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芥川龍之介—Short Stories, 藪の中 | 芥川龍之介 (2)

藪の中 | 芥川龍之介 (2)

男 の 命 は 取ら ず と も 、――そうです。 わたし は その 上 に も 、男 を 殺す つもり は なかった のです。 所 が 泣き伏した 女 を 後 あと に 、藪 の 外 へ 逃げよう と する と 、女 は 突然 わたし の 腕 へ 、気 違い の よう に 縋 すがりつきました。 しかも 切れ切れに 叫ぶ の を 聞けば 、あなた が 死ぬ か 夫 が 死ぬ か 、どちら か 一 人 死んで くれ 、二 人 の 男 に 恥 は じ を 見せる の は 、死ぬ より も つらい と 云 う のです。 いや 、その 内 どちら に しろ 、生き残った 男 に つれ添いたい 、――そう も 喘 あえぎ喘ぎ 云 う のです。 わたし は その 時 猛然と 、男 を 殺したい 気 に なりました。 (陰 鬱 なる 興奮)

こんな 事 を 申し上げる と 、きっと わたし は あなた 方 より 残酷 ざんこくな 人間 に 見える でしょう。 しかし それ は あなた 方 が 、あの 女 の 顔 を 見 ない から です。 殊に その 一 瞬間 の 、燃える ような 瞳 ひとみ を 見 ない から です。 わたし は 女 と 眼 を 合せた 時 、た とい 神 鳴か み なり に 打ち 殺されて も 、この 女 を 妻 に したい と 思いました。 妻 に したい 、――わたし の 念頭 ねんとう に あった の は 、ただ こう 云 う 一事 だけ です。 これ は あなた 方 の 思う よう に 、卑 いやしい 色 欲 では ありません。 もし その 時 色 欲 の ほか に 、何も 望み が なかった と すれば 、わたし は 女 を 蹴 倒け たおして も 、きっと 逃げて しまった でしょう。 男 も そう すれば わたし の 太刀 たち に 、血 を 塗る 事 に は なら なかった のです。 が 、薄暗い 藪 の 中 に 、じっと 女 の 顔 を 見た 刹那 せつな 、わたし は 男 を 殺さ ない 限り 、ここ は 去る まい と 覚悟 しました。

しかし 男 を 殺す に して も 、卑怯 ひきょうな 殺し 方 は し たく ありません。 わたし は 男 の 縄 を 解いた 上 、太刀打ち を しろ と 云 いました。 (杉 の 根 が た に 落ちて いた の は 、その 時 捨て 忘れた 縄 な のです。 )男 は 血相 けっそう を 変えた まま 、太い 太刀 を 引き抜きました。 と 思う と 口 も 利き かず に 、憤然 と わたし へ 飛びかかりました。 ――その 太刀打ち が どう なった か は 、申し上げる まで も あります まい。 わたし の 太刀 は 二十三 合 目 ごう め に 、相手 の 胸 を 貫きました。 二十三 合 目 に 、――どうか それ を 忘れ ず に 下さい。 わたし は 今 でも この 事 だけ は 、感心だ と 思って いる のです。 わたし と 二十 合 斬り 結んだ もの は 、天下 に あの 男 一 人 だけ です から。 (快活なる 微笑)

わたし は 男 が 倒れる と 同時に 、血 に 染まった 刀 を 下げた なり 、女 の 方 を 振り返りました。 すると 、――どう です 、あの 女 は どこ に も いない では ありません か? わたし は 女 が どちら へ 逃げた か 、杉 むら の 間 を 探して 見ました。 が 、竹 の 落葉 の 上 に は 、それ らしい 跡 あと も 残って いません。 また 耳 を 澄ま せて 見て も 、聞える の は ただ 男 の 喉 のど に 、断末魔 だんまつま の 音 が する だけ です。

事 に よる と あの 女 は 、わたし が 太刀 打 を 始める が 早い か 、人 の 助け で も 呼ぶ ため に 、藪 を くぐって 逃げた の かも 知れ ない。 ――わたし は そう 考える と 、今度 は わたし の 命 です から 、太刀 や 弓矢 を 奪った なり 、すぐに また もと の 山路 やまみち へ 出ました。 そこ に は まだ 女 の 馬 が 、静かに 草 を 食って います。 その後 ご の 事 は 申し上げる だけ 、無用の 口数 くちかず に 過ぎます まい。 ただ 、都 みやこ へ は いる 前 に 、太刀 だけ は もう 手放して いました。 ――わたし の 白状 は これ だけ です。 どうせ 一 度 は 樗 お うち の 梢 こずえ に 、懸ける 首 と 思って います から 、どうか 極刑 ごっけ い に 遇 わ せて 下さい。 (昂 然 こうぜんたる 態度)

