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Aozora Bunko Readings (4-5mins), 103. 織部という陶器 - 北大路魯山人

103. 織部という陶器 - 北大路魯山人

織部 と いう 陶器 - 北 大路 魯山 人

私 の 独断 に よる と 、 織部 と いう 陶器 は 、 古田 織部 と いう 茶 人 の 意匠 及び 発明 に 始まる もの で は ない 。 ・・

古田 織部 より 以前 に 、 織部 と いう 陶器 は 産れて おった のだ 。 もっとも 、 その 当時 は 織部 と いう 名称 は なかったろう から 、 なんとか 外 の 名 を 言って いた のであろう 。 今日 織部 と 言い ならす ところ の 陶器 は 、 利 休 時代 に 有名であった 古田 織部 が 、 やかましく 好んだ ところ から 、 遂に 織部 と いう 名 を 成した のであろう 。 ・・

織部 と いう 陶器 を 説明 する と 、 それ は 素朴な 絵 を 描いた 陶器 であって 、 それ に 萌黄 色 の 釉 が 所々 に 付けられて いる 純 日本 風 の もの である 。 中国 に も 朝鮮 に も 前例 の ない ところ の もの である 。 そこ で 、 この 陶器 に 古田 織部 が 感心 して 宣伝 に つとめた のであろう 。 ・・

世間 で は 織部 の 絵 は 、 古田 織部 が 子ども に 描か せて 、 その 幼稚な 絵 を 瀬戸物 に うつした のだ と 言って いる が 、 そんな こと も あった かも 知れ ない が 、 我々 が 初期 織部 と 思う ところ の 、 所 謂織 部 の 絵 は 、 その 意匠 千変万化 して 実に 立派な 意匠 である と 同時に 、 立派な 絵 である と も 言える 。 到底 子ども の 絵 で は なく 、 概して 写生 画 が 多い 。 網 を 張った ところ に 、 鳥 の 飛んで いる 絵 が ある 。 これ は この 陶器 の 生まれた 美濃 の 山中 で 網 を 張って 、 鵜 を 獲る ところ を 、 写生 した のであろう 。 また 、 草花 を 写生 した の が 最も 多い 。 その他 、 手当り次第 に 目前 に 見る ところ の もの を 写して いる と 同時に 、 得体の知れない 全く 人 の 意表 に 出て いる もの が 図案 の 半ば を 占めて 、 大いなる 特色 を 発揮 して いる 。 一見 して 徳川 末期 に 産れた 織部 模様 など と は 、 全然 気 の 違う ところ の もの が 多い 。 土 の 作 行 も その 通り である 。 ・・

初期 織部 と いう もの は 、 非常に 精 作 な もの であって 、 徳川 末期 に 産れた 織部 の ような 杜撰な 下品な もの で は ない 。 織部 の 特色 は 、 器 体 の 精 作 なる 点 と 、 絵 の うまい こと と 、 絵 が 生 で なく よく 図案 化 されて いる こと 、 写生 が そのまま で なく 、 よく 省略 されて いる こと 、 そこ に 草 色 の 丹 礬釉 が かかって いる こと である 。 そうして 、 純 日本 の 香り の 高い こと など が 異彩 であって 、 その 類例 が 世界 の 何 処 に も ない こと …… など の 状態 に よって 、 人 が やかましく 言う ように なった 。 ・・

しかし 、 徳川 末期 に 織部 を 模倣 する 人 が 、 勘違い を した ため に 、 ずいぶん くだらない 織部 を 生んだ 。 そこ で 鑑賞 家 の 方 に も 誤認 が 出来て 、 織部 と いう もの は 、 くだらない やすっぽい もの だ と 考える に 至った 向き も ある 。 ・・

そういうふうに 、 今 の 一部 の 鑑賞 家 を して 誤認 せ しめた が 、 元来 、 織部 の 織部 たる 所 以 の もの は 、 遠く 足利 から 織 豊 時代 に 産れて いる のであって 、 精 作 であり 、 鈍重であり 、 且つ 温 柔 であり 、 しかも 非常に 雅 味な もの であって 、 絵 唐津 の 色 を 美しく した と 見る べき もの である 。 全く 絵 唐津 を 美しく した もの だ と 思えば いい 。 絵 唐津 の よ さ は 、 渋 すぎて 初 学者 に は わかり にくい が 、 織部 の 方 は 絵 の 種類 も 非常に 多い し 、 青い ところ と 白い ところ が 美しく 光って いる ので 、 言わば 初 学者 に でも 親 しめる ところ の もの だ 。 ・・

