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野分 夏目漱石, 「四」 野分 夏目漱石

「四 」野 分 夏目 漱石

「どこ へ 行く 」と 中野 君 が 高柳 君 を つらまえた 。 所 は 動物園 の 前 である 。 太い 桜 の 幹 が 黒ずんだ 色 の なか から 、銀 の ような 光り を 秋 の 日 に 射 返して 、梢 を 離れる 病 葉 は 風 なき 折々 行人 の 肩 に かかる 。 足元 に は 、ここ かしこ に 枝 を 辞し たる 古い 奴 が がさ ついている 。 色 は 様々 である 。 鮮血 を 日 に 曝して 、七 日 の 間 日ごと に その 変化 を 葉裏 に 印して 、注意 なく 一枚 の なか に 畳み込めたら 、こんな 色 に なる だろう と 高柳 君 は さっき から 眺めていた 。 血 を 連想 した 時 高柳 君 は 腋 の 下 から 何 か 冷たい もの が 襯衣 ( シャツ ) に 伝わる ような 気分 が した 。 ご ほん と 取り締り の ない 咳 を 一 つ する 。 形 も 様々 である 。 火 に あぶった かき 餅 の 状 は 千差万別 である が 、我 も 我 も と みんな 反り返る 。 桜 の 落葉 も がさがさに 反り返って 、反り返った まま 吹く 風 に 誘われて 行く 。 水気 の ない もの に は 未練 も 執着 も ない 。 飄々と して わが 行末 を 覚束ない 風 に 任せて 平気な のは 、死んだ 後の 祭り に 、から 騒ぎ にはしゃぐ 了 簡かも 知れぬ 。 風 に めぐる 落葉 と 攫わ れて 行く かんな 屑 と は 一種 の 気狂 である 。 ただ 死 し たる もの の 気 狂 である 。 高柳 君 は 死 と 気 狂 と を 自然界 に 点綴 した 時 、瘠せた 両肩 を 聳やかして 、また ごほん と 云う うつろな 咳 を 一つ した 。 高柳 君 は この 瞬間 に 中野 君 から つら まえられた のである 。 ふと 気 が ついて 見る と 世 は 太平 である 。 空 は 朗らか である 。 美しい 着物 を きた 人 が 続々 行く 。 相手 は 薄 羅 紗 の 外套 に 恰好の いい 姿 を 包んで 、 顋 の 下 に 真珠 の 留針 を 輝かして いる 。 ――高柳 君 は 相手 の 姿 を 見守った なり 黙って いた 。 「どこ へ 行く 」と 青年 は 再び 問うた 。 「今 図書館 へ 行った 帰り だ 」と 相手 は ようやく 答えた 。 「また 地理 学 教授 法 じゃ ない か 。 ハハハハ 。 何だか 不景気 な 顔 を している ね 。 どうかした かい 」「近頃 は 喜劇 の 面 を どこ か へ 遺失 してしまった 」「また 新橋 の 先 まで 探がし に 行って 、拳突 を 喰った んじゃないか 。 つまらない 」「新 橋 どころ か 、世界中 探がして あるいて も 落ちて いそう も ない 。 もう 、 御 やめ だ 」「 何 を 」「 何でも 御 やめ だ 」「 万事 御 やめ か 。 当分 御 やめ が よかろう 。 万事 御 やめ に して 僕 と いっしょに 来た まえ 」「どこ へ 」「今日 は そこ に 慈善 音楽 会 が ある んで 、切符 を 二 枚 買わさ れた んだ が 、ほか に 誰 も 行き 手 が ない から 、ちょうど いい 。 君 行き たまえ 」「いら ない 切符 など を 買う の かい 。 もったいない 事 を する んだ な 」「なに 義理 だ から 仕方 が ない 。 