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Aozora Bunko Readings (4-5mins), 52. 期待と切望 - 宮本百合子

52. 期待 と 切望 - 宮本 百合子

期待 と 切望 - 宮本 百合子

音楽 に 対して は 全く 素人 であって 、 しかも 音楽 に ついて は ある 興味 を もって いる もの の 一 人 と して 、 私 は 日本 の 将来 の 音楽 的 発達 に ついて 少なからず 希望 を 抱いて おります 。 音楽 上 の 創造 力 も 技術 も 、 これ から 十五 年 の 後 は おどろく べき 進歩 が ある でしょう 。 然 し 、 この 期待 の 一面に は 、 今日 の 音楽 の おかれて いる 複雑な 社会 の 事情 や 音楽 界 の 伝統 習慣 が 、 既に 十分 その 困難 性 や 多難 性 を も 示し 語って いる ように 見えます 。 作曲 家 達 が 逢 着して いる 所 謂 日本 的な もの の 再 発見 の 問題 に は 、 進歩 的な 文学 者 が それ に ぶつかって 最も 健全な 人間 的 芸術 的 解決 を 見出そう と 努力 して いる と 同じ 努力 が 要求 されて いる 。 今日 文化 の 全面 に 亙って 棲息 して いる 事 大 的な 棒 振り 的 理論 を 、 作曲 家 たち も 演奏 者 たち も 、 しっかり した 音楽 的 教養 、 人間 と して の 判断 力 、 穢 れ ざる 趣味 で 選択 批判 して ゆか なければ なら ない でしょう 。 それ に つけて 、 音楽 批評 家 の 任務 は 重大 と 思わ れます が 、 率直な ところ 、 私 に は どうも よく 従来 の 批評 家 と いう もの の 拠って 立って いる 必然 性 が わから ない 。 或る 一 つ の 音楽 会 を きいた 聴衆 と して 、 一定 の 印象 を うけて かえって 翌日 新聞 など を 見る と 、 ちょうど 旧 劇 批評 家 の 或る タイプ を 思わ せる ような 挨拶 の ような 言葉 を 評 と して 発表 されて ある 。 素人 は 学ぶ ところ が ありません 。 演奏 家 、 作曲 家 等 は 、 どのような 感想 を もって ああいう 批評 を よま れる のでしょう か 。

音楽 は 文学 より も おくれて 入って いる から 理論 的 ・ 感性 的 蓄積 が 未 だ 決して 豊富で ない 。 それ に 音楽 と いう もの 、 音 の 不断 の 刺 戟 と いう もの が 人間 の 頭脳 に 生理 学 の 上 から どう 影響 する もの か 、 非常に 研究 さ れる べき 神経 学 、 心理 学 の テーマ が ある と も 思わ れます 。 音楽 家 の 精神 内容 に は 、 舞台 に 立つ 者 と して 俳優 など と 共通の 古い 伝統 の 感情 の ほか に 、 何 か 独特な もの が ある 。 プラス である と 共に マイナスな もの 、 彼 を 一応 音楽 家 たら しめて いる が 大 音楽 家 たら しめ ぬ 、 と いう ような 矛盾 が ふくまれて いる こと を 感じます 。 例えば 作品 や 技法 の 上 で 新しい もの を 追求 しよう と いう 熱心 さ と 、 その 新しい もの の 質 の 探求 や 新し さ の 発生 の 根源 を 人類 の 生活 の 歴史 の 流れ の 只中 から 見出そう と する ような 思想 の 規模 と の 間 に 、 具体 的な 矛盾 が ある と も 思わ れます 。 芸術 至上 主義 と となりあわせて 極めて 卑俗 な 楽 壇 世渡り 、 社交 性 が 、 芸術 家 に 必要な 社会 性 と すりかえられて 並んで います 。 俳優 の 生活 は 旧 套 の 中 から 既に 舞台 芸術 家 と して 、 新しい 生活 方法 に 入って いる 前進 座 の ような 実例 が あります が 、 音楽 家 に は 、 ここ で 俳優 と 並べて 云 う こと さえ 無礼である と 感じられる ような 、 遅れた 自尊心 、 個人 的な 見解 が 強く のこって いる ので は ない でしょう か 。 芸術 の 成果 と 芸術 家 の 日々 の 生き 方 の 問題 が 切実に とりあげ 直されて も 無駄で は ない のでしょう 。 文学 は 常に 、 文章 道 の 末枝 へ 墜落 する 危険 を 一方 に 目撃 し つつ 、 一方 に それ と たたかい 、 批判 して ゆく 力 を 内部 的に 包 含 して います 。 音楽 が 風 や 濤声 や 木々 の 葉 ずれ の ような 自然 現象 で は なくて 、 社会 生活 を 営む 人間 の 声 である こと が 深く 深く 理解 さ れ 、 身をもって 経験 されて 、 はじめて 将来 の 音楽 発展 へ の 希望 の 土台 も 与えられる 訳 です 。 〔 一九三八 年 一 月 〕

