人間 失格 4/15
竹一 は 、また 、自分 に もう 一つ 、重大な 贈り物 を して いました 。 「お化け の 絵 だ よ 」いつか 竹一 が 、自分 の 二階 へ 遊び に 来た 時 、ご持参の 、一枚 の 原色版 の 口絵 を 得意そうに 自分 に 見せて 、そう 説明しました 。 おや ? と 思いました 。 その 瞬間 、自分 の 落ち 行く 道 が 決定 せられた ように 、後年 に 到って 、そんな 気 が して なりません 。 自分 は 、知っていました 。 それ は 、ゴッホ の 例 の 自画 像 に 過ぎない の を 知っていました 。 自分 たち の 少年 の 頃 に は 、日本 で は フランス の 所謂 印象派 の 画 が 大流行 していて 、洋画 鑑賞 の 第一歩 を 、たいてい この あたり から はじめた もの で 、ゴッホ 、ゴーギャン 、セザンヌ 、ルナアル など という ひと の 絵 は 、田舎 の 中学生 でも 、たいてい その 写真版 を 見て 知って いた のでした 。 自分 など も 、ゴッホ の 原色 版 を かなり たくさん 見て 、タッチ の 面白さ 、色彩 の 鮮やかさ に 興趣 を 覚えて は いた のです が 、しかし 、お化け の 絵 、だ と は 、いちども 考えた 事 が 無かった のでした 。 「では 、こんな の は 、どう かしら 。 やっぱり 、お化け かしら 」自分 は 本棚 から 、モジリアニ の 画集 を 出し 、焼けた 赤銅 の ような 肌 の 、れいの 裸婦 の 像 を 竹一 に 見せました 。 「すげえ なあ 」竹一 は 眼 を 丸く して 感嘆 しました 。 「 地獄 の 馬 みたい 」 「 やっぱり 、 お 化け かね 」 「 おれ も 、 こんな お化け の 絵 が かきたい よ 」 あまりに人間 を 恐怖 して いる人 たち は 、 かえって 、 もっと もっと 、 おそろしい 妖怪 ( ようかい ) を 確実に この 眼 で 見たい と 願望 する に 到 る 心理 、 神経質な 、 もの に おびえ 易い人 ほど 、 暴風 雨 の 更に 強から ん 事 を 祈る 心理 、 ああ 、 この 一群 の 画家 たち は 、 人間 と いう 化け物 に 傷 ( いた ) め つけられ 、 おびやかされた 揚句 の 果 、 ついに 幻影 を 信じ 、 白昼 の 自然の 中 に 、 ありあり と 妖怪 を 見た のだ 、 しかも 彼等 は 、 それ を 道化 など で ごまかさ ず 、 見えた まま の 表現 に 努力 した のだ 、 竹一 の 言う よう に 、 敢然と 「 お化け の 絵 」 を かいて しまった のだ 、 ここ に 将来 の 自分 の 、 仲間 が いる 、 と 自分 は 、 涙 が 出た ほど に 興 奮 し 、 「 僕 も 画 く よ 。 お化け の 絵 を 画く よ 。 地獄 の 馬 を 、画く よ 」と 、なぜ だか 、ひどく 声 を ひそめて 、竹一 に 言った のでした 。 自分 は 、小学校 の 頃 から 、絵 は かく の も 、見る の も 好きでした 。 けれども 、自分 の かいた 絵 は 、自分 の 綴り 方 ほど に は 、周囲 の 評判 が 、よく ありません でした 。 自分 は 、どだい 人間 の 言葉 を 一向に 信用 して いませんでした ので 、綴り方 など は 、自分 に とって 、ただ お道化 の 御挨拶 みたいな もの で 、小学校 、中学校 、と 続いて 先生たち を 狂喜 させて 来ました が 、しかし 、自分 で は 、さっぱり 面白く なく 、絵 だけ は 、(漫画 など は 別ですけれども )その 対象 の 表現 に 、幼い 我流 ながら 、多少 の 苦心 を 払って いました 。 