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有島武郎 - 或る女(アクセス), 17.2 或る女

17.2或る 女

事務長 が コップ を 器用に 口 びる に あてて 、仰向き かげん に 飲みほす 間 、葉子 は 杯 を 手 に もった まま 、ぐびり ぐびり と 動く 男 の 喉 を 見つめて いた が 、いきなり 自分 の 杯 を 飲ま ない まま 盆 の 上 に かえして 、・・

「よくも あなた は そんなに 平気で いらっしゃる の ね 」・・

と 力 を こめる つもりで いった その 声 は いくじ なく も 泣か ん ばかりに 震えて いた 。 そして 堰 を 切った ように 涙 が 流れ出よう と する の を 糸切り歯 で かみきる ばかりに しいて くいとめた 。 ・・

事務長 は 驚いた らしかった 。 目 を 大きく して 何か いおう と する うちに 、葉子 の 舌 は 自分 でも 思い 設け なかった 情熱 を 帯びて 震え ながら 動いて いた 。 ・・

「 知っています 。 知っています と も ……。 あなた は ほんとに ……ひどい 方 です の ね 。 わたし なんにも 知ら ない と 思って らっしゃる の ね 。 え ゝ 、 わたし は 存じません 、 存じません 、 ほんとに ……」・・ 何 を いう つもりな の か 自分 でも わから なかった 。 ただ 激しい 嫉妬 が 頭 を ぐらぐら させる ばかりに 嵩じて 来る の を 知っていた 。 男 が ある 機会 に は 手 傷 も 負わ ないで 自分 から 離れて 行く ……そういう いまいましい 予想 で 取り乱されて いた 。 葉子 は 生来 こんな みじめな まっ暗 な 思い に 捕えられた 事 が なかった 。 それ は 生命 が 見 す 見 す 自分 から 離れて 行く の を 見守る ほど みじめ で まっ暗 だった 。 この 人 を 自分 から 離れ さす くらい なら 殺して みせる 、そう 葉子 は とっさに 思いつめて みたり した 。 ・・

葉子 は もう 我慢 に も そこ に 立って いられ なく なった 。 事務長 に 倒れかかりたい 衝動 を しいて じっと こらえ ながら 、きれいに 整えられた 寝台 に ようやく 腰 を おろした 。 美 妙な 曲線 を 長く 描いて のどかに 開いた 眉 根 は 痛ましく 眉間 に 集まって 、急に やせた か と思う ほど 細った 鼻筋 は 恐ろしく 感傷的な 痛々しさ を その 顔 に 与えた 。 いつ に なく 若々しく 装った 服装 まで が 、皮肉な 反語 の ように 小股 の 切れあがった やせ 形 な その 肉 を 痛ましく 虐げた 。 長い 袖 の 下 で 両手 の 指 を 折れよ と ばかり 組み合わせて 、何もかも 裂いて 捨てたい ヒステリック な 衝動 を 懸命に 抑え ながら 、葉子 は 唾 も 飲みこめ ない ほど 狂おしく なって しまっていた 。 ・・

事務長 は 偶然に 不思議 を 見つけた 子供 の ような 好奇 な あきれた 顔つき を して 、葉子 の 姿 を 見やっていた が 、片方 の スリッパ を 脱ぎ 落とした その 白 足袋 の 足もと から 、やや 乱れた 束髪 まで を しげしげと 見上げながら 、・・

「どうした ん です 」・・

と いぶかる ごとく 聞いた 。 葉子 は ひったくる ように さ そく に 返事 を しよう と した けれども 、どうしても それ が でき なかった 。 倉地 は その 様子 を 見る と 今度 は まじめに なった 。 そして 口 の 端 まで 持って行った 葉巻 を そのまま トレイ の 上 に 置いて 立ち上がり ながら 、・・