52. 期待 と 切望 - 宮本 百合子 きたい||せつぼう|みやもと|ゆりこ 52. expectation and longing - Yuriko Miyamoto

期待 と 切望 - 宮本 百合子 きたい||せつぼう|みやもと|ゆりこ Expectations and longing-Yuriko Miyamoto

音楽 に 対して は 全く 素人 であって 、 しかも 音楽 に ついて は ある 興味 を もって いる もの の 一 人 と して 、 私 は 日本 の 将来 の 音楽 的 発達 に ついて 少なからず 希望 を 抱いて おります 。 おんがく||たいして||まったく|しろうと|||おんがく|||||きょうみ||||||ひと|じん|||わたくし||にっぽん||しょうらい||おんがく|てき|はったつ|||すくなからず|きぼう||いだいて| 音楽 上 の 創造 力 も 技術 も 、 これ から 十五 年 の 後 は おどろく べき 進歩 が ある でしょう 。 おんがく|うえ||そうぞう|ちから||ぎじゅつ||||じゅうご|とし||あと||||しんぽ||| 然 し 、 この 期待 の 一面に は 、 今日 の 音楽 の おかれて いる 複雑な 社会 の 事情 や 音楽 界 の 伝統 習慣 が 、 既に 十分 その 困難 性 や 多難 性 を も 示し 語って いる ように 見えます 。 ぜん|||きたい||いちめんに||きょう||おんがく||||ふくざつな|しゃかい||じじょう||おんがく|かい||でんとう|しゅうかん||すでに|じゅうぶん||こんなん|せい||たなん|せい|||しめし|かたって||よう に|みえます However, one aspect of this expectation is that the complex social context in which music exists today and the traditional customs of the music world already speak volumes about the difficulties and challenges it faces. 作曲 家 達 が 逢 着して いる 所 謂 日本 的な もの の 再 発見 の 問題 に は 、 進歩 的な 文学 者 が それ に ぶつかって 最も 健全な 人間 的 芸術 的 解決 を 見出そう と 努力 して いる と 同じ 努力 が 要求 されて いる 。 さっきょく|いえ|さとる||あ|ちゃくして||しょ|い|にっぽん|てきな|||さい|はっけん||もんだい|||しんぽ|てきな|ぶんがく|もの|||||もっとも|けんぜんな|にんげん|てき|げいじゅつ|てき|かいけつ||みいだそう||どりょく||||おなじ|どりょく||ようきゅう|| 今日 文化 の 全面 に 亙って 棲息 して いる 事 大 的な 棒 振り 的 理論 を 、 作曲 家 たち も 演奏 者 たち も 、 しっかり した 音楽 的 教養 、 人間 と して の 判断 力 、 穢 れ ざる 趣味 で 選択 批判 して ゆか なければ なら ない でしょう 。 きょう|ぶんか||ぜんめん||こうって|せいそく|||こと|だい|てきな|ぼう|ふり|てき|りろん||さっきょく|いえ|||えんそう|もの|||||おんがく|てき|きょうよう|にんげん||||はんだん|ちから|あい|||しゅみ||せんたく|ひはん|||||| Composers and performers alike must selectively criticize the big stick theories that inhabit all aspects of today's culture with sound musical education, sound human judgment, and unadulterated taste. それ に つけて 、 音楽 批評 家 の 任務 は 重大 と 思わ れます が 、 率直な ところ 、 私 に は どうも よく 従来 の 批評 家 と いう もの の 拠って 立って いる 必然 性 が わから ない 。 |||おんがく|ひひょう|いえ||にんむ||じゅうだい||おもわ|||そっちょくな||わたくし|||||じゅうらい||ひひょう|いえ|||||きょって|たって||ひつぜん|せい||| 或る 一 つ の 音楽 会 を きいた 聴衆 と して 、 一定 の 印象 を うけて かえって 翌日 新聞 など を 見る と 、 ちょうど 旧 劇 批評 家 の 或る タイプ を 思わ せる ような 挨拶 の ような 言葉 を 評 と して 発表 されて ある 。 ある|ひと|||おんがく|かい|||ちょうしゅう|||いってい||いんしょう||||よくじつ|しんぶん|||みる|||きゅう|げき|ひひょう|いえ||ある|たいぷ||おもわ|||あいさつ|||ことば||ひょう|||はっぴょう|| 素人 は 学ぶ ところ が ありません 。 しろうと||まなぶ||| 演奏 家 、 作曲 家 等 は 、 どのような 感想 を もって ああいう 批評 を よま れる のでしょう か 。 えんそう|いえ|さっきょく|いえ|とう|||かんそう||||ひひょう||||| What do performers, composers, etc. think of such a review?

