世界 から 猫 が 消えた なら : 世界 から 電話 が 消えた なら :1
火曜日 世界 から 電話 が 消えた なら
同居人 は 猫 である 。
名前 は まだ 無い 。
いや 、ある 。
猫 の 名前 は キャベツ と いう 。
あなた は もう 忘れて いる かもしれない から 、少し だけ この 猫 と の 思い出 を 振り返らせて 欲しい 。
あれ は 僕 が 五歳 の とき だった 。
突然 、母さん が 猫 を 拾って 帰って きた 。
大雨 の 日 だった 。
道端 に 置かれて いた 子猫 。 スーパー から の 帰り道 、ずぶ濡れ だった その 猫 を 母さん は 拾って きた 。
猫 が 入って いた 長野県 レタス の ダンボール 。
それ を 見た 母さん は 濡れた 子猫 を タオル で 拭き ながら
「この 子 の 名前 は レタス ね 」
と 名付けた 。
覚えて いる か な 。
母さん 、もともと 動物 嫌い だった んだ 。
レタス に も 、はじめ の うち は うまく 触る こと が できなかった 。
だから しばらく の 間 、僕 が 母さん を 手伝い ながら 面倒 を みて いた 。
しかも 母さん は 猫 アレルギー を 発症して 、くしゃみ が 止まらなくなってしまった 。
涙 と 鼻水 を だらだら 流し ながら 、母さん は 一カ月 過ごした 。
でも 子猫 を 決して よそ に やらなかった 。
「この 子 が 私 を 選んだ のだ から 」
そう 言って 、母さん は ぐしゃぐしゃ の 顔 を タオル で 拭き ながら 飼い 続けた 。
一カ月 が 経った ある 日 、母さん の 猫 アレルギー は ぴたっと 止んだ 。
奇跡 だった の かもしれない し 、ただ 体 が 順応 した だけ な の かもしれない 。
とにかく ある 日 突然 、くしゃみ 、涙 、鼻水 、その すべて から 母さん は 解放 された 。
その 日 、レタス が 片時 も 離れず 母さん に 寄り添って いた こと を 、僕 は いま でも よく 思い出す 。
「何か を 得る ために は 、何か を 失わ なくては ね 」
あたりまえ の こと だ と 、母さん は 言った 。
人間 は 何も 失わず に 、何か を 得よう と する 。
でも それ は 奪う 行為 に 他ならない 。
だれか が 得ている その とき に 、だれか が 失っている 。 だれか の 幸せ は 、だれか の 不幸 の 上 に 成り立っている のだ 。
そんな 世界 の 法則 を 、母さん は 僕 に よく 話して いた 。
レタス は 十一 年 生きた 。
でも 最後 は 体 に 腫瘍 が できて 、みるみる 痩せて 、しまいには ずっと 寝ている ように なって 、静かに 死んだ 。
レタス が 死んだ 日 から 、母さん は まったく 動かなく なって しまった 。
明るくて 、料理 と 洗濯 が 好きで 、よく しゃべる 人 だった 。 でも その 母さん が 料理 も 洗濯 も 、何も かも しなく なった 。
家 に 籠って ずっと 泣いて いた 。
仕方 が ない から 僕 が 洗濯 を した 。 食事 は 毎回 母さん を 連れ出して 、近所 の ファミレス で 食べた 。 覚えて いる か な 。あの 頃 僕ら は 、あの ファミレス の メニュー を 全部 食べ尽くした んだ 。 それから 一カ月 が 経った ある 日 だった 。
突然 、母さん が 子猫 を 拾って 帰って きた 。
何ごと も なかった ように 。 その 子猫 は 、レタス そっくり だった 。 丸くて 、白 と 黒 と グレー の アンサンブル が 見事な 子猫 だった 。
あまりに そっくり な ので 、子猫 は キャベツ と 命名 された 。
丸まって いる 姿 を 見て 「本当に キャベツ みたい 」と 母さん は 笑った 。
僕 は 、一カ月 ぶり に 母さん の 笑顔 を 見た 。
その 笑顔 を 見て 、僕 は 泣いた 。 泣いた 、と いう より 涙 が こぼれた 、という の が 正しい の かもしれない 。 母さん が ずいぶん 遠く に いって しまって 、もう 戻って こない ので は ない か と ずっと 不安 だった んだ と 思う 。 でも 四年 前 、母さん は 本当に 遠く に いって しまった 。
「なんの 縁 かしら ね 、レタス と おんなじ 病気 なんて 」
と 母さん は 微か に 笑いながら 言った 。
母さん も レタス と 同じ で 、みるみる 痩せて 、最後 は ずっと 寝て いる ように なって 、静かに 死んだ 。
「くれぐれも キャベツ を お願い ね 」
母さん は 僕 に 言った 。
だから さ 、まさか ね 、と 思う んだ 。
僕 が キャベツ より 先 に 死ぬ なんて 。 きっと 母さん は 呆れて いる と 思う 。
「そんな こと だったら 、ほか の 人 に 預けた わ 」
そう 怒られた かもしれない 。
気付いたら 朝 だった 。 ひさしぶり に 母さん の 夢 を 見て いた 。 キャベツ が 寄って きて 「みゃあ 」と 鳴く 。
柔らかい 体 を 抱き寄せる 。
フーカフーカ と した 感触 。 温かい 。 僕 は 生きて いる 。 そう だった 、電話 と 引き換え に 一日 の 命 を 得た のだ 。 昨日 の 出来事 は 、どこ から どこ まで が 本当 だった のだろうか 。
全部 が 現実 だった の かもしれない し 、すべて が 夢 でも おかしく ない 。
でも 、いつも テーブル の 上 に 置いて ある はず の 携帯電話 が 見当たらない 。 ずっと 続いて いた 熱 も 引いた みたいだ 。 頭 も 痛く ない 。 悪魔 と の 取引 は 本当 だった の かもしれない 。 世界 から 電話 が 消えた 。
よく 考えたら 電話 (特に 携帯 電話 !)