――その 紺 こん の 水 干す いかん を 着た 男 は 、わたし を 手 ご めに して しまう と 、縛られた 夫 を 眺め ながら 、嘲 あざける よう に 笑いました。 夫 は どんなに 無念だった でしょう。 が 、いくら 身 悶 み もだえ を して も 、体中 から だ じゅう に かかった 縄 目 なわ め は 、一層 ひしひし と 食い入る だけ です。 わたし は 思わず 夫 の 側 へ 、転 ころぶ よう に 走り 寄りました。 いえ 、走り 寄ろう と した のです。 しかし 男 は 咄嗟 とっさ の 間 あいだ に 、わたし を そこ へ 蹴 倒しました。 ちょうど その 途端 とたん です。 わたし は 夫 の 眼 の 中 に 、何とも 云 いよう の ない 輝き が 、宿って いる の を 覚 さ とりました。 何とも 云 いよう の ない 、――わたし は あの 眼 を 思い出す と 、今 でも 身 震 みぶるい が 出 ず に はいら れません。 口 さえ 一言 いちご ん も 利 きけ ない 夫 は 、その 刹那 せつな の 眼 の 中 に 、一切 の 心 を 伝えた のです。 しかし そこ に 閃 ひらめいて いた の は 、怒り で も なければ 悲しみ で も ない 、――ただ わたし を 蔑 さげすんだ 、冷たい 光 だった では ありません か? わたし は 男 に 蹴られた より も 、その 眼 の 色 に 打たれた よう に 、我知らず 何 か 叫んだ ぎり 、とうとう 気 を 失って しまいました。

その 内 に やっと 気 が ついて 見る と 、あの 紺 こん の 水 干す いかんの 男 は 、もう どこ か へ 行って いました。 跡 に は ただ 杉 の 根 が たに 、夫 が 縛 しばられて いる だけ です。 わたし は 竹 の 落葉 の 上 に 、やっと 体 を 起した なり 、夫 の 顔 を 見守りました。 が 、夫 の 眼 の 色 は 、少しも さっき と 変りません。 やはり 冷たい 蔑 さげすみ の 底 に 、憎しみ の 色 を 見せて いる のです。 恥 し さ 、悲し さ 、腹立たし さ 、――その 時 の わたし の 心 の 中 うち は 、何と 云 えば 好 よい か わかりません。 わたし は よ ろ よ ろ 立ち上り ながら 、夫 の 側 へ 近寄りました。

「あなた。 もう こう なった 上 は 、あなた と 御 一しょに は 居ら れません。 わたし は 一思いに 死ぬ 覚悟 です。 しかし 、――しかし あなた も お 死に な すって 下さい。 あなた は わたし の 恥 は じ を 御覧 に なりました。 わたし は このまま あなた 一 人 、お 残し 申す 訳 に は 参りません。」

わたし は 一生懸命に 、これ だけ の 事 を 云 いました。 それ でも 夫 は 忌 いまわし そうに 、わたし を 見つめて いる ばかりな のです。 わたし は 裂 さけ そうな 胸 を 抑え ながら 、夫 の 太刀 たち を 探しました。 が 、あの 盗人 ぬすびと に 奪われた のでしょう 、太刀 は 勿論 弓矢 さえ も 、藪 の 中 に は 見当りません。 しかし 幸い 小 刀 さすが だけ は 、わたし の 足 もと に 落ちて いる のです。 わたし は その 小 刀 を 振り上げる と 、もう 一 度 夫 に こう 云 いました。

「では お 命 を 頂か せて 下さい。 わたし も すぐに お供 します。」

夫 は この 言葉 を 聞いた 時 、やっと 唇 くちびる を 動かしました。 勿論 口 に は 笹 の 落葉 が 、一 ぱい に つまって います から 、声 は 少しも 聞えません。 が 、わたし は それ を 見る と 、たちまち その 言葉 を 覚 りました。 夫 は わたし を 蔑んだ まま 、「殺せ。」 と 一言 ひとこと 云った のです。 わたし は ほとんど 、夢うつつ の 内 に 、夫 の 縹 は なだ の 水 干 の 胸 へ 、ず ぶり と 小 刀 さすが を 刺し 通しました。

わたし は また この 時 も 、気 を 失って しまった のでしょう。 やっと あたり を 見まわした 時 に は 、夫 は もう 縛られた まま 、とうに 息 が 絶えて いました。 その 蒼 ざ め た 顔 の 上 に は 、竹 に 交 まじった 杉 むら の 空 から 、西日 が 一すじ 落ちて いる のです。 わたし は 泣き声 を 呑 み ながら 、死骸 しがい の 縄 を 解き 捨てました。 そうして 、――そうして わたし が どう なった か? それ だけ は もう わたし に は 、申し上げる 力 も ありません。 とにかく わたし は どうしても 、死 に 切る 力 が なかった のです。 小 刀 さすが を 喉 のど に 突き 立てたり 、山 の 裾 の 池 へ 身 を 投げたり 、いろいろな 事 も して 見ました が 、死に 切れ ず に こうして いる 限り 、これ も 自慢 じまん に は なります まい。 (寂しき 微笑 )わたし の よう に 腑 甲斐 ふがいない もの は 、大 慈大 悲 の 観世 音 菩薩 も 、お 見放し な すった もの かも 知れません。 しかし 夫 を 殺した わたし は 、盗人 ぬすびと の 手 ご めに 遇った わたし は 、一体 どう すれば 好 よい のでしょう? 一体 わたし は 、――わたし は 、――(突然 烈 しき 歔欷 すすりなき)

