第一章 彼女 は 誰 に 会いたかった か ?3
「今度 の 正月 休み に ユニバーサルスタジオ に 増尾 くん と 行く と したら 、とうぜん 二泊 くらい する よね ?
すでに 冷えた 餃子 を 一つ 、佳乃 は 鉄鍋 から つまみ ながら 言った 。
清水 祐一 と は 十時 に 待ち合わせ していた が 、すでに 店 の 時計 が その 十時 を 指している 。
「佳乃 ちゃん 、大阪 って 行った こと ある と ? 生 ビール を 二 杯 も 飲んで 、 顔 を 真っ赤に して いる 眞子 に 訊 かれ 、「 私 、 なか と や ん ね 」 と 佳乃 は 首 を 振った 。
「私 も ない と よ 。 従兄弟 が 住んどる けど 」
日ごろ 無口な 眞子 は 、酔う と よく 喋る ように なる 。 普段 から 舌足らず な 感じ な のだが 、酔う と それ が 甘えた ような 声 に なり 、男の子たち と の 合コン など で は ちょっと 目障り な 存在 だった 。
「私 、海外 も ない し ……」
座布団 の 上 で 脚 を 崩した 眞子 が 、 テーブル に 肘 を ついて そう 言う ので 、「 私 も 海外 まだない ん よ 」 と 佳乃 も 答えた 。
「沙里 ちゃん は ハワイ に 行った こと ある ん や もん ねぇ 」
トイレ に 立っている 沙里 の 、空いた 座布団 に 視線 を 落とし ながら 、特に 羨ましそうな 感じ も なく 眞子 が 呟く 。
眞子 の こういう 無欲な ところ に 、佳乃 は ときどき 歯噛み したく なる こと が ある 。
どうせ 私 は 、と いう 枕詞 が 、自分 の 話 を する 眞子 の 言葉 に は 必ず ついている ように 感じてしまう のだ 。
たしかに 佳乃 と 眞子 、それ と 今 トイレ に 立っている 沙里 は 、アパート でも 仲 の 良い 三人組 で 通っている 。
しょっちゅう で は ない が 、夕食 を 誰か の 部屋 で 集まって 食べる こと も あれば 、中庭 の 東屋 を 占領 し 、日 が 沈む まで その 笑い声 を 響かせる こと も ある 。
互いに あまり 営業 成績 が 良く ない こと も 三人 の 絆 を 深めて いる 。
入社 した ばかりの ころ は 、気 の 強い 佳乃 と 沙里 の 二人 が 毎月 の 成績 を 争う こと も あった の だが 、互いに 親戚縁者 の 契約 を 取りつけてしまう と 、あっという間に やる気 は 失せ 、もともと 営業 能力 の ない 眞子 も 含めて 、最近 で は 営業所 での 朝礼 に 出た あと 、意味のない 飛び込み 営業 を 放棄して 、映画 を 観に 行ったり する こと も 多い 。 どちら か と いえば 、のんびり 屋 の 眞子 が クッション に なり 、佳乃 と 沙里 を 結びつけて いた 。
「ねぇ 、もし 増尾 くん と ユニバーサルスタジオ に 行く こと に なったら 、眞子 ちゃん も 一緒に 行か ん ? と 佳乃 は 言った 。
トイレ から 沙里 は まだ 戻って いなかった 。
「私 も ? テーブル に 頬づえ を ついた 眞子 は 少し 驚いて その 顎 を 手のひら から 離した 。
「増尾 くん に も 誰 か 友達 誘って もらって 、四人 で 行こう よ 。 ああいう ところ って 人数 多い ほう が 楽しい やん ? この とき 佳乃 と 増尾 の 間 で 、ユニバーサルスタジオ に 行く 約束 など なかった のだ が 、空想 の 計画 に 他人 を 巻き込む こと で 、それ が 徐々に 現実 へ 変わっていく ような 甘い 興奮 を 佳乃 は 味わっていた のかもしれない 。
