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芥川龍之介—Short Stories, 羅生門 | 芥川龍之介 (2)

羅生門 | 芥川龍之介 (2)

老婆 は 、一目 下 人 を 見る と 、まるで 弩 に でも 弾 はじかれた よう に 、飛び上った。

「おのれ 、どこ へ 行く。」

下 人 は 、老婆 が 死骸 に つまずき ながら 、慌てふためいて 逃げよう と する 行 手 を 塞いで 、こう 罵った。 老婆 は 、それ でも 下 人 を つき のけて 行こう と する。 下 人 は また 、それ を 行か すまい と して 、押しもどす。 二 人 は 死骸 の 中 で 、しばらく 、無言 の まま 、つかみ 合った。 しかし 勝敗 は 、はじめ から わかって いる。 下 人 は とうとう 、老婆 の 腕 を つかんで 、無理に そこ へ ねじ 倒した。 丁度 、鶏 の 脚 の ような 、骨 と 皮 ばかり の 腕 である。

「何 を して いた。 云 え。 云 わ ぬ と 、これ だ ぞ よ。」

下 人 は 、老婆 を つき放す と 、いきなり 、太刀 の 鞘 を 払って 、白い 鋼 の 色 を その 眼 の 前 へ つきつけた。 けれども 、老婆 は 黙って いる。 両手 を わなわな ふるわせて 、肩 で 息 を 切り ながら 、眼 を 、眼球 めだま が まぶた の 外 へ 出 そうに なる ほど 、見開いて 、唖 の よう に 執拗 しゅう ね く 黙って いる。 これ を 見る と 、下 人 は 始めて 明白に この 老婆 の 生死 が 、全然 、自分 の 意志 に 支配 されて いる と 云 う 事 を 意識 した。 そうして この 意識 は 、今 まで けわしく 燃えて いた 憎悪 の 心 を 、いつの間にか 冷まして しまった。 後 あと に 残った の は 、ただ 、ある 仕事 を して 、それ が 円満に 成就 した 時 の 、安らかな 得意 と 満足 と が ある ばかりである。 そこ で 、下 人 は 、老婆 を 見下し ながら 、少し 声 を 柔 ら げ て こう 云った。

「己 おれ は 検非 違 使 け び いし の 庁 の 役人 など で は ない。 今し方 この 門 の 下 を 通りかかった 旅 の者 だ。 だから お前 に 縄 なわ を かけて 、どう しよう と 云 う ような 事 は ない。 ただ 、今 時分 この 門 の 上 で 、何 を して 居た のだ か 、それ を 己 に 話し さえ すれば いい のだ。」

すると 、老婆 は 、見開いて いた 眼 を 、一層 大きく して 、じっと その 下 人 の 顔 を 見守った。 まぶた の 赤く なった 、肉食 鳥 の ような 、鋭い 眼 で 見た のである。 それ から 、皺 で 、ほとんど 、鼻 と 一 つ に なった 唇 を 、何 か 物 でも 噛んで いる よう に 動かした。 細い 喉 で 、尖った 喉 仏 のどぼとけ の 動いて いる の が 見える。 その 時 、その 喉 から 、鴉 からす の 啼 くよう な 声 が 、喘ぎ喘ぎ 、下 人 の 耳 へ 伝わって 来た。

「この 髪 を 抜いて な 、この 髪 を 抜いて な 、鬘 かず ら に しよう と 思う た のじゃ。」

下 人 は 、老婆 の 答 が 存外 、平凡な の に 失望 した。 そうして 失望 する と 同時に 、また 前 の 憎悪 が 、冷やかな 侮 蔑 ぶ べつ と 一しょに 、心 の 中 へ は いって 来た。 すると 、その 気色 けしき が 、先方 へ も 通じた のであろう。 老婆 は 、片手 に 、まだ 死骸 の 頭 から 奪った 長い 抜け毛 を 持った なり 、蟇 ひき の つぶやく ような 声 で 、口ごもり ながら 、こんな 事 を 云った。

