096. 家長の心配 - Kafka
家長 の 心配 =DIESORGEDESHAUSVATERS-フランツ ・カフカ =FranzKafka
原田 義人 訳
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ある 人びと は 、「オドラデク 」と いう 言葉 は スラヴ 語 から 出て いる 、と いって 、それ を 根拠 に して この 言葉 の 成立 を 証明 しよう と して いる 。 ほか の 人びと は また 、この 言葉 は ドイツ 語 から 出て いる もの であり 、ただ スラヴ 語 の 影響 を 受けて いる だけ だ 、と いっている 。 この 二 つ の 解釈 が 不確かな こと は 、どちら も あたって はいない と いう 結論 を 下して も きっと 正しい のだ 、と 思わせる 。 ことに 、その どちら の 解釈 に よって も 言葉 の 意味 が 見出せられない のだ から 、なおさら の こと だ 。 ・・
もちろん 、もし オドラデク という 名前 の もの が ほんとうに ある ので なければ 、だれ だって そんな 語源 の 研究 に たずさわり は しない だろう 。 まず 見た ところ 、それ は 平たい 星形 の 糸巻 の ように 見える し 、また 実際に 糸で 巻かれている ように も 見える 。 糸 と いっても 、ひどく ばらばらな 品質 と 色 とをもった 切れ切れの 古い より 糸 を 結びつけ 、しかし やはり もつれ 合わして ある だけの もの で は ある のだろう 。 だが 、それ は 単に 糸 巻 である だけ で はなく 、星形 の まんなか から 小さな 一本 の 棒 が 突き出して いて 、それ から この 小さな 棒 と 直角に もう一本 の 棒 が ついている 。 この あと の ほう の 棒 を 一方 の 足 、星形 の とがり の 一つ を もう 一方 の 足 に して 、全体 は まるで 両足 で 立つ ように 直立 する こと が できる 。 ・・
この 組立て 品 は 以前 は 何 か 用途 に かなった 形 を していた のだ が 、今 では それ が こわれて こんな 形 に なって しまった だけ なのだ 、と 人 は 思い たく なる こと だろう 。 だが 、どうも そういう こと で は ない ような のだ 。 少なくとも それ を 証拠 立てる ような 徴候 と いう もの は ない 。 つまり 、何か そういった こと を 暗示する ような 、もの が ついていた 跡 とか 、折れた 個所 とか は どこにも ない 。 全体 は 意味 の ない ように 見える のだが 、それ は それなりに まとまっている 。 それ に 、この 品 に ついて これ 以上 くわしい こと を いう こと は できない 。 なぜ か と いう と 、オドラデク は ひどく 動き やすくて 、つかまえる こと が できない もの だ から だ 。 ・・
それ は 、屋根裏部屋 や 建物 の 階段部 や 廊下 や 玄関 など に 転々と して とどまる 。 ときどき 、何 カ月 も の あいだ 姿 が 見られない 。 きっと 別な 家々 へ 移って いった ため な のだ 。 けれども 、やがて かならず 私 たち の 家 へ もどって くる 。 ときどき 、私たち が ドア から 出る とき 、これ が 下 の 階段 の 手すり に もたれかかっている と 、私たち は これ に 言葉 を かけたく なる 。 むろん 、むずかしい 問い など する ので は なくて 、私たち は それ を ――なにせ それ が あんまり 小さい ので そう する 気 に なる のだ が ――子供 の ように 扱う のだ 。 ・・
「君 の 名前 は なんて いう の ? 」と 、私たち は たずねる 。 ・・
「オドラデク だ よ 」と 、それ は いう 。 ・・
「どこ に 泊って いる ん だい ? 」・・
「 泊まる ところ なんか きまって いない や 」 と 、 それ は いって 、 笑う 。 ところが 、その 笑い は 、肺 なし で 出せる ような 笑い なのだ 。 たとえば 、落葉 の かさかさ いう 音 の ように 響く のだ 。 これ で 対話 はたいてい 終って しまう 。 それ に 、こうした 返事 でさえ 、いつでも もらえる ときまっては いない 。 しばしば それ は 長い こと 黙りこくって いる 。 木 の ような だんまり だが 、どうも それ 自体 が 木 で できて いる らしい 。 ・・
それ が これ から どう なる こと だろう 、と 私 は 自分 に たずねて みる のだが 、なんの 回答 も 出て は こない 。 いったい 、死ぬ こと が ある のだろう か 。 死ぬ もの は みな 、あらかじめ 一種 の 目的 、一種 の 活動 という もの を もって いた からこそ 、それ で 身 を すりへらして 死んで いく のだ 。 この こと は オドラデク に は あてはまら ない 。 それ なら いつか 、たとえば 私 の 子供たち や 子孫たち の 前 に 、より 糸 を うしろ に ひきずり ながら 階段 から ころげ 落ちて いく ような こと に なる のだろうか 。 それ は だれ に だって 害 は 及ぼさ ない ようだ 。 だが 、私 が 死んで も それ が 生き残る だろう と 考えた だけ で 、私 の 胸 は ほとんど 痛む くらい だ 。