090. 水草 - 久生十蘭
水草 -久生 十 蘭
朝 の 十時 ごろ 、俳友 の 国手 石亭 が 葱 と ビール を さげて やってきた 。 ・・
「へんな 顔 を して います ね 。 どう しました 」・・
「田阪 で 池 の 水 を 落とす のが 耳 に ついて 眠れない 。 もう 三 晩 に なる 」・・
「あれ に は わたし も やられました 。 池 を 乾して 畑 に する んだ そうです 」・・
「それ は いい が 、その ビール は なんだ ね 」・・
「あい 鴨 で 一杯 やろう と いう のです 。 尤も あひる は これ から ひねり に 行く のです が 」・・
田阪 の あひる が 水門 を ぬけて きて 畑 を 荒して しようがない から 、おびきだして ひねって しまう という はなし な のである 。 ・・
石亭 は 田阪 の 一人 娘 と むずかしい 仲 に なって いて 、娘 の 継母 が 二人 を こっそり 庭 で 逢わせたり していた と いう こと だった が 、復員 してくる と すっかり 風向き が かわり 、娘 を 隠した とか 逃した とか 、そういう 噂 を よそ から きいていた 。 そんな 鬱憤 も 大いに 手伝って いる のだ と 察した 。 ・・
「釣針 に 泥 鰌 を つけて おびきよせ まして ね 、その場 で 手術刀 で 処理して しまう んです 。 中 支 で は よく やりました よ 」・・
そんな こと を いい つつ 尻 は しょり を して 出かけて 行った が 、なかなか 帰って こない 。 ・・
きのう 田阪 の 女中 が 来て 、誰か あひる を 殺して 藪 の 中 に おしこんで ありました んです が もし お 気持 が わるく ありません でしたら と いって 、大きな 手羽 を ひとつ 置いて 行った 。 きのう 誰 か に やられ 、きょう また 石亭 に しめられた ので は 田阪 の あひる も 楽じゃない など と かんがえている ところへ 、石亭 が へんに ぶらり と した ようす で 帰ってきて 、手 に 握っていた もの を 縁 の 端 へ 置いた 。 髪 毛 が 毬 の ように くぐ まった 無気味な もの である 。 ・・
「それ は なんだ ね 」・・
「こんな もの が あひる の 胃袋 から 出て きた んです 。 まあ 、見て いて ごらん なさい 」・・
石 亭 は ひきつった ような 笑い かた を する と も さも さ を 指 で かい さぐって 小さな 翡翠 の 耳 飾 を つまみだした 。 ・・
「これ は ヒサ子 の 耳 飾 です から 、髪 毛 も たぶん ヒサ子 の でしょう 。 継母 が ヒサ子 を 殺して 池 へ 沈めた の を 、あひる が 突つき ちらして これ が 胃 の 中 に 残った と いう わけです 」・・
「えらい こと を いいだした ね 」・・
「いや 、そう いえば 思いあたる こと が ある んです 。 二 た 月 ほど 前 、継母 が 疲れて こまる と いって ポリモス 錠 を とり に きました が 、あいつ は 新薬 マニア です から 、ポリモス 錠 の 亜砒酸 を どう 使う か ぐらい の こと は ちゃんと 心得て いる んです よ 」・・
あひる が 人間 を 食う か どう か 、それ も すこぶる あやしい 話 だ が 、死体 を 池 へ 沈めた もの なら 池 を 乾したり する はず が ない 。 このごろ 調子 が おかしい と 思って いた が だいぶ いけない らしい と 、それ と なく 顔 を ながめている うちに 、最近 の 石亭 の 一 句 が こころ に うかんだ 。 ・・
「水草 の 冷え たる まま を 夏 枕 」・・
ふと 、みょうな 気 あたり が して たずねて みた 。 ・・
「田阪 で は あひる を たくさん 飼ってる の 」・・
「いいえ 、一羽 です 。 あいつ も その 一羽 の あひる から 足 が つく と は 思わなかった でしょう 。 よく 出来て います よ 。 理 という の は なかなか 油断 の ならん もの です ね 」・・
「おそろしい もん だ ね 」・・
これ で 石亭 が 自白 した ような もの だ と 思う と 、暗い 水草 を 枕 に して ひっそり と 横たわって いる 娘 の 幽艶 な 死顔 が ありあり と 眼 に 見えて きた 。 ・・
(〈 宝石 〉 昭和 二十二 年 一 月 号 発表 )・・