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有島武郎 - 或る女(アクセス), 22.2 或る女

22.2或る 女

朝 から 何事 も 忘れた ように 快かった 葉子 の 気持ち は この 電話 一 つ の ため に 妙に こじれて しまった 。 東京 に 帰れば 今度 こそ は なかなか 容易 ならざる 反抗 が 待ちうけて いる と は 十二分に 覚悟 して 、その 備え を しておいた つもりで は いた けれども 、古藤 の 口うら から 考えて みる と 面 と ぶつかった 実際 は 空想 していた よりも 重大である のを 思わず に は いられなかった 。 葉子 は 電話 室 を 出る と けさ 始めて 顔 を 合わした 内儀 に 帳場 格子 の 中 から 挨拶 されて 、部屋 に も 伺い に 来ないで なれなれしく 言葉 を かける その 仕打ち に まで 不快 を 感じ ながら 、匆々 三階 に 引き上げた 。 ・・

それ から は もう ほんとうに なんにも する 事 が なかった 。 ただ 倉地 の 帰って来る の ばかり が いらいらする ほど 待ちに待たれた 。 品川 台 場 沖 あたり で 打ち出す 祝砲 が かすかに 腹 に こたえる ように 響いて 、子供 ら は 往来 で そのころ しきりに はやった 南京 花火 を ぱちぱち と 鳴らしていた 。 天気 が いい ので 女 中 たち は はしゃぎ きった 冗談 など を 言い 言い あらゆる 部屋 を 明け 放して 、 仰 山 らしく はたき や 箒 の 音 を 立てた 。 そして ただ 一 人 この 旅館 で は 居残って いる らしい 葉子 の 部屋 を 掃除 せずに 、いきなり 縁側 に ぞうきん を かけたり した 。 それ が 出て 行け がし の 仕打ち の ように 葉子 に は 思えば 思わ れた 。 ・・

「どこ か 掃除 の 済んだ 部屋 が ある んでしょう 。 しばらく そこ を 貸して ください な 。 そして ここ も きれいに して ちょうだい 。 部屋 の 掃除 も し ないで ぞうきんがけ なぞ したって なんにも なり は し ない わ 」・・

と 少し 剣 を 持たせて いって やる と 、けさ 来た の と は 違う 、横浜 生まれ らしい 、悪ずれ の した 中年 の 女 中 は 、始めて 縁側 から 立ち上がって 小 めんどう そうに 葉子 を 畳 廊下 一つ を 隔てた 隣 の 部屋 に 案内した 。 ・・

けさ まで 客 が いた らしく 、掃除 は 済んで いた けれども 、火鉢 だの 、炭取り だの 、古い 新聞 だの が 、部屋 の すみ に は まだ 置いた まま に なって いた 。 あけ 放した 障子 から かわいた 暖かい 光線 が 畳 の 表 三 分 ほど まで さしこんで いる 、そこ に 膝 を 横 くずし に すわり ながら 、葉子 は 目 を 細めて まぶしい 光線 を 避け つつ 、自分 の 部屋 を 片づけて いる 女中 の 気配 に 用心 の 気 を 配った 。 どんな 所 に いて も 大事な 金目 な もの を くだらない もの と 一緒に ほうり出して おく のが 葉子 の 癖 だった 。 葉子 は そこ に いかにも 伊達 で 寛濶 な 心 を 見せて いる ようだった が 、同時に 下らない 女 中ずれ が 出来心 でも 起こし は しない か と 思う と 、細心 に 監視 する の も 忘れ は しなかった 。 こうして 隣 の 部屋 に 気 を 配って いながら も 、葉子 は 部屋 の すみ に きちょうめんに 折りたたんで ある 新聞 を 見る と 、日本 に 帰って から まだ 新聞 という もの に 目 を 通さなかった の を 思い出して 、手 に 取り上げて 見た 。 テレビン 油 の ような 香い が ぷんぷん する ので それ が きょう の 新聞 である 事 が すぐ 察せられた 。 はたして 第 一面 に は 「聖寿 万歳 」と 肉太 に 書かれた 見出し の 下 に 貴顕 の 肖像 が 掲げられて あった 。 葉子 は 一 か月 の 余 も 遠のいて いた 新聞 紙 を 物珍しい もの に 思って ざっと 目 を とおし 始めた 。 ・・

一面 に は その 年 の 六月 に 伊藤内閣 と 交迭して できた 桂内閣 に 対して いろいろな 注文 を 提出した 論文 が 掲げられて 、海外通信 に は シナ 領土 内 における 日露 の 経済的 関係 を 説いた チリコフ 伯 の 演説 の 梗概 など が 見えていた 。 二 面 に は 富口 と いう 文学 博士 が 「最近 日本 に おける いわゆる 婦人 の 覚醒 」と いう 続き物 の 論文 を 載せて いた 。 福田 という 女 の 社会主義者 の 事 や 、歌人 として 知られた 与謝野晶子 女史 の 事 など の 名 が 現われている のを 葉子 は 注意した 。 しかし 今 の 葉子 に は それ が 不思議に 自分 と は かけ離れた 事 の ように 見えた 。 ・・