おやじ が 買った んだ が 、おやじ は 西洋 音楽 なんか わからない から ね 」「それ じゃ 余った 方 を 送って やれば いい のに 」「実は 君 の 所 へ 送ろう と 思った んだ が ……」「いいえ 。 あす こ へ さ 」「あす こと は 。 ―― うん 。 あす こか 。 何 、ありゃ 、いい んだ 。 自分 でも 買った んだ 」高柳 君 は 何とも 返事 を しないで 、相手 を 真正面 から 見て いる 。 中野 君 は 少々 恐縮 の 微笑 を 洩らして 、右 の 手 に 握った まま の 、山羊 の 手袋 で 外套 の 胸 を ぴし ゃぴ しゃ 敲き 始めた 。 「 穿 め も しない 手袋 を 握って あるいてる の は 何の ため だい 」 「 なに 、 今 ちょっと 隠 袋 ( ポッケット ) から 出した ん だ 」 と 云 いながら 中野 君 は 、 すぐ 手袋 を かくし の 裏 に 収めた 。 高柳 君 の 癇癪 は これ で 少々 治まった ようである 。 ところ へ 後ろ から エーイ と 云う 掛声 が して 蹄 の 音 が 風 を 動かして くる 。 両人 は 足早に 道 傍 へ 立ち退いた 。 黒 塗 の ランドー の 蓋 を 、 秋 の 日 の 暖かき に 、 払い 退けた 、 中 に は 絹 帽 ( シルクハット ) が 一 つ 、 美しい 紅 い の 日傘 が 一 つ 見え ながら 、 両人 の 前 を 通り過ぎる 。 「ああ 云う 連中 が 行く の かい 」と 高柳 君 が 顋 で 馬車 の 後ろ 影 を 指す 。 「あれ は 徳川 侯爵 だ よ 」と 中野 君 は 教えた 。 「よく 、知ってる ね 。 君 は あの 人 の 家来 かい 」「家来 じゃ ない 」と 中野 君 は 真面目に 弁解 した 。 高柳 君 は 腹 の なか で また ちょっと 愉快 を 覚えた 。 「どう だい 行こう じゃない か 。 時間 が おくれる よ 」「おくれる と 逢えない と 云う の か ね 」中野 君 は 、すこし 赤く なった 。 怒った の か 、 弱点 を つかれた ため か 、 恥ずかしかった の か 、 わかる の は 高柳 君 だけ である 。 「とにかく 行こう 。 君 は なんでも 人 の 集まる 所 や なに か を 嫌って ばかり いる から 、一人 坊っち に なって しまう んだ よ 」打つ もの は 打たれる 。 参る の は 今度 こそ 高柳 君 の 番 である 。 一人 坊っち と 云う 言葉 を 聞いた 彼 は 、耳 が しいん と 鳴って 、非常に 淋しい 気持 が した 。 「いや かい 。 いや なら 仕方 が ない 。 僕 は 失敬 する 」相手 は 同情 の 笑 を 湛え ながら 半歩 踵 を めぐらし かけた 。 高柳 君 は また 打たれた 。 「いこう 」と 単簡 に 降参 する 。 彼 が 音楽 会 へ 臨む の は 生れて から 、これ が 始めて である 。 玄関 に かかった 時 は 受付 が 右 へ 左 り へ の 案内 で 忙殺 されて 、接待 掛り の 胸 に つけた 、青い リボン を 見失う ほど 込み合って いた 。 突き当り を 右 へ 折れる の が 上等 で 、左 り へ 曲がる の が 並 等 である 。 下等 は ない そうだ 。 中野 君 は 無論 上等 である 。 高柳 君 を 顧み ながら 、こっち だ よ と 、さも 物馴れた さま に 云う 。 今日 に 限って 、特別に 下等 席 を 設けて 貰って 、そこ へ 自分 だけ 這 入って 聴いて 見たい と 一人 坊っち の 青年 は 、中野 君 の あと を つき ながら 階段 を 上ぼり つつ 考えた 。 