それ に たとえ ここ で 眞子 を 騙して も 、実際 に その 時期 が くれば 、「増尾 くん が 、急に 用事 が できて 行けんくなったらしい ったい 。 でも チケット もったいない けん 、二人 で 行こう よ 」と 言える 。
もちろん 増尾 と 二人 で 行く のが 一番 いい のだが 、たとえ その 相手 が 眞子 に なっても 、佳乃 は 今度 の 正月 休み に ユニバーサルスタジオ へ 行って みたかった 。
「でも 、沙里 ちゃん は 誘わん でも いいん やろか ? 眞子 が 心細そう に 佳乃 の 目 を 覗き込んで くる 。
「それ ちゃ けど 、増尾 くん 、沙里 ちゃん の こと が ちょっと 苦手 みたいな ん よ 」
佳乃 は わざと 声 を 潜めた 。
「 嘘 ? バー で は 仲良さそう やった のに 」「沙里 ちゃん に は 内緒 よ 。 可哀想 やけん 」
深刻 ぶった 佳乃 の 言葉 に 、眞子 は 真剣に 頷いた 。 もちろん 増尾 が 沙里 の こと を 嫌って いる など 真っ赤な 嘘 だった 。
ただ 、ときどき 佳乃 は なんでも すぐ 真に受ける 眞子 に 、他愛もない 嘘 を つき 、その 反応 を 楽しむ こと が あった のだ 。
安達 眞子 は 熊本 県 人吉 市 の 出身 だった 。 中古 車 販売 の 営業マン である 父親 と 、その 営業所 で バイト を していた 母親 の 間 に 生まれた 一人 娘 で 、夫婦 仲 の 良い 家庭 に 育った 女の子 らしく 、仕事 は あくまでも 腰掛け で 、短大 を 卒業したら 早く 結婚したい と 考えていた 。 子供 の ころ から 友達 を 自ら 選ぶ という ので は なく 、いつも 誰か に 選ばれる のを 待っている ような 性格 で 、そのくせ 高校 卒業後 は 福岡 の 短大 に 進む と 決める と 、そこ に 知り合い が いよう が いまい が 突き進んで しまい 、結果 、女子高 から エスカレーター式 の 短大 で ひとりぼっち に なった 。
よほど 人吉 に 帰ろう か と 思った が 、肝心の 仕事 が なかった 。 仕方なく 平成 生命 に 就職 し 、借り上げ アパート に 引っ越して 、やっと できた 友達 が 佳乃 と 沙里 だった 。
高校 時代 の 友達 に 比べる と 、いくぶん 二人 とも 派手 だった が 、それでも 眞子 は 、これ で 結婚 相手 が 見つかる まで 、寂しがらず に 済む と ホッと した 。
「そう いえば 、この 前 、中庭 で 仲町鈴香 ちゃん に 呼び止められた ん よ 」小鉢 に へばりついていた ポテト サラダ の キュウリ を 箸 で 器用に 取り ながら 、眞子 が ふと 思い出した ように 言う 。 「 いつ ? 佳乃 は 中庭 の 東 屋 で 、自慢げに 東京 言葉 で 喋る 鈴香 を 思い出し 、少し 顔 を 歪めて 訊き返した 。 「三日 くらい 前 。 それ で ね 、『沙里 ちゃん から 、増尾 くん と 佳乃 ちゃん が 付き合い 始めた って 話 を 訊いた んだ けど 、それ 本当 ? 』って 。 ほら 、仲町 鈴香ちゃん の 友達 が 、増尾くん と 同じ 大学 やろ ? 口調 の 割に 、それほど 興味 も ない らしく 、眞子 は ポテト サラダ の キュウリ を ポリポリ と 齧る 。
「それ で 眞子 ちゃん 、なんて 答えた と ? 」佳乃 は 落ち着いた ふり で 訊き返した 。
「『たぶん 、そう 』って 答えた けど ……」佳乃 の 口調 が 厳しかった せい か 、眞子 が 怯えた 様子 で キュウリ を 噛んで いた 顎 の 動き を 止める 。 ちょうど その とき 、一階 の トイレ から 沙里 が 戻ってきた 。
