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太宰治『人間失格』(No Longer Human by Osamu Dazai), 第 二 の 手記 (6)

第 二 の 手記 (6)

惜しい と いう 気持 では ありません でした。 自分 に は 、もともと 所有 慾 と いう もの は 薄く 、また 、たまに 幽 か に 惜しむ 気持 は あって も 、その 所有 権 を 敢然と 主張 し 、人 と 争う ほど の 気力 が 無い のでした。 のち に 、自分 は 、自分 の 内縁 の 妻 が 犯さ れる の を 、黙って 見て いた 事 さえ あった ほど な のです。

自分 は 、人間 の いざこざ に 出来る だけ 触り たく ない のでした。 その 渦 に 巻き込ま れる の が 、おそろしい のでした。 ツネ子 と 自分 と は 、一夜 だけ の 間柄 です。 ツネ子 は 、自分 の もの では ありません。 惜しい 、など 思い上った 慾 は 、自分 に 持てる 筈 は ありません。 けれども 、自分 は 、ハッと しました。

自分 の 眼 の 前 で 、堀木 の 猛烈な キス を 受ける 、その ツネ子 の 身の上 を 、ふびんに 思った から でした。 堀木 に よごさ れた ツネ子 は 、自分 と わかれ なければ なら なく なる だろう 、しかも 自分 に も 、ツネ子 を 引き留める 程 の ポジティヴ な 熱 は 無い 、ああ 、もう 、これ で おしまい な のだ 、と ツネ子 の 不幸に 一瞬 ハッと した もの の 、すぐに 自分 は 水 の ように 素直に あきらめ 、堀木 と ツネ子 の 顔 を 見 較 べ 、に やに や と 笑いました。

しかし 、事態 は 、実に 思いがけなく 、もっと 悪く 展開 せられました。

「やめた!

と 堀木 は 、口 を ゆがめて 言い、

「さすが の おれ も 、こんな 貧乏 くさい 女 に は、……」

閉口 し 切った ように 、腕組み して ツネ子 を じろじろ 眺め 、苦笑 する のでした。

「お 酒 を。 お 金 は 無い」

自分 は 、小声 で ツネ子 に 言いました。 それ こそ 、浴びる ほど 飲んで みたい 気持 でした。 所 謂俗 物 の 眼 から 見る と 、ツネ子 は 酔 漢 の キス に も 価 いし ない 、ただ 、みすぼらしい 、貧乏 くさい 女 だった のでした。 案外 と も 、意外 と も 、自分 に は 霹靂 へ きれ き に 撃ち くだか れた 思い でした。 自分 は 、これ まで 例 の 無かった ほど 、いくら でも 、いくら でも 、お 酒 を 飲み 、ぐらぐら 酔って 、ツネ子 と 顔 を 見合せ 、哀 かなしく 微笑 ほほえみ 合い 、いかにも そう 言われて みる と 、こいつ は へんに 疲れて 貧乏 くさい だけ の 女 だ な 、と 思う と 同時に 、金 の 無い 者 どうし の 親和 (貧富 の 不和 は 、陳腐 の よう でも 、やはり ドラマ の 永遠の テーマ の 一 つ だ と 自分 は 今では 思って います が )そい つ が 、その 親和 感 が 、胸 に 込み上げて 来て 、ツネ子 が いとしく 、生れて この 時 はじめて 、われ から 積極 的に 、微弱 ながら 恋 の 心 の 動く の を 自覚 しました。 吐きました。 前後不覚 に なりました。 お 酒 を 飲んで 、こんなに 我 を 失う ほど 酔った の も 、その 時 が はじめて でした。

眼 が 覚めたら 、枕 もと に ツネ子 が 坐って いました。 本所 の 大工 さん の 二 階 の 部屋 に 寝て いた のでした。

「金 の 切れ め が 縁 の 切れ め 、なんて おっしゃって 、冗談 か と 思う ていた ら 、本気 か。 来て くれ ない のだ もの。 ややこしい 切れ め や な。 うち が 、かせいで あげて も 、だめ か」

「だめ」

それ から 、女 も 休んで 、夜明け が た 、女 の 口 から 「死 」と いう 言葉 が はじめて 出て 、女 も 人間 と して の 営み に 疲れ切って いた ようでした し 、また 、自分 も 、世の中 へ の 恐怖 、わずらわし さ 、金 、れいの 運動 、女 、学業 、考える と 、とても この上 こらえて 生きて 行け そう も なく 、その ひと の 提案 に 気軽に 同意 しました。

けれども 、その 時 に は まだ 、実感 と して の 「死のう 」と いう 覚悟 は 、出来て い なかった のです。 どこ か に 「遊び 」が ひそんで いました。

その 日 の 午前 、二 人 は 浅草 の 六 区 を さまよって いました。 喫茶 店 に はいり 、牛乳 を 飲みました。

「あなた 、払う て 置いて」

自分 は 立って 、袂 たもと から がま口 を 出し 、ひらく と 、銅 銭 が 三 枚 、羞恥 しゅうち より も 凄 惨 せいさん の 思い に 襲わ れ 、たちまち 脳 裡 のうり に 浮ぶ もの は 、仙遊 館 の 自分 の 部屋 、制服 と 蒲 団 だけ が 残されて ある きり で 、あと は もう 、質 草 に なり そうな もの の 一 つ も 無い 荒涼たる 部屋 、他 に は 自分 の いま 着て 歩いて いる 絣 の 着物 と 、マント 、これ が 自分 の 現実 な のだ 、生きて 行け ない 、と はっきり 思い知りました。

自分 が まごついて いる ので 、女 も 立って 、自分 の がま口 を のぞいて、

「あら 、たった それ だけ?

