045. 正岡子規 - 芥川龍之介
正岡 子 規 -芥川 龍 之介
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北原 さん 。
「アルス 新聞 」に 子 規 の こと を 書け と 云ふ 仰せ は 確 に 拝 誦 しました 。 子 規 の こと は 仰せ を 受け ず と も 書きたい と 思 つて ゐる の です が 、 今 は 用 の 多い 為 に 到底 書いて ゐる 暇 は ありません 。 が 、何でも 書け と 云はれる なら 、子規 に 関する 夏目 先生 や 大塚 先生 の 談片 を 紹介しませう 。 これ は 子 規 を 愛する 人人 に は 間に合せ の 子 規論 を 聞かせられる よりも 興味 の ある こと と 思ひます から 。 ×.
「墨汁 一 滴 」だ か 「病 牀 六 尺 」だ か どちら だ か は つきり 覚えて ゐま せん 。 しかし 子 規 は どちら か の 中 に 夏目 先生 と 散歩 に 出たら 、先生 の 稲 を 知ら ない の に 驚いた と 云ふ こと を 書いて ゐま す 。 或時 この 稲 の 話 を 夏目 先生 の 前 へ 持ち出す と 、先生 は 「なに 、稲 は 知つて ゐた 」と 云ふ のです 。 では 子 規 の 書いた こと は うそ だつ た のですか と 反問 する と 「あれ も うそ ぢや ない が ね 」と 云ふ のです 。 知ら なか つた と 云ふ の も ほんたう なら 、知つて ゐた と 云ふ の も ほんたう と 云ふ のは どうも 少し 可笑しい でせう 。 が 、 先生 自身 の 説明 に よる と 、「 僕 も 稲 から 米 の とれる 位 の こと は とうの昔 に 知 つて ゐた さ 。 それ から 田圃 に 生える 稲 も 度たび 見た こと は ある のだ が ね 。 唯 その 田 圃 に 生えて ゐる 稲 は 米 の とれる 稲 だ と 云ふ こと を 発見 する こと が 出来なかつた のだ 。 つまり 頭 の 中 に ある 稲 と 眼 の 前 に ある 稲 と の 二 つ を アイデンテイフアイ する こと が 出来 なか つた のだ が ね 。 だから 正岡 の 書いた こと は 一概に うそ と も 云は なければ 、一概に ほんたう とも 云はれない さ 」!
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それ から 又 夏目 先生 の 話 に 子 規 は 先生 の 俳句 や 漢詩 に いつも 批評 を 加へた さう です 。 先生 は 勿論 子 規 の 自負 心 を 多少 業 腹 に 思 つた の で せ う 。 或時 英文 を 作 つて 見せる と ―― 子 規 は どうした と 思 ひます か ? 恬然 と その 上 に かう 書いた さ う です 。 ――ヴエリイ ・グツド !
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これ は 大塚 先生 の 話 です 。 先生 は 帰朝 後 西 洋服 と 日本 服 と の 美醜 を 比較 した 講演 か 何 か した さう です 。 する と 直接 先生 から 聞いた か それとも 講演 の 筆記 を 読んだ か 、 兎に角 その 説 を 知 つた子 規 は 大塚 先生 に かう 云 つ た さ う です 。 ――
「君 は 人間 の 立つ て ゐる 時 の 服装 の 美醜 ばかり 論じて ゐる 。 坐 つて ゐる 時 の 服装 の 美醜 も 并 せて 考 へて 見 なければ いか ん 。」 わたし の この 話 を 聞いた の は 大塚 先生 の 美学 の 講義 に 出席 して ゐた 時 の こと です が 、 先生 は に やに や 笑 ひ ながら 「 それ も 後 に 考 へて 見る と 、 子 規 は あの 通り 寝て ゐた です から 、 坐 つた人間 ばかり 見て ゐた の で せ うし 、 わたし は 又 外国 に ゐた の です から 、 坐ら ない人間 ばかり 見て ゐま したし 」 と 御 尤 も な 註釈 を も つけ 加 へ たも の です 。
で は これ で 御免 蒙ります 。 それ から この 間 お出に なつた 方 に も ちよつと 申し上げて 置いた のです が 、どうか 「子規全集 」の 予約者 の 中 に わたし の 名前 を 加へて 置いて 下さい 。 以上 。
(大正 十三 年 四 月 )