――盗人 ぬすびと は 妻 を 手 ご め に する と 、そこ へ 腰 を 下した まま 、いろいろ 妻 を 慰め 出した。 おれ は 勿論 口 は 利 きけ ない。 体 も 杉 の 根 に 縛 しばられて いる。 が 、おれ は その 間 あいだ に 、何度 も 妻 へ 目 くば せ を した。 この 男 の 云 う 事 を 真 ま に 受ける な 、何 を 云って も 嘘 と 思え 、――おれ は そんな 意味 を 伝えたい と 思った。 しかし 妻 は 悄然 しょうぜ ん と 笹 の 落葉 に 坐った なり 、じっと 膝 へ 目 を やって いる。 それ が どうも 盗人 の 言葉 に 、聞き入って いる よう に 見える で は ない か? おれ は 妬 ねたまし さ に 身 悶 み もだえ を した。 が 、盗人 は それ から それ へ と 、巧妙に 話 を 進めて いる。 一 度 でも 肌身 を 汚した と なれば 、夫 と の 仲 も 折り合う まい。 そんな 夫 に 連れ添って いる より 、自分 の 妻 に なる 気 は ない か? 自分 は いとしい と 思えば こそ 、大それた 真似 も 働いた のだ 、――盗人 は とうとう 大胆だ いたん に も 、そう 云 う 話 さえ 持ち出した。

盗人 に こう 云 われる と 、妻 は うっとり と 顔 を 擡 もたげた。 おれ は まだ あの 時 ほど 、美しい 妻 を 見た 事 が ない。 しかし その 美しい 妻 は 、現在 縛られた おれ を 前 に 、何と 盗人 に 返事 を した か? おれ は 中 有 ちゅう う に 迷って いて も 、妻 の 返事 を 思い出す ごと に 、嗔恚 しんい に 燃え なかった ためし は ない。 妻 は 確かに こう 云った 、――「では どこ へ でも つれて 行って 下さい。」 (長き 沈黙)

妻 の 罪 は それ だけ で は ない。 それ だけ ならば この 闇 やみ の 中 に 、いま ほど おれ も 苦しみ は しまい。 しかし 妻 は 夢 の よう に 、盗人 に 手 を とら れ ながら 、藪 の 外 へ 行こう と する と 、たちまち 顔色 がん しよく を 失った なり 、杉 の 根 の おれ を 指さした。 「あの 人 を 殺して 下さい。 わたし は あの 人 が 生きて いて は 、あなた と 一しょに は いら れません。」 ――妻 は 気 が 狂った よう に 、何度 も こう 叫び 立てた。 「あの 人 を 殺して 下さい。」 ――この 言葉 は 嵐 の よう に 、今 で も 遠い 闇 の 底 へ 、まっ逆様 さかさまに おれ を 吹き 落そう と する。 一 度 でも この くらい 憎む べき 言葉 が 、人間 の 口 を 出た 事 が あろう か? 一 度 でも この くらい 呪 のろわ しい 言葉 が 、人間 の 耳 に 触れた 事 が あろう か? 一 度 でも この くらい 、――(突然 迸 ほとばしる ごとき 嘲笑 ちょうしょう )その 言葉 を 聞いた 時 は 、盗人 さえ 色 を 失って しまった。 「あの 人 を 殺して 下さい。」 ――妻 は そう 叫び ながら 、盗人 の 腕 に 縋 すがって いる。 盗人 は じっと 妻 を 見た まま 、殺す と も 殺さ ぬ と も 返事 を し ない。 ――と 思う か 思わ ない 内 に 、妻 は 竹 の 落葉 の 上 へ 、ただ 一 蹴り に 蹴 倒け たおされた 、(再 ふたたび 迸る ごとき 嘲笑 )盗人 は 静かに 両腕 を 組む と 、おれ の 姿 へ 眼 を やった。 「あの 女 は どう する つもりだ? 殺す か 、それとも 助けて やる か? 返事 は ただ 頷 うなずけば 好 よい。 殺す か? 」――おれ は この 言葉 だけ でも 、盗人 の 罪 は 赦 ゆるして やりたい。 (再び 、長き 沈黙)


藪の中 | 芥川龍之介 (2) やぶ の なか|あくたがわ りゅう ゆきすけ Im Busch | Ryunosuke Akutagawa (2) In the Yabu no Naka | Ryunosuke Akutagawa (2) En el monte | Ryunosuke Akutagawa (2)

男 の 命 は 取ら ず と も 、――そうです。 おとこ||いのち||とら||||そう です Even if you don't take the man's life - yes. わたし は その 上 に も 、男 を 殺す つもり は なかった のです。 |||うえ|||おとこ||ころす|||| I did not intend to kill the man. 所 が 泣き伏した 女 を 後 あと に 、藪 の 外 へ 逃げよう と する と 、女 は 突然 わたし の 腕 へ 、気 違い の よう に 縋 すがりつきました。 しょ||なきふした|おんな||あと|||やぶ||がい||にげよう||||おんな||とつぜん|||うで||き|ちがい||||つい| As I was about to run away from the bush with the sobbing woman behind me, she suddenly clung to my arm as if she were crazy. しかも 切れ切れに 叫ぶ の を 聞けば 、あなた が 死ぬ か 夫 が 死ぬ か 、どちら か 一 人 死んで くれ 、二 人 の 男 に 恥 は じ を 見せる の は 、死ぬ より も つらい と 云 う のです。 |きれぎれに|さけぶ|||きけば|||しぬ||おっと||しぬ||||ひと|じん|しんで||ふた|じん||おとこ||はじ||||みせる|||しぬ|||||うん|| She also said that it was worse than dying to hear her husband yell out, "Either you die or he dies, one of you must die. いや 、その 内 どちら に しろ 、生き残った 男 に つれ添いたい 、――そう も 喘 あえぎ喘ぎ 云 う のです。 ||うち||||いきのこった|おとこ||つれそいたい|||あえ|あえぎあえぎ|うん|| No matter which of them it is, I want to accompany the surviving man. わたし は その 時 猛然と 、男 を 殺したい 気 に なりました。 |||じ|もうぜんと|おとこ||ころしたい|き|| At that time, I felt a fierce desire to kill the man. (陰 鬱 なる 興奮) かげ|うつ||こうふん (Depressed, excited.)