無心の 声 でした が 、これ が また 、じん と 骨身 に こたえる ほど に 痛かった のです。 はじめて 自分 が 、恋した ひと の 声 だけ に 、痛かった のです。 それ だけ も 、これ だけ も ない 、銅 銭 三 枚 は 、どだい お 金 で ありません。 それ は 、自分 が 未 いまだかつて 味わった 事 の 無い 奇妙な 屈辱 でした。 とても 生きて おら れ ない 屈辱 でした。 所詮 しょせん その頃 の 自分 は 、まだ お 金持ち の 坊ちゃん と いう 種 属 から 脱し 切って い なかった のでしょう。 その 時 、自分 は 、みずから すすんで も 死のう と 、実感 と して 決意 した のです。

その 夜 、自分 たち は 、鎌倉 の 海 に 飛び込みました。 女 は 、この 帯 は お 店 の お 友達 から 借りて いる 帯 や から 、と 言って 、帯 を ほどき 、畳んで 岩 の 上 に 置き 、自分 も マント を 脱ぎ 、同じ 所 に 置いて 、一緒に 入 水 じゅ すい しました。

女 の ひと は 、死にました。 そうして 、自分 だけ 助かりました。

自分 が 高等 学校 の 生徒 で は あり 、また 父 の 名 に も いくらか 、所 謂 ニュウス ・ヴァリュ が あった の か 、新聞 に も かなり 大きな 問題 と して 取り上げられた ようでした。

自分 は 海辺 の 病院 に 収容 せられ 、故郷 から 親戚 しんせき の 者 が ひとり 駈 け つけ 、さまざまの 始末 を して くれて 、そうして 、くに の 父 を はじめ 一家 中 が 激怒 して いる から 、これっきり 生家 と は 義 絶 に なる かも 知れ ぬ 、と 自分 に 申し渡して 帰りました。 けれども 自分 は 、そんな 事 より 、死んだ ツネ子 が 恋い しく 、めそめそ 泣いて ばかり いました。 本当に 、いま まで の ひと の 中 で 、あの 貧乏 くさい ツネ子 だけ を 、すきだった のです から。

下宿 の 娘 から 、短歌 を 五十 も 書きつらねた 長い 手紙 が 来ました。 「生き くれよ 」と いう へんな 言葉 で はじまる 短歌 ばかり 、五十 でした。 また 、自分 の 病室 に 、看護 婦 たち が 陽気に 笑い ながら 遊び に 来て 、自分 の 手 を き ゅっと 握って 帰る 看護 婦 も いました。

自分 の 左 肺 に 故障 の ある の を 、その 病院 で 発見 せられ 、これ がたいへん 自分 に 好都合な 事 に なり 、やがて 自分 が 自殺 幇助 ほうじょ 罪 と いう 罪名 で 病院 から 警察 に 連れて 行か れました が 、警察 で は 、自分 を 病人 あつかい に して くれて 、特に 保護 室 に 収容 しました。

深夜 、保護 室 の 隣り の 宿直 室 で 、寝ずの番 を して いた 年寄り の お 巡 まわり が 、間 の ドア を そっと あけ、

「おい!

と 自分 に 声 を かけ、

「寒い だろう。 こっち へ 来て 、あたれ」

と 言いました。

自分 は 、わざと しおしお と 宿直 室 に は いって 行き 、椅子 に 腰かけて 火鉢 に あたりました。

「やはり 、死んだ 女 が 恋い しい だろう」

「はい」

ことさら に 、消え 入る ような 細い 声 で 返事 しました。

「そこ が 、やはり 人情 と いう もの だ」

彼 は 次第に 、大きく 構えて 来ました。

「はじめ 、女 と 関係 を 結んだ の は 、どこ だ」

ほとんど 裁判 官 の 如く 、もったいぶって 尋ねる のでした。 彼 は 、自分 を 子供 と あなどり 、秋 の 夜 の つれ づれ に 、あたかも 彼 自身 が 取調べ の 主任 で も ある か の よう に 装い 、自分 から 猥談 わ い だ ん めいた 述懐 を 引き出そう と いう 魂胆 の ようでした。 自分 は 素早く それ を 察し 、噴き出したい の を 怺 こらえる のに 骨 を 折りました。 そんな お 巡り の 「非公式な 訊問 」に は 、いっさい 答 を 拒否 して も かまわ ない のだ と いう 事 は 、自分 も 知っていました が 、しかし 、秋 の 夜 な が に 興 を 添える ため 、自分 は 、あくまでも 神妙に 、その お 巡り こそ 取調べ の 主任 であって 、刑罰 の 軽重 の 決定 も その お 巡り の 思召 おぼしめし 一 つ に 在る のだ 、と いう 事 を 固く 信じて 疑わ ない ような 所 謂 誠意 を おもて に あらわし 、彼 の 助平 の 好奇心 を 、やや 満足 さ せる 程度 の いい加減な 「陳述 」を する のでした。

「うん 、それ で だいたい わかった。 何でも 正直に 答える と 、わし ら の ほう でも 、そこ は 手心 を 加える」

「ありがとう ございます。 よろしく お 願い いたします」

ほとんど 入 神 の 演技 でした。 そうして 、自分 の ため に は 、何も 、一 つ も 、とくに なら ない 力 演 な のです。

夜 が 明けて 、自分 は 署長 に 呼び出さ れました。 こんど は 、本式 の 取調べ な のです。

ドア を あけて 、署長 室 に は いった とたん に、

「おう 、いい 男 だ。 これ あ 、お前 が 悪い んじゃ ない。 こんな 、いい 男 に 産んだ お前 の おふくろ が 悪い んだ」

色 の 浅黒い 、大学 出 みたいな 感じ の まだ 若い 署長 でした。 いきなり そう 言われて 自分 は 、自分 の 顔 の 半面 に べったり 赤 痣 あか あざ で も ある ような 、みにくい 不 具 者 の ような 、みじめな 気 が しました。

この 柔道 か 剣道 の 選手 の ような 署長 の 取調べ は 、実に あっさり して いて 、あの 深夜 の 老 巡査 の ひそかな 、執拗 しつよう きわまる 好 色 の 「取調べ 」と は 、雲泥 の 差 が ありました。 訊問 が すんで 、署長 は 、検事 局 に 送る 書類 を したため ながら、

「からだ を 丈夫に し なけ れ ゃ 、いかん ね。 血 痰 けった ん が 出て いる ようじゃ ない か」

と 言いました。

その 朝 、へんに 咳 せき が 出て 、自分 は 咳 の 出る たび に 、ハンケチ で 口 を 覆って いた のです が 、その ハンケチ に 赤い 霰 あられ が 降った みたいに 血 が ついて いた のです。 けれども 、それ は 、喉 のど から 出た 血 で は なく 、昨夜 、耳 の 下 に 出来た 小さい おでき を いじって 、その おでき から 出た 血 な のでした。 しかし 、自分 は 、それ を 言い 明 さ ない ほう が 、便宜 な 事 も ある ような 気 が ふっと した もの です から 、ただ、