なんて 、最も 消したい もの だった 。 特に 最近 は 、朝 起きて から 寝る 直前 まで 携帯 を 触って いた 。
本 を 読む 量 が 減った 。
新聞 も 読ま なく なった 。 観たい 映画 も たまる 一方 だ 。 電車 に 乗る と 必ず 携帯 を 見て いた 。 映画 を 観て いて も 携帯 を 見て しまう 。 食事 中 も 。 昼休み に なる と 、携帯 が 見たくて しょうがない 。
キャベツ と いる とき も 、ついつい 遊んで あげず に 携帯 を いじって いた 。
あんな もの に 振り回されて いる 自分 に ほとほと 嫌気 が さして いた 。 携帯 は その 登場 から 、たった の 二十 年 で 人間 を 支配 して しまった 。
なくても よかった もの が 、たった 二十 年 で 、なくては ならない もの かのように 人間 を 支配している 。
人 は 携帯 を 発明 する こと に より 、携帯 を 持たない 不安 も 同時に 発明してしまった 。
でも 、そもそも 手紙 が 登場 した とき も そう だった の かもしれない 。
インターネット だって そう だ 。 人間 は 何 か を 生み出す たび に 、何 か を 失って きた んだ 。 そう 考える と 神様 が 悪魔 の 提案 に 乗った 意味 も よく 分かる 。 それで 、僕 が 最後 に 電話 を かけた 相手 が 誰 かって ? あんまり 言い たくない 。
でも 言います 。
初恋 の 相手 です 。 はじめて の 彼女 です 。 女々しい 、とか 言わないで ください 。 大概 の 男 が 、死ぬ とき に 思い出す の は 初恋 の 人 だ とか いう じゃないですか 。
だから 僕 だって 、御多分 に 漏れず 普通の 男子 だって いう こと です よ 。
朝日 を 浴び ながら 僕 は ゆっくり と 体 を 起こし 、ラジオ を 聴き ながら 朝食 の 準備 を する 。 コーヒー を いれ 、目玉焼き を ひとつ 、トースト を 一枚 。 トマト を スライス して 皿 に 添える 。 朝食 を 食べた 後 、コーヒー を もう 一杯 飲みながら 、ゆっくり と 本 を 読む 。 電話 が ない 生活 。 素敵 だ 。
なんだか 急に 時間 が 縦 に 伸びて 、空間 が 横 に 広がった ような 気 が する 。
昼 が 近付いて きた 。
僕 は 本 を ぱたん と 閉じて 、シャワールーム に 向かう 。
ちょっと 熱 すぎる くらい の シャワー を 浴びて 、きれい に 畳んで おいた 服 (前述 した ように 黒 と 白 である )を 着て 、部屋 を 出る 。 僕 は いま から 、彼女 に 会い に 行く のだ 。
部屋 を 出た 僕 が まず 向かった の は 、いきつけ の 美容室 だった 。
もう すぐ 死ぬ かもしれない のに 散髪 している 状況 が 、なんとも 滑稽 である こと は 自分 でも 十分に 分かっている 。 とはいえ 昔 の 彼女 に 、少し でも 良く 見て もらいたい という 僕 の 男心 を 笑わないで 頂きたい 。
きれいに 髪 を 整えた ついでに 、向かい の メガネ屋 で メガネ まで 新調 してしまった 僕 は 、近く の 停留所 に 向かう 。
そして 、ちょうど 走り込んで きた 緑色 の 路面電車 に 飛び乗った 。
平日 の 午前 中 だから か 、電車 の 中 は 多く の 客 で 混み合っている 。
いつも なら 、シート に 座る 全員 が 携帯電話 を 見ている 。
でも 今日 は 違う 。 みんな 、本 を 読んで いたり 、音楽 を 聴いて いたり 、窓 から 見える 景色 を 見て いたり 、各々 の 時間 を 自由に 楽しんで いる 。 その 表情 は 心なしか 明るく 見える 。
どうして 人 は 携帯電話 を 見る とき に 、あんなに 深刻そうな 顔 を していた のだろう 。
この 電車 の 中 の 平和 な 空気 を 見ている と 、僕 は 自分 の 命 を もらった ばかりでなく 、世界 に とって 素晴らしい こと を して あげた ような 気分 に なってきた 。
