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或る女 - 有島武郎(アクセス), 14.1 或る女

14.1 或る 女

なんといっても 船旅 は 単調だった 。 た とい 日々 夜 々 に 一瞬 も やむ 事 なく 姿 を 変える 海 の 波 と 空 の 雲 と は あって も 、 詩人 で も ない なべ て の 船客 は 、 それ ら に 対して 途方 に 暮れた 倦怠 の 視線 を 投げる ばかりだった 。 地上 の 生活 から すっかり 遮断 さ れた 船 の 中 に は 、 ごく 小さな 事 でも 目新しい 事件 の 起こる 事 のみ が 待ち 設けられて いた 。 そうした 生活 で は 葉子 が 自然に 船客 の 注意 の 焦点 と なり 、 話題 の 提供 者 と なった の は 不思議 も ない 。 毎日 毎日 凍りつく ような 濃霧 の 間 を 、 東 へ 東 へ と 心細く 走り 続ける 小さな 汽船 の 中 の 社会 は 、 あらわに は 知れ ない ながら 、 何 か さびしい 過去 を 持つ らしい 、 妖艶 な 、 若い 葉子 の 一挙一動 を 、 絶えず 興味深く じっと 見守る ように 見えた 。 ・・

か の 奇怪な 心 の 動乱 の 一夜 を 過ごす と 、 その 翌日 から 葉子 は また ふだん の とおり に 、 いかにも 足 もと が あやうく 見え ながら 少しも 破綻 を 示さ ず 、 ややもすれば 他人 の 勝手に なり そうで いて 、 よそ から は 決して 動かさ れ ない 女 に なって いた 。 始めて 食堂 に 出た 時 の つつましやか さ に 引きかえて 、 時に は 快活な 少女 の ように 晴れやかな 顔つき を して 、 船客 ら と 言葉 を かわしたり した 。 食堂 に 現われる 時 の 葉子 の 服装 だけ でも 、 退屈に 倦 じ 果てた 人々 に は 、 物好きな 期待 を 与えた 。 ある 時 は 葉子 は 慎み深い 深 窓 の 婦人 らしく 上品に 、 ある 時 は 素養 の 深い 若い ディレッタント の ように 高尚に 、 また ある 時 は 習俗 から 解放 さ れた adventuress と も 思わ れる 放 胆 を 示した 。 その 極端な 変化 が 一 日 の 中 に 起こって 来て も 、 人々 は さして 怪しく 思わ なかった 。 それほど 葉子 の 性格 に は 複雑な もの が 潜んで いる の を 感じ させた 。 絵 島 丸 が 横浜 の 桟橋 に つながれて いる 間 から 、 人々 の 注意 の 中心 と なって いた 田川 夫人 を 、 海 気 に あって 息 気 を ふき返した 人魚 の ような 葉子 の かたわら に おいて 見る と 、 身分 、 閲歴 、 学 殖 、 年齢 など と いう いかめしい 資格 が 、 かえって 夫人 を 固い 古ぼけた 輪郭 に はめこんで 見せる 結果 に なって 、 ただ 神 体 の ない 空虚な 宮殿 の ような 空 いかめしい 興 な さ を 感じ させる ばかりだった 。 女 の 本能 の 鋭 さ から 田川 夫人 は すぐ それ を 感づいた らしかった 。 夫人 の 耳 もと に 響いて 来る の は 葉子 の うわさ ばかり で 、 夫人 自身 の 評判 は 見る見る 薄れて 行った 。 ともすると 田川 博士 まで が 、 夫人 の 存在 を 忘れた ような 振る舞い を する 、 そう 夫人 を 思わ せる 事 が ある らしかった 。 食堂 の 卓 を はさんで 向かい合う 夫妻 が 他人 同士 の ような 顔 を して 互い 互いに ぬすみ 見 を する の を 葉子 が すばやく 見て取った 事 など も あった 。 と いって 今 まで 自分 の 子供 でも あしらう ように 振る舞って いた 葉子 に 対して 、 今さら 夫人 は 改まった 態度 も 取り かねて いた 。 よくも 仮面 を かぶって 人 を 陥れた と いう 女らしい ひねくれた 妬み ひがみ が 、 明らかに 夫人 の 表情 に 読ま れ 出した 。 しかし 実際 の 処置 と して は 、 くやしくて も 虫 を 殺して 、 自分 を 葉子 まで 引き下げる か 、 葉子 を 自分 まで 引き上げる より しかたがなかった 。 夫人 の 葉子 に 対する 仕打ち は 戸 板 を かえす ように 違って 来た 。 葉子 は 知らん顔 を して 夫人 の する が まま に 任せて いた 。 葉子 は もとより 夫人 の あわてた この 処置 が 夫人 に は 致命 的な 不利益であり 、 自分 に は 都合 の いい 仕 合わせ である の を 知っていた から だ 。 案のじょう 、 田川 夫人 の この 譲歩 は 、 夫人 に 何らか の 同情 なり 尊敬 なり が 加えられる 結果 と なら なかった ばかり で なく 、 その 勢力 は ますます 下り坂 に なって 、 葉子 は いつのまにか 田川 夫人 と 対等で 物 を いい合って も 少しも 不思議 と は 思わ せ ない ほど の 高み に 自分 を 持ち上げて しまって いた 。 落ち目 に なった 夫人 は 年 が いも なく しどろもどろに なって いた 。 恐ろしい ほど やさしく 親切に 葉子 を あしらう か と 思えば 、 皮肉 らしく ばか丁寧に 物 を いい かけたり 、 あるいは 突然 路傍 の 人 に 対する ような よそよそし さ を 装って 見せたり した 。 死に かけた 蛇 の のたうち 回る の を 見 やる 蛇 使い の ように 、 葉子 は 冷ややかに あざ笑い ながら 、 夫人 の 心 の 葛藤 を 見 やって いた 。 ・・