「はい」

と 、伏 眼 に なり 、殊勝 げ に 答えて 置きました。

署長 は 書類 を 書き 終えて、

「起訴 に なる か どう か 、それ は 検事 殿 が きめる こと だ が 、お前 の 身元 引受 人 に 、電報 か 電話 で 、きょう 横浜 の 検事 局 に 来て もらう ように 、たのんだ ほう が いい な。 誰 か 、ある だろう 、お前 の 保護 者 と か 保証人 と か いう もの が」

父 の 東京 の 別荘 に 出入り して いた 書画 骨董 こっとう 商 の 渋田 と いう 、自分 たち と 同郷 人 で 、父 のたいこ 持ち みたいな 役 も 勤めて いた ずんぐり した 独身 の 四十 男 が 、自分 の 学校 の 保証人 に なって いる の を 、自分 は 思い出しました。 その 男 の 顔 が 、殊に 眼 つき が 、ヒラメ に 似て いる と いう ので 、父 は いつも その 男 を ヒラメ と 呼び 、自分 も 、そう 呼び なれて いました。

自分 は 警察 の 電話 帳 を 借りて 、ヒラメ の 家 の 電話 番号 を 捜し 、見つかった ので 、ヒラメ に 電話 して 、横浜 の 検事 局 に 来て くれる ように 頼みましたら 、ヒラメ は 人 が 変った みたいな 威張った 口調 で 、それ でも 、とにかく 引受けて くれました。

「おい 、その 電話 機 、すぐ 消毒 した ほう が いい ぜ。 何せ 、血 痰 が 出て いる んだ から」

自分 が 、また 保護 室 に 引き上げて から 、お 巡り たち に そう 言いつけて いる 署長 の 大きな 声 が 、保護 室 に 坐って いる 自分 の 耳 に まで 、とどきました。

お 昼 すぎ 、自分 は 、細い 麻 繩 で 胴 を 縛ら れ 、それ は マント で 隠す こと を 許さ れました が 、その 麻 繩 の 端 を 若い お 巡り が 、しっかり 握って いて 、二 人 一緒に 電車 で 横浜 に 向 いました。

けれども 、自分 に は 少し の 不安 も 無く 、あの 警察 の 保護 室 も 、老 巡査 も なつかしく 、嗚呼 ああ 、自分 は どうして こう な のでしょう 、罪人 と して 縛ら れる と 、かえって ほっと して 、そうして ゆったり 落ちついて 、その 時 の 追憶 を 、いま 書く に 当って も 、本当に のびのび した 楽しい 気持 に なる のです。

しかし 、その 時期 の なつかしい 思い出 の 中 に も 、たった 一 つ 、冷 汗 三 斗 の 、生涯 わすれられ ぬ 悲惨な しくじり が あった のです。 自分 は 、検事 局 の 薄暗い 一室 で 、検事 の 簡単な 取調べ を 受けました。 検事 は 四十 歳 前後 の 物静かな 、(もし 自分 が 美貌 だった と して も 、それ は 謂 いわば 邪 淫 の 美貌 だった に 違い ありません が 、その 検事 の 顔 は 、正しい 美貌 、と でも 言いたい ような 、聡明な 静 謐 せいひ つ の 気配 を 持って いました )コセコセ し ない 人柄 の ようでした ので 、自分 も 全く 警戒 せ ず 、ぼんやり 陳述 して いた のです が 、突然 、れいの 咳 が 出て 来て 、自分 は 袂 から ハンケチ を 出し 、ふと その 血 を 見て 、この 咳 も また 何 か の 役 に 立つ かも 知れ ぬ と あさましい 駈引 き の 心 を 起し 、ゴホン 、ゴホン と 二 つ ばかり 、おまけ の 贋 に せ の 咳 を 大袈裟 おおげさ に 附 け 加えて 、ハンケチ で 口 を 覆った まま 検事 の 顔 を ちら と 見た 、間一髪、 「ほんとう かい? ものしずかな 微笑 でした。 冷 汗 三 斗 、いいえ 、いま 思い出して も 、きりきり舞い を し たく なります。 中学 時代 に 、あの 馬鹿 の 竹一 から 、ワザ 、ワザ 、と 言われて 脊中 せなか を 突か れ 、地獄 に 蹴落 けおとさ れた 、その 時 の 思い 以上 と 言って も 、決して 過言 で は 無い 気持 です。 あれ と 、これ と 、二 つ 、自分 の 生涯 に 於 ける 演技 の 大 失敗 の 記録 です。 検事 の あんな 物静かな 侮 蔑 ぶ べつに 遭う より は 、いっそ 自分 は 十 年 の 刑 を 言い渡さ れた ほう が 、ましだった と 思う 事 さえ 、時たま ある 程 な のです。 自分 は 起訴 猶予 に なりました。 けれども 一向に うれしく なく 、世にも みじめな 気持 で 、検事 局 の 控室 の ベンチ に 腰かけ 、引取り 人 の ヒラメ が 来る の を 待って いました。 背後 の 高い 窓 から 夕焼け の 空 が 見え 、鴎 かもめ が 、「女 」と いう 字 みたいな 形 で 飛んで いました。

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第 二 の 手記 (6) だい|ふた||しゅき Second Memorandum (6) 두 번째 수기 (6) 第二注 (6) 第二註 (6)

惜しい と いう 気持 では ありません でした。 おしい|||きもち||あり ませ ん| 自分 に は 、もともと 所有 慾 と いう もの は 薄く 、また 、たまに 幽 か に 惜しむ 気持 は あって も 、その 所有 権 を 敢然と 主張 し 、人 と 争う ほど の 気力 が 無い のでした。 じぶん||||しょゆう|よく|||||うすく|||ゆう|||おしむ|きもち|||||しょゆう|けん||かんぜんと|しゅちょう||じん||あらそう|||きりょく||ない| Originally, I had little desire to own things, and although I sometimes felt a faint regret, I didn't have the energy to boldly assert my ownership or fight with others. のち に 、自分 は 、自分 の 内縁 の 妻 が 犯さ れる の を 、黙って 見て いた 事 さえ あった ほど な のです。 ||じぶん||じぶん||ないえん||つま||おかさ||||だまって|みて||こと||||| Later on, I even watched in silence as my common-law wife was raped.

