君 の 名 は 1課 (2 )
と いう か 、その 授業 を 受けた 記憶 じたい が ない 。
まるで 、一 週 ぶん 見 そこねた テレビ ドラマ の 続き を 見ている ようだ 。
しかし 、それ だけ の こと なら 、ちょっと 専門 の 病院 を 探して みます か 程度 の こと で 済んだ はずだ 。
まったく 、それ で 済んで くれたら よかった のだ 。
受けた 覚え のな いそ の 授業 の ノート が 、 知らない ひつ 筆 せき 跡 で とって ある 。
いや 、知らない 筆跡 という の は 、語弊 が ある 。 正確に いえば 、瀧 は その 筆跡 を 見 た こと が ある 。
夢 の 中 で 。
それ は 宮水 三葉 の ノート の 文字 と 同じ 筆跡 だった のだ 。
(たぶん 、俺 と ほとんど 同じ タイミング で 、あいつ も 筆跡 の こと に 気づいた んだろう な ……)
極め つけ に は 、携帯 の 日記 アプリ に 、記憶 が 吹っ飛んだ 一日 ぶん の あいだ に 起こった らしい 出来事 の 記録 が 、やたら はしゃいだ 文体 で 書きつけて あった 。
その 日記 の 末尾 に 、「三葉 」と いう 署名 が ある 。
朝 、 瀧 が 自分 の 部屋 で 目 を 覚ます と 、 左腕 の 内側 に 油性 ペン で 大きく 「 みつ は 」 と 落書き が して あった こと も ある 。
その 下 に 「参上 」と 書いて ない の が 不思議 な くらい だ 。
ここ まで くる と 、お互いに 、気づか ない わけ に は いかない 。
つまり 、これ は 夢 で は なく 。
宮 水 三葉 と いう の は 幻 の 世界 の 登場 人物 など で は なく 。
彼女 も 、彼女の 周り の 世界 も 、現実 の もの と して 存在している のであり 、自分 は いつのまにか 意識 だけ が 彼女の からだ 身体 に 入り込んで おり 、そして 、その 間 は 、宮水 三葉 の 意識 が 、自分の 身体 に 入り込んで 活動している のだ と いう こと だ 。
それ に 関する 、立花 瀧 の 最初の 反応 は こう であった 。
「 うそ 噓 だ ろ !?」 一方 、 宮 水 三葉 が 携帯 の メモ 機能 で 伝えて きた 第一声 は こう だ 。
〈 変態 ッ !!〉
変態 じゃ ねえ よ !
と メモ の 下 に 即座 に 書き 足した 瀧 である 。
意図 的に 女 の 子 の 生活 に し の 忍び込んだ の なら 変態 と 呼ばれても しかたがない が 、これ は 完全に 不可抗力 だ 。
こんな ややこしい 事態 を 自分 から 望む やつ が いる もの か 。
フリック 入力 で そう 書き込んで 抗議 した のだ が 、 〈 私 の 身体 を 自由に してる ん だ から 、 変態 に 決まってる でしょう !?〉 次に 入れ替わった とき に 、 けん も ほろ ろ に そんな 返事 が 返って きた 。
身体 を 自由に する って 何 だ よ 。
こいつ 、相当 きわどい こと 言ってる のに 、自分 で 気づいてない のか 。
だいたい その くらい の 段階 で 、宮水 三葉 という 人格 が 、と ぼ 乏しい 情報 の 中 、おぼろげに りん 輪 かく 郭 を 取り 始めた 。
──この 女 、結構 アホ だ ぞ 。
布団 を 上げた 。
パジャマ を ぬ 脱いで たたみ 畳 に 落とした 。
胸 を 揉んで いる とき より も 服 を 脱ぐ とき の ほうが 、瀧 は 後ろめたく なる 。 なげ し 長 押 に かかって いた 制服 を 身 に つける 。
この おそ 恐ろしい スカート と いう もの 、フック と ファスナー だけ で 、ベルト も なし に 身体 に 固定 される こと に いつも おどろ 驚く 。
くびれ が ある って 、こういう こと か 。
そして この 細い 小さい 白い シャツ に する り と 身体 が 通って 、きちんと ボタン が 留まる こと に も き奇 みよう 妙な かん感 が い慨 を 覚えて しまう 。
そういう こと に 、いちいち 驚いて しまう 。
かみ 髪 の 毛 を まとめて 束ねて 、 ゴム で 留め る 。
本物 の 三葉 は 、 もっと こ 凝った ゆ 結 いか た を して いる の かも しれない が 、 瀧 に は こ れ が せい 精 いつ 一 ぱい 杯 だ 。
装備 品 を 装着 して しまう と 、いやおう な く 、気合い が 入る 。
今 日一日 、なんとか して 、女 を 演じ きる ぞ 。
気合い でも 入れ なければ 、心 が くじけ て しまう 。