「成 程 な 、死人 し び と の 髪 の 毛 を 抜く と 云 う 事 は 、何 ぼう 悪い 事 かも 知れ ぬ。 じゃ が 、ここ に いる 死人 ども は 、皆 、その くらい な 事 を 、されて も いい 人間 ばかり だ ぞ よ。 現在 、わし が 今 、髪 を 抜いた 女 など は な 、蛇 を 四 寸 しす ん ばかり ずつ に 切って 干した の を 、干 魚 ほし う お だ と 云 うて 、太刀 帯 たて わき の 陣 へ 売り に 往 いんだ わ。 疫病 え やみ に かかって 死な なんだら 、今 で も 売り に 往 んで いた 事 で あ ろ。 それ も よ 、この 女 の 売る 干 魚 は 、味 が よい と 云 うて 、太刀 帯 ども が 、欠かさ ず 菜料 さ いりよう に 買って いた そうな。 わし は 、この 女 の した 事 が 悪い と は 思う てい ぬ。 せ ねば 、饑死 を する のじゃ て 、仕方 が なくした 事 で あ ろ。 されば 、今 また 、わし の して いた 事 も 悪い 事 と は 思わぬ ぞ よ。 これ とて もや は りせ ねば 、饑死 を する じゃ て 、仕方がなく する 事 じゃ わ い の。 じゃ て 、その 仕方 が ない 事 を 、よく 知っていた この 女 は 、大方 わし の する 事 も 大 目 に 見て くれる であ ろ。」

老婆 は 、大体 こんな 意味 の 事 を 云った。

下 人 は 、太刀 を 鞘 さ や に おさめて 、その 太刀 の 柄 を 左 の 手 で おさえ ながら 、冷 然 と して 、この 話 を 聞いて いた。 勿論 、右 の 手 で は 、赤く 頬 に 膿 を 持った 大きな 面 皰 を 気 に し ながら 、聞いて いる のである。 しかし 、これ を 聞いて いる 中 に 、下 人 の 心 に は 、ある 勇気 が 生まれて 来た。 それ は 、さっき 門 の 下 で 、この 男 に は 欠けて いた 勇気 である。 そうして 、また さっき この 門 の 上 へ 上って 、この 老婆 を 捕えた 時 の 勇気 と は 、全然 、反対な 方向 に 動こう と する 勇気 である。 下 人 は 、饑死 を する か 盗人 に なる か に 、迷わ なかった ばかり で は ない。 その 時 の この 男 の 心もち から 云 えば 、饑死 など と 云 う 事 は 、ほとんど 、考える 事 さえ 出来 ない ほど 、意識 の 外 に 追い出されて いた。

「きっと 、そう か。」

老婆 の 話 が 完 おわる と 、下 人 は 嘲 ような 声 で 念 を 押した。 そうして 、一足 前 へ 出る と 、不意に 右 の 手 を 面 皰 にきび から 離して 、老婆 の 襟 上 えり が み を つかみ ながら 、噛みつく よう に こう 云った。

「では 、己 おれ が 引 剥 ひ はぎ を しよう と 恨む まい な。 己 も そう しなければ 、饑死 を する 体 な のだ。」

下 人 は 、すばやく 、老婆 の 着物 を 剥ぎとった。 それ から 、足 に しがみつこう と する 老婆 を 、手荒く 死骸 の 上 へ 蹴 倒した。 梯子 の 口 まで は 、僅に 五 歩 を 数える ばかりである。 下 人 は 、剥ぎとった 檜 皮 色 ひわ だ いろ の 着物 を わき に かかえて 、またたく間に 急な 梯子 を 夜 の 底 へ かけ 下りた。

しばらく 、死んだ よう に 倒れて いた 老婆 が 、死骸 の 中 から 、その 裸 の 体 を 起した の は 、それ から 間もなく の 事 である。 老婆 は つぶやく ような 、うめく ような 声 を 立て ながら 、まだ 燃えて いる 火 の 光 を たより に 、梯子 の 口 まで 、這って 行った。 そうして 、そこ から 、短い 白髪 しらが を 倒 さかさまに して 、門 の 下 を 覗きこんだ。 外 に は 、ただ 、黒 洞々 こく とうとうたる 夜 が ある ばかりである。