「 え ? 何 ? なんの 話 ? 」ブーツ を 脱ぎ ながら 、沙里 が 声 を かけて くる 。 この 店 の ように 座敷 の ある 店 で トイレ に 行く 場合 、客用 の 下駄 や 草履 が 用意されている こと が 多い が 、沙里 は 必ず 自分 の 靴 で トイレ へ 向かう 。 潔癖性 で 他人 と 履物 を 共有 する のに 不快感 が ある と 自分 で は 言う のだが 、その 発言 を 佳乃 は ずっと 疑って いた 。
佳乃 は また ポテトサラダ に 箸 を 伸ばした 眞子 を 眺め ながら 、「仲町鈴香 の こと 、あの 子 、増尾くん の こと が 好き らしい っちゃん ね 。 それ で 私 に ライバル心 持っとるん よ 」と 言った 。 咄嗟に 出た 嘘 だった が 、これ が 思わぬ 牽制 に なり そうだった 。 万が一 、増尾 と 同じ 学校 に 通う 友人 から 、鈴香 が 何か 知り得た と しても 、この 嘘 が 鈴香 の 真実 を 嫉妬 から の 負け惜しみ に 変えて くれる 。
ブーツ を 脱いで 、座敷 へ 上がって きた 沙里 は 、「本当 ? 」と 、すぐに 佳乃 の 作り話 に 食いついて きた 。 そして 沙里 の こういう ところ が 佳乃 に は どうしても 潔癖性 とは 思え ない 。 アパート の 部屋 で 佳乃 が パン を 食べて いれば 、
「一口 ちょうだい 」と すぐに 手 を 出して くるし 、ハンカチ を 何日 も 続けて 使う こと も ある 。 高校 の とき ずっと 付き合って いた 彼氏 が いた と 沙里 は 言う が 、実は それ も 嘘 で 、本当 は まだ 処女 で は ない だろう か と 、佳乃 は 一度 こっそり と 眞子 に 言った こと が ある 。 実際 、この とき 沙里 は 二十一 歳 で 、まだ 一度も 男 と 夜 を 過ごした こと が なかった 。 佳乃 や 眞子 に は 、「短大 の とき は 誰 とも 付き合って なかった けど 、高校 の ころ 、バスケット 部 の 男の子 と 三年間 付き合って いた 」
という 作り話 を していて 、たしかに 沙里 が 語る 男の子 は 学校 に 存在した のだが 、彼 は 沙里 で はなく 、別の 女の子 と 三年間 付き合っており 、言わば 三年間の 片思い を 、過去の 自分 を 知る者 の いない 福岡 に 来た ことを 幸いに 捏造し 、たった 一枚 だけ 持っていた 体育祭 での ツーショット 写真 を 佳乃 と 眞子 に 見せていた のだ 。
その 写真 を 見た 眞子 は 、「うわぁ 、カッコいい 」と 素直に 感嘆 の 声 を 漏らした 。
そして この 一言 が 、沙里 に 嘘 と 現実 と の 境 を 失わ せた 。 眞子 から 「カッコいい 、脚 長い 、目 が きれい 、歯 が 白い 」
と 褒められる たびに 、沙里 は まるで 自分 が 褒められている ような 錯覚 に 陥った 。 実際 に は 彼 の そういう ところ が 好き で 思い続けて いた のだ が 、まるで そういう 男 に 自分 が 三年間 思い続けられて いた ような 気 に なれた のだ 。 「フェアリー 博多 」に も 営業所 に も 、高校 の ころ の 沙里 を 知っている 者 は いなかった 。
本人 さえ 黙って いれば 、昔 の 自分 など どのように でも 書き換えられた 。 沙里 は この 福岡 で 、理想的な 自分 を 作り上げる こと に 喜び を 見出していた 。
しかし 、馬鹿 が つく ほど 素直な 眞子 は 騙せて も 、横 に は いつも 疑り深い 目 を した 佳乃 が いる 。
実際 、初めて 体育 祭 の 写真 を 見せた とき 、素直に 歓声 を 上げる 眞子 の 横 で 、佳乃 は
「ねぇ 、ちょっと 電話 して みよう よ 」と 言った のだ 。
