84. 腹 の へった 話 - 梅崎 春生
腹 の へった 話 - 梅崎 春生
申す まで も なく 、 食物 を うまく 食う に は 、 腹 を すかして 食う の が 一 番 である 。 満腹 時 に は 何 を 食べて も うまく ない 。 ・・
今 私 の 記憶 の なか で 、 あんなに うまい 弁当 を 食った こと が ない 、 と いう 弁当 の 話 を 書こう と 思う 。 弁当 と 言って も 、 重箱 入り の 上等 弁当 で なく 、 ごく お粗末な 田舎 駅 の 汽車 弁当 である 。 ・・
中学校 二 年 の 夏 休み 、 私 は 台湾 に 遊び に 行った 。 花 蓮 港 に 私 の 伯父 が いて 、 私 を 招いて くれた のである 。 うまい 汽車 弁当 と は 、 その 帰路 の 話 だ 。 ・・
花 蓮 港 と いう の は 東 海岸 に あり 、 東 海岸 は 切り立った 断崖 に なって いる 関係 上 、 その頃 まだ 道路 が 通じて なく 、 蘇 澳 から 船便 に よる 他 は なかった 。 その 船 も 二 、 三百 屯級 の 小さな 汽船 で 、 花 蓮 港 に 碇泊 して ハシケ で 上陸 する のである 。 ・・
で 、 八 月 末 の ある 日 の 夕方 、 私 は ハシケ で 花 蓮 港 岸 を 離れ 、 汽船 に 乗り込んだ 。 この 汽船 が ひどく 揺れる こと は 、 往路 に おいて わかった から 、 夕飯 は 抜き に した 。 私 は 今 でも 船 に は 弱い 。 ・・
そして 案の定 、 船 は 大 揺れ に 揺れ 、 私 は 吐く もの が ない から 胃液 など を 吐き 、 翌朝 蘇 澳 に 着いた 。 船酔い と いう もの は 、 陸地 に 上がった とたん に けろりと なおる と いう 説 も ある が 、 実際 は そう で も ない 。 上陸 して も 、 まだ 陸地 が ゆらゆら 揺れて いる ような 感じ で 、 三十 分 や 一 時間 は 気分 の 悪い もの である 。 だから 少し 時間 は あった が 、 何も 食べ ないで 、 汽車 に 乗り込んだ 。 その こと が 私 の その 日 の 大空 腹 の 原因 と なった のである 。 ・・
蘇 澳 から 台北 まで 、 その頃 、 やはり 十二 時間 近く かかった ので は ない か と 思う 。 ローカル 線 だ から 、 車 も 小さい し 、 速度 も 遅い 。 第 一 に 困った の は 、 弁当 を 売って いる ような 駅 が ほとんど ない のだ 。 ・・
汽車 に 乗り込んで 一 時間 も 経った 頃 から 、 私 は だんだん 空腹に 悩ま さ れ 始めて きた 。 それ は そう だろう 。 前 の 日 の 昼 飯 ( それ も 船酔い を おもんぱかって 少量 ) を 食った だけ で 、 あと は 何も 食べて いない し 、 それ に 中学 二 年 と いう と 食い 盛り の 頃 だ 。 その 上 汽車 の 振動 と いう 腹 へ らし に 絶好 の 条件 が そなわって いる 。 おなか が すか ない わけ が ない 。 蘇 澳 で 弁当 を 買って 乗れば よかった と 、 気 が ついて も もう 遅い 。 ・・
昼 頃 に なって 、 私 は 眼 が くらく らし 始めた 。 停車 する たび に 、 車窓 から 首 を 出す のだ が 、 弁当 売り の 姿 は どこ に も 見当ら ぬ 。 もう 何 を 見て も 、 それ が 食い物 に 見えて 、 食いつき たく なって きた 。 海岸 沿い を 通る 時 、 沖 に 亀山 島 と いう 亀 に そっくりの 形 の 島 が あって 、 私 は その 島 に 対して も 食 慾 を 感じた 。 あの 首 を ちょ ん と ちょん切って 、 甲羅 を はぎ 、 中 の 肉 を 食べたら うまかろう と いう 具合 に だ 。 ・・
艱難 の 数 時間 が 過ぎ 、 やっと 汽車 弁当 に ありついた の は 、 午後 の 四 時 頃 で 、 何と言う 駅 だった か もう 忘れた 。 どんな おかず だった かも 覚えて いない 。 べらぼうに うまかった と いう こと だけ ( いや 、 うまい と いう 程度 を 通り越して いた ) が 残って いる だけ だ 。 一 箇 の 汽車 弁当 を 、 私 は またたく間に 、 ぺらぺら と 平らげて しまった と 思う 。 ・・
そんなに 腹 が へって いた なら 、 二 箇 三 箇 と 買って 食えば いい だろう と 、 あるいは 人 は 思う だろう 。 そこ は それ 中学 二 年 と いう 年頃 は 、たいへん 自 意識 の 多い 年頃 で 、 あいつ は 大 食い だ と 周囲 から 思わ れる の が 辛 さ に 、 一 箇 で 我慢 した のである 。 一 箇 だった から こそ 、 なおのこと うまく 感じられた のだろう 。 あの 頃 の ような 旺盛な 食 慾 を 、 私 は いま 一 度 で いい から 持ちたい と 思う が 、 もう それ は ムリ であろう 。 ・・
( うめ ざ き はる お 、 三二・四 )