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Aozora Bunko Readings (4-5mins), 49. 新人へ - 坂口安吾

49. 新人 へ - 坂口 安 吾

新人 へ - 坂口 安 吾

如何に 生 く べき か 、 と いう こと は 文学 者 の 問題 じゃ なくて 、 人間 全体 の 問題 な のである 。 人間 の 生き 方 が 当然 そう で なければ なら ない から 、 文学 者 も 亦 そうである だけ の 話 である 。

如何に 生 く べき か 、 が 人間 の あたりまえの 問題 で なくて 、 特に 文学 だけ の 問題 の ように 考えられて いる ところ に 、 日本 文学 の 思想 の 贋物 性 、 出来 損 い の 専門 性 、 一 人 ガテン の 独 尊 、 文学 神聖 主義 が ある のだろう 。 罪 の 自覚 、 そして 孤独 の 発見 は 文学 の ふるさと だ けれども 、 それ は 又 、 人間 全体 の 生き 方 の 母胎 でも あって 、 およそ 、 文学 固有 の 生き 方 、 態度 、 思想 、 そういう 特別な もの は 有り 得 ない 。 文学 は 人間 の もの である だけ だ 。

私 は 、 新しく 文学 を やる 若い 人 に は 、 文学 者 である より も 人間 である こと の 発見 、 最も つ ゝ まし や かな 人間 の 自覚 を 知る こと が 第 一 だ と 思う 。

人間 の 発見 と 書きたい 意 慾 が あれば おのずから 小説 は 成り立つ もの 、 小説 の 書き 方 より も 、 人間 の 見つけ 方 、 見方 の 方 が 小説 の 形式 を も 決定 して くれる もの である から 、 そして そういう 人間 の 発見 の 上 に 文学 の 独創 性 も ある のだ から 、 文学 者 は いつも 人間 である こと が 先決 条件 の 筈 である 。 だ から 、 文学 の 専門 家 に なろう と せ ず に 人間 の 専門 家 、 つまり 自ら 生 くる ため の 真実の 努力 が 第 一 で 、 文学 的 サークル など は 二の次 に 、 各 々 他 に 職業 を もち 、 なるべく 文学 の 専門 家 に は なら ない 方 が い ゝ 。

アインシュタイン が うまい こと を 言って いる 。 物理 学者 に なる に は 、 学校 を 卒業 したら 靴 ミガキ に なり たまえ 。

物理 学 と いう もの は 芸術 同様 まったく 独創 性 を 必要 と する もの だ そうで 、 だ から 、 専門 家 の サークル に 住む と 、 垣根 の 中 の 考え 方 から ぬけだせ ず 、 独創 的な 着想 や 構想 が でき なく なって しまう 。 だから 、 靴 ミガキ に なれ 、 全然 物理 学 に 関係 の ない 仕事 に たずさわる 方 が ユニック な 発見 が できる 、 と いう 意味 な のである 。

文学 も その 通り である 。 文章 上 の 専門 性 と いう もの は 趣味 的で たくさん 、 要は 人間 の 発見 、 人間 の 問題 の 発見 だ 。

文章 の 専門 性 など は タワイ も ない もの で 、 そんな もの は 悠々 趣味 で 片づける だけ の 逞 し さ が なければ 大 文学 は 生れ ない 。

会社 員 、 労働 者 、 何 商売 でも い ゝ 。 商売 の 片手間 に 、 悠々と 、 人間 喜劇 を 書きあげて ノッソリ 登場 して くれる ような 新人 が 、 日本 の 文壇 を 大人 の 文壇 に 、 だんだん 変化 さ せて くれる であろう 。 今 の 文壇 は 出来 損 い の 名人 カタギ の 専門 家 と その 取りまき で 出来上って いる 遊園地 みたいな ところ である 。

49. 新人 へ - 坂口 安 吾 しんじん||さかぐち|やす|われ 49. to newcomers - SAKAGUCHI Ango 49. Новичкам - Анго Сакагути

新人 へ - 坂口 安 吾 しんじん||さかぐち|やす|われ To newcomers-Ango Sakaguchi

如何に 生 く べき か 、 と いう こと は 文学 者 の 問題 じゃ なくて 、 人間 全体 の 問題 な のである 。 いかに|せい||||||||ぶんがく|もの||もんだい|||にんげん|ぜんたい||もんだい|| How it should be alive is not a literary problem, but a human problem as a whole. 人間 の 生き 方 が 当然 そう で なければ なら ない から 、 文学 者 も 亦 そうである だけ の 話 である 。 にんげん||いき|かた||とうぜん|||||||ぶんがく|もの||また|そう である|||はなし|

如何に 生 く べき か 、 が 人間 の あたりまえの 問題 で なくて 、 特に 文学 だけ の 問題 の ように 考えられて いる ところ に 、 日本 文学 の 思想 の 贋物 性 、 出来 損 い の 専門 性 、 一 人 ガテン の 独 尊 、 文学 神聖 主義 が ある のだろう 。 いかに|せい|||||にんげん|||もんだい|||とくに|ぶんがく|||もんだい|||かんがえ られて||||にっぽん|ぶんがく||しそう||にせもの|せい|でき|そん|||せんもん|せい|ひと|じん|||どく|とうと|ぶんがく|しんせい|しゅぎ||| 罪 の 自覚 、 そして 孤独 の 発見 は 文学 の ふるさと だ けれども 、 それ は 又 、 人間 全体 の 生き 方 の 母胎 でも あって 、 およそ 、 文学 固有 の 生き 方 、 態度 、 思想 、 そういう 特別な もの は 有り 得 ない 。 ざい||じかく||こどく||はっけん||ぶんがく|||||||また|にんげん|ぜんたい||いき|かた||ぼたい||||ぶんがく|こゆう||いき|かた|たいど|しそう||とくべつな|||あり|とく| 文学 は 人間 の もの である だけ だ 。 ぶんがく||にんげん|||||