下 人 の 行方 ゆくえ は 、誰 も 知ら ない。

(大正 四 年 九 月)


羅生門 | 芥川龍之介 (2) ら せい もん|あくたがわ りゅう ゆきすけ Rashomon | Ryunosuke Akutagawa (2) Rashomon | Ryunosuke Akutagawa (2) Rashomon | Ryunosuke Akutagawa (2) 罗生门 | 芥川龙之介 (2)

老婆 は 、一目 下 人 を 見る と 、まるで 弩 に でも 弾 はじかれた よう に 、飛び上った。 ろうば||いちもく|した|じん||みる|||ど|||たま||||とびあがった When the old woman saw the servant at first glance, she jumped up as if she had been shot by a crossbow.

「おのれ 、どこ へ 行く。」 |||いく

下 人 は 、老婆 が 死骸 に つまずき ながら 、慌てふためいて 逃げよう と する 行 手 を 塞いで 、こう 罵った。 した|じん||ろうば||しがい||||あわてふためいて|にげよう|||ぎょう|て||ふさいで||ののしった 老婆 は 、それ でも 下 人 を つき のけて 行こう と する。 ろうば||||した|じん||||いこう|| 下 人 は また 、それ を 行か すまい と して 、押しもどす。 した|じん|||||いか||||おしもどす The servants also pushed it back, trying not to let it go. 二 人 は 死骸 の 中 で 、しばらく 、無言 の まま 、つかみ 合った。 ふた|じん||しがい||なか|||むごん||||あった The two men held onto each other in the corpse for a while in silence. しかし 勝敗 は 、はじめ から わかって いる。 |しょうはい||||| 下 人 は とうとう 、老婆 の 腕 を つかんで 、無理に そこ へ ねじ 倒した。 した|じん|||ろうば||うで|||むりに||||たおした 丁度 、鶏 の 脚 の ような 、骨 と 皮 ばかり の 腕 である。 ちょうど|にわとり||あし|||こつ||かわ|||うで| It is just like a chicken leg, an arm full of bones and skin.

「何 を して いた。 なん||| 云 え。 うん| 云 わ ぬ と 、これ だ ぞ よ。」 うん|||||||

下 人 は 、老婆 を つき放す と 、いきなり 、太刀 の 鞘 を 払って 、白い 鋼 の 色 を その 眼 の 前 へ つきつけた。 した|じん||ろうば||つきはなす|||たち||さや||はらって|しろい|はがね||いろ|||がん||ぜん|| けれども 、老婆 は 黙って いる。 |ろうば||だまって| 両手 を わなわな ふるわせて 、肩 で 息 を 切り ながら 、眼 を 、眼球 めだま が まぶた の 外 へ 出 そうに なる ほど 、見開いて 、唖 の よう に 執拗 しゅう ね く 黙って いる。 りょうて||||かた||いき||きり||がん||がんきゅう|||||がい||だ|そう に|||みひらいて|おし||||しつよう||||だまって| これ を 見る と 、下 人 は 始めて 明白に この 老婆 の 生死 が 、全然 、自分 の 意志 に 支配 されて いる と 云 う 事 を 意識 した。 ||みる||した|じん||はじめて|めいはくに||ろうば||せいし||ぜんぜん|じぶん||いし||しはい||||うん||こと||いしき| Seeing this, the servant became aware for the first time that the old woman's life or death was totally controlled by his will. そうして この 意識 は 、今 まで けわしく 燃えて いた 憎悪 の 心 を 、いつの間にか 冷まして しまった。 ||いしき||いま|||もえて||ぞうお||こころ||いつのまにか|さまして| 後 あと に 残った の は 、ただ 、ある 仕事 を して 、それ が 円満に 成就 した 時 の 、安らかな 得意 と 満足 と が ある ばかりである。 あと|||のこった|||||しごと|||||えんまんに|じょうじゅ||じ||やすらかな|とくい||まんぞく|||| All that remained was the peaceful sense of accomplishment and satisfaction that comes from doing a job and having it done to perfection. そこ で 、下 人 は 、老婆 を 見下し ながら 、少し 声 を 柔 ら げ て こう 云った。 ||した|じん||ろうば||みくだし||すこし|こえ||じゅう|||||うんった The servant, looking down at the old woman, softened his voice a little and said, "I am not a servant, but I am an old woman.