しかし 、本当に この 世界 から 、電話 が 消えて しまった のだろうか 。
窓 の 外 を 見る と 、商店街 の 角 に ある 蕎麦屋 (キャベツ は こっそり 外 に 出かけ 、ここ で かつおぶし を もらっている こと を 僕 は 知っている )の 看板 に は 電話番号 が いつも と 変わらず 載っている 。
電車 の 中 を 見回して みる 。
携帯 会社 の ポスター が 所 狭し と 貼られている 。 だが 、車内 で は 誰 も 携帯電話 を 見て いない 。 これ は 、いったい どういう こと な の だろう か 。
僕 は ふと 思い出した 。
ドラ え もん 。 てんとう虫 コミックス 四巻 。 「石ころ ぼうし 」と いう ドラえもん の 秘密 道具 。
物語 は こう だ 。
いつも の ように パパ や ママ に 怒られる 野比 のび太 。
「誰 も 僕 の こと なんて 気 に かけ なければ いい のに 」
「みんな から 放っておかれたい 」
と ドラえもん に 泣きつく 。
そこ で ドラえもん が 四次元 ポケット から 出した 道具 。 それ が 「石ころ ぼうし 」だ 。
ドラえもん いわく 「この 帽子 を かぶる と 、道ばた の 石ころ の ような 存在 に なれる 」のだ と いう 。
つまり 物質 として そこ に 確かに 存在 し 、目 に 見えて いる のだ が 、誰 からも 気に されない 存在 に なる のだ 。
のび太 は 喜び 勇んで その 帽子 を かぶり 、しばし の 放置 状態 を 楽しむ 。
けれど 、やはり だんだん 寂しく なって きて ( ここ ら へん が さすが のび 太 )、でも なぜ だ か 帽子 が 取れ なく なって 、最後 は 泣いて ( ここ ら へん も のび 太 らしい )、涙 で ふやけて 帽子 が 取れる と 、パパ や ママ が のび 太 に 気付く 。 すると 「気にかけられる って うれしい ねえ 」と のび太 が 言って 終わる 。 そんな 話 だった はず だ 。
だいぶ 話 が それて しまった のだ が 、アロハ が 構築 した システム が 「 石ころ ぼうし 」と 同じ な の で は ない か と 僕 は 推測 した 。
つまり 電話 の 存在 自体 は 、おそらく この 世界 から 消えて いない 。 だが 、誰 も 気付かない 、気 に 留めない という 、一種 の 集団 催眠 状態 に してしまった という こと なのだろう 。 まったく ドラえもん みたい な 奴 だ 。
やがて 電話 は 長い 年月 を かけて 、徐々に その 存在 が 消えて いく のだろう 。
まるで 道ばた の 石ころ が 誰 に も 気付かれない まま に 、でも 確実に そこから 消失して いく ように 。
そう 考える と 、いま まで アロハ に 出会った 107人が何を消してきたのかは知らないが、確かにそこで消されたものがあったということだろう。
ただ 僕たち は それ に 気付いて いない だけ なのだ 。 まるで 自分 でも 気付かない うち に 、お気に入り の カップ や 買った ばかり の 靴下 が 見当たらなく なって しまう ように 。
そして それ は どんなに 探して も 見つからない 。
絶対 なくなる はず が ない もの が 、なくなる という こと は 、僕ら が 知らない うちに 常に どこ か で 起きている こと なの かもしれない 。
緑色 の 路面電車 が 坂 を ふたつ ほど 越え 、隣町 に 到着した 。
大きな 広場 に 面する 停留所 で 僕 は 電車 を 降り 、待ち合わせ 場所 に 向かう 。
広場 の 中心 に ある 時計台 。
大学 時代 に よく 彼女 と ここ で 待ち合わせ を して いた のだ 。 時計台 の 周り を ぐるっと 車道 が 取り囲んで いて 、その 周囲 に レストラン や 本屋 、雑貨屋 が 並んで いる 。
約束 の 時間 まで あと 十五分 。
いつも なら 携帯 を チェック して しまう ところ だが 、僕 は ポケット に 入れた 文庫本 を 取り出し 、その 本 を 読み ながら 彼女 を 待つ こと に した 。