単調な 船旅 に あき 果てて 、 したたか 刺激 に 飢えた 男 の 群れ は 、 この 二 人 の 女性 を 中心 に して 知らず知らず 渦巻き の ように めぐって いた 。 田川 夫人 と 葉子 と の 暗 闘 は 表面 に は 少しも 目 に 立た ないで 戦われて いた のだ けれども 、 それ が 男 たち に 自然に 刺激 を 与え ないで は おか なかった 。 平らな 水 に 偶然 落ちて 来た 微風 の ひき起こす 小さな 波紋 ほど の 変化 でも 、 船 の 中 で は 一 か どの 事件 だった 。 男 たち は なぜ と も なく 一種 の 緊張 と 興味 と を 感ずる ように 見えた 。 ・・

田川 夫人 は 微妙な 女 の 本能 と 直 覚 と で 、 じりじり と 葉子 の 心 の すみずみ を 探り 回して いる ようだった が 、 ついに ここ ぞ と いう 急所 を つかんだ らしく 見えた 。 それ まで 事務 長 に 対して 見下した ような 丁寧 さ を 見せて いた 夫人 は 、 見る見る 態度 を 変えて 、 食卓 でも 二 人 は 、 席 が 隣り合って いる から と いう 以上 な 親し げ な 会話 を 取りかわす ように なった 。 田川 博士 まで が 夫人 の 意 を 迎えて 、 何かにつけ て 事務 長 の 室 に 繁 く 出入り する ばかり か 、 事務 長 はたいてい の 夜 は 田川 夫妻 の 部屋 に 呼び 迎えられた 。 田川 博士 は もとより 船 の 正 客 である 。 それ を そらす ような 事務 長 で は ない 。 倉地 は 船 医 の 興 録 まで を 手伝わ せて 、 田川 夫妻 の 旅情 を 慰める ように 振る舞った 。 田川 博士 の 船室 に は 夜 おそく まで 灯 が かがやいて 、 夫人 の 興 あり げ に 高く 笑う 声 が 室 外 まで 聞こえる 事 が 珍しく なかった 。 ・・

葉子 は 田川 夫人 の こんな 仕打ち を 受けて も 、 心 の 中 で 冷笑って いる のみ だった 。 すでに 自分 が 勝ち 味 に なって いる と いう 自覚 は 、 葉子 に 反動 的な 寛大な 心 を 与えて 、 夫人 が 事務 長 を に しよう と して いる 事 など は てんで 問題 に は しまい と した 。 夫人 は よけいな 見当違い を して 、 痛く も ない 腹 を 探って いる 、 事務 長 が どうした と いう のだ 。 母 の 胎 を 出る と そのまま なんの 訓練 も 受け ず に 育ち 上がった ような ぶしつけな 、 動物 性 の 勝った 、 どんな 事 を して 来た の か 、 どんな 事 を する の か わから ない ような たかが 事務 長 に なんの 興味 が ある もの か 。 あんな 人間 に 気 を 引か れる くらい なら 、 自分 は とうに 喜んで 木村 の 愛 に な ず いて いる のだ 。 見当違い も いいかげんに する が いい 。 そう 歯が み を したい くらい な 気分 で 思った 。 ・・

