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有島武郎 - 或る女(アクセス), 43.2 或る女

43.2 或る 女

今度 は 山内 の 家 の ありさま が さながら まざまざ と 目 に 見る ように 想像 された 。 岡 が 夜ふけ に そこ を 訪れた 時 に は 倉地 が 確かに いた に 違いない 。 そして いつも の とおり 一種 の 粘り強 さ を もって 葉子 の 言伝 て を 取り次ぐ 岡 に 対して 、 激しい 言葉 で その 理不尽な 狂気 じみ た 葉子 の 出来心 を ののしった に 違いない 。 倉地 と 岡 と の 間 に は 暗 々 裡 に 愛子 に 対する 心 の 争 闘 が 行なわれたろう 。 岡 の 差し出す 紙幣 の 束 を 怒り に 任せて 畳 の 上 に たたきつける 倉地 の 威 丈 高 な 様子 、 少女 に は あり 得ない ほど の 冷静 さ で 他人事 の よう に 二人 の 間 の いきさつ を 伏し目 ながら に 見守る 愛子 の 一種 の 毒々しい 妖艶 さ 。 そういう 姿 が さながら 目の前 に 浮かんで 見えた 。 ふだん の 葉子 だったら その 想像 は 葉子 を その 場 に いる ように 興奮 させて いた であろう 。 けれども 死 の 恐怖 に 激しく 襲われた 葉子 は なんとも いえない 嫌悪 の 情 を もって のほかに は その 場面 を 想像する 事 が できなかった 。 なんという あさましい 人 の 心 だろう 。 結局 は 何もかも 滅びて 行く のに 、 永遠な 灰色 の 沈黙 の 中 に くずれ 込んで しまう のに 、 目前 の 貪 婪 に 心 火 の 限り を 燃やして 、 餓鬼 同様に 命 を かみ合う と は なんという あさましい 心 だろう 。 しかも その 醜い 争い の 種子 を まいた のは 葉子 自身 なのだ 。 そう 思う と 葉子 は 自分 の 心 と 肉体 と が さながら 蛆 虫 の ように きたなく 見えた 。 ……何の ために 今まで あって ない ような 妄執 に 苦しみ 抜いて それを 生命 そのもの の ように 大事に 考え抜いて いた 事か 。 それは まるで 貞世 が 始終 見て いる らしい 悪夢 の 一つ より も さらに はかない もの では ないか 。 ……こう なると 倉地 さえ が 縁 も ゆかり も ない もの の ように 遠く 考えられ 出した 。 葉子 は すべて の もの の むなしさ に あきれた ような 目 を あげて 今さら らしく 部屋 の 中 を ながめ 回した 。 なんの 飾り も ない 、修道院 の 内部 の ような 裸 な 室 内 が かえって すがすがしく 見えた 。 岡 の 残した 貞世 の 枕 もと の 花束 だけ が 、そして おそらくは (自分 で は 見え ない けれども )これほど の 忙しさ の 間 に も 自分 を 粉飾 する の を 忘れ ず に いる 葉子 自身 が いかにも 浮薄 な たよりない もの だった 。 葉子 は こうした 心 に なる と 、熱 に 浮かされ ながら 一歩一歩 なんの 心 の わだかまり も なく 死に 近づいて 行く 貞世 の 顔 が 神々しい もの に さえ 見えた 。 葉子 は 祈る ような わびる ような 心 で しみじみと 貞世 を 見入った 。 ・・

やがて 看護婦 が 貞世 の 部屋 に は いって 来た 。 形式 一ぺん の お辞儀 を 睡 そうに して 、 寝 台 の そば に 近寄る と 、 無頓着な ふうに 葉子 が 入れて おいた 検温 器 を 出して 灯 に すかして 見て から 、 胸 の 氷嚢 を 取りかえ に かかった 。 葉子 は 自分 一人 の 手 で そんな 事 を して やりたい ような 愛着 と 神聖 さ と を 貞 世に 感じ ながら 看護 婦 を 手伝った 。 ・・

「貞 ちゃん ……さ 、氷嚢 を 取りかえます から ね ……」・・

と やさしく いう と 、囈言 を いい 続けて いながら やはり 貞世 は それ まで 眠って いた らしく 、痛々しい まで 大きく なった 目 を 開いて 、まじまじと 意外な 人 でも 見る ように 葉子 を 見る のだった 。 ・・

「 おね え 様 な の …… いつ 帰って 来た の 。 おか あ 様 が さっき いら しって よ …… いや お ねえ 様 、 病院 いや 帰る 帰る …… おか あ 様 おか あ 様 ( そう いって きょろきょろ と あたり を 見回し ながら ) 帰ら して ちょうだい よう 。 お家 に 早く 、 おか あ 様 の いる お家 に 早く ……」・・

葉子 は 思わず 毛孔 が 一本一本 逆立つ ほど の 寒気 を 感じた 。 かつて 母 と いう 言葉 も いわ なかった 貞 世 の 口 から 思い も かけ ず こんな 事 を 聞く と 、 その 部屋 の どこ か に ぼんやり 立って いる 母 が 感ぜられる よう に 思えた 。 その 母 の 所 に 貞世 は 行きたがって あせっている 。 なんという 深い あさましい 骨肉 の 執着 だろう 。 ・・

看護婦 が 行って しまう と また 病室 の 中 は しんと なって しまった 。 なんとも いえ ず 可憐な 澄んだ 音 を 立てて 水たまり に 落ちる 雨だれ の 音 は なお 絶え間 なく 聞こえ 続けて いた 。 葉子 は 泣く に も 泣か れない ような 心 に なって 、 苦しい 呼吸 を し ながら も うつらうつら と 生死 の 間 を 知ら ぬ げ に 眠る 貞 世 の 顔 を のぞき込んで いた 。 ・・