三 面 に 来る と 四 号 活字 で 書かれた 木部 孤 という 字 が 目 に 着いた ので 思わず そこ を 読んで 見る 葉子 は あっと 驚か されて しまった 。 ・・

○某 大 汽船 会社 船 中 の 大 怪事 ・・

事務長 と 婦人 船客 との 道 ならぬ 恋 ――・・

船客 は 木部 孤 の 先 妻 ・・

こういう 大 業 な 標題 が まず 葉子 の 目 を 小 痛く 射 つけた 。 ・・

「本邦 にて 最も 重要なる 位置 に ある 某 汽船 会社 の 所有 船 ○○丸 の 事務長 は 、先ごろ 米国 航路 に 勤務中 、かつて 木部 孤 に 嫁 して ほど も なく 姿 を 晦まし たる 莫連女 某 が 一等 船客 として 乗り込み いたる を そそのかし 、その 女 を 米国 に 上陸 せ しめず ひそかに 連れ帰りたる 怪 事実 あり 。 しかも 某 女 と いえる は 米国 に 先行 せる 婚約 の 夫 まで ある 身分 の もの なり 。 船客 に 対して 最も 重き 責任 を 担う べき 事務長 に かかる 不埒 の 挙動 ありし は 、事務長 一個 の 失態 のみ ならず 、その 汽船会社 の 体面 に も 影響 する 由々しき 大事 なり 。 事 の 仔細 は もれなく 本紙 の 探知 し たる 所 なれども 、改悛 の 余地 を 与えん ため 、しばらく 発表 を 見合わせ おく べし 。 もし ある 期間 を 過ぎて も 、両人 の 醜行 改まる 模様 なき 時 は 、本紙 は 容赦 なく 詳細 の 記事 を 掲げて 畜生道 に 陥りたる 二人 を 懲戒 し 、併せて 汽船 会社 の 責任 を 問う 事 と すべし 。 読者 請う 刮目 して その 時 を 待て 」・・

葉子 は 下 くちびる を かみしめ ながら この 記事 を 読んだ 。 いったい 何 新聞 だろう と 、その 時 まで 気 に も 留め ないで いた 第 一面 を 繰り戻して 見る と 、麗々 と 「報正新報 」と 書して あった 。 それ を 知る と 葉子 の 全身 は 怒り の ため に 爪 の 先 まで 青白く なって 、抑えつけて も 抑えつけて も ぶるぶる と 震え出した 。 「報 正 新報 」と いえば 田川 法学 博士 の 機関 新聞 だ 。 その 新聞 に こんな 記事 が 現われる の は 意外で も あり 当然で も あった 。 田川 夫人 と いう 女 は どこ まで 執念 く 卑しい 女 な のだろう 。 田川 夫人 から の 通信 に 違いない のだ 。 「報 正 新報 」は この 通信 を 受ける と 、報道 の 先鞭 を つけて おく ため と 、読者 の 好奇心 を あおる ため と に 、いち早く あれ だけ の 記事 を 載せて 、田川 夫人 から さらに くわしい 消息 の 来る の を 待っている のだろう 。 葉子 は 鋭く も こう 推した 。 もし これ が ほか の 新聞 であったら 、倉地 の 一身上 の 危機 で も ある のだ から 、葉子 は どんな 秘密な 運動 を しても 、この上の 記事 の 発表 は もみ消さなければならない と 胸 を 定めた に 相違なかった けれども 、田川 夫人 が 悪意 を こめて させている 仕事 だ として 見ると 、どの道 書かずに は おくまい と 思われた 。 郵船 会社 の ほう で 高圧 的な 交渉 でも すれば とにかく 、そのほか に は 道 が ない 。 くれぐれも 憎い 女 は 田川 夫人 だ ……こう いちずに 思いめぐらす と 葉子 は 船 の 中 で の 屈辱 を 今さら に まざまざ と 心 に 浮かべた 。 ・・

「お掃除 が できました 」・・そう 襖越し に いい ながら さっきの 女中 は 顔 も 見せず に さっさと 階下 に 降りて 行って しまった 。 葉子 は 結局 それ を 気 安い 事 に して 、 その 新聞 を 持った まま 、 自分 の 部屋 に 帰った 。 どこ を 掃除 した のだ と 思われる ような 掃除 の しかた で 、はたき まで が 違い棚 の 下 に おき 忘られて いた 。 過敏に きちょうめんで きれい好きな 葉子 は もう たまらなかった 。 自分 で てきぱき と そこ い ら を 片づけて 置いて 、パラソル と 手携げ を 取り上げる が 否や その 宿 を 出た 。 ・・