自分 は 、人間 の いざこざ に 出来る だけ 触り たく ない のでした。 じぶん||にんげん||||できる||さわり||| I didn't want to get involved in human conflicts as much as possible. その 渦 に 巻き込ま れる の が 、おそろしい のでした。 |うず||まきこま||||| ツネ子 と 自分 と は 、一夜 だけ の 間柄 です。 つねこ||じぶん|||いちや|||あいだがら| ツネ子 は 、自分 の もの では ありません。 つねこ||じぶん||||あり ませ ん 惜しい 、など 思い上った 慾 は 、自分 に 持てる 筈 は ありません。 おしい||おもいあがった|よく||じぶん||もてる|はず||あり ませ ん けれども 、自分 は 、ハッと しました。 |じぶん||はっと|し ました

自分 の 眼 の 前 で 、堀木 の 猛烈な キス を 受ける 、その ツネ子 の 身の上 を 、ふびんに 思った から でした。 じぶん||がん||ぜん||ほりき||もうれつな|きす||うける||つねこ||みのうえ|||おもった|| 堀木 に よごさ れた ツネ子 は 、自分 と わかれ なければ なら なく なる だろう 、しかも 自分 に も 、ツネ子 を 引き留める 程 の ポジティヴ な 熱 は 無い 、ああ 、もう 、これ で おしまい な のだ 、と ツネ子 の 不幸に 一瞬 ハッと した もの の 、すぐに 自分 は 水 の ように 素直に あきらめ 、堀木 と ツネ子 の 顔 を 見 較 べ 、に やに や と 笑いました。 ほりき||||つねこ||じぶん|||||||||じぶん|||つねこ||ひきとめる|ほど||||ねつ||ない|||||||||つねこ||ふこうに|いっしゅん|はっと|||||じぶん||すい|||すなおに||ほりき||つねこ||かお||み|かく||||||わらい ました

しかし 、事態 は 、実に 思いがけなく 、もっと 悪く 展開 せられました。 |じたい||じつに|おもいがけなく||わるく|てんかい|せら れ ました

「やめた!

と 堀木 は 、口 を ゆがめて 言い、 |ほりき||くち|||いい Horiki distorted his mouth and said,

「さすが の おれ も 、こんな 貧乏 くさい 女 に は、……」 |||||びんぼう||おんな||

閉口 し 切った ように 、腕組み して ツネ子 を じろじろ 眺め 、苦笑 する のでした。 へいこう||きった||うでぐみ||つねこ|||ながめ|くしょう||

「お 酒 を。 |さけ| お 金 は 無い」 |きむ||ない

自分 は 、小声 で ツネ子 に 言いました。 じぶん||こごえ||つねこ||いい ました それ こそ 、浴びる ほど 飲んで みたい 気持 でした。 ||あびる||のんで||きもち| That was the feeling that I wanted to drink as much as I could bathe. 所 謂俗 物 の 眼 から 見る と 、ツネ子 は 酔 漢 の キス に も 価 いし ない 、ただ 、みすぼらしい 、貧乏 くさい 女 だった のでした。 しょ|いぞく|ぶつ||がん||みる||つねこ||よ|かん||きす|||か|||||びんぼう||おんな|| 案外 と も 、意外 と も 、自分 に は 霹靂 へ きれ き に 撃ち くだか れた 思い でした。 あんがい|||いがい|||じぶん|||へきれき|||||うち|||おもい| 自分 は 、これ まで 例 の 無かった ほど 、いくら でも 、いくら でも 、お 酒 を 飲み 、ぐらぐら 酔って 、ツネ子 と 顔 を 見合せ 、哀 かなしく 微笑 ほほえみ 合い 、いかにも そう 言われて みる と 、こいつ は へんに 疲れて 貧乏 くさい だけ の 女 だ な 、と 思う と 同時に 、金 の 無い 者 どうし の 親和 (貧富 の 不和 は 、陳腐 の よう でも 、やはり ドラマ の 永遠の テーマ の 一 つ だ と 自分 は 今では 思って います が )そい つ が 、その 親和 感 が 、胸 に 込み上げて 来て 、ツネ子 が いとしく 、生れて この 時 はじめて 、われ から 積極 的に 、微弱 ながら 恋 の 心 の 動く の を 自覚 しました。 じぶん||||れい||なかった|||||||さけ||のみ||よって|つねこ||かお||みあわせ|あい||びしょう||あい|||いわ れて||||||つかれて|びんぼう||||おんな||||おもう||どうじに|きむ||ない|もの|どう し||しんわ|ひんぷ||ふわ||ちんぷ|||||どらま||えいえんの|てーま||ひと||||じぶん||いまでは|おもって|い ます||||||しんわ|かん||むね||こみあげて|きて|つねこ|||うまれて||じ||||せっきょく|てきに|びじゃく||こい||こころ||うごく|||じかく|し ました 吐きました。 はき ました 前後不覚 に なりました。 ぜんごふかく||なり ました お 酒 を 飲んで 、こんなに 我 を 失う ほど 酔った の も 、その 時 が はじめて でした。 |さけ||のんで||われ||うしなう||よった||||じ|||

眼 が 覚めたら 、枕 もと に ツネ子 が 坐って いました。 がん||さめたら|まくら|||つねこ||すわって|い ました 本所 の 大工 さん の 二 階 の 部屋 に 寝て いた のでした。 ほんじょ||だいく|||ふた|かい||へや||ねて||

「金 の 切れ め が 縁 の 切れ め 、なんて おっしゃって 、冗談 か と 思う ていた ら 、本気 か。 きむ||きれ|||えん||きれ||||じょうだん|||おもう|||ほんき| 来て くれ ない のだ もの。 きて|||| They won't come. ややこしい 切れ め や な。 |きれ||| It's a confusing cut. うち が 、かせいで あげて も 、だめ か」 Is it no good if I give it to you?"