「どうした ん です 」・・

と もう 一 度 聞き なおした 。 それ と 同時に 、葉子 も 思いきり 冷酷に 、・・

「どう もしや しません 」・・と いう 事 が できた 。 二人 の 言葉 が もつれ 返った ように 、二人 の 不思議な 感情 も もつれ合った 。 もう こんな 所 に は いない 、葉子 は この 上 の 圧迫 に は 堪えられなく なって 、はなやかな 裾 を 蹴乱し ながら まっしぐらに 戸口 の ほう に 走り出よう と した 。 事務長 は その 瞬間 に 葉子 の な よ や かな 肩 を さえぎり とめた 。 葉子 は さえぎられて 是非 なく 事務 テーブル の そば に 立ちすくんだ が 、誇り も 恥 も 弱さ も 忘れて しまって いた 。 どうにでも なれ 、殺す か 死ぬ か する のだ 、そんな 事 を 思う ばかりだった 。 こらえ に こらえて いた 涙 を 流れる に 任せ ながら 、事務長 の 大きな 手 を 肩 に 感じた まま で 、しゃくり上げて 恨めしそうに 立っていた が 、手近に 飾って ある 事務長 の 家族 の 写真 を 見る と 、かっと 気 が のぼせて 前後 の わきまえ も なく 、それ を 引ったくる と ともに 両手 に あらん限り の 力 を こめて 、人殺し でも する ような 気負い で ずたずたに 引き裂いた 。 そして も み く たに なった 写真 の 屑 を 男 の 胸 も 透れ と 投げつける と 、写真 の あたった その 所 に かみつき も しかねまじき 狂乱 の 姿 と なって 、捨て身 に 武者 ぶり ついた 。 事務長 は 思わず 身 を 退いて 両手 を 伸ばして 走り よる 葉子 を せき止めよう と した が 、葉子 は われ にも なく 我 武者 に すり 入って 、男 の 胸 に 顔 を 伏せた 。 そして 両手 で 肩 の 服地 を 爪 も 立てよ と つかみ ながら 、 しばらく 歯 を くいしばって 震えて いる うち に 、 それ が だんだん すすり泣き に 変わって 行って 、 しまい に に は さめざめ と 声 を 立てて 泣き はじめた 。 そして しばらく は 葉子 の 絶望的な 泣き声 ばかり が 部屋 の 中 の 静かさ を かき乱して 響いていた 。 ・・

突然 葉子 は 倉地 の 手 を 自分 の 背中 に 感じて 、電気 に でも 触れた ように 驚いて 飛びのいた 。 倉地 に 泣き ながら すがりついた 葉子 が 倉地 から どんな もの を 受け取ら ねば ならぬ か は 知れ きって いた のに 、優しい 言葉 でも かけて もらえる かの ごとく 振る舞った 自分 の 矛盾 に あきれて 、恐ろしさ に 両手 で 顔 を おおい ながら 部屋 の すみ に 退って 行った 。 倉地 は すぐ 近寄って 来た 。 葉子 は 猫 に 見込まれた カナリヤ の ように 身 もだえ し ながら 部屋 の 中 を 逃げに かかった が 、事務長 は 手 も なく 追いすがって 、葉子 の 二の腕 を 捕えて 力まかせに 引き寄せた 。 葉子 も 本気 に あらん 限り の 力 を 出して さからった 。 しかし その 時 の 倉地 は もう ふだん の 倉地 で は なくなっていた 。 けさ 写真 を 見て いた 時 、後ろ から 葉子 を 抱きしめた その 倉地 が 目ざめて いた 。 怒った 野獣 に 見る 狂暴な 、防ぎ ようのない 力 が あらしのように 男の 五 体 を さいなむ らしく 、倉地 は その 力の 下に うめき もがき ながら 、葉子 に まっしぐらに つかみかかった 。 ・・

「また おれ を ばかに し やがる な 」・・

と いう 言葉 が くいしばった 歯 の 間 から 雷 の ように 葉子 の 耳 を 打った 。 ・・

あ ゝ この 言葉 ―― この むき出しな 有 頂点 な 興奮 した 言葉 こそ 葉子 が 男 の 口 から 確かに 聞こう と 待ち 設けた 言葉 だった のだ 。 葉子 は 乱暴な 抱擁 の 中 に それ を 聞く と ともに 、心 の すみ に 軽い 余裕 の できた の を 感じて 自分 という もの が どこ か の すみ に 頭 を もたげ かけた の を 覚えた 。 倉地 の 取った 態度 に 対して 作為 の ある 応対 が でき そうに さえ なった 。 葉子 は 前 どおり すすり泣き を 続けて は いた が 、その 涙 の 中 に は もう 偽り の しずく すら まじって いた 。 ・・

「いや です 放して 」・・

こういった 言葉 も 葉子 に は どこ か 戯曲 的な 不自然な 言葉 だった 。 しかし 倉地 は 反対に 葉子 の 一 語 一 語 に 酔いしれて 見えた 。 ・・

「だれ が 離す か 」・・

事務 長 の 言葉 は みじめに も かすれ おののいて いた 。 葉子 は どんどん 失った 所 を 取り返して 行く ように 思った 。 そのくせ その 態度 は 反対に ますます たよりなげ な やる 瀬 ない もの に なって いた 。 倉地 の 広い 胸 と 太い 腕 との 間 に 羽 がい に 抱きしめられ ながら 、小鳥 の ように ぶるぶる と 震えて 、・・「ほんとうに 離して ください まし 」・・ 「いやだ よ 」・・