こんな 事 を 申し上げる と 、きっと わたし は あなた 方 より 残酷 ざんこくな 人間 に 見える でしょう。 |こと||もうしあげる||||||かた||ざんこく||にんげん||みえる| I am sure that I look like a more cruel and tantamount person than you are when I say this. しかし それ は あなた 方 が 、あの 女 の 顔 を 見 ない から です。 ||||かた|||おんな||かお||み||| But that's because you don't see her face. 殊に その 一 瞬間 の 、燃える ような 瞳 ひとみ を 見 ない から です。 ことに||ひと|しゅんかん||もえる||ひとみ|||み||| Especially because you don't see the burning eyes of the person in that one moment. わたし は 女 と 眼 を 合せた 時 、た とい 神 鳴か み なり に 打ち 殺されて も 、この 女 を 妻 に したい と 思いました。 ||おんな||がん||あわせた|じ|||かみ|なか||||うち|ころされて|||おんな||つま||||おもいました When I first laid eyes on her, I knew that even if she were to be killed by a divine voice, I would still want her for my wife. 妻 に したい 、――わたし の 念頭 ねんとう に あった の は 、ただ こう 云 う 一事 だけ です。 つま|||||ねんとう||||||||うん||いちじ|| I want her to be my wife - the only thing I had in mind was this. これ は あなた 方 の 思う よう に 、卑 いやしい 色 欲 では ありません。 |||かた||おもう|||ひ||いろ|よく|| This is not a vulgar lust, as you might think. もし その 時 色 欲 の ほか に 、何も 望み が なかった と すれば 、わたし は 女 を 蹴 倒け たおして も 、きっと 逃げて しまった でしょう。 ||じ|いろ|よく||||なにも|のぞみ|||||||おんな||け|こけ||||にげて|| If I had had no other desire than lust at that time, I would have kicked her down but I would have run away. 男 も そう すれば わたし の 太刀 たち に 、血 を 塗る 事 に は なら なかった のです。 おとこ||||||たち|||ち||ぬる|こと||||| If he had done so, I would not have had to put blood on my swords. が 、薄暗い 藪 の 中 に 、じっと 女 の 顔 を 見た 刹那 せつな 、わたし は 男 を 殺さ ない 限り 、ここ は 去る まい と 覚悟 しました。 |うすぐらい|やぶ||なか|||おんな||かお||みた|せつな||||おとこ||ころさ||かぎり|||さる|||かくご| But a moment later, as I saw the woman's face in the dimly lit bushes, I knew that unless I killed the man, I would have to leave.

しかし 男 を 殺す に して も 、卑怯 ひきょうな 殺し 方 は し たく ありません。 |おとこ||ころす||||ひきょう||ころし|かた|||| However, even if I were to kill a man, I would not want to do it in a cowardly or unsavory way. わたし は 男 の 縄 を 解いた 上 、太刀打ち を しろ と 云 いました。 ||おとこ||なわ||といた|うえ|たちうち||||うん| I untied him and told him to fight me. (杉 の 根 が た に 落ちて いた の は 、その 時 捨て 忘れた 縄 な のです。 すぎ||ね||||おちて|||||じ|すて|わすれた|なわ|| (The cedar roots that had fallen into the ground were a noose that we had forgotten to throw away at that time. )男 は 血相 けっそう を 変えた まま 、太い 太刀 を 引き抜きました。 おとこ||けっそう|||かえた||ふとい|たち||ひきぬきました The man looked so pale that he pulled out a large sword. と 思う と 口 も 利き かず に 、憤然 と わたし へ 飛びかかりました。 |おもう||くち||きき|||ふんぜん||||とびかかりました I was so angry that I could not speak, and he jumped at me. ――その 太刀打ち が どう なった か は 、申し上げる まで も あります まい。 |たちうち||||||もうしあげる|||| --I don't even need to tell you how that battle turned out. わたし の 太刀 は 二十三 合 目 ごう め に 、相手 の 胸 を 貫きました。 ||たち||にじゅうさん|ごう|め||||あいて||むね||つらぬきました My sword pierced through the chest of my opponent at the 23rd station. 二十三 合 目 に 、――どうか それ を 忘れ ず に 下さい。 にじゅうさん|ごう|め|||||わすれ|||ください On the twenty-third station - please don't forget it. わたし は 今 でも この 事 だけ は 、感心だ と 思って いる のです。 ||いま|||こと|||かんしんだ||おもって|| I still think this is one of the most impressive things I have ever seen. わたし と 二十 合 斬り 結んだ もの は 、天下 に あの 男 一 人 だけ です から。 ||にじゅう|ごう|きり|むすんだ|||てんか|||おとこ|ひと|じん||| He is the only man in the whole world who has ever slain 20 prisoners with me. (快活なる 微笑) かいかつなる|びしょう

わたし は 男 が 倒れる と 同時に 、血 に 染まった 刀 を 下げた なり 、女 の 方 を 振り返りました。 ||おとこ||たおれる||どうじに|ち||そまった|かたな||さげた||おんな||かた||ふりかえりました As soon as the man fell, I lowered my bloodstained sword and looked back at the woman. すると 、――どう です 、あの 女 は どこ に も いない では ありません か? ||||おんな|||||||| And then - what do you think - she is nowhere to be found? わたし は 女 が どちら へ 逃げた か 、杉 むら の 間 を 探して 見ました。 ||おんな||||にげた||すぎ|||あいだ||さがして|みました が 、竹 の 落葉 の 上 に は 、それ らしい 跡 あと も 残って いません。 |たけ||らくよう||うえ|||||あと|||のこって|いま せ ん また 耳 を 澄ま せて 見て も 、聞える の は ただ 男 の 喉 のど に 、断末魔 だんまつま の 音 が する だけ です。 |みみ||すま||みて||きこえる||||おとこ||のど|||だんまつま|||おと|||| If you listen carefully, all you can hear is the sound of a broken heart in the man's throat.