この 陶器 は 、 瀬戸 で 産れて いる こと だけ は 、 従来 から 認識 されて 居った が 、 その 窯 跡 が 発見 さ れた の は 、 今 から 一 年 ばかり 前 ( 昭和 五 年 頃 ) の こと である 。 その 窯 跡 から 様様な 破片 が 出た 。 それ に よって 、 初期 織部 の 総 て の 作品 を 見る こと が 出来た 。 それ に は 、 今日 まで 我々 の 見た こと の ない もの が たくさん あった 。 ・・

( 昭和 六 年 )

103. 織部という陶器 - 北大路魯山人 おりべ と いう とうき|きた おおじ ろやま じん 103. a Pottery called Oribe - Kitaoji Rosanjin 103. cerámica llamada Oribe - Kitaoji Rosanjin 103. керамика под названием Oribe - Kitaoji Rosanjin

織部 と いう 陶器 - 北 大路 魯山 人 おりべ|||とうき|きた|おおじ|ろやま|じん

私 の 独断 に よる と 、 織部 と いう 陶器 は 、 古田 織部 と いう 茶 人 の 意匠 及び 発明 に 始まる もの で は ない 。 わたくし||どくだん||||おりべ|||とうき||ふるた|おりべ|||ちゃ|じん||いしょう|および|はつめい||はじまる|||| At my own discretion, the pottery called Oribe does not begin with the design and invention of a tea person named Oribe Furuta. ・・

古田 織部 より 以前 に 、 織部 と いう 陶器 は 産れて おった のだ 。 ふるた|おりべ||いぜん||おりべ|||とうき||うまれて|| Before Oribe Furuta, pottery called Oribe was born. もっとも 、 その 当時 は 織部 と いう 名称 は なかったろう から 、 なんとか 外 の 名 を 言って いた のであろう 。 ||とうじ||おりべ|||めいしょう|||||がい||な||いって|| 今日 織部 と 言い ならす ところ の 陶器 は 、 利 休 時代 に 有名であった 古田 織部 が 、 やかましく 好んだ ところ から 、 遂に 織部 と いう 名 を 成した のであろう 。 きょう|おりべ||いい||||とうき||り|きゅう|じだい||ゆうめいであった|ふるた|おりべ|||このんだ|||ついに|おりべ|||な||なした| ・・

織部 と いう 陶器 を 説明 する と 、 それ は 素朴な 絵 を 描いた 陶器 であって 、 それ に 萌黄 色 の 釉 が 所々 に 付けられて いる 純 日本 風 の もの である 。 おりべ|||とうき||せつめい|||||そぼくな|え||えがいた|とうき||||ほうき|いろ||ゆう||ところどころ||つけ られて||じゅん|にっぽん|かぜ||| 中国 に も 朝鮮 に も 前例 の ない ところ の もの である 。 ちゅうごく|||ちょうせん|||ぜんれい|||||| そこ で 、 この 陶器 に 古田 織部 が 感心 して 宣伝 に つとめた のであろう 。 |||とうき||ふるた|おりべ||かんしん||せんでん||| ・・

世間 で は 織部 の 絵 は 、 古田 織部 が 子ども に 描か せて 、 その 幼稚な 絵 を 瀬戸物 に うつした のだ と 言って いる が 、 そんな こと も あった かも 知れ ない が 、 我々 が 初期 織部 と 思う ところ の 、 所 謂織 部 の 絵 は 、 その 意匠 千変万化 して 実に 立派な 意匠 である と 同時に 、 立派な 絵 である と も 言える 。 せけん|||おりべ||え||ふるた|おりべ||こども||えがか|||ようちな|え||せともの|||||いって||||||||しれ|||われわれ||しょき|おりべ||おもう|||しょ|いしょく|ぶ||え|||いしょう|せんぺんばんか||じつに|りっぱな|いしょう|||どうじに|りっぱな|え||||いえる 到底 子ども の 絵 で は なく 、 概して 写生 画 が 多い 。 とうてい|こども||え||||がいして|しゃせい|が||おおい 網 を 張った ところ に 、 鳥 の 飛んで いる 絵 が ある 。 あみ||はった|||ちょう||とんで||え|| これ は この 陶器 の 生まれた 美濃 の 山中 で 網 を 張って 、 鵜 を 獲る ところ を 、 写生 した のであろう 。 |||とうき||うまれた|みの||さんちゅう||あみ||はって|う||える|||しゃせい|| また 、 草花 を 写生 した の が 最も 多い 。 |くさばな||しゃせい||||もっとも|おおい その他 、 手当り次第 に 目前 に 見る ところ の もの を 写して いる と 同時に 、 得体の知れない 全く 人 の 意表 に 出て いる もの が 図案 の 半ば を 占めて 、 大いなる 特色 を 発揮 して いる 。 そのほか|てあたりしだい||もくぜん||みる|||||うつして|||どうじに|えたいのしれない|まったく|じん||いひょう||でて||||ずあん||なかば||しめて|おおいなる|とくしょく||はっき|| 一見 して 徳川 末期 に 産れた 織部 模様 など と は 、 全然 気 の 違う ところ の もの が 多い 。 いっけん||とくがわ|まっき||うまれた|おりべ|もよう||||ぜんぜん|き||ちがう|||||おおい 土 の 作 行 も その 通り である 。 つち||さく|ぎょう|||とおり| ・・

