59. 烈婦 - 高田保
烈 婦 - 高田 保
「 世界 情勢 吟 」 と 題して 川柳 一 句 を お 取次ぎ する 。
国境 を 知ら ぬ 草 の 実 こぼれ 合い
なんと 立派な もの で は ない か 。 ピリッ と した もの が 十七 字 の 中 に 結晶 して いる 。 ところで これ が なんと 、 八十三 歳 の お 婆さん の お 作 な のだ 、 驚いて いただきたい 。 井上 信子 、 と だけ で は わかる まい 。 が 井上 剣 花 坊 の 未亡人 だ と いったら 、 なるほど と 合点 なさる だろう 。 「 婦人 朝日 」 誌上 で 紹介 されて いた のだ が 、 こぼれ 合う 草 の 実 こそ は 真実の 人間 である 。 真実の 人間 同士 の 間 に は 国境 など と いう あざ と いもの は ありゃ し ない 。
この 草 の 実 の こぼれ 合い を 眼 の 中 に 入れて ない ところ に 、 世界 の 政治 の 愚 劣 さ が ある 。 侵略 と か 防衛 と か いう が 、 一 たび この 十七 字 の 吟 ずる ところ に 徹して 考える が いい 。 人間 の あさまし さ 、 百 度 の 嘆息 を して も 足り ぬ こと に なる だろう 。 この 句 の この 味 、 もしも そっくり 伝えられる もの なら 翻訳 して もらって 外国 へ も 紹介 したい 。 もう 一 寸 早ければ 、 ダレス さん に お土産 と して もって 帰って いただき たかった ところ だ 。 八十三 歳 の 老婦 人 に して これほど の 「 世界 情勢 吟 」 を する のだ から 、 日本 の 文学 者 諸君 は さぞかし 、 と 外国 人 は おもう かも しれ ぬ 。 そう なる と しか し これ は 一 寸 困る 。 日本 文学 と いう やつ は 大体 が 政治 嫌いでして と 、 いろいろ 特殊な 伝統 の 説明 など して 、 依然 安閑たる 文壇 風景 を 弁解 し なくて は なる まい 。 ペンクラブ へ は 代表 を 出す のだ が 、 世界 の 他 の 文学 者 諸君 と は 生活 がち と 違う のである 。
だが 、 これ から も なお 「 日本 的 」 であって いい の か ? もしも 「 世界 的 」 に と 明日 を 心がける なら 、 やはり 世界 の 問題 へ 目 を 向け 頭 を 向け 、 草 の 実 の こぼれ 合う こまかい 気 を 配って 、 文学 は 文学 なり の 「 世界 的 発言 」 を せ ず ば なる まい 。 税金 の 問題 よりゃ 戦争 の 方 が 実は 却 かえって 身近 の 大事な のである 。 文芸 家 協会 など 、 これ に 対して どう 動いて いる のであろう 。
井上 信子 老女 史 は 、 戦争 中 に も 警察 へ 引っぱら れたり した のだ そうである 。 「 手 と 足 を もいだ 丸太 に して か へ し 」 と いう 句 など が お 気 に さわった らしく と 、 今 は 笑って いられる のだ そう だ が 、 私 など あの 戦争 中 の 自分 を 省みて 恥 か しく おもう 。 それだけに 今度 は もう 自分 を 恥 か しめる ような こと は し たく ない と 考えて いる 。 だが 老女 史 が その 私 の 決心 を からかう ように こう 吟 じられて いる のだ 。 どのように 坐り かえて も わが 姿
老女 史 は これ を 「 最近 の 心境 」 と して 示されて いる のだ が 、 女史 の 姿 の 変ら ぬ の は 立派である 。 しかし 私 は ぜひとも 坐り 直し 別な 姿 に なら ねば なら ぬ 。 同感 の 士 な きや いかに 。
私 は 久しぶりに 「 烈 婦 」 と いう 文字 を 、 この 老女 史 で おもい出した 。
( 二・二〇 )