ある 夕方 葉子 は いつも の とおり 散歩 しよう と 甲板 に 出て 見る と 、 はるか 遠い 手 欄 の 所 に 岡 が たった 一 人 しょんぼり と よりかかって 、 海 を 見入って いた 。 葉子 は いたずら 者 らしく そっと 足音 を 盗んで 、 忍び 忍び 近づいて 、 いきなり 岡 と 肩 を すり 合わせる ように して 立った 。 岡 は 不意に 人 が 現われた ので 非常に 驚いた ふうで 、 顔 を そむけて その 場 を 立ち去ろう と する の を 、 葉子 は 否応 なし に 手 を 握って 引き留めた 。 岡 が 逃げ 隠れよう と する の も 道理 、 その 顔 に は 涙 の あと が まざまざ と 残って いた 。 少年 から 青年 に なった ばかり の ような 、 内気 らしい 、 小柄な 岡 の 姿 は 、 何もかも 荒々しい 船 の 中 で は ことさら デリケートな 可憐な もの に 見えた 。 葉子 は いたずら ばかり で なく 、 この 青年 に 一種 の 淡々 しい 愛 を 覚えた 。 ・・

「 何 を 泣いて らしった の 」・・

小 首 を 存分 傾けて 、 少女 が 少女 に 物 を 尋ねる ように 、 肩 に 手 を 置き そえ ながら 聞いて みた 。 ・・

「 僕 …… 泣いて いやしま せ ん 」・・

岡 は 両方 の 頬 を 紅 く 彩って 、 こう いい ながら くるり と からだ を そっぽ う に 向け 換えよう と した 。 それ が どうしても 少女 の ような しぐさ だった 。 抱きしめて やりたい ような その 肉体 と 、 肉体 に つつま れた 心 。 葉子 は さらに すり寄った 。 ・・

「 い ゝ えい ゝ え 泣いて らっしゃいました わ 」・・

岡 は 途方 に 暮れた ように 目 の 下 の 海 を ながめて いた が 、 のがれる 術 の ない の を 覚って 、 大っぴ ら に ハンケチ を ズボン の ポケット から 出して 目 を ぬぐった 。 そして 少し 恨む ような 目つき を して 、 始めて まともに 葉子 を 見た 。 口 び る まで が 苺 の ように 紅 く なって いた 。 青白い 皮膚 に 嵌め込ま れた その 紅 さ を 、 色彩 に 敏感な 葉子 は 見のがす 事 が でき なかった 。 岡 は 何かしら 非常に 興奮 して いた 。 その 興奮 して ぶるぶる 震える しなやかな 手 を 葉子 は 手 欄 ごと じっと 押えた 。 ・・

「 さ 、 これ で お ふき遊ば せ 」・・

葉子 の 袂 から は 美しい 香り の こもった 小さな リンネル の ハンケチ が 取り出さ れた 。 ・・

「 持って る んです から 」・・

岡 は 恐縮 した ように 自分 の ハンケチ を 顧みた 。 ・・

「 何 を お 泣き に なって …… まあ わたしったら よけいな 事 まで 伺って 」・・

「 何 いい んです …… ただ 海 を 見たら なんとなく 涙ぐんで しまった んです 。 からだ が 弱い もん です から くだらない 事 に まで 感傷 的に なって 困ります 。 …… なんでもない ……」・・

葉子 は いかにも 同情 する ように 合点 合点 した 。 岡 が 葉子 と こうして 一緒に いる の を ひどく うれし がって いる の が 葉子 に は よく 知れた 。 葉子 は やがて 自分 の ハンケチ を 手 欄 の 上 に おいた まま 、・・