己 れ の 右 を 上る 人 も 、左 り を 上る 人 も 、また あと から ぞろぞろ ついて 来る もの も 、皆 異種 類 の 動物 で 、わざと 自分 を 包囲 して 、のっぴきさ せず 二 階 の 大広間 へ 押し上げた 上 、あと から 、慰み 半分 に 手 を 拍って 笑う 策略 の ように 思われた 。 後ろ を 振り向く と 、 下 から 緑 り の 滴 たる 束 髪 の 脳 巓 が 見える 。 コスメチック で 奇麗な 一直線 を 七 分 三分 の 割合 に 錬り出した 頭蓋骨 が 見える 。 これら の 頭 が 十 も 二十 も 重なり合って 、もう 高柳 周作 は 一歩 でも 退く 事 は ならぬ と せり上がって くる 。 楽 堂 の 入口 を 這入る と 、霞 に 酔う た 人 の ように ぽうっと した 。 空 を 隠す 茂み の なか を 通り抜けて 頂 に 攀じ登った 時 、思い も 寄らぬ 、眼 の 下 に 百 里 の 眺め が 展開する 時 の 感じ は これ である 。 演奏 台 は 遥か の 谷底 に ある 。 近づく ため に は 、登り詰めた 頂 から 、規則正しく 排列された 人間の 間を 一直線に 縫うがごとくに 下りて 、自然と 逼る 擂鉢の 底に 近寄らねばならぬ 。 擂鉢 の 底 は 半円 形 を 劃 して 空 に 向って 広がる 内側 面 に は 人間 の 塀 が 段々 に 横 輪 を えがいて いる 。 七八 段 を 下りた 高柳 君 は 念のため に 振り返って 擂鉢 の 側面 を 天井 まで 見上げた 時 、目 が ちらちら して ちょっと 留った 。 excuse me と 云って 、大きな 異人 が 、高柳 君 を 蔽い かぶせる ように して 、一段 下 へ 通り抜けた 。 駝鳥 の 白い 毛 が 鼻 の 先 に ふらついて 、品 の いい 香り が ぷん と する 。 あと から 、脳 巓 の 禿げた 大 男 が 絹 帽 (シルクハット )を 大事 そうに 抱えて 身 を 横 に して 女 に つきながら 、二人 を 擦り抜ける 。 「おい 、あすこ に 椅子 が 二つ 空いて いる 」と 物馴れた 中野君 は 階段 を 横 へ 切れる 。 並んで いる 人 は 席 を 立って 二 人 を 通す 。 自分 だけ であったら 、誰 も 席 を 立って くれる もの は ある まい と 高柳 君 は 思った 。 「大変な 人 だ ね 」と 椅子 に 腰 を おろし ながら 中野 君 は 満場 を 見 廻わす 。 やがて 相手 の 服装 に 気 が ついた 時 、急に 小声 に なって 、「おい 、帽子 を とら なくっちゃ 、いけない よ 」と 云う 。 高柳 君 は 卒然 と して 帽子 を 取って 、左右 を ちょっと 見た 。 三四 人 の 眼 が 自分 の 頭 の 上 に 注がれて いた の を 発見した 時 、やっぱり 包囲 攻撃 だ な と 思った 。 なるほど 帽子 を 被って いた もの は この 広い 演奏場 に 自分 一人 である 。 「外套 は 着て いて も いい の か 」と 中野 君 に 聞いて 見る 。 「外套 は 構わ ない んだ 。 しかし あつ 過ぎる から 脱ごう か 」と 中野 君 は ちょっと 立ち上がって 、外套 の 襟 を 三寸 ばかり 颯 と 返したら 、左 の 袖 が するり と 抜けた 、右 の 袖 を 抜く とき 、領 の あたり を つまんだ と 思ったら 、裏 を 表 て に 、外套 は はや 畳まれて 、椅子 の 背中 を 早くも 隠した 。 