「だめ」

それ から 、女 も 休んで 、夜明け が た 、女 の 口 から 「死 」と いう 言葉 が はじめて 出て 、女 も 人間 と して の 営み に 疲れ切って いた ようでした し 、また 、自分 も 、世の中 へ の 恐怖 、わずらわし さ 、金 、れいの 運動 、女 、学業 、考える と 、とても この上 こらえて 生きて 行け そう も なく 、その ひと の 提案 に 気軽に 同意 しました。 ||おんな||やすんで|よあけ|||おんな||くち||し|||ことば|||でて|おんな||にんげん||||いとなみ||つかれきって|||||じぶん||よのなか|||きょうふ|||きむ||うんどう|おんな|がくぎょう|かんがえる|||このうえ||いきて|いけ|||||||ていあん||きがるに|どうい|し ました After that, the woman took a rest, and dawn came, and the word "death" came out of her mouth for the first time. When I thought about the fear of the world, the hassles, the money, the youth movement, women, and schoolwork, I couldn't possibly live with it any more, so I casually agreed with that person's suggestion.

けれども 、その 時 に は まだ 、実感 と して の 「死のう 」と いう 覚悟 は 、出来て い なかった のです。 ||じ||||じっかん||||しのう|||かくご||できて||| どこ か に 「遊び 」が ひそんで いました。 |||あそび|||い ました

その 日 の 午前 、二 人 は 浅草 の 六 区 を さまよって いました。 |ひ||ごぜん|ふた|じん||あさくさ||むっ|く|||い ました 喫茶 店 に はいり 、牛乳 を 飲みました。 きっさ|てん|||ぎゅうにゅう||のみ ました

「あなた 、払う て 置いて」 |はらう||おいて

自分 は 立って 、袂 たもと から がま口 を 出し 、ひらく と 、銅 銭 が 三 枚 、羞恥 しゅうち より も 凄 惨 せいさん の 思い に 襲わ れ 、たちまち 脳 裡 のうり に 浮ぶ もの は 、仙遊 館 の 自分 の 部屋 、制服 と 蒲 団 だけ が 残されて ある きり で 、あと は もう 、質 草 に なり そうな もの の 一 つ も 無い 荒涼たる 部屋 、他 に は 自分 の いま 着て 歩いて いる 絣 の 着物 と 、マント 、これ が 自分 の 現実 な のだ 、生きて 行け ない 、と はっきり 思い知りました。 じぶん||たって|たもと|||がまぐち||だし|||どう|せん||みっ|まい|しゅうち||||すご|さん|||おもい||おそわ|||のう|り|||うかぶ|||せんゆう|かん||じぶん||へや|せいふく||がま|だん|||のこさ れて|||||||しち|くさ|||そう な|||ひと|||ない|こうりょうたる|へや|た|||じぶん|||きて|あるいて||かすり||きもの||まんと|||じぶん||げんじつ|||いきて|いけ||||おもいしり ました

自分 が まごついて いる ので 、女 も 立って 、自分 の がま口 を のぞいて、 じぶん|||||おんな||たって|じぶん||がまぐち||

「あら 、たった それ だけ?

無心の 声 でした が 、これ が また 、じん と 骨身 に こたえる ほど に 痛かった のです。 むしんの|こえ||||||||ほねみ|||||いたかった| It was an innocent voice, but it was also painful enough to respond to my bones. はじめて 自分 が 、恋した ひと の 声 だけ に 、痛かった のです。 |じぶん||こいした|||こえ|||いたかった| For the first time, I was hurt only by the voice of the person I fell in love with. それ だけ も 、これ だけ も ない 、銅 銭 三 枚 は 、どだい お 金 で ありません。 |||||||どう|せん|みっ|まい||||きむ||あり ませ ん それ は 、自分 が 未 いまだかつて 味わった 事 の 無い 奇妙な 屈辱 でした。 ||じぶん||み||あじわった|こと||ない|きみょうな|くつじょく| とても 生きて おら れ ない 屈辱 でした。 |いきて||||くつじょく| 所詮 しょせん その頃 の 自分 は 、まだ お 金持ち の 坊ちゃん と いう 種 属 から 脱し 切って い なかった のでしょう。 しょせん||そのころ||じぶん||||かねもち||ぼっちゃん|||しゅ|ぞく||だっし|きって||| After all, at that time, I probably still hadn't gotten out of the genus called a rich boy. その 時 、自分 は 、みずから すすんで も 死のう と 、実感 と して 決意 した のです。 |じ|じぶん|||||しのう||じっかん|||けつい||

その 夜 、自分 たち は 、鎌倉 の 海 に 飛び込みました。 |よ|じぶん|||かまくら||うみ||とびこみ ました 女 は 、この 帯 は お 店 の お 友達 から 借りて いる 帯 や から 、と 言って 、帯 を ほどき 、畳んで 岩 の 上 に 置き 、自分 も マント を 脱ぎ 、同じ 所 に 置いて 、一緒に 入 水 じゅ すい しました。 おんな|||おび|||てん|||ともだち||かりて||おび||||いって|おび|||たたんで|いわ||うえ||おき|じぶん||まんと||ぬぎ|おなじ|しょ||おいて|いっしょに|はい|すい|||し ました The woman said that this obi was borrowed from a friend at the store, so she untied the obi, folded it, and placed it on a rock. I entered the water.

女 の ひと は 、死にました。 おんな||||しに ました A woman died. そうして 、自分 だけ 助かりました。 |じぶん||たすかり ました

自分 が 高等 学校 の 生徒 で は あり 、また 父 の 名 に も いくらか 、所 謂 ニュウス ・ヴァリュ が あった の か 、新聞 に も かなり 大きな 問題 と して 取り上げられた ようでした。 じぶん||こうとう|がっこう||せいと|||||ちち||な||||しょ|い|||||||しんぶん||||おおきな|もんだい|||とりあげ られた| Perhaps because I was a high school student and because my father's name had something to do with the so-called Nuus Valu, the newspapers seemed to have taken up this as a fairly big problem.