「 わたし の 部屋 へ も よろしかったら いらっしゃい まし 。 また ゆっくり お 話し しましょう ね 」・・

と なつ こく いって そこ を 去った 。


14.1 或る 女 ある|おんな 14.1 Una mujer

なんといっても 船旅 は 単調だった 。 |ふなたび||たんちょうだった た とい 日々 夜 々 に 一瞬 も やむ 事 なく 姿 を 変える 海 の 波 と 空 の 雲 と は あって も 、 詩人 で も ない なべ て の 船客 は 、 それ ら に 対して 途方 に 暮れた 倦怠 の 視線 を 投げる ばかりだった 。 ||ひび|よ|||いっしゅん|||こと||すがた||かえる|うみ||なみ||から||くも|||||しじん|||||||せんきゃく|||||たいして|とほう||くれた|けんたい||しせん||なげる| 地上 の 生活 から すっかり 遮断 さ れた 船 の 中 に は 、 ごく 小さな 事 でも 目新しい 事件 の 起こる 事 のみ が 待ち 設けられて いた 。 ちじょう||せいかつ|||しゃだん|||せん||なか||||ちいさな|こと||めあたらしい|じけん||おこる|こと|||まち|もうけ られて| そうした 生活 で は 葉子 が 自然に 船客 の 注意 の 焦点 と なり 、 話題 の 提供 者 と なった の は 不思議 も ない 。 |せいかつ|||ようこ||しぜんに|せんきゃく||ちゅうい||しょうてん|||わだい||ていきょう|もの|||||ふしぎ|| 毎日 毎日 凍りつく ような 濃霧 の 間 を 、 東 へ 東 へ と 心細く 走り 続ける 小さな 汽船 の 中 の 社会 は 、 あらわに は 知れ ない ながら 、 何 か さびしい 過去 を 持つ らしい 、 妖艶 な 、 若い 葉子 の 一挙一動 を 、 絶えず 興味深く じっと 見守る ように 見えた 。 まいにち|まいにち|こおりつく||のうむ||あいだ||ひがし||ひがし|||こころぼそく|はしり|つづける|ちいさな|きせん||なか||しゃかい||||しれ|||なん|||かこ||もつ||ようえん||わかい|ようこ||いっきょいちどう||たえず|きょうみぶかく||みまもる||みえた ・・