事 に よる と あの 女 は 、わたし が 太刀 打 を 始める が 早い か 、人 の 助け で も 呼ぶ ため に 、藪 を くぐって 逃げた の かも 知れ ない。 こと|||||おんな||||たち|だ||はじめる||はやい||じん||たすけ|||よぶ|||やぶ|||にげた|||しれ| She may have been too quick to start playing sword with me, or she may have run away through the bushes to call for help. ――わたし は そう 考える と 、今度 は わたし の 命 です から 、太刀 や 弓矢 を 奪った なり 、すぐに また もと の 山路 やまみち へ 出ました。 |||かんがえる||こんど||||いのち|||たち||ゆみや||うばった||||||やまじ|||でました --I thought to myself, "This is my life now, so I took the sword and the bow and arrow, and immediately set out again for the original mountain path. そこ に は まだ 女 の 馬 が 、静かに 草 を 食って います。 ||||おんな||うま||しずかに|くさ||くって| There, a woman horse is still grazing quietly. その後 ご の 事 は 申し上げる だけ 、無用の 口数 くちかず に 過ぎます まい。 そのご|||こと||もうしあげる||むようの|くちかず|||すぎます| What follows is merely an offer, a needless remark. ただ 、都 みやこ へ は いる 前 に 、太刀 だけ は もう 手放して いました。 |と|||||ぜん||たち||||てばなして| However, before entering Miyako, I had already given up my sword. ――わたし の 白状 は これ だけ です。 ||はくじょう|||| --This is my only confession. どうせ 一 度 は 樗 お うち の 梢 こずえ に 、懸ける 首 と 思って います から 、どうか 極刑 ごっけ い に 遇 わ せて 下さい。 |ひと|たび||ぶな||||こずえ|||かける|くび||おもって||||きょっけい||||ぐう|||ください I will hang my head on Kozue Kozue at least once, so please let me suffer the ultimate punishment. (昂 然 こうぜんたる 態度) たかし|ぜん||たいど (Exasperated, open attitude.)

――その 紺 こん の 水 干す いかん を 着た 男 は 、わたし を 手 ご めに して しまう と 、縛られた 夫 を 眺め ながら 、嘲 あざける よう に 笑いました。 |こん|||すい|ほす|||きた|おとこ||||て||||||しばられた|おっと||ながめ||あざけ||||わらいました 夫 は どんなに 無念だった でしょう。 おっと|||むねんだった| I can only imagine how disappointed my husband must have been. が 、いくら 身 悶 み もだえ を して も 、体中 から だ じゅう に かかった 縄 目 なわ め は 、一層 ひしひし と 食い入る だけ です。 ||み|もん||||||たいちゅう||||||なわ|め||||いっそう|||くいいる|| But no matter how much I writhe and squirm, the noose that hangs over my body and throat only eats into me more intensely. わたし は 思わず 夫 の 側 へ 、転 ころぶ よう に 走り 寄りました。 ||おもわず|おっと||がわ||てん||||はしり|よりました I ran to my husband's side as if to roll over. いえ 、走り 寄ろう と した のです。 |はしり|よろう||| No, he was going to run to them. しかし 男 は 咄嗟 とっさ の 間 あいだ に 、わたし を そこ へ 蹴 倒しました。 |おとこ||とっさ|||あいだ|||||||け|たおしました But the man kicked me down there as quickly as he could. ちょうど その 途端 とたん です。 ||とたん|| Just at the moment of the breakthrough. わたし は 夫 の 眼 の 中 に 、何とも 云 いよう の ない 輝き が 、宿って いる の を 覚 さ とりました。 ||おっと||がん||なか||なんとも|うん||||かがやき||やどって||||あきら|| I could see an indescribable sparkle in my husband's eyes. 何とも 云 いよう の ない 、――わたし は あの 眼 を 思い出す と 、今 でも 身 震 みぶるい が 出 ず に はいら れません。 なんとも|うん|||||||がん||おもいだす||いま||み|ふる|||だ|||| I can't help but shudder when I think of those eyes. 口 さえ 一言 いちご ん も 利 きけ ない 夫 は 、その 刹那 せつな の 眼 の 中 に 、一切 の 心 を 伝えた のです。 くち||いちげん||||り|||おっと|||せつな|||がん||なか||いっさい||こころ||つたえた| He couldn't say a word, not even a single word, but in that brief moment, as he described it to me, his eyes conveyed his entire heart. しかし そこ に 閃 ひらめいて いた の は 、怒り で も なければ 悲しみ で も ない 、――ただ わたし を 蔑 さげすんだ 、冷たい 光 だった では ありません か? |||せん|||||いかり||||かなしみ|||||||さげす||つめたい|ひかり|||| But what flashed there was neither anger nor sorrow, but only a cold light that scorned me. わたし は 男 に 蹴られた より も 、その 眼 の 色 に 打たれた よう に 、我知らず 何 か 叫んだ ぎり 、とうとう 気 を 失って しまいました。 ||おとこ||けられた||||がん||いろ||うたれた|||われしらず|なん||さけんだ|||き||うしなって| I was more struck by the color of the man's eyes than by his kicking me, and as soon as I yelled out something I didn't know what it was, I finally fainted.