自分 は 海辺 の 病院 に 収容 せられ 、故郷 から 親戚 しんせき の 者 が ひとり 駈 け つけ 、さまざまの 始末 を して くれて 、そうして 、くに の 父 を はじめ 一家 中 が 激怒 して いる から 、これっきり 生家 と は 義 絶 に なる かも 知れ ぬ 、と 自分 に 申し渡して 帰りました。 じぶん||うみべ||びょういん||しゅうよう|せら れ|こきょう||しんせき|||もの|||く||||しまつ|||||||ちち|||いっか|なか||げきど||||これ っきり|せいか|||ただし|た||||しれ|||じぶん||もうしわたして|かえり ました I was put in a hospital by the sea, and one of my relatives from my hometown ran up to me and took care of me. I told myself that the family I was born in might end up in ruin, so I went home. けれども 自分 は 、そんな 事 より 、死んだ ツネ子 が 恋い しく 、めそめそ 泣いて ばかり いました。 |じぶん|||こと||しんだ|つねこ||こい|||ないて||い ました 本当に 、いま まで の ひと の 中 で 、あの 貧乏 くさい ツネ子 だけ を 、すきだった のです から。 ほんとうに||||||なか|||びんぼう||つねこ|||||

下宿 の 娘 から 、短歌 を 五十 も 書きつらねた 長い 手紙 が 来ました。 げしゅく||むすめ||たんか||ごじゅう||かきつらねた|ながい|てがみ||き ました 「生き くれよ 」と いう へんな 言葉 で はじまる 短歌 ばかり 、五十 でした。 いき|||||ことば|||たんか||ごじゅう| また 、自分 の 病室 に 、看護 婦 たち が 陽気に 笑い ながら 遊び に 来て 、自分 の 手 を き ゅっと 握って 帰る 看護 婦 も いました。 |じぶん||びょうしつ||かんご|ふ|||ようきに|わらい||あそび||きて|じぶん||て|||ゅっ と|にぎって|かえる|かんご|ふ||い ました

自分 の 左 肺 に 故障 の ある の を 、その 病院 で 発見 せられ 、これ がたいへん 自分 に 好都合な 事 に なり 、やがて 自分 が 自殺 幇助 ほうじょ 罪 と いう 罪名 で 病院 から 警察 に 連れて 行か れました が 、警察 で は 、自分 を 病人 あつかい に して くれて 、特に 保護 室 に 収容 しました。 じぶん||ひだり|はい||こしょう||||||びょういん||はっけん|せら れ||が たいへん|じぶん||こうつごうな|こと||||じぶん||じさつ|ほうじょ||ざい|||ざいめい||びょういん||けいさつ||つれて|いか|れ ました||けいさつ|||じぶん||びょうにん|||||とくに|ほご|しつ||しゅうよう|し ました

深夜 、保護 室 の 隣り の 宿直 室 で 、寝ずの番 を して いた 年寄り の お 巡 まわり が 、間 の ドア を そっと あけ、 しんや|ほご|しつ||となり||しゅくちょく|しつ||ねずのばん||||としより|||めぐり|||あいだ||どあ|||

「おい!

と 自分 に 声 を かけ、 |じぶん||こえ||

「寒い だろう。 さむい| こっち へ 来て 、あたれ」 ||きて|

と 言いました。 |いい ました

自分 は 、わざと しおしお と 宿直 室 に は いって 行き 、椅子 に 腰かけて 火鉢 に あたりました。 じぶん|||||しゅくちょく|しつ||||いき|いす||こしかけて|ひばち||あたり ました

「やはり 、死んだ 女 が 恋い しい だろう」 |しんだ|おんな||こい||

「はい」

ことさら に 、消え 入る ような 細い 声 で 返事 しました。 ||きえ|はいる||ほそい|こえ||へんじ|し ました

「そこ が 、やはり 人情 と いう もの だ」 |||にんじょう||||

彼 は 次第に 、大きく 構えて 来ました。 かれ||しだいに|おおきく|かまえて|き ました

「はじめ 、女 と 関係 を 結んだ の は 、どこ だ」 |おんな||かんけい||むすんだ||||

ほとんど 裁判 官 の 如く 、もったいぶって 尋ねる のでした。 |さいばん|かん||ごとく||たずねる| He asked, almost like a judge, pompously. 彼 は 、自分 を 子供 と あなどり 、秋 の 夜 の つれ づれ に 、あたかも 彼 自身 が 取調べ の 主任 で も ある か の よう に 装い 、自分 から 猥談 わ い だ ん めいた 述懐 を 引き出そう と いう 魂胆 の ようでした。 かれ||じぶん||こども|||あき||よ||||||かれ|じしん||とりしらべ||しゅにん||||||||よそおい|じぶん||わいだん||||||じゅっかい||ひきだそう|||こんたん|| 自分 は 素早く それ を 察し 、噴き出したい の を 怺 こらえる のに 骨 を 折りました。 じぶん||すばやく|||さっし|ふきだし たい||||||こつ||おり ました そんな お 巡り の 「非公式な 訊問 」に は 、いっさい 答 を 拒否 して も かまわ ない のだ と いう 事 は 、自分 も 知っていました が 、しかし 、秋 の 夜 な が に 興 を 添える ため 、自分 は 、あくまでも 神妙に 、その お 巡り こそ 取調べ の 主任 であって 、刑罰 の 軽重 の 決定 も その お 巡り の 思召 おぼしめし 一 つ に 在る のだ 、と いう 事 を 固く 信じて 疑わ ない ような 所 謂 誠意 を おもて に あらわし 、彼 の 助平 の 好奇心 を 、やや 満足 さ せる 程度 の いい加減な 「陳述 」を する のでした。 ||めぐり||ひこうしきな|じんもん||||こたえ||きょひ||||||||こと||じぶん||しってい ました|||あき||よ||||きょう||そえる||じぶん|||しんみょうに|||めぐり||とりしらべ||しゅにん||けいばつ||けいちょう||けってい||||めぐり||おぼしめし||ひと|||ある||||こと||かたく|しんじて|うたがわ|||しょ|い|せいい|||||かれ||じょたいら||こうきしん|||まんぞく|||ていど||いいかげんな|ちんじゅつ|||

「うん 、それ で だいたい わかった。 何でも 正直に 答える と 、わし ら の ほう でも 、そこ は 手心 を 加える」 なんでも|しょうじきに|こたえる|||||||||てごころ||くわえる

「ありがとう ございます。 よろしく お 願い いたします」 ||ねがい|いたし ます

ほとんど 入 神 の 演技 でした。 |はい|かみ||えんぎ| そうして 、自分 の ため に は 、何も 、一 つ も 、とくに なら ない 力 演 な のです。 |じぶん|||||なにも|ひと||||||ちから|えん|| Then, for my own sake, nothing, nothing in particular, is a powerful performance.

