三 姉妹 探偵 団 01chapter07(1)
7 怪しい 奴
「 課長 ! 野上 幸代 に 呼びかけ られて 、植松 は ギョッ と 顔 を 上げ 、その 拍子 に 、湯呑み 茶碗 を ひっくり返した 。
「な 、何 だ ね ! びっくり する じゃ ない か 、急に 大きな 声 で ──」
「私 が 囁き かけたら 、もっと びっくり なさる でしょ 」
と 、野上 幸代 は 平気 な もの で 、「この 伝票 、書き 直して 下さい 」
「何 だ ? こんな もの 、鈴木 君 に 言って くれよ 」
「今日 は お 休み です 」
と 、植松 の 目の前 に 、新しい 伝票 を 一 枚 置いて 、「そう 手間 じゃ ありませ ん でしょ 。 名前 と 金額 を 入れる だけ です よ 」
「 分った よ 」
植松 は 渋々 自分 の 万年筆 を 出す と 、キャップ を 外した 。
「まあ 、高 そうな 万年筆 」
と 、野上 幸代 が 声 を 上げる と 、植松 は 多少 気分 が 良く なった ようで 、
「そう だろう 。 純金 の 特製 品 で 七十万 も した んだ ぞ 」
「 七十万 ! 私 の 月給 の 何 ヵ 月 分 かしら 」
宝 の 持ち 腐れ です ね 、と 言い たい の を 、何とか こらえた 。
植松 は 伝票 に 金額 と 名前 を 入れ 、自分 で 印 を 押した 。 自分 で 書いた 伝票 を 自分 で 承認 する のだ から 妙な もの だ 。
「どうも お 手数 でした 」
野上 幸代 が 、さっさと 行って しまう と 、植松 は 、万年筆 に 見とれ ながら 、メモ 用紙 へ 、
「字 は 人 なり 」
など と 汚ない 字 で 書いて 悦 に 入って いた 。 割合 に 単純な のであろう 。
「あ 、いかん 、印 を 間違えた 」
植松 は 、今 伝票 に 押した ハンコ を 見て 、呟いた 。 「全く 、面倒 だ な 。 ──おい 、野上 君 ! 植松 は 席 を 立って 、通路 を 抜け 、野上 幸代 の 席 へ 行った 。 だが 席 は 空 である 。
「野上 君 は ? 「さっき 急に 出て 来る と 言って ……。 たぶん お茶 でも 飲み に 行った んじゃ ない です か 」
と 隣 の 席 の 女性 が 言った 。
植松 は ちょっと 戸惑い 顔 で 立って いた が 、急に 顔 を こわばらせる と 、急いで エレベーター ホール へ と 歩いて 行った 。
「──や あ 、待たせて ごめん ね 」
と 、野上 幸代 が 元気 良く 店 へ 入って 来る 。
「どうも すみません 、面倒な こと お願い して 」
と 夕 里子 が 言った 。
「いい の よ 。 ねえ 、ちょっと 、コーヒー ! 旨 くい れて よ 。 この 前 の 、苦くて 飲め なかった から ね 」
「は いはい 」
店 の マスター らしい 男 も 笑い ながら 返事 を する 。 こういう 幸代 の 言葉 に は 、慣れて いる の だろう 。 それ に 、言い方 は 乱暴 で も 、カラッと して 、トゲ が ない のだ 。
「はい 、伝票 一枚 、ご 注文 の 通り 、書かせて 来た よ 」
と 幸代 が 、植松 に 書かせた 伝票 を 、テーブル に 置いた 。
「 すみません 。 怪しま れ ませ ん でした ? 「ありゃ 単細胞 だ から ね 、大丈夫 よ 」
「この ペン は ……」
「自分 の 万年筆 。 たぶん 、いつも 使って る やつ だ から 、例の 偽造 伝票 も 、もし 植松 が 作った の なら 、その 万年筆 を 使ってる と 思う よ 。 キザ な 外国 製品 だ から 、きっと インク も 特別 だ よ 」
「ありがとう ございました 。 早速 調べて もらい ます わ 」
と 、夕里子 は 頭 を 下げる 。
「礼 なんか いい の よ 。 私 も 佐々本 さん は 好きだった し さ 、あの 人 が 身 に 覚え の ない こと で 追われてる なんて 思う と たまんない もんね 。 私 で 手伝える こと が あったら 、どんどん 言って ちょうだい 」
夕 里子 は 、野上 幸代 の 言葉 が ありがたかった 。 こんな 心強い 味方 は い ない 。
「それにしても 、佐々本 さん は 何 してん の か ねえ 」
と 、幸代 は 、ちょっと 表情 を 曇らせて 、
「それ が 心配 な の よ 」
「ええ 、私 も そう な んです 」
「あんた たち が 心配 してる の は 、百 も 承知 だろう から ねえ 。 それでいて 連絡 して 来ない 、って いう の は ……」
「父 は 死んでる の かも しれません 」
「 まさか ! 「もちろん 、そんな こと 信じ たく ありませ ん けど 、覚悟 は して いない と ……。 姉 も 妹 も 、父 に 頼り切って い ました から 、私 が しっかり し ない と だめな んです 」