下 は 仕立て おろし の フロック に 、 近頃 流行る 白い スリップ が 胴衣 ( チョッキ ) の 胸 開 を 沿う て 細い 筋 を 奇麗に あらわして いる 。 高柳 君 は なるほど いい 手際 だ と 羨ましく 眺めて いた 。 中野 君 は どう 云 もの か 容易に 坐ら ない 。 片手 を 椅子 の 背 に 凭たせて 、立ち ながら 後ろ から 、左右 へ かけて 眺めている 。 多く の 人 の 視線 は 彼 の 上 に 落ちた 。 中野 君 は 平気 である 。 高柳 君 は この 平気 を また 羨ましく 感じた 。 しばらく する と 、中野 君 は 千 以上 陳列 せられたる 顔 の なか で 、ようやく ある もの を 物色 し 得た ごとく 、豊かなる 双頬 に 愛嬌 の 渦 を 浮かして 、軽く 何人 に か 会釈 した 。 高柳 君 は 振り向か ざる を 得 ない 。 友 の 挨拶 は どの 辺 に 落ちた のだろう と 、こそばゆく も 首 を 捩じ 向けて 、斜めに 三 段 ばかり 上 を 見る と 、たちまち 目 つかった 。 黒い 髪 の ただ中 に 黄 の 勝った 大きな リボン の 蝶 を 颯 と ひらめかして 、細く うねる 頸筋 を 今 真 直 に 立て直す 女 の 姿 が 目 つかった 。 紅い は 眼 の 縁 を 薄く 染めて 、潤った 眼睫 の 奥 から 、人 の 世 を 夢 の 底 に 吸い込む ような 光り を 中野君 の 方 に 注いでいる 。 高柳 君 は すわや と 思った 。 わが 穿く 袴 は 小倉 である 。 羽織 は 染め が 剥げて 、濁った 色 の 上 に 垢 が 容赦なく 日光 を 反射する 。 湯 に は 五 日 前 に 這 入った ぎり だ 。 襯衣 ( シャツ ) を 洗わ ざる 事 は 久しい 。 音楽 会 と 自分 と は とうてい 両立 する もの で ない 。 わが 友 と 自分 と は ? ――やはり 両立 し ない 。 友 の ハイカラ 姿 と この 魔力 ある 眼 の 所有者 と は 、千里 を 隔てて も 無線 の 電気 が かかる べく 作られて いる 。 この 一堂 の 裡 に 綺羅 の 香り を 嗅ぎ 、和楽 の 温かみ を 吸う て 、落ち合う から は 、二人 の 魂 は 無論 の 事 、溶けて 流れて 、かき鳴らす 箏 の 線 の 細き うち にも 、めぐり合わねば ならぬ 。 演奏会 は 数千 の 人 を 集めて 、数千 の 人 は ことごとく 双手 を 挙げ ながら この 二人 を 歓迎 している 。 同じ 数 千 の 人 は ことごとく 五 指 を 弾いて 、われ 一人 を 排斥 して いる 。 高柳 君 は こんな 所 へ 来 なければ よかった と 思った 。 友 は そんな 事 を 知り よう が ない 。 「もう 時間 だ 、始まる よ 」と 活版 に 刷った 曲目 を 見ながら 云う 。 「そう か 」と 高柳 君 は 器械 的に 眼 を 活版 の 上 に 落した 。 一 、バイオリン 、セロ 、ピヤノ 合奏 と ある 。 高柳 君 は セロ の 何物 たる を 知ら ぬ 。 二 、ソナタ ……ベートーベン 作 と ある 。 名前 だけ は 心得て いる 。 三 、アダジョ ……パァージャル 作 と ある 。 これ も 知ら ぬ 。 四 、と 読み かけた 時 拍手 の 音 が 急に 梁 を 動かして 起った 。 演奏者 は すでに 台上 に 現われて いる 。 やがて 三 部 合奏 曲 は 始まった 。 満場 は 化石 した か の ごとく 静かである 。 右手 の 窓 の 外 に 、 高い 樅 の 木 が 半分 見えて 後ろ は 遐 か の 空 の 国 に 入る 。 