128. 十 年 - 中島 敦
十 年 -中島 敦
十 年 前 、十六 歳 の 少年 の 僕 は 学校 の 裏山 に 寝ころがって 空 を 流れる 雲 を 見上げ ながら 、「さて 将来 何 に なった もの だろう 。」 など と 考えた もの です 。 大 文豪 、結構 。 大 金持 、それ も いい 。 総理大臣 、一寸 わるく ない な 。 全く この 中 の どれ に でも 直ぐに なれ そうな 気 で いた ん だ から 大した もの です 。 所 で これら の 予想 の 外 に 、その頃 の 僕 に は もう 一つ 、極めて 楽しい 心 秘か な のぞみ が ありました 。 それ は 「仏蘭西 へ 行きたい 。」 と いう こと な の です 。 別に 何 を し に 、という んで も ない 、ただ 遊び に 行きたかった のです 。 何故 特別に 仏蘭西 を 択んだ か と いえば 、恐らく それ は この 仏蘭西 という 言葉 の 響き が 、今 でも この 国 の 若い 人々 の 上に もっている 魅力 の せい でも あった でしょう が 、又 同時に 、その頃 、私 の 読んでいた 永井 荷風 の 「ふらんす 物語 」と 、これ は 生田 春月 だ か 上田 敏 だ か の 訳 の 「ヴェルレエヌ 」の 影響 で も あった ようです 。 顔中 到る所 に 吹出した 面皰 を つぶし ながら 、分った ような 顔 を して 、ヴェルレエヌ の 邦訳 など を 読んで いたんです から 、全く 今 から 考えても さぞ 鼻持 の ならない 、「いやみ 」な 少年 だった でしょう が 、でも その頃 は 大真面目 で 「巷 に 雨 の 降る 如く 我 の 心 に 涙 」を 降らせて いた わけです 。 そう いう わけで 、僕 は 仏蘭西 へ ――わけても 、この 「よひどれ 」の 詩人 が 、そこ の 酒場 で アプサン を 呷り 、そこ の マロニエ の 並木 の 下 を 蹣跚 と よろめいて 行った 、あの パリ へ 行きたい と 思った のです 。 シャンゼリゼエ 、ボア ・ド ・ブウロンニュ 、モンマルトル 、カルチェ ・ラタン 、……学校 の 裏山 に 寝ころんで 空 を 流れる 雲 を 見上げ ながら 幾 度 僕 は それら の 上 に 思い を 馳せた こと でしょう 。 ・・
さて 、それ から 春風 秋雨 、ここ に 十 年 の 月日 が 流れました 。 かつて 抱いた 希望 の 数々 は 顔 の 面 皰 と 共に 消え 、 昔 は 遠く 名 のみ 聞いて いた ムウラン ・ ルウジュ と 同 名 の 劇団 が 東京 に 出現 した 今日 、 横浜 は 南京 町 の アパアト で ひと り 佗 しく 、 くすぶって いる 僕 です が 、 それ でも 、 たまに 港 の 方 から 流れて くる 出帆 の 汽笛 の 音 を 聞く 時 など は 、 さすが に 、 その昔 の 、 夢 の ような 空想 を 思 出して 、 懐 旧 の 情 に 堪えない ような こと も ある の です 。 そういう 時 、机 の 上 に 拡げてある 書物 に は 意地悪くも 、こんな 文句 が 出ていたり する 。 ・・
ふらん す へ 行き たし と 思へど ・・
ふらん す は あまりに 遠し ・・
せめて は 新しき 背広 を 着て ・・
気まま なる 旅 に い でて みん ……・・
「 は は あ 、 この 詩人 も 御 多分 に 洩れ ず 、 あまり 金持 でない と 見える な 。」 と 、そう 思い ながら 僕 も 滅入った 気持 を 引立てよう と この 詩人 に 倣って 、(仏蘭西 へ 行け ない 腹癒せ に 、)せめて は 新しき 背広 なり と 着て 、――いや 冗談 じゃ ない 、そんな 贅沢 が できる もの か 。 せめて は 新しき 帽子 ――いや 、それ でも まだ 贅沢 すぎる 。 ええ 、せめて は 新しき ネクタイ 位 で 我慢 して おいて 、さて 、財布 の 底 を 一 度 ほじくり かえして 見て から 、散歩 に と 出掛けて 行く のです 。 丁度 、 十 年 前 憶 えた ヴェルレエヌ の 句 そのまま 、「 秋 の 日 の ヴィヲロン の 、 溜息 の 身 に しみて 、 ひた ぶる に うら が なし い 」 気持 に 充 さ れ ながら 。