学校 の 図画 の お手本 は つまらない し 、先生 の 絵 は 下手くそだ し 、自分 は 、全く 出鱈目 に さまざまの 表現法 を 自分 で 工夫して 試みなければならない のでした 。 中学校 へ は いって 、 自分 は 油絵 の 道具 も 一 揃 ( そろ ) い 持って いました が 、 しかし 、 その タッチ の 手本 を 、 印象 派 の 画風 に 求めて も 、 自分 の 画 いた もの は 、 まるで 千代紙 細工 の よう に のっぺり して 、 もの に なり そう も ありません でした 。 けれども 自分 は 、竹一 の 言葉 に 依って 、自分 の それ まで の 絵画 に 対する 心構え が 、まるで 間違って いた 事 に 気 が 附きました 。 美しい と 感じた もの を 、そのまま 美しく 表現 しよう と 努力 する 甘さ 、おろか しさ 。 マイスター たち は 、 何でも無い もの を 、 主観 に 依って 美しく 創造 し 、 或いは 醜い もの に 嘔吐 ( おうと ) を もよおし ながら も 、 それ に 対する 興味 を 隠さ ず 、 表現 の よろこび に ひたって いる 、 つまり 、 人 の 思惑 に 少しも たよって いない らしい と いう 、 画法 の プリミチヴ な 虎の巻 を 、 竹一 から 、 さずけられて 、 れいの 女 の 来客 たち に は 隠して 、 少しずつ 、 自画 像 の 制作 に 取りかかって みました 。 自分 でも 、ぎょっと した ほど 、陰惨な 絵 が 出来上りました 。 しかし 、これ こそ 胸 底 に ひた隠し に 隠している 自分 の 正体 な のだ 、おもて は 陽気に 笑い 、また 人 を 笑わ せている けれども 、実は 、こんな 陰鬱 な 心 を 自分 は 持っている のだ 、仕方が無い 、と ひそかに 肯定し 、けれども その 絵 は 、竹一 以外 の 人 に は 、さすがに 誰 に も 見せませんでした 。 自分 の お 道化 の 底 の 陰惨 を 見破られ 、急に ケチくさく 警戒せられる の も いやでした し 、また 、これ を 自分 の 正体 と も 気づかず 、やっぱり 新趣向 の お 道化 と 見なされ 、大笑い の 種 に せられる かも知れぬ と いう 懸念 も あり 、それ は 何よりも つらい 事 でしたので 、その 絵 は すぐに 押入れ の 奥深く しまい込みました 。 また 、学校 の 図画 の 時間 に も 、自分 は あの 「お化け 式 手法 」は 秘めて 、いま まで どおり の 美しい もの を 美しく 画く 式 の 凡庸 な タッチ で 画いて いました 。 自分 は 竹一 に だけ は 、前 から 自分 の 傷 み易い 神経 を 平気で 見せて いました し 、こんど の 自画 像 も 安心して 竹一 に 見せ 、たいへん ほめられ 、さらに 二 枚 三 枚 と 、お化け の 絵 を 画きつづけ 、竹一 から もう 一つ の 、「お前 は 、偉い 絵画 き になる 」と いう 予言 を 得た のでした 。 惚れられる と いう 予言 と 、偉い 絵画 き に なる と いう 予言 と 、この 二 つ の 予言 を 馬鹿 の 竹一 に 依って 額 に 刻印 せられて 、やがて 、自分 は 東京 へ 出て 来ました 。 自分 は 、美術 学校 に はいり たかった のです が 、父 は 、前 から 自分 を 高等 学校 に いれて 、末 は 官吏 に する つもり で 、自分 に も それ を 言い渡して あった ので 、口 応え 一つ 出来ない たち の 自分 は 、ぼんやり それ に 従った のでした 。 