私 は 、 新しく 文学 を やる 若い 人 に は 、 文学 者 である より も 人間 である こと の 発見 、 最も つ ゝ まし や かな 人間 の 自覚 を 知る こと が 第 一 だ と 思う 。 わたくし||あたらしく|ぶんがく|||わかい|じん|||ぶんがく|もの||||にんげん||||はっけん|もっとも||||||にんげん||じかく||しる|||だい|ひと|||おもう

人間 の 発見 と 書きたい 意 慾 が あれば おのずから 小説 は 成り立つ もの 、 小説 の 書き 方 より も 、 人間 の 見つけ 方 、 見方 の 方 が 小説 の 形式 を も 決定 して くれる もの である から 、 そして そういう 人間 の 発見 の 上 に 文学 の 独創 性 も ある のだ から 、 文学 者 は いつも 人間 である こと が 先決 条件 の 筈 である 。 にんげん||はっけん||かき たい|い|よく||||しょうせつ||なりたつ||しょうせつ||かき|かた|||にんげん||みつけ|かた|みかた||かた||しょうせつ||けいしき|||けってい||||||||にんげん||はっけん||うえ||ぶんがく||どくそう|せい|||||ぶんがく|もの|||にんげん||||せんけつ|じょうけん||はず| だ から 、 文学 の 専門 家 に なろう と せ ず に 人間 の 専門 家 、 つまり 自ら 生 くる ため の 真実の 努力 が 第 一 で 、 文学 的 サークル など は 二の次 に 、 各 々 他 に 職業 を もち 、 なるべく 文学 の 専門 家 に は なら ない 方 が い ゝ 。 ||ぶんがく||せんもん|いえ|||||||にんげん||せんもん|いえ||おのずから|せい||||しんじつの|どりょく||だい|ひと||ぶんがく|てき|さーくる|||にのつぎ||かく||た||しょくぎょう||||ぶんがく||せんもん|いえ|||||かた|||

アインシュタイン が うまい こと を 言って いる 。 あいんしゅたいん|||||いって| 物理 学者 に なる に は 、 学校 を 卒業 したら 靴 ミガキ に なり たまえ 。 ぶつり|がくしゃ|||||がっこう||そつぎょう||くつ||||

物理 学 と いう もの は 芸術 同様 まったく 独創 性 を 必要 と する もの だ そうで 、 だ から 、 専門 家 の サークル に 住む と 、 垣根 の 中 の 考え 方 から ぬけだせ ず 、 独創 的な 着想 や 構想 が でき なく なって しまう 。 ぶつり|まな|||||げいじゅつ|どうよう||どくそう|せい||ひつよう|||||そう で|||せんもん|いえ||さーくる||すむ||かきね||なか||かんがえ|かた||||どくそう|てきな|ちゃくそう||こうそう||||| だから 、 靴 ミガキ に なれ 、 全然 物理 学 に 関係 の ない 仕事 に たずさわる 方 が ユニック な 発見 が できる 、 と いう 意味 な のである 。 |くつ||||ぜんぜん|ぶつり|まな||かんけい|||しごと|||かた||||はっけん|||||いみ||

文学 も その 通り である 。 ぶんがく|||とおり| 文章 上 の 専門 性 と いう もの は 趣味 的で たくさん 、 要は 人間 の 発見 、 人間 の 問題 の 発見 だ 。 ぶんしょう|うえ||せんもん|せい|||||しゅみ|てきで||ようは|にんげん||はっけん|にんげん||もんだい||はっけん|

文章 の 専門 性 など は タワイ も ない もの で 、 そんな もの は 悠々 趣味 で 片づける だけ の 逞 し さ が なければ 大 文学 は 生れ ない 。 ぶんしょう||せんもん|せい|||||||||||ゆうゆう|しゅみ||かたづける|||てい|||||だい|ぶんがく||うまれ|

会社 員 、 労働 者 、 何 商売 でも い ゝ 。 かいしゃ|いん|ろうどう|もの|なん|しょうばい||| 商売 の 片手間 に 、 悠々と 、 人間 喜劇 を 書きあげて ノッソリ 登場 して くれる ような 新人 が 、 日本 の 文壇 を 大人 の 文壇 に 、 だんだん 変化 さ せて くれる であろう 。 しょうばい||かたてま||ゆうゆうと|にんげん|きげき||かきあげて||とうじょう||||しんじん||にっぽん||ぶんだん||おとな||ぶんだん|||へんか|||| 今 の 文壇 は 出来 損 い の 名人 カタギ の 専門 家 と その 取りまき で 出来上って いる 遊園地 みたいな ところ である 。 いま||ぶんだん||でき|そん|||めいじん|||せんもん|いえ|||とりまき||できあがって||ゆうえんち|||