もちろん 、もう 別れて る から と 慌てて 沙里 は 拒んだ のだが 、「でも さ 、向こう は まだ 沙里ちゃん の こと 好き やん ね ? 沙里 ちゃん が 福岡 に 引っ越す んで 、泣く泣く 別れた と やんね ? 電話 したら 喜ぶっちゃ ない ? と 食い下がり 、戸惑う 沙里 を 前 に ほくそ笑んで いる ようだった 。 その せい も あって 、沙里 は 佳乃 と 二人きり に なる と 、たまに 息 が つまる こと が ある 。 眞子 と 二人 の とき は 自分 が 主人公 で いられる のだが 、佳乃 と 二人 だと 、まるで 偽物 の ブランド 品 を 自分 が 身に つけている ような 、そんな やましい 気 に させられる のだ 。 ただ 、たとえば 街 で 男の子たち に 声 を かけられて も 、引っ込み思案 の 眞子 で は 一緒に 楽しめない が 、佳乃 と 一緒 だと 、美味しい もの を 奢らせ 、カラオケ を 楽しませて もらった あと 、「門限 が ある 」と 嘘 を ついて 、さっさと 手 を 振って 姿 を 消す 大胆さ が 手に入れられた 。 最後に 一人前 だけ 注文 した 餃子 を 、佳乃 たち は あっという間 に 平らげた 。 すでに 四 人 前 を 完食 して いた ので 、一 人 平均 十三 個 を 食べた こと に なる 。 テーブル の 下 に 脚 を 伸ばした 佳乃 は 、「ちょっと 食べ 過ぎ 。 せっかく 一 キロ 痩せ とった と よ 」 と 大げさ に おなか を さすった 。
同じ ように 姿勢 を 崩した 沙里 と 眞子 も 、さすがに 満腹 に なった らしく 、フー と 大きく 息 を 吐く 。 佳乃 が 伝票 を 取って 、料金 を 三 等分 している と 、「ほんとに 大丈夫 ? もう 十 時 半 に なる よ 」と 、眞子 が 壁 の 時計 を 見上げた 。
佳乃 は 一瞬 、何 が 大丈夫 な の か 分からず 、「何 が ? 」と 答えて しまった 。 「 何 がって 、 ほら 、 増尾 くん ……」 と 眞子 が 首 を 傾げる 。 そこ で やっと 佳乃 は 思い出した 。 これ から 自分 が 増尾 と 会う こと に なっている と 、二人 は 勘違い した まま な のだ 。
「あ 、うん 。 そろそろ 」と 佳乃 は 慌てて みせた 。 まるで 増尾 と 本当に これ から 会う か の ように 。 実は 、十時 に なった ころ 、佳乃 は 「少し 遅れる 」と 祐一 に メール を 打とう か とも 思った のだ が 、その とき ちょうど 仲町 鈴香 の 悪口 に 夢中 に なり 、そのまま 連絡 を 入れて いない 。 祐一 が 会いたい と しつこく 言う ので 、仕方なく した 約束 だった 。 「 この前 の 金 を 払いたい から 」 と 祐一 は 言った 。 もし それ だけ であれば 、五 分 も 会えば 事 は 足りる 。 伝票 に 書かれた 金額 を きちんと 三 等分 する と 、佳乃 は 二人 に その 金額 を 告げた 。 餃子 が 一人前 470 円 、ポテトサラダ が 520 円 で 、手羽先 、いわし 明太 など に 生ビール を 加えて 、合計 7100 円 だった 。
一 人 、2366 円 。 その 数字 を 読み上げる と 、沙里 と 眞子 が 財布 から 一円 も 過不足 なく 自分 の 分 を テーブル に 出す 。 それ を 待つ 間 、佳乃 は バッグ から 携帯 を 取り出し 、何か メール が 入って いない か 確かめた 。 数件 、着信 は あった が 、待ち合わせしている 祐一 から の もの は なく 、もちろん 増尾 から の メール も 届いていない 。 約束 の 十時 を 五分 過ぎて 、清水 祐一 は 佳乃 に メール を 送るべき か 迷って いた 。 すでに 東公園 前 の 通り に 駐車 した 車 の エンジン は 止め 、並木道 に ある 一時間 200 円 の パーキングエリア に 並んでいる 他 の 車 同様 、まるで もう 何日 も ここ に 置かれている ように 見える 。 すぐ そこ に JR吉塚駅があるにもかかわらず、午後十時を過ぎた公園沿いの通りを行き交う車は少なく、ときどきカーブを曲がってくるタクシーのライトが、パーキングエリアに並ぶ車列を照らした。