四 年 から 受けて 見よ 、 と 言われた ので 、 自分 も 桜 と 海 の 中学 は もう いい加減 あきて いました し 、 五 年 に 進級 せず 、 四 年 修了 の まま で 、 東京 の 高等 学校 に 受験 して 合格 し 、 すぐに 寮生 活 に はいりました が 、 その 不潔 と 粗暴に 辟易 ( へきえき ) し て 、 道化 どころ で は なく 、 医師 に 肺 浸 潤 の 診断 書 を 書いて もらい 、 寮 から 出て 、 上野 桜木 町 の 父 の 別荘 に 移りました 。 自分 に は 、団体 生活 と いう もの が 、どうしても 出来ません 。 それ に また 、青春 の 感激 だ とか 、若人 の 誇り だ とか いう 言葉 は 、聞いて 寒気 が して 来て 、とても 、あの 、ハイスクール ・スピリット とか いう もの に は 、ついて行け なかった のです 。 教室 も 寮 も 、 ゆがめられた 性 慾 の 、 はきだめ みたいな 気 さえ して 、 自分 の 完璧 ( かんぺき ) に 近い お 道化 も 、 そこ で は 何の 役 に も 立ちません でした 。 父 は 議会 の 無い 時 は 、 月 に 一 週間 か 二 週間 しか その 家 に 滞在 して いません でした ので 、 父 の 留守 の 時 は 、 かなり 広い その 家 に 、 別荘 番 の 老 夫婦 と 自分 と 三人 だけ で 、 自分 は 、 ちょいちょい 学校 を 休んで 、 さりとて 東京 見物 など を する 気 も 起ら ず ( 自分 は とうとう 、 明治 神宮 も 、 楠 正成 ( くす のき ま さし げ ) の 銅像 も 、 泉 岳 寺 の 四十七 士 の 墓 も 見 ず に 終り そう です ) 家 で 一 日 中 、 本 を 読んだり 、 絵 を かいたり して いました 。 父 が 上京 して 来る と 、自分 は 、毎朝 そそくさ と 登校 する のでした が 、しかし 、本郷 千駄木 町 の 洋画 家 、安田 新太郎 氏 の 画塾 に 行き 、三 時間 も 四 時間 も 、デッサン の 練習 を している 事 も あった のです 。 高等 学校 の 寮 から 脱 けた ら 、 学校 の 授業 に 出て も 、 自分 は まるで 聴講 生 みたいな 特別の 位置 に いる ような 、 それ は 自分 の ひがみ かも 知れ なかった の です が 、 何とも 自分 自 身 で 白々しい 気持 が して 来て 、 いっそう 学校 へ 行く の が 、 おっくうに なった のでした 。 自分 に は 、小学校 、中学校 、高等 学校 を 通じて 、ついに 愛校心 という もの が 理解 でき ずに 終りました 。 校歌 など と いう もの も 、いち ども 覚えよう と した 事 が ありません 。 自分 は 、 やがて 画 塾 で 、 或る 画 学生 から 、 酒 と 煙草 と 淫売 婦 ( いん ば いふ ) と 質屋 と 左翼 思想 と を 知ら さ れました 。 妙な 取合せ でした が 、しかし 、それ は 事実 でした 。 その 画 学生 は 、堀木 正雄 と いって 、東京 の 下町 に 生れ 、自分 より 六 つ 年 長者 で 、私立 の 美術 学校 を 卒業 して 、家 に アトリエ が 無い ので 、この 画塾 に 通い 、洋画 の 勉強 を つづけて いる のだ そうです 。 「 五 円 、 貸して くれない か 」 お互い ただ 顔 を 見 知っている だけ で 、 それ まで 一言 も 話 合った 事 が 無かった の です 。 自分 は 、へ ど もどして 五 円 差し出しました 。 「よし 、飲もう 。 おれ が 、お前 に おごる んだ 。 よか チゴ じゃ のう 」 自分 は 拒否 し 切れ ず 、 その 画 塾 の 近く の 、 蓬莱 ( ほうらい ) 町 の カフエ に 引っぱって 行かれた の が 、 彼 と の 交友 の はじまり でした 。 