《 あんた 、 だれ 誰 ? 誰 か に 突然 、真顔 で き 訊かれ そうで こわ 恐い 。
そんな こと を 言わ れよう もの なら 、確実に 心臓 が 止まる 。
これ まで 周囲 の 反応 を 見てきた 結果 、宮水 三葉 が どんな しゃべり方 を する の か 、おぼろげ ながら わかってきた ところ だ 。
わかって は きた のだ が 、さすがに 一日 じゅう それ で 通す のは 難しい のだ 。 昼 より 前 に は 、確実に ぼろ が 出 始める 。
知ら ず 知ら ず 、男 言葉 に 戻って いて 、学校 の 連中 を ぎょっと させて しまう 瀧 である 。
いつも 反省 する のだ が 、それ でも なかなか 直ら ない 。
もう 少し 、チューニング が 必要 かも しれない 。
「──あ 、そう だ 」目の前 に 、絶好 の テキスト が ある こと に 気 が ついた 。
三葉 が 携帯 の 中 に 残した メモ だ 。 ようするに こいつ は 、宮水 三葉 の 肉声 みたいな もの だろう 。
これ を 自然に し や べ 喋れる ように なれば いい わけだ 。
ため 試して みた 。
「……ほんっと に ッ 、とにかく ッ 、私 の 体 で 勝手な こと しないで よね ! 」自分 の こと ながら 、実に わざとらしい 。
ア マチュア 劇団 の しろうと 素人 しば 芝 い 居 の ようだ 。
「──あと 、わかって る と 思う けれど ! 女 子 更衣室 に 入ったり したら 何らか の 形 で 復讐 する ! 」がんばって すご 凄んで みた のだ が 、この 声 で は いまひとつ はく 迫り よく 力 が 出 ない 。
二 、三 回 、そう やって 読んで みた が 、ば 馬 か 鹿 ば 馬 か 鹿 しく なって やめて しまった 。
ふと 、 何 か の 気配 を 感じて 視線 を 泳が せて み る と 、 ふすま が うっすら 開いて いて 、 その すき 隙 ま 間 から 小さな 目 が こちら を のぞ 覗いて いた 。 その 目 が まばたき して 、きょろり と 動いた 。
「う おう ! 芝居 どころ で は なく リアルに 声 が 出て しまった 。
うす 薄 ぐ ら 暗い 日本間 の 中 で そんな こと を されたら まる きり よこ 横 みぞ 溝 せい 正 し 史 の みん 民 ぞく 俗 的 きよう 恐 ふ 怖 の 世界 である 。
妹 の よつ 四 は 葉 だ 。
三葉 と は 歳 が はな 離れて い て 、まだ 小学生 くらい だ 。
うすく 開いた ふ すま の 向こう で 、 小学生 は 口 もと を ゆが め て 、 まゆ 眉 を たがいちがい に して 、 し ゅる しゅ る と え 海 び 老 みたいに 後ずさり ながら そっと ふ すま を 閉めた 。
まったく の 無言 だった が 、その 表情 を あえて せりふ 台詞 に する なら 、「う へえ 」そういう 顔 だった 。
時間 に 追い立てられる ように 家 を 出た 。
学校 まで の 道のり は 、 半ば まで は 妹 と いつ 一 しよ 緒 だった ので 迷う こと は なく 、 妹 と 別れて から も 一 本道 だった ので 何の 問題 も なかった 。
この 糸 守 町 と いう 小さな 町 は 、糸 守 湖 を ぐるり と 取り囲む ように できている 。
糸 守 湖 は 、山地 の 真ん中 に ぽっかり と くぼんだ 、それほど 大きく も ない 湖 だ 。 深い 山 の 奥 に とう 唐 とつ 突 に 湖 が 現出 する 、という 風景 は なかなか げん 幻 そう 想的 である 。
湖 は 山地 に 取り囲まれた 状態 に なって いる ので 、 湖 の 周辺 は すべて しや 斜 めん 面 であり 、 民家 や 道路 は 、 斜面 を ところどころ 盛ったり けず 削ったり して 半ば 無理やり 作った 水 平地 に で きて いる 。
だから 道路 は おおむね かん 環 じよう 状 線 だ し 、 行って も もど 戻って も だいたい 同じ 場所 に 着く 。
瀧 は 左 方向 の 景色 に 目 を やった 。
道 より も 低い 斜面 に 植わった 樹木 が と ぎれ 、遠景 が 目 に 入って きた 。
風 に 吹かれて 小さく 波打った 糸 守 湖 の すい 水 めん 面 に 、 朝 の 光 が 当たって 、 カット ガラス みたいに キラキラ して いた 。
その 向こう に 、 緑色 の 木々 に 全面 を おお 覆 われた 山 の 景色 が 、 あちら はかすかに あわ 淡 く 、 また あちら は 深く こ 濃く 、 と いう ふうに 、 複 雑な いん 陰 えい 影 を 作って いた 。
