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有島武郎 - 或る女(アクセス), 18.2 或る女

18.2或る 女

木村 は その くらい な 事 で 葉子 から 手 を 引く ような はきはき した 気象 の 男 で は ない 。 これ まで も ずいぶん いろいろな うわさ が 耳 に は いった はず な のに 「僕 は あの 女 の 欠陥 も 弱点 も みんな 承知 して いる 。 私生児 の ある の も もとより 知っている 。 ただ 僕 は クリスチャン である 以上 、なんと でも して 葉子 を 救い上げる 。 救わ れた 葉子 を 想像 して みた まえ 。 僕 は その 時 いちばん 理想的な better half を 持ち うる と 信じている 」と いった 事 を 聞いている 。 東北 人 の ねんじ り むっつり した その 気象 が 、葉子 に は 第 一 我慢 の しき れ ない 嫌悪 の 種 だった のだ 。 ・・

葉子 は 黙って みんな の いう 事 を 聞いている うちに 、興録 の 軍略 が いちばん 実際的だ と 考えた 。 そして なれなれしい 調子 で 興録 を 見 やり ながら 、・・

「興録 さん 、そう おっしゃれば わたし 仮病 じゃ ない んです の 。 この 間 じゅう から 診て いただこう かしら と 幾度 か 思った んです けれども 、あんまり 大げさ らしい んで 我慢していた んです が 、どういう もん でしょう ……少し は 船 に 乗る 前 から でした けれども ……お腹 の ここ が 妙に 時々 痛む んです の よ 」・・

と いう と 、寝台 に 曲がり こんだ 男 は それ を 聞き ながら に やり に やり 笑い 始めた 。 葉子 は ちょっと その 男 を にらむ ように して 一緒に 笑った 。 ・・

「まあ 機 の 悪い 時 に こんな 事 を いう もん です から 、痛い 腹 まで 探ら れます わね ……じゃ 興録 さん 後 ほど 診て いただけて ? 」・・

事務 長 の 相談 と いう の は こんな たわい も ない 事 で 済んで しまった 。 ・・

二 人きり に なって から 、・・

「では わたし これ から ほんとうの 病人 に なります から ね 」・・

葉子 は ちょっと 倉地 の 顔 を つついて 、その 口 びる に 触れた 。 そして シヤトル の 市街 から 起こる 煤煙 が 遠く に ぼんやり 望まれる ように なった ので 、葉子 は 自分 の 部屋 に 帰った 。 そして 洋風 の 白い 寝衣 に 着かえて 、髪 を 長い 編み下げ に して 寝床 に はいった 。 戯談 の ように して 興録 に 病気 の 話 を した ものの 、葉子 は 実際 かなり 長い 以前 から 子宮 を 害している らしかった 。 腰 を 冷やしたり 、感情 が 激昂 したり した あと で は 、きっと 収縮 する ような 痛み を 下腹部 に 感じて いた 。 船 に 乗った 当座 は 、しばらく の 間 は 忘れる ように この 不快な 痛み から 遠ざかる 事 が できて 、幾年 ぶり か で 申し所 のない 健康 の よろこび を 味わった のだった が 、近ごろ は また だんだん 痛み が 激しく なる ように なって 来ていた 。 半身 が 痲痺 したり 、頭 が 急に ぼーっと 遠く なる 事 も 珍しく なかった 。 葉子 は 寝床 に は いって から 、軽い 疼み の ある 所 を そっと 平手 で さすり ながら 、船 が シヤトル の 波止場 に 着く 時 の ありさま を 想像 して みた 。 して おか なければ ならない 事 が 数 かぎりなく ある らしかった けれども 、何 を して おく と いう 事 も なかった 。 ただ なんでも いい せっせと 手当たり次第 したく を して おか なければ 、それ だけの 心尽くし を 見せて 置か なければ 、目論見 どおり 首尾 が 運ば ない ように 思った ので 、一ぺん 横 に なった ものを また むくむく と 起き上がった 。 ・・