か の 奇怪な 心 の 動乱 の 一夜 を 過ごす と 、 その 翌日 から 葉子 は また ふだん の とおり に 、 いかにも 足 もと が あやうく 見え ながら 少しも 破綻 を 示さ ず 、 ややもすれば 他人 の 勝手に なり そうで いて 、 よそ から は 決して 動かさ れ ない 女 に なって いた 。 ||きかいな|こころ||どうらん||いちや||すごす|||よくじつ||ようこ||||||||あし||||みえ||すこしも|はたん||しめさ|||たにん||かってに||そう で|||||けっして|うごかさ|||おんな||| 始めて 食堂 に 出た 時 の つつましやか さ に 引きかえて 、 時に は 快活な 少女 の ように 晴れやかな 顔つき を して 、 船客 ら と 言葉 を かわしたり した 。 はじめて|しょくどう||でた|じ|||||ひきかえて|ときに||かいかつな|しょうじょ|||はれやかな|かおつき|||せんきゃく|||ことば||| 食堂 に 現われる 時 の 葉子 の 服装 だけ でも 、 退屈に 倦 じ 果てた 人々 に は 、 物好きな 期待 を 与えた 。 しょくどう||あらわれる|じ||ようこ||ふくそう|||たいくつに|あぐ||はてた|ひとびと|||ものずきな|きたい||あたえた ある 時 は 葉子 は 慎み深い 深 窓 の 婦人 らしく 上品に 、 ある 時 は 素養 の 深い 若い ディレッタント の ように 高尚に 、 また ある 時 は 習俗 から 解放 さ れた adventuress と も 思わ れる 放 胆 を 示した 。 |じ||ようこ||つつしみぶかい|ふか|まど||ふじん||じょうひんに||じ||そよう||ふかい|わかい||||こうしょうに|||じ||しゅうぞく||かいほう||||||おもわ||はな|たん||しめした その 極端な 変化 が 一 日 の 中 に 起こって 来て も 、 人々 は さして 怪しく 思わ なかった 。 |きょくたんな|へんか||ひと|ひ||なか||おこって|きて||ひとびと|||あやしく|おもわ| それほど 葉子 の 性格 に は 複雑な もの が 潜んで いる の を 感じ させた 。 |ようこ||せいかく|||ふくざつな|||ひそんで||||かんじ|さ せた 絵 島 丸 が 横浜 の 桟橋 に つながれて いる 間 から 、 人々 の 注意 の 中心 と なって いた 田川 夫人 を 、 海 気 に あって 息 気 を ふき返した 人魚 の ような 葉子 の かたわら に おいて 見る と 、 身分 、 閲歴 、 学 殖 、 年齢 など と いう いかめしい 資格 が 、 かえって 夫人 を 固い 古ぼけた 輪郭 に はめこんで 見せる 結果 に なって 、 ただ 神 体 の ない 空虚な 宮殿 の ような 空 いかめしい 興 な さ を 感じ させる ばかりだった 。 え|しま|まる||よこはま||さんばし||つなが れて||あいだ||ひとびと||ちゅうい||ちゅうしん||||たがわ|ふじん||うみ|き|||いき|き||ふきかえした|にんぎょ|||ようこ|||||みる||みぶん|えつれき|まな|しょく|ねんれい|||||しかく|||ふじん||かたい|ふるぼけた|りんかく|||みせる|けっか||||かみ|からだ|||くうきょな|きゅうでん|||から||きょう||||かんじ|さ せる| 女 の 本能 の 鋭 さ から 田川 夫人 は すぐ それ を 感づいた らしかった 。 おんな||ほんのう||するど|||たがわ|ふじん|||||かんづいた| 夫人 の 耳 もと に 響いて 来る の は 葉子 の うわさ ばかり で 、 夫人 自身 の 評判 は 見る見る 薄れて 行った 。 ふじん||みみ|||ひびいて|くる|||ようこ|||||ふじん|じしん||ひょうばん||みるみる|うすれて|おこなった ともすると 田川 博士 まで が 、 夫人 の 存在 を 忘れた ような 振る舞い を する 、 そう 夫人 を 思わ せる 事 が ある らしかった 。 |たがわ|はかせ|||ふじん||そんざい||わすれた||ふるまい||||ふじん||おもわ||こと||| 食堂 の 卓 を はさんで 向かい合う 夫妻 が 他人 同士 の ような 顔 を して 互い 互いに ぬすみ 見 を する の を 葉子 が すばやく 見て取った 事 など も あった 。 しょくどう||すぐる|||むかいあう|ふさい||たにん|どうし|||かお|||たがい|たがいに||み|||||ようこ|||みてとった|こと||| と いって 今 まで 自分 の 子供 でも あしらう ように 振る舞って いた 葉子 に 対して 、 今さら 夫人 は 改まった 態度 も 取り かねて いた 。 ||いま||じぶん||こども||||ふるまって||ようこ||たいして|いまさら|ふじん||あらたまった|たいど||とり|| よくも 仮面 を かぶって 人 を 陥れた と いう 女らしい ひねくれた 妬み ひがみ が 、 明らかに 夫人 の 表情 に 読ま れ 出した 。 |かめん|||じん||おとしいれた|||おんならしい||ねたみ|||あきらかに|ふじん||ひょうじょう||よま||だした しかし 実際 の 処置 と して は 、 くやしくて も 虫 を 殺して 、 自分 を 葉子 まで 引き下げる か 、 葉子 を 自分 まで 引き上げる より しかたがなかった 。 |じっさい||しょち||||||ちゅう||ころして|じぶん||ようこ||ひきさげる||ようこ||じぶん||ひきあげる|| 夫人 の 葉子 に 対する 仕打ち は 戸 板 を かえす ように 違って 来た 。 ふじん||ようこ||たいする|しうち||と|いた||||ちがって|きた 葉子 は 知らん顔 を して 夫人 の する が まま に 任せて いた 。 ようこ||しらんかお|||ふじん||||||まかせて| 葉子 は もとより 夫人 の あわてた この 処置 が 夫人 に は 致命 的な 不利益であり 、 自分 に は 都合 の いい 仕 合わせ である の を 知っていた から だ 。 ようこ|||ふじん||||しょち||ふじん|||ちめい|てきな|ふりえきであり|じぶん|||つごう|||し|あわせ||||しっていた|| 案のじょう 、 田川 夫人 の この 譲歩 は 、 夫人 に 何らか の 同情 なり 尊敬 なり が 加えられる 結果 と なら なかった ばかり で なく 、 その 勢力 は ますます 下り坂 に なって 、 葉子 は いつのまにか 田川 夫人 と 対等で 物 を いい合って も 少しも 不思議 と は 思わ せ ない ほど の 高み に 自分 を 持ち上げて しまって いた 。 あんのじょう|たがわ|ふじん|||じょうほ||ふじん||なんらか||どうじょう||そんけい|||くわえ られる|けっか||||||||せいりょく|||くだりざか|||ようこ|||たがわ|ふじん||たいとうで|ぶつ||いいあって||すこしも|ふしぎ|||おもわ|||||たかみ||じぶん||もちあげて|| 落ち目 に なった 夫人 は 年 が いも なく しどろもどろに なって いた 。 おちめ|||ふじん||とし|||||| 恐ろしい ほど やさしく 親切に 葉子 を あしらう か と 思えば 、 皮肉 らしく ばか丁寧に 物 を いい かけたり 、 あるいは 突然 路傍 の 人 に 対する ような よそよそし さ を 装って 見せたり した 。 おそろしい|||しんせつに|ようこ|||||おもえば|ひにく||ばかていねいに|ぶつ|||||とつぜん|ろぼう||じん||たいする|||||よそおって|みせたり| 死に かけた 蛇 の のたうち 回る の を 見 やる 蛇 使い の ように 、 葉子 は 冷ややかに あざ笑い ながら 、 夫人 の 心 の 葛藤 を 見 やって いた 。 しに||へび|||まわる|||み||へび|つかい|||ようこ||ひややかに|あざわらい||ふじん||こころ||かっとう||み|| ・・