そんな 山々 の 複雑な 表情 を 視線 で なでまわしている と 、瀧 の 心 の 中 に 、感動 に 近い もの が わき上がる 。
ひょっとして 、これ が きよう 郷 しゆう 愁 という やつ なの だろう か 。
生まれ も 育ち も 東京 二十三 区 、しかも やま の 山 て 手 線 の 内側 で 、地方 の 故郷 と いう も の を 瀧 は 持たない 。
帰省 と か いう もの も し た こと が ない 。
だ から 、里心 が つく という 感覚 が 、よく わからない の だが 、何やら くすぐったい 感じ だ 。
瀧 は ふと 立ち止まって 、その 景色 を じっ と み 見す 据えた 。 視界 を 広く とり 、全体 像 を 、意識 の 中 に 焼き付けよう と した 。
光 は 湖面 に 反射 して おど 躍り 、山 は くろぐろ と 静まりかえって いて 、その 景色 から 、風 が ふ 吹き込んで きて 身体 を なぶる 。
髪 を ゆ 揺らす 。
風 に は 、 に お 匂い が あった 。
水 と 土 と 樹木 の 気配 が 、 見えない くらい 小さな とう 透 めい 明 な カプセル に ふう 封じ込まれて いて 、 それ が 風 に 混じって ほお 頰 に 当たって ふと はじ 弾ける よう な 、 そんなかすかな 匂い だ 。
風 に 匂い が ある という こと を 、瀧 は この 町 で 、初めて 体験 した 。
予感 が ある 。
これ から 先 、 自分 は 、 なつ 懐かしい と いう がい 概 ねん 念 を 、 この 景色 と ワン セット で 想起 する だろう 。
この 景色 は ──。
どこ か に かえ 還って ゆく 、 と いう 概念 を 持たない 瀧 に 、 神 が あた 与えた 、〝 故郷 〟 なる もの の イメージ 像 な ので は ある まい か 。
言葉 として はっきり と そう にん 認 しき 識 した わけ で はない が 、そういった こと を 、瀧 は 感じて いる 。
「朝っぱら から 何 たそがれ とる の ? 後ろ から 、 かた 肩 に 誰 か の あご 顎 が 乗った 。
振り返る と 、な 名 とり 取 さ 早 や 耶 か 香 が おさげ を 揺らし て 立って いた 。
その 背後 から 、ボウズ 頭 で 体格 の 大きい て 勅し 使がわ 河ら 原 かつ 克 ひこ 彦 が 、ママチャリ を 引いて あくび を し ながら 追いついて くる 。
瀧 の これ まで の 観察 結果 に よれば 、こ の 二人 と 三葉 は 、家族 ぐるみ の 幼なじみ だ 。
学校 内 で は ほぼ 三 人 一緒に 行動 し て いる 。
この 周辺 の 言い方 で 表現 すれば 「つれ 」と いう こと に なる 。
瀧 は 当初 、「 三葉 の こと を 知り つ 尽くして いる人物 と 、 長 時間 行動 を 共に する の は まずい 」 と 考えて 、 けい 警 かい 戒 して いた のだ が 、 すぐに そう で は ない と いう こと が わかって きた 。
二人 と も 、 ひ 比 かく 較 てき 的 おっとり した人 物 な ので 、 三葉 の人格 ( の 中身 ) を そう そう 疑ったり は し なかった し 、 特に 早 耶香 は 、 多少 ふ 不 しん 審 な こと が あった と して も 、
「何 やって ん の ? と 訊いて くれる ので 、すぐ に 調整 が きく のだ 。 正直 助かる 。
そういった 理由 で 、瀧 は 学校 で は 、なるべく この 二人 に くっついている こと に 決めていた 。
三葉 の 行動 と しても 、それ が 自然 な ようだ 。
リアリティ を 追求 する なら 、「 サ ヤ ちん 」「 テッシー 」 と 呼びかけ ねば なら な い のだ が 、 さすが に そこ まで きよ 距 り 離 を つ 詰める の は 気 が 引けて 、「 えっと 」 と か 「 あの さ 」 と いう 感じ で ごまかして いる 。
「また 、髪 の 毛 くしゃくしゃ 。
スカート も 折っ とらんし 」名取 早耶香 が 、頭 の 上 で ひと束 に まとめた だけ の 瀧 の (というか 三葉 の )髪 を 、軽く つまんだ 。
「 また ね 寝 ぼう 坊 した の ? 」「寝坊 も した けど 。
これ が 精一杯 で す ……」
瀧 は 泣き そうな 顔 を 作った 。
すでに して 、オリジナル の 三葉 らしい 口調 で 喋ろう と いう 決意 が くず 崩れて いる 。