101. ある夏の日のこと - 小川未明
ある 夏 の 日 の こと - 小川 未明
姉さん は 、 庭 前 の つつじ の 枝 に 、 はち の 巣 を 見つけました 。 ・・
「 まあ 、 こんな ところ へ 巣 を 造って 、 あぶない から 落として しまおう か 。」 と 、 ほうき を 持った 手 を 抑えて ためらいました が 、・・
「 さわら なければ 、 なんにも し ない でしょう 。」 ・・
せっかく 造り かけた 巣 を こわす の も かわいそうだ と 考え 直して 、 しばらく 立ち止まって 、 一 ぴき の 親 ばち が 、 わき見 も せ ず 、 熱心に 小さな 口 で 、 だんだん と 大きく しよう と 、 固めて いく の を ながめて いました 。 その うち に 、 はち は どこ へ か 飛び去りました 。 なに か 材料 を 探し に いった のでしょう 、 しばらく する と 、 また もどって きました 。 そして 、 同じ ような こと を うま ず に 繰り返して いました 。 ・・
「 この はち 一 ぴき だけ だろう か 。」 ・・
彼女 は 、 同じ 一 ぴき の はち が 、 往ったり 返ったり して 、 働いて いる の しか 見 なかった から です 。 ・・
「 勇 ちゃん に 、 だまって いよう 。」 ・・
見つけたら 、 きっと 巣 を 取る であろう と 思いました 。 ・・
姉さん は 、 すわって 、 仕事 を し ながら 、 ときどき 思い出した ように 、 日 の 当たる 庭 前 を 見ました 。 葉 の 黒ずんだ ざくろ の 木 に 、 真っ赤な 花 が 、 点々 と 火 の ともる ように 咲いて いました 。 そして 、 水 盤 の 水 に 浮いた すいれん の 葉 に 、 はち が 下りて 止まって いる の を 見ました 。 ・・
「 あの はち は 、 さっき の はち か しら ん 。」 ・・
目 を はなさ ず に 見て いる と 、 はち は 、 しばらく たって 、 つつじ の 枝 の 方 へ 飛んで いきました 。 ・・
「 やはり そう だ わ 。 水 を 飲み に きた んでしょう 。」 ・・
翌朝 、 庭 を そう じする とき に 、 姉さん は 、 はち が どうして いる だろう と わざわざ つつじ の 木 の ところ へ いって 、 巣 を のぞいて みました 。 そこ に は 、 昨日 の 親 ばち が 、 やはり 一 ぴき で 、 いっしょうけんめいに 巣 を 大きく しよう と して いました 。 彼女 は 、 はじめて その とき 、 一 ぴき の はち の 力 で 造ら れた 巣 に 注意 を 向けた のです 。 ・・
なんと 並々 なら ぬ 心遣い と 、 努力 が 、 その 巣 に 傾けられて いる こと か 。 たとえば 、 雨 風 に 吹かれて も 容易に 折れ そう も ない 、 じょうぶな 枝 が 選ばれて いました 。 また 、 巣 の つけ根 は 、 さわって も 落ち ない ように 、 強そうに 黒 光り が して いました 。 小さな はち に どうして 、 こんな 智 慧 が ある か と 不思議に 思わ れた ほど でした 。 ・・
「 そう だ 、 これ を 弟 に 見せて やろう 。 そして 、 りこうな はち が 、 どうして 巣 を 造り 、 また 子供 を 育てる の に 苦心 する か を 教えて やろう 。 そう すれば 弟 は 、 ここ に 巣 の ある こと を 知って も 、 けっして 落とす こと は ある まい 。」 と 、 考えた のでした 。 午後 に なって 勇 ちゃん は 、 学校 から 帰る と 、 庭 に 出て 、 一 人 で 遊んで いました 。 ・・
「 勇 ちゃん 、 はち の 巣 が あって よ 。」 ・・
彼女 は 、 弟 の 顔 を 見ました 。 ・・
「 ああ 、 知っている 。」 ・・
「 え 、 知っている の 。」 ・・
弟 が 、 どうして 、 それ を 落とさ なかったろう と 疑わ れました 。 ・・
「 姉さん 、 つつじ の 木 だろう 。 お母さん ばち が ひと り で 巣 を 造って いる のだ よ 。」 ・・
「 ええ 、 そう な の 。」 ・・
「 この あいだ から 見る と 、 だいぶ 大きく なった 。 あの 穴 の 中 に 子供 が いる んだ ね 。 暑い とき は 、 水 盤 の 水 を 含んで いって 、 巣 の 上 を 冷やして いる よ 。」 ・・
「 まあ 。」 ・・
そんな くわしい こと まで 、 いつ 弟 は 観察 して いた のだろう と びっくり しました 。 ・・
しかし 、 姉さん は 、 弟 が 、 どんなに その はち を かわいがって いる か を 、 まだ 知ら なかった のです 。 ・・
「 君 、 はち の 子 を 持っていく と 、 ほんとうに よく 釣れる よ 。」 ・・
子供 たち は 、 日課 の ように 、 みんな で 川 へ 釣り に 出かけました 。 彼ら は 、 血眼 に なって 、 はち の 巣 を さがして いた のです 。 勇 ちゃん は 、 その 話 を 聞く たび に 、 庭 の はち の 巣 を 目 に 浮かべました 。 このごろ 母 ばち の 片方 の 羽 が すこし 破れて いる の を 考える と 、 胸 が 痛く なる の を 感じました 。 ほか の 子供 は 、 どこ から か 、 はち の 子 を さがして 持っていく こと が あった が 、 勇 ちゃん だけ は 、 いつも うどん 粉 の 餌 を 造って 、 釣り に 出かけた のでした 。