単調な 船旅 に あき 果てて 、 したたか 刺激 に 飢えた 男 の 群れ は 、 この 二 人 の 女性 を 中心 に して 知らず知らず 渦巻き の ように めぐって いた 。 たんちょうな|ふなたび|||はてて||しげき||うえた|おとこ||むれ|||ふた|じん||じょせい||ちゅうしん|||しらずしらず|うずまき|||| 田川 夫人 と 葉子 と の 暗 闘 は 表面 に は 少しも 目 に 立た ないで 戦われて いた のだ けれども 、 それ が 男 たち に 自然に 刺激 を 与え ないで は おか なかった 。 たがわ|ふじん||ようこ|||あん|たたか||ひょうめん|||すこしも|め||たた||たたかわ れて||||||おとこ|||しぜんに|しげき||あたえ|||| 平らな 水 に 偶然 落ちて 来た 微風 の ひき起こす 小さな 波紋 ほど の 変化 でも 、 船 の 中 で は 一 か どの 事件 だった 。 たいらな|すい||ぐうぜん|おちて|きた|びふう||ひきおこす|ちいさな|はもん|||へんか||せん||なか|||ひと|||じけん| 男 たち は なぜ と も なく 一種 の 緊張 と 興味 と を 感ずる ように 見えた 。 おとこ|||||||いっしゅ||きんちょう||きょうみ|||かんずる||みえた ・・

田川 夫人 は 微妙な 女 の 本能 と 直 覚 と で 、 じりじり と 葉子 の 心 の すみずみ を 探り 回して いる ようだった が 、 ついに ここ ぞ と いう 急所 を つかんだ らしく 見えた 。 たがわ|ふじん||びみょうな|おんな||ほんのう||なお|あきら|||||ようこ||こころ||||さぐり|まわして|||||||||きゅうしょ||||みえた それ まで 事務 長 に 対して 見下した ような 丁寧 さ を 見せて いた 夫人 は 、 見る見る 態度 を 変えて 、 食卓 でも 二 人 は 、 席 が 隣り合って いる から と いう 以上 な 親し げ な 会話 を 取りかわす ように なった 。 ||じむ|ちょう||たいして|みくだした||ていねい|||みせて||ふじん||みるみる|たいど||かえて|しょくたく||ふた|じん||せき||となりあって|||||いじょう||したし|||かいわ||とりかわす|| 田川 博士 まで が 夫人 の 意 を 迎えて 、 何かにつけ て 事務 長 の 室 に 繁 く 出入り する ばかり か 、 事務 長 はたいてい の 夜 は 田川 夫妻 の 部屋 に 呼び 迎えられた 。 たがわ|はかせ|||ふじん||い||むかえて|なにかにつけ||じむ|ちょう||しつ||しげ||でいり||||じむ|ちょう|はたいて い||よ||たがわ|ふさい||へや||よび|むかえ られた 田川 博士 は もとより 船 の 正 客 である 。 たがわ|はかせ|||せん||せい|きゃく| それ を そらす ような 事務 長 で は ない 。 ||||じむ|ちょう||| 倉地 は 船 医 の 興 録 まで を 手伝わ せて 、 田川 夫妻 の 旅情 を 慰める ように 振る舞った 。 くらち||せん|い||きょう|ろく|||てつだわ||たがわ|ふさい||りょじょう||なぐさめる||ふるまった 田川 博士 の 船室 に は 夜 おそく まで 灯 が かがやいて 、 夫人 の 興 あり げ に 高く 笑う 声 が 室 外 まで 聞こえる 事 が 珍しく なかった 。 たがわ|はかせ||せんしつ|||よ|||とう|||ふじん||きょう||||たかく|わらう|こえ||しつ|がい||きこえる|こと||めずらしく| ・・

