80. 純粋の 声 - 宮城 道雄
純粋の 声 - 宮城 道雄
私 が 上野 の 音楽 学校 に 奉職 する こと に なった 時 、 色々 話 が ある から と いう ので 、 或る 日 学校 に 呼ばれて 行った こと が ある 。 いよいよ 講師 と して の 辞令 を 渡さ れた 時 、 乗 杉 校長 が 、 この 学校 は 官 立 である から 、 官吏 と いう 立場 に おいて 体面 を 汚さ ぬ ような こと は 、 どんな こと を して も よい が 商事 会社 の 重役 に なって は いけ ぬ と 言った 。 ・・
私 も 長年 弟子 を 教えて は いた が 、 学校 の 先生 に なった の は 初めて な ので 、 非常に 珍しく また 嬉しい 気持 が した 。 第 二 に 嬉しかった の は 、 鉄道 の 割引 が ある ので 、 何だか むやみに 嬉しくて 、 その 当時 は 何 処 か 旅行 が して み たくて たまらなかった 。 その お蔭 で それ 程 用事 も なかった 所 に も 行ったり した 。 しかし 最近 は 割引 を して 貰う のに 、 時間 が とれて 面倒に 思う ように なった 。 ・・
或る 日 音楽 学校 で 、 私 の 作曲 した もの を 箏曲 科 の 学生 に 歌わ せた こと が あった 。 何 れ も 女学校 を 卒業 した 者 か 、 または それ 位 の 年頃 の 者 であった が 、 その 声 の 良し 悪し は 別 と して 、 それ が 非常に 純粋な 響き で 私 の 胸 を 打つ もの が あった 。 唄 が 朗 詠 風 の もの であった ので 、 私 は 歌わ せて い ながら 、 何だか 自分 が 天国 に 行って 、 天女 の コーラス を 聴いて いる ような 、 何とも いいがたい 感じ が した 。 私 は 或る レコード で 、 バッハ の カンタータ を 聴いた こと が ある が 、 その カンタータ の コーラス が 、 わざわざ 少女 を 集めて コーリング した ので 、 曲 も そう である が 、 普通の コーラス と は 別の 感じ が して 、 私 は その 演奏 に 打た れた こと が あった 。 私 は その 時 、 これ から 少女 たち の 声 を 入れた もの を 作曲 して みたい と 思った 。 ・・
音楽 学校 の 講師 に なって 間もなく 、 盲学校 の 方 に も 頼まれて 、 掛け もち で 行く こと に なった 。 初めて 盲学校 の 授業 が ある ので 、 教官 室 で 時間 の 来る の を 待って いたら 、 どの 先生 も 、 どの 先生 も 、 とてつもない ひどい 足音 を さ せて 歩いて いた 。 テーブル の 上 の もの は ガラガラ 音 が する し 、 どうも 大股 で わざと 音 を 立てて いる らしい 。 建物 が しっかり して いる らしい から よい ような もの の 、 根 太 が 抜け やしない だろう か と 思わ れた 。 ・・
私 は どういう 訳 で こんな ひどい 音 を さす の か と 思った が 、 それ は 生徒 が 盲人 な ので 、 大きな 音 を さ せて 歩けば 、 自然に 生徒 が よけて 通る 仕掛け に なって いた のだ そうである 。 或る 先生 の 如き は 腰 に 鈴 を つけて 、 生徒 が ぶつから ぬ ように して いた 。 ・・
それ で 生徒 の 方 でも 、 いつの間にか その 歩く 足音 で 、 あれ は 何 先生 だ と いう こと を 感 別 して いた のだ そうである 。 私 は 如何にも 音 の こと に 就いて 教育 されて いる 学校 だ と 思って 、 感心 した こと が ある 。 ・・
盲学校 の 事 に ついて 、 思い出す の は 、 或る 日 、 盲学校 で 演奏 会 が あった 。 その 時 、 片山 校長 が 、「 盲人 と 音楽 」 と いう こと に 就いて 話さ れた 。 校長 の 話 が 終る と 聞いて いた 職員 や 、 盲人 の 生徒 たち が 、 感激 の あまり 、 先生 先生 と いって 校長 の 傍 に 近よって 行った 。 私 の 察する ところ で は 、 校長 が 盲人 たち に 突き当たら れる 不安 が あった らしく 、 それ に 元来 盲人 は 感覚 の 強い もの である と いう 点 を 思われて か 、 一 々 近よって 来た 盲人 たち を 、 自分 の 手 で 触れて 行か れた 。 実は そういう 私 も 手 で 触れられた 一 人 であった 。 ・・
この 場 の 光景 は 私 に は 見え なかった が 、 私 の 想像 で は 、 校長 が 職員 や 盲人 の 生徒 の 群がる 中 を 泳ぐ ように して 、 進んで 行か れた ので は ない か と 思った 。 そして 、 手 を 触れて 貰った 職員 や 生徒 たち は 、 さぞ 校長 を 懐 しく 思った こと であろう と 思った 。