、 船 の 着く の を 埠頭 に 立って 涙ぐみ つつ 待って いる だろう 。 きむら||くるう||こころ|||おし|||せん||つく|||ふとう||たって|なみだぐみ||まって|| そう 思い ながら 葉子 の 目 は 木村 や 二 人 の 妹 の 写真 の ほう に さまよって 行った 。 |おもい||ようこ||め||きむら||ふた|じん||いもうと||しゃしん|||||おこなった それ と ならべて 写真 を 飾って おく 事 も でき ない 定子 の 事 まで が 、 哀れ 深く 思いやら れた 。 |||しゃしん||かざって||こと||||さだこ||こと|||あわれ|ふかく|おもいやら| 生活 の 保障 を して くれる 父親 も なく 、 膝 に 抱き上げて 愛 撫 して やる 母親 に も はぐれた あの 子 は 今 あの 池 の 端 の さびしい 小 家 で 何 を して いる のだろう 。 せいかつ||ほしょう||||ちちおや|||ひざ||だきあげて|あい|ぶ|||ははおや|||||こ||いま||いけ||はし|||しょう|いえ||なん|||| 笑って いる か と 想像 して みる の も 悲しかった 。 わらって||||そうぞう|||||かなしかった 泣いて いる か と 想像 して みる の も あわれだった 。 ないて||||そうぞう||||| そして 胸 の 中 が 急に わくわく と ふさがって 来て 、 せきとめる 暇 も なく 涙 が はらはら と 流れ出た 。 |むね||なか||きゅうに||||きて||いとま|||なみだ||||ながれでた 葉子 は 大急ぎで 寝 台 の そば に 駆けよって 、 枕 も と におい といた ハンケチ を 拾い上げて 目 が しら に 押しあてた 。 ようこ||おおいそぎで|ね|だい||||かけよって|まくら|||||||ひろいあげて|め||||おしあてた 素直な 感傷 的な 涙 が ただ わけ も なく あと から あと から 流れた 。 すなおな|かんしょう|てきな|なみだ||||||||||ながれた この 不意 の 感情 の 裏切り に は しかし 引き入れられる ような 誘惑 が あった 。 |ふい||かんじょう||うらぎり||||ひきいれ られる||ゆうわく|| だんだん 底 深く 沈んで 哀しく なって 行く その 思い 、 なんの 思い と も 定め かねた 深い 、 わびしい 、 悲しい 思い 。 |そこ|ふかく|しずんで|かなしく||いく||おもい||おもい|||さだめ||ふかい||かなしい|おもい 恨み や 怒り を きれいに ぬぐい去って 、 あきらめ きった ように すべて の もの を ただ しみじみ と なつかしく 見せる その 思い 。 うらみ||いかり|||ぬぐいさって||||||||||||みせる||おもい いとしい 定子 、 いとしい 妹 、 いとしい 父母 、…… なぜ こんな なつかしい 世に 自分 の 心 だけ が こう 哀しく 一 人 ぼっちな のだろう 。 |さだこ||いもうと||ふぼ||||よに|じぶん||こころ||||かなしく|ひと|じん|ぼっ ちな| なぜ 世の中 は 自分 の ような もの を あわれむ しかた を 知ら ない のだろう 。 |よのなか||じぶん||||||||しら|| そんな 感じ の 零細な 断片 が つぎつぎ に 涙 に ぬれて 胸 を 引きしめ ながら 通り過ぎた 。 |かんじ||れいさいな|だんぺん||||なみだ|||むね||ひきしめ||とおりすぎた 葉子 は 知らず知らず それ ら の 感じ に しっかり すがり付こう と した けれども 無益だった 。 ようこ||しらずしらず||||かんじ|||すがりつこう||||むえきだった 感じ と 感じ と の 間 に は 、 星 の ない 夜 の ような 、 波 の ない 海 の ような 、 暗い 深い 際 涯 の ない 悲哀 が 、 愛憎 の すべて を ただ 一色 に 染め なして 、 どんより と 広がって いた 。 かんじ||かんじ|||あいだ|||ほし|||よ|||なみ|||うみ|||くらい|ふかい|さい|がい|||ひあい||あいぞう|||||いっしょく||しめ||||ひろがって| 生 を 呪う より も 死 が 願わ れる ような 思い が 、 逼 る でも なく 離れる でも なく 、 葉子 の 心 に まつわり付いた 。 せい||のろう|||し||ねがわ|||おもい||ひつ||||はなれる|||ようこ||こころ||まつわりついた 葉子 は 果ては 枕 に 顔 を 伏せて 、 ほんとうに 自分 の ため に さめざめ と 泣き 続けた 。 ようこ||はては|まくら||かお||ふせて||じぶん||||||なき|つづけた ・・