左手 の 碧り の 窓掛け を 洩れて 、澄み切った 秋 の 日 が 斜めに 白い 壁 を 明らかに 照らす 。 曲 は 静かなる 自然 と 、静かなる 人間 の うち に 、快 よく 進行 する 。 中野 は 絢爛 たる 空気 の 振動 を 鼓膜 に 聞いた 。 声 に も 色 が ある と 嬉しく 感じて いる 。 高柳 は 樅 の 枝 を 離るる 鳶 の 舞う 様 を 眺めて いる 。 鳶 が 音楽 に 調子 を 合せて 飛んでいる 妙だ な と 思った 。 拍手 が また 盛 に 起る 。 高柳 君 は はっと 気 が ついた 。 自分 は やはり 異種 類 の 動物 の なか に 一人 坊っち で おった のである 。 隣り を 見る と 中野 君 は 一生懸命に 敲いて いる 。 高い 高い 鳶 の 空 から 、 己 れ を この 窮屈な 谷底 に 呼び 返した もの の 一人 は 、 われ を 無理矢理 に ここ へ 連れ込んだ 友達 である 。 演奏 は 第 二 に 移る 。 千 余人 の 呼吸 は 一度に やむ 。 高柳 君 の 心 は また 豊かに なった 。 窓 の 外 を 見る と 鳶 は もう 舞って おらぬ 。 眼 を 移して 天井 を 見る 。 周囲 一 尺 も あろう と 思わ れ る 梁 の 六角形 に 削られた のが 三本 ほど 、楽堂 を 竪 に 貫ぬいている 、後ろ は どこ まで 通っている か 、頭 を 回らさない から 分らぬ 。 所々 に 模様 に 崩した 草花 が 、長い 蔓 と 共に 六角 を 絡んでいる 。 仰向いて 見て いる と 広い 御 寺 の なか へ でも 這 入った 心 持 に なる 。 そうして 黄色い 声 や 青い 声 が 、梁 を 纏う 唐草 の ように 、縺れ 合って 、天井 から 降って くる 。 高柳 君 は 無人 の 境 に 一人 坊っち で 佇んで いる 。 三 度 目 の 拍手 が 、断わり も なく また 起る 。 隣り の 友達 は 人一倍 けたたましい 敲き 方 を する 。 無人の 境 に おった 一人 坊っち が 急に 、霰 の ごとき 拍手 の なか に 包囲 された 一人 坊っち と なる 。 包囲 は なかなか 已 ま ぬ 。 演奏者 が 闥 を 排して わが 室 に 入らん と する 間際 に なお なお 烈しく なった 。 ヴァイオリン を 温かに 右 の 腋下 に 護り たる 演奏者 は 、ぐるり と 戸 側 に 体 を 回ら して 、薄 紅葉 を 点じ たる 裾 模様 を 台 上 に 動かして 来る 。 狂う ばかりに 咲き乱れ たる 白菊 の 花束 を 、飄える 袖 の 影 に 受けとって 、なよやかなる 上躯 を 聴衆 の 前 に 、少し くかがめたる 時 、高柳 は 感じた 。 ――この 女 の 楽 を 聴いた の は 、聴か さ れた ので は ない 。 聴か さ ぬ と 云 う を 、 ひそかに 忍び寄り て 、 偸 み 聴いた のである 。 演奏 は 喝采 の どよめき の 静まら ぬ うち に また 始まる 。 聴衆 は とっさ の 際 に ことごとく 死んで しまう 。 高柳 君 は また 自由 に なった 。 何だか 広い 原 に ただ 一人 立って 、遥か の 向う から 熟柿 の ような 色 の 暖かい 太陽 が 、のっと 上って くる 心持ち が する 。 小供 の うち は こんな 感じ が よく あった 。 今 は なぜ こう 窮屈に なったろう 。 右 を 見て も 左 を 見て も 人 は 我 を 擯斥 して いる ように 見える 。 