「あんた は 偉い よ 」
幸代 は 目 を 潤ま せて いた 。 「きっと いい 奥さん に なる だろう ね 」
夕 里子 は 少々 照れて 赤く なった 。
「じゃ 、私 、これ で ── 」
「ああ 、気 を 付けて ね 。 いい よ 、コーヒー 代 は 。 これ ぐらい もたせ と くれ 」
「じゃ 、ごちそう に なり ます 」
夕 里子 は 素直に 受ける こと に した 。 何しろ 、余分な 金 を 使う と 、珠美 が うるさい のだ 。
「そう だ わ 」
店 を 出て 、夕里子 は 腕時計 を 見た 。 ──珠美 の 病院 に も 回ら なくて は ならない 。 でも 、先 に 国友 と 連絡 が つけば 、そっち へ 回る ぐらい の 時間 は ある だろう 。
「電話 、電話 、と ……」
表 は 車 の 通行 も 多くて うるさい 。 地下 へ 入ろう 。
地下鉄 連絡 口 、と いう 階段 を 降りて 行く 。 ──連絡 口 と いって も 、地下鉄 の 駅 と の もの は 、ちょっと 先 の 方 に あって 、ビル を つなぐ 連絡 通路 が 左右 へ 走っている のだ 。
「あそこ に あった ……」
地下 道 に も 、ちゃんと 休憩所 らしき 場所 が ある 。 小ぎれいな ベンチ が 並んで 、その 奥 に 電話 ボックス が 三 つ 、洒落た デザイン で 設置して あった 。
こういう 地下 道 が 、いつしか 浮浪者 の ねぐら に なってしまう のは どこも 同じ で 、ここ も 、ベンチ は 四 、五 人 の 浮浪者 が 丸く なったり 、寝そべったり して 、占領されていた 。
昼 休み と も なれば 、地下道 の 並び に は 安い 食堂 、ラーメン屋 など が ある ので 、サラリーマン や OLで賑わうのだろうが、まだ午前中のこの時間では、ほとんど人通りもない。
浮 浪 者 も 安眠 できる わけである 。
汚れ 切った 服 に 、髪 を 埃 だらけ に して 、酒 の カップ を 手 に した 浮浪者 が 、夕里子 の 方 を 、赤く 充血した 目 で チラッと 眺めた 。 生気 の ない 目 で 、それでいて 、粘っこく まとわりつく ような 視線 である 。
夕 里子 は ちょっと 気味 が 悪く なって 、足早に 電話 ボックス へ と 飛び込んだ 。
「ええ と ……国友 さん は ……」
持ち歩いて いる 国友 の メモ を 出し 、電話 を かける 。
「──国友 さん 、いらっしゃい ませ ん か ? 「ええ と ……いる と 思う んだ けど 、急用 ですか ? 同僚 らしい 男性 の 声 。
「ええ 、急ぐ んです 」
「じゃ 、捜して 来よう 。 このまま 待って ます か ? 表 から ? 「はい 、そう です 」
「十 円 玉 は 大丈夫 ? 「 大丈夫 です 。 待た せて いただき ます から 」
「じゃ 、捜して みる から ね 」
と 、受話器 を 机 の 上 に でも 置いた の か 、ゴトン 、と 音 が した 。
夕 里子 は のんびり と 傍 に もたれて 、待った 。 ともかく 国友 に この 伝票 を 渡し さえ すれば いい わけだ 。 それ で 、もし 植松 の 筆 蹟 が 、あの 偽 の 伝票 の 字 と 同じ と 分れば 、警察 だって 、放っておく まい 。
夕 里子 が 、植松 の こと を 怪しい と 思った の は 、別に 植松 が 金 を 出そう と した から で は ない 。 部下 から 殺人 容疑者 が 出れば 、上司 として は あれこれ 迷惑 を 蒙る のは 当然の こと で 、あの 態度 そのもの は 不自然 とは いえない 。
しかし 、父 が 出張 と いって 出て行った からに は 、恐らく 出張 に 違いなかった のだ 、と 夕里子 は 信じていた 。 もし 父 に 愛人 が いた と しても 、何 日間 も 家 を 留守 に して その 女 の 所 へ 行ったり 、女 と 旅行 したり など という こと は 考えられない 。
いや 、それ ほど の 仲 なら 、夕里子 に 話している はずな のである 。 綾子 は デリケート だ し 、珠美 は まだ 子供 だ から 黙っている と しても 、夕里子 に は 、父 は 信頼 を 置いて 、何でも 打ちあけていた 。
女性 と の 仲 が 、ある ところ まで 進んだ と したら 、父 が 夕里子 へ 言わ ない はず が ない のだ 。
父 が 出張 だ と 言った の は 、事実 に 違いない 、と 夕里子 は 結論づけた 。 と なる と 、必然的に それ を 言いつけた の は 植松 という こと に なる 。 そして 、植松 は 父 が 休暇 を 取って いた 、と 言った 。 ──父 の 同僚 の 西川 が 言った ように 、父 は 急に 休暇 を 取る にしても 、仕事 に 差し支える ような こと は 決して しない 人間 である 。
