111. 丸之内点景 ‥‥東京の盛り場を巡る‥‥ - 小津安二郎
丸之内 点 景 ‥‥東京 の 盛り場 を 巡る ‥‥-小津 安二郎
春 の 夜 である 。 ・・
今 、 活動 が ハネた ばかりで 、 人 浪 は 、 帝 劇 から 丸 之 内 の 一角 を 通 つて 、 銀座 に つ ゞ く 。 ・・
「 一 寸 、 つき 合 へ よ 、 アロハ ・ オエ を 一 枚 買 つて 行く ん だ 」・・
三 人 連れ の 海軍 青年 士官 の 会話 。 ・・
▽ 春 の 夜 の 、 コンクリート の 建物 の 並んだ 、 丸 之 内 の 裏通り の ごみ箱 一 つ 見えない 、 アスフアルト の 往来 に 、 ふと 、 野菜 サラダ の に ほ ひ を 感じた と 芥川 龍 之介 は 書いて ゐる 。 ・・
この 通り に は 、 ところどころ に 西洋 料理 店 は ある し 、 大方 は 、 地下 室 が 、 料理 場 に な つて ゐて 、 ほ道 と すれ /\ に 通風 窓 が ある から 、 野菜 サラダ だ ら う が 、 かき フライ で あらう が 、 鼻 が 悪くない 限り ごみ箱 を 連想 し 、 その 所在 を 気 に せず と も 、 それ より 遙 に 新鮮な に ほ ひ を 感じる の は 当然である 。 ・・
当時 、 この あたり に 洋食 屋 が 一 軒 も なか つた と 、 好意 的に 解釈 する と して ――・・
今 僕 の 前 を 行く 、これ も 帝劇 の 帰り の 慶応 の 学生 も 、洋食 に 関して 極めて 博学 を 示して ゐる 。 ・・
「日本 の 海老 は ラブスター と は 、い はない んだ ね 」・・
春 の 夜 の 丸之内 の 裏通り に 、ふと 洋食 を 感じる の は 、どうやら 春 の 夜 の 定式 らしい 。 ・・
▽相似 形 的 二重 露出 ・・ 曇天 の 、丸 ビル は 大きな 水 さう に 似て ゐる 。 ・・
中 に 、無数 の 目高 が 泳いで ゐる 。 ・・
▽丸 ビル は 、とても 大きい 愚鈍 な 顔 を して ゐる 。 ・・
殊に 、夜 が 明けて から 、朝 の ラツシユ ・アワー に なる 迄 の 数 時間 の 表情 と 来ては 、早発性 痴ほう よだれ だ 。 よだれ は 敷石 を ぬらして ゐる 。 ・・
▽ドーナツ ツ に 穴 の ある 様 に 、もつ と 現実的に いつ て 、便所 の 防臭剤 に 穴 の ある 様 に 、丸ビル の 内側 に も 、通風 と 採光 の 穴 が あいて ゐる 。 ・・
丸 ビル 、八 階 ――・・
窓 、窓 、窓 、窓 、東 向き ――・・
一階 、コーヒー を 沸して ゐる 。 ・・
二階 、女 店員 と コンパクト 。 ・・
三階 、ポマード 頭 。 ・・
四階 、ヨーヨー を して ゐる 。 ・・
五階 、ヨーヨー を して ゐる 。 これ は ニウトン の 戸惑 ひ を した 表情 だ 。 ・・
六 階 、丁字形 定規 が 動いて ゐる 。 ・・
七 階 、空室 。 ・・
八階 、窓 硝子 を ふいて ゐる 。 陸 の カンカン 虫 。 ・・
▽ 窓 、 窓 、 窓 、 窓 、 南 向き ――・・ 一階 、飯びつ が 乾して ある 。 ・・
二 階 、 狸 が 狐 を 背負 つて ゐる 。 美容院 。 ・・
三階 、タイプライター を たゝいて ゐる 。 ・・
四階 、手巾 が 乾して ある 。 ・・
五階 、泣いて 文 書く 人 も ある 。 これ は うそ だ 。 給仕 が 靴 を 磨いて ゐる 。 ・・
六階 、盛に 、お辞儀 の 連発 だ 。 あれ は 借金 の 言訳 を して ゐる 。 ・・
七 階 、 途端 に 、 サイレン が 鳴 つた 。 ・・
午 砲 の サイレン に 変つた の は 偶然 で は ない 。 これ は まだしも 空き 腹 に 、応へ ない 。 ・・
▽この 界わい の 、ビルデング の ボイラー たき は 大方 、らんちう を 、その 屋上 に 飼つて ゐる 。 ・・
暖かく な つて 、ボイラー の 方 が 暇に なる と 一方 は 、食ひ が 立つて 急がしく なる 。 ・・
▽ 極めて 早朝 、 この 界わい を 、 神田 あたり の 店員 が 、 皆 ユニホーム を 着て 、 皆 自転車 に 乗 つて 、 日比谷 あたり に 野球 の 練習 に 通る の を 見かけた こと が ある 。 ・・
これ は 僕 の 見た 都会 の 情景 の 中 での 、好ましい もの の 一 つ である 。 ・・
(「東京 朝日 新聞 」昭和 8 年 4 月 21 日 朝刊 )