初期 織部 と いう もの は 、 非常に 精 作 な もの であって 、 徳川 末期 に 産れた 織部 の ような 杜撰な 下品な もの で は ない 。 しょき|おりべ|||||ひじょうに|せい|さく||||とくがわ|まっき||うまれた|おりべ|||ずさんな|げひんな|||| 織部 の 特色 は 、 器 体 の 精 作 なる 点 と 、 絵 の うまい こと と 、 絵 が 生 で なく よく 図案 化 されて いる こと 、 写生 が そのまま で なく 、 よく 省略 されて いる こと 、 そこ に 草 色 の 丹 礬釉 が かかって いる こと である 。 おりべ||とくしょく||うつわ|からだ||せい|さく||てん||え|||||え||せい||||ずあん|か|さ れて|||しゃせい||||||しょうりゃく|さ れて|||||くさ|いろ||まこと|ばんゆう||||| そうして 、 純 日本 の 香り の 高い こと など が 異彩 であって 、 その 類例 が 世界 の 何 処 に も ない こと …… など の 状態 に よって 、 人 が やかましく 言う ように なった 。 |じゅん|にっぽん||かおり||たかい||||いさい|||るいれい||せかい||なん|しょ|||||||じょうたい|||じん|||いう|| ・・

しかし 、 徳川 末期 に 織部 を 模倣 する 人 が 、 勘違い を した ため に 、 ずいぶん くだらない 織部 を 生んだ 。 |とくがわ|まっき||おりべ||もほう||じん||かんちがい|||||||おりべ||うんだ そこ で 鑑賞 家 の 方 に も 誤認 が 出来て 、 織部 と いう もの は 、 くだらない やすっぽい もの だ と 考える に 至った 向き も ある 。 ||かんしょう|いえ||かた|||ごにん||できて|おりべ||||||||||かんがえる||いたった|むき|| ・・

そういうふうに 、 今 の 一部 の 鑑賞 家 を して 誤認 せ しめた が 、 元来 、 織部 の 織部 たる 所 以 の もの は 、 遠く 足利 から 織 豊 時代 に 産れて いる のであって 、 精 作 であり 、 鈍重であり 、 且つ 温 柔 であり 、 しかも 非常に 雅 味な もの であって 、 絵 唐津 の 色 を 美しく した と 見る べき もの である 。 |いま||いちぶ||かんしょう|いえ|||ごにん||||がんらい|おりべ||おりべ||しょ|い||||とおく|あしきき||お|とよ|じだい||うまれて|||せい|さく||どんじゅうであり|かつ|ぬる|じゅう|||ひじょうに|ただし|あじな|||え|からつ||いろ||うつくしく|||みる||| 全く 絵 唐津 を 美しく した もの だ と 思えば いい 。 まったく|え|からつ||うつくしく|||||おもえば| 絵 唐津 の よ さ は 、 渋 すぎて 初 学者 に は わかり にくい が 、 織部 の 方 は 絵 の 種類 も 非常に 多い し 、 青い ところ と 白い ところ が 美しく 光って いる ので 、 言わば 初 学者 に でも 親 しめる ところ の もの だ 。 え|からつ|||||しぶ||はつ|がくしゃ||||||おりべ||かた||え||しゅるい||ひじょうに|おおい||あおい|||しろい|||うつくしく|ひかって|||いわば|はつ|がくしゃ|||おや||||| ・・

この 陶器 は 、 瀬戸 で 産れて いる こと だけ は 、 従来 から 認識 されて 居った が 、 その 窯 跡 が 発見 さ れた の は 、 今 から 一 年 ばかり 前 ( 昭和 五 年 頃 ) の こと である 。 |とうき||せと||うまれて|||||じゅうらい||にんしき|さ れて|おった|||かま|あと||はっけん|||||いま||ひと|とし||ぜん|しょうわ|いつ|とし|ころ||| その 窯 跡 から 様様な 破片 が 出た 。 |かま|あと||さまざまな|はへん||でた それ に よって 、 初期 織部 の 総 て の 作品 を 見る こと が 出来た 。 |||しょき|おりべ||そう|||さくひん||みる|||できた それ に は 、 今日 まで 我々 の 見た こと の ない もの が たくさん あった 。 |||きょう||われわれ||みた||||||| ・・

( 昭和 六 年 ) しょうわ|むっ|とし