「前 から 、お前 に 眼 を つけて いた んだ 。 それ それ 、その はにかむ ような 微笑 、それ が 見込み の ある 芸術 家 特有の 表情 なんだ 。 お 近づき の しるし に 、乾杯 ! キヌ さん 、こいつ は 美男 子 だろう ? 惚れちゃ いけない ぜ 。 こいつ が 塾 へ 来た おかげ で 、 残念 ながら おれ は 、 第 二 番 の 美男 子 と いう 事 に なった 」 堀木 は 、 色 が 浅黒く 端正な 顔 を して いて 、 画 学生 に は 珍 らしく 、 ちゃんと した 脊広 ( せびろ ) を 着て 、 ネクタイ の 好み も 地味で 、 そうして 頭髪 も ポマード を つけて まん 中 から ぺったり と わけて いました 。 自分 は 馴 れ ぬ 場所 でも あり 、 ただ もう おそろしく 、 腕 を 組んだり ほどいたり して 、 それ こそ 、 はにかむ ような 微笑 ばかり して いました が 、 ビイル を 二 、 三 杯 飲んで いる うち に 、 妙に 解放 せられた ような 軽 さ を 感じて 来た の です 。 「僕 は 、美術 学校 に はいろう と 思って いた んです けど 、……」「いや 、つまらん 。 あんな ところ は 、つまらん 。 学校 は 、つまらん 。 われら の 教師 は 、自然 の 中 に あり ! 自然に 対する パアトス ! 」しかし 、自分 は 、彼 の 言う 事 に 一向に 敬意 を 感じません でした 。 馬鹿な ひと だ 、絵 も 下手に ちがいない 、しかし 、遊ぶ のに は 、いい 相手 かも 知れない と 考え ました 。 つまり 、自分 は その 時 、生れて はじめて 、ほんもの の 都会 の 与太者 を 見た のでした 。 それ は 、自分 と 形 は 違って いて も 、やはり 、この世 の 人間 の 営み から 完全に 遊離 して しまって 、戸 迷い している 点 に 於いて だけ は 、たしかに 同類 な のでした 。 そうして 、彼 は その お 道化 を 意識 せ ず に 行い 、しかも 、その お 道化 の 悲惨 に 全く 気 が ついて いない の が 、自分 と 本質的に 異色 の ところ でした 。 ただ 遊ぶ だけ だ 、 遊び の 相手 と して 附 合って いる だけ だ 、 と つねに 彼 を 軽蔑 ( けいべつ ) し 、 時に は 彼 と の 交友 を 恥ずかしく さえ 思い ながら 、 彼 と 連れ立って 歩いて いる うち に 、 結局 、 自分 は 、 この 男 に さえ 打ち破ら れました 。 しかし 、はじめ は 、この 男 を 好 人物 、まれに 見る 好 人物 と ばかり 思い込み 、さすが 人間 恐怖 の 自分 も 全く 油断 を して 、東京 の よい 案内者 が 出来た 、くらい に 思って いました 。 自分 は 、 実は 、 ひと り で は 、 電車 に 乗る と 車掌 が おそろしく 、 歌舞伎 座 へ はいり たくて も 、 あの 正面 玄関 の 緋 ( ひ ) の 絨緞 ( じゅうたん ) が 敷かれて ある 階段 の 両側 に 並んで 立って いる 案内 嬢 たち が おそろしく 、 レストラン へ は いる と 、 自分 の 背後 に ひっそり 立って 、 皿 の あく の を 待って いる 給仕 の ボーイ が おそろしく 、 殊に も 勘定 を 払う 時 、 ああ 、 ぎ ご ちない 自分 の 手つき 、 自分 は 買い物 を して お 金 を 手渡す 時 に は 、 吝嗇 ( りん しょく ) ゆ え で なく 、 あまり の 緊張 、 あまり の 恥ずかし さ 