夜 が 明けて 、自分 は 署長 に 呼び出さ れました。 よ||あけて|じぶん||しょちょう||よびださ|れ ました こんど は 、本式 の 取調べ な のです。 ||ほんしき||とりしらべ||

ドア を あけて 、署長 室 に は いった とたん に、 どあ|||しょちょう|しつ|||||

「おう 、いい 男 だ。 ||おとこ| これ あ 、お前 が 悪い んじゃ ない。 ||おまえ||わるい|| こんな 、いい 男 に 産んだ お前 の おふくろ が 悪い んだ」 ||おとこ||うんだ|おまえ||||わるい| It's your mother's fault for giving birth to such a good man."

色 の 浅黒い 、大学 出 みたいな 感じ の まだ 若い 署長 でした。 いろ||あさぐろい|だいがく|だ||かんじ|||わかい|しょちょう| He was a young chief who was dark in color and felt like he was out of college. いきなり そう 言われて 自分 は 、自分 の 顔 の 半面 に べったり 赤 痣 あか あざ で も ある ような 、みにくい 不 具 者 の ような 、みじめな 気 が しました。 ||いわ れて|じぶん||じぶん||かお||はんめん|||あか|あざ||||||||ふ|つぶさ|もの||||き||し ました

この 柔道 か 剣道 の 選手 の ような 署長 の 取調べ は 、実に あっさり して いて 、あの 深夜 の 老 巡査 の ひそかな 、執拗 しつよう きわまる 好 色 の 「取調べ 」と は 、雲泥 の 差 が ありました。 |じゅうどう||けんどう||せんしゅ|||しょちょう||とりしらべ||じつに|||||しんや||ろう|じゅんさ|||しつよう|||よしみ|いろ||とりしらべ|||うんでい||さ||あり ました 訊問 が すんで 、署長 は 、検事 局 に 送る 書類 を したため ながら、 じんもん|||しょちょう||けんじ|きょく||おくる|しょるい||した ため|

「からだ を 丈夫に し なけ れ ゃ 、いかん ね。 ||じょうぶに|||||| "I have to keep my body strong. 血 痰 けった ん が 出て いる ようじゃ ない か」 ち|たん||||でて||||

と 言いました。 |いい ました

その 朝 、へんに 咳 せき が 出て 、自分 は 咳 の 出る たび に 、ハンケチ で 口 を 覆って いた のです が 、その ハンケチ に 赤い 霰 あられ が 降った みたいに 血 が ついて いた のです。 |あさ||せき|||でて|じぶん||せき||でる|||||くち||おおって|||||||あかい|あられ|あら れ||ふった||ち|||| けれども 、それ は 、喉 のど から 出た 血 で は なく 、昨夜 、耳 の 下 に 出来た 小さい おでき を いじって 、その おでき から 出た 血 な のでした。 |||のど|||でた|ち||||さくや|みみ||した||できた|ちいさい|||||||でた|ち|| しかし 、自分 は 、それ を 言い 明 さ ない ほう が 、便宜 な 事 も ある ような 気 が ふっと した もの です から 、ただ、 |じぶん||||いい|あき|||||べんぎ||こと||||き|||||||

「はい」

と 、伏 眼 に なり 、殊勝 げ に 答えて 置きました。 |ふ|がん|||しゅしょう|||こたえて|おき ました I turned downcast eyes and answered auspiciously.

署長 は 書類 を 書き 終えて、 しょちょう||しょるい||かき|おえて

「起訴 に なる か どう か 、それ は 検事 殿 が きめる こと だ が 、お前 の 身元 引受 人 に 、電報 か 電話 で 、きょう 横浜 の 検事 局 に 来て もらう ように 、たのんだ ほう が いい な。 きそ||||||||けんじ|しんがり||||||おまえ||みもと|ひきうけ|じん||でんぽう||でんわ|||よこはま||けんじ|きょく||きて||||||| "Whether or not you will be indicted is for the public prosecutor to decide, but you should ask your sponsor to come to the public prosecutor's office in Yokohama today by telegram or telephone. 誰 か 、ある だろう 、お前 の 保護 者 と か 保証人 と か いう もの が」 だれ||||おまえ||ほご|もの|||ほしょうにん|||||

父 の 東京 の 別荘 に 出入り して いた 書画 骨董 こっとう 商 の 渋田 と いう 、自分 たち と 同郷 人 で 、父 のたいこ 持ち みたいな 役 も 勤めて いた ずんぐり した 独身 の 四十 男 が 、自分 の 学校 の 保証人 に なって いる の を 、自分 は 思い出しました。 ちち||とうきょう||べっそう||でいり|||しょが|こっとう||しょう||しぶた|||じぶん|||どうきょう|じん||ちち|の たいこ|もち||やく||つとめて||||どくしん||しじゅう|おとこ||じぶん||がっこう||ほしょうにん||||||じぶん||おもいだし ました その 男 の 顔 が 、殊に 眼 つき が 、ヒラメ に 似て いる と いう ので 、父 は いつも その 男 を ヒラメ と 呼び 、自分 も 、そう 呼び なれて いました。 |おとこ||かお||ことに|がん|||ひらめ||にて|||||ちち||||おとこ||ひらめ||よび|じぶん|||よび||い ました

自分 は 警察 の 電話 帳 を 借りて 、ヒラメ の 家 の 電話 番号 を 捜し 、見つかった ので 、ヒラメ に 電話 して 、横浜 の 検事 局 に 来て くれる ように 頼みましたら 、ヒラメ は 人 が 変った みたいな 威張った 口調 で 、それ でも 、とにかく 引受けて くれました。 じぶん||けいさつ||でんわ|ちょう||かりて|ひらめ||いえ||でんわ|ばんごう||さがし|みつかった||ひらめ||でんわ||よこはま||けんじ|きょく||きて|||たのみ ましたら|ひらめ||じん||かわった||いばった|くちょう|||||ひきうけて|くれ ました

「おい 、その 電話 機 、すぐ 消毒 した ほう が いい ぜ。 ||でんわ|き||しょうどく||||| 何せ 、血 痰 が 出て いる んだ から」 なにせ|ち|たん||でて|||

自分 が 、また 保護 室 に 引き上げて から 、お 巡り たち に そう 言いつけて いる 署長 の 大きな 声 が 、保護 室 に 坐って いる 自分 の 耳 に まで 、とどきました。 じぶん|||ほご|しつ||ひきあげて|||めぐり||||いいつけて||しょちょう||おおきな|こえ||ほご|しつ||すわって||じぶん||みみ|||とどき ました

お 昼 すぎ 、自分 は 、細い 麻 繩 で 胴 を 縛ら れ 、それ は マント で 隠す こと を 許さ れました が 、その 麻 繩 の 端 を 若い お 巡り が 、しっかり 握って いて 、二 人 一緒に 電車 で 横浜 に 向 いました。 |ひる||じぶん||ほそい|あさ|なわ||どう||しばら||||まんと||かくす|||ゆるさ|れ ました|||あさ|なわ||はし||わかい||めぐり|||にぎって||ふた|じん|いっしょに|でんしゃ||よこはま||むかい|い ました

けれども 、自分 に は 少し の 不安 も 無く 、あの 警察 の 保護 室 も 、老 巡査 も なつかしく 、嗚呼 ああ 、自分 は どうして こう な のでしょう 、罪人 と して 縛ら れる と 、かえって ほっと して 、そうして ゆったり 落ちついて 、その 時 の 追憶 を 、いま 書く に 当って も 、本当に のびのび した 楽しい 気持 に なる のです。 |じぶん|||すこし||ふあん||なく||けいさつ||ほご|しつ||ろう|じゅんさ|||ああ||じぶん||||||ざいにん|||しばら||||||||おちついて||じ||ついおく|||かく||あたって||ほんとうに|||たのしい|きもち|||

しかし 、その 時期 の なつかしい 思い出 の 中 に も 、たった 一 つ 、冷 汗 三 斗 の 、生涯 わすれられ ぬ 悲惨な しくじり が あった のです。 ||じき|||おもいで||なか||||ひと||ひや|あせ|みっ|と||しょうがい|わすれ られ||ひさんな|||| 自分 は 、検事 局 の 薄暗い 一室 で 、検事 の 簡単な 取調べ を 受けました。 じぶん||けんじ|きょく||うすぐらい|いっしつ||けんじ||かんたんな|とりしらべ||うけ ました I had a brief interrogation by the prosecutor in a dimly lit room at the prosecutor's office. 検事 は 四十 歳 前後 の 物静かな 、(もし 自分 が 美貌 だった と して も 、それ は 謂 いわば 邪 淫 の 美貌 だった に 違い ありません が 、その 検事 の 顔 は 、正しい 美貌 、と でも 言いたい ような 、聡明な 静 謐 せいひ つ の 気配 を 持って いました )コセコセ し ない 人柄 の ようでした ので 、自分 も 全く 警戒 せ ず 、ぼんやり 陳述 して いた のです が 、突然 、れいの 咳 が 出て 来て 、自分 は 袂 から ハンケチ を 出し 、ふと その 血 を 見て 、この 咳 も また 何 か の 役 に 立つ かも 知れ ぬ と あさましい 駈引 き の 心 を 起し 、ゴホン 、ゴホン と 二 つ ばかり 、おまけ の 贋 に せ の 咳 を 大袈裟 おおげさ に 附 け 加えて 、ハンケチ で 口 を 覆った まま 検事 の 顔 を ちら と 見た 、間一髪、 けんじ||しじゅう|さい|ぜんご||ものしずかな||じぶん||びぼう|||||||い||じゃ|いん||びぼう|||ちがい|あり ませ ん|||けんじ||かお||ただしい|びぼう|||いい たい||そうめいな|せい|ひつ||||けはい||もって|い ました|こせこせ|||ひとがら||||じぶん||まったく|けいかい||||ちんじゅつ|||||とつぜん||せき||でて|きて|じぶん||たもと||||だし|||ち||みて||せき|||なん|||やく||たつ||しれ||||くひき|||こころ||おこし||||ふた|||||がん||||せき||おおげさ|||ふ||くわえて|||くち||おおった||けんじ||かお||||みた|かんいっぱつ 「ほんとう かい? ものしずかな 微笑 でした。 |びしょう| 冷 汗 三 斗 、いいえ 、いま 思い出して も 、きりきり舞い を し たく なります。 ひや|あせ|みっ|と|||おもいだして||きりきりまい||||なり ます 中学 時代 に 、あの 馬鹿 の 竹一 から 、ワザ 、ワザ 、と 言われて 脊中 せなか を 突か れ 、地獄 に 蹴落 けおとさ れた 、その 時 の 思い 以上 と 言って も 、決して 過言 で は 無い 気持 です。 ちゅうがく|じだい|||ばか||たけいち|||||いわ れて|せきなか|||つか||じごく||けおと||||じ||おもい|いじょう||いって||けっして|かごん|||ない|きもち| あれ と 、これ と 、二 つ 、自分 の 生涯 に 於 ける 演技 の 大 失敗 の 記録 です。 ||||ふた||じぶん||しょうがい||お||えんぎ||だい|しっぱい||きろく| 検事 の あんな 物静かな 侮 蔑 ぶ べつに 遭う より は 、いっそ 自分 は 十 年 の 刑 を 言い渡さ れた ほう が 、ましだった と 思う 事 さえ 、時たま ある 程 な のです。 けんじ|||ものしずかな|あなど|さげす|||あう||||じぶん||じゅう|とし||けい||いいわたさ||||||おもう|こと||ときたま||ほど|| 自分 は 起訴 猶予 に なりました。 じぶん||きそ|ゆうよ||なり ました I have been deferred prosecution. けれども 一向に うれしく なく 、世にも みじめな 気持 で 、検事 局 の 控室 の ベンチ に 腰かけ 、引取り 人 の ヒラメ が 来る の を 待って いました。 |いっこうに|||よにも||きもち||けんじ|きょく||ひかえしつ||べんち||こしかけ|ひきとり|じん||ひらめ||くる|||まって|い ました 背後 の 高い 窓 から 夕焼け の 空 が 見え 、鴎 かもめ が 、「女 」と いう 字 みたいな 形 で 飛んで いました。 はいご||たかい|まど||ゆうやけ||から||みえ|かもめ|||おんな|||あざ||かた||とんで|い ました

[#改頁] かいぺいじ