約束 の 時間 に なった 。
しかし 、彼女 は 現れない 。
三十分 が 経過 した 。
まだ 彼女 は 来ない 。
困った 。
思わず 手 が 携帯電話 を 探る 。
ない 。
そう だ 、消して しまった のだ 。
待ち合わせ 場所 を 間違えた の か 、それとも 時間 を 間違えた の か 。
悪魔 と の 取引 中 の 電話 だった から 動揺 していた 。 間違えた 可能性 は 十分 ある 。
「不便 だ 」
思わず 口 に して しまう 。
電話 から 自由 に なった のに 、やはり 電話 を 必要 とし ている 。 どう する こと も でき なくて 、僕 は 時計台 の 下 で 震え ながら 待つ こと と なった 。
そう いえば 昔 、よく 「不便 だ 」と 言って いた 。
大学 時代 、彼女 と 付き合って いた とき の こと だ 。
彼女 は 都会 の 街 から 、この 田舎町 の 大学 に やってきた 。
哲学 科 の 女の子 。
ひとり暮らし の その 家 に は 、扇風機 と 小さな 電気 ストーブ と 、たくさんの 本 が あった 。
みんな が 携帯電話 で 連絡 を 取り合う なか 、彼女 は 携帯 を 持って いなかった 。
固定電話 すら 持とう と しなかった 。
必然的に 、彼女 から の 電話 は 公衆電話 から だった 。
携帯 の 画面 に 〝 公衆 電話 〟 と 表示 される と 体 が 浮き 上がる ような 幸せ を 感じた 。
僕 は 急いで 電話 に 出て (たとえ 授業 中 であろう と 、バイト 中 であろう と )、彼女 と 話した 。
最悪 だった の は 電話 を 取り 逃した とき だ 。
着信履歴 を うらめしく 見つめる こと しか できない 。 折り返して も 相手 は 公衆電話 だ 。 その頃 の 僕 は 、無人 の ボックス の なか で 公衆電話 が 鳴り続ける 悪夢 を よく 見た もの だ 。
その うち 僕 は 、彼女 から の 電話 を 逃さない ように 、携帯電話 を 毎晩 抱いて 寝る こと に した 。
携帯 電話 を 抱いて いる と 、その 熱 が まるで 彼女 の 体温 の ように 感じられて 、気付く と いつも 深い 眠り に 落ちて いた 。
交際 から 半年 。
僕 の 度重なる 説得 に 応じた の か 、彼女 の 家 に は 黒 電話 が 置かれる こと に なった 。
「黒 電話 が タダ で もらえた の よ 」
彼女 は 自慢げ に 言い 、ダイヤル を ジーコジーコ と 回して みせた 。
僕 は その 黒 電話 に 何度 も 電話 を した 。
何度 も 何度 も 電話 を する うちに 、番号 は 体 に しみつく ように 記憶 されて いった 。
不思議な もの だ 。
自分 の 携帯 の 中 に 入っていた 、あまた ある 番号 の なか で 記憶している 番号 など ない 。 親友 の 番号 も 、同僚 の 番号 も 、ましてや 親 の 番号 すら 覚えて いない 。 携帯 に 自分 の 絆 と 記憶 を 完全に 任せて しまって いた 。 そう 考える と 、なんだか 恐ろしい こと が 起きて いる 気 が して くる 。
昨日 僕 は 、体 に しみついている 番号 を 思い返して みた 。
その とき に 、自然 と 出てきた のが 彼女 の 電話番号 だった 。 僕 は 、自分 の 体 が 記憶 している 絆 に 最後 、頼って みたく なった のだ 。
別れて から もう 七年 が 経って いた 。
でも 、彼女 に 聞かなければ ならない こと が あった 。
電話 に 出た 彼女 は 、地元 の 映画館 で 働いて いて 、ちょうど 明日 休み だ と 言った 。
僕 は その 偶然 に 感謝 し 、会う 約束 を とりつけた 。
「じゃあ 、また 明日 」
そう 言って 電話 を 切る 彼女 の 声 は 、大学 時代 の それ と まったく 変わら なくて 、急に 僕 は 七年 前 に 引き戻された ような 気持ち に なった