その 内 に やっと 気 が ついて 見る と 、あの 紺 こん の 水 干す いかんの 男 は 、もう どこ か へ 行って いました。 |うち|||き|||みる|||こん|||すい|ほす||おとこ||||||おこなって| 跡 に は ただ 杉 の 根 が たに 、夫 が 縛 しばられて いる だけ です。 あと||||すぎ||ね|||おっと||しば|||| わたし は 竹 の 落葉 の 上 に 、やっと 体 を 起した なり 、夫 の 顔 を 見守りました。 ||たけ||らくよう||うえ|||からだ||おこした||おっと||かお||みまもりました が 、夫 の 眼 の 色 は 、少しも さっき と 変りません。 |おっと||がん||いろ||すこしも|||かわりません However, the color of my husband's eyes did not change a bit. やはり 冷たい 蔑 さげすみ の 底 に 、憎しみ の 色 を 見せて いる のです。 |つめたい|さげす|||そこ||にくしみ||いろ||みせて|| At the bottom of this cold contempt is a hint of hatred. 恥 し さ 、悲し さ 、腹立たし さ 、――その 時 の わたし の 心 の 中 うち は 、何と 云 えば 好 よい か わかりません。 はじ|||かなし||はらだたし|||じ||||こころ||なか|||なんと|うん||よしみ||| I don't know what to say about my feelings of shame, sadness, and anger at that moment. わたし は よ ろ よ ろ 立ち上り ながら 、夫 の 側 へ 近寄りました。 ||||||たちのぼり||おっと||がわ||ちかよりました I stood up unsteadily and approached my husband's side.

「あなた。 もう こう なった 上 は 、あなた と 御 一しょに は 居ら れません。 |||うえ||||ご|いっしょに||おら| I can no longer stay with you after this. わたし は 一思いに 死ぬ 覚悟 です。 ||ひとおもいに|しぬ|かくご| I am prepared to die at once. しかし 、――しかし あなた も お 死に な すって 下さい。 |||||しに|||ください But - but you must die too. あなた は わたし の 恥 は じ を 御覧 に なりました。 ||||はじ||||ごらん|| You have seen my shame. わたし は このまま あなた 一 人 、お 残し 申す 訳 に は 参りません。」 ||||ひと|じん||のこし|もうす|やく|||まいりません I will not leave you alone.

わたし は 一生懸命に 、これ だけ の 事 を 云 いました。 ||いっしょうけんめいに||||こと||うん| I tried very hard to say all of this. それ でも 夫 は 忌 いまわし そうに 、わたし を 見つめて いる ばかりな のです。 ||おっと||い||そう に|||みつめて||| But my husband just stares at me in disapproval. わたし は 裂 さけ そうな 胸 を 抑え ながら 、夫 の 太刀 たち を 探しました。 ||さ||そう な|むね||おさえ||おっと||たち|||さがしました I searched for my husband's daggers while suppressing my chest, which was about to burst open. が 、あの 盗人 ぬすびと に 奪われた のでしょう 、太刀 は 勿論 弓矢 さえ も 、藪 の 中 に は 見当りません。 ||ぬすびと|||うばわれた||たち||もちろん|ゆみや|||やぶ||なか|||みあたりません However, the thief must have taken it, and there was no sword or even a bow and arrow in the bushes. しかし 幸い 小 刀 さすが だけ は 、わたし の 足 もと に 落ちて いる のです。 |さいわい|しょう|かたな||||||あし|||おちて|| But fortunately, as expected from a small sword, it had landed on my feet. わたし は その 小 刀 を 振り上げる と 、もう 一 度 夫 に こう 云 いました。 |||しょう|かたな||ふりあげる|||ひと|たび|おっと|||うん| I raised the katana and said to my husband once more, "I am not going to let you do this to me.

「では お 命 を 頂か せて 下さい。 ||いのち||いただか||ください Let me ask you a question. わたし も すぐに お供 します。」 |||おとも| I will be with you in a moment."

夫 は この 言葉 を 聞いた 時 、やっと 唇 くちびる を 動かしました。 おっと|||ことば||きいた|じ||くちびる|||うごかしました When my husband heard these words, he finally moved his lips and lips. 勿論 口 に は 笹 の 落葉 が 、一 ぱい に つまって います から 、声 は 少しも 聞えません。 もちろん|くち|||ささ||らくよう||ひと||||||こえ||すこしも|きこえません Of course, their mouths are full of fallen bamboo leaves, so you can't hear them at all. が 、わたし は それ を 見る と 、たちまち その 言葉 を 覚 りました。 |||||みる||||ことば||あきら| But when I saw it, I instantly learned the word. 夫 は わたし を 蔑んだ まま 、「殺せ。」 おっと||||さげすんだ||ころせ My husband despised me and said, "Kill me. と 一言 ひとこと 云った のです。 |いちげん||うんった| わたし は ほとんど 、夢うつつ の 内 に 、夫 の 縹 は なだ の 水 干 の 胸 へ 、ず ぶり と 小 刀 さすが を 刺し 通しました。 |||ゆめうつつ||うち||おっと||ひょう||||すい|ひ||むね|||||しょう|かたな|||さし|とおしました Almost in a dream, I stabbed my small sword through my husband's blue, naked, water-dried chest.