葉子 は 倉地 の 接吻 を 右 に 左 に よけ ながら 、さらに 激しく すすり泣いた 。 倉地 は 致命 傷 を 受けた 獣 の ように うめいた 。 その 腕 に は 悪魔 の ような 血 の 流れる の が 葉子 に も 感ぜられた 。 葉子 は 程 を 見計らって いた 。 そして 男 の 張りつめた 情 欲 の 糸 が 絶ち 切れ ん ばかりに 緊張 した 時 、葉子 は ふと 泣きやんで きっと 倉地 の 顔 を 振り 仰いだ 。 その 目 から は 倉地 が 思い も かけ なかった 鋭い 強い 光 が 放たれて いた 。 ・・

「ほんとうに 放して いただきます 」・・と きっぱり いって 、葉子 は 機敏に ちょっと ゆるんだ 倉地 の 手 を すりぬけた 。 そして いち早く 部屋 を 横 筋 かい に 戸口 まで 逃げのびて 、ハンドル に 手 を かけ ながら 、・・

「あなた は けさ この 戸 に 鍵 を お かけ に なって 、……それ は 手籠め です ……わたし ……」・・

と いって 少し 情 に 激し て うつむいて また 何 か いい 続けよう と する らしかった が 、突然 戸 を あけて 出て 行って しまった 。 ・・

取り残さ れた 倉地 は あきれて しばらく 立って いる ようだった が 、やがて 英語 で 乱暴な 呪詛 を 口走り ながら 、いきなり 部屋 を 出て 葉子 の あと を 追って 来た 。 そして まもなく 葉子 の 部屋 の 所 に 来て ノック した 。 葉子 は 鍵 を かけた まま 黙って 答え ないで いた 。 事務長 は なお 二三 度 ノック を 続けて いた が 、いきなり 何か 大声 で 物 を いい ながら 船医 の 興録 の 部屋 に はいる の が 聞こえた 。 ・・

葉子 は 興録 が 事務長 の さしがね で なんとか いい に 来る だろう と ひそかに 心待ち に していた 。 ところが なんとも いって 来ない ばかりか 、船 医室 から は 時々 あたり を はばからない 高笑い さえ 聞こえて 、事務長 は 容易に その 部屋 を 出て行き そうな 気配 も なかった 。 葉子 は 興奮 に 燃え 立つ いらいら した 心 で そこ に いる 事務長 の 姿 を いろいろ 想像 して いた 。 ほか の 事 は 一 つ も 頭 の 中 に は はいって 来なかった 。 そして つくづく 自分 の 心 の 変わり かた の 激しさ に 驚か ずに は いられ なかった 。 「 定子 ! 定子 ! 」葉子 は 隣 に いる 人 を 呼び出す ような 気 で 小さな 声 を 出して みた 。 その 最愛 の 名 を 声 に まで 出して みて も 、その 響き の 中 に は 忘れて いた 夢 を 思い出した ほど の 反応 も なかった 。 どう すれば 人 の 心 と いう もの は こんなに まで 変わり果てる もの だろう 。 葉子 は 定子 を あわれむ より も 、自分 の 心 を あわれむ ために 涙ぐんで しまった 。 そして なんの 気 なし に 小卓 の 前 に 腰 を かけて 、大切な もの の 中 に しまって おいた 、そのころ 日本 では 珍しい ファウンテン・ペン を 取り出して 、筆 の 動く まま に そこ に あった 紙きれ に 字 を 書いて みた 。 ・・

「女 の 弱き 心 に つけ入り たもう は あまりに 酷き お 心 と ただ 恨めしく 存じ 参らせ 候 妾 の 運命 は この 船 に 結ばれ たる 奇しき え に しや 候 いけん 心がら とは 申せ 今 は 過去 の すべて 未来 の すべて を 打ち捨てて ただ 目の前 の 恥ずかしき 思い に 漂う ばかりなる 根なし草 の 身 と なり果て 参らせ 候 を 事もなげに 見やり たもう が 恨めしく 恨めしく 死 」・・

と なんの くふう も なく 、よく 意味 も わから ないで 一 瀉 千里 に 書き 流して 来た が 、「死 」と いう 字 に 来る と 、葉子 は ペン も 折れよ と いらいらしく その 上 を 塗り 消した 。 思い の まま を 事務長 に いって やる の は 、思い 存分 自分 を もてあそべ と いって やる の と 同じ 事 だった 。 葉子 は 怒り に 任せて 余白 を 乱暴に いたずら 書き で よごして いた 。 ・・

と 、突然 船 医 の 部屋 から 高々 と 倉地 の 笑い声 が 聞こえて 来た 。 葉子 は われ に も なく 頭 を 上げて 、しばらく 聞き 耳 を 立てて から 、そっと 戸口 に 歩み寄った が 、あと は それなり また 静かに なった 。 ・・