葉子 は 田川 夫人 の こんな 仕打ち を 受けて も 、 心 の 中 で 冷笑って いる のみ だった 。 ようこ||たがわ|ふじん|||しうち||うけて||こころ||なか||れいしょう って||| すでに 自分 が 勝ち 味 に なって いる と いう 自覚 は 、 葉子 に 反動 的な 寛大な 心 を 与えて 、 夫人 が 事務 長 を に しよう と して いる 事 など は てんで 問題 に は しまい と した 。 |じぶん||かち|あじ||||||じかく||ようこ||はんどう|てきな|かんだいな|こころ||あたえて|ふじん||じむ|ちょう|||||||こと||||もんだい||||| 夫人 は よけいな 見当違い を して 、 痛く も ない 腹 を 探って いる 、 事務 長 が どうした と いう のだ 。 ふじん|||けんとうちがい|||いたく|||はら||さぐって||じむ|ちょう||||| 母 の 胎 を 出る と そのまま なんの 訓練 も 受け ず に 育ち 上がった ような ぶしつけな 、 動物 性 の 勝った 、 どんな 事 を して 来た の か 、 どんな 事 を する の か わから ない ような たかが 事務 長 に なんの 興味 が ある もの か 。 はは||はら||でる||||くんれん||うけ|||そだち|あがった|||どうぶつ|せい||かった||こと|||きた||||こと|||||||||じむ|ちょう|||きょうみ|||| あんな 人間 に 気 を 引か れる くらい なら 、 自分 は とうに 喜んで 木村 の 愛 に な ず いて いる のだ 。 |にんげん||き||ひか||||じぶん|||よろこんで|きむら||あい|||||| 見当違い も いいかげんに する が いい 。 けんとうちがい||||| そう 歯が み を したい くらい な 気分 で 思った 。 |しが|||し たい|||きぶん||おもった ・・

ある 夕方 葉子 は いつも の とおり 散歩 しよう と 甲板 に 出て 見る と 、 はるか 遠い 手 欄 の 所 に 岡 が たった 一 人 しょんぼり と よりかかって 、 海 を 見入って いた 。 |ゆうがた|ようこ|||||さんぽ|||かんぱん||でて|みる|||とおい|て|らん||しょ||おか|||ひと|じん||||うみ||みいって| 葉子 は いたずら 者 らしく そっと 足音 を 盗んで 、 忍び 忍び 近づいて 、 いきなり 岡 と 肩 を すり 合わせる ように して 立った 。 ようこ|||もの|||あしおと||ぬすんで|しのび|しのび|ちかづいて||おか||かた|||あわせる|||たった 岡 は 不意に 人 が 現われた ので 非常に 驚いた ふうで 、 顔 を そむけて その 場 を 立ち去ろう と する の を 、 葉子 は 否応 なし に 手 を 握って 引き留めた 。 おか||ふいに|じん||あらわれた||ひじょうに|おどろいた||かお||||じょう||たちさろう|||||ようこ||いやおう|||て||にぎって|ひきとめた 岡 が 逃げ 隠れよう と する の も 道理 、 その 顔 に は 涙 の あと が まざまざ と 残って いた 。 おか||にげ|かくれよう|||||どうり||かお|||なみだ||||||のこって| 少年 から 青年 に なった ばかり の ような 、 内気 らしい 、 小柄な 岡 の 姿 は 、 何もかも 荒々しい 船 の 中 で は ことさら デリケートな 可憐な もの に 見えた 。 しょうねん||せいねん||||||うちき||こがらな|おか||すがた||なにもかも|あらあらしい|せん||なか||||でりけーとな|かれんな|||みえた 葉子 は いたずら ばかり で なく 、 この 青年 に 一種 の 淡々 しい 愛 を 覚えた 。 ようこ|||||||せいねん||いっしゅ||たんたん||あい||おぼえた ・・