わたし は また この 時 も 、気 を 失って しまった のでしょう。 ||||じ||き||うしなって|| やっと あたり を 見まわした 時 に は 、夫 は もう 縛られた まま 、とうに 息 が 絶えて いました。 |||みまわした|じ|||おっと|||しばられた|||いき||たえて| その 蒼 ざ め た 顔 の 上 に は 、竹 に 交 まじった 杉 むら の 空 から 、西日 が 一すじ 落ちて いる のです。 |あお||||かお||うえ|||たけ||こう||すぎ|||から||にしび||ひとすじ|おちて|| Above his pallid face, a ray of westerly sunlight falls from the cedar-strewn sky interspersed with bamboos. わたし は 泣き声 を 呑 み ながら 、死骸 しがい の 縄 を 解き 捨てました。 ||なきごえ||どん|||しがい|||なわ||とき|すてました I sobbed and broke the noose on the carcass. そうして 、――そうして わたし が どう なった か? And so - and what happened to me? それ だけ は もう わたし に は 、申し上げる 力 も ありません。 |||||||もうしあげる|ちから|| I have no power to tell you that. とにかく わたし は どうしても 、死 に 切る 力 が なかった のです。 ||||し||きる|ちから||| Anyway, I just didn't have the strength to die. 小 刀 さすが を 喉 のど に 突き 立てたり 、山 の 裾 の 池 へ 身 を 投げたり 、いろいろな 事 も して 見ました が 、死に 切れ ず に こうして いる 限り 、これ も 自慢 じまん に は なります まい。 しょう|かたな|||のど|||つき|たてたり|やま||すそ||いけ||み||なげたり||こと|||みました||しに|きれ|||||かぎり|||じまん||||| I have done many things, including thrusting a small sword to my throat and throwing myself into a pond at the foot of a mountain, but as long as I remain unscathed, I will not be able to boast about it. (寂しき 微笑 )わたし の よう に 腑 甲斐 ふがいない もの は 、大 慈大 悲 の 観世 音 菩薩 も 、お 見放し な すった もの かも 知れません。 さびしき|びしょう|||||ふ|かい||||だい|じだい|ひ||かんぜ|おと|ぼさつ|||みはなし|||||しれません (I am sure that the Bodhisattva Avalokitesvara would have given up on someone as gut-wrenching as I am. しかし 夫 を 殺した わたし は 、盗人 ぬすびと の 手 ご めに 遇った わたし は 、一体 どう すれば 好 よい のでしょう? |おっと||ころした|||ぬすびと|||て|||ぐうった|||いったい|||よしみ|| But what am I to do now that I have killed my husband, that I have been dealt with by thieves and slanderers? 一体 わたし は 、――わたし は 、――(突然 烈 しき 歔欷 すすりなき) いったい|||||とつぜん|れつ||きょき|

――盗人 ぬすびと は 妻 を 手 ご め に する と 、そこ へ 腰 を 下した まま 、いろいろ 妻 を 慰め 出した。 ぬすびと|||つま||て||||||||こし||くだした|||つま||なぐさめ|だした --The thief Nusubito took possession of his wife and began to comfort her as she sat there. おれ は 勿論 口 は 利 きけ ない。 ||もちろん|くち||り|| 体 も 杉 の 根 に 縛 しばられて いる。 からだ||すぎ||ね||しば|| が 、おれ は その 間 あいだ に 、何度 も 妻 へ 目 くば せ を した。 ||||あいだ|||なんど||つま||め|||| During this time, however, I kept making eye contact with my wife. この 男 の 云 う 事 を 真 ま に 受ける な 、何 を 云って も 嘘 と 思え 、――おれ は そんな 意味 を 伝えたい と 思った。 |おとこ||うん||こと||まこと|||うける||なん||うんって||うそ||おもえ||||いみ||つたえたい||おもった I wanted to tell him, "Don't take this man's words seriously, whatever he says will be considered a lie. しかし 妻 は 悄然 しょうぜ ん と 笹 の 落葉 に 坐った なり 、じっと 膝 へ 目 を やって いる。 |つま||しょうぜん||||ささ||らくよう||すわった|||ひざ||め||| But my wife, with a heavy heart, sat down on a leafy bamboos and kept her eyes fixed on her knees. それ が どうも 盗人 の 言葉 に 、聞き入って いる よう に 見える で は ない か? |||ぬすびと||ことば||ききいって||||みえる|||| But it seems to me that he is listening to the thief's words. おれ は 妬 ねたまし さ に 身 悶 み もだえ を した。 ||ねた||||み|もん|||| I writhed and writhed in envy. が 、盗人 は それ から それ へ と 、巧妙に 話 を 進めて いる。 |ぬすびと|||||||こうみょうに|はなし||すすめて| But the thieves are cleverly going from one to the other. 一 度 でも 肌身 を 汚した と なれば 、夫 と の 仲 も 折り合う まい。 ひと|たび||はだみ||けがした|||おっと|||なか||おりあう| Once you've gotten under her skin, you can't get on the same page as her husband. そんな 夫 に 連れ添って いる より 、自分 の 妻 に なる 気 は ない か? |おっと||つれそって|||じぶん||つま|||き||| Wouldn't you rather be your own wife than be with a husband like that? 自分 は いとしい と 思えば こそ 、大それた 真似 も 働いた のだ 、――盗人 は とうとう 大胆だ いたん に も 、そう 云 う 話 さえ 持ち出した。 じぶん||||おもえば||だいそれた|まね||はたらいた||ぬすびと|||だいたんだ|||||うん||はなし||もちだした The thief even brought up the subject that he had been so bold as to do so only because he thought he was so desirable.