葉子 は 恥ずかしげ に 座 に 戻った 。 そして 紙 の 上 に 思い出す まま に 勝手な 字 を 書いたり 、形 の 知れない 形 を 書いて みたり しながら 、ずきんずきん と 痛む 頭 を ぎゅっと 肘 を ついた 片手 で 押えて なんという 事 も なく 考え つづけた 。 ・・

念 が 届けば 木村 に も 定子 に も なんの 用 が あろう 。 倉地 の 心 さえ つかめば あと は 自分 の 意地 一 つ だ 。 そう だ 。 念 が 届か なければ …… 念 が 届か なければ …… 届か なければ あらゆる もの に 用 が なくなる のだ 。 そう したら 美しく 死のう ねえ 。 ……どうして ……私 は どうして ……けれども ……葉子 は いつのまにか 純粋に 感傷的に なって いた 。 自分 に も こんな お ぼこな 思い が 潜んで いた か と 思う と 、抱いて なで さすって やりたい ほど 自分 が かわゆく も あった 。 そして 木部 と 別れて 以来 絶えて 味わわ なかった この 甘い 情緒 に 自分 から ほだされ おぼれて 、心中 でも する 人 の ような 、恋 に 身 を まかせる 心安 さに ひたり ながら 小机 に 突っ伏して しまった 。 ・・

やがて 酔いつぶれた 人 の ように 頭 を もたげた 時 は 、とうに 日 が かげって 部屋 の 中 に は はなやかに 電燈 が ともっていた 。 ・・

いきなり 船 医 の 部屋 の 戸 が 乱暴に 開かれる 音 が した 。 葉子 は はっと 思った 。 その 時 葉子 の 部屋 の 戸 に ど たり と 突きあたった 人 の 気配 が して 、「早月 さん 」と 濁って 塩 がれた 事務長 の 声 が した 。 葉子 は 身 の すくむ ような 衝動 を 受けて 、思わず 立ち上がって たじろぎ ながら 部屋 の すみ に 逃げ かくれた 。 そして からだ じゅう を 耳 の ように して いた 。 ・・

「早月 さん お 願い だ 。 ちょっと あけて ください 」・・

葉子 は 手早く 小机 の 上 の 紙 を 屑 かご に なげすてて 、ファウンテン・ペン を 物陰 に ほうりこんだ 。 そして せかせか と あたり を 見回した が 、あわて ながら 眼 窓 の カーテン を しめきった 。 そして また 立ちすくんだ 、自分 の 心 の 恐ろしさ に まどい ながら 。 ・・

外部 で は 握り拳 で 続け さま に 戸 を たたいて いる 。 葉子 は そわそわ と 裾 前 を かき 合わせて 、肩 越し に 鏡 を 見やり ながら 涙 を ふいて 眉 を なで つけた 。 ・・

「早月 さん 」・・

葉子 は やや しばし とつ お いつ 躊躇 して いた が 、 とうとう 決心 して 、 何 か あわて くさって 、 鍵 を がちがち やり ながら 戸 を あけた 。 ・・

事務長 は ひどく 酔って は いって 来た 。 どんなに 飲んで も 顔色 も かえない ほど の 強酒 な 倉地 が 、こんなに 酔う の は 珍しい 事 だった 。 締めきった 戸 に 仁王立ち に よりかかって 、冷然 と した 様子 で 離れて 立つ 葉子 を まじまじ と 見すえ ながら 、・・

「 葉子 さん 、 葉子 さん が 悪ければ 早月 さん だ 。 早月 さん ……僕 の する 事 は する だけ の 覚悟 が あって するんです よ 。 僕 は ね 、横浜 以来 あなた に 惚れて いた んだ 。 それ が わから ない あなた じゃ ない でしょう 。 暴力 ? 暴力 が なんだ 。 暴力 は 愚かな こった 。 殺し たく なれば 殺して も 進ん ぜ る よ 」・・

葉子 は その 最後 の 言葉 を 聞く と 瞑眩 を 感ずる ほど 有頂天 に なった 。 ・・

「 あなた に 木村 さん と いう の が 付いてる くらい は 、 横浜 の 支店 長 から 聞か さ れ とる ん だ が 、 どんな人 だ か 僕 は もちろん 知りません さ 。 知ら ん が 僕 の ほう が あなた に 深 惚れ し とる 事 だけ は 、この 胸 三寸 で ちゃんと 知っとる んだ 。 それ 、 それ が わから ん ? 僕 は 恥 も 何も さらけ出して いっとる んです よ 。 これ でも わから んです か 」・・

葉子 は 目 を かがやかし ながら 、その 言葉 を むさぼった 。 かみしめた 。 そして のみ込んだ 。 ・・

こうして 葉子 に 取って 運命的な 一 日 は 過ぎた 。

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