「 何 を 泣いて らしった の 」・・ なん||ないて|らし った|

小 首 を 存分 傾けて 、 少女 が 少女 に 物 を 尋ねる ように 、 肩 に 手 を 置き そえ ながら 聞いて みた 。 しょう|くび||ぞんぶん|かたむけて|しょうじょ||しょうじょ||ぶつ||たずねる||かた||て||おき|||きいて| ・・

「 僕 …… 泣いて いやしま せ ん 」・・ ぼく|ないて|||

岡 は 両方 の 頬 を 紅 く 彩って 、 こう いい ながら くるり と からだ を そっぽ う に 向け 換えよう と した 。 おか||りょうほう||ほお||くれない||いろどって|||||||||||むけ|かえよう|| それ が どうしても 少女 の ような しぐさ だった 。 |||しょうじょ|||| 抱きしめて やりたい ような その 肉体 と 、 肉体 に つつま れた 心 。 だきしめて|やり たい|||にくたい||にくたい||||こころ 葉子 は さらに すり寄った 。 ようこ|||すりよった ・・

「 い ゝ えい ゝ え 泣いて らっしゃいました わ 」・・ |||||ないて|らっしゃい ました|

岡 は 途方 に 暮れた ように 目 の 下 の 海 を ながめて いた が 、 のがれる 術 の ない の を 覚って 、 大っぴ ら に ハンケチ を ズボン の ポケット から 出して 目 を ぬぐった 。 おか||とほう||くれた||め||した||うみ||||||じゅつ|||||あきら って|だい っぴ|||||ずぼん||ぽけっと||だして|め|| そして 少し 恨む ような 目つき を して 、 始めて まともに 葉子 を 見た 。 |すこし|うらむ||めつき|||はじめて||ようこ||みた 口 び る まで が 苺 の ように 紅 く なって いた 。 くち|||||いちご|||くれない||| 青白い 皮膚 に 嵌め込ま れた その 紅 さ を 、 色彩 に 敏感な 葉子 は 見のがす 事 が でき なかった 。 あおじろい|ひふ||はめこま|||くれない|||しきさい||びんかんな|ようこ||みのがす|こと||| 岡 は 何かしら 非常に 興奮 して いた 。 おか||なにかしら|ひじょうに|こうふん|| その 興奮 して ぶるぶる 震える しなやかな 手 を 葉子 は 手 欄 ごと じっと 押えた 。 |こうふん|||ふるえる||て||ようこ||て|らん|||おさえた ・・

「 さ 、 これ で お ふき遊ば せ 」・・ ||||ふきすさば|

葉子 の 袂 から は 美しい 香り の こもった 小さな リンネル の ハンケチ が 取り出さ れた 。 ようこ||たもと|||うつくしい|かおり|||ちいさな|||||とりださ| ・・

「 持って る んです から 」・・ もって|||

岡 は 恐縮 した ように 自分 の ハンケチ を 顧みた 。 おか||きょうしゅく|||じぶん||||かえりみた ・・

「 何 を お 泣き に なって …… まあ わたしったら よけいな 事 まで 伺って 」・・ なん|||なき||||わたし ったら||こと||うかがって

「 何 いい んです …… ただ 海 を 見たら なんとなく 涙ぐんで しまった んです 。 なん||||うみ||みたら||なみだぐんで|| からだ が 弱い もん です から くだらない 事 に まで 感傷 的に なって 困ります 。 ||よわい|||||こと|||かんしょう|てきに||こまり ます …… なんでもない ……」・・

葉子 は いかにも 同情 する ように 合点 合点 した 。 ようこ|||どうじょう|||がてん|がてん| 岡 が 葉子 と こうして 一緒に いる の を ひどく うれし がって いる の が 葉子 に は よく 知れた 。 おか||ようこ|||いっしょに||||||||||ようこ||||しれた 葉子 は やがて 自分 の ハンケチ を 手 欄 の 上 に おいた まま 、・・ ようこ|||じぶん||||て|らん||うえ|||

「 わたし の 部屋 へ も よろしかったら いらっしゃい まし 。 ||へや||||| また ゆっくり お 話し しましょう ね 」・・ |||はなし|し ましょう|

と なつ こく いって そこ を 去った 。 ||||||さった