つまり 、植松 が 噓 を ついた のに 違いない 、と 夕里子 は 思った のだ 。 あの 休暇 届 が 偽物 だ と 分った ので 、 夕 里子 の 疑念 は 一層 強く なった 。 おそらく 、夕里子 が 訪ねて 行って 、あんな こと を 訊いた ので 、急に 不安に なって 、休暇 届 を 作った ので は ない か 。 しかし 、不器用な ので 、専門家 が 見れば 、すぐに 見破られる 程度の もの しか 、作れなかった のだ 。
夕 里子 は 、ため息 を ついた 。 ──国友 さん 、どこ へ 行ってる んだろう 。
もう 、たっぷり 五 分 は 待って いる 。 十 円 玉 は 沢山 持ち歩いて いる から 大丈夫だ けれども ……。
人 の 影 が さして 、夕 里子 は 振り向いた 。 同時に ボックス の 扉 が 開いて 、ベンチ に 寝ていた 浮浪者たち が 、中 へ 入り込んで 来た 。
「何 する の ! あっ ち に 行って ! 三 人 の 浮浪者 が 笑い声 を 立て ながら 、狭い ボックス の 中 へ 体 を 押し込んで 来る 。
「 やめて ! 一 人 が 電話 を 切った 。 十円玉 が 戻って 、チリン 、と 音 を 立てる 。
「お 金 なら あげる 。 大事な 電話 を して る の よ 」
夕 里子 は 、異様な 臭い に 顔 を 歪めた 。 アルコール の 臭気 が ボックス の 中 に 立ちこめる 。
「金 を 出し な 」
と 、一人 が 舌 の もつれた ような 声 を 出した 。 夕 里子 は バッグ を 震える 手 で 開けよう と した 。
「ちょっと ……外 へ 出て よ 。 動け ない じゃ ない の 」
男 の 一人 の 手 が バッグ を ひったくった 。
「 やめて ! お 金 だけ じゃ ない の よ ! 叫び声 を 出そう と した とき 、夕里子 は 下腹 を いやというほど 殴られた 。 苦痛 に 目 を 閉じ 、上体 を 前かがみ に する と 、一人 の 手 が 夕里子 の 口 へ 押し当て られた 。 夕里子 は 胸元 へ のびて 来た 手 を 、必死に 体 を よじって 逃れよう と した 。
誰 が 誰 な の か 分らない 。 いくつ も の 手 が 夕里子 の 胸 や スカート の 中 へ 入り込んで 来る 。 暴れよう と して も 、男 たち の 重み で 角 へ 押しつけられて 、身動き が 取れない のだ 。
このまま じゃ だめ だ ! 夕 里子 は 、口 を ふさいで いる 手 が 少し ゆるんだ 、と 見る と 、思い 切り 口 を 開け 、その 手 に かみついた 。
「 ワーッ ! と 、男 が 悲鳴 を 上げる 。
手 が 離れる と 、夕里子 は 、
「 助けて ! 誰 か 助けて ! と 大声 を 上げた 。
「こら っ ! 貴様 ら ──」
巡回 中 だった らしい ガードマン が 走って 来る の が 見えた 。
三 人 の 浮浪者 たち は 、アッという間 に 、すばしこく 逃げて 行く 。 夕里子 は 、急に 体 の 力 が 抜けて 、そのまま ボックス の 床 へ 崩れる ように 倒れて しまった 。
巧 く 行く とき は 、何もかも 巧 く 行く もの なのだ 。
今日 、綾子 は つくづく そう 感じて いた 。
昨日 の こと を 思えば 、正に 「今 泣いた カラス が もう 笑った 」と いう 感じ である 。
もちろん 、夕里子 の いる 片瀬家 で 奥さん が 殺さ れる という 怖い 事件 は あった が 、綾子 にとって は ──申し訳ない とは 思い つつ も ──今日 、会社 で 叱ら れず に 済む か どうか の 方が 、大問題 なのだった 。
そして 今日 は 、出だし から 好調 だった 。
「佐々木 君 」
と 、昨日 、小包 の こと で 文句 を 言った 課長 が 、席 に ついた とたん に やって来た ので 、綾子 は 一瞬 ゾッと した のだが 、
「昨日 は 悪かった ねえ 」
と 言い出した ので 、呆気 に 取られた 。
「 いいえ 」
「いや 、調べて みたら 、あの 紐 の ゆるい 包み は 、君 の やった 分 じゃ なかった よ 。 まあ 、勘弁 して くれ 。 チョコレート は 好き かね ? 「は あ ……」
その 課長 は 、チョコレート を 一 箱 、ポケット から 出す と 、綾子 の 前 に 置いて 、
「まあ 、しっかり や ん なさい 」
と 、行って しまった 。
しばし 、綾子 は 呆然 と して いた 。 しかし 、それ は 幸福な 呆然 であった 。 幸福 と いう の は 、割合 に 身近な ところ に ある んだ わ 、と 綾子 は 哲学的な こと を 考えた 。
この 朝 の 出来事 に 加えて 、この 日 の 仕事 は 得意な (? )コピー だった 。