、 あまり の 不安 、 恐怖 に 、 くらく ら 目 まい して 、 世界 が 真 暗 に なり 、 ほとんど 半 狂乱 の 気持 に なって しまって 、 値 切る どころ か 、 お釣 を 受け取る の を 忘れる ばかりで なく 、 買った 品物 を 持ち帰る の を 忘れた 事 さえ 、 しばしば あった ほど な ので 、 とても 、 ひと り で 東京 の まち を 歩け ず 、 それ で 仕方なく 、 一 日 一 ぱい 家 の 中 で 、 ごろごろ して いた と いう 内情 も あった のでした 。 それ が 、 堀木 に 財布 を 渡して 一緒に 歩く と 、 堀木 は 大いに 値切って 、 しかも 遊び 上手 と いう の か 、 わずかな お 金 で 最大 の 効果 の ある ような 支払い 振り を 発揮 し 、 また 、 高い 円 タク は 敬遠 して 、 電車 、 バス 、 ポンポン 蒸気 など 、 それぞれ 利用 し分けて 、 最短 時間 で 目的 地 へ 着く と いう 手腕 を も 示し 、 淫売 婦 の ところ から 朝 帰る 途中 に は 、 何 々 と いう 料亭 に 立ち寄って 朝 風呂 へ はいり 、 湯豆腐 で 軽く お 酒 を 飲む の が 、 安い 割に 、 ぜいたくな 気分 に なれる もの だ と 実地 教育 を して くれ たり 、 その他 、 屋台 の 牛 め し 焼 とり の 安価に して 滋養 に 富む もの たる 事 を 説き 、 酔い の 早く 発する の は 、 電気 ブラン の 右 に 出る もの は ない と 保証 し 、 とにかく そ の 勘定 に 就いて は 自分 に 、 一 つ も 不安 、 恐怖 を 覚え させた 事 が ありません でした 。 さらに また 、 堀木 と 附合って 救わ れる の は 、 堀木 が 聞き手 の 思惑 など を てんで 無視 して 、 その 所 謂 情熱 ( パトス ) の 噴出 する が まま に 、( 或いは 、 情熱 と は 、 相手 の 立場 を 無視 する 事 かも 知れません が ) 四六時中 、 くだらない おしゃべり を 続け 、 あの 、 二人 で 歩いて 疲れ 、 気まずい 沈黙 に おちいる 危懼 ( きく ) が 、 全く 無い と いう 事 でした 。 人 に 接し 、 あの おそろしい 沈黙 が その 場 に あらわれる 事 を 警戒 して 、 もともと 口 の 重い 自分 が 、 ここ を 先 途 ( せんど ) と 必死の お 道化 を 言って 来た もの です が 、 いま この 堀木 の 馬鹿 が 、 意識 せず に 、 その お 道化 役 を みずから すすんで やって くれて いる ので 、 自分 は 、 返事 も ろくに せず に 、 ただ 聞き流し 、 時折 、 まさか 、 など と 言って 笑って おれば 、 いい のでした 。 酒 、煙草 、淫売婦 、それ は 皆 、人間 恐怖 を 、たとい 一時 でも 、まぎらす 事 の 出来る ずいぶん よい 手段 である 事 が 、やがて 自分 に も わかって 来ました 。 それ ら の 手段 を 求める ため に は 、 自分 の 持ち物 全部 を 売却 して も 悔いない 気持 さえ 、 抱く よう に なりました 。 自分 に は 、淫売婦 という もの が 、人間 でも 、女性 で も ない 、白痴 か 狂人 の ように 見え 、その ふところ の 中 で 、自分 は かえって 全く 安心 して 、ぐっすり 眠る 事 が 出来ました 。 みんな 、哀しい くらい 、実に みじんも 慾 と いう もの が 無い のでした 。 そうして 、自分 に 、同類 の 親和感 と でも いった ような もの を 覚える の か 、自分 は 、いつも 、その 淫売婦たち から 、窮屈でない 程度 の 自然の 好意 を 示されました 。 