音楽 は 文学 より も おくれて 入って いる から 理論 的 ・ 感性 的 蓄積 が 未 だ 決して 豊富で ない 。 おんがく||ぶんがく||||はいって|||りろん|てき|かんせい|てき|ちくせき||み||けっして|ほうふで| Since music entered the field later than literature, it has not yet amassed a wealth of theoretical and sensory material. それ に 音楽 と いう もの 、 音 の 不断 の 刺 戟 と いう もの が 人間 の 頭脳 に 生理 学 の 上 から どう 影響 する もの か 、 非常に 研究 さ れる べき 神経 学 、 心理 学 の テーマ が ある と も 思わ れます 。 ||おんがく||||おと||ふだん||とげ|げき|||||にんげん||ずのう||せいり|まな||うえ|||えいきょう||||ひじょうに|けんきゅう||||しんけい|まな|しんり|まな||てーま|||||おもわ| 音楽 家 の 精神 内容 に は 、 舞台 に 立つ 者 と して 俳優 など と 共通の 古い 伝統 の 感情 の ほか に 、 何 か 独特な もの が ある 。 おんがく|いえ||せいしん|ないよう|||ぶたい||たつ|もの|||はいゆう|||きょうつうの|ふるい|でんとう||かんじょう||||なん||どくとくな||| プラス である と 共に マイナスな もの 、 彼 を 一応 音楽 家 たら しめて いる が 大 音楽 家 たら しめ ぬ 、 と いう ような 矛盾 が ふくまれて いる こと を 感じます 。 ぷらす|||ともに|まいなすな||かれ||いちおう|おんがく|いえ|||||だい|おんがく|いえ|||||||むじゅん||||||かんじます 例えば 作品 や 技法 の 上 で 新しい もの を 追求 しよう と いう 熱心 さ と 、 その 新しい もの の 質 の 探求 や 新し さ の 発生 の 根源 を 人類 の 生活 の 歴史 の 流れ の 只中 から 見出そう と する ような 思想 の 規模 と の 間 に 、 具体 的な 矛盾 が ある と も 思わ れます 。 たとえば|さくひん||ぎほう||うえ||あたらしい|||ついきゅう||||ねっしん||||あたらしい|||しち||たんきゅう||あたらし|||はっせい||こんげん||じんるい||せいかつ||れきし||ながれ||ただなか||みいだそう||||しそう||きぼ|||あいだ||ぐたい|てきな|むじゅん|||||おもわ| 芸術 至上 主義 と となりあわせて 極めて 卑俗 な 楽 壇 世渡り 、 社交 性 が 、 芸術 家 に 必要な 社会 性 と すりかえられて 並んで います 。 げいじゅつ|しじょう|しゅぎ|||きわめて|ひぞく||がく|だん|よわたり|しゃこう|せい||げいじゅつ|いえ||ひつような|しゃかい|せい|||ならんで| 俳優 の 生活 は 旧 套 の 中 から 既に 舞台 芸術 家 と して 、 新しい 生活 方法 に 入って いる 前進 座 の ような 実例 が あります が 、 音楽 家 に は 、 ここ で 俳優 と 並べて 云 う こと さえ 無礼である と 感じられる ような 、 遅れた 自尊心 、 個人 的な 見解 が 強く のこって いる ので は ない でしょう か 。 はいゆう||せいかつ||きゅう|とう||なか||すでに|ぶたい|げいじゅつ|いえ|||あたらしい|せいかつ|ほうほう||はいって||ぜんしん|ざ|||じつれい||||おんがく|いえ|||||はいゆう||ならべて|うん||||ぶれいである||かんじられる||おくれた|じそんしん|こじん|てきな|けんかい||つよく||||||| 芸術 の 成果 と 芸術 家 の 日々 の 生き 方 の 問題 が 切実に とりあげ 直されて も 無駄で は ない のでしょう 。 げいじゅつ||せいか||げいじゅつ|いえ||ひび||いき|かた||もんだい||せつじつに||なおされて||むだで||| 文学 は 常に 、 文章 道 の 末枝 へ 墜落 する 危険 を 一方 に 目撃 し つつ 、 一方 に それ と たたかい 、 批判 して ゆく 力 を 内部 的に 包 含 して います 。 ぶんがく||とわに|ぶんしょう|どう||まつえ||ついらく||きけん||いっぽう||もくげき|||いっぽう|||||ひはん|||ちから||ないぶ|てきに|つつ|ふく|| 音楽 が 風 や 濤声 や 木々 の 葉 ずれ の ような 自然 現象 で は なくて 、 社会 生活 を 営む 人間 の 声 である こと が 深く 深く 理解 さ れ 、 身をもって 経験 されて 、 はじめて 将来 の 音楽 発展 へ の 希望 の 土台 も 与えられる 訳 です 。 おんがく||かぜ||とうこえ||きぎ||は||||しぜん|げんしょう||||しゃかい|せいかつ||いとなむ|にんげん||こえ||||ふかく|ふかく|りかい|||みをもって|けいけん|||しょうらい||おんがく|はってん|||きぼう||どだい||あたえられる|やく| 〔 一九三八 年 一 月 〕 いちきゅうさんはち|とし|ひと|つき