たった 一人 の 友達 さえ 肝心の ところ で 無残 の 手 を ぱちぱち 敲く 。 たよる 所 が なければ 親 の 所 へ 逃げ 帰れ と 云う 話 も ある 。 その 親 が あれば 始 から こんなに は なら なかったろう 。 七つ の 時 おやじ は 、どこ か へ 行った なり 帰って 来ない 。 友達 は それ から 自分 と 遊ば なく なった 。 母 に 聞く と 、おとっさん は 今に 帰る 今に 帰る と 云った 。 母 は 帰ら ぬ 父 を 、 帰る と 云って だました のである 。 その 母 は 今 でも いる 。 住み 古 る した 家 を 引き払って 、生れた 町 から 三 里 の 山奥 に 一人 佗びしく 暮らしている 。 卒業 を すれば 立派に なって 、東京 へ で も 引き取る のが 子 の 義務 である 。 逃げて 帰れば 親子 共 餓えて 死な なければ なら ん 。 ――たちまち 拍手 の 声 が 一面に 湧き 返る 。 「今 の は 面白かった 。 今 まで の うち 一番 よく 出来た 。 非常に 感じ を よく 出す 人 だ 。 ――どう だい 君 」と 中野 君 が 聞く 。 「うん 」「君 面白く ない か 」「そう さ な 」「そう さ な じゃ 困った な 。 ――おい あす この 西洋 人 の 隣り に いる 、細かい 友禅 の 着物 を 着ている 女 が ある だろう 。 ――あんな 模様 が 近頃 流行 んだ 。 派出 だろう 」「そう かなあ 」「君 は カラー ・センス の ない 男 だ ね 。 ああ 云 う 派出 な 着物 は 、 集会 の 時 や 何 か に は ごく いい のだ ね 。 遠く から 見て 、見醒め が しない 。 うつくしくって いい 」「君 の あれ も 、同じ ような の を 着て いる ね 」「え 、そう かしら 、何 、ありゃ 、いい加減に 着て いるんだろう 」「いい加減に 着て いれば 弁解 に なる の かい 」中野 君 は ちょっと 会話 を やめた 。 左 の 方 に 鼻眼鏡 を かけて 揉上 を 容赦なく 、耳 の 上 で 剃り落した 男 が 帳面 を 出して しきりに 何か 書いている 。 「ありゃ 、音楽 の 批評 でも する 男 か な 」と 今度 は 高柳 君 が 聞いた 。 「どれ 、――あの 男 か 、あの 黒 服 を 着た 。 なあ に 、あれ は ね 。 画 工 だ よ 。 いつでも 来る 男 だ が ね 、来る たんびに 写生帖 を 持って 来て 、人 の 顔 を 写している 」「断わり なし に か 」「まあ 、そう だろう 」「泥棒 だね 。 顔 泥棒 だ 」中野 君 は 小さい 声 で くく と 笑った 。 休憩 時間 は 十分 である 。 廊下 へ 出る もの 、喫煙 に 行く もの 、用 を 足して 帰る もの 、が 高柳 君 の 眼 に 写る 。 女 は 小供 の 時 見た 、豊国 の 田舎 源氏 を 一枚 一枚 はぐって 行く 時 の 心持 である 。 男 は 芳年 の 書いた 討ち入り 当夜 の 義士 が 動いてる ようだ 。 ただ 自分 が 彼ら の 眼 に どう 写る であろう か と 思う と 、早く 帰りたく なる 。 自分 の 左右 前後 は 活動 して いる 。 うつくしく 活動 して いる 。 しかし 衣食 の ため に 活動 している ので は ない 。 娯楽 の ため に 活動 している 。 胡蝶 の 花 に 戯む るる が ごとく 、浮藻 の 漣 に 靡く が ごとく 、実用 以上 の 活動 を 示している 。 この 堂 に 入る もの は 実用 以上 に 余裕 の ある 人 で なくては ならぬ 。 