「己 おれ は 検非 違 使 け び いし の 庁 の 役人 など で は ない。 おのれ|||けんひ|ちが|つか|||||ちょう||やくにん|||| I am not an official of the Prosecutor General's Office. 今し方 この 門 の 下 を 通りかかった 旅 の者 だ。 いましがた||もん||した||とおりかかった|たび|の しゃ| だから お前 に 縄 なわ を かけて 、どう しよう と 云 う ような 事 は ない。 |おまえ||なわ|||||||うん|||こと|| So I'm not going to put a noose around your neck and tell you what to do. ただ 、今 時分 この 門 の 上 で 、何 を して 居た のだ か 、それ を 己 に 話し さえ すれば いい のだ。」 |いま|じぶん||もん||うえ||なん|||いた|||||おのれ||はなし|||| All you have to do is tell me what you were doing at the gate at this time.

すると 、老婆 は 、見開いて いた 眼 を 、一層 大きく して 、じっと その 下 人 の 顔 を 見守った。 |ろうば||みひらいて||がん||いっそう|おおきく||||した|じん||かお||みまもった The old woman's eyes widened and she looked at the servant's face. まぶた の 赤く なった 、肉食 鳥 の ような 、鋭い 眼 で 見た のである。 ||あかく||にくしょく|ちょう|||するどい|がん||みた| それ から 、皺 で 、ほとんど 、鼻 と 一 つ に なった 唇 を 、何 か 物 でも 噛んで いる よう に 動かした。 ||しわ|||はな||ひと||||くちびる||なん||ぶつ||かんで||||うごかした Then he moved his wrinkled lips, which had almost become one with his nose, as if he was chewing something. 細い 喉 で 、尖った 喉 仏 のどぼとけ の 動いて いる の が 見える。 ほそい|のど||とがった|のど|ふつ|||うごいて||||みえる その 時 、その 喉 から 、鴉 からす の 啼 くよう な 声 が 、喘ぎ喘ぎ 、下 人 の 耳 へ 伝わって 来た。 |じ||のど||からす|||てい|||こえ||あえぎあえぎ|した|じん||みみ||つたわって|きた

「この 髪 を 抜いて な 、この 髪 を 抜いて な 、鬘 かず ら に しよう と 思う た のじゃ。」 |かみ||ぬいて|||かみ||ぬいて||まん||||||おもう||

下 人 は 、老婆 の 答 が 存外 、平凡な の に 失望 した。 した|じん||ろうば||こたえ||ぞんがい|へいぼんな|||しつぼう| The servant was disappointed that the old woman's answer was so ordinary. そうして 失望 する と 同時に 、また 前 の 憎悪 が 、冷やかな 侮 蔑 ぶ べつ と 一しょに 、心 の 中 へ は いって 来た。 |しつぼう|||どうじに||ぜん||ぞうお||ひややかな|あなど|さげす||||いっしょに|こころ||なか||||きた And so, at the same time as I was disappointed, the hatred from before came back into my heart, along with a cold contempt for others. すると 、その 気色 けしき が 、先方 へ も 通じた のであろう。 ||けしき|||せんぽう|||つうじた| 老婆 は 、片手 に 、まだ 死骸 の 頭 から 奪った 長い 抜け毛 を 持った なり 、蟇 ひき の つぶやく ような 声 で 、口ごもり ながら 、こんな 事 を 云った。 ろうば||かたて|||しがい||あたま||うばった|ながい|ぬけげ||もった||がま|||||こえ||くちごもり|||こと||うんった The old woman, still holding in one hand the long, stray hairs she had taken from the head of the carcass, mumbled something like the mumbling of a toadstool, and then said, "I'm sorry.

