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有島武郎 - 或る女(アクセス), 15.2 或る女

15.2或る 女

もう すべて は 後悔 に は おそすぎた 。 岡 の 声 で 今 寝床 から 起き上がった らしい 事務長 は 、荒い 棒縞 の ネル の 筒袖 一枚 を 着た まま で 、目 の はれぼったい 顔 を して 、小山 の ような 大きな 五体 を 寝床 に くねら して 、突然 はいって 来た 葉子 を ぎっと 見守って いた 。 とうの昔 に 心 の 中 は 見とおし きって いる ような 、それでいて 言葉 も ろくろく かわさ ない ほど に 無頓着に 見える 男 の 前 に 立って 、葉子 は さすがに しばらく は いい 出づ べき 言葉 も なかった 。 あせる 気 を 押し 鎮め 押し しずめ 、 顔色 を 動かさない だけ の 沈着 を 持ち 続けよう と つとめた が 、 今 まで に 覚えない 惑 乱 の ため に 、 頭 は ぐらぐら と なって 、 無意味だ と 自分 で さえ 思わ れる ような 微笑 を もらす 愚か さ を どう する 事 も でき なかった 。 倉地 は 葉子 が その 朝 その 部屋 に 来る の を 前 から ちゃんと 知り 抜いて でも いた ように 落ち付き 払って 、朝 の 挨拶 も せ ず に 、・・

「さ 、おかけなさい 。 ここ が 楽 だ 」・・

と いつも の とおり な 少し 見おろした 親しみ の ある 言葉 を かけて 、昼間 は 長椅子 が わりに 使う 寝台 の 座 を 少し 譲って 待って いる 。 葉子 は 敵意 を 含んで さえ 見える 様子 で 立った まま 、・・

「何 か 御用 が お あり に なる そうで ございます が ……」・・

固く なり ながら いって 、 あ ゝ また 見えすく 事 を いって しまった と すぐ 後悔 した 。 事務長 は 葉子 の 言葉 を 追いかける ように 、・・

「用 は あと で いいます 。 まあ お かけ なさい 」・・

と いって すまして いた 。 その 言葉 を 聞く と 、葉子 は その いいなり 放題 に なる より しかたがなかった 。 「お前 は 結局 は ここ に すわる ように なる んだ よ 」と 事務長 は 言葉 の 裏 に 未来 を 予知 しきっている のが 葉子 の 心 を 一種 捨てばち な もの に した 。 「すわって やる もの か 」という 習慣的な 男 に 対する 反抗心 は ただ わけもなく ひしがれていた 。 葉子 は つかつか と 進み よって 事務 長 と 押し 並んで 寝台 に 腰かけて しまった 。 ・・

この 一 つ の 挙動 が ――この なんでもない 一 つ の 挙動 が 急に 葉子 の 心 を 軽く して くれた 。 葉子 は その 瞬間 に 大急ぎで 今まで 失い かけて いた もの を 自分 の ほう に たぐり 戻した 。 そして 事務 長 を 流し目 に 見やって 、ちょっと ほほえんだ その 微笑 に は 、さっき の 微笑 の 愚かしさ が 潜んで いない の を 信ずる 事 が できた 。 葉子 の 性格 の 深み から わき出る おそろしい 自然さ が まとまった 姿 を 現わし 始めた 。 ・・

「何 御用 で いらっしゃいます 」・・その わざとらしい 造り 声 の 中 に かすかな 親しみ を こめて 見せた 言葉 も 、肉感的に 厚み を 帯びた 、それでいて 賢しげに 締まりのいい 二つの 口びる に ふさわしい もの と なっていた 。 ・・

「きょう 船 が 検疫所 に 着く んです 、きょうの 午後 に 。 ところが 検疫 医 が これ なんだ 」・・

事務長 は 朋輩 に でも 打ち明ける ように 、大きな 食指 を 鍵形 に まげて 、たぐる ような 格好 を して 見せた 。 葉子 が ちょっと 判じ かねた 顔つき を している と 、・・

