古賀 春江 (166)
こんにちは 。 人 から 分かる 3 分 美術 史 。 今日 は 古賀 春江 に ついて 勉強 して いきましょう 。 古賀 春江 。 1895 年 生まれ 。 大正 から 昭和 初期 に かけて の 洋画 家 であり 、日本 の 初期 シュルレアリスム の 代表的 作家 として 知られます 。 ・・
春江 は 、明治 28 年 に 福岡 県 久留米 市 で 生まれました 。 父親 は 浄土 宗 善福寺 の 住職 であり 、春江 は 唯一 の 男児 であった ため 、家族 から 愛されて 育った と 言われます 。 幼い 頃 より 絵 に 親しみ 、中学 の 頃 より 9 歳 年上 の 洋画家 である 松田 諦晶 の 指導 を 受けました 。 また 、この 時期 に は 竹久 夢二 が 大きな 人気 を 誇り 、春江 も 夢二 から 強く 影響 を 受けました 。 1912 年 、17 歳 の 春江 は 画家 修行 の ため 東京 に 渡ります 。 当初 は 太平 洋画 会 研究所 に 入ります が 、水彩画 を 志し 、間も無く して 日本 水彩画会 研究所 に 移りました 。 その頃 の 作品 が 、「柳 河 風景 」。 1914年 、春江 19歳 ごろ の 作品 であり 、松田 諦晶 と 写生 旅行 を した 折 に 描かれました 。 春江 は 、実家 の 寺 を 継ぐ ため に 僧侶 と なりました 。 しかし 、画家 に なる こと を 諦めきれず 絵画 修行 を 続行 します 。 そして 間も無く して 父親 が 亡くなる と 、姉 の 夫 に 家 督 を 譲り 、画家 として 再 出発 する こと と なります 。 この 時期 に は 、白樺 派 に よって ロダン や セザンヌ を はじめ と した ヨーロッパ の 前衛 芸術 が 紹介 され 始めて いました 。 そこ で 1922 年 、春江 は 神原 泰 、中川 紀元 ら と ともに 前衛 芸術 グループ 「アクション 」を 結成 。 それ 以後 の 春江 は 、気鋭 の 洋画家 と して 、多様な 画風 を 試み ながら 、作品 を 制作 して いきました 。 ・・
春江 の 作品 を 見て いきましょう 。 「 埋葬 」。 1922年 、春江 27歳 ごろ の 作品 です 。 「 海 」。 1929年 、春江 34 歳 ごろ の 作品 であり 、代表作 として 知られます 。 詩人 ・竹中 久七 の 影響 を 受け 、春江 は シュルレアリスム に 傾倒 して いきました 。 ・・
春江 は 、1933 年 に 梅 毒 により 38 歳 で 亡くなります 。 春江 は 病弱 で 生涯 に わたって 病気 に 悩ま さ れました が 、その 人柄 が 愛さ れ 、東郷 青児 や 川端 康成 ら と 交友 を 結びました 。 現在 に おいて も 、昭和 初期 の 日本 の シュルレアリスム を 代表 する 画家 として 、知られて います 。 以上 !