棟方 志 功 (39 )
こんにちは 。人 から 分かる 3 分 美術史 。今日 は 棟方 志功 に ついて 勉強 して いきましょう 。
棟方 志 功 。1903 年 生まれ 。20 世紀 の 日本 を 代表 する 版画家 として 知られます 。
志 功 は 、青森 県 の 刀鍛冶 の 息子 と して 生まれました 。
小学校 を 卒業 後 鍛冶屋 を 手伝い ながら 趣味 で 武者絵 を 描いて 過ごし ます 。
18歳 の 頃 に 青森 在住 の 洋画家 ・小野 忠明 から ゴッホ の 「ひまわり 」を 教えられ 衝撃 を 受けました 。
そこ で 志功 は 「ゴッホ に なる 」と 豪語 し 画家 を 志す ように なります 。
1924年 、21歳 の 志功 は 東京 に 移住 。内職 で 生計 を 立て ながら 帝展 に 出品 を し ます が 、落選 を 続け ます 。
1928 年 に は 版画家 ・川上 澄生 の 「初夏 の 風 」に 影響 を 受け 、版画 に 転向 。
その頃 の 志功 の 作品 が 「星座 の 花嫁 」です 。川上 に 倣い 、文明開化 の 貴婦人 を モデル と して い ます 。
その後 、生活 が 苦しい ながら も 、志功 は 版画家 として いくつ かの 賞 を 取り 始めました 。
そんな 中 、33 歳 の 志 功 が 発表 した 作品 が 「 大和 し 美し 」 です 。
「大和 し 美し 」は 志 功 の 出世 作 と なり 、これ が きっかけ で 民芸 派 の 柳 宗悦 、河井 寛次郎 ら と 知り合い ます 。
そして 河井 を 師 と 仰いだ 志 功 は 、民芸 派 の 一員 として 活動 を する ように なり ます 。
志 功 は 間も無く 最初の 宗教 的 作品 「華厳 譜 」を 制作 し ます 。
その後 も 仏教 を モチーフ と した 制作 を 続け 、37 歳 の 志 功 が 制作 した 作品 が 「 釈迦 十 大 弟子 」 です 。
この頃 の 志功 の 木版画 は ドイツ 表現 主義 の 影響 を 受けて おり 、土俗的 ながら モダンな 外観 と なって い ます 。
戦後 に なる と 、小説 など の 挿絵 を 多く 手がけました 。
中でも 谷崎 潤一郎 の 鍵 の 挿絵 の 一つ として 、浮世絵 の 大首絵 から 着想した 「大首 の 柵 」を 制作 。
これ が のち に 、志功 の 美人 大 首絵 の シリーズ に つながって いきます 。
晩年 と なる 65 歳 の 時 の 作品 である 「弁財天 妃 の 柵 」は 美人 大首絵 の 傑作 として 知られ 、
肉感的 な 女性 の 描写 、和紙 の 裏表 から 施した 彩色 など 、志功 芸術 の 集大成 と も 言えます 。
こうして 国内外 の 多く の 賞 を 受賞 し 、名実共に 日本 を 代表する 作家 と なった 志功 は 、1975年 に 72歳 で 亡くなり ました 。
以上