盗人 に こう 云 われる と 、妻 は うっとり と 顔 を 擡 もたげた。 ぬすびと|||うん|||つま||||かお||たい| When the thief said this to his wife, she lifted her head in fascination. おれ は まだ あの 時 ほど 、美しい 妻 を 見た 事 が ない。 ||||じ||うつくしい|つま||みた|こと|| しかし その 美しい 妻 は 、現在 縛られた おれ を 前 に 、何と 盗人 に 返事 を した か? ||うつくしい|つま||げんざい|しばられた|||ぜん||なんと|ぬすびと||へんじ||| おれ は 中 有 ちゅう う に 迷って いて も 、妻 の 返事 を 思い出す ごと に 、嗔恚 しんい に 燃え なかった ためし は ない。 ||なか|ゆう||||まよって|||つま||へんじ||おもいだす|||しんい|||もえ|||| I have never been so lost in love as when I remember my wife's reply. 妻 は 確かに こう 云った 、――「では どこ へ でも つれて 行って 下さい。」 つま||たしかに||うんった||||||おこなって|ください My wife did indeed say, "Well then, take me wherever you want. (長き 沈黙) ながき|ちんもく (Long silence)

妻 の 罪 は それ だけ で は ない。 つま||ざい|||||| それ だけ ならば この 闇 やみ の 中 に 、いま ほど おれ も 苦しみ は しまい。 ||||やみ|||なか||||||くるしみ|| しかし 妻 は 夢 の よう に 、盗人 に 手 を とら れ ながら 、藪 の 外 へ 行こう と する と 、たちまち 顔色 がん しよく を 失った なり 、杉 の 根 の おれ を 指さした。 |つま||ゆめ||||ぬすびと||て|||||やぶ||がい||いこう|||||かおいろ||||うしなった||すぎ||ね||||ゆびさした 「あの 人 を 殺して 下さい。 |じん||ころして|ください Please kill him. わたし は あの 人 が 生きて いて は 、あなた と 一しょに は いら れません。」 |||じん||いきて|||||いっしょに||| I cannot be with you while he is alive." ――妻 は 気 が 狂った よう に 、何度 も こう 叫び 立てた。 つま||き||くるった|||なんど|||さけび|たてた 「あの 人 を 殺して 下さい。」 |じん||ころして|ください ――この 言葉 は 嵐 の よう に 、今 で も 遠い 闇 の 底 へ 、まっ逆様 さかさまに おれ を 吹き 落そう と する。 |ことば||あらし||||いま|||とおい|やみ||そこ||まっさかさま||||ふき|おとそう|| 一 度 でも この くらい 憎む べき 言葉 が 、人間 の 口 を 出た 事 が あろう か? ひと|たび||||にくむ||ことば||にんげん||くち||でた|こと||| Has there ever been a word out of a human being's mouth as hateful as this? 一 度 でも この くらい 呪 のろわ しい 言葉 が 、人間 の 耳 に 触れた 事 が あろう か? ひと|たび||||まじない|||ことば||にんげん||みみ||ふれた|こと||| Has a human ear ever heard such a curse word before? 一 度 でも この くらい 、――(突然 迸 ほとばしる ごとき 嘲笑 ちょうしょう )その 言葉 を 聞いた 時 は 、盗人 さえ 色 を 失って しまった。 ひと|たび||||とつぜん|ほとばし|||ちょうしょう|||ことば||きいた|じ||ぬすびと||いろ||うしなって| 「あの 人 を 殺して 下さい。」 |じん||ころして|ください ――妻 は そう 叫び ながら 、盗人 の 腕 に 縋 すがって いる。 つま|||さけび||ぬすびと||うで||つい|| --The wife is screaming and clutching at the thief's arm. 盗人 は じっと 妻 を 見た まま 、殺す と も 殺さ ぬ と も 返事 を し ない。 ぬすびと|||つま||みた||ころす|||ころさ||||へんじ||| ――と 思う か 思わ ない 内 に 、妻 は 竹 の 落葉 の 上 へ 、ただ 一 蹴り に 蹴 倒け たおされた 、(再 ふたたび 迸る ごとき 嘲笑 )盗人 は 静かに 両腕 を 組む と 、おれ の 姿 へ 眼 を やった。 |おもう||おもわ||うち||つま||たけ||らくよう||うえ|||ひと|けり||け|こけ||さい||ほとばしる||ちょうしょう|ぬすびと||しずかに|りょううで||くむ||||すがた||がん|| --Before I could even think about it, my wife was knocked down by a single kick on a fallen bamboo leaf, and the thief quietly crossed his arms and looked at me. 「あの 女 は どう する つもりだ? |おんな|||| 殺す か 、それとも 助けて やる か? ころす|||たすけて|| Do you want me to kill you, or do you want me to save you? 返事 は ただ 頷 うなずけば 好 よい。 へんじ|||うなず||よしみ| 殺す か? ころす| 」――おれ は この 言葉 だけ でも 、盗人 の 罪 は 赦 ゆるして やりたい。 |||ことば|||ぬすびと||ざい||しゃ|| I want to absolve the thief of his crime with these words alone. (再び 、長き 沈黙) ふたたび|ながき|ちんもく