普天間 基地 移設 問題 の 裏側
普天間 基地 移設 問題 の 裏側
ニュースキャスター :迷走 を 続ける 普天間 基地 移設 問題 で 、先月 移設 予定 地 の 沖縄 県 名護 市 で 市長 選挙 が 行われ 、注目 を 集めました 。 この 選挙 戦 の 裏側 で 大きな 葛藤 を 抱えて いた ある 男性 を リポート しました 。 ナレーター :名護 市長 選挙 の 告知 日 と なった 17 日 。 選挙 戦 を 前 に 第一声 を 挙げた 稲嶺 進 候補 。 その 稲嶺 候補 と 共に 声 を 上げる の は 岸本 洋平 さん 、37 歳 。 岸本 さん は 名護 市 の 市議会 議員 。 基地 の 移設 に 反対 する 稲嶺 候補 陣営 の 裏方 として 支持 を 訴えて いました 。 しかし 、岸本 さん は 大きな 葛藤 を 抱えて いました 。 実は 岸本 さん の 父 は 移設 を 容認 した 前 市長 だった のです 。
ナレーター :父 と 違う 道 を 選んだ 決意 の 裏 に いったい 何 が 。 普天間 基地 の 移転 候補地 に 名護市 辺野古 沖 が 浮上した のが 14 年 前 。 移設 問題 に 町 が 揺れる 中 、名護 市長 と なった のが 岸本 さん の 父 建男 さん でした 。 父 は 条件付 で 移設 の 受け入れ を 表明し 国 から の 巨額の 交付金 や 企業 の 誘致 を 実現 させます 。 岸本 さん :「非常に 眠れない 日々 を 過ごした んじゃ ない です か ね 。 いかに 市民 が 、こう ね 、今後 も 豊かに なって いく か と いう の 常に 考えて いた ので 。」
ナレーター :しかし 、2006 年 癌 に 倒れた 父 は 基地 問題 の 決着 を 見る こと なく 帰らぬ 人 と なります 。 この 時 、息子 の 洋平 さん に 残した 言葉 が 「ノーサイド 」。 互いに 争って も 試合 が 終われば 健闘 を 称える ラグビー の 精神 でした 。 正に 問題 で 地域 が 割れる 沖縄 の 政治家 ならでは の 遺言 を 残した のです 。
ナレーター :しかし 、その後 の 現実 は 国 から 交付金 を 受けて も 名護市 の 景気 は 低迷 し 失業率 は 高く なる 一方 。 基地 に 頼る ばかりで は 名護 は 死んで しまう 。 その 思い から 岸本 さん は 父 と は 逆の 道 を 進む こと を 決意 した のです 。
岸本 さん :「名護 市民 と して です ね 、県 や 国 に しっかり と 物 を 言って いこう と 。」
ナレーター : しかし 、 容認 派 だった 前 市長 の 息子 と 言う 立場 で 反対 派 の 稲 嶺 候補 を 支持 する に は 大きな 葛藤 が 。
岸本 さん :「地元 の 方々 や 、また 、今 まで お世話に なった 方々 の 顔 が 浮かんで きたり して です ね 。 決める と いう の は 大変 大きな 、本当に もう 、大きな 決意 でした けども 。」
ナレーター :岸本 さん は 街 を 走り回り 稲嶺 候補 へ の 指示 を 訴えます 。 移設 容認 派 が 多い と される 建設 業界 へ の 訪問 、名 の 通った 父 の 息子 という 知名度 は ある ものの 。
岸本 さん :「それ が 本当に 票 に つながる の か そこ です ね 。」
ナレーター :選挙 活動 の 合間 を 縫って ようやく 昼食 。 しかし 、その 時間 も 惜しむ ように 応援 演説 の 原稿 を 書き 始めます 。 時に は 、稲嶺夫人 の 街頭 演説 に も 同行 。