「成 程 な 、死人 し び と の 髪 の 毛 を 抜く と 云 う 事 は 、何 ぼう 悪い 事 かも 知れ ぬ。 しげ|ほど||しにん|||||かみ||け||ぬく||うん||こと||なん||わるい|こと||しれ| The dead man's hair is plucked out of his head, and what a bad thing that is! じゃ が 、ここ に いる 死人 ども は 、皆 、その くらい な 事 を 、されて も いい 人間 ばかり だ ぞ よ。 |||||しにん|||みな||||こと|||||にんげん|||| 現在 、わし が 今 、髪 を 抜いた 女 など は な 、蛇 を 四 寸 しす ん ばかり ずつ に 切って 干した の を 、干 魚 ほし う お だ と 云 うて 、太刀 帯 たて わき の 陣 へ 売り に 往 いんだ わ。 げんざい|||いま|かみ||ぬいた|おんな||||へび||よっ|すん||||||きって|ほした|||ひ|ぎょ||||||うん||たち|おび||||じん||うり||おう|| 疫病 え やみ に かかって 死な なんだら 、今 で も 売り に 往 んで いた 事 で あ ろ。 えきびょう|||||しな||いま|||うり||おう|||こと||| それ も よ 、この 女 の 売る 干 魚 は 、味 が よい と 云 うて 、太刀 帯 ども が 、欠かさ ず 菜料 さ いりよう に 買って いた そうな。 ||||おんな||うる|ひ|ぎょ||あじ||||うん||たち|おび|||かかさ||なりょう||||かって||そう な わし は 、この 女 の した 事 が 悪い と は 思う てい ぬ。 |||おんな|||こと||わるい|||おもう|| せ ねば 、饑死 を する のじゃ て 、仕方 が なくした 事 で あ ろ。 ||きし|||||しかた|||こと||| されば 、今 また 、わし の して いた 事 も 悪い 事 と は 思わぬ ぞ よ。 |いま||||||こと||わるい|こと|||おもわぬ|| これ とて もや は りせ ねば 、饑死 を する じゃ て 、仕方がなく する 事 じゃ わ い の。 ||||||きし|||||しかた が なく||こと|||| If we don't do this, we will starve to death, and that is not something we have to do. じゃ て 、その 仕方 が ない 事 を 、よく 知っていた この 女 は 、大方 わし の する 事 も 大 目 に 見て くれる であ ろ。」 |||しかた|||こと|||しっていた||おんな||おおかた||||こと||だい|め||みて||| But she knows what she has to do, and I am sure she will tolerate what I have to do.

老婆 は 、大体 こんな 意味 の 事 を 云った。 ろうば||だいたい||いみ||こと||うんった

下 人 は 、太刀 を 鞘 さ や に おさめて 、その 太刀 の 柄 を 左 の 手 で おさえ ながら 、冷 然 と して 、この 話 を 聞いて いた。 した|じん||たち||さや||||||たち||え||ひだり||て||||ひや|ぜん||||はなし||きいて| The servant, with his sword in its sheath and holding its hilt with his left hand, listened calmly to the story. 勿論 、右 の 手 で は 、赤く 頬 に 膿 を 持った 大きな 面 皰 を 気 に し ながら 、聞いて いる のである。 もちろん|みぎ||て|||あかく|ほお||うみ||もった|おおきな|おもて|ほう||き||||きいて|| しかし 、これ を 聞いて いる 中 に 、下 人 の 心 に は 、ある 勇気 が 生まれて 来た。 |||きいて||なか||した|じん||こころ||||ゆうき||うまれて|きた それ は 、さっき 門 の 下 で 、この 男 に は 欠けて いた 勇気 である。 |||もん||した|||おとこ|||かけて||ゆうき| そうして 、また さっき この 門 の 上 へ 上って 、この 老婆 を 捕えた 時 の 勇気 と は 、全然 、反対な 方向 に 動こう と する 勇気 である。 ||||もん||うえ||のぼって||ろうば||とらえた|じ||ゆうき|||ぜんぜん|はんたいな|ほうこう||うごこう|||ゆうき| And then he had the courage to move in the opposite direction from the courage he had when he climbed up to the gate and caught the old woman. 下 人 は 、饑死 を する か 盗人 に なる か に 、迷わ なかった ばかり で は ない。 した|じん||きし||||ぬすびと|||||まよわ||||| その 時 の この 男 の 心もち から 云 えば 、饑死 など と 云 う 事 は 、ほとんど 、考える 事 さえ 出来 ない ほど 、意識 の 外 に 追い出されて いた。 |じ|||おとこ||こころもち||うん||きし|||うん||こと|||かんがえる|こと||でき|||いしき||がい||おいだされて| The man's mind was so far out of his head at the time that he could hardly even think of starving to death.

