125. 織部という陶器 - 北大路魯山人
織部 という 陶器 -北 大路 魯山 人
私 の 独断 に よる と 、織部 と いう 陶器 は 、古田 織部 と いう 茶人 の 意匠 及び 発明 に 始まる もの で はない 。 ・・
古田 織部 より 以前 に 、織部 という 陶器 は 産れて おった のだ 。 もっとも 、その 当時 は 織部 と いう 名称 は なかったろう から 、なんとか 外 の 名 を 言って いた のであろう 。 今日 織部 と 言い ならす ところ の 陶器 は 、利休 時代 に 有名であった 古田 織部 が 、やかましく 好んだ ところ から 、遂に 織部 という 名 を 成した のであろう 。 ・・
織部 という 陶器 を 説明 する と 、それ は 素朴な 絵 を 描いた 陶器 であって 、それに 萌黄 色 の 釉 が 所々 に 付けられている 純 日本 風 の もの である 。 中国 に も 朝鮮 に も 前例 の ない ところ の もの である 。 そこ で 、この 陶器 に 古田 織部 が 感心 して 宣伝 に つとめた のであろう 。 ・・
世間 で は 織部 の 絵 は 、古田 織部 が 子ども に 描かせて 、その 幼稚な 絵 を 瀬戸物 に うつした のだ と 言っている が 、そんな こと も あった かも 知れない が 、我々 が 初期 織部 と 思う ところ の 、所謂 織部 の 絵 は 、その 意匠 千変万化 して 実に 立派な 意匠 である と 同時に 、立派な 絵 である とも 言える 。 到底 子ども の 絵 で は なく 、概して 写生 画 が 多い 。 網 を 張った ところ に 、鳥 の 飛んでいる 絵 が ある 。 これ は この 陶器 の 生まれた 美濃 の 山中 で 網 を 張って 、鵜 を 獲る ところ を 、写生 した のであろう 。 また 、草花 を 写生 した の が 最も 多い 。 その他 、手当り次第 に 目前 に 見る ところ の もの を 写している と 同時に 、得体の知れない 全く 人 の 意表 に 出ている もの が 図案 の 半ば を 占めて 、大いなる 特色 を 発揮している 。 一見 して 徳川 末期 に 産れた 織部 模様 など とは 、全然 気 の 違う ところ の もの が 多い 。 土 の 作 行 も その 通り である 。 ・・
初期 織部 と いう もの は 、非常に 精作 な もの であって 、徳川 末期 に 産れた 織部 の ような 杜撰な 下品な もの で はない 。 織部 の 特色 は 、器 体 の 精作 なる 点 と 、絵 の うまい こと と 、絵 が 生 でなく よく 図案化されている こと 、写生 が そのまま でなく 、よく 省略されている こと 、そこ に 草色 の 丹礬釉 が かかっている こと である 。 そうして 、純 日本 の 香り の 高い こと など が 異彩 であって 、その 類例 が 世界 の 何処 にも ない こと ……など の 状態 に よって 、人 が やかましく 言う ように なった 。 ・・
しかし 、徳川 末期 に 織部 を 模倣 する 人 が 、勘違い を した ために 、ずいぶん くだらない 織部 を 生んだ 。 そこ で 鑑賞 家 の 方 に も 誤認 が 出来て 、織部 という もの は 、くだらない や すっぽい もの だ と 考える に 至った 向き も ある 。 ・・
そういうふうに 、今 の 一部 の 鑑賞家 を して 誤認 せしめた が 、元来 、織部 の 織部たる 所以 の もの は 、遠く 足利 から 織豊時代 に 産れている のであって 、精作 であり 、鈍重 であり 、且つ 温柔 であり 、しかも 非常に 雅味な もの であって 、絵唐津 の 色 を 美しく した と 見るべき もの である 。 全く 絵 唐津 を 美しく した もの だ と 思えば いい 。 絵 唐津 の よさ は 、渋すぎて 初学者 に は わかりにくい が 、織部 の 方 は 絵 の 種類 も 非常に 多い し 、青い ところ と 白い ところ が 美しく 光っている ので 、言わば 初学者 に でも 親しめる ところ の もの だ 。 ・・
この 陶器 は 、瀬戸 で 産れて いる こと だけ は 、従来 から 認識 されて 居った が 、その 窯 跡 が 発見 された の は 、今 から 一 年 ばかり 前 (昭和 五 年 頃 )の こと である 。 その 窯 跡 から 様様な 破片 が 出た 。 それ に よって 、初期 織部 の 総ての 作品 を 見る こと が 出来た 。 それ に は 、今日 まで 我々 の 見た こと の ない もの が たくさん あった 。 ・・
(昭和 六 年 )