ライト に 照らされる どの 車 の 運転席 に も 人影 は なかった 。 ちょうど 公園 正門 前 に 停められた 一台 の 運転席 に だけ 、祐一 の 現場 灼 やけした 顔 が 浮かぶ 。 間違い なく 佳乃 は 「東公園 の 正門 前 で 」と言った 。 友達 と 食事 を する 約束 が ある が 、十 時 に は 着ける から と 。
祐一 は 公園 を 車 で 一回り して みよう か と 思った が 、一周 する と 公園裏 の 細道 など を 抜ける のに 三分 以上 は かかってしまう 。 その 隙 に 佳乃 が 駅 の ほう から 現れて 、来て いない と 勘違い する かも しれない 。 祐一 は 回しかけた キー から 手 を 離した 。 エンジン を 止めて すでに 五 分 以上 が 経つ のに 、三瀬 峠 を 越えて きた 車体 の 熱 が 、まだ シート の 下 から 尻 に 伝わって いた 。
ハロゲンライト の 青白い 光 の 中 だけ に あった 峠 の 道 。 その 光 の 中 に 突っ込む ように アクセル を 踏み 、後輪 を 滑らせて カーブ を 曲がる 。 前方 を 照らす 青白い 光塊 は 、追っても 追っても 先 へ 逃げた 。
夜 の 峠 道 を 走る たび 、祐一 は いつか 自分 の 車 が あの 光塊 を 捕らえられる ので は ない か と 空想 する 。 光塊 を 捕らえた 車 は 、一瞬にして そこ を 突き抜け 、突き抜けた 先 に は 、これまでに 見たこともない 光景 が 広がっている 。 ただ 、その 光景 を 祐一 は まったく 想像 でき ない 。 昔 、映画 で 観た 地中海 という ヨーロッパ の 蒼い 海 や 、やはり 映画 で 観た 銀河 など 、いろんな 光景 を 当てはめて みる のだが 、どうしても これ に 違いない と いう もの が ない 。
映画 や テレビ で 観た もの に 頼ら ず 、自分 で 想像 して みる こと も ある のだ が 、そう する と とたんに 目 の 前 が 真っ白 に なり 、車 の ライト が 作る 光塊 など 通り抜けられる わけ が ない と 思えて しまう 。 祐一 は 目 を 閉じて 、たった今 、走り抜けて きた 峠 の 道 、そして 光 に 溢れていた 天神 の 街 を 、まぶた の 裏 に 思い起こした 。 待ち合わせ 時刻 から 十五 分 が 過ぎて いた 。 今 、佳乃 が 来た と しても 、そう 長く は 話せない が 、何 を 話したい の か と 自問 して みても 、そこに 言葉 が 浮かばない 。 公園 沿い の 歩道 に 人通り は まったく なかった 。
車道 を 走る 車 も ない 。 三十 分 あれば 、この 車内 で 佳乃 に しゃぶって もらう こと は できる 。 もちろん 最初 は 嫌がる だろう が 、まず 無理やり に でも キス を して 、それから 佳乃 の 乳房 を 揉んで ……。 峠 を 下りて すぐ の 自動 販売機 で 烏龍茶 の ペットボトル を 一気 飲み した せい か 、祐一 は 急に 尿意 を 感じた 。
通り の どちら 側 から も 歩いて くる 人影 は ない 。 すぐ そこ に 公園 の 公衆便所 が ある の は 知っていた が 、前回 、佳乃 を ここ まで 車 で 送った あと 、目に ついた その 公衆便所 で 小便 を している と 、いつの間にか 背後 に 若い 男 が 立って おり 、隣 の 便器 は 空いている のに こちらの 小便 が 終わる まで 、じっと そこ を 動か なかった 。