と 、 雨だれ の 音 に まじって 遠く の ほう に 車 の 轍 の 音 を 聞いた よう に 思った 。 もう 目 を さまして 用事 を する人 も ある か と 、 なんだか 違った 世界 の 出来事 の よう に それ を 聞いて いる と 、 その 音 は だんだん 病室 の ほう に 近寄って 来た 。 …… 愛子 で は ない か …… 葉子 は 愕然と して 夢 から さめた人 の よう に きっと なって さらに 耳 を そばだてた 。 ・・

もう そこ に は 死生 を 瞑想 して 自分 の 妄執 の はかなさ を しみじみと 思いやった 葉子 は いなかった 。 我執 の ために 緊張 しきった その 目 は 怪しく 輝いた 。 そして 大急ぎで 髪 の ほつれ を かき上げて 、鏡 に 顔 を 映し ながら 、あちこちと 指先 で 容子 を 整えた 。 衣紋 も なおした 。 そして また じっと 玄関 の ほう に 聞き耳を立てた 。 ・・

はたして 玄関 の 戸 の あく 音 が 聞こえた 。 しばらく 廊下 が ごたごた する 様子 だった が 、やがて 二三 人 の 足音 が 聞こえて 、貞世 の 病室 の 戸 が しめやかに 開か れた 。 葉子 は その しめやかさ で それ は 岡 が 開いた に 違いない 事 を 知った 。 やがて 開か れた 戸口 から 岡 に ちょっと 挨拶 し ながら 愛子 の 顔 が 静かに 現われた 。 葉子 の 目 は 知らず知らず その どこまでも 従順 らしく 伏し目 に なった 愛子 の 面 に 激しく 注がれて 、そこ に 書か れた すべて を 一時に 読み取ろう と した 。 小 羊 の ように まつ毛 の 長い やさしい 愛子 の 目 は しかし 不思議に も 葉子 の 鋭い 眼光 に さえ 何物 を も 見せよう と は しなかった 。 葉子 は すぐ いらいら して 、何事 も あばか ないで は おく もの か と 心 の 中 で 自分 自身 に 誓言 を 立て ながら 、・・

「倉地 さん は 」・・

と 突然 真 正面 から 愛子 に こう 尋ねた 。 愛子 は 多恨 な 目 を はじめて まともに 葉子 の ほう に 向けて 、貞世 の ほう に それ を そらし ながら 、また 葉子 を ぬすみ見る ように した 。 そして 倉地 さん が どうした と いう の か 意味 が 読み取れ ない と いう ふう を 見せ ながら 返事 を しなかった 。 生意気 を して みる が いい ……葉子 は いらだって いた 。 ・・

「 おじさん も 一緒に いら しった かい と いう ん だ よ 」・・

「 い ゝ え 」・・

愛子 は 無愛想な ほど 無表情に 一言 そう 答えた 。 二 人 の 間 に は むずかしい 沈黙 が 続いた 。 葉子 は すわれ と さえ いって やら なかった 。 一 日一日 と 美しく なって 行く ような 愛子 は 小 肥 り な から だ を つつましく 整えて 静かに 立って いた 。 ・・

そこ に 岡 が 小道具 を 両手 に 下げて 玄関 の ほう から 帰って 来た 。 外套 を びっしょり 雨 に ぬらして いる の から 見て も 、この 真 夜中 に 岡 が どれほど 働いて くれた か が わかって いた 。 葉子 は しかし それ に は 一言 の 挨拶 も せず に 、 岡 が 道具 を 部屋 の すみ に おく や 否 や 、・・

「倉地 さん は 何 か いって い まして ? 」・・

と 剣 を 言葉 に 持たせながら 尋ねた 。 ・・

「倉地 さんは おいでが ありませんでした 。 で 婆やに 言伝てを して おいて 、お入り用の 荷物 だけ 造って 持って 来ました 。 これ は お返し して おきます 」・・

そう いって 衣嚢 の 中 から 例の 紙幣 の 束 を 取り出して 葉子 に 渡そう と した 。 ・・

愛子 だけ なら まだしも 、岡 まで が とうとう 自分 を 裏切って しまった 。 二人 が 二人 ながら 見えすいた 虚 言 を よくも ああ しらじらしく いえた もの だ 。 お おそれた 弱虫 ども め 。 葉子 は 世の中 が 手ぐすね引いて 自分 一人 を 敵 に 回して いる よう に 思った 。 ・・

「へえ 、そうですか 。 どうも 御苦労さま 。 …… 愛さ ん お前 は そこ に そう ぼんやり 立ってる ため に ここ に 呼ばれた と 思って いる の ? 岡さん の その ぬれた 外套 でも 取って お上げなさい な 。 そして 宿直室に 行って 看護婦に そういって お茶でも 持って おい で 。 あなた の 大事な 岡 さん が こんなに おそく まで 働いて くださった のに …… さあ 岡 さん どうぞ この 椅子 に ( と いって 自分 は 立ち上がった )…… わたし が 行って 来る わ 、 愛 さん も 働いて さぞ 疲れたろう から …… よ ご ざん す 、 よ ご ざん すったら 愛さ ん ……」・・

自分の あとを 追おうと する 愛子を 刺し貫く ほど 睨めつけて おいて 葉子は 部屋を 出た 。 そうして 火を かけられたように かっと 逆上し ながら 、ほろほろと くやし涙を 流して 暗い 廊下を 夢中で 宿直室の ほうへ 急いで 行った 。

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