何の 打算 も 無い 好意 、押し売り で は 無い 好意 、二度と 来 ない かも 知れぬ ひと への 好意 、自分 に は 、その 白痴 か 狂人 の 淫売婦 たち に 、マリヤ の 円光 を 現実 に 見た 夜 も あった のです 。 しかし 、 自分 は 、 人間 へ の 恐怖 から のがれ 、 幽 かな 一夜 の 休養 を 求める ため に 、 そこ へ 行き 、 それ こそ 自分 と 「 同類 」 の 淫売 婦 たち と 遊んで いる うち に 、 いつ の ま に やら 無意識 の 、 或る いまわしい 雰囲気 を 身辺 に いつも ただよわせる よう に なった 様子 で 、 これ は 自分 に も 全く 思い 設け なかった 所 謂 「 おまけ の 附録 」 でし たが 、 次第に その 「 附録 」 が 、 鮮明に 表面 に 浮き上って 来て 、 堀木 に それ を 指摘 せられ 、 愕然 ( がくぜん ) と して 、 そうして 、 いやな 気 が 致しました 。 はた から 見て 、 俗な 言い 方 を すれば 、 自分 は 、 淫売 婦 に 依って 女 の 修行 を して 、 しかも 、 最近 めっきり 腕 を あげ 、 女 の 修行 は 、 淫売 婦 に 依る の が 一ばん 厳しく 、 また それだけに 効果 の あがる もの だ そうで 、 既に 自分 に は 、 あの 、「 女 達者 」 と いう 匂い が つきまとい 、 女性 は 、( 淫 売 婦 に 限ら ず ) 本能 に 依って それ を 嗅ぎ 当て 寄り添って 来る 、 そのような 、 卑猥 ( ひわ い ) で 不名誉な 雰囲気 を 、「 おまけ の 附録 」 と して もらって 、 そうして その ほう が 、 自分 の 休養 など より も 、 ひどく 目立って しまって いる らしい のでした 。 堀木 は それ を 半分 は お世辞 で 言った のでしょう が 、 しかし 、 自分 に も 、 重苦しく 思い当る 事 が あり 、 たとえば 、 喫茶 店 の 女 から 稚拙な 手紙 を もらった 覚え も あ る し 、 桜木 町 の 家 の 隣り の 将軍 の はたち くらい の 娘 が 、 毎朝 、 自分 の 登校 の 時刻 に は 、 用 も 無 さ そうな のに 、 ご 自分 の 家 の 門 を 薄化粧 して 出たり は いったり して いた し 、 牛肉 を 食い に 行く と 、 自分 が 黙って いて も 、 そこ の 女 中 が 、…… また 、 いつも 買いつけ の 煙草 屋 の 娘 から 手渡された 煙草 の 箱 の 中 に 、…… また 、 歌舞伎 を 見 に 行って 隣り の 席 の ひと に 、…… また 、 深夜 の 市電 で 自分 が 酔って 眠って いて 、…… また 、 思いがけなく 故郷 の 親戚 の 娘 から 、 思いつめた ような 手紙 が 来 て 、…… また 、 誰 か わから ぬ 娘 が 、 自分 の 留守 中 に お 手製 らしい人形 を 、…… 自分 が 極度に 消極的 な ので 、 いずれ も 、 それっきり の 話 で 、 ただ 断片 、 それ 以上 の 進展 は 一 つ も ありません でした が 、 何 か 女 に 夢 を 見 させる 雰囲気 が 、 自分 の どこ か に つきまとって いる 事 は 、 それ は 、 のろ け だ の 何 だの と いう いい加減な 冗談 で なく 、 否定 できない ので ありました 。 自分 は 、 それ を 堀木 ごとき者 に 指摘 せられ 、 屈辱 に 似た 苦 ( にが ) さ を 感ずる と 共に 、 淫売 婦 と 遊ぶ 事 に も 、 にわかに 興 が 覚めました