自分 の 活動 は 食う か 食わぬ か の 活動 である 。 和 煦 の 作用 で は ない 粛殺 の 運行 である 。 儼 たる 天命 に 制せられて 、無条件 に 生 を 享けたる 罪業 を 償わん が ため に 働らく のである 。 頭 から 云えば 胡蝶 の ごとく 、かく 翩々たる 公衆 の いずれ を 捕え 来って 比較されて も 、少しも 恥かしい とは 思わぬ 。 云 いたき 事 、云 うて 人 が 点 頭 く 事 、云 うて 人 が 尊ぶ 事 は ない から 云 わ ぬ ので は ない 。 生活 の 競争 に すべて の 時間 を 捧げて 、云う べき 機会 を 与えて くれぬ から である 。 吾 が 云い たくて 云われぬ 事 は 、世 が 聞きたくて も 聞かれぬ 事 は 、天 が わが 手 を 縛 する から である 。 人 が わが 口 を 箝 する から である 。 巨万 の 富 を われ に 与えて 、一銭 も 使う なかれ と 命ぜられたる 時 は 富なき 昔 しの 心安き に 帰る 能わず して 、命 を 下せる 人 を 逆しま に 詛わん と す 。 われ は 呪い 死に に 死な ねば なら ぬ か 。 ――たちまち 咽 喉 が 塞がって 、ごほんごほん と 咳 き 入る 。 袂 から ハンケチ を 出して 痰 を 取る 。 買った 時 の 白い の が 、妙な 茶色 に 変って いる 。 顔 を 挙げる と 、肩 から 観世 より の ように 細い 金 鎖り を 懸けて 、朱 に 黄 を 交えた 厚板 の 帯 の 間 に 時計 を 隠した 女 が 、列 の はずれ に 立って 、中野 君 に 挨拶している 。 「よう 、いらっしゃいました 」と 可愛らしい 二重 瞼 を 細めに 云う 。 「いや 、だいぶ 盛会 です ね 。 冬 田 さん は 非常な 出来 でした な 」と 中野 君 は 半身 を 、女 の 方 へ 向け ながら 云う 。 「 ええ 、 大喜びで ……」 と 云 い 捨てて 下りて 行く 。 「あの 女 を 知ってる かい 」「知る もの か ね 」と 高柳 君 は 拳 突 を 喰わす 。 相手 は 驚 ろ いて 黙って しまった 。 途端 に 休憩 後 の 演奏 は 始まる 。 「四葉 の 苜蓿 花 」と か 云う もの である 。 曲 の 続く 間 は 高柳 君 は うつらうつら と 聴いている 。 ぱち ぱち と 手 が 鳴る と 熱病 の 人 が 夢 から 醒めた ように 我 に 帰る 。 この 過程 を 二三 度 繰り返して 、最後 の 幻覚 から 喚び 醒まされた 時 は 、タンホイゼル の マーチ で 銅鑼 を 敲き 大 喇叭 を 吹く ところ であった 。 やがて 、千 余人 の 影 は 一度に 動き出した 。 二 人 の 青年 は 揉まれ ながら に 門 を 出た 。 日 は ようやく 暮れかかる 。 図書館 の 横手 に 聳える 松 の 林 が 緑り の 色 を 微かに 残して 、しだいに 黒い 影 に 変って 行く 。 「寒く なった ね 」高柳 君 の 答 は 力 の 抜けた 咳 二 つ であった 。 「君 さっき から 、咳 を する ね 。 妙な 咳 だ ぜ 。 医者 に でも 見て 貰ったら 、どう だい 」「何 、大丈夫 だ 」と 云いながら 高柳 君 は 尖った 肩 を 二三 度 ゆすぶった 。 松林 を 横切って 、博物館 の 前 に 出る 。 大きな 銀杏 に 墨汁 を 点じた ような 滴々 の 烏 が 乱れて いる 。 暮れて 行く 空 に 輝く は 無数の 落葉 である 。 今 は 風 さえ 出た 。 「君 二三 日 前 に 白井 道也 と 云う 人 が 来た ぜ 」「道也 先生 ? 