エドヴァルド ・ムンク (76 )
こんにちは 。人 から 分かる 3 分 美術 史 。今日 は エドヴァルド ・ムンク に ついて 勉強 して いきましょう 。
エドヴァルド ・ムンク 。1863 年 生まれ 。ノルウェー の 国民的 画家 であり 「叫び 」の 作者 として 知られます 。
ムンク は 、ノルウェー の ロイテン に 駐屯 する 軍 の 医者 の 息子 として 生まれました 。
ムンク 家 は 教養 高い 名門 の 家系 であり 、ダヴィッド の 弟子 であった 画家 の ヤコブ ・ムンク ら を 輩出 して い ます 。
ムンク が 5 歳 の 頃 に 母親 が 結核 で 死去 。後年 その 病 は ムンク ら 子供 達 に 受け継がれ 、
その 多く が 結核 や 精神病 に 患い 、次々 と 命 を 落とす こと と なり ます 。
16 歳 の ムンク は 画家 を 志して 王立 美術 学校 に 入学 。
間もなく 自然 主義 の 画家 の クリスチャン ・クローグ や 作家 の ハンス ・イェーゲル を 中心 とする 反体制的 芸術 グループ 、
「クリスチャニア ・ボヘミアン 」に 関わり 、大きな 影響 を 受け ました 。
この頃 の ムンク の 作品 が 「朝 」。印象派 風 であり 、画壇 の 長老 であった フリッツ ・タウロウ に 高く 評価 されました 。
しかし 間もなく ムンク の 画 業 は 新 展開 を 迎えます 。
その 転機 と なる 作品 が 「病める 子 」。
23 歳 頃 の 作品 であり 、ムンク は 同作 を 「芸術 の 突破口 」と 呼びました 。
姉 の 死 を 表現主義的な 荒い 筆 致 で 描き 、画壇 から は 酷評 さ れました 。
続いて パリ に 留学 した ムンク は 、サロン の 重鎮 であった レオン ・ボナ に 入門 し ます 。
しかし ムンク は 間もなく ボナ と 対立 。また 同 時期 、父親 が 死亡 した こと に 大きな ショック を 受け 、
酒 に 依存 する 生活 を 送る ように なり ます 。
その なか で ムンク は 、「もう これ から は 読書 する 人 や 編み物 する 女 など は 描く べきで は ない 」
「呼吸 し 、感じ 、苦悩 し 、愛する 、生身 の 人間 を 描か ねば ならない 」と 考え ました 。
これ は のち に 「サン・クルー 宣言 」と 呼ばれる 文章 であり 、これ から 間もなく 発表した 作品 が 「叫び 」です 。
赤い 空 の もと で 耳 を ふさぐ 男 を 描いた 作品 であり 、現代 に おいて 世界 で 最も 著名な 絵画 の 一 つ でも あり ます 。
また 、「絶望 」「不安 」など と 連続 した 作品 と なって い ます 。
これ 以後 も ムンク は 、病 や 人間関係 に 苦しみ ながら 、賛否両論 の 評価 を 重ね られて いきました 。
1944 年 に 80 歳 で 亡くなり ます が 、
現在 で は 、20 世紀 の 表現主義 を 代表 する 画家 の 一人 として 評価 されて い ます 。
以上