アンリ ・マティス(161)
こんにちは 。 人 から 分かる 3 分 美術 史 。 今日 は アンリ ・ マティス に ついて 勉強 して いきましょう 。 アンリ ・ マティス 。 1869 年 生まれ 。 フランス の 画家 であり 、 フォーヴィスム の 代表 的な 作家 と して 知ら れます 。 ・・
マティス は 、 ナポレオン 3 世 統治 下 の フランス 、 北部 の 町 ル ・ カトー ・ カンブレジ で 、 商人 の 息子 と して 生まれました 。 マティス は 、20 歳 に なる まで 法律 を 学び 、 法律 事務 所 で 働きました 。 そんな なか 虫垂炎 を 患い 、1 年間 の 療養 を する なか で 、 画家 を 志す ように なります 。 1891 年 、22 歳 の マティス は パリ の アカデミー ・ ジュリアン に 入学 。 アカデミズム 絵画 の 代表 的な 作家 であった ウィリアム ・ ブーグロー に 学びました 。 しかし 当時 の パリ で は 、 印象 派 を はじめ と した 新しい 絵画 潮流 が 数多く 登場 して いました 。 マティス も ブーグロー の 作風 に は 相 入れ ず 、 独自の 画風 を 築いて いた ギュスターヴ ・ モロー の 画 塾 に 通う ように なります 。 その頃 の 作品 が 「 読書 する 女 」。 1895 年 、 マティス 26 歳 ごろ の 作品 です 。 これ から しばらく の マティス は 、 ポール ・ セザンヌ や ポール ・ シニャック ら の 影響 を 受け 、 様々な 作風 を 試みました 。 「 豪 奢 、 静寂 、 逸 楽 」 は 1904 年 、 マティス 35 歳 の 作品 であり 、 シニャック ら 新 印象 派 の 影響 を 強く 受けて います 。 次第に マティス は 、 モーリス ・ ド ・ ヴラマンク や アンドレ ・ ドラン と 知り合い 、 共に 制作 する ように なりました 。 その頃 の 作品 が 「 帽子 の 女 」。 1905 年 、 マティス 36 歳 ごろ の 作品 です 。 一見 して 荒々しく 、 また 、 鮮烈な 色彩 が 特徴 と なって おり 、 批評 家 の ルイ ・ ヴォークセル は 、 このような マティス や ドラン 、 ヴラマンク の 作風 を 「 フォーヴィスム ( 野獣 派 )」 と 呼びました 。 ・・
引き続き 、 マティス の 作品 を 見て いきましょう 。 「 ダンス 2」。 1910 年 、 マティス 41 歳 ごろ の 作品 であり 、 代表 作 と して 知ら れます 。 徹底 した 単純 化 、 躍動 感 、 装飾 性 が 特徴 です 。 「 仮面 の ある 装飾 」。 1953 年 、 マティス 84 歳 ごろ の 作品 です 。 晩年 の マティス は 体 の 衰え も あり 、 切り絵 を 試みる ように なりました 。 本 作 は 幅 10 メートル に およぶ 大作 であり 、 単純な 色 と 形 に よって 装飾 的で 構築 的な 空間 を 生み出して います 。 ・・
マティス は 、1954 年 に 84 歳 で 亡くなります 。 マティス の 作品 は アメリカ の 抽象 芸術 を はじめ と して 、 以後 の 芸術 に 大きな 影響 を 与えました 。 現在 に おいて も 、 マティス は フォーヴィスム の 代表 的 作家 であり 、 ピカソ と 並ぶ 、20 世紀 を 代表 する 大 芸術 家 の 一 人 の 考えられて います 。 以上 !