「だから 飲まして やら ん ならん のです よ 。 それ から ポーカー に も 負けて やら ん ならん 。 美人 が いれば 拝ま して も やらん ならん 」・・

と なお 手 まね を 続け ながら 、事務長 は 枕 もと に おいて ある 頑固な パイプ を 取り上げて 、指 の 先 で 灰 を 押しつけて 、吸い残り の 煙草 に 火 を つけた 。 ・・

「船 を さえ 見れば そうした 悪戯 を し おる んだ から 、海坊主 を 見る ような やつ です 。 そういう と 頭 の つるり と した 水 母 じみ た 入道 らしい が 、実際 は 元気 の いい 意気 な 若い 医者 で ね 。 おもしろい やつ だ 。 一つ 会って ごらん 。 わたし で から が あんな 所 に 年 じゅう 置かれれば ああ なる わ さ 」・・

と いって 、右手 に 持った パイプ を 膝 が しら に 置き添えて 、向き直って まともに 葉子 を 見た 。 しかし その 時 葉子 は 倉地 の 言葉 に は それほど 注意 を 払って は いない 様子 を 見せて いた 。 ちょうど 葉子 の 向こう側 に ある 事務 テーブル の 上 に 飾られた 何枚かの 写真 を 物珍しそうに ながめやって 、右手 の 指先 を 軽く 器用に 動かし ながら 、煙草 の 煙 が 紫色 に 顔 を かすめる のを 払っていた 。 自分 を 囮 に まで 使おう と する 無礼 も あなた なれば こそ なんとも いわず に いる のだ と いう 心 を 事務長 も さすがに 推した らしい 。 しかし それ に も 係わらず 事務長 は 言いわけ 一つ いわず 、いっこう 平気な もの で 、きれいな 飾り紙 の ついた 金口 煙草 の 小箱 を 手 を 延ばして 棚 から 取り上げ ながら 、・・

「どう です 一 本 」・・

と 葉子 の 前 に さし出した 。 葉子 は 自分 が 煙草 を のむ か の まぬか の 問題 を はじき 飛ばす ように 、・・

「あれ は どなた ? 」と 写真 の 一 つ に 目 を 定めた 。 ・・

「 どれ 」・・

「あれ 」葉子 は そういった まま で 指さし は し ない 。 ・・

「どれ 」と 事務長 は もう 一度 いって 、葉子 の 大きな 目 を まじまじと 見入って から その 視線 を たどって 、しばらく 写真 を 見分けて いた が 、・・

「は ああ れ か 。 あれ は ね わたし の 妻子 です んだ 。 荊妻 と 豚 児 ども です よ 」・・

と いって 高々 と 笑い かけた が 、ふと 笑い やんで 、険しい 目 で 葉子 を ちらっと 見た 。 ・・

「まあ そう 。 ちゃん と お 写真 を お飾り なすって 、お やさしゅう ござんすわ ね 」・・

葉子 は しん なり と 立ち上がって その 写真 の 前 に 行った 。 物珍しい もの を 見る と いう 様子 を して は いた けれども 、心 の 中 に は 自分 の 敵 が どんな 獣物 である か を 見きわめて やる ぞ という 激しい 敵愾心 が 急に 燃えあがって いた 。 前 に は 芸者 で でも あった の か 、それとも 良人 の 心 を 迎える ため に そう 造った の か 、どこ か 玄人じみた きれいな 丸髷 の 女 が 着飾って 、三人 の 少女 を 膝 に 抱いたり そば に 立たせたり して 写っていた 。 葉子 は それ を 取り上げて 孔 の あく ほど じっと 見やり ながら テーブル の 前 に 立って いた 。 ぎこちない 沈黙 が しばらく そこ に 続いた 。 ・・