そのくせ 何か 声 を かけて くる でも ない ので 、祐一 は 小便 も そこそこ に ジッパー を 上げ 、逃げる ように 公衆 便所 を 飛び出した 。 車 へ 戻る 道すがら 、何度 も 振り返って みた が 、男 が 出てくる 気配 も なく 、いよいよ 気味 が 悪く なった 。 携帯 を 開く と 、また 五 分 が 過ぎて いた 。
まさか 佳乃 が すっぽかす と は 思え なかった が 、不安 に なり 、車 を 降りて 外 へ 出た 。 ずっと 車 内 に いた ので 気づか なかった が 、峠 の 冷気 が 街 まで 下りて きた ような 夜 だった 。
腰 を 伸ばして 深呼吸 する と 冷たい 空気 が 喉 に つかえた 。 遠く 天神 方面 の 空 が 紫色 に 染まって いた 。 ふと 、佳乃 は 今夜 自分 と 朝 まで いる つもり なんじゃないか 、と 祐一 は 思った 。
長崎 から わざわざ 会い に きた 自分 と 、この 前 の ラブ ホテル に 行く つもり なんじゃない だろう か 、と 。 そう 考えれば 、この 二十 分 の 遅刻 に も 合点 が いく 。
しかし 、今夜 博多 の ラブ ホテル に 泊まる わけに は いかない 。 明日 は また 朝 の 七時 から 仕事 が ある のだ 。 祐一 は ガード レール を 跨ぐ と 、通り に 誰 も いない の を 確認 して から 、公園 の 生け垣 に 立ち 小便 を した 。 泡立った 小便 が 布 を かける ように 生け垣 を 濡らし 、だらしなく 自分 の 足元 に 広がって くる 。
「ねぇ 、そこ の 『であい 橋 』で 、前 に 声 かけてきた 男 の 人たち が おったろう ? 佳乃 、覚え とう ? 」背後 から 沙里 に 声 を かけられて 、「いつごろ ? 」と 佳乃 は 振り返った 。 中洲 の 鉄鍋 餃子店 を 出た 三 人 は 、川面 に ネオン を 映した 那珂川 沿い に 、地下鉄 の 駅 へ 急いで いた 。
「今年 の 夏 ごろ 」佳乃 の 横 に 並んだ 沙里 が 、明るい 川面 に かかる 「福博 であい 橋 」に 目 を 向ける 。
「そんな こと あったっけ ? 「ほら 、大阪 から 出張 で 来 とった 二 人 組 」
沙里 に そこ まで 言われて 、「ああ 」と 佳乃 は 頷いた 。 たしかに 今年 の 夏 ごろ 、天神 で 食事 を した 帰り に 橋 を 渡っている と 、「カラオケ 行かへん ? 」と 気安く 声 を かけて きた 若い 男 たち が いた 。
二 人 とも 細身 の スーツ を 着こなして いて 、なかなか 見かけ は よかった のだ が 、眞子 が 悪酔い していた せい も あり 、その とき は あっさり と 断った のだ 。
「ほら 、あの とき 無理やり 名刺 渡された ろう ? その 名刺 が 昨日 見つかったっちゃ けど 、あの 人 たち 、大阪 の テレビ局 の 人 たち やった と よ 」沙里 に そう 言わ れ 、佳乃 は 、「嘘 ? そう やった と ? と 少し だけ 興味 を 持って 訊き返した 。
「で ね 、私 、もし 転職 する なら 、マスコミ 関係 が よくって 、ちょっと 連絡 取って みよう か と 思って 」「道 で ナンパ してきた 人 に ? 佳乃 は 沙里 の 考え を 鼻 で 笑った 。 沙里 が 卒業 した 短大 ごとき で 、マスコミ 、それ も テレビ局 など に 就職 できる わけ が ない 。 橋 を 渡っている と 、「そう いえば 、この 前 の ソラリア の 横 の 公園 で 声 かけてきた 人って 、どう なった ん ? と 、沙里 が 話 を 変えた 。