まず きのう 着た 派手な 衣類 が そのまま 散らかって いる の を 畳んで トランク の 中 に しまいこんだ 。 臥る 時 まで 着て いた 着物 は 、わざと はなやかな 長襦袢 や 裏地 が 見える ように 衣紋竹 に 通して 壁 に かけた 。 事務 長 の 置き忘れて 行った パイプ や 帳簿 の ような もの は 丁寧に 抽き 出し に 隠した 。 古藤 が 木村 と 自分 と に あてて 書いた 二 通 の 手紙 を 取り出して 、古藤 が して おいた ように 、枕 の 下 に 差しこんだ 。 鏡 の 前 に は 二人 の 妹 と 木村 との 写真 を 飾った 。 それ から 大事な 事 を 忘れて いた のに 気 が ついて 、廊下 越し に 興録 を 呼び出して 薬 びん や 病床 日記 を 調える ように 頼んだ 。 興録 の 持って 来た 薬 びん から 薬 を 半分 が た 痰 壺 に 捨てた 。 日本 から 木村 に 持って行く ように 託さ れた 品々 を トランク から 取り分けた 。 その 中 から は 故郷 を 思い出させる ような いろいろな 物 が 出て来た 。 香 いま で が 日本 という もの を ほのかに 心 に 触れ させた 。 ・・

葉子 は 忙しく 働か して いた 手 を 休めて 、部屋 の まん中 に 立って あたり を 見回して 見た 。 しぼんだ 花束 が 取りのけられて なく なって いる ばかりで 、あと は 横浜 を 出た 時 の とおり の 部屋 の 姿 に なっていた 。 旧 い 記憶 が 香 の ように しみこんだ それ ら の 物 を 見る と 、葉子 の 心 は われ に も なく ふと ぐらつき かけた が 、涙 も さそわず に 淡く 消えて 行った 。 ・・

フォクスル で 起重機 の 音 が かすかに 響いて 来る だけ で 、葉子 の 部屋 は 妙に 静かだった 。 葉子 の 心 は 風 の ない 池 か 沼 の 面 の ように ただ どんより と よどんでいた 。 からだ は なんの わけ も なく だるく 物 懶 かった 。 ・・

食堂 の 時計 が 引きしまった 音 で 三 時 を 打った 。 それ を 相図 の ように 汽笛 が すさまじく 鳴り響いた 。 港 に は いった 相 図 を している のだ な と 思った 。 と 思う と 今 まで 鈍く 脈打つ ように 見えていた 胸 が 急に 激しく 騒ぎ 動き出した 。 それ が 葉子 の 思い も 設け ぬ 方向 に 動き出した 。 もう この 長い 船旅 も 終わった のだ 。 十四五 の 時 から 新聞 記者 に なる 修業 の ため に 来たい 来たい と 思っていた 米国 に 着いた のだ 。 来たい と は 思い ながら ほんとうに 来よう と は 夢にも 思わなかった 米国 に 着いた のだ 。 それ だけ の 事 で 葉子 の 心 は もう しみじみ と した もの に なって いた 。 木村 は 狂う ような 心 を しいて 押し しずめ ながら 、船 の 着く の を 埠頭 に 立って 涙ぐみ つつ 待って いる だろう 。 そう 思い ながら 葉子 の 目 は 木村 や 二人 の 妹 の 写真 の ほう に さまよって 行った 。 それ と ならべて 写真 を 飾って おく 事 も でき ない 定子 の 事 まで が 、哀れ 深く 思いやられた 。 生活 の 保障 を して くれる 父親 も なく 、膝 に 抱き上げて 愛撫して やる 母親 に も はぐれた あの 子 は 今 あの 池 の 端 の さびしい 小家 で 何 を している のだろう 。 笑って いる か と 想像 して みる の も 悲しかった 。 泣いて いる か と 想像 して みる の も あわれだった 。 そして 胸 の 中 が 急に わくわく と ふさがって 来て 、せきとめる 暇 も なく 涙 が はらはら と 流れ出た 。 葉子 は 大急ぎ で 寝台 の そば に 駆けよって 、枕 も と におい といた ハンケチ を 拾い上げて 目 が しら に 押しあてた 。 素直な 感傷 的な 涙 が ただ わけ も なく あとから あとから 流れた 。 この 不意 の 感情 の 裏切り に は しかし 引き入れられる ような 誘惑 が あった 。 だんだん 底 深く 沈んで 哀しく なって 行く その 思い 、なんの 思い と も 定め かねた 深い 、わびしい 、悲しい 思い 。 恨み や 怒り を きれいに ぬぐい去って 、あきらめ きった ように すべて の もの を ただ しみじみ と なつかしく 見せる その 思い 。 いとしい 定子 、 いとしい 妹 、 いとしい 父母 、…… なぜ こんな なつかしい 世に 自分 の 心 だけ が こう 哀しく 一人 ぼっちな のだろう 。 なぜ 世の中 は 自分 の ような もの を あわれむ しかた を 知ら ない のだろう 。 そんな 感じ の 零細な 断片 が つぎつぎに 涙 に ぬれて 胸 を 引きしめ ながら 通り過ぎた 。 葉子 は 知らず知らず それ ら の 感じ に しっかり すがり付こう と した けれども 無益だった 。 感じ と 感じ と の 間 に は 、星 の ない 夜 の ような 、波 の ない 海 の ような 、暗い 深い 際 涯 の ない 悲哀 が 、愛憎 の すべて を ただ 一色 に 染め なして 、どんより と 広がって いた 。 生 を 呪う より も 死 が 願わ れ る ような 思い が 、逼る でも なく 離れる でも なく 、葉子 の 心 に まつわり付いた 。 葉子 は 果ては 枕 に 顔 を 伏せて 、ほんとうに 自分 の ため に さめざめ と 泣き 続けた 。 ・・

