ジョルジュ ・ルオー 。(165 )
こんにちは 。 人 から 分かる 3 分 美術 史 。 今日 は ジョルジュ ・ルオー に ついて 勉強 して いきましょう 。 ジョルジュ ・ルオー 。 1871 年 生まれ 。 フランス の 画家 であり 、20 世紀 最大 の 宗教 画家 として 知られます 。 ・・
ルオー は 、第三 共和 政 成立 を 目前 に 控えた パリ で 生まれました 。 父親 は 高級 家具 を 扱う 指物師 であり 、祖父 は 貧しい ながらも エドゥアール ・マネ や オノレ ・ドーミエ ら の 作品 を 収集 する コレクター でありました 。 14 歳 から ステンドグラス 職人 の もと で 働き 始め 、しばらくして 画家 を 志した と 云われます 。 1890 年 、ルオー 19 歳 の おり に エコール ・デ ・ボザール に 入学 。 ルオー は ギュスターヴ ・モロー の 弟子 に なります 。 モロー は 象徴主義 の 代表 的 作家 であり 、ルオー は 大きな 影響 を 受けました 。 また 、モロー 門下 に は ルオー より 2 歳 年上 であった アンリ ・マティス が おり 、ルオー と マティス は 生涯 に わたる 友人 と なります 。 その頃 の 作品 が 「 キリスト の 死 を 嘆く 聖 女 たち 」。 1895 年 、ルオー 24 歳 ごろ の 作品 です 。 レンブラント に 倣った と 思わ れ る 、明暗 を 強調 した 表現 が 特徴 です 。 1897 年 に モロー が 死去 。 深く 悲しんだ ルオー は 健康 を 害し 、経済 的に も 貧しく なった と 云わ れます 。 1903 年 、建築家 フランツ ・ジュールダン の 呼びかけ に より 、サロン ・ドートンヌ が 発足 します 。 サロン ・ドートンヌ は 保守的 な 官営 の サロン に 対抗 し 、前衛 芸術家 を 評価する 展覧会 であり 、ルオー は マティス ら と ともに 立ち上げ に 参加しました 。 この頃 の 作品 が 「酔いどれ 女 」。 1905 年 、ルオー 34 歳 ごろ の 作品 です 。 この 時期 は 娼婦 や 道化師 、踊り子 を 数多く 描きました 。 太く 黒い 輪郭 線 は ゴシック 様式 の ステンドグラス に 倣った もの と 考えられます 。 これ 以後 ルオー の 作品 は 、太く 黒い 線 と 輝く ような 色彩 を 特徴 と して 、独自 の 画風 を 築いて いきました 。 ・・
ルオー の 作品 を 見て いきましょう 。 「老いた 王 」。 1937 年 、ルオー 66 歳 ごろ の 作品 です 。 王 と して の 威厳 と ともに 、疲れ切った 人間 として の 複雑さ が 表現 されて います 。 「ヴェロニカ 」。 1945 年 、ルオー 74 歳 ごろ の 作品 です 。 ルオー は 40 歳 ごろ から 宗教 画 に 回帰 し 、傑作 を 数多く 生み出しました 。 ・・
1957年 、ルオー は 86歳 で 亡くなります 。 現在 に おいて も 、フィーヴィスム に 連なり ながら も 独自の 画風 を 築いた 画家 として 、また 、20世紀 最大 の 宗教画家 として 評価 されて います 。 以上 !