」「だろう と 思う の さ 。 余り 沢山 ある 名 じゃない から 」「聞いて 見た かい 」「聞こう と思った が 、何だか きまり が 悪るかった から やめた 」「なぜ 」「だって 、あなた は 中学校 で 生徒 から 追い出さ れた 事 は ありません か とも 聞け まい じゃない か 」「追い出されました か と 聞かなくって も いい さ 」「しかし 容易に 聞きにくい 男 だよ 。 ありゃ 、困る 人 だ 。 用事 より ほか に 云わない 人 だ 」「そんなに なった かも 知れない 。 元来 何の 用 で 君 の 所 へ なんぞ 来た のだ い 」「なあに 、江湖 雑誌 の 記者 だって 、僕 の 所 へ 談話 の 筆記 に 来た の さ 」「君 の 談話 を かい 。 ――世の中 も 妙な 事 に なる もの だ 。 やっぱり 金 が 勝つ んだ ね 」「なぜ 」「なぜって 。 ――可哀想に 、そんなに 零 落した かなあ 。 ―― 君 道也 先生 、 どんな 、 服装 を して いた 」「 そう さ 、 あんまり 立派じゃない ね 」「 立派で なくって も 、 まあ どの くらい な 服装 を して いた 」「 そう さ 。 どの くらい と も 云い 悪い が 、そう さ 、まあ 君 ぐらい な ところ だろう 」「え 、この くらい か 、この 羽織 ぐらい な ところ か 」「羽織 は もう 少し 色 が 好い よ 」「袴 は 」「袴 は 木綿 じゃない が 、その代り もっと 皺苦 茶 だ 」「要するに 僕 と 伯仲 の 間 か 」「要するに 君 と 伯仲 の 間 だ 」「そう かなあ 。 ―― 君 、 背 の 高い 、 ひ ょろ 長い人 だ ぜ 」 「 背 の 高い 、 顔 の 細長い人 だ 」 「 じゃ 道也 先生 に 違ない 。 ――世の中 は 随分 無慈悲 な もの だ なあ 。 ――君 番地 を 知ってる だろう 」「番地 は 聞か なかった 」「聞か なかった ? 」 「 うん 。 しかし 江 湖 雑誌 で 聞けば すぐ わかる さ 。 何でも ほか の 雑誌 や 新聞 に も 関係 している かも 知れない よ 。 どこ か で 白井 道也 と 云う 名 を 見た ようだ 」音楽会 の 帰り の 馬車 や 車 は 最前 から 絡繹 として 二人 を 後ろ から 追い越して 夕暮 を 吾家 へ 急ぐ 。 勇ましく 馳けて 来た 二 梃 の 人力 が また 追い越す の か と 思ったら 、大仏 を 横 に 見て 、西洋 軒 の なか に 掛声 ながら 引き込んだ 。 黄昏 の 白き 靄 の なか に 、逼り 来る 暮色 を 弾き返す ほど の 目覚しき 衣 は 由ある 女 に 相違ない 。 中野 君 は ぴたり と 留まった 。 「僕 は これ で 失敬 する 。 少し 待ち合せて いる 人 が ある から 」「西洋 軒 で 会食 する と 云う 約束 か 」「うん まあ 、そう さ 。 じゃ 失敬 」と 中野 君 は 向 へ 歩き出す 。 高柳 君 は 往来 の 真中 へ たった 一人 残さ れた 。 淋しい 世の中 を 池 の 端 へ 下る 。 その 時 一人 坊っち の 周作 は こう 思った 。 「 恋 を する 時間 が あれば 、 この 自分 の 苦痛 を かいて 、 一 篇 の 創作 を 天下 に 伝える 事 が 出来る だろう に 」 見上げたら 西洋 軒 の 二 階 に 奇麗な 花 瓦 斯 ( はな ガス ) が ついて いた 。

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