こうして 小 半時 も たった 時 、船 は 桟橋 に つながれた と 見えて 、二 度 目 の 汽笛 が 鳴り はためいた 。 葉子 は 物 懶げ に 頭 を もたげて 見た 。 ハンケチ は 涙 の ため に しぼる ほど ぬれて 丸まって いた 。 水夫 ら が 繋ぎ 綱 を 受けたり やったり する 音 と 、鋲釘 を 打ちつけた 靴 で 甲板 を 歩き回る 音 と が 入り乱れて 、頭 の 上 は さながら 火事場 の ような 騒ぎ だった 。 泣いて 泣いて 泣き 尽くした 子供 の ような ぼんやり した 取りとめのない 心持ち で 、葉子 は 何を 思う とも なく それ を 聞いていた 。 ・・

と 突然 戸外 で 事務長 の 、・・

「ここ が お 部屋 です 」・・

と いう 声 が した 。 それ が まるで 雷 か 何 か の ように 恐ろしく 聞こえた 。 葉子 は 思わず ぎょっと なった 。 準備 を して おく つもりで いながら なんの 準備 も できて いない 事 も 思った 。 今 の 心持ち は 平気 で 木村 に 会える 心持ち で は なかった 。 おろおろ し ながら 立ち は 上がった が 、立ち上がって も どう する 事 も できない のだ と 思う と 、追いつめられた 罪人 の ように 、頭 の 毛 を 両手 で 押えて 、髪 の 毛 を むしり ながら 、寝台 の 上に がば と 伏さって しまった 。 ・・

戸 が あいた 。 ・・

「戸 が あいた 」、葉子 は 自分 自身 に 救い を 求める ように 、こう 心 の 中 で うめいた 。 そして 息 気 も とまる ほど 身内 が しゃちこばって しまって いた 。 ・・

「早月 さん 、木村 さん が 見えました よ 」・・

事務 長 の 声 だ 。 あ ゝ 事務 長 の 声 だ 。 事務 長 の 声 だ 。 葉子 は 身 を 震わせて 壁 の ほう に 顔 を 向けた 。 ……事務 長 の 声 だ ……。 ・・

「葉子 さん 」・・

木村 の 声 だ 。 今度 は 感情 に 震えた 木村 の 声 が 聞こえて 来た 。 葉子 は 気 が 狂い そうだった 。 とにかく 二人 の 顔 を 見る 事 は どうしても できない 。 葉子 は 二 人 に 背ろ を 向け ますます 壁 の ほう に もがき より ながら 、涙 の 暇 から 狂人 の ように 叫んだ 。 たちまち 高く たちまち 低い その 震え 声 は 笑って いる ように さえ 聞こえた 。 ・・

「出て ……お 二人 とも どうか 出て ……この 部屋 を ……後生 ですから 今 この 部屋 を ……出て ください まし ……」・・

木村 は ひどく 不安げ に 葉子 に よりそって その 肩 に 手 を かけた 。 木村 の 手 を 感ずる と 恐怖 と 嫌悪 と の ため に 身 を ちぢめて 壁 に しがみついた 。 ・・

「痛い ……いけません ……お腹 が ……早く 出て ……早く ……」・・

事務長 は 木村 を 呼び寄せて 何か しばらく ひそひそ 話し合って いる ようだった が 、二人 ながら 足音 を 盗んで そっと 部屋 を 出て 行った 。 葉子 は なおも 息 気 も 絶え絶えに 、・・

「どうぞ 出て ……あっち に 行って ……」・・

と いい ながら 、いつまでも 泣き 続けた 。

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