「きっと 、そう か。」

老婆 の 話 が 完 おわる と 、下 人 は 嘲 ような 声 で 念 を 押した。 ろうば||はなし||かん|||した|じん||あざけ||こえ||ねん||おした When the old woman finished her story, the servant reminded her in a mocking voice. そうして 、一足 前 へ 出る と 、不意に 右 の 手 を 面 皰 にきび から 離して 、老婆 の 襟 上 えり が み を つかみ ながら 、噛みつく よう に こう 云った。 |ひとあし|ぜん||でる||ふいに|みぎ||て||おもて|ほう|||はなして|ろうば||えり|うえ|||||||かみつく||||うんった

「では 、己 おれ が 引 剥 ひ はぎ を しよう と 恨む まい な。 |おのれ|||ひ|む||||||うらむ|| I will not begrudge you the fact that I am going to rip you off. 己 も そう しなければ 、饑死 を する 体 な のだ。」 おのれ||||きし|||からだ|| If I don't do this, I will starve to death."

下 人 は 、すばやく 、老婆 の 着物 を 剥ぎとった。 した|じん|||ろうば||きもの||はぎとった それ から 、足 に しがみつこう と する 老婆 を 、手荒く 死骸 の 上 へ 蹴 倒した。 ||あし|||||ろうば||てあらく|しがい||うえ||け|たおした 梯子 の 口 まで は 、僅に 五 歩 を 数える ばかりである。 はしご||くち|||わずかに|いつ|ふ||かぞえる| It was only five steps to the top of the ladder. 下 人 は 、剥ぎとった 檜 皮 色 ひわ だ いろ の 着物 を わき に かかえて 、またたく間に 急な 梯子 を 夜 の 底 へ かけ 下りた。 した|じん||はぎとった|ひのき|かわ|いろ|||||きもの|||||またたくまに|きゅうな|はしご||よ||そこ|||おりた The servant stepped aside in his cypress-bark-colored clothes, and in a flash, he was on his way down the steep ladder to the bottom of the night.

しばらく 、死んだ よう に 倒れて いた 老婆 が 、死骸 の 中 から 、その 裸 の 体 を 起した の は 、それ から 間もなく の 事 である。 |しんだ|||たおれて||ろうば||しがい||なか|||はだか||からだ||おこした|||||まもなく||こと| It was not long after that an old woman, who had been lying as if dead for some time, emerged from the corpse with her naked body. 老婆 は つぶやく ような 、うめく ような 声 を 立て ながら 、まだ 燃えて いる 火 の 光 を たより に 、梯子 の 口 まで 、這って 行った。 ろうば||||||こえ||たて|||もえて||ひ||ひかり||||はしご||くち||はって|おこなった そうして 、そこ から 、短い 白髪 しらが を 倒 さかさまに して 、門 の 下 を 覗きこんだ。 |||みじかい|しらが|||たお|||もん||した||のぞきこんだ Then, he turned his short gray hair upside down and peeked under the gate. 外 に は 、ただ 、黒 洞々 こく とうとうたる 夜 が ある ばかりである。 がい||||くろ|とうとう|||よ||| Outside, there is only the black night.

下 人 の 行方 ゆくえ は 、誰 も 知ら ない。 した|じん||ゆくえ|||だれ||しら|

(大正 四 年 九 月) たいしょう|よっ|とし|ここの|つき