東山 魁夷 (32)
こんにちは 。人 から 分かる 3 分 美術史 。
今日 は 東山 魁夷 に ついて 勉強 して いき ましょう 。
東山 魁夷 。1908 年 生まれ 。戦後 を 代表 する 日本 画家 として 知られます 。
魁夷 は 明治 41 年 に 生まれました 。父 は 船具 を 扱う 商人 であり 、
魁夷 は 海 に 面した 神戸 で 育ち ました 。18 歳 で 一人 上京 し 、
東京 美術 学校 日本画 科 に 入学 。結城 素明 に 師事 し ます 。
21 歳 の 頃 に は 「山国 の 秋 」が 帝展 に 入選 。
日本 画 ながら 輪郭 線 を 最小限 に した 、当時 の 流行 を 反映 した もの と なって い ます 。
東京 美術 学校 の 卒業 後 、魁夷 は ドイツ に 留学 。
2 年間 滞在 し 、ドイツ の 風景 や フラ・アンジェリコ 作品 に 大きな 影響 を 受けました 。
魁夷 の 帰国 後 、大和絵 系 日本画家 の 川崎 小虎 の 娘 である すみ と 結婚 。
しかし 父親 が 急死 し 家庭 環境 は 暗い 状況 が 続きます 。
また 画壇 が 帝展 から 文 展 へ の 再編 の 時期 であり 、魁夷 の 作品 は 落選 を 続け ました 。
この頃 の 魁夷 の 代表作 は 「山 」。魁夷 32 歳 の 作品 であり 、
当時 の 画壇 の 流行 であった 力強い 輪郭線 が 特徴 です 。
魁夷 に とって 不幸な 出来事 が 続く なか 、太平洋 戦争 が 開戦 。
魁夷 も 歩兵 と して 召集 を 受け ます が 、訓練 中 に 終戦 を 迎えた こと で 生還 し ます 。
しかし 出征 中 に 母 と 弟 が 病死 した こと で 、魁夷 が 実家 の 家族 を 全て 失い ました 。
戦後 、 兵役 を 解除 されて 画家 と して 再 出発 した 42 歳 の 魁夷 が 発表 した 作品 が 「 残照 」 です 。
魁夷 が 作風 を 確立 した 最初の 作品 として 知られ 、
輪郭線 の 無い 色 面 だけ で 山容 を 描いている のが 特徴 です 。
続いて 、1950 年 に 発表 した 作品 が 「道 」。
単純な 色 面 だけ で 構成 さ れて おり 、一 本 の 道 という シンボリック な 主題 、
幻想的な 色彩 が 特徴 です 。戦後 の 日本 画 を 代表 する 作品 の 一 つ として 知られ 、
本作 で 魁夷 の 人気 は 不動 の もの と なり ました 。
その後 の 魁夷 は 「冬 華 」「緑 響く 」など 幻想的な 日本画 の 名作 を 多く 生み出して いきます 。
そして 1999 年 に 90 歳 で 亡くなる まで
日本 を 代表 する 画家 の 一人 として 存在感 を 発揮 し 続けた のでした 。
以上