往来 に 出る と その 旅館 の 女中 が 四五人 早じまい を して 昼間 の 中 を 野毛山 の 大神宮 の ほう に でも 散歩 に 行く らしい 後ろ姿 を 見た 。 そそくさ と 朝 の 掃除 を 急いだ 女 中 たち の 心 も 葉子 に は 読めた 。 葉子 は その 女 たち を 見送る と なんという 事 なし に さびしく 思った 。 ・・

帯 の 間 に はさんだ まま にしておいた 新聞 の 切り抜き が 胸 を 焼く ようだった 。 葉子 は 歩き 歩き それ を 引き出して 手 携 げ に しまい かえた 。 旅館 は 出た が どこ に 行こう と いう あて も なかった 葉子 は うつむいて 紅葉 坂 を おり ながら 、さしも しない パラソル の 石突き で 霜解け に なった 土 を 一足 一足 突きさして 歩いて 行った 。 いつのまにか じめじめ した 薄ぎたない 狭い 通り に 来た と 思う と 、は しなく も いつか 古藤 と 一緒に 上がった 相模屋 の 前 を 通って いる のだった 。 「相模屋 」と 古めかしい 字体 で 書いた 置き行燈 の 紙 まで が その 時 の まま で すすけていた 。 葉子 は 見 覚えられて いる の を 恐れる ように 足早に その 前 を 通りぬけた 。 ・・

停車場 前 は すぐ そこ だった 。 もう 十二 時 近い 秋 の 日 は はなやかに 照り 満ちて 、思った より 数多い 群衆 が 運河 に かけ渡した いくつかの 橋 を にぎやかに 往来していた 。 葉子 は 自分 一人 が みんな から 振り向いて 見られる ように 思い なした 。 それ が あたりまえ の 時 ならば 、どれほど 多く の 人 に じろじろ と 見られよう と も 度 を 失う ような 葉子 で は なかった けれども 、たった今 いまいましい 新聞 の 記事 を 見た 葉子 で は あり 、いかにも 西洋 じみた 野暮くさい 綿入れ を 着ている 葉子 であった 。 服装 に 塵 ほど でも 批点 の 打ち どころ が ある と 気 が ひけて ならない 葉子 と して は 、 旅館 を 出て 来た の が 悲しい ほど 後悔 された 。 ・・

葉子 は とうとう 税関 波止場 の 入り口 まで 来て しまった 。 その 入り口 の 小さな 煉瓦 造り の 事務所 に は 、年 の 若い 監視 補 たち が 二重 金 ぼたん の 背広 に 、海軍 帽 を かぶって 事務 を 取って いた が 、そこ に 近づく 葉子 の 様子 を 見る と 、きのう 上陸 した 時 から 葉子 を 見知っている かのように 、その 飛び放れて 華手 造り な 姿 に 目 を 定める らしかった 。 物好きな その 人 たち は 早くも 新聞 の 記事 を 見て 問題 と なっている 女 が 自分 に 違いない と 目星 を つけている ので は あるまいか と 葉子 は 何事 に つけて も 愚痴っぽく ひけ目 に なる 自分 を 見いだした 。 葉子 は しかし そうした ふう に 見つめられ ながら も そこ を 立ち去る 事 が でき なかった 。 もしや 倉地 が 昼 飯 でも 食べ に あの 大きな 五 体 を 重々しく 動かし ながら 船 の ほう から 出て 来 は しない か と 心待ち が さ れた から だ 。 ・・

葉子 は そろそろ と 海洋 通り を グランド ・ホテル の ほう に 歩いて みた 。 倉地 が 出て 来れば 、倉地 の ほう でも 自分 を 見つける だろう し 、自分 の ほう でも 後ろ に 目 は ない ながら 、出て 来た の を 感づいて みせる と いう 自信 を 持ち ながら 、後ろ も 振り向かず に だんだん 波止場 から 遠ざかった 。 海ぞい に 立て 連ねた 石 杭 を つなぐ 頑丈な 鉄 鎖 に は 、西洋人 の 子供たち が 犢 ほど な 洋犬 や あま に 付き添われて 事もなげに 遊び 戯れて いた 。 そして 葉子 を 見る と 心安 立て に 無邪気に ほほえんで 見せたり した 。 小さな かわいい 子供 を 見る と どんな 時 どんな 場合 でも 、葉子 は 定子 を 思い出して 、胸 が しめつけられる ように なって 、すぐ 涙ぐむ のだった 。 この 場合 は ことさら そう だった 。 見て いられ ない ほど それ ら の 子供 たち は 悲しい 姿 に 葉子 の 目 に 映った 。 葉子 は そこ から 避ける ように 足 を 返して また 税関 の ほう に 歩み 近づいた 。 監視 課 の 事務所 の 前 を 来たり 往ったり する 人数 は 絡繹 として 絶えなかった が 、その 中 に 事務長 らしい 姿 は さらに 見えなかった 。 葉子 は 絵 島 丸 まで 行って 見る 勇気 も なく 、そこ を 幾 度 も あちこち して 監視 補 たち の 目 に かかる の も うるさかった ので 、すごすご と 税関 の 表門 を 県庁 の ほう に 引き返した 。

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