「お 葉さん 」(事務 長 は 始めて 葉子 を その 姓 で 呼ば ず に こう 呼びかけた )突然 震え を 帯びた 、低い 、重い 声 が 焼きつく ように 耳 近く 聞こえた と 思う と 、葉子 は 倉地 の 大きな 胸 と 太い 腕 と で 身動き も できない ように 抱きすくめられて いた 。 もとより 葉子 は その 朝 倉地 が 野獣 の ような assault に 出る 事 を 直 覚 的に 覚悟 して 、 むしろ それ を 期待 して 、 その assault を 、 心ばかり で なく 、 肉体的 な 好奇心 を もって 待ち受けて いた のだった が 、 かく まで 突然 、 なんの 前ぶれ も なく 起こって 来よう と は 思い も 設け なかった ので 、 女 の 本 然 の 羞恥 から 起こる 貞 操 の 防衛 に 駆られて 、 熱 しきった ような 冷えきった ような 血 を 一 時 に 体 内 に 感じ ながら 、 かかえられた まま 、 侮 蔑 を きわめた 表情 を 二 つ の 目 に 集めて 、 倉地 の 顔 を 斜めに 見返した 。 その 冷ややかな 目 の 光 は 仮初め の 男 の 心 を たじろがす はずだった 。 事務長 の 顔 は 振り返った 葉子 の 顔 に 息気 の かかる ほど の 近さ で 、葉子 を 見入っていた が 、葉子 が 与えた 冷酷な ひとみ に は 目 も くれぬ まで 狂わしく 熱していた 。 (葉子 の 感情 を 最も 強く あおり立てる もの は 寝床 を 離れた 朝 の 男 の 顔 だった 。 一夜 の 休息 に すべて の 精気 を 充分 回復 した 健康な 男 の 容貌 の 中 に は 、女 の 持つ すべて の もの を 投げ入れて も 惜しく ない と 思う ほど の 力 が こもっている と 葉子 は 始終 感ずる のだった )葉子 は 倉地 に 存分な 軽侮 の 心持ち を 見せつけ ながら も 、その 顔 を 鼻 の 先 に 見る と 、男性 という もの の 強烈な 牽引の 力 を 打ち込まれ る ように 感ぜず に は いられなかった 。 息 気 せわしく 吐く 男 の ため 息 は 霰 の ように 葉子 の 顔 を 打った 。 火 と 燃え上がら ん ばかりに 男 の からだ から は desire の 焔 が ぐんぐん 葉子 の 血 脈 に まで 広がって 行った 。 葉子 は われ に も なく 異常な 興奮 に がたがた 震え 始めた 。 ・・

××× ・・

ふと 倉地 の 手 が ゆるんだ ので 葉子 は 切って 落とさ れた ように ふらふら と よろけ ながら 、危うく 踏みとどまって 目 を 開く と 、倉地 が 部屋 の 戸 に 鍵 を かけよう と している ところ だった 。 鍵 が 合わない ので 、・・

「糞っ 」・・と 後ろ向き に なって つぶやく 倉地 の 声 が 最後 の 宣告 の ように 絶望的に 低く 部屋 の 中 に 響いた 。 ・・

倉地 から 離れた 葉子 は さながら 母 から 離れた 赤子 の ように 、すべて の 力 が 急に どこ か に 消えて しまう のを 感じた 。 あと に 残る もの とて は 底 の ない 、たよりない 悲哀 ばかり だった 。 今 まで 味わって 来た すべて の 悲哀 より も さらに 残酷な 悲哀 が 、葉子 の 胸 を かきむしって 襲って 来た 。 それ は 倉地 の そこ に いる の すら 忘れ さす くらい だった 。 葉子 は いきなり 寝床 の 上 に 丸まって 倒れた 。 そして うつ ぶし に なった まま 痙攣 的に 激しく 泣き出した 。 倉地 が その 泣き声 に ちょっと ためらって 立った まま 見て いる 間 に 、葉子 は 心 の 中 で 叫び に 叫んだ 。 ・・

「殺す なら 殺す が いい 。 殺さ れた って いい 。 殺さ れた って 憎み つづけて やる から いい 。 わたし は 勝った 。 なんといっても 勝った 。 こんなに 悲しい の を なぜ 早く 殺して は くれ ない のだ 。 この 哀しみ に いつまでも ひたって いたい 。 早く 死んで しまいたい 。 ……」

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