こうして 小 半時 も たった 時 、 船 は 桟橋 に つなが れた と 見えて 、 二 度 目 の 汽笛 が 鳴り はためいた 。 |しょう|はんとき|||じ|せん||さんばし||つな が|||みえて|ふた|たび|め||きてき||なり| 葉子 は 物 懶 げ に 頭 を もたげて 見た 。 ようこ||ぶつ|らん|||あたま|||みた ハンケチ は 涙 の ため に しぼる ほど ぬれて 丸まって いた 。 ||なみだ|||||||まるまって| 水夫 ら が 繋ぎ 綱 を 受けたり やったり する 音 と 、 鋲釘 を 打ちつけた 靴 で 甲板 を 歩き回る 音 と が 入り乱れて 、 頭 の 上 は さながら 火事 場 の ような 騒ぎ だった 。 すいふ|||つなぎ|つな||うけたり|||おと||びょうくぎ||うちつけた|くつ||かんぱん||あるきまわる|おと|||いりみだれて|あたま||うえ|||かじ|じょう|||さわぎ| 泣いて 泣いて 泣き 尽くした 子供 の ような ぼんやり した 取りとめ の ない 心持ち で 、 葉子 は 何 を 思う と も なく それ を 聞いて いた 。 ないて|ないて|なき|つくした|こども|||||とりとめ|||こころもち||ようこ||なん||おもう||||||きいて| ・・

と 突然 戸外 で 事務 長 の 、・・ |とつぜん|こがい||じむ|ちょう|

「 ここ が お 部屋 です 」・・ |||へや|

と いう 声 が した 。 ||こえ|| それ が まるで 雷 か 何 か の よう に 恐ろしく 聞こえた 。 |||かみなり||なん|||||おそろしく|きこえた 葉子 は 思わず ぎょっと なった 。 ようこ||おもわず|| 準備 を して おく つもりで いながら なんの 準備 も できて いない 事 も 思った 。 じゅんび|||||||じゅんび||||こと||おもった 今 の 心持ち は 平気で 木村 に 会える 心持ち で は なかった 。 いま||こころもち||へいきで|きむら||あえる|こころもち||| おろおろ し ながら 立ち は 上がった が 、 立ち上がって も どう する 事 も でき ない のだ と 思う と 、 追いつめられた 罪人 の ように 、 頭 の 毛 を 両手 で 押えて 、 髪 の 毛 を むしり ながら 、 寝 台 の 上 に が ば と 伏さって しまった 。 |||たち||あがった||たちあがって||||こと||||||おもう||おいつめ られた|ざいにん|||あたま||け||りょうて||おさえて|かみ||け||||ね|だい||うえ|||||ふさ って| ・・

戸 が あいた 。 と|| ・・

「 戸 が あいた 」、 葉子 は 自分 自身 に 救い を 求める ように 、 こう 心 の 中 で うめいた 。 と|||ようこ||じぶん|じしん||すくい||もとめる|||こころ||なか|| そして 息 気 も とまる ほど 身内 が しゃち こばって しまって いた 。 |いき|き||||みうち|||こば って|| ・・

「 早月 さん 、 木村 さん が 見えました よ 」・・ さつき||きむら|||みえ ました|

事務 長 の 声 だ 。 じむ|ちょう||こえ| あ ゝ 事務 長 の 声 だ 。 ||じむ|ちょう||こえ| 事務 長 の 声 だ 。 じむ|ちょう||こえ| 葉子 は 身 を 震わせて 壁 の ほう に 顔 を 向けた 。 ようこ||み||ふるわせて|かべ||||かお||むけた …… 事務 長 の 声 だ ……。 じむ|ちょう||こえ| ・・

「 葉子 さん 」・・ ようこ|

木村 の 声 だ 。 きむら||こえ| 今度 は 感情 に 震えた 木村 の 声 が 聞こえて 来た 。 こんど||かんじょう||ふるえた|きむら||こえ||きこえて|きた 葉子 は 気 が 狂い そうだった 。 ようこ||き||くるい|そう だった とにかく 二 人 の 顔 を 見る 事 は どうしても でき ない 。 |ふた|じん||かお||みる|こと|||| 葉子 は 二 人 に 背 ろ を 向け ますます 壁 の ほう に もがき より ながら 、 涙 の 暇 から 狂 人 の ように 叫んだ 。 ようこ||ふた|じん||せ|||むけ||かべ|||||||なみだ||いとま||くる|じん|||さけんだ たちまち 高く たちまち 低い その 震え 声 は 笑って いる ように さえ 聞こえた 。 |たかく||ひくい||ふるえ|こえ||わらって||||きこえた ・・

「 出て …… お 二 人 と も どう か 出て …… この 部屋 を …… 後生 です から 今 この 部屋 を …… 出て ください まし ……」・・ でて||ふた|じん|||||でて||へや||ごしょう|||いま||へや||でて||

木村 は ひどく 不安 げ に 葉子 に よりそって その 肩 に 手 を かけた 。 きむら|||ふあん|||ようこ||||かた||て|| 木村 の 手 を 感ずる と 恐怖 と 嫌悪 と の ため に 身 を ちぢめて 壁 に しがみついた 。 きむら||て||かんずる||きょうふ||けんお|||||み|||かべ|| ・・

「 痛い …… いけません …… お腹 が …… 早く 出て …… 早く ……」・・ いたい|いけ ませ ん|おなか||はやく|でて|はやく

事務 長 は 木村 を 呼び寄せて 何 か しばらく ひそひそ 話し合って いる ようだった が 、 二 人 ながら 足音 を 盗んで そっと 部屋 を 出て 行った 。 じむ|ちょう||きむら||よびよせて|なん||||はなしあって||||ふた|じん||あしおと||ぬすんで||へや||でて|おこなった 葉子 は なおも 息 気 も 絶え絶えに 、・・ ようこ|||いき|き||たえだえに

「 どうぞ 出て …… あっち に 行って ……」・・ |でて|あっ ち||おこなって

と いい ながら 、 いつまでも 泣き 続けた 。 ||||なき|つづけた