「 ソラリア ? 」と 佳乃 が 訊き返す と 、「ほら 、長崎 から 遊び に 来とった 人 で 、なんやったか 、カッコいい 車 に 乗っとる 」と 言う 。 佳乃 が これ から 会う 祐一 の こと だった 。
佳乃 は 、「ああ 」と 、話 を 打ち切る ように 答え 、眞子 の ほう を ちらっと 見遣った 。
実際 は 出会い系 サイト で 知り合って いた のだが 、沙里 に は 天神 の 公園 で 声 を かけられた こと に していた のだ 。 サイト で 知り合い 、二 週間 ほど メール の やりとり を した あと 、初めて 祐一 と 会った のが 、ソラリア の 玄関 前 だった 。 当初 、祐一 は 長崎 在住 と いう こと も あって 、ソラリア という その ファッションビル を 知らなかった 。
「天神 、来た こと ない と ? 」 と 佳乃 が 訊 く と 、「 車 で 何 度 か 行った こと は ある けど 、 街 ば 歩いた こと は なか 」 と 答える 。
一瞬 、会う の が 面倒な 気 も した が 、その 前日 に 送って もらった 写 メール が 予想 に 反して ちょっと いい 男 だった ので 、ソラリア の 詳しい 位置 を 説明して やる こと に した 。
当日 、約束 の 時間 に ソラリア に 着く と 、それ らしき 背 の 高い 男 が 玄関 脇 の ショーウインドー に 凭れて 立って いた 。 正直 、写 メール で 送られて きた 写真 より も 、ハンサム だった 。 佳乃 は 、会う 前 に メール や 電話 で 交わした 言葉 の 数々 を 思い出し 、こんな こと なら もっと 正直に 応対 して おけば よかった と 後悔 した 。 少し ドキドキ し ながら 男 の 前 に 立つ と 、とつぜん 近づいて きた 佳乃 に 、男 の ほう も ドギマギ した 様子 で 、何やら ボソボソ と 言う 。
「 え ? 何 ? 」と 佳乃 が 訊き返せば 、また ボソボソ と 何 か 呟く 。 きっと 緊張 して いる のだろう と 思った 佳乃 は 、「え ? 何 ? 」と わざと 彼 の 腕 に 触れ 、その 顔 を 笑顔 で 見上げた 。
「俺 、レストラン とか 、よう 分からん よ 」男 が 小さな 声 で 言う 。
「 そんな ん 、 どこ でも いい よ 」 佳乃 が 笑顔 で 答える と 、 やっと 男 の 顔 がかすかに 弛 ゆるんだ 。 ただ 、初対面 の 緊張 の せい だ と 思っていた 男 の 口調 は 、時間 が 経っても そのまま だった 。 ボソボソ 、ボソボソ と 、佳乃 の 質問 に 答え は する のだが 、決して 一度 で は 聞き取れない 。 初対面 の 緊張 で は なく 、それ が 男 の 普段 の 話し方 らしかった 。
「一緒に おる と 、なんか イライラ するったい 」佳乃 は 地下鉄 へ の 階段 を 下り ながら 、両脇 に いる 沙里 と 眞子 に 、まるで 唾 を 吐く ように 言った 。 「 でも 、 カッコいい ん やろ 」 それ でも 羨ま し そうな 声 を 上げる 眞子 に 、「 見かけ は い いっちゃ けど 、 話 は 面白くない し 、 それ に 私 に は 、 ほら 、 増尾 くん が おる や ん 」 と 答えた 。
「そう よ ねぇ 。 ……でも 、なんで 佳乃 ちゃん ばっかり 、そういう 男 の 人 、寄って くるっちゃ ろう 」
眞子 の 言葉 に 、しばらく 黙って いた 沙里 が 、「でも 、増尾 くん と 出会った ばっかりで 、よく 他の 人 とも 会う 気 に なる よ ね 」と 嫌み 混じり に 口 を 挟んで くる 。