葛飾 北斎 (14)
こんにちは 。人 から 分かる 3 分 美術 史 。今日 は 葛飾 北斎 に ついて 勉強 して いきましょう 。
葛飾 北斎 。1760 年 生まれ 。浮世絵師 であり 、世界的に 最も 有名な 日本の 画家 です 。
北斎 は 、江戸 から ほど 近い 武蔵国 の 百姓 の 家 に 生まれました 。
6 歳 の 頃 より 絵 を 描き 始め 、貸本屋 に 丁稚 奉公 を し ながら 木版 彫刻 など を 学び ました 。
19 歳 の 頃 に 、役者 似顔絵 の 創始者 として 知られ る 浮世絵師 ・勝川 春章 に 入門 。
これ 以後 、 春 章 に 学んだ 役者 絵 を 多く 描いて います 。 また この 時期 、 挿絵 作家 と して 曲 亭 馬 琴 ら の 黄 表紙 に 挿絵 を 提供 して います 。
34 歳 の 頃 に 勝川春章 が 逝去 。北斎 は 狩野 融川 に 入門 します が 間もなく そこ を 去り 、翌年 に は 勝川派 から も 破門 を 受け ます 。
以後 は しばらく 摺物 を 多く 手がけ ました 。
また 寛政 の 改革 に より 黄表紙 の 取り締り が 始まり 、代わって 読本 や 狂歌 本 が 人気 を 博す ように なる と 、
北斎 も それ に 合わせて 挿絵 を 提供 して いきました 。
また 、西洋風 の 表現 を 取り入れ 始めた の も この 頃 です 。
また この 時期 、 北 斎 は 肉筆 の 美人 画 を 多く 手がけて います 。「 二 美人 図 」 は 当時 の 代表 作 です 。
50 歳 を 過ぎた 頃 に なる と 、弟子 へ の 教育 の ため の 絵手本 を 多く 制作 し ます 。
「北斎 漫画 」は その 代表的な もの であり 、北斎 54 歳 の 頃 から その 死後 に 至る まで 、15 巻 4000 図 に 渡って 刊行 され 続けました 。
北 斎 70 代 の 前半 は 錦絵 の 全盛期 であり 、風景画 の シリーズ である 「冨嶽 三十六 景 」が 生み出さ れて います 。
中でも 「凱風 快晴 」と 「神奈川 沖 浪裏 」は 北斎 の 代表作 として 知られます 。
いずれ も 北斎 の 本領 である 、構図 の 巧みさ と 鮮烈な 色使い が 特徴 です 。
80 歳 以後 の 最晩年 に 至る と 再び 肉筆 画 の 作品 が 増え 、風景画 から 離れた 花鳥画 が 多く 残さ れて い ます 。
1849 年 に 90 歳 で 亡くなる まで 、名前 や 住居 そして 